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ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレHILARY AND JACKIE 1998年イギリス 監督アナンド・タッカー 脚本ッフランク・コトレル・ボイス 撮影デビット・ジョンソン 出演エミリー・ワトソン/レイチェル・グリフィス/ジェイムズ・フレイン ●121分 日本ヘラルド映画配給 2000年3月公開予定 1987年、多発性硬化症のため42歳でこの世を去った天才チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレの半生を、彼女と姉ヒラリーの双方の視点から描いた音楽&伝記ドラマ。主演のエミリー・ワトソンとレイチェル・グリフィスがオスカー候補にあがった。 |
STORY母アイリスの手で、音楽の英才教育を受けて育ったヒラリーとジャッキー。姉のヒラリーはフルートの優等生で、コンクールに連戦連勝。BBCから「おもちゃの交響曲」の録音に参加してくれと頼まれる。そのとき、強引にオーケストラに加わったジャッキーは、太鼓をたたき損ねて大失敗。しかし、この出来事がきっかけで彼女はチェロの猛練習に励み、めきめきと腕をあげていく。やがて9歳になったジャッキーは、姉と共にパーリーの音楽コンクールに出場。観客を総立ちにさせるほどの演奏をし、一躍世間の注目を集める。別の部門で優勝しながらも、自分の存在が疎んじられていることに気づくヒラリー。以降、姉妹の立場は逆転し、デュ・プレ一家の生活はジャッキーを中心にまわり始める。1965年、20歳のジャッキー(ワトソン)は、ロイヤル・フェスティバルホールでプロ・デビューを飾った。いっぽうのヒラリー(グリフィス)は国立音楽大学でフルートの勉強を続けていたが、自分の才能に自信を失い、試験に落第してしまう。そんな彼女の前に現れた指揮者のキーファ(デビッド・モリシー)。彼との結婚を決意したヒラリーは、平凡な家庭生活に幸福を見出していく。その直後、姉に対抗するように、ジャッキーも天才ピアニストのダニエル・バレンボイム(フレイン)と結婚。クラシック界のスター・カップルとして、華々しく演奏活動を続けていく。が、そんな生活のなかで、次第にジャッキーの心と身体は蝕まれていった……。 |
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SHIMIZU ★★☆(99/08/23 ヘラルド映画試写室) 僕の映画の法則では「ドキュメンタリー出身」の監督作に駄作はない。この映画の監督もドキュメンタリー出身。たしかに、噛んで含めるようなタッチは、それなりにオリジナリィを感じさせるものがありました。 これは、今年の『シャイン』なのか。そんな思いで見始めました。タイトルにもなっている天才チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレに関して、僕はまったく知りませんでした。でも、『シャイン』ではヘルフゴットを知らなかったのに、彼の人生と音楽にすごい感動を味わいました。だから、この映画もそれを期待したのですが。結果はそこそこの達成感。なぜだろう? 『シャイン』の時は素直にヘッフゴットが奏でるピアノの世界に、魅せられたのですが、ここではチェロの世界に魅せられるというほどの演奏シーンはありません(ジャッキーのデビューリサイタルで、音をはずした彼女が平然と「A弦がゆるんだ」とウソをいって舞台から退場し、平然とやりなおしをするエピソードが印象的ですが)。僕自身が馴染みがないだけなのかもしれないけど。僕は音楽というより、この映画は英語でいう「シビリング・ライバル」、つまり姉妹に焦点をあてた姉妹の葛藤劇としてみる映画なのでは、と思いました。 少女の頃、姉のヒラリーはフルートの名手で「自慢の姉」だった。彼女に影響を受けた妹のジャッキーはチェロを始めるが、「お姉さんのように上手になって」と母に言われ、家族からは相手にされない存在。が、密かに練習を積んだジャッキーはコンテストの弦楽器部門で優勝、同じ管楽器部門で1位になった姉を圧倒する万雷の拍手で迎えられます。カメラマンから「妹が自慢では」と水を向けられ、家族の星だった姉のヒラリーは天才の妹の影に怯えることとなっていきます。姉ヒラリーを演じるレイチェル・グリフィスと妹ジャッキーを演じるエミリー・ワトソンの演技は、それぞれお互いを補完する感じで、静の情感を湛えたグリフィスと動の情感を爆発させるワトソン(「セックスがしたいの。男がほしい」と森のなかで全裸で絶叫す図も強烈)という対照を感じました。 この映画自体は定規で計ったような構成で最初の25分でふたりの幼少時代から成人し各々の道を歩くはじめるパート。次にパートを「ヒラリー」の視点から描き、同じ長さで「ジャッキー」の視点から描く。ちょうど、姉妹の心模様を「合わせ鏡」のようにして見せていく趣向。「ヒラリー」はフルートの教授に才能のないことを指摘され、絶望状態のなかで、若い音楽家キーファと出会い結婚の運びとなります。ヒラリーは「主婦」を選択します。「ジャッキー」は「世界を手にできる位置」にいる。が、チェロの技術を手にしたが、なにか満たされない。「人間的な愛」に飢えている。「ヒラリー」のパートで、ロシアから送りつけられてきたジェッキーの「洗濯物」。その意味が「ジャッキー」のパートで、彼女の孤独の象徴として現されます。実家からもどってきた洗濯された「衣類」をベッドに敷いて家庭の感触を感じる姿となって展開されます。 邦題が「ほんとうの」とうたったキーとなる部分は姉妹で「愛」を共有したことでありましょう。夫を共有しようと悪魔的な提案をするジャッキー。そんな彼女のためにヒラリーは夫に「誰かに愛されている証拠を見せるため、抱いてやって」と頼みます。ふたりのセックスを感じながら、夜中に息をひそめる苦悶の姉ヒラリー。その息詰まる姉妹の葛藤劇を好感するか、いなかはかなり意見がわかれるところ。僕としては、レイチェルの、ダメな姉のパートに凄く引かれましたが(フルートの試験を受け、担当教授にコテンパンに酷評される姿が気持ちが入りました)、エミリーのエキセントリックな心理にはほとんど傍観状態でした。天才と呼ばれた人の、いい知れない孤独を感じないわけじゃないけど。 「ヒラリー」と「ジャッキー」の2つのパートで共有されているシーンがひとつ。それはヒラリーが結婚することをジャッキーに告げるシーンです。「彼は私を特別な女だって」というヒラリーに、「あなたは特別じゃない」とジャッキーはグサリと一言。「普通になるのはそれなりに難しい」とヒラリーは抗弁します。平凡を選んだ姉と非凡を選んだ妹。お互いがその喪失感を次第に意識しあい、それゆえにふたりがジワジワ距離を縮め、せめぎあい融合していく感じ。終盤、難病に見舞われたジャッキーのことを、心で感応したヒラリーが見舞い、強い愛で結ばれていくあたりは、かなりジーンとさせるものがあることは確か。 僕がこの映画で凄く好きだったシーンは浜辺にいる幼い姉妹をブックエンドふうに配したジェーン・カンピオンふうの映像ルック。幼い姉妹は成長したジャクリーヌと出会い、幼いジャクリーヌがある予言的な囁きを聞くシーンです。彼女たちの心を癒す、ある種の姉妹の原風景といった趣。最後、ヘリビューで彼女たちを捉えるパノラマ的な映像も印象的でした。 |
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YAZAKI ★★★(99/08/16 ヘラルド映画試写室) いちばん最初、「ヒラリー&ジャッキー」という原題を耳にしたとき、二大ファースト・レディ(ヒラリー・クリントンとジャクリーヌ・ケネディ)の映画だと勘違いしたオポンチな私。クラシック音楽にトンと疎いので、ジャクリーヌ・デュ・プレが何者かも知らなかったのでありますが、音楽という切り口を抜きにしても、これはかなり見ごたえがありました。 この映画のようにドラマチックなストーリー性を持つ作品の場合、私が評価の基準にするポイントは2つあります。ひとつは、キャラクターがどれだけ深みを持って描かれているかということ。もうひとつは、ドラマに転換点が用意されているかということです。 転換点というのは、キャラクターの心理に大きな変化が生じたり、キャラクター同士の立場が入れ替わったりするポイントのこと。これがはっきりしている映画は、それだけキャラクターがきっちり描かれていて、かつプロットの構成もしっかりしていると言えるので、アタリが多いという法則が成り立つわけです。 『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』は、上記の法則に当てはまる作品。このドラマの転換点は2個所あります。 最初は、少女時代のヒラリーとジャッキーがパーリーの音楽コンクールで優勝する場面。幼いころからフルートがうまく、デュ・プレ一家の「自慢の娘」のポジションをキープし続けてきたヒラリー。ところが、このコンクールで、妹のジャッキーが観客の熱狂的な拍手を浴びる姿を目にしたとき、彼女は自分が「主役」から「脇役」の座に転じたことを悟ります。チェロの天才である妹と、単なる秀才である自分の違いを認識し、嫉妬と当惑にかられるヒラリー。でも、そんな彼女の気持を、両親を含めた周囲の人間は誰も理解してくれない。で、結局、自分ひとりでその気持と折り合いをつけていかなければならなかったヒラリーの心の傷――それが、あとあとのドラマのなかで、姉妹の確執の大元となって利いてくる。いわば、この第一の転換点は、ヒラリー側の心理的な伏線の意味合いを持つものになっているのです。 第二の転換点は、コンサート・ツアーから一時的に帰宅したジャッキーが、ヒラリーから結婚話を聞かされる場面。実は、この映画では、ジャッキーがコンサート・ツアーに出るところから、同じ出来事がヒラリーの視点とジャッキーの視点とに描き分けられる手法がとられているのですが、その手法が、とりわけこの場面では功を奏しています。 最初に描かれるのは、ヒラリーの視点。その晩、キーファにプロポーズされたヒラリーは、ベッドで眠っている妹のところに行き、いまのウキウキした気分を報告する。「彼は、私を特別な女だと感じさせてくれるの」。すると、姉の結婚がおもしろくないジャッキーは、こう答える。「あなたは、ちっとも特別じゃないわ」 ジャッキーに比べ、自分は取るに足らない人間であるというヒラリーのコンプレックスを、逆なでするようなジャッキーのひとこと。それは、ヒラリーに、少女時代のコンクールで味わった、あの屈辱的な気持を思い起こさせる。 というエピソードが、のちにジャッキーの視点から描かれたとき、この会話によって、ジャッキーもまた、深く傷ついていたことがわかるのです。 その夜の姉妹の会話は、こう続いていた。「ちっとも特別じゃない」と言われたヒラリーは、ジャッキーに言い返す。「普通の女になるのは、それなりに大変なのよ。あなたにはチェロ以外に何があるの?」 当時のジャッキーは、知らない土地を渡り歩くコンサート・ツアーのなかで孤独にさいなまれ、疲れ果てていた状態。そんな彼女には、「お前は、チェロを弾く以外に能のない人間」と言わんばかりの姉の言葉が、ナイフのようにグサリと突き刺さる。このとき、ジャッキーの胸に芽生えたのは、姉のような「平凡な家庭の幸せ」を手に入れたいと望む妄執にも似た思い。それを物語るこの場面は、ジャッキー側の心理の転換点として、ドラマのなかでもことさら重要な地位を占めています。 このあと、ジャッキーは、自分と同じクラシック界のスター、バレンボイムと結婚。演奏家として、成功の頂点にのぼりつめていく。が、「平凡な家庭の幸せ」を追い求める気持はいっこうに満たされず、ついにキレたジャッキーは、演奏旅行先から忽然と姿を消し、ヒラリー夫婦の住む田舎家を訪ねて行く。 そこでジャッキーがヒラリーにつきつけるのは、「キーファとセックスさせろ」という要求。最初は「そんなバカな」と相手にしなかったヒラリーも、ほとんど錯乱状態の妹を見かねて夫を説得し、要求に応じる。 かなり異常なシチュエーションだけど、ここにいたるまでの姉妹の心理描写は、見る側を納得させるに十分。幸福と安らぎに飢え、それを手に入れたヒラリーにすがりつくジャッキー。そんな「何でも欲しがるマミちゃん」状態の妹に対し、またも自分は主役を譲り渡す運命なのかと、あきらめに似た気持を抱くヒラリー。2つの転換点で示された姉妹の葛藤が、田舎家の生活のなかで頂点に達する瞬間を切り取っていく演出は実に繊細で、ヒラリー役グリフィスの抑制のきいた演技も素晴らしいの一語です。 結局、ひとりの男を共有する姉妹の関係は長続きせず、「愛されること」に飢えた気持を抱えたまま、ジャッキーはヒラリーのもとを去っていく。そして、多発性硬化症が悪化した彼女は、演奏活動からも引退を余儀なくされ、何もかも失った状態になってしまう。人生の幸福を希求する気持と、音楽家としての成功のあいだで引き裂かれる思いを味わい、自分の才能に敵意さえ抱いてきたジャッキー(ツアー中の彼女が、チェロの名器ダビドフ・ストラディバリウスを、わざとぞんざいに扱う描写が印象的)。その彼女が、不自由な身体で「ステージに立ちたい」と言い、「おもちゃの交響曲」のアンサンブルに参加するエピソードは、劇中、もっとも感動をそそるシーンでしょう。 つまるところ、この姉妹は、ふたりでひとりのような存在。ヒラリーはジャッキーに、ジャッキーはヒラリーになりたいとずっと思ってきた。そんなふたりが、少女時代のイノセントな気持に回帰していくラスト・シーンは、すべてのわだかまりが浄化され、愛とシンパシーだけがフッと浮きあがるような面持ち。 おそらく、クラシックのファンの人なら、もっと実話としての面白さを発見できるかもしれないけど、私は姉妹の心の軌跡をたどる映画として、これをおおいに楽しみました。相変わらず「キツネつき」っぽい演技を見せるエミリー・ワトソンは、個人的には好きな女優ではないけれど、8週間の特訓を受けて挑んだという演奏シーンは、おおいに迫力があります。 |