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試写状

シャンドライの恋

BESIEGED

1998年イタリア 監督ベルナルド・ベルトルッチ 脚本クレア・ペプロー/ベルナルド・ベルトルッチ 撮影ファビオ・チャンケッティ 出演サンディ・ニュートン/デヴィッド・シューリス/クラウディオ・サンタマリア ●94分 アミューズ配給 1999年11月よりシネスイッチ銀座にて公開予定

ジェイムズ・ラスダンの短編小説を、ベルナルド・ルッチと夫人のクレア・ペプローが共同で脚色。アフリカから亡命したメイドと、彼女の夫を救うためにすべての財産を投げ打つ音楽家の無償の愛を描く。

STORY

 教師の夫が政治犯として捕らえられたあと、アフリカからイタリアに渡ったシャンドライ(ニュートン)。ローマで医学の勉強を始めた彼女は、英国人音楽家キンスキー(シューリス)の屋敷に住み込みのメイドの職を得る。キンスキーは、叔母の遺産を受け継いで裕福になった男で、子供たちにピアノを教える以外、他人とつきあわずに暮らす彼とシャンドライは、ほとんど言葉を交わしたこともなかった。
 ある晩、夫の夢にうなされて目覚めたシャンドライは、クローゼット代わりに使っている荷物用エレベーターのなかに、疑問符の書かれた五線譜が入っているのをみつける。それは、シャンドライの声を聞きつけたキンスキーが、自分の部屋に通じているエレベーターを使って彼女に送ったメッセージだった。以後、蘭の花や叔母の形見の指輪などが、エレベーターに乗せてシャンドライの元に届けられる。
 キンスキーのそうした行動にとまどい、指輪を返しに行ったシャンドライを待ち受けていたのは、「君を愛している。結婚してほしい」という求愛の言葉だった。「君のためなら何でもする」と言うキンスキーに、「それなら夫を刑務所から出して!」と答えるシャンドライ。彼女が結婚していることを初めて知ったキンスキーは、それ以来、愛の言葉を口にすることはなくなった。
 こうして、再び元の主人とメイドの関係に戻ったキンスキーとシャンドライだが、彼らの住む屋敷には大きな変化が生じて行く。ひとつ、またひとつと運び出される豪華な調度品。それらを、キンスキーはシャンドライの夫の釈放運動の資金にあてていたのだ。やがて、宝物のピアノまでも手放すキンスキー。それと同時に夫の釈放の知らせを受けたシャンドライは、キンスキーに対して感謝以上の感情が芽生えていることに気づく……。

SHIMIZU ★★★(99/07/30 ヘラルド映画試写室)

最初は、かなり腰が引けました。というのは、冒頭、アフリカで政府の弾圧によって連行された夫を力なく見つめる黒人女性がでてきます。その黒人女性シャンドライがローマの屋敷でメイドとして働き始め、そこの英国人の家主キンスキーに唐突に「結婚しよう」と思いをうち明けられます。「あなたにアフリカのなにが分かるの」とシャンドライは彼をはねつけます。それでもキンスキーは彼女への思いを必死で伝えようとします。ベルトルッチとくれば、過去の『ラスト・エンペラー』『リトル・ブッダ』『シェルタリング・スカイ』とアジアへの愛を語ってきましたが、この新作では、彼が異境の地アフリカに求める「幻想」、あるいは「偏愛」の始まりなのか、と、危惧しました。それなら、嫌だな、と。

ところがですね。今回の作品は、僕にはベルトリッチ・マジックとも呼びたい世界です。

作曲家キンスキーはそれなりの財産も相続し、いまは心の内なる思いをピアノで語る芸術家。子供達にピアノを教える先生でもあります。彼はシャンドライの心の扉を、静かに優しく開けようとするのですが、そのかたちが僕には凄く次元と超えようとする真摯な姿に思えました。この屋敷の「らせん階段」もマジカルな雰囲気で、彼女が掃除用の布を階段から落とすと、ハラリハラリと舞い降り男の頭におちる図も、予感に満ちた出会いです。彼は彼女に思いを伝えるためにどうするか。階上のキンスキーと階下のシャンドライとつなぐ、小さな荷物を運ぶ程度の移動式のクロゼットが彼らの心をつなぐ小道具として、効いています。寝ていると、もの音がする。不安にかられたシャンドライはもの音のしたクロゼットを開けると、「?」の付いた譜面、花、指輪が次々に置いてある。ちょっとマジック的な仕掛けでしょ? 僕が気に入ったその行為に訝しがるシャンドライが、キンスキーの思いを次第に受け止めていきます。それはキンスキーが密かに遂行していた、ある計画。シャンドライの夫を救出するために行動することです。

この映画では「音楽」が心をつなぐ感情豊かな「言語」という感じです。それを「従来の作品がバロックなら、これはロココのささやき」とプレスで川本三郎さんが書いている。うまいな、この言い方。デイビッド・シューリスが演じるキンスキーが聖者にも似た心持ち。物言わず、ピアノで自分の心を語ろうとするキンスキーの姿。アフリカ音楽や、ジョン・コルトレーンの「マイ・フェバリット・シング」をからませ、音楽もアフリカとヨーロッパが混ざり合うような雰囲気。彼が子供達を集め、最後のピアノ演奏をするシーンから、庭先で彼がリンゴでジャグラーぶりを見せたり、飛んでくるサッカーボールを蹴ったりして戯れるシーン。随所に無垢で柔らかな情感が心に染み、彼の純化された世界を実感できます。

実は彼はシャンドライの夫を救うため、彼の命である「ピアノ」をお金にした。キンスキーの思いを知るに至り、初めて彼女は心を許し始めます。夫が解放され、こちらに向かっているという便りを受け取りながら、心は複雑に揺れ動きます。彼女がキンスキーにお礼を言うため、手紙を書きしたためる。結局、書いた言葉は「ディア・キンスキー、アイ・ラブ・ユー」。その手紙を持って、シャンドライはキンスキーとひとつになります。ふたりのベッドシーン、とりわけサンディ・ニュートン(『ミッション:インポッシブル2』ではトム・クルーズとinterracialな関係になる注目の女優!)の口から胸へのクローズアップ・ショットがなんともいえず官能的です。

翌朝、夫がタクシーでやってくる。ベルを押す手のアップ。キンスキーとしとねを共にしたシャンドライは心乱れる。その濃密に流れる時間。さて、彼女はどうするのか? 愛のマジックを見るような幕切れが、僕はなんともジーンとくるほど好きなのですよ。

YAZAKI ★★☆(99/07/14 徳間ホール)

「仏教の教えのなかで最も感銘を受けたのは、エゴを捨てるということだった」というのは、『リトル・ブッダ』のプロモーションで来日したさいのベルトルッチ監督の発言。で、この映画を見る限り、彼はいまも「エゴのない世界」に強くひかれている様子。愛する夫の釈放を待ち望む女と、そんな彼女の願いをかなえようと持てるすべてのものを手放す男。ふたりのストイックな関係を通じて、ベルトルッチは「エゴを捨てたところに存在する愛の形」を提示していきます。

オープニングは、アフリカの海岸沿いの光景を俯瞰で捉えたダイナミックなショット。続いて、木の下で楽器を弾きながら歌うニカウさんみたいな老人の姿が映し出される。それは、ヒロインのシャンドライが属する世界の象徴。アフリカの大地に根づく土着のエロチシズムと開放感。それを、ローマの黴臭い屋敷に持ち込んだシャンドライに、キンスキーは強烈にひかれていく。

けれども、彼はあからさまな愛情表現ができない男。掃除にアイロンかけと、黙々と家事をこなすシャンドライの姿を遠くからじっとみつめ、「ありがとう」と声をかけるのが精一杯。そんな彼が、荷物用のエレベーターを使って蘭の花や指輪を贈り、自分の思いを伝えようとするエピソードは、数あるラブストーリーのなかでも際立つ美しさを感じさせるモチーフ。「私のクローゼットを勝手に動かさないでよ!」と迷惑顔のシャンドライ。その実、彼女は蘭の花を洗濯場に飾り、疑問符の書かれた五線譜を宝箱の中にしまっている。シャンドライの心のなかで、静かにポジションを占めていくキンスキーの存在。愛の予感が、ここでは布にひたひたと水が染み込むようなタッチで描かれていきます。

とはいえ、シャンドライには夫を裏切ることなど考えられない。清水の舞台から飛び降りる気持で求愛をしたキンスキーをはねのけた彼女は、「君のためなら何でもする」と言う彼に、「それなら夫を刑務所から出して」と言い返す。シャンドライに夫がいたことを知って、ショックのキンスキー。以来、彼はシャンドライにわざとそっけない態度を見せるが、愛の炎は消えたわけじゃない。「君のためなら何でもする」――その言葉を実行するべく、彼は家財道具をちょっとずつ売りに出し、ひそかにシャンドライの夫の救出活動に動き出す。「エゴを捨てた愛」のドラマの始まりです。

ただ、キンスキーのなかにも、焦がれる思いをシャンドライに伝えたいという若干のエゴは残されていて、それが彼に曲を作らせる。それは、アフリカの情熱的なリズムを持つ曲で、これを耳にしたシャンドライは、キンスキーと自分のあいだに心の通い合いが芽生えたことを感じる。見交わされる視線と視線。

やがてキンスキーは、唯一友と呼べる存在だったピアノも手放す。同時に、シャンドライのもとに届く夫の手紙。キンスキーがしてくれたことの大きさに気づき、彼への思いと夫に対する愛の狭間で揺れ動くシャンドライ。

彼女が、家財道具がいっさいなくなったガランとした部屋にたたずむキンスキーのもとへ、夫の釈放を知らせに行く場面が印象的。彼女が言いたかったのは、お礼の言葉なんだけど、代わりに「夫を私の部屋に泊めてもいいか?」という言葉が口に出てしまう。そういう事態を予期していたとはいえ、ちょっとショックを受けるキンスキー。その沈黙を埋めようと、シャンドライは、「とても勇敢な人なんです。尊敬しています」と、夫への思いを語る。が、このとき彼女の心を占めていたのは、「本当に勇敢なのは、あなた(キンスキー)」という気持なわけで。それがニュアンスとして伝わってくる場面は、思いっきり切なく、泣かせるノリです。

以上のようなふたりの関係にドラマが終始するものであれば、私もおそらく★★★をつけていたでしょう。そうならなかったのは、アフリカの独裁政治を物語る背景や、医学部に通うシャンドライのエピソードなど、妙に現実を匂わせる描写が、映画のムードを壊していると感じられたから。

シャンドライと社会の結びつきを説明する描写が盛り込まれている分、「英語権の国に住んでいたシャンドライが、なぜ、苦労してイタリア語を覚え、イタリアで医者の勉強をしようと思ったのか?」などと余計なことを考えたり、彼女の「医者を志す女」という設定に何か意味があるのだろうか? と思ったり。

ここでのシャンドライは、「アフリカからやって来た政治犯の夫を持つメイド」というだけで、十分なキャラのはず。それ以上の味付け(クリストファー・ドイル調の映像も含む)で劇に含みを持たせようとした点に、東洋的なミニマリズムに憧れながらも徹しきれないベルトルッチの悲しい性を見る思い。正直言って、枯れることを尊しとする作風は、彼には似合いません。以前から撮りたいと言っていた『1900年』の第三部で、やりたい放題やってくれることを、ファンとしては期待したいもんです。

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