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トゥエンティフォー・セブンTWENTYFOUR SEVEN 1997年イギリス 監督・脚本シェーン・メドウス 撮影アシュレイ・ロウ 出演ボブ・ホスキンス/ダニー・ハスバウム/ジミー・ハイド/マット・ハンド/カール・コリンズ/ジェイムス・フートン ●96分 シネカノン配給 1999年4月上旬よりシネ・ラ・セットにて公開予定 無目的な少年たちを更正させようと、ボクシング・ジムを開いたダーシー。彼と少年たちの友愛、そしてその後に待ち受ける思いがけない悲劇を、回想形式で描いたモノクロの青春作。 |
STORYイングランド中央部の街ノッティンガム。無気力に日々を過ごし、ワケもなく反目しあう若者たちに目的を持たせようと、ダーシー(ホスキンス)はボクシングジムを設立。ベニー、ステュアート、ヤンギーの3兄弟に、彼らと対立する荒っぽいナイティ(フートン)、ヤク中のファガシ(ハンド)らをジムに集め、練習を開始する。最初はしぶしぶジムに通っていた青年たちのあいだに仲間意識が芽生えはじめたころ、地元のギャング、ロニーが、肥満の息子トンカをジムに入れる代わりにスポンサーになると申し出た。ロニーの資金でクラブの道具を買い揃えたダーシーは、残りの金で合宿を提案。青年たちはウェールズの大自然のなかでキャンプを楽しむ。 他の街のチームと練習試合試合が行われる日、ダーシーのジムには街の人々が大勢応援に詰め掛けた。そのなかには、息子のティム(ナスバウム)がボクシングをやるのを快く思っていない父親の姿もあった。やがて対戦が進み、ティムの出番がやってきたとき、父親はティムをリングから引きずりおろそうとする。それを止めようとする人々とのあいだにケンカ騒ぎが起こり、会場は大混乱。頭に血がのぼったダーシーは、ふと気が付くとティムの父親を袋叩きにしていた。 そんな自分を恥じ、街を去っていくダーシー。数年後、街はずれの廃虚で瀕死の状態にある彼をみつけたティムは、家に連れ戻って介抱するのだが……。 |
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SHIMIZU ★★☆(98/02/26 シネカノン試写室) 渋い味わいの英国社会派映画です。 冒頭、若者が廃屋で行き倒れていた旧知の中年男ボブ・ホスキンスを見つけ、ホスキンスの日記を繰りながら過去に思いをはせる。街のチンピラ少年たちが二手に分かれ対立していることに心傷めたホスキンスはボクシングジムを作り、彼らにボクシングをさせ、心身を鍛えようと心を砕く展開です。 ヤク中の若者や試合中に切れてしまう若者など、淡々と彼らの面倒を見るホスキンスの献身的姿が描かれます。労多くして報われない日々。チンピラとボクサーの図から、僕は英国版キッズ・リターンと命名しましたが、どうにもホスキンスの「不発感」と、どうにかやっているという「若者の倦怠感」が団子状態。 ブルースなどの音楽の使い方といい、深いモノクロ映像といいスタイリッシュな演出は面白いけど、語り口の感動はイマイチ。町並みの雰囲気や生活感など、独特のリアリティを醸しだすあたりは、新人監督にしては結構達者かもね。どうせなら、ホスキンスを『ラスト・ショー』のサム・ザ・ライオンみたいな存在にしてほしかったけど、こういうドライな感じが監督のセンスなのかな。 |
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YAZAKI ★★☆(99/02/01 シネカノン試写室) 1日は24時間、1週間は7日というところからつけられた「トゥエンティフォー・セブン」というタイトル。ここから、人生は短いんだ、だから精一杯生きるんだ! という、森田健作調のスポ根青春ドラマを想像していたんだけど、話は、青年たちのためにボクシングジムを開くダーシーという中年男が中心になっている。そのため、青春ドラマというよりは、ケン・ローチ系のワーキングクラス・ムービーの色が濃厚。映像はモノクロだし、かなりシブイ作品です。 主人公のダーシーは、失業中の中年男。はっきりとエピソードとして描かれていないけど、すぐにカッとなってモメごとを起こし、人生のしくじりを重ねてきたことがうかがえる人物。そんな彼が、夢も希望もなく毎日を無気力に過ごす青年たちのためにボクシングジムを作ろうと決意する。それは、青年たちに生きる目的を与える行為であると同時に、ダーシー自身にとっても人生の目的となる行為である。ジムの開設という目的を持つことによって、ダーシーは、自らの負け犬人生に意味を持たせ、そこに一筋の光を与えようとするわけね。 だから、彼はすごく頑張る。ツッパリのナイティをクラブに勧誘するために、サッカーのゴールキーパーになって勝負を挑んだり。ヤク中のファガシが過剰摂取でぶっ倒れたときは、一晩中、寝ずに看病したり。なんとしてもジムを成功させるんだ、練習試合を成功させるんだ、と、ダーシーは必死に頑張る。 そんな彼の気持ちが伝わったのか、だんだんとボクシングに熱中しはじめる青年たち。練習試合のことが地元の新聞に掲載されるにおよび、彼らのなかに生まれて初めて自分を誇りに思う気持ちが芽生えていく。というあたりの展開は、とってもすがすがしい香りを放っています。 が、そのすがすがしさのまま終わらないのが、アメリカ系の青春映画とは違う点。己の人生の金字塔とも言うべき練習試合を、ティムの父親に台無しにされてしまったダーシーは、キレて自分を見失うという悪癖を繰り返すハメになり、そんな自分に絶望して街を去ることになる。 結局は負け犬のまま一生を終えることになったダーシー。映画の最後は、彼の葬儀の場面で、そこにはボクシングに参加した青年たちをはじめ、街の人々が全員集合する。青年たちのなかには結婚して家族を持っている者がいたりして、みんな穏やかな表情。そんな彼らの成長した姿を通して、ダーシーの頑張りが決して無駄ではなかったことが証明されるわけですね。 負け犬として生きてきた人間の魂が、最後の最後でグッと救われる。というのは、ワーキングクラス・ムービーの王道(って、そんなものがあるかどうかは知らないが)を行くオチの付け方だけど、ここでは「美しき青きドナウ」の音楽のみを流す演出で、劇の感動を静かに盛り上げるテクが使われています。そういうところがあざとく感じられないのは、演出の背景に監督の高い志がはっきりとうかがえるからでしょう。 ダーシーの日記をひも解く形でドラマが綴られていくところや、ダーシーと彼が思いを寄せる雑貨屋の娘のエピソードが中途半端に終わってしまうところなど、詰めの甘さも多々感じられる作品だけど、そういう粗削りな面が逆に魅力になっている感じもする映画。ケン・ローチやマイク・リーを「英国映画の父」と呼び、マーティン・スコセッシを敬愛して『レイジング・ブル』『ミーン・ストリート』をベスト・フィルムにあげている監督のシェーン・メドウスは、ちょっと気にしたい存在です。 |