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ジョー・ブラックをよろしくMEET JOE BLACK 1998年アメリカ 監督マーティン・ブレスト 脚本ロン・オズボーン/ジェフ・レノ/ケビン・ウェイド/ボー・ゴールドマン 撮影エマニュエル・ルベツキー 出演ブラッド・ピット/アンソニー・ホプキンス/クレア・フォラーニ ●181分 UIP配給 1998年12月中旬より丸の内ピカデリー1ほか松竹洋画系にて公開予定 富豪の実業家をお迎えに来たついでに、人間界のことを学ぼうと思った死神。実業家の娘と恋に落ちた彼だが、あの世へ戻らなければならないときが訪れて……。1934年の『DEATH TAKES HOLIDAY』を下敷きにしたロマンチック・ストーリー。 |
STORYウィリアム・パリッシュ(ホプキンス)は、一代でメディア帝国を築いた富豪の実業家。家族は長女のアリソン(マルシア・ゲイ・ハーデン)と、医者をしている次女のスーザン(フォラーニ)。スーザンのほうは、パリッシュの会社の若手ホープ、ドリュー(ジェイク・ウェバー)と婚約中だ。が、「生きることは情熱」をモットーにするパリッシュは、結婚を理性で捉えているようなスーザンが心配でならない。そんなとき、パリッシュは妙な幻聴と身体の異変に見舞われる。そう、彼には死期が迫っており、死神が迎えにやって来たのだ。「命の期限を延ばすかわりに、人間世界のことを教えてほしい」と、パリッシュに申し出る死神。その日から、彼はジョー・ブラック(ピット)と名乗り、パリッシュの自宅に住み込むことになった。 家族と食卓を囲むジョーを見てビックリしたのは、スーザンだった。というのも、ジョーは、その朝スーザンと言葉を交わした直後に死んだ青年の姿をしていたからだ。出会いのときから青年にひかれていたスーザンは、謎めいた雰囲気を放つジョーを愛し始める。そしてジョーも、初めての恋の味を知る。が、しょせんこの世では結ばれえぬふたり。パリッシュを冥界に連れ去る日、ジョーはスーザンも一緒に連れて行くとパリッシュに告げるのだが……。 |
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SHIMIZU ★★★(98/11/06 イマジカ第一試写室) 「すばらしき世界」と「虹の彼方に」。二曲の愛すべき楽曲をひとつにした歌が、エンド・クレジットにながれます。そう、いい時代、いい時を求めようとする思いが、この歌によって実感できます。おすぎは見終わって「素敵なクリスマスプレゼントになるわね」と宣伝の人間に言っていたけれど、先に亡くなられた淀川長治センセイも、このホプキンスのように逝かれたろうか。 ま、昔のハリウッド映画調のセンチな世界、やっぱ、泣けます。『シティ・オブ・エンジェル』が好きだった人は、結構はまるんじゃないかな。 一応、人間関係の芯は地上で休暇をとる死神と彼(?)の案内をするかわりに死期を延長させてもらったメディア王。まず、第1のテーマは誰もが避けらず恐怖する「死」というもの。それを心穏やかにうけいれるためのソフト・ランディングの手引きのような味があります。メディア王役のホプキンスの存在感はやはり、ただ者じゃない。死神に出会ったときの恐れから、次第に最後の時を自分らしく送りたいという情熱、そして最後に「ブラック」とイメージした死神が、彼にとってガーディアン・エンジェルのような存在となり光を見ながら導かれるような感触です。 第2のテーマは、その死と対比された「生」の喜び。事故にあった青年の肉体を借りた死神とメディア王の娘で医者の卵のスーザンとのふれあいが、それです。この映画では「死神」はメタフィジカルな存在。実態のないもの。それを事故死した若者の姿を借り、この世に姿をあらわすという、わかったようでわからない設定。もしベルイマン映画のような白塗りの坊主がでてきたら分かりやすいかもね。 この得たいの知れない死神に娘は恋をしてしまいます。というのも、この死神が借りた肉体は、彼女がその前に出会い、父親が言った通り「稲妻を感じた」存在だったからです。が、彼女が再会した時、若者の姿をしていても中身は別物。最初は彼の反応の鈍さを訝しく思いながらも死神に魅せられていきます。 ここで僕が感じたグッド・ポイントはふたつ。ひとつは死神、いやホプキンスが名付けた通りジョーが地上に落ちたイノセントな赤ん坊のような存在に思えたこと。普通は神の使いなのだから、すべてお見通しなハズがジョーは実にイノセント。演じるブラピはほとんど顔面から表情をなくし、口調も無感情。もうひとつは、そんなジョーが次第に人間を「感じていく」プロセス。ブレスト監督は『セント・オブ・ウーマン』で「匂い」から人間の生きている証し、実感を得る演出をみせてくれましたが、ここでは「触感」を総動員しながらの実感が面白く表現されています。たとえば、ジョーが初めてスプーンで嘗める「ピーナツ・バター」の味。ジョーに微笑みが広がります。はたまた、スーザンがジョーの魔力(?)に引かれ、思わずキスをしてしまい、ジョーは「くちびる」でその感触を味わい、キスの素晴らしさに目覚めます。ブレストの演出は、ヒロインの思いに入るというより、ジョーが獲得していく「生」への実感が主体です。ラブシーンのショットにしても、ブラピの情感の変化を見せることに集中しているのも独特です。でも、死神は、彼女が「コーヒーショップ」で出会った時、恋をしたと聞かされます。自分ではないという戸惑いと悲しさが一瞬、ブラピに宿るシーンは哀切です。 物語はジョーがスーザンとの「恋」をどう決着をつけるのか、という最終の興味へとなだれこんでいきます。ま、これは見てのお楽しみですが、これについてはかなり文句がでそう。YAZAKIは「なによ、これ!」と激怒していましたが、いい加減な僕はこの展開には、その手を出したか、という思い。いかにも折衷的なハリウッド調のエンディング。恋はまた始まるんだし、ま、いいじゃんというノリかな。ジョーの存在は案外、彼女に一番のMR.RIGHTを見つけるための媒介役だったのかも。最後の誕生日パーティーの夜、旅立ち前の父親とスーザンが踊る姿に、エレクトラ・コンプレックスの匂いも感じた、といったり、うがちすぎかな。 オリジナルは未見ながら78分間で、今回は3時間少々。ちょっと長すぎる。会社の内紛などのタッチなど、昔のハッリウッド映画みたいな感じで、それらがどんどん冗漫にしているみたい。最後の誕生日のパーティの派手な花火、コール・ポーター、アービング・バーリンらの音楽、全体にCLASSYなムードの美術セットデザインなど、派手めの大作感をだしたかったための、この長尺かも。オスカーを狙いの映画作り。 『死にたいほどの夜』で発見したスーザン役のクレア・・フォラーニが魅惑的だったのも嬉しい。 |
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YAZAKI ★★☆(98/11/06 イマジカ第一試写室) ブラピ初の純正ラブストーリー……と言うと、意外に思う人がいるかもね。そう、この人は、きれいすぎるルックスをあえて武器にしないように、ロマンチック路線を避けながらスターになってきた人。それだけに、今回は、美しく、甘く、とろけるようなブラピが見られる! と、期待に胸をはずませているファンも多いんじゃないかな。 とはいえ、クセモノの役柄が大好きなブラピのこと、この映画のキャラも、ただの恋する青年とはひと味違う。彼が演じるのは、束の間の休暇を人間世界の探求に当てようと思ってやって来た死神。正確には、冒頭で死んで死神に乗り移られる青年と、彼の身体を借りた死神の二役を演じているわけですが。ともかく、「この世ならぬ者」が初めての恋を知ったらどうなるか? そこんところを演じてやろうというのが、今回のブラピのチャレンジであります。 人間世界のことを何も知らない死神は、まるで生まれたての赤ちゃんのよう。アンソニー・ホプキンス演じる実業家のファミリー・ディナーの席に混ざっても、まわってきたパンをどうしていいかわからない。あらゆる物事が初体験という死神のぎごちなさが、ここではクスクス笑いを誘う仕掛けになってます。そのエピソードでいちばん面白いのが、死神がピーナツバターと出会う場面。夜中に屋敷を徘徊中、台所で執事にピーナツバターをすすめられた死神は、とりあえず味見をしてみる。最初はムセて「オエッ」という顔。でも、「気に入りましたか?」と聞かれるうち、だんだんその気になってきて、たちまちピーナツバターの虜になってしまう。このシーンでクシャっとした笑みを浮かべるブラピは、最高にキュートです。 ただ、死神が笑顔らしきものを見せるのは、ここだけ。というのも、死神は根本的にオチャメなわけじゃなく、「恐怖」と背中合わせの存在だから。人の死を司る者としての威厳、神秘性、つかみどころのない無機質な手触り――そういう、どこか超然とした雰囲気を、ブラピの死神は常に身にまとっています。そんな彼がキスの味を知り、やがてベッドインとなったときは、むしろ「喜び」よりも「悲しみ」に近い表情を浮かべる。単純なトキメキではなく、自らの激しい感情に翻弄されてとまどうような。恋を知った死神には、ある種の悲壮感がつきまとう。その複雑さを、ブラピは役作りのポイントにしている印象。 それはそれでよいのだが、問題になるのは、クレア・フォラーニ扮する女医のほうの恋心のゆくえ。彼女は最初、死神が乗り移る前の青年と出会い、彼に運命的なものを感じる。父と同じ人生観を持つ彼に、ひと目惚れに近い恋心を抱くわけです。が、次に死神が乗り移って現われた青年は、外見は同じでも中身はまったく別人。それでも彼女は、死神のイノセントな部分にひきつけられていく。しかしそれは一種の錯覚で、あくまでも彼女は、最初に出会った青年のイメージを追っていた……というふうに彼女の気持は説明されていく。 そこんところが、どうも私には無理があるように思えてならないのね。だって、結局、彼女と死神のあいだには、ロマンスが成立していないことになるんだもの。ふと気がつけば、空回りの恋を延々と見せられていたって感じ。 「生きることは愛すること」という言葉どおりの相手とめぐり合ったと思った女が、「死」を愛してしまうという皮肉。それが、私はドラマのポイントであると思うのだが、ここで提示されるのは「死を愛したのは彼女のカン違いでした」というオチ。これには、ちょっとズルこけます。 で、結論を言ってしまうと、「死神&ラブストーリー&ハリウッド・エンターテインメント」という3つの要素をひとつの映画で実現するのは、どう考えても無理があったんじゃないかってことね。「死神&ラブストーリー」の路線を突き進めればどんどんアート系に転がって行くはずだし、「ラブストーリー&ハリウッド・エンターテインメント」の路線を打ち出そうとすれば、死神と人間のロマンスがどんどん辻褄のあわないものになっていく。そういう苦しさが、この映画にはどうしても感じられてしまうのね。 いっそのこと、死神が死神ではなく、『スターマン』のような心優しき宇宙人だったら、もっとラブストーリーとして明快なものになったんじゃないかな? キャラクターのチャーミング度を比べても、妙にかしこまったブラピの死神より、カクカクっとした首の動きで笑いを誘った『スターマン』のジェフ・ブリッジスのほうが魅力的だったと思えるし。 ひとつ勉強になったのは、「DEATH & TAX」(死と税金)という言い回し。これは、「逃れられないもの」のたとえだそうだけど、後半場面では、ブラピがこの言葉を応用したあっと驚く爆弾発言をして大いに笑わせてくれます。もうひとつ、カンディンスキーの絵やら何やら、ホプキンスの邸宅とオフィスを彩るゴージャスなインテリアは、なかなかいい目の保養になりました。 |