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ソウル・フードSOUL FOOD 1997年アメリカ 監督・脚本ジョージ・ティルマンJr 撮影ポール・エリオット 出演ヴァネッサ・L・ウィリアムス/ヴィヴィカ・A・フォックス/ニア・ロング/マイケル・ビーチ/メーキー・ファイファー/ブランドン・ハモンド ●113分 20世紀フォックス配給 1998年6月上旬より恵比寿ガーデンシネマほかにて公開予定 毎週日曜日のディナーは、家族の絆の証。だが、まとめ役のおばあちゃんを失ったことから、いつしかみんなの心はバラバラに。アフロ・アメリカンのファミリー・タイズの物語を、少年の目を通して描いた心温まるソープオペラ。 |
STORY僕アマッド(ハモンド)は、ビッグ・ママと呼ばれるおばあちゃん(ホール)が大好き。毎週日曜日は、このおばあちゃんの家に家族全員が集まって、みんなでディナーを食べるのが一族のキマリだ。僕のママ、マキシーン(フォックス)は、おばあちゃんの次女。もうすぐ2人目の子供が産まれるというのに、パパのケニーとはいまだに新婚気分だ。ママの姉さんのテリー(ウィリアムズ)は、弁護士をしている。旦那のマイルス(ビーチ)も弁護士という高給取りの夫婦だ。が、実はマイルスはミュージシャンに転職しようと画策中。それを伯母さんは快く思っていないみたい。ママの妹バード(ロング)は美容師。新婚ホヤホヤのレム(ファイファー)は前科があるので、就職にとっても苦労している。見かねたバードは、昔の恋人に就職の斡旋を頼んだんだけど、これが元でレムが暴力沙汰を起こす事件が発生。と同時に、マイルスが、親戚のフェイスと浮気しちゃう事件も起こり、家族は波乱に見舞われる。そんなとき、おばあちゃんが死んだ。「家族を団結させるのが、おまえの役目だよ」――それが、おばあちゃんの最後の言葉だった。僕はバラバラになってしまった家族をひとつにしようと、ママに日曜日のディナーを作ってくれと頼んだ。果たして僕は、おばあちゃんの遺言を果たすことができるのだろうか。 |
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SHIMIZU ★★☆(98/03/19 20世紀フォックス試写室) 「ソウル・フード」という言葉を最初に見たのはエスニック・コメディのカルト作『カー・ウォッシュ』。劇中の洗車屋の一角にある、バーガー屋のメニューに小さく「ソウル・フード」とでていました。そもそも「ソウル・フード」とは、エスニック(少数民族)意識の産物といわれています。人種のるつぼアメリカでは、ユダヤ系、アイルランド系など各人種ごとにエスニックな文化があるわけで、なかでも食べ物は自分たちのエスニック意識をかきたてるものです。 が、黒人は長い間そんなエスニック意識を持たないできた。あの『ルーツ』以降、彼らのアフロ・アメリカンの意識が強くなり、「ソウル・フード」なる食文化がうまれたというわけです。彼らの「フード」自体は豆料理だったり鳥料理だったり、ありふれた南部の食べ物で、大切なのは「ソウル」ってことであります。 と、長々うんちくをこきましたが、さて、この映画はエスニック的な意識満点の、黒人一家の物語。僕はウディ・アレンの黒人版のような印象を持ちました。まず、一家の支柱は「世界に怖い物なしの」ビッグ・ママ。「人に指を差しても解決にならない、その指を握りしめパワーにしよう」と一家を束ねます。そして彼女の娘である、3人姉妹が映画の中心で、その物語は幼い孫のアマッドの目を通して語られていきます。 弁護士の長女、長女の恋人を夫にした次女、そして前科者の男と結婚したばかりの三女。長女の夫とストリッパーのいとことの浮気やら、三女の夫が再び刑務所送りになるやら、3人3様の事情が展開していきます。中産階級的な黒人の世界というのは、『ハウス・パーティ』以来の黒人映画の傾向だと思うけど、ここでも白人はひとりも登場せず、黒人のみの世界。軽快な語り口で貧しさも差別もなく、みんなが人生を謳歌していく感じで、実に口当たりがよろしいです。 孫が仕掛けた「日曜ディナー」に集合した姉妹たちの仲直り、いつも部屋にこもりっきりのピートおじさんが最後に幸福をもたらし、みんながリッチな気分になれる結末まで、ウェルメイドな作りのコメディー作といっていいでしょう。妙に洗練された味わいで、あのスウィートなベイビーフェイス(劇中にカメオ出演)がプロデュースしたのも頷けます。あとは、趣味の問題でしょうが、僕としてはいまいち★★★まで気持ちが盛り上がりませんでした。 |
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YAZAKI ★★★(98/02/25 20世紀フォックス試写室) 系統としては、『ため息つかせて』と同系列のソープオペラに属する映画。なんだけど、男女関係を中心に世界がまわってる的な『ため息つかせて』に比べると、アフリカン・アメリカンにあらずの我々にもわかりやすい世界。三姉妹が主人公ってところで、「ダウン・トゥ・アースな『ハンナとその姉妹』」みたいな雰囲気もする映画です。 ドラマの語り手になる少年は、次女の息子。この次女は夫との仲も睦まじく、幸福な家庭を築いています。いっぽう長女と三女の結婚生活は波乱含み。 まず、同じ弁護士の夫とリッチな生活を送っている長女。彼女の問題は、夫がミュージシャンに転職したがっていること。彼女には、夫がなぜ、せっかく築き上げたステイタスを捨てて、ミュージシャンの夢を追い求めようとするのかがわからない。そのため夫婦の間には隙間風が吹き、妻に冷たくされた夫は、ダンサー志望の親戚の女の子と関係を持ってしまう。 かたや三女は、結婚相手に前科があることが障害に。もちろん彼女はそれを承知で結婚したんだけど、前科を理由に彼が職につけないことが彼女にとっては心配のタネになる。そこで彼女は、いまも時々チョッカイ出してくる昔の恋人に、夫の就職を頼むことになる。 この就職にまつわるエピソードがなかなか面白いの。最初、前科がバレてクビになった三女夫のメーキー・ファイファーは、次女夫のジェフリー・D・サムズのところへ相談に行く。そのときふたりは、「黒人女は男の失業に目をつりあげて怒るから、失業したことは内緒にしよう」という意見で一致。こんなやりとりからうかがえるアフリカンアメリカンの家庭生活の在り方が、私にはとっても興味深く見えたわけ。 それがどういうものかというと、いちおう家長として威張る立場にある男を、女房がケツを叩いて頑張らせるというパターン。ま、これはアフカンアメリカンに限った話じゃないとは思うけど、「亭主=デンと構える」「女房=ケツを叩く」というのが当然のお約束として成り立っているのは、やっぱり彼ら独特の価値基準じゃないかと思うんだ。 その印象を強くするのが、就職の根まわしがバレたあと、次女が三女にこう忠告する場面。「男には誇りが大切なのよ、それを奪ったらダメ」。この一言に大きくうなずく三女の姿を見ながら、「なるほどね」と思うYAZAKI。男のプライドを傷つけることなくケツをひっぱたくにはどうしたらいいか? アフリカンアメリカンの女性にとっては、そういうことがけっこう大事な問題なんだってことに思い当たった次第でございます。 この就職問題から派生した喧嘩騒ぎや、長女夫の不倫騒動、さらには一家の大黒柱のビッグ・ママの死によってバラバラになっていく家族の絆。それが、少年の努力によって再生の過程をたどるくだりは、わりとありがちな展開。ママの隠し財産をめぐるオチの付け方など、ちょっと甘い部分もあるけれど、ソープオペラとしてはきれいにまとまっていると思います。 なにより「第二のスパイク・リー」みたいな気負いもなく、自分ちの話をそつなく料理してみせた監督の姿勢は好感度大。この人は、アン・リーみたいにマイノリティ映画を超えたフィールドでも活躍できる人なんじゃないかな。 |