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ボンベイ

BOMBAY

1995年インド 監督・脚本マニラトナム 撮影ラージーヴ・メーナン 出演アラヴィンドスワーミ/マニーシャー・コイララ/ナーザル/キッティ/ハルシャー/フリダイ ●141分 アジア映画社=オフィスサンマルサン配給 1998年7月より銀座テアトル西友にて公開予定

ヒンドゥー教徒のジャーナリストとイスラム教徒の娘のロマンスを通して、宗教対立の愚かしさと平和の心を訴える大河ロマン。インド映画らしく、絢爛豪華なミュージカル・シーンもふんだん。

STORY

 ジャーナリストを目指し、ボンベイで勉強を続けていたセーカル(アラヴィンドスワーミ)は、久々に帰って来た故郷で、瓦職人バシール(キッティ)の娘シャイラー・バーヌ(コイララ)とひと目惚れの恋におちる。さっそく結婚を申し込みに行ったセーカルだが、「ヒンドゥー教徒に娘はやれぬ」とバシールは激怒。同様に、セーカルの父ナラヤナン(ナーザル)も、「ムスリムの娘と結婚するなら親子の縁を切る」と、頭ごなしに猛反対する。
 傷心のセーカルはボンベイに戻り、シャイラーへの思いを手紙に書き綴った。その手紙がバシールにみつかったことから強制結婚させられそうになったシャイラーは、意を決してボンベイへ。セーカルと結婚し、双子の男の子を産む。
 1992年12月6日、インド北部でヒンドゥー至上主義者によるイスラム寺院破壊事件が起こり、国中に宗教対立の嵐が吹き荒れた。ボンベイでも暴動が発生。セーカルの身を案じたナラヤナンは、たまらずボンベイの息子宅を訪ねる。時を同じくして、シャイラーの両親もやって来た。かわいい孫の顔を見た両家の親は、いちおうの和解を見るのだが……。激しさを増す暴動の最中、セカール一家に思わぬ悲劇が襲いかかる。

SHIMIZU ★★☆(98/03/04 シネセゾン試写室)

上映時間2時間21分のインド映画。といわれたら、ちょっと腰が引ける、インド映画に免疫のないSHIMIZUめであります。でも、この映画の試写状を見ると、サリー越しに美女の面差しが見える。スケベ・マインドを刺激する艶やかさ。「インドの女性の美しさはケタはずれだからな」という想いがヘッドを渦巻き、夜の試写にもぐりこみましたです。

冒頭、インドの田舎の村。ヒロインのベールが風にあおられ、顔がのぞく。お、やっぱり美しい。バーヌ役のマニーシャー・コイララちゃんです。ちょっと細面で憂いを秘めた眼差し、濃い美女だけどね。気に入りました。

彼女を見初めるのはボンベイから田舎にもどったジャーナリスト志願の青年セーカル。こいつが、ワイルドワンズの鳥塚茂樹似の、小太りの俳優。彼みたいなタイプがインド映画の2枚目なんだろうね。

さて、映画は前半が「娯楽作」、後半は「社会派作」という色わけができそう。当然、僕はヒロインがどこまでも艶やかな前半に気がいきました。インド映画の娯楽作には歌と踊りのミュージカルシーンが多いとはきていたけど、前半はインド映画ならではのミュージカル・シークエンス。ヒロインが結婚式で歌い踊る図は、面食らいながらも、思わずニンマリする面白さ。これクセになります。一見マイケル・ジャクソンふうなんだけど、よくみると派手な色彩と手と腰で決めるインドふうの群舞。かと思うと、子供たちの可愛い群舞まである。隙があれば、いつでもミュージカルで座をもたせるぜ、みたいな演出。

演出はかなり大仰で、ふたりが海辺の城砦でデートするシーンなんぞは、セーカルが彼女を待ちながら歌うわ、ブルーの美しいサリーのバーヌと「幾多の障害をこえてあなたのもとえ」と愛のデュエットがあるわ、ふたりの廻りをぐるぐる回る魅惑のショットはあるわ。とにかく、大ロマンス大会。

ふたりはヒンドゥとムスリムと宗旨の違う家同士で、異教徒同士の道ならぬ恋。親の反対にあいながらも、ふたりはボンベイに出て家庭をもち子供を設ける展開です。最初、ふたりが新婚早々、大家の親戚の子供たちと部屋をともにするはめになり、思うように愛を交わせないという図は、なにかインド版の小津安二郎的世界で、多少所帯じみつつあるヒロインの初々しい新妻ぶりのも好感。

でも、これが後半から、俄然大河社会ドラマの装い。彼らの双子の子に、ヒンドゥとムスリムの名をつけ、思いを分け合うあたりから、俄然「人間は宗旨を超えて愛し合おう」という命題が高らかに奏でられる。実際にあったヒンドゥとムスリムとの暴動事件をモチーフにした展開でありますが、この暴動のなかで異教徒同士の共存が、主人公の親たちの和解によって描かれます。こちらはインドの社会状況に明るくないし、主人公の青年の描き方も直線的になっていき、ヤワなSHIMIZUめはヒロインがだんだん所帯やつれしていく姿を嘆きながら、とりのこされる気分でありました。

インド映画って、歌って踊って、だけじゃダメ。締めは人間賛歌の充足感が欠かせないみたいね。今年はインド映画が面白いかもね。そうそう、『ムトゥ踊るマハラジャ』なる怪作は今年のカルト映画の1本になりそうだけど、それはまた別の話。

YAZAKI ★★☆(98/02/06 シネセゾン試写室)

『ラジュー出世する』『インディラ』に続いて公開される、いまどきのインド映画シリーズ第三弾。先の2本で、歌あり踊りありのインド映画の楽しさにハマっちまった方も多いと思いますが、これも決して期待を裏切りません。

ヒンドゥー教とイスラム教という宗教の違いを乗り越えて結ばれたカップル。その姿を通して、無血の独立を成し遂げたこの国で、なぜ宗教の違いによって争わなきゃならないの? みんな仲良くしましょうよ、というメッセージを訴えかける物語は、マニラトナム監督夫人のスハーシニがメガフォンをとった『インディラ』に近いノリ。堂々の社会派メロドラマであります。

で、『ラジュー出世する』や今夏公開の『ムトゥ踊るマハラジャ』みたいなC調路線の映画ならいざ知らず、こんなシリアスな作品にまで歌って踊ってのミュージカル場面がふんだんに盛り込まれてるってのが、なんといってもスゴイところ。しかも、『レ・ミゼラブル』みたいなドラマチックに盛り上げる型のミュージカルじゃなく、基本的に歌と踊りの部分はショウアップされたザッツ・エンターテインメントの世界。ドラマがシリアスであればあるほど、そのぶっ飛び方にド肝を抜かれるって感じなのであります。

たとえば、主人公カップルが晴れて新婚初夜を迎える場面。ふたりの高まる情熱が、マイケル・ジャクソンもどきのダンサーによる群舞となって表現されるというイマジネーションの豊かさには、もはや「ハハーッ」とひれ伏すばかりでございます。

かと思えば、妊娠したヒロインが「女の子がほしいの」と歌い踊る場面は、『サウンド・オブ・ミュージック』みたいなパノラマ仕立てになっていたり。なんかもう、自由自在・縦横無尽・まな板の上の鯉なんだから好きにしてよ〜ってな感じなんですよ、ショウアップの仕方が。

それにしも、なぜインド映画にはこんなふうに歌と踊りのシーンが入ってるんでしょうかね? 『ムトゥ踊るマハラジャ』のプレスには、その理由として、「インド映画が伝統演劇の手法を踏襲したからである」とありましたが、私はむしろ、インドが多国語国家であることが、映画をミュージカル化させた大きな原因じゃないかと思います。

インドには10以上の公用語があり、方言を入れれば言語の数は200以上にのぼるというのは、よく知られた話。で、そういう言葉の壁がある環境のなかで、何がエンターテインメントとしてアピールするかといえば、歌と踊りなわけですね。

たとえば、英語の苦手な人がブロードウェイでショウを見ようと思った場合は、プレイよりもミュージカルを選ぶはず。それも、なるべく筋が込み入っていない、歌や踊りの多い出し物を選ぼうとするはずです。

それと同じことが、インド映画の場合も当てはまるんじゃないかな。アメリカのような移民社会に、言葉の壁を越える娯楽として根づいたミュージカル。その最もプリミティブな形を現在も維持しているのが、インドのミュージカル映画である、と。私は、そんなふうに思うわけであります

『ボンベイ』みたいなシリアスなテーマの作品でも、歌や踊りがあれば、より多くの人に見てもらうことができる。そういう表現の手段としてのミュージカルの在り方が、すごく純粋に培養されている点が、インド映画の魅力なんじゃないかと思います。というか、少なくとも私はそこに魅力を感じます。

だから、もし、あなたがミュージカルのファンだったら、一度はぜったいインド映画にトライしてみてください。きっと、あなたをミュージカル・ファンにさせているところの「原始の血」が、ワサワサと騒ぐはずですから。

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