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試写状

ニル・バイ・マウス

NIL BY MOUTH

1997年イギリス 監督・脚本ゲイリー・オールドマン 撮影ロン・フォルチュナート 出演レイ・ウィンストン/キャシー・バーク/チャーリー・クリード=マイルズ/ライラ・モース/エドナ・ドール/クリシー・コッテリル ●120分 日本ヘラルド映画配給 1997年2月中旬より恵比寿ガーデンシネマにて公開予定

『ドラキュラ』の怪優ゲイリー・オールドマンの初監督作。『フィフス・エレメント』『レオン』で彼と組んだリュック・ベッソンが製作に名を連ねている。97年のカンヌ映画祭に出品され、キャシー・バークが主演女優賞を受賞した。

STORY

 サウスロンドンのデプトフット。前科持ちで失業中のレイモンド(ウィンストン)は、夜になると妻ヴァレリーの弟ビリー(クリード=マイルズ)や悪友のマークらとパブやストリップ・クラブにくりだす日々。ビリーはぶらぶらコイン・ランドリーで仲間とたむろしては、ドラッグの売人となり、自らもジャンキー状態。ドラッグなしではいられないビリーはことあるごとに工場で働く母親ジャネット(モース)に無心するダメ息子だ。
 が、母親の心配の種がもうひとつ。娘ヴァレリーに対する夫レイモンドの暴力だ。最初の結婚で息子をもうけたレイモンドは離婚で親権を失い、再婚したヴァレリーとの間に娘をもうけた。そのミシェルも5歳。両親の喧嘩に敏感に反応する年頃。ヴァレリーはふたり目の子を身ごもっていた。
 酒を飲むと粗暴になるレイモンドは、ビリーが家に忍び込みドラッグを盗んだことに激怒した。彼に鼻を噛まれたビリーは腹いせにレイモンドの母親の写真を盗み売ってしまう。怒りが収まらないレイモンドは怒りの矛先を妻のヴァレリーに向けた。彼女がよその男とビリヤードをやっている現場を見て、男と寝たと疑い怒りを爆発させた。身重のヴァレリーを容赦なく蹴り上げた。
 警察に知らせたら殺すとすごまれたヴァレリーは、母親にも「交通事故にあった」と嘘をいうが、体がぼろぼろ。流産していまう。母親も彼女の友人たちも、レイモンドから彼女を守ろうし、別れを決意するが、しらふになり孤独感が押し寄せてきたレイモンドは恥も外聞もなく、妻の許しを乞おうとするのだった。そんななかでビリーは不良仲間と一緒に逮捕され、仲間を売ったため刑務所内で襲われる始末。
 そんなある日。レイモンドのアパートにみんなが集った。ヴァレリーが出ていったあとレイモンドがメチャクチャの壊した部屋も綺麗に修復されていた。レイモンドは娘のミシェルを抱き、部屋全体に穏やかな笑顔がひろがった。

SHIMIZU ★★(97/11/27 ヘラルド試写室)

今年(97年)カンヌ映画祭をネットでウオッチしていた時から、ゲーリー・オールドマンの初監督作の評判はすごかった。なにがって、この映画は全編fuck言葉のあめあられで、しかも常軌を逸した暴力があり、途中で辟易した映画ジャーナリストが続々席を蹴ったとあった。覚悟していたが、やはり「タフな映画」であります。

「この映画は僕のブルース。過去に対するアルバムのような作品にしたかった」と言うオールドマンは、この映画を亡き父に捧げています。劇中のオヤジがメチャクチャ破滅的でこわい。前科持ちで、普段から殺気だっている。一触即発の危ない男。彼のドラッグを盗んだ妻の弟に怒りを爆発させ、鼻にかみつく凶暴ぶり。身重の妻がビリヤードをやっていた男と寝たと勝手に疑いをかけ、ぼこぼこに蹴る。画面上では、直接的に妻を蹴るシーンはないのだけど、その暴力は十分すぎるくらいイメージされる。そのあとに登場した妻は“お岩さん”状態。彼女を守ろうとする実家の母親、その実家に押し掛け「殺してやる」と恫喝する切れたオヤジ。妻のいなくなったアパートを壊しまくる破壊シーンも唖然とさせられる。映画の中盤すぎくらいまで、ここまでやるか、と不快指数は80%以上であります。

オヤジ役のレイ・ウィンストンはケン・ローチ先生の『レディバード・レディバード』に出演していたお方。悲惨な現実を直視するオールドマンのパンクな眼差しは、ローチ先生を意識しているのかも。

僕が面白いと思ったのは、オールドマンがあえて自分の分身をつくらず、「オヤジ自身」のメンタリティーを見つめている点。不快指数がやや薄れていくオヤジの後半の心情は彼の言う「オヤジのブルース」と言えそう。つまり破滅的な暴力オヤジの原点は、彼のオヤジだったという点。最低だったオヤジのオヤジ。だけど、そんなオヤジにも愛情を感じ、愛されたいと思っていた。「この親にしてこの子あり」という構図がほの見えてくる感じ。

終盤は救いのない暴力亭主がひたすら妻に許しを乞い復縁を迫る姿で出てくるのだが、激情と孤独が同居したオヤジの姿に、オールドマン自身の影を見るような気分。映画の迫真力は認めるにしてもですね、この映画の生理には苦痛を感じてしまったというのが正直な感想。僕などは映画と現実を混同しちゃって「こんな男とかかわったイザベラ・ロッセリーニは大変だったろうな」なんてヘンところにまで、気をまわしちゃって。とにかく、穏やかな日々がもどったという終幕がどうしても信じられないSHIMIZUめでありました。疲れた。

YAZAKI ★★☆(97/12/03 ヘラルド試写室)

何はともあれ、「ファッキン」です。映画の出来が「ファッキン」なわけじゃなく、セリフが「ファッキン」づくしなのよ。劇中、「ファッキン」を含まない会話は10個にも満たないだろうって感じ。オールドマンは、「最多ファッキン映画」としてギネス・ブック入りを狙ったんじゃなかろうか、と、出演者全員による「ファッキン」攻撃にクラクラなりながら、そんなことを考えてしまいました。

舞台は、オールドマンが生まれ育ったサウスロンドン。そこに住むワーキングクラスの一家が、物語の主人公。父親不在の家庭を切り盛りする母、暴力亭主にいじめられどおしの娘、ヤク中の息子という家族の肖像は、オールドマン自身の生い立ちが微妙に反映されたもののようです(エンド・クレジットに、「亡き父の思い出に捧げる」という献辞あり)。楽しみといえばパブでヨタ話に興じること、失業中の男たちは金をみんなヤクにつぎこんでしまう。と、そんな彼らの生活を丸ごとお見せしましょうというのが、オールドマンのスタンス。人物にグッと寄ったり、ときに隠し撮りふうになったりするカメラワークもドキュメンタリーっぽく、それが良くも悪くもこの映画の味になっている。

つまりね、どのエピソードもスケッチとして流れていくような感じで、「私はこの視点から物語を語るんだ」という核が感じられない作りなの。だから、登場人物のキャラクターの強烈さにも関わらず、ひとりひとりの存在が希薄なんだよね。たとえば、似たような家庭を題材にした『ワンス・ウォーリアーズ』の場合は、暴力亭主を持つヒロインの視点が、イコール映画の視点になっていた。そういうところから生まれる強さと説得力――それが、この映画には乏しく、ドラマとしてちょっと物足りない気がするわけ。

多分、同じ題材をワーキングクラス・ムービーの先輩作家が扱ったら、ライラ・モース演じる母親の視点からドラマを語ろうとするんじゃないかな。でもオールドマンがあえてそうしなかったのは、センチに流れるのを嫌ったためかも。彼は、愛情の薄い父親(パブに入り浸り、オールドマンが7歳のときに家を出たそう)がいかに自分にトラウマを与えたかを、ビリーとレイ、ふたりの口から語らせています。ビリーは、自分のいない間に犬を始末した父を「他人の気持ちなんか屁とも思わないヤツ」と称し、レイは「キスもしてくれないオヤジ」について「何ひとついい思い出がない」と語る。で、レイの場合は、かくなるトラウマから暴力という歪んだ愛情表現に走るわけだけど、オールドマンは、このレイの娘ミシェルの立場に立って、人を愛することが不器用だった父を許そうとしている。そういう意味では、ものすごく内省的な映画。

私がいちばん面白かったのは、ヤクが切れてプルプル震え出したビリーを、母親が売人のアパートまで送って行くところ。で、ヤクを手に入れたビリーが助手席で打ち始めようとしたとき、「後ろの席で、外から見えないようにやりなさい!」と、この母が叱る。とにかくタフ。かつ、観客が最もシンパシーを寄せやすく、心情を追いたいと思わせる人物。彼女の視点からドラマを語るのは、自分の母親の心の内を暴露するみたいでオールドマンはイヤだったのかもしれないけど、やっぱりね、映画としてはそのほうが焦点が定まった感じになったと思う。自分の内面を曝け出そうとして、でも、どうしても曝け出せない部分に行き当たってしまったような。そういうジレンマが、私には感じられました。

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