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アイアン・ジャイアント
IRON GIANT
1999年アメリカ 監督ブラッド・バード 声の出演ジェニファー・アニストン/ハリー・コニックJr/ヴィン・ディーゼル ●86分 ワーナー・ブラザース映画配給 2000年4月15日よりワーナ・マイカル・チェーンにて公開予定 |
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1957年、9歳の少年ホーガースは、空から降ってきた巨大なロボットと友達になる。クズ鉄アーティストの協力を得て、ロボットをかくまうホーガース。だが、子供のように無垢な心を持つロボットには、ある秘密が隠されていた。テッド・ヒューズの原作に基づくクラシック・テイストのアニメ。
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SHIMIZU★★★(99/12/07 ワーナー・ブラザース映画試写室)
アニメはイマイチ興味がわかないボクからして、これはいいと思った、拾いモノの愛すべきアニメ作だ。時代はスプートニクスが登場した57年で、『遠い空の向こうに』と同じ時代と思ったら、このロボットのスケッチの第1稿は、そのジョー・ジョンストン監督が絡んでいるだって。このロボット、アイアン・ジャイアントがまず愛すべきキャラ。宇宙から飛来した巨大なロボットなのだけど、ノスタルジーをかきたてられる旧式の鋼鉄ロボット(鉄人28号をちょっと思わせる、古いか?)。身の丈30メートル。森の樹木の間から頭を出し、目からの灯りで回りを照らし進む姿は愛嬌たっぷり。彼の「エサ」は鉄(アンテナも食べちゃう)で、送電線の鉄塔を食べ感電したロボットを少年ホーガースが救ったのが、ふれいあいの始まり。ロボットは少年の真似をしたり(中腰になろろうとして尻餅をついたり)言葉を学習したり。鋼鉄のロボットがシカの死から生き物は死ぬということ、でも魂は死なないと教えられる。
「ボク死ぬ」「君は金属だから」「でも魂がある。魂はよいもの宿り生き続ける」という哲学的(?)な会話によって、ジャイアントが単なる鋼鉄の固まりから、ひとつの自分を獲得していこうとする姿が、素直な理念として心に届いてくる。実は彼には不幸なおいたちの秘密があるのだけど、そんなホーガースが彼に「選択の自由」があることを教える。ジャイアントはすごい大きいけれど、本当はまだ自分の道を決めかねている思春期の子供のような存在だったのではないかな。
ジャイアントが「ボク、スーパーマン」になると、身を挺して子供たちを救うあたりは、ジャイアントが新たな魂を得て自立するような、愛すべき旅立ちという感じ。最後のジャイアントのその後(北極にいる)を伝えるエピソードも好きだ。最新号のプレミア米国版で各紙・誌の批評家15人により年間のベスト10を集計しているのだけど、年間ベスト7位にランクされているのに、少々ビックリ。アメリカでは拾いものどころか、クラシックになりそうなアニメ寓話の傑作という高評価のようだ。 |
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YAZAKI★★★(00/02/01 ワーナー・ブラザース映画試写室)
ロボットのデザインを担当したのは、『遠い空の向こうに』の監督ジョー・ジョンストン。でもって、『遠い空の向こうに』と同じ「スプートニクの打ち上げ」が、映画の時代背景になっています。なので、『遠い空〜』を見た人は、より親しみが増すかも。
1957年という時代設定に呼応して、絵もストーリーも、ひじょうにクラシカルなアニメ。ロボットのアイアン・ジャイアントは、「鉄で出来たE.T.」といった風情で、ロボットをみつけた少年が自宅の納屋にかくまうところや、超常現象を調査するエージェントが登場するところなども、『E.T.』のパターンを踏襲している感じ。
ただし、こっちのロボットは、知性と教養にあふれる宇宙人だったE.T.とはちょっと違い、生まれたての赤ん坊のように純真無垢。基本的な興味は、食べること。少年が「今夜は森のなかで寝な」と言ってもズンズン着いてきちゃうところなんて、まるで拾われた犬みたい。
そんなロボットが、少年から「生と死」「善と悪」の概念を学び、正義のスーパーマンとして自己犠牲の道を選ぶ姿が、とっても感動的に描かれています。あまり書きすぎるとロボットの秘密をバラしちゃうことになるので詳細は避けるけど、少年がロボットに対して言う「自分がなりたいものになれ」という言葉が、まんま少年に返ってゆくことを想像させる豊かなドラマの作りに、ジーンときてしまった。ユーモアを希望をたたえたラストのオチも秀逸。
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サマー・オブ・サム
SUMMER OF SAM
1999年アメリカ 監督スパイク・リー 出演ジョン・レグイザモ/ミラ・ソルビーノ/エイドリアン・ブロディー ●142分 ブエナビスタ配給 2000年4月上旬よりシネマスクエアとうきゅうにて公開予定 |
1977年、連続殺人鬼「サムの息子」に脅かされるNYのブロンクス。6人目と7人目の被害者が発見された現場近くでカー・セックスの浮気を楽しんでいた美容師のヴィニー(レグイザモ)は、自分が目撃者として命を狙われるのではないかと気が気ではない。彼の仲間たちは、犯人を自分たちの手であげようと探偵ごっこを開始。パンク・ロッカーのリッチー(ブロディー)に疑いの目をむける……。実在の殺人事件をベースに、魔女狩りの恐怖を描いたスパイク・リー監督の70年代グラフィティ。 ●オフィシャル・サイト●http://www.movies.co.jp
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SHIMIZU★★(00/02/25 ブエナビスタ試写室)
冒頭はあるライターのコメント。「これは77年の夏に起きた事件です」。事件とはNYで起きたブルネットの髪の女だけを狙う連続殺人事件。犯人は「サムの息子」と名乗った。最初、殺人事件の犯人像に迫る社会派犯罪映画か、と思っていたら、どうもそうじゃない。要は事件は時代の標識で、サムの息子の恐怖がNYを襲っていた時代、あなたはどこでどうしていましたか、という感じ。77年の設置とくれば『ブギーナイツ』という時代のムードも存分にとらえた快作があるけど、ここではジョン・レグイザモ演じるヒスパニック系の青年ヴィニーと彼の妻でイタリア系の妻(ミーラ・ソルビーノ)との夫婦関係などを核にした時代のホームムービーといった趣。ヴィニーと彼の仲間の話が点描されるけど、サムの息子の事件が当時の「不安」の象徴という感覚でもない。ま、時代と人とのリンクをそれほど僕は感じず、とっちらかった時代映画に見えた。
印象に残ったのは、妻にはアナルもフェラも要求できず、妻のイトコに手をだしたりするヴィニーのセックス・ライフ。妻がヴィニーをそそるため扇情的な格好で迫り、ベッドで荒技にも挑もうとするが当のヴィニーは妻がそんなことしてはいけないと気持ちが萎えるあたり。当時のセックスの価値観って、そんなだったのかな、と興味が少々。スパイク・リーにしては、漫然として強さも主張も感じられない、ちょっと気のぬけた風俗グラフィティという感じだ |
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YAZAKI★★(00/02/10 ブエナビスタ試写室)
「サムの息子」ことデビッド・バーコウィッツは、1977年のニューヨークを震え上がらせた連続殺人鬼。「おもに車に乗っている女性やデート中のカップルを44口径の拳銃で襲い、のちに彼が語ったところによれば殺しに性的興奮を覚えたという」とはプレスの引き写しですが、この時代はまだ学生だった私も、「ブロンド女性はご注意」みたいな新聞の見出しを、なんとなく覚えています。
そんな「サムの息子」が出没した時代、ニューヨークは、アメリカは、どうだったのか? というのが、今回のスパイク・リー作品のメイン・テーマ。「この映画は、古き時代のニューヨークを描いた映画だ」と、カメラ目線で語る記者のナレーションがプロローグになっていることからもわかるように、サムの息子事件はあくまでも素材。むしろ、それも時代を物語るカウンター・カルチャー(!?)のひとつだというかのようなスタンスで、この時代に生きた若者たちの生態と、彼らのコミュニティーが魔女狩りの狂気におかされていく姿を、リー監督はグラフィティっぽく描いています。
私が映画を見終わったあとに真っ先に感じたのは、リーのメンターでもあるスコセッシ監督の『カジノ』との符合。あの映画は、マフィアの仕切る賭博の街だったラスベガスが、大企業の仕切るファミリー・エンターテインメントの街へ変貌していくことを「凋落」とみなす視点を持っていたけれど、『サマー・オブ・サム』にも似たノリが感じられる。
つまり、『タクシードライバー』(76年)に登場するがごとく42丁目にポルノ・ショップが建ち並び、連続殺人鬼が大手を振って闊歩していた「古き悪きニューヨーク」を、この映画は、どこか懐かしんでいるような視線が感じられるのです。いまの42丁目は、ディズニー・ストアとシネコンとフォードセンター・シアターがそびえ建つ100%セーフティな世界。でも、そんなクリーンな世界からは、CBGBで爆発したパンクのようなムーブメントは生まれないぞ、と。やれ好景気だ、それ情報通信だと国をあげて浮き足立っているアメリカに対し、リーが放つ警告にも似たメッセージを、私はこの映画から嗅ぎ取りました。
ただ、いかんせんドラマのインパクトが弱い。いちおうストーリーの柱としては、プレイボーイの美容師ヴィニー(ジョン・レグイザモ)とディナ(ミラ・ソルビーノ)の夫婦の危機を描くエピソードと、パンクに染まったリッチー(エイドリアン・ブロディ)がコミュニティのなかで「サムの息子ではないか?」と疑われ、排他性の犠牲になっていくエピソードの2本が用意されているのですが、両者とも緊迫感が希薄で、キャラクターがやけに遠い存在に感じられる。
おそらく、あの時代にCBGBでハネまくっていた人たちは、何がしかの共感を得られるのかもしれないけど、そうじゃない私は、魔女狩りの恐怖を描きながらもいっこうに普遍性をおびてこないドラマに、ちょっとジリジリしてしまった(ひとことで言えば、群像劇にありがちなとっちらかった印象)。ま、普遍性をおびないってところが、逆にスパイク・リーらしいのかもしれないけど、ね。
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ハーモニーベイの夜明け
INSTINCT
1999年アメリカ 監督ジョン・タートルトーブ 出演アンソニー・ホプキンス/キューバ・グッディングJR./ドナルド・サザーランド ●124分 東宝東和配給 2000年4月15日よりシャンテ・シネにて公開予定
全米最悪の刑務所ハーモニーベイに収監された殺人容疑者の霊長類学者イーサン・パウエル(ホプキンス)と、彼の精神鑑定を担当した若き精神科医テオ・コールダー(グッディングJR.)との友情と心の解放を描く。『フェノミナン』のJ・タートルトーブ監督の哲学的な人間ドラマ。 ●オフィシャル・サイト●http://www.toho.co.jp/towa/
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SHIMIZU★★(00/03/24 東宝東和試写室)
ハーモニーベイ刑務所に手かせ足かせの殺人犯が移送されてくる。アンソニー・ホプキンス演じる人類学者。長髪にした髪型といい、突然暴れ出し強靱な力を発揮する姿といい、ホプキンスはハンニバル再びという感じの殺人鬼。彼の精神分析を担当する野心家の精神分析医がグッディングJR。興行的にはオスカー俳優同士の共演。
お話の要はホプキンスが抱え込んで心の闇とはなにか。実は彼はアフリカの山ふところでゴリラを研究していた霊長類学者でもあり、自ずと彼がゴリラとのふれあいから自然回帰していた様が浮かび上がる。アフリカでゴリラと暮らす描写は、ゴリラに魅せられた女性学者を描いたシガニー・ウィーバー主演の『愛は霧のかなたに』のテイストが濃厚で、そこに『カッコーの巣の上で』や『ショーシャンクの空に』あたりのムードがジョイントされた感じ。アフリカで一体ナニがあったのか。思わせぶりに彼の心が解き明かされるのだが、動物愛護精神のない僕にもその事件は予想通りで、なにも感じるところがなかった。
見ている方としてはホプキンスが抱え込んだ「闇」と「光」がどう明かされるのか興味津々だったのだが、ちょっと哲学を装い「心の解放」や「自由」を説く姿に、自然教教祖といって感じの胡散臭さも感じてしまった。それに感応し自分の欲や野心を省みるグッディングJR。単純なことを大仰にもって回って言っているような、ふたりの対話にはやれやれ、退屈してしまった。 |
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ベリー・バッド・ウェディング
THE VERY BAD THINGS
1998年アメリカ 監督・脚本ピーター・バーグ 出演キャメロン・ディアス/クリスチャン・スレーター/ダニエル・スターン ●97分 ギャガ配給 2000年4月15日より銀座シネパトスほかにて公開予定
超几帳面なローズと結婚することになったカイルが昔からの4人の悪友とベガスまでバチェラーパーティに出かけたのが悪夢の始まり。偶然の「過失致死事件」から、仲間は疑心暗鬼の死臭ふんぷんのアブナい世界になだれこむ。『コップランド』の男優ピーター・バーグ(初監督)が『スウィンガーズ』のジョン・ファブロー、クリスチャン・スレーターらの共演で描くブラック・コメディ。花嫁役にキャメロン・ディアス。 ●オフィシャル・サイト● http://www.gaga.co.jp
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SHIMIZU★★(00/02/24 徳間ホール)
結婚式から3日間前の出来事を新郎が回想する。現在をブックエンドにして中身はすべて過去語りという構成だ。新郎のカイルは悪友4人とベガスにバチュラー・パーティに出かけハメをはずすことに。が、ホテルに呼んだ娼婦(これが日系のグラマラスな女!)と仲間のひとりマイケルがバスルームでFUCK中、絶頂のあまり娼婦の頭を壁の杭に打ち付け過失致死。「マンソン一家が来たような惨状」で、クリスチャン・スレーター演じる不動産屋のボイルが悪魔的囁きをする。「死体を砂漠に埋めよう」と発案。おまけにやってきた警備員も殺害し、2体をバラバラにして運搬、砂漠で埋めようとする。ここでおかしいのが、ダニエル・スターン演じるアダムがユダヤ教では手足を一緒にしなくちゃ浮かばれない、と死体のパーツを再度合致させて埋めるところ。死体を並べてあわせるあたりの死体遊びがブラックなおかしさ。このへんのビザールな面白トーンを買っての☆おまけ。
ドジがドジを呼ぶブラックユーモアを期待したのだけど、途中からスレーターが殺人者モード全開で、邪魔者は消せだけのサイコスリラーになっていくあたりから面白みが半減。ただ殺しのための殺し。そして誰もいなくなったという最後の罪の帳消しは、後味がわるいと思うはず。広告では、この映画はキャメロン・ディアス主演作のお軽いロマンチック・コメディという売り方。実はキャメロンは27年間結婚を夢見てきたヒロインという設定で結婚を邪魔するやつを殺しもする悪女で最後のオチにも関わる役どころだが、出番少々のゲスト的な出演。キャメロ目当てのファンには、羊頭狗肉の1作です。覚悟されよ。 |
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ボーン・コレクター
THE BONE COLLECTOR
1999年アメリカ 監督フィリップ・ノイス 出演デンゼル・ワシントン/アンジェリーナ・ジョリー/クイーン・ラティファ ●117分 ソニー・ピクチャーズ配給 2000年4月15日より丸の内ルーブルほか松竹・東急洋画系にて公開予定
ジェフリー・ディーヴァー原作のベストセラーを映画化したサイコ・ミステリー。NYの街で、殺人現場に遺留品を残し、次回の殺人を予告する不敵な連続猟奇殺人が勃発。その謎を、首以下が麻痺して1本の指しか効かない鑑識のエキスパート、リンカーン・ライム(ワシントン)が「明晰な頭脳」を使い推理。婦警アメリア(ジョリー)が手足となり、証拠集めに天才ぶりを発揮する。 ●オフィシャル・サイト● http://www.spe.co.jp
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SHIMIZU★★☆(00/02/07 ソニー・ピクチャーズ試写室)
殺人現場に物証を残し次の事件を予告する『セブン』にも通じる「劇場型」(ボクはメッセージ型と名付けたけど)の猟奇犯罪者が登場するサイコ・スリラーだ。犯人の物証の謎を解くのが、事故で脊椎を損傷し寝たきり状態の元科学捜査のスペシャリスト、リンカーン・ライム。彼の手足になり現場を保存し物証を採取するのが、パトロール警官から抜擢されたアメリア(父を失ったトラウマを抱えた設定など、『羊たちの沈黙』のクラリスを思わす)。頭と手足という、職能別コンビがこのスリラーの新機軸か。
見る前はふと、ヒッチの『裏窓』での骨折して動けない写真家のスチュアートと彼の代わりに行動するケリーの関係を思ったけれど、この映画では男女のケミストリーは手薄。ライムが事故で首から上と右手の人差し指しか動かないから仕方がないか。ライムはベッドにいながら次々に事件の謎を解いていく。彼の頭脳をコンピュータのようにして見せていくカメラワークの面白さはある。片やアメリアを演じる注目のアンジェリーナ・ジョリーは得意の不安演技で健闘。中盤までは結構、殺人事件のゲーム性と相まって、このコンビはそれなりにワークしている感じだ。が、映画の中盤以降、演じるワシントンが顔面だけで演技するというのは、いかにも間が持たない。物証を解く手際も原作通りのようだが、動きが少ないだけに、物証の指し示す目標をたどる姿がご都合主義の感じに見えてしまう。犯人側の事情と突き合わせ、事件を立体化する演出があれば(『羊たちの沈黙』はそこがうまかった)、ボーン・コレクターの本がバサッと本屋の棚から落ちてきて、事件が本からのコピーキャット犯罪とわかる偶然の発見にも、目をつぶれるのだけどね。「もし本が落ちなかったら、どうするんだよ」と言いたくもなる。
僕がどうしても笑っちゃつたのは、最後の締め。ここからは少々ネタばらしになるのでご注意を。犯人が登場し、ライムとのいきさつをひとくさり説明する推理ものの定番シーンから、対決でのライムの「囁き攻撃」まで、すごく漫画的に思えてしまった。原作通りとのことだが、原作のファンは満足するのかね、これで。余談だけど、ワシントンの世話を焼くセルマ役のクイーン・ラティファはドーンとした迫力。実は歌手として一級のようでオスカーでも堂々とした歌を聴かせていた。結構、この人、すごよ。 |
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YAZAKI★★☆(00/03/09 ソニー・ピクチャーズ試写室)
「その身体をタテに、人に無理強いするの?」「あなた自分の声に酔ってるの?」と、アンジェリーナ・ジョリー扮するアメリアが、強烈なツッコミを入れる。相手は、身体の93%が麻痺して寝たきり生活を強いられている科学捜査の超ベテラン、ライム(デンゼル)。身障者であり、かつ、誰もが一目置くその道の第一人者に対し、フツーならこんなズケズケした物言いはせんわなぁ。という彼女のキャラが、私にはいちばん面白く思えた作品。
パトロール中に死体と出くわし、そのときの現場確保の的確さをライムに認められ、強引モードでライムの助手にされてしまったアメリア。自ら現場に出向けないライムは、無線で指示を送りながら、彼女に殺人現場の証拠集めをやらせる。その最初の出動が、この映画の最もよくできたシーン。
「まだ犯人が現場にいるんじゃないか?」というドキドキさせる状況のもと、先頭を切って現場に入る任務を負わされたアメリアは、ライムの指図に従いながら、毛髪のついた木片、血のついた骨などの証拠を発見していく。現場に放置された死体は、手を昔の手錠、腰をチェーン、足をロープで縛られた状態。腕の部分は皮膚がめくれ、骨が剥き出しになっている。その惨状にギョッとなりながらも、アメリアは冷静さを保ってライムに報告を入れていく。と、ライムから、「手錠は重要な証拠だから死体の手首を切り落とせ」の指示。「いくらなんでもそんなことまで出来ない!」と、無線マイクをかなぐり捨てて現場を飛び出していくアメリアの「女の子」の入り具合が、ここでは彼女のキャラの強さとなって生きている。
これが男であれば、ぜったいに「出来ない」とは言わないはず。臆病だと思われたくない一心で、ゲロ吐きながらでも手首を切り落としているでしょう。そういうところ、男って見栄っ張りですからね。でも、アメリアの場合は、「私と組みたいんだったら、節度をわきまえてよ」と、ライムにタメの立場で主張する。そういう生意気さが、彼女の身上。なんだけど、ライムに詫びを入れられて捜査班に復帰したアメリアが、過去のトラウマ(警官の父が自殺した)を調べられていたと知り、徐々にふたりの関係が癒しあいのモードに変化していくあたりから、彼女の個性が甘くなってしまう。これは、あくまでもデンゼル主演の映画なので仕方ないのだけど、ライムとのせめぎあいのなかで鍛えられたアメリアが、科学捜査のプロとして自立していくという、心の成長を描くドラマが欲しかった感じ。
肝心の連続殺人事件のほうは、犯人の「動機」を知ってしまうと、ちょっと「なんじゃこれ?」と言いたくなるかも。クライマックスは『裏窓』っぽい作りだけど、フラッシュ攻撃のようなワザはなく、サスペンス度は低し。
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