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試写状 アンナと王様

ANNA AND THE KING

1999年アメリカ 監督アンディ・テナント 出演ジョディ・フォスター/チョウ・ユンファ/バイ・リン ●147分 20世紀フォックス配給
2000年2月上旬より日劇ほか東宝洋画系にて公開予定

1862年、タイ王室に家庭教師として招かれた英国人の未亡人のアンナ(フォスター)は、10歳の息子ルイを連れてバンコックへやって来た。王(ユンファ)に58人の子供がいると知って驚くアンナ。あくまでも自分流を押し通す彼女は、しばしば王と対立するが、次第にふたりの心は通い合っていく。そのころ、王室には反乱軍の魔の手が迫っていた……。実在の英国女性アンナ・レオノーウェンズの手記を基にした大河ドラマ。
●オフィシャル・サイト●http://www.foxmovies.com
SHIMIZU★★(99/12/13 20世紀フォックス試写室)

物語の素材はそもそも、West meets Eastというエキゾチズムを楽しんだ時代の産物。それを現代から描くと、こうなるという見本。つまりは、昔のハリウッド映画なら看過していたエキゾチズム=文化が、ここでは正されるという改変が行われている。それがどうもアジア人から見ると、大きなお世話に見えてしかたがない。その中心にいるのが、未亡人アンナで、23人の妻を持つモンクット王に人としての道を説き、シャム人(現タイ)の前近代的な様相を指弾する英国人らに対しては人間性を強調して抗弁する。ストレートで情熱的な正義のヒロイン像。それがジョディ・フォスターによって演じられたことが、一層大きなお世話的な世界になだれこんでいるように見受けられました。なにやら19世紀に「フェミニズム」的な空気が侵入したような、潤いのなさ。

試写後、映画評論家の渡辺祥子さんと話して一致した意見が登場する女たち(王の愛人になった女も含め)が「異常に干涸らびている」(ジョディのルックスに水気が感じられず、カサカサした老婆のような印象)という点。オリジナルのレックス・ハリスン版は見ていないけど、ミュージカル版の『王様と私』を見ると、高みから見ているというより、鷹揚なハリウッド視点で遊んでいる感じで、ヒロインのデボラ・カーは良き母性の象徴のような、ノホホンとした情感があった。ここにはその鷹揚さがない。無理に現代的なものの考え方を敷衍しようとしているような感じで、大きなお世話的世界が拡大する偏見映画の路線じゃないか。

そのヒロイン独り芝居の悪条件のなかで王様役のチョウ・ユンファはかなり健闘している。英語の長いセリフもブラッシュアップ。ブリンナーのようなスキンヘッドでないのもよろしい。もの柔らかで、押し出しも十分。時にユンファ得意のスマイル・ショットも挿入されている。王様の愛人をめぐる悲恋エピソードで、王様が大きなお世話のヒロインの介入により、王様のメンツを失い、処刑をとめることが出来なくなる顛末は、ユンファの心理演技の見せ所。ユンファ・ファンには彼のハリウッドで成長を、それなりに楽しめるかもしれない。

映画は中盤以降、ヒロインがシャムを救う「ヒーロー化」を目指す。王様に謀反を起こした連中を橋におびき寄せ橋を爆破させる窮地の一策を、アンナの機転でうまく運ぶ展開など、『王になろうとした男』のような冒険ノリ(宮殿から豪華な船などの現地で撮影できなかった分、マレーシアで再現されたセット・デザインは結構豪華でスケール感はある)。王様を救ったアンナ、本来なら、アンナと王との間にケミストリーが生まれて当然なのだが、そこは異人種愛の壁なのか、レズのフォスターが嫌ったのか、ロマン薫るはずの最後のふたりの「ダンス」シーンでも、あくまでも「Shall we dance?」と欧米のマナーを守り、キスひとつない行儀の良さ。最後に王様が「初めて分かった。男がひとりの女で満足なことを」と改心する図。「アンナはシャムに光を与えてくれた」と王の息子が締めるナレーションまで、すべてはジョディの思うがまま。言下に、現在のバンコク=娼婦の街という現実をも糾弾しそうな勢いです。お、コワい。
YAZAKI★☆(99/12/15 20世紀フォックス試写室)

眉間に青筋をたてたジョディが、ギスギス、ピリピリしたオーラを発散しながら、王様ユンファと渡り合う。その物腰は、60年代のウーマンリブの闘士そのまんま。「スマートでエレガント」というキーワードを微塵も感じさせないジョディのアナクロなヒロインぶりに、私は、終始腰の引けた状態になってしまいました。

とにかく、このアンナは徹底して独善的なキャラ。それを如実に表すのが、バイ・リン演じる側室タプティムとのエピソード。恋人が忘れられず、王室から逃げようとしてつかまったタプティムは、裁判にかけられて死刑を宣告される。と、そこにアンナがしゃしゃり出て、王に意見。結果、王はタプティムに恩赦を与える機会を逸してしまい、タプティムと恋人は刑場に送られる。そのことに、ヒステリーを起こしてポットをひっくり返すアンナ=ジョディ。

これって、ただの子供みたいでしょ? いまどきのスマートな女は、一方的に自己主張するのではなく、相手の出方を読みながら「かけひき」ってものをするもんです。そういうスマートさがまるでなく、ひたすら「私が私が」モードで攻めまくるジョディのアンナは、私にはとってもオバカな女に見えてしまいました。

監督のアンディ・テナントは、シンデレラをモチーフにした『エバー・アフター』で、ドリュー・バリモアちゃん演じるタフでイキイキしたヒロイン像を作り上げた人。だから、この映画でも、もっとアンナをいまふうの魅力的な人物に仕立て上げることができるはずなのに、ね。それを阻んだのは、やっぱりジョディの権威なのか。とにかく、新派みたいな芝居(例:王がかわいがっていたファー・イン王女が死ぬ場面の泣きの演技)をする彼女には、まったく魅力が見出せませんでした。

それに引き換え、拍手を送りたくなるガンバリを見せたのが、チョウ・ユンファ。このシャム王の役は、『王様と私』のツルッパゲのユル・ブリンナーの印象が強いんだけど、そのイメージを払拭して余りある存在感を、ユンファは示してくれます。とくに、反乱軍から逃げる彼が、決死の覚悟を決め、爆薬を仕掛けた橋の上で敵と渡り合う場面は、キザな葉巻の吸い方も含め、めちゃくちゃカッコイイ。この場面に免じて★★でもいいかと思ったけど、やっぱりジョディちゃんのアナクロぶりは許し難い。2時間半弱の映画ながら、4時間くらいに思えるダラダラした語り口も、減点の対象。

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試写状 キッドナッパー

LES KIDNAPPEURS

1998年フランス 監督グラハム・ギット 出演メルヴィル・プポー/エロディ・ブシェーズ/ロマン・デュリス ●100分 コムストック配給
2000年1月下旬よりシネスイッチ銀座にて公開予定

『シューティング・スター』のグラハム・ギット監督によるオフビートなクライム・アクション。刑務所から出所したばかりの金庫破りアルマン(プポー)は、恋人クレール(ブシェーズ)、その弟ゼロ(デュリス)らと共に、詐欺師のユリスがマフィアのボスに依頼された仕事を引き受けた。それは、リトアニア人の屋敷から2000万フランを盗み出すというもの。だが、金庫にあったのは奇妙な小像で、おまけに目撃者のリトアニア人を誘拐せざるをえないハメに。2000万フランの価値がある「リトバク王子」とは、小像か人質か? マフィア、リトアリニア人も絡んだ争奪戦が始まる。
SHIMIZU−(00/01/20 ビデオ)

金庫破り、防犯装置破り、殺し、運転。それぞれのスペシャリスト4人組が兄弟ギャング一派から仕事を依頼される。それはリトアニアニア人の金庫から大金を盗むこと。前段階では容易な仕事に思えたが、現実は計算違いの連続。4人組を軸に、兄弟ギャングとリトアニア人一派らが入り乱れ、血を血で洗う大抗争へと展開する。お話の入り乱れ方は、『ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』などに通じる、ドミノ倒し的な、いまどきのアクション。

とにかく、人が次々に殺されていく。なんとも、その手口がしつこく、爽快感が皆無。偶然のつながりにも、愛嬌というものがないのが不満。ただただ、間断なく悪ふざけが続く感覚だね。近作『日曜の恋人たち』で「死姦」され生き返るジャンキー女を演じたエロディ・ブシェーズがここでも全裸でノリノリの狂態演技。運転手ゼロ役は『青春シンドローム』のロマン・デュリス君だが、彼もすっかり汚くなったという印象のキャラ。『ドーベルマン』の製作スタッフの作品にしては、漫画的な要素を少なく、妙にシリアス系のクライムアクションになったようで。
YAZAKI★★(99/09/28 徳間ホール)

『シューティング・スター』のギット監督の新作ってことで期待をそそられたけど、脚本がフランス映画お得意(!?)のひとりよがり系御都合主義に終始。金と「リトバク王子」をめぐるマフィアとリトアニア人の動きなど、ドラマの筋書きが筋書きのためだけに存在する荒っぽさで、はなはだしく歯切れが悪い。この映画のように、悪党一味の計画が悪いほうへ悪いほうへと転がっていっちゃうお話は、「CAPER GO WRONG STORY」というジャンルとして確立されている。このテの近年の傑作は、コーエン兄弟の『ファーゴ』。さらにはキューブリックの『現金に体を張れ』などが代表作だけど、ギット監督には、こういう映画を研究して、もうちょっと綿密なプロットの運びと、魅力的なキャラ作りってものをお勉強してもらいたいもんであります。

メルヴィル・プポー率いるソリのあわない一味が、ミニチュアを使って金庫破りのシミュレーションをする場面など、前半は比較的快調。それが本番になり、屋敷の門番がタバコの火を自分でつけるところから、計画の番狂わせが始まっていくあたりも、及第点。だが、マフィアから一味に支払われた500万フランの金と、金庫にあった小像&人質の行方が、ひっちゃかめちゃかに入り乱れる後半は、どんどんとりとめがなくなっていっちゃう。ふと振り返れば、「2000万フランの金が入るあてもないのに、なぜマフィアは金庫破り一味に500万を支払ったのか?」という大いなる疑問がわいてきて、話の振り出しから筋が破綻していることが見える寸法。

妙にシリアスに「カタギになりたい悪党」を演じたプポーも、ここでは完全にミス・キャスト。クライマックスで、姉のエロディ・ブシェーズと弟のロマン・デュリスが、金をめぐって銃をつきつけあう図なども、オフビートと言うよりは醜悪に見えてしまう。彼らを筆頭に、この映画に出てくる誰にも愛すべき魅力が探せないところが、「CAPER GO WRONG STORY」たる映画のいちばんの敗因かもね。

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試写状 ストーリー・オブ・ラブ

THE STORY OF US

1999年アメリカ 監督ロブ・ライナー 出演ブルース・ウィリス/ミシェル・ファイファー/リタ・ウィルソン ●96分 ワーナー・ブラザース映画配給
2000年2月上旬より松竹・東急洋画系にて公開予定

作家のベン(ウィリス)と、新聞のクロスワード・パズルの作者ケイティ(ファイファー)は、結婚15年目の夫婦。価値観の違いと、果てしない喧嘩の日々に疲れ果てたふたりは、2人の子供たちがサマーキャンプに出かけたあいだ、試験的別居に踏み切ることにした。それぞれ過去の結婚生活をふりかえりながら、離婚するか否かで悩むふたりだが……。倦怠期に陥った夫婦の愛の姿を描く、ロブ・ライナー監督作。
●オフィシャル・サイト●http://www.warnerbros.co.jp
SHIMIZU★(99/12/20 ワーナー・ブラザース映画試写室)

愛すべきロブ・ライナー監督が『恋人たちの予感』のその後を、同監督の『ノース』のような味付けで盛りつけしたという感じ。ブルース・ウィリスとミシェル・ファィファーが単なるハリウッド的な顔合わせレベルに思えるほど、リアリティが感じられず、ふあふあ地に足の着かない夫婦の会話ごっこを聞いているような気分。カメラに向かっての心象を説明するライナー監督の十八番も、ここでは駄弁の域。終始、眠気がはいって、つらいSHIMIZUめでありました。
YAZAKI★(99/11/09 ワーナー・ブラザース映画試写室)

「『恋人たちの予感』の15年後のドラマ」という触れ込みの作品だけど、ノーラ・エフロンが脚本を手がけた前作のような洒落っ気は皆無。他人の夫婦喧嘩を延々見せられている感じで、正直、ウンザリしてしまった。

劇中には、ウィリスの男の友人たちと、ファイファーの女の友人たち(うちひとりがリタ・ウィルソン)が、それぞれ井戸端会議ふうのセックス・トークを繰り広げ、そこから「男と女のホンネ」が浮き彫りにされる趣向も凝らされているけど、その会話の内容もチンプなだけで、『恋人たちの予感』の上っ面をなぞっているのみという感じ。

敬愛するライナー監督が、過去の栄光にすがりつく枯れ果てた人間になってしまったことが、私にはいちばん悲しかったです、ハイ。

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UIP提供白黒写真
写真提供:UIP (c)Universal Pictures All right reserved
ラブ・オブ・ザ・ゲーム

FOR LOVE OF THE GAME

1999年アメリカ 監督サム・ライミ 出演ケビン・コスナー/ケリー・プレストン/ジョン・C・ライリー ●138分 UIP配給
2000年1月29日より丸の内ルーブルほか松竹・東急洋画系にて公開予定

『フィールド・オブ・ドリームス』『さよならゲーム』のケビン・コスナーが、人生の岐路に立たされた大リーグのピッチャーを演じるヒューマン&ラブ・ストーリー。恋人(プレストン)に別れを告げられ、球団オーナーからトレードを宣告されたビリー。引退か否かの決断を迫られた彼は、完全試合のかかったマウンドで、自らの野球人生を振り返る。
SHIMIZU★★(99/11/22 UIP試写室)

『フィールド・オブ・ドリームス』と『さよならゲーム』。ベースボール絡みの、本塁打ものの作品をモノしているケビン・コスナー。このところ落ち目の彼がベースボール3部目で起死回生を狙ったような1作。今回は初めてメジャーリーガーとしての登場だ。ちょうど来季から野茂が入団することになった、デトロイト・タイガースの生え抜きの一流投手というキャラ。前2作のキャラはベースボールを通して、人生を語ってきた無名の人だったが、今回はそれなりに名をなしたが、いまは引退が移籍かを迫られ黄昏のプレイヤー。その最後の「男の花道」を描こうという、ベースボールをガッチリ芯にしたのが前2作と違うところ。

物語は主人公がシリーズ最後の試合として優勝を控えたNYヤンキースとの一戦に登板、一球入魂のピッチングでバッタバッタと打者をなぎ倒し、完全試合を狙う「現実」と、5年前からの「愛」の軌道をたどる「過去」とが交錯する構成であります。

まず、各地にグルーピーを抱える女にだらしない主人公像はケビンの実人生を写すようなキャラ。そんな彼がひとりの女と出会う。高速でクルマがエンストしているのを助け、誘いこむ手口からして新鮮味もない。一流選手は必ずホテルのスイートがあてがわれているのが常識で、投宿する時は必ず偽名を使ってカムフラージュするとか、一晩の女を球場の特等の関係者席に招待するとか、それなりの大リーガー裏話的なディテールがないわけじゃない。

が、肝心な恋のムードが盛り上がらない。ヒロインはトラボルタのかみさんのケリー・プレストン。そもそもバンプ的なキャラが得意な彼女がここではエル誌の編集者という知的なキャラ。彼女自体の実態も描かれず、ただ待つだけの女の様相で、ヒロインへの情感も沸き上がらず。恋の断片も切れ切れ。盛り上がるかと思えば、完全試合の「中継」が飛び込んできて「現実」に引き戻される。演出がすごい古くさいというか。

映画の方向性はふたつ。完全試合は達成されるか、ロンドン旅立つと別れを告げた彼女との愛は修復されるか。先がどんどん読めてしまう。早い回で打たれて降板してもいいのに、ずるずる投げ続けているような。ダレた試合を見てる気分。

エンデイングに関して、ケビンはサム・ライミ監督に撮り直しを要求したとか。空港のシーンなのか、試合の展開なのか。ラストをどうしようとしたのか興味がわくけれど、ま、どうころんでも映画としてはパーフェクトは無理。業界を巧みなディテールで捉え、過去・現在の恋模様も描いた『ブロードキャスト・ニュース』の垢でも煎じて飲んでもらいたいという感じだね。最後に雑学を。ヤンキース・スタジアムで完全試合を達成した最近の投手は、昨季達成したヤンキースのデビッド・コーン投手であります。
YAZAKI★★(99/11/15 UIP試写室)

「あなたにとって大事なのは野球だけ」と、恋人に三行半をつきつけられた大リーグの投手が、同時に球団の身売りを決めたオーナーからトレードを宣告される。突如現実味を帯びる「引退」の二文字。女を失ったうえ、人生のすべてを捧げてきた野球まで失うハメになるのか!? 人生の岐路に立ち、モンモンと思い悩むビリー。その心模様を、回想シーンと試合シーンのテレコ形式で描いた作品。

マウンドに立っているときは野球のことを考え、ベンチにいるときは女のことを考える。そんな主人公ビリーの思考回路に添って進んでいく物語は、試合の表裏に合わせて、現実と回想が切り替わる構成。これは、主人公が投手じゃなきゃできないワザだわと思ったけど、完全試合のかかったイニングが進むにつれ、せっかくの緊迫した試合が、しょうもないラブストーリーに分断されるのが、どんどんうっとおしくなる。「も〜う、野球の場面だけ見せてよ!」と、早送りボタンがマジでほしくなったYAZAKIでありました。

が、少年時代から今にいたるまで、「オレは野球が好きだぁ」という気持をずっと純粋なままキープしつづけているビリーのキャラは、それなりに魅力的。彼は、ひとことで言うなら「野球バカ」。野球を続けることしか頭にない、子供みたいにイノセントな男。その彼が、この試合で燃え尽きようとするかのように、直球を放り続ける姿は、やはり胸を熱くさせます。マウンドに立った彼が、「ノイズ・オフ」と自分に言い聞かせると、観客の罵声も何もかもが消えてしまう。そんなコンセントレーションの瞬間を、映像にして見せる仕掛けも面白い。

『さよならゲーム』『フィールド・オブ・ドリームス』のレベルを期待されちゃ困るけど、コスナーの投げっぷりも堂々としているし、野球映画のファンならそこそこ楽しめるんじゃないかな?

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ワールド・イズ・ノット・イナフ

THE WORLD IS NOT ENOUGH

1999年イギリス 監督マイケル・アプテッド 出演ピアース・ブロスナン/ソフィ・マルソー/ロバート・カーライル/デニース・リチャーズ ●128分 UIP配給
2000年2月5日より日比谷映画ほか東宝洋画系にて公開予定

MI−6のビル内で石油王の暗殺事件が起こった。犯人として浮上したのは、脳に銃弾を受け、あらゆる感覚を失ったテロリストのレナード(カーライル)。かつて彼に誘拐されたことのある石油王の娘エレクトラ(マルソー)が狙われるとにらんだボンド(ブロスナン)は、自ら彼女の護衛役を買って出るのだが……。『トゥモロー・ネバー・ダイ』に続く007シリーズの第19作。
SHIMIZU★★(00/01/21 イマジカ第一試写室)

ブロスナン版007の前作が結構面白かったので、今回もと期待したけど、ちょっと従来の痛快さがなく、期待はずれ。まず、お話が明快じゃなく(核の使い道をめぐる理屈や因果関係が結構理解するまでに一苦労で)、ヘンにミステリー仕立ての展開になっているところ。表向きの悪玉は、元KGBのレナード。のちのち分かる意外な(?)黒幕は誰か、それを考えてみるのもいいかも。レナード役は『トレインスポッテイング』などの個性派カーライル。彼は頭に銃弾を受け、その弾が延髄を動いている。その弾により、彼は痛みを感じず突然パワーを発揮するが、遅かれ早かれ「死ぬ」宿命を抱えた特異な存在。一見、サイボーグ的なあわれさを抱えたキャラで、彼の「黒幕」が判明するあたりから、映画は彼の哀しさが一層際だってくる演出だ(終盤、核を扱う彼が007に「WELCOME TO NUCLEAR FAMILY」というジョークまで悲しい)。

従来の007にはない、悪役をめぐる哀しきサブストーリーが用意されているのが、今回の個性といえば個性で、この部分に心を動かされる人には、また違った評価もあるかも。こういう味が出たのも、アクション派でないマイケル・アプテッド監督の個性かもね。

2番目はアクション・シーン。冒頭のビルから脱出する小技から、新兵器の水陸両用の船を使っての水上チェイスシーンから気球にぶらさがっての追撃・爆破、それにともない007がドームの屋根に落下し負傷するまでのプリ・アクションもそれなりの迫力。本編ではスキーアクションから屋台崩し的な破壊アクション、原潜での海中アクションと見せ場いっぱいなのだが、どうもアクション部分が従来の007のアクション・ルーティーンに見えてしまった。それもこれも、巨悪の影が薄いため、007のアクション・エネルギーがいまいち肩すかしの印象がするのだ。

巨悪とは別に007側は賑やか。ジュディ・デンチ演じるMも人質となり危機を体験したり、撮影後に事故死した武器開発係の「Q」が引退をにおわせ、後がまの「R」(これがモンティ・パイソンのJ・クリース)が登場したりする趣向も。さて、ボンドガールはどうか。今回はエレクトラなる富豪の娘役でソフィー・マルソー(英語ふうのセリフ回しも独特)と、核管理の女博士クリスマス役で『ワイルドシングス』のデニス・リチャーズ。マルソーは背中まるだしのベッド全裸シーン少々、リチャーズはTシャツごしの巨乳がスゴい迫力。ふたりとも名前に意味を持たせてある。

エレクトラは父親を愛する「エレクトラ・コンプレックス」からの転用のようで、物語展開の愛憎と符号する感じ。またクリスマス(以前、僕の英語の先生がそういう名で、本当にあるんだよ)は最後のオチに使われている。男を寄せ付けないタイプのクリスマスが007とセックスするお決まりのエンデング。そこで007が「クリスマスは年に1度来る(COME)ものだとおもったけど」。これはcomeとセックスのイクとひっかけた艶笑ジョーク。実はクリスマスは感度良好でイケイケの女だったというわけだ。
YAZAKI★☆(00/01/19 イマジカ第一試写室)

ミシェル・ヨーが頼もしいボンドの右腕を演じ、バディ・ムービーの面白さを醸し出した前作に比べると、格段に見劣りがする出来ばえ。けっこう早い時期にプリントが来ていたにもかかわらず、配給のUIPが広告がらみの媒体にしか試写を行わず、完成披露もパスして、我々には公開直前の時期にイマジカで見せるというテを使ったのも、ゲンブツを見るとなんとなくうなづけます。要は、「シリーズ中最高のヒット作」という話題だけで売りたいってところか。宣伝部の苦労がしのばれます。

最大の敗因は、ロバート・カーライル演じる悪役の迫力のなさ。元KGBのテロリストという肩書きを持つ彼は、頭にとどまった銃弾のせいで痛みをはじめとする感覚を失い、ジワジワと死に向っているという特異なキャラ。『ブレードランナー』のレプリカントにも似た哀愁の入った悪役なのだが、これがワーキング・クラス映画で光るカーライルが演じると、ただのチンピラにしか見えない。ま、007シリーズらしい「世界征服を狙うゴージャスな悪役」は、カーライルの黒幕として登場するわけだけど、このふたりがどこでつながったかというオチがきわめてチンプで、私は、マジで笑っちまったです。

で、この「きわめてチンプなオチ」を知ってからでないと、冒頭の5000万ドルにまつわるエピソードがまったく理解できない話の構造(いや、知ってからでも、私にはよくわかんなかった)。のっけから、観客に置いてけぼりをくわせるような逆伏線の張り方も、この映画の弱点のひとつだと思う。

ならば、アクションはどうかというと、テムズ河を舞台にしたボートの追っかけも、スキー場の襲撃シーンも、ショーン・コネリー&ロジャー・ムーア時代の焼き直しでしかない。キャラ、プロット、アクション・シーンのどれをとっても「付いていけない」という印象を持った私は、2時間8分、ただ画面を漫然とみつめているだけの完全なお客さん状態でありました。

でも、それなりにサービス精神はたっぷり。『恋におちたシェイクスピア』で晴れてオスカー女優になったM役のジュディ・デンチには、人質になるという見せ場を持たせているし、小道具担当のQの後継者Rとして、ジョン・クリースが新レギュラーに加わるお楽しみもあったり。なんか、イギリス映画の持ち駒を全部出して来ましたという感じ。だけど、それがいちいちとってつけたように感じられちゃうってところが、この映画の悲しさでもある。ルナ・シーを起用したエンディング・テーマも含め、ソフィ・マルソー以外は、すべてがチグハグなミス・キャストに見えてしまった。

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