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試写状

スリー・キングス

THREE KINGS

1999年アメリカ 監督・脚本デイビッド・O・ラッセル 撮影ニュートン・トーマス・シーガル 出演ジョージ・クルーニー/マーク・ウォールバーグ/アイス・キューブ/スパイク・ジョーンズ ●115分 ワーナー・ブラザース映画配給 2000年4月8日より丸の内ピカデリー1ほか松竹・東急洋画系にて公開予定

湾岸戦争終結後、イラク軍の隠し持つ金塊を盗み出そうと計画した4人の米兵。だが、反フセイン派の村人と関わったことから、彼らは思いがけない戦争に巻き込まれていく。『アメリカの災難』のラッセル監督によるオフビートな戦争アクション。
●オフィシャル・サイト● http://www.three-kings.com/japan

STORY

 1991年3月、湾岸戦争の停戦が発表されたあとの多国籍軍のベースキャンプ。兵士たちの帰還準備がすすむなか、補充兵のトロイ・バーロー上級曹長(ウォールバーグ)と、部下のコンラッド・ビグ(ジョーンズ)は、捕虜にしたイラク兵が隠し持っていた一枚の地図を発見する。チーフ・エルジン二等軍曹(キューブ)も交えて地図を検討する3人。そこへやって来た特殊部隊のアーチー・ゲイツ少佐(クルーニー)は、地図を見るなり「これは、フセインがクウェートから奪った金塊の隠し場所だ」と断言。「帰国の手みやげに奪いに行こう」と、部下たちを駆り立てる。
 かくして無断でキャンプを後にした4人は、目当ての村に到着。ニセの大統領の命令書をちらつかせながら金塊を探しはじめる。そこで彼らが目にしたのは、イラク軍の制圧に苦しみ、食べ物にも事欠く生活を送る村人たちの姿だった。金塊を発見したゲイツたちは、「それを持ってとっとと消えてくれ」というイラク兵の監視のもと村を立ち去ろうとするが、「帰らないで」と叫んだ女が射殺されたことをきっかけに、イラク軍と一戦を交えることになってしまう。
 かくなる事の成り行きで、大量の金塊と同時に大量のイラク難民を抱え込むハメになったゲイツたち。軍に追われ、危ういところをイラク人の反乱軍に助けられた彼らは、難民たちをイラン国境へ逃す作戦にひと肌脱ぐことになる。

SHIMIZU ★★★(99/12/09 渋谷東急)

あちらで公開されて時から、かの有名評論家のロジャー・エバート先生が大絶賛(結果、彼は年間ベスト映画の1本に挙げている)。期待を持って見たけど、どうも僕は相当勘違いしていたことに映画の途中で気が付いたことを告白しなくちゃ。僕はてっきりこれは、アクション系のコメディと思いこんでいた。あくまでも、はみだし者の米兵たちが宝探しにでかけ、そこで戦争を適当におちょくり、最後は痛快感、爽快感モードなのでは、と想像していた。たとえば、『戦略大戦争』が『黄金』と出会うみたいなね。

ところが、いろんな意味で、この映画は予測のつかない奇妙なテイストが充満しているのだ。このユニークさは半端じゃない。すごい個性だと思うよ。この監督はインディ映画の怪作『アメリカの災難』で注目された人で、家族のドミノ倒し的なクレージーぶりは僕なんぞ、笑いながらも、あっけにとられるシュールさを感じた。このあたりの変態ぶりが、『スリー・キングス』にもよく反映されていると見た。まず、銃弾が内臓を駆けめぐる解剖学的(?)な映像には「なんじゃ、これは?」の気持ちになること請け合い。映画の体裁はメジャー映画の大作ムードなのだけど、中身はどこまでもインディ系のこだわりモードに満ちている「作家映画」であります。

冒頭、米国が戦争に勝利した、と戦争の終わりから始まる気の抜けた出だし。砂漠のキャンプにエキストラが散らばったような雑然とした雰囲気。カメラもルーズで適当に兵士を泳がせスナップしているようなお気軽さ。マーク・ウォルバーグ演じる米兵が「撃っていいかい?」とカメラに向かって言う(やや目線ははずれているが)。この時の「shooting(撃つ)」という言葉が僕には「さあ、撮影でも始めるか」という映画のスタートの合図のようにも思えた。アルトマンの戦争風刺コメディ『M★A★S★H』で拡声器をつかって、劇中劇を意識させたみたいな感覚ね。

で、彼が銃を構えて撃った先は、白旗を掲げたイラク兵で、ウォルバーグが「今回の戦争で初めて敵を撃った」と告白する。戦争の現場は、湾岸戦争。僕など湾岸戦争とくれば、CNNで放送されたバグダッドの花火ショーのような空爆の図と、ピンポイントと施設を破壊したという美しい爆破シーンしか心に残っていない。あの戦争は徹底的に情報を管理され、「戦争はクリーンだ」と思わせた最初のイメージ戦争だった、というのが僕の認識だ。が、この映画の最初の、射的屋で景品取りでもするような気軽な1発が、湾岸戦争の実態のカリカチュアとして効いているのでは、と思わせる。その点からも、この映画がとびきりの風刺の味を持っていることが推測できるってわけだ。

でも映画の本題は、結局宝探しなんだろう、と思ってみている、と。ジョージ・クルーニー演じる戦争屋的な兵隊がイラクの金塊を(地図がイラク人のケツの穴に挟まっている図も人を喰っている)、「朝飯前」ならぬ「昼飯」までにかっさらい、この度の戦争の「手みやげ」にしようというハリウッド調のノリ。が、彼らがイラクの前線に近づけば近づくほど、映画はメジャーの脳天気な快適さとは違う、ブラックでダークな味が充満していく。映画全体は『M★A★S★H』に通じるアナーキーさであるが、この映画はもっとねじれた視点で見る側を攪乱してくる。戦略家だね、この監督は。

つまり戦争という非日常のなかに、日常が亡霊のように顔を出す不思議感。たとえば、ポスターの絵柄にも使われている金の延べ棒を運ぶ「ルイ・ヴィトン」のバッグ、金の延べ棒を隠した金庫にあるCDやイラク人のキャンプの一室に山のような放置されたケイタイ電話、イラク人の兵士たちが売買しているキャデラックやベンツなどの高級車などなど。戦争のなかで、アメリカに代表される消費の残骸がごろごろでてくる感覚。戦争という非日常と米国資本主義のビジネスという日常が随所に交錯する面白さ、おかしさ。これは独特なテイストだ。

僕がおかしかったのは、ウォルバーグがイラク人の捕虜になり拷問をうけたりして監禁されるあたりのシークエンス。彼がくだんのケイタイ電話の山からひとつ手にとり、無駄とはわかっていても、いつものクセか、米国の自宅にいる妻に電話をする図。まさに非日常と日常がねじれたようなシュールなおかしさだ。もうひとつは、イラク人がウォルバーグを責めながら、「マイケル・ジャクソンはどうなってるんだ?」とマイケルの白い整形顔を引き合いにだし、「アメリカはどうなってるんだ」という非難の暗喩につかっているところ。こうゆうセンスが、いかにもこの映画のひねりの利いた面白さ(米国のワーナーの映画サイトでは、「マイケルは白くなる病気なのに、これは差別よ」とマジメに反論しているファンもいたりして、ね)。

さて、僕がこの映画で一番、意外だったのは、イラク人の「顔」がちゃんとでてくることだった。得てして、メジャーの戦争映画は敵の顔が見えないものが多い。大体は、問題はアメリカはどうだったか、という「ひとり相撲の世界」。でも、この映画はそこが違う。一見、おちゃらけモードでドンパチもあるのだけど、黄金目当ての米兵たちが最終的にとる行動はイラク人の難民をいかに救うか、という純な約束の旅。そこに世界観が広がる志の高さに、ちょっとあっけに取られ、思わぬ価千金の無償の行為に涙もチョチョぎれるSHIMIZUめでした。キリスト教の「3賢人(スリー・キングス)」を表すタイトルと符号する所以であります。

YAZAKI ★★★(00/01/14 ワーナー・ブラザース映画試写室)

スカッド・ミサイルが主役だった湾岸戦争。砂漠のベース・キャンプに送られた陸戦の兵士たちは、戦ったという実感もないまま停戦の日を迎えた。そんな彼らが、イケイケモードでお宝探しの冒険に出たことから「終わったはずの戦争」に巻きこまれてしまう模様を、超辛口のスパイスを効かせて描いた戦争アクションの登場であります。

マーク・ウォールバーグ扮するトロイが砂漠の彼方にいるイラク兵を撃ち、「湾岸戦争で初めて銃で撃たれた死体を見た」と、仲間が記念写真を撮り始める冒頭のエピソードから、オフビートなノリが全開。空の青、砂漠の砂色が目に焼き付くようにフィルムを増感して粒子アレアレになった映像も、メジャー系らしからぬたたずまいを持っています。

演出のほうも一筋縄ではいかない。人間に当たった銃弾がどうなるかを、人体解剖的な映像で見せるシーンがあったりしてね。ま、そういうところに、多少奇をてらった感じがしなくもないけど、「オレ流の『M★A★S★H』を作ってやる!」というラッセル監督の意気込みは、十分に買いであります。

映画の面白さの決め手になっているのは、泥棒に行ったつもりが、期せずしてイラク軍VS反体制グループの戦いに巻きこまれてしまう米兵たちのシュールな状況と呼応するように、砂漠の戦争には似つかわしくない場違いな小道具が、全編に散りばめられているところ。たとえば、金塊運びに利用されるルイ・ヴィトンのバッグ。これを手にしたイラク難民たちが、砂漠をゾロゾロと行進するシーンは、もうなんとも言えないおかしさ。また、イラク軍の捕虜になったトロイが、携帯電話の倉庫に閉じ込められ、そのひとつを使ってアメリカの妻に「救出頼む」の連絡を取る場面なんかも、おおいに笑える。

先にあげた砂漠の行進シーンでは、難民グループを先導する米兵たちが「十戒」のモーゼを思わせる見せ方になっていて、最初はただの「グリードな人」だったゲイツたちが、次第に聖人と化していく構図を、それとなく物語っていく演出もうまい。

さて、そんなこんなのドラマのなかに浮かび上がってくるテーマが何かといえば、それは「アメリカの傲慢さ」。フセインは悪いヤツだ、アイツを倒せば君たち自由になる、さあ一緒に戦おう。そんな調子で、イラクの一般市民を煽りに煽ったアメリカ。その言葉を信じたイラク人たちは、「打倒フセイン」の拳をふりあげるが、ふと気がつくとフセインはちっとも倒れないまま停戦合意がなされてしまい、結果、拳をふりあげた人たちは虐殺の憂き目をたどる。そうした苛酷な運命を他国の人間に強いておきながら、中途半端に手を引くアメリカのやり方はどこかおかしいんじゃないの? 戦いに火をつけた者としての責任はどうしちゃったの? と。そんな疑問が、この映画を通じて投げかけられている次第。

以前から、アメリカは世界の警察官モードに反感を抱いていた私としては、「まったくもってそのとおり」と、スクリーンに向かって拍手を送りったくなった。と同時に、反フセイン派のイラク国民の窮状を初めて知って、「湾岸戦争の戦後」に対する思いを新たにさせられもした。一見、お軽い戦争アクション・コメディに見えて、アメリカの罪作りな体質にきちんと風刺の目を向けているこの映画は、当のアメリカ人にとっては、かなり「痛く」感じられるタイプの作品だと思うよ。もっとも、ブッシュの息子が大統領になりかけている現状では、「だから何?」って見方をされてしまうのかもしれないけど。

もうひとつ、注目ポイントとしてあげておきたいのは、『ビーイング・ジョン・マルコヴィッチ』でスーパーすごい監督の座に躍り出たスパイク・ジョーンズが、トロイにベッタリのコンラッド上等兵役で出演していること。ソフィア・コッポラ夫になった彼は、普通に役者でございと言っても通用するハンサム野郎たっだのね。

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