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スリーピー・ホロウSLEEPY HOLLOW 1999年アメリカ 監督ティム・バートン 脚本アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー 撮影エマニュエル・ルベツキー 出演ジョニー・デップ/クリスティーナ・リッチ/ミランダ・リチャードソン/マイケル・カンボン ●106分 日本ヘラルド映画配給 2000年2月下旬より日劇ほか東宝洋画系にて公開予定 ワシントン・アーヴィングの「スリーピー・ホロウの伝説」を、ティム・バートンが映画化したファンタジー・ホラー。18世紀末NY郊外の村を舞台に、首なし連続殺人事件の解明に挑む捜査官の活躍を描く。 |
STORY1799年のニューヨーク。イカボッド・クレーン(デップ)は、科学的な捜査をモットーにする変わり者の捜査官。郊外の村スリーピー・ホロウで起きた「首なし連続殺人事件」をまかされた彼は、地元の名士ヴァン・タッセル(カンボン)の屋敷に下宿し、さっそく捜査を開始する。「犯人は、首をハネられて埋められた伝説の騎士の亡霊だ」という村の人々の話を、一笑に付すクレーン。しかし、自ら亡霊の姿を見た彼は、ヴァン・タッセルの娘カトリーナ(リッチ)の協力を得て、騎士のねぐらをあばきに行く。その森でみつかったのは、無数の首、そして、首だけがない騎士の骨。 「自分の首がみつかるまで、騎士は人の首を狩り続ける」――そう推理したクレーンは、騎士の首を隠し、事件を影で操る黒幕の存在をかぎつけるのだが……。 |
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SHIMIZU ★★☆(00/01/13 ヘラルド映画試写室) 大人子供のピーウィー・ハーマンにはじまり、ビートルジュースの一連のおばけ、はたまた道化のジョーカー、世界一最低映画のエド・ウッド。極めつけは『シザーハンズ』。と、ま、よくぞ、この男は、と思うほど、「異形」のものに対する偏愛を「個性」にしてきたティム・バートン。彼の最新作は、さすがバートン、でもちょっと違うバートン、「陰」と「陽」によって織りなされるゴシック・ホラーの世界となりました。まず、僕は彼の映像ルックの素晴らしさに文句なくダウン。一枚一枚の「絵」は、靄のかかった謎めいた世界がどこまでも続くのか、と思う未曾有の「絵本」です。その底なしのファンタジーに身を委ねれば、「悪夢」もまた、輝きの対象になる。バートン・ワールドの予感が十二分に感じれ、心ときめくのです。最近発表されたオスカーでも、撮影賞候補になったのは当然。bleakでdeepなルックなのですよ。 冒頭、血のような赤い赤い滴り。僕は「血だ!」と心で叫びました。が、これは昔、書簡の封印につかったロウソクの「赤」なのでした。でも、「血」の予測を感じされる出だし。案の定、馬車に乗り書簡を運ぶ男(『エド・ウッド』のM・ランドー)が恐怖の助走となります。「あれ?」と思った瞬間、御者の「首」はハネられ、男もコーン畑に逃げ込み(そこに『ナイトメアー・ビフォー・クリスマス』のようなハロウイン・カボチャのかかし)、首をはねられます。この村、スリーピー・ホロウでは、漆黒の馬デアデビルのいななきと共に、「首なしの騎士」が現れ、村人の首をちょん切っていく。そのanecdote(逸話)を前フリに、バートン得意のダークサイド・ファンタジーに突入です。首なし死体が、この映画のメインビジュアルで、「首」のないのは自分がないのと同じ。つまり、うがった言い方だけど、これは「首」というイメージから始まる、アイデンティー探しの寓話なのでしょうか。そんな思いで見始めました。 時代は1799年。主人公はNY市警の捜査官クレイン(この名はヒッチの『サイコ』のジャネット・リーの役名と同じ。鶴の意味だけど、ここでは関係ないか?)。クレインは裁判で「未熟」な自分をさらけだし、裁判官が彼をスリーピー・ホロウの事件に遣わし、「修行してこい!」という出だし。裁判官を演じるのはハマープロで一時代を築いた吸血鬼俳優クリストファー・リーで、この映画全体のテイストは明らかにハマープロへのオマージュになっています。クレインは独自の「鑑識」の腕を持つ。最近の映画でいえば『ボーン・コレクター』の科学捜査の権威、デンゼル・ワシントン演じるライムの昔版というキャラだ。彼が持ち歩く道具も、バートンならではの、ま、クローネンバーグも喜びそう、と思わせる代物。片目が望遠鏡のようになった鑑識用のめがねからして遊び心満点です。嬉しい。 さて、ここで不満を述べるなら、クラインのキャラ設定が中途半端に見えていくのです。彼は子供のころ、母親が「魔女狩り」のように、アイアン・メイデンの拷問道具にかかって殺された姿を目の当たりにした。手にはその時の痕跡の「傷」で、トラウマを抱えた陰なキャラ。クライン自身がこの事件で、そのトラウマから解放される、という目論みを感じさせるフリなのです。この部分を拡大すれば、まさしくバートン・ワールドを敷衍しながらも、新たな狂おしいゴシックロマンの世界が開けたかも。しかし、結論を言えば、この前フリは後半の物語と遊離し、なにもワークしていかない、というのが僕の意見。「陰」の部分をふりながら、後半は「陽」。明るくヒョウキンなクレインの「探偵ぶり」で、犯人を求め、お話の先を急ぐだけ、と見えました。なにか、妖しい世界の入口からはいり、心ときめいたのに、いつの間にか、底のわれたビックリハウスに出たといってほうがいいかもしれません。 かといって、「首なし騎士がすすりなく」という感じの横溝正史ばりの妖しい意匠はそれなりの面白さ。ある莫大な遺産をめぐる虚々実々の人間関係がうごめき、怪しい村の実力者たちが思惑を秘めて登場しては「首なしの死体」と化していく。実力者の娘カトリーナ(豊満なバストも蠱惑的な、子豚のクリスティーナ・リッチ)が一枚かんでいるような、ないような。物語はクレインの、カトリーナに対する愛情を含め、自分のポジションの危うさを感じながらの捜査となっていきます。 はっきり言って、終盤はwhodunit(犯人は誰だ)モードで、クレインは若きポアロか、ホームズか。僕は犯人がわかっても「だから、なんなの?」という冷ややかな感じでした。だって、ここでは犯人当てがそれほど大切なことなのことなのかな。そもそも原作は有名な19世紀の作家ワシントン・アーヴィングの古典的ホラーで、アメリカン・ホラーの「偉大なるシンボル」とはバートンの弁。それがなんぼのものかはしらないけど、「首なし騎士」が「八つ墓村」みたいな怨念だけの理屈ぬきのキャラなら、その狂おしさ、切なさこそが語られるべきじゃないか。 首なし騎士は妖気漂う、クリストファー・ウォーケン(英語でいうならTour de Forceだね)。一度、ウォーケンにインタビューしたときの、口を半開きにした壊れた笑いが、いまもよみがえります。「僕はmonk(僧侶)の生まれ変わりなんだよ。ヒヒヒッ」なんぞと言いながら悦にいっていたけど。 バートン映画は「切なさ」が命と決め込むのも、バートンに対する僕の限りない偏愛なのかもしれません。『シザーハンズ』でハサミの手を持つ異形の青年が「Hold Me」というウィノナちゃんに「I can't」と言った切なさを思うとき、この映画の「異形」は様子よく、首を獲得して去っていく騎士のハッピーエンドでチョンとなる寂しさ。本当、こんな幸せでいいの、とバートンに問いたい感じ。やはり、ジョニー・デップはバートン映画でステロタイプしたキャラとして見てしまうため、デップはもっと切なくしなくちゃ、と思う次第。この役はバートン色に染まっていない俳優が演じたほうがよかったのでは、と思うSHIMIZUめなのでした。文句はあれころ言ったけど、でも、見て損はないよ。追記:yazakiの最後の疑問。字幕では「新世紀」だったかもしれないけど、英語では「ミレニアム」とちゃんと言っていますよ。参考までに。 |
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YAZAKI ★★☆(00/01/19 ヘラルド映画試写室) ティム・バートン好みのナイトメア・ワールドのオモチャ箱をひっくりかえしたみたいな作品。ヒロイック・ファンタジーからハマー・プロのモンスター映画、西部劇、B級SFまで、いろんな要素がテンコモリに詰まってます。自分の首を探し続けてこの世をさまようホースマン(首なし騎士)の描写には、バートン独特の「異形のもの」に寄せる偏愛も感じられるし。ま、ファンにとっては、たまらない一作となることでしょう。 それほどのバートン・ファンじゃない私にとって、おもしろいと感じられた点は、3つ。ひとつは、ジョニー・デップが演じるイカボッドのキャラ。ディズニーのアニメにもなっている原作のイカボッドは、確か教師だったはず。それが、ここでは、時代を先走っている捜査官に書き改められています。死体の解剖も、ろくな調査もせずに原始的な裁判で事件を解決してしまう警察のやり方に、疑問と怒りを抱いているイカボッド。かねがね科学的な捜査を主張する彼が、亡霊を犯人とする怪奇な連続殺人を理論的に解明しようとするところは、「オフビートな18世紀の『Xファイル』」っぽいノリ。顕微鏡付きメガネみたいなヘンテコな道具で死体を検分するところなど、浮世離れした役柄に才能を発揮するデップのトボけた味が笑わせます(ただし、悪夢となって再現される母親がらみのトラウマ描写はいただけない。このエピソードは、まったくの無用の長物に思えた)。 第2のポイントは、グロさとスピード感が合体したアクション演出。「死人の木」の根元から怒涛の勢いで飛び出して来たホースマンと、イカボッドが最初に一戦を交える場面。そして、ホースマンが「死んでも死なないターミネーター」と化すクライマックスの、風車と馬車を使った西部劇ふうの追っかけは、バートン流の職人ワザが文句なしに楽しめます。 3番目の魅力は、愛と勇気のヒロインに扮したクリスティーナ・リッチの好演ぶり。今回、ブロンドで登場する彼女は、珍しく不機嫌顔を見せない正統派の役作り。それでいて、堂々たる存在感を発揮しているところは、もはや大女優の風格です。 基本的には娯楽とムード作りに徹した映画で、読み解きの妙味は私には感じられなかったけど、たまにはこういうロジャー・コーマンのりの映画もええんでないかい? ただし、疑問がひとつ。ラストシーンで、カトリーナを連れてNYに戻ったイカボッドのセリフに「新世紀(の幕開け)に間に合った」ってのがあるんだけど、「1800年」って、まだ18世紀なんじゃないの? |