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UIP提供白黒写真

写真提供:UIP (c)PARAMOUNT PICTURES All Rights Reserved.

シビル・アクション

A CIVIL ACTION

1998年アメリカ 監督・脚本スティーブン・ザイリアン 撮影コンラッド・L・ホール 出演ジョン・トラボルタ/ロバート・デュバル/トニー・シャルーブ/ウィリアム・H・メイシー ●115分 UIP配給 2000年2月5日よりシャンテ・シネにて公開予定

実際の公害訴訟を題材にしたノンフィクションの映画化。示談金目当てで訴訟を起こした弁護士が、破産の危機にさらされながら真実の追求にめざめていく過程を、『ボビー・フィッシャーを探して』のスティーブン・ザイリアン監督がスリリングに描く。被告側弁護士に扮したロバート・デュバルが、オスカーの助演賞にノミネートされた。


STORY

 ジャン・シュリクトマン(トラボルタ)は、ボストンに事務所をかまえる対人損害事件専門の弁護士。「結婚したい独身男性」に名前をあげられるほどの富と名声を手中にした彼だったが、生放送のラジオ番組に出演中にかかってきた1本の電話によって、その後の彼の運命は大きく変わることになる。
 電話の主は主婦のアン。彼女の住む郊外のウォバーンでは、15年間に8人もの子供が白血病で死んでいた。それが飲料水の汚染と関係があると疑う彼女は、シュリクトマンの事務所に何度も電話をしたのだが、告発する相手が不確かで多額の示談金をせしめるあてのないことから依頼を断られていたのだ。が、この件がラジオで公になってしまったため、シュリクトマンも調査をしないわけにはいかなくなり、とりあえずパートナーのケビン(シャルーブ)を現地に派遣した。その結果、やはり依頼を断ろうと直接アンたちに会いに行ったシュリクトマンは、川岸に2つの工場があることを発見する。ひとつは、全米最大手の化学会社W.R.グレース社の下請けをするライリー製革工場。もう一件は、ベアトリス・フーズだった。これで一気に事件が金になると踏んだシュリクトマンは、グレース社の若手弁護士チーズマンと、ベアトリス・フーズの弁護士ファッチャー(デュバル)にさっそく告発状を送り付け、事情聴取を開始する。
 2社から提示された示談金は2500万ドル。しかし、強気のシュリクトマンはこれを蹴り、訴訟は裁判に持ち込まれることになった。その間、水質検査や証人の招聘で経費がかさみ、経理担当のゴードン(メイシー)は金策に奔走する。が、老獪なファッチャーは予想以上に手強く、勝訴の目途はいっこうにたたない。シュリクトマンは、ついに破産にまで追い込まれて行くが……。

SHIMIZU ★★★(99/12/24 UIP試写室)

これは意外な拾いもの。アメリカの法廷ドラマというと、正義派弁護士が最後に泣きの弁論を展開し、勝利に導くお決まりのパターンが多いけど、この映画ほど弁護士の生活が巧みの表現されている映画も珍しい。

主人公は友人たちと小さな法律事務所を経営しているやり手の弁護士。「救急車」を追いかけてクライアントを探すような弁護士。冒頭、事故で車椅子姿になった白人のクライアントを法廷にひっぱりだし、陪審員の感情に訴えかけ、有利な示談金をせしめる。裁判のテクニックを身につけた狡猾なキャラ。演じるはトラボルタ。「彼らの痛みは僕の痛み」とラジオ出演しケロリと自己アッピールする。いまや、彼はそれなり街の名士。そんな彼がラジオの視聴者から意見をもらう。2年前に事務所で手がけ、そのままにしていた訴訟の件。それはある村の製皮工場から発がん性物質が投棄され、その遠因で地元の子供たちが死に至っているというのではないか、という現状を訴えるものだ。

住民たちは「原因を知りたい」ということ、それが本当なら「製皮工場から謝罪の言葉」を聞きたいこと、と主人公に訴えかける。問題はお金ではない、というが、お金を仕事のバロメーターとしてきた主人公は、当然のように断る。ポルシェで猛スポードで村を出ようとした主人公がスピード違反でつかまる。それをきっかけに彼は橋の上から川を見てみる。川に降りでくだんの工場を見てみる。煙突からは黒々した煙がでている。製皮会社のクルマに「ベアトリス食品」という大企業の名を見つける。「神の導きだ」。彼の金に対する嗅覚が働き、彼はもっとも難儀な「民事訴訟(原題)」に手を染めることとなる。スピード違反のエピソードをユモラスに織り込みながら、実にテンポのいい演出。

軽快なトラボルタの好敵手として登場するのが、百戦錬磨の老練弁護士フレッチャー。演じるがロバート・デュバル。彼のキャラがまたユニークだ。書類の山の隅っこで隠れるようにデスクを置いている、窓際の管理職のような風情。ボストン・レッドソックスのファンで、昼休みに中継を聞くのがなによりの楽しみ。実はこのおじさんがハーバードで講座を持つ教授にして、大企業が困った時にお出ましになる御用達の弁護士なのだ。彼の仕事はとにかく、ベアトリス食品を守ることだが、彼のスタンスが独特。いかにも悪役という感じの、旧来型の大企業専属弁護士キャラのとはひと味もふた味も違う。法曹界の職人というスタンスで、飄々とした味がある。

「訴訟は戦争だ」というセリフもあるが、ここでのトラボルタとデュバルとの攻防は、まるでチェスのコマを進めるプレイヤー同士のクールな対戦のよう。腹を探り合うインタープレイの面白さだ。同時に、彼らの周りにいる人間模様も、映画のコマとしてワークしていく。大企業側の弁護士のチーズマンなる人物が、その中間で一番カリカチュアされた愚かな将校といった感じなのも面白い。たとえば「訴訟」の場合の対策として、やたらに民事訴訟を増やさないための「規則11条」を持ち出し、あっさり裁判官に却下される図も笑ってしまう。その手の裁判での、相手の弱点をつくための手口が物語の起伏を生んでいく作劇はそれなりに面白く、あちらの法曹界事情を知らなくても楽しめる。

僕が一番興味深かったのは「民事訴訟」が勝利なき未曾有の闘いという点。お金で方がつくことが勝利なら、それは得られるが「謝罪」という最も人間の本質にかかわるコトは、法廷ではなじまないということ。それを求めれば求めるほど、戦争は泥沼化し、ヒーローは不毛の闘いのなかで疲弊していく。そのアンビバレンツな様相をこの映画は楽しみながら、じわじわとわからせてくれるのです。なかでも、トラボルタの事務所で会計を担当するウィリアム・H・メイシー(『ファーゴ』の)が、事務所の出費を補填するため、資金あつめに奔走する姿は、いままでの映画に出てこなかったキャラ。宝クジでもいい、とにかく金になれば、なんでもやるという涙ぐましい彼の姿が可笑しいやら、哀しいやら。トラボルタが「示談」を拒絶して闘えば闘うほど、「聖戦」はみじめな現実と向かいあわなくちゃいけない。

終盤、裁判の判決を待つトラボルタとデュバルの図。「真実が勝つ」と信じるトラボルタ。真実らしきものがあればラッキーだ」と応じるデュバルが「法廷に正義があるか賭けよう」と20ドルを差し出すあたりは、デュバルの狡猾で、現実を直視した策士の顔が覗く瞬間。この芝居がかったシークエンスがなかなかの緊張感を醸し出す。物語は法廷の判決だけで終わらないのが、またいいところ。事件の謎をたぐるよせたトラボルタの執念によって、環境局が介入し、新たな「控訴」の道が開かれる展開。いち弁護士の手を離れ、なだらかに「民事訴訟」は、違う次元に救い上げられる。無私の行為によって、正義がまっとうされる結末も正義派法廷ドラマにない心地よさ。

YAZAKI ★★★☆(99/12/24 UIP試写室)

冒頭の法廷場面。原告の車椅子を押しながら法廷に入ってきた弁護士のトラちゃんが、あれこれ原告の世話を焼く姿を見て、被告側の弁護士が「1.2M(120万ドル)」と、示談金の額をメモ書きにして見せる。が、トラちゃんは無視して、原告の哀れな姿を陪審員に見せ付ける。「1.5M」と、被告側。「まだまだ」と、トラちゃん。陪審員の女が原告に同情して泣き出す。たまらず、被告側は「2M、プリーズ」と提示。そこでようやくトラちゃんは、「示談が成立しました」と、裁判長に宣言する。

「示談金をいかにたくさんふんだくれるか?」で勝負が決まる対人損害事件の裁判の在り方、そして、トラちゃん演じる主人公の強引にして超強気なキャラクターを、一発でわからせるウマい導入部です。この映画、一事が万事この調子で、とにかく語りに無駄がない。実際は9年におよんだ公害訴訟の流れをコンパクトにまとめ、原告と被告双方の弁護士の駆け引きを、実にスリリングなエンターテインメントとして見せてくれます。

並みの裁判映画との大きな違いは、「どういう評決が出るか?」という点よりも、「気がついたら破産していた」ってところまで行ってしまう原告側弁護士の生きざまに、ポイントが置かれている点。それも、単に彼が「正義に目覚める」というのではなく、闘争本能に突き動かされながら交渉と裁判をすすめていくうち、いつのまにか人生のレールがとんでもない方向に切り替わっていた……となるところが、最高に面白いのです。

「こいつは金になる」と踏んで、2つの大企業を相手どった公害訴訟の告発役を引き受けることにしたシュリクトマン。「愚かな者だけが裁判に固執する」を持論にしていながら、彼は、最初の示談交渉の席で合計3億2千万の金を被告側弁護士に要求。事を裁判に持ち込んでしまう。そのココロは、ともかく大金をふっかけて相手の出方を見ようというハッタリの気持が50%、この相手なら裁判に持ち込んでも勝てると思う自信が30%、デカい裁判で全国的に名をあげてやろうという虚栄心が15%、そして、子供を失った原告の親たちに対する同情が5%といったところ。が、それはとんでもない誤算で、ロバート・デュバル演じる化学会社の弁護士ファッチャーは、シュリクトマンのハッタリをまるで相手にせず、裁判でも原告側の親たちに証言させない狡猾な手を使い、「勝てる」というシュリクトマンの思惑をどんどん打ち砕いていきます。

その間、シュリクトマンの事務所は嵩む経費で火の車になり、台所を預かるゴードン(ウィリアム・H・メイシー)は、借金地獄で気も狂わんばかりにまで追いつめられていく。家を抵当に入れ、クレジットカードで借りられるだけ借りまくり、ヤケになって宝クジを買い込む。しまいには、事務所の家具も机も全部とられてしまい、床の上に電話しかない身ぐるみはがれた状態に。

それでもなお、「まだ闘える」と主張するシュリクトマン。周囲の状況がまるで見えなくなってしまうほど、「真実の証明」という勝負にアツくなってしまった彼は、評決を前にファッチャーの提示してきた示談金を断り、もう一社の社長(シドニー・ポラック)が申し出た800万ドルの和解金も蹴ってしまう。それはちょうど、降りられないジェットコースターに乗ってしまったような感じ。あるいは、スッテンテンになるまで賭けからぬけられなくなってしまったギャンブラーにも似ている。「ここで折れたら男がすたる」という虚栄心の入り交じった意地、そして、自分への過信と、真実を究めることに対して芽生えたオブセッションに突き動かされるようにして、シュリクトマンは闘い続ける道を選び、その結果、ゴードンをはじめとする仲間を失い、財産を失い、成功者の地位も失うことになるのです。

ふと気がつけば、自分に着いてくる人間は誰もいない。あれほどうなっていた金もなくなっている。この訴訟に関わったばかりに、それまでの人生で築き上げてきたものすべてを、シュリクトマンはなくしてしまいます。果たして、この訴訟には、それほどの価値があったのか? すべてをなくした代わりに、彼が得たものは何だったのか? 映画を見た人間は、誰もがそう思わずにはいられないでしょう。

以上の疑問に対する答えを、シュリクトマンは、控訴を依頼する弁護士への手紙に記します。手紙のなかで、彼は、「成功と失敗をドルに換算するなら、自分は完膚なきまでに失敗した」と、はっきり負けを認める。つまり、彼は、自分がいかに非力な人間であるか、いかにちっぽけな存在であるかということを、この訴訟を通じて学んだのです。

ここでシュリクトマンが発見する「真実」とは、「何が公害の元凶か?」という訴訟にからんだものではなく、「自分自身の真の姿」である、と。そういう厚みのある普遍的なオチに持ち込んでいったところが、この映画のアッパレな点。すなわち、ここに描かれているのは、「金儲けしか頭になかった弁護士が、人助けを第一に考える良心的な弁護士に生まれ変わる話」ではなく、「己のパワーを過信している尊大な人間が、自分の卑小さを思い知らされ、別の価値観に根差した新しい人生の第一歩を踏み出す話」なわけです。そんなふうに、人間のオゴリというものに深く鋭く切りこんでいった点が、私がこの映画を気にいった第一のポイントでもあります。シュリクトマンのオゴリは、環境を破壊する人間のオゴリとも巧妙にダブって見える仕掛けで、こういう視点の定め方も、実にウマイと思う。

主演のトラボルタをはじめ、タヌキおやじという言葉がピッタリのキャラを快演するデュバル、哀れを誘う金策の場面で名コメディ・リリーフぶりを見せるメイシーなど、カリカチュアの匙加減が絶妙な俳優たちの演技も見ごたえたっぷり。とくに、裁判所の廊下で評決を待つデュバルが、トラちゃんに向かって20ドル札を差し出し、「これにゼロ6個つけたらどうだ?」と、示談を持ち出す場面の両者の対決は、ものすごくスリリングです。

ラストには、トラちゃん主演の『パーフェクト・カップル』で掃除人役を怪演したキャシー・ベイツが、カメオ出演するお楽しみも。

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