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試写状

マグノリア

MAGNOLIA

1999年アメリカ 監督・脚本ポール・トーマス・アンダーソン 撮影ロバート・エルスウィット 出演トム・クルーズ/ジェイソン・ロバーツ/ジュリアン・ムーア ●187分 日本ヘラルド映画配給 2000年2月26日より丸の内ルーブルほか松竹・東急洋画系にて公開予定

『ブギーナイツ』のポール・トーマス・アンダーソン監督によるヒューマンなアンサンブル・ドラマ。トム・クルーズがGG賞の助演男優賞を受賞。
●オフィシャル・サイト●http://www.magnoliamovie.com

STORY

 LA郊外のサンフェルナンド・バレー。死の床にあるTVのクイズ番組プロデューサー、アール(ロバーツ)は、妻子を捨てた過去を悔やみ、看護人のフィル(フィリップ・シーモア・ホフマン)に「息子を探してくれ」と頼む。その息子フランク(クルーズ)は、「誘惑してねじ込め」というナンパのマニュアル本で絶大な人気を誇るセックス哲学のカリスマ。生い立ちを隠して生きる彼だったが、TVのインタビューをきっかけに、彼は自分の過去と向き合わざるをえなくなる。いっぽう、現在のアールの妻リンダ(ムーア)も、夫を裏切って情事に溺れた自分を悔やんでいた。財産目当てでアールと結婚した彼女は、いまになって、自分が夫を本当に愛していることに気づいたのだ。
 アールの製作するクイズ番組の司会者ジミー(フィリップ・ベイカー・ホール)は、ガンで命の期限を宣告されている。娘クローディア(メローラ・ウォルターズ)との関係修復をはかろうとする彼だが、父に憎悪を燃やすクローディアは、訪ねて来たジミーを頭からはねつける。鬱屈した気分をコカインでまぎらわせるクローディア。その彼女のかける音楽がうるさいという近所の通報を受け、クローディア宅にやって来る警官のジム(ジョン・C・ライリー)。この出会いに孤独を抜け出すチャンスを見出した彼は、勇気をふりしぼって彼女をデートに誘う。
 そのころ、スタジオでは、ジミーの司会でクイズ番組の放映が進行中だった。オトナが子供に挑戦するスタイルのクイズでは、目下、天才少年スタンリー(ジェレミー・ブラックマン)の活躍で子供チームが快勝中だった。が、トイレに行きたいという欲求がかなえられないスタンリーは、周囲の期待を裏切り、集中力をなくしていく。その番組がぼんやりと映るバーで、やけ酒をあおるドニー(ウィリアム・H・メイシー)。かつて同じクイズ番組で天才少年ぶりを発揮した彼も、いまや失業の憂き目にあった哀れな中年男だった。なじみのバーのバーテンに惚れている彼は、バーテンと同じになろうと、必要もない歯の矯正をしようとしているところ。だが、職を失ったいま、彼には治療費を捻出できるあてがない。
 それぞれに憎しみ、孤独、自己嫌悪、プレッシャーを抱え、混乱の渦中に突き落とされる人々。やがて、彼らの目の前で、信じられない出来事が起こる。

SHIMIZU ★★☆(00/01/24 渋谷パンテオン)

3時間少々の上映時間。正直、疲れたました。若き俊英P・T・アンダーソン監督の『ブギーナイツ』に、それなりの才能を感じていた僕としては、ちょっと若年寄トルナトーレの第2弾をみたような、嫌な思いに囚われてしまった。ひょっとして、この監督は野心満々に現代版『イントレランス』を試みているのか、という思いであります。

といいつつ、この映画の「前提」となる3題話が異常に面白い。「偶然の出来事」が起こす、奇蹟のようなドラマ。まず、のちに絞首刑になる運命の3人の男が事件を起こす。ロンドンのとある場所。事件を犯した3人組の名がその場所と符号する不思議。とくにビルの屋上から投身自殺を図った青年の話がおかしい。彼が落下の途中、夫婦喧嘩のとばっちりを受け、銃弾が彼を撃ちに抜いたという偶然。本来なら、階下に張った網によって彼は生きていたのに、その銃弾が命中したため、自殺が他殺になった。しかも、その「犯人」である夫婦は彼の両親だった。さらにさらにその銃弾を込めたのが息子とわかり偶然が必然にかわる不思議。世の中には、あるんだよ、こんな偶然が。なんて、ね。

この一連の前提を、目まぐるしいスピードで描きだす。一体、話はどこに向かうか。興味津々。さて、ニールソンの名曲「ワン」(フルコーラスで)によって、この映画の登場人物全員が「顔見せ」され、ひと括りされる。どうだ、俺のテンポとスピードに参ったか、とでも言いたげな豪腕演出だ。とにかく、前半は安手の状況説明的BGMとズームイン。これでもか、これでもかの拷問のような、せわしなさ。ふと、僕の頭をよぎったのは、こりゃ「テレビ」だ。アメリカでテレビ番組を見た人なら、おわかりの通り、TV番組はスピードとテンポが勝負。瞬時に価値判断を求め、小賢しさを競おうという脅迫観念にも似た世界。これに比べたら、日本人のテンポなど、止まっているのに等しい。

この映画は「テレビのスピード」によって形つくられた「現代」であります。我が自説があながち的はずれだと思わないのは、物語の背景が最もアメリカを考察する「穴」ともいうべき「クイズ番組」を軸に展開すること。いくつかの登場人物はクイズ番組に人生を賭けたり、振り回された人物。そこから人間の万華鏡を描きだそうとするわけです。まず、主な人の事情を断片的なエピソードから垣間見る、と。

まず、死期が迫った長寿クイズ番組のプロデューサー。彼はかつて無碍に捨てた妻と子への後悔の念に苦しんでいる。死ぬ前に、せめても我が子にその思いを伝えたい。神経症的な、その若妻は死に行く老夫への過去の裏切り(それは何人もの男と寝たという不貞の履歴)を思い、悔恨の情に苛まれている。その息子ジャックはいま、「誘惑してねじこむ」(seduce&destroy)なる著書をテレビ通販で売る、性の伝道者。演じるはトム・クルーズで、この役は役者冥利につきる、笑いから泣きまで用意された変幻自在の賞ねらいのキャラ(恐らく、クルーズはこれでオスカーの候補は確実)。その息子を探そうとあれこれ電話をかけまくる善意の看護士がひとり。そのクイズ番組の老司会者はガンで余命わずかとわかり、家出した愛娘との過去の忌まわしい記憶を清算したいと彼女に会いにいく。その娘はドラッグ三昧で、孤独にうちふるえている。久しぶりに訪れた父もただただ嫌悪する存在でしかない。そんな彼女のもとに、独身のむくつけき警官が訪れる。彼は日に1度、「いいことをする」ことに生き甲斐を見いだしている。彼なりに事件をつきとめ、それなりの充実した日々。が、彼に足りないもの、それは愛。その愛がくだんの娘との出会いから生まれる。

クイズ番組からはたくさんの「勝者」と「敗者」が生まれる。サバイバルレースの権化のようなアメリカ社会の、ひな型がそこにある。このあたりの「クイズ番組」の援用は実に狡猾で巧みです。過去の「クイズの天才少年」と謳われ、いまはスーパーの会計係におちぶれた中年男がひとり。彼の問題はお金を手にして「歯のブリッジ」をすること、それは行きつけのゲイバーのバーテンダーへの愛の証し、と信じている可笑しさ。一方、現在のクイズ番組に登場する「天才少年」の問題は、おしっこを自由に出来るような「普通の子供」として扱ってもらうこと。その対比の妙も作劇的には確かに面白い。

さてさて、お立ち会い。これらの人々がそれぞれ「偶然の世界」を描くためのピースとして使われていく。お話の妙味は人間ジグゾー、その1点にあるのです。物語はたった1日の出来事。当然、ここまでやられると、タランティーノ的な偶然が織りなす小世界を想起。いや、これはアルトマン的な人間モザイクを狙った作劇では、と思いました。それにしてはひとつひとつのエピソードが、なにか演者だけが気持いいだけのディテールで、見ているほうは「???」と思う情感嫋々の展開。シーモアの「涙」にあきれ、J・ムーアの狂乱にあきれ。

「あきれちゃった!」の留めは登場人物全員が唱和しゅちゃう人生ミュージカルの、胡散臭い異様。少しは彼らの仲間になろうとしたSHIMIZUめも、このアイデアに呆気にとられ、声なし。恐らく、監督はひとつの短い楽曲にこめられた濃密な「人生哲学」を示そうとしてのことでしょうが、それは監督の未熟さを否応なしに物語る感じ。フィノナ・アプルに参り、エイミー・マンに心酔し、とね。女性ミュージシャンの世界に感じいるのはいいけど、さ。それをテコにして描く世界が、いくら目くらましの多彩な演出をしようが浅薄で、底は見えてしまう。青すぎるんじゃない? が、それを気どられまいとする、あざとい野心がウザイのですよ。

監督はひょっとして凄い宗教の人ではないか。そうでなければ、こんな「奇蹟」を噛んで含めるように言わないし(結果、前提は単なる最後のオチへのエクスキューズになったというセコさ)、警官が呪文のように、わざわざ「許し」の境界が難しいなんてことは言わないよ。しかも、この映画のテーマらしきものは「過去を捨てようとして、過去は追いついてくる」なる、因果応報の世界。こりゃ、仏教も入っているのか。最後の「偶然の出来事」はネタばらしになるから言わない(それほどのインパクトを僕は感じなかったけど)。でも、これってアルトマンの『ショート・カッツ』における大地震のメタファーに遙かに及ばない。J・バダム監督の『ブルー・サンダー』におけるチキン乱舞程度の趣向。このアンビリバボーのキャラだけで、ヤワな寓話になっちゃった、というシラケた気分であります。アンダーソン監督が今後、さらにトルナトーレ化しないで地道な監督活動をして頂くことを願うのみ。ジャンジャン。

YAZAKI ★★★☆(99/12/15 ヘラルド映画試写室)

もっぱらNY専門の私は、LAには3回しか行ったことがない(それも全部仕事)。が、その3回のうち2回雨に降られたってのは、LAに行きつけている人に言わせると、「宝くじに当たるほどの確率」なんだそうな。私って、こんなところで運を使い果たしているのかしらん?

という話はさておき、『マグノリア』。LA郊外のサンフェルナンド・バレーを舞台にしたこの映画でも、中盤、「キャッツ&ドッグ」と称されるどしゃ降りの雨が降る。さらに、「猫」や「犬」よりもうちょっと小型の「あるもの」も降ってくる。それは、確率や予測、知識のおよばない出来事の象徴。と同時に、人生そのもののメタファーでもある。結局のところ、人生っていうのは、「起こりえないと思うこと」や「起こってほしくないこと」によって成り立っている。だからこそ、人間は後悔にかられ、罪の意識を抱き、他人を憎み、自分を憎む。果たして、我々はそのカルマを乗り越えていくことができるのか? というテーマを、12人の登場人物がおりなす3時間8分のドラマに仕立てあげて見せた、ごっつうボリュームのある映画です。

(1)グリーンベリーヒルという町で、グリーン&ベリー&ヒルという3人組による強盗殺人が起きた。(2)山火事が起きた森の木のてっぺんで死んだダイバーが発見され、ダイバーをひっかけてしまった消防機の男が自殺した。(3)投身自殺を試みた青年が、ビルから落下する途中、母親が夫婦喧嘩のすえに発砲した銃の弾に当たって死んだ。

前振りに用意されたのは、以上3つのエピソード。(1)は偶然の連なり、(2)は取り返しのつかないことに対して人が抱く罪悪感、(3)は子が親を憎み、親が子の人生を破壊する構図を端的に物語るもの。つまり、本編を構成するキーワードが、このプロローグを通してダイジェスト的に暗示される仕掛け。さらに、3つの逸話が醸し出すホラ話のテイストによって、次に始まるメインのドラマも「第4のホラ話」として位置づけられていきます。

その「第4のホラ話」の登場人物は、以下の12人。
(1)死の床で、昔妻子を捨てたことを激しく後悔するクイズ番組のプロデューサー、アール(ジェーソン・ロバーツ)。
(2)彼に息子探しを頼まれる看護人フィル(フィリップ・シーモア・ホフマン)。
(3)金目当てで結婚したアールを本当に愛していると気づき、いまさらどうしたらいいの? という思いにかられる妻リンダ(ジュリアン・ムーア)。
(4)過去を葬り、セックス哲学のカリスマ人生を歩んでいるアールの息子フランク(トム・クルーズ)。
(5)ガンで命の期限を宣告されたクイズ番組司会者ジミー(フィリップ・ベイカー・ホール)。
(6)ジミーの浮気に気づきながら、仮面夫婦をとりつくろってきた妻ローズ(メリンダ・ディロン)。
(7)父親に性的虐待を受けたことがトラウマになり、父への憎悪を燃やしながらドラッグ漬けの日々を送るジミーの娘クローディア(メローラ・ウォルターズ)。
(8)職務でクローディア宅を訪れ、ひと目惚れする孤独で信仰に厚い警官ジム(ジョン・C・ライリー)。
(9)ジムの捜査する事件と関わり、のちに自殺をはかったリンダの命を救うストリート・キッズのディクソン(エマニュエル・L・ジョンソン)。
(10)ジミー司会のクイズ番組で天才少年ぶりを発揮するスタンリー(ジェレミー・ブラックマン)。
(11)スタンリーの賞金をあてにして生きる売れない役者の父リック(マイケル・ボウエン)。
(12)かつてスタンリーと同様のクイズ天才少年でありながら、いまは哀れな失業者になり下がったドニー(ウィリアム・H・メイシー)。

彼らのプロフィールが一気に紹介されていくオープニング・シーンに流れるのは、ニルソンの名曲「ワン」。「1は、最も孤独なナンバー」という歌詞は、12人をつなぐ見えざる絆でもあります。彼らは一様に孤独。その孤独感の底辺をなしているのは、「誰かを愛したいのに、愛を注ぐ対象を見失っている」こと。いざ夫が死ぬ段になって、夫を愛していることに気づいたリンダしかり。テレホン・メッセージにむなしく恋人募集を吹き込み、パトロール中は相棒と会話するように神に語りかけるジムしかり。劇の後半で、年下のバーテンダーに横恋慕するドニーが、「胸には愛があふれているのに、その吐け口がない」と、ジムに激白する場面があるけれど、それはこの映画に登場する12人全員に共通するジレンマでもあるのです。

さらに、もうちょっと詳しく彼らのパーソナリティを分析するなら、12人は大きく3つのグループに分かれます。フランク、クローディア、ドニーの3人は、親に人生を狂わされた子供たちで、心に大きな憎しみの塊を抱えている。いっぽう、アール、リンダ、ジミーの3人は、過去に取り返しのつかない過ちを犯し、そのことで自分を責め続けるオトナたちです。この2グループの予備軍のポジションにあるのが、リック&スタンリーの親子。子供を食い物にするリックと、「僕はオモチャじゃない」と反旗を翻すスタンリーの関係は、フランクやドニーの傷痕が作られていったプロセスを現在進行形で物語るものになっています。

第3のグループ、すなわち12人のうちの残る4人は、アウトサイダーの立場から一歩踏み出して、2つのグループに作用を及ぼす人々。アール&フランクの親子対面を実現させるフィル、憎悪に満たされたクローディアの心を開き、犯罪に走りかけたドニーの人生に軌道修正を施すジム、夫と娘の秘密を聞き出す勇気をふりしぼるローズ、リンダの命の恩人になるディクソン。個々のエピソードに対して接着剤の役目を果たす彼らは、人生における「起こりえないこと」のポジティブな面を体現する存在でもあります。

さてと、これでカードは出そろいました。それぞれに、「孤独」と「愛したいのに愛せない」というふたつのキーワードが記された12枚のカード。これを使って、今回のアンダーソン監督は、ワン・ペア、ツー・ペア、スリー・ペアの多彩な手を作りあげていきます。そのカードさばきたるや、実に巧み。カード同士はおたがいにコンフリクトしながら感情を増幅させ、愚かな自分を憎み、他人を憎み、自身の背負いこんだ荷物の重さに耐え兼ねて、カオスのるつぼに吸い込まれていく。それを1日の出来事に集約したドラマは、さながらシンフォニーのごとく、あるときはフランク、あるときはリンダ、またあるときはスタンリー、ドニー……と、主旋律の奏者をたくみに引継ぎながら、「HELP ME」「SAVE ME」「FORGIVE ME」という心の叫びに満ちたメロディのうねりを作り上げていきます。

彼らは、それぞれが抱え持つ苦しみから解放されることができるのか? できるとしたらどうやって? 12人の運命が綾なすドラマから投げかけられる疑問には、2つの答えが用意されています。ひとつは、「死」。死は、何者にも癒しがたい苦痛から人間を解放してくれる究極の救いです。自分自身の罪を「ぜったいに許されないもの」と考えるアールや、同様の自責の念にかられるジミーにもたらされるのは、この救い。いっぽう、「死」が得られない人々には、目をそむけていたものを凝視し、自分の周囲に張り巡らせた偽りのバリケードを取り払い、裸の自分をさらけ出せという試練が与えられます。自殺しようとして死にきれないリンダを筆頭に、まだ心にある愛の吐け口を探す可能性が残されている人間たちは、生きて闘うことを強いられるのです。

その果てに得られる救いが何かといえば、それは、「自分が愛せる自分に生まれ変わること」です。登場人物たちのドロドロとした怒り、憎しみや悔恨の念が、この映画のクライマックスでは水蒸気のように立ち昇り、低気圧の塊になって、空から「あるもの」を降らせます。これが一種の浄化となり、人々は、自分をリセットする機会を与えられます。わだかまっていた感情のすべてを父にぶつけるフランク、ふて寝する父親に「僕に優しくして」と訴えかけるスタンリー、ジムとめぐりあい、クビにされた電器店から奪った金を返しに行くドニー。

そんな彼らが、「ワン」の孤独を脱し、寛容へと導かれていく終盤のドラマでは、「自分を愛し、許すことができなければ、他人を許すこともできない」というセオリーがひも解かれていきます。これを「タフなパート(難しいこと)だ」と、神に向って語りかけるジム。「いや、生きること(Walking down the street)そのものがタフなんだ」と続く言葉に、クローディアのすべてを受け入れようと決めたジムが愛を告白する情景がかぶり、3時間8分のドラマは、劇中クローディアが初めて見せる「真実の笑顔」のショットで終幕を迎えます。

「生きることは愛すること」というのは『ジョー・ブラックをよろしく』のテーマだったけど、この映画も、結局は同種のテーマを語っていると、私には思えます。ただし、「愛し、愛されるのは決して容易なことじゃない」という但し書き付きで。

この映画は、よくアルトマンの『ショートカッツ』に似ているといわれるけど、天のまなざしから人間を俯瞰する視点で描かれた『ショートカッツ』と違い、これはどこまでも人間に密着したまなざしを持った映画だと思う。「偶然」のような神がかり的なものを持ち出しながら、自分で自分を苦しめる人間の業にグッと肉迫するポイントを見失っていないところ――それが、私がこの映画をいちばん買っている点です。

もうひとつのお気に入りポイントは、よくぞこれだけの顔ぶれが揃ったと思えるキャストたちのアンサンブル。彼らのなかでは、トム・クルーズがゴールデン・グローブ賞を受賞、オスカーも有力と言われているが、私はウィリアム・H・メイシーの芝居にいちばん心を動かされました。でも、現実でも家族を捨てた父親と臨終の床で涙の対面を果たしたというトム君の、父親とのご対面シーンの熱演ぶりは、やっぱ真に迫るものがあるけどね。

『ブギーナイツ』に続き、目下いちばんのお気に入り役者フィリップ・シーモア・ホフマンと、ジョン・C・ライリーも、アンダーソン一家の名脇役の座をしっかりキープ。彼らが共演する「トゥルー・ウェスト」の舞台を見に行くのが、いまの私にとってはいちばんの楽しみなイベント。

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