そばやに憩う


そば好きと、ただの酒飲みが、杉浦日向子さんソ連、編著の「ソバ屋で憩う」に出会い、開眼。 
その後、そばやで憩う味を覚え、さらに単なる酒飲みから、酒好きに、うまい酒を意識し始めて、出会ったのが十四代
え、これが日本酒、目から鱗がパラパラと取れたような新鮮な出会いに
何度か飲むたびにうまい日本酒がくっきりと焼きつき
それまでは、酔うためのアルコールというただの酒飲みが、一皮も二皮も剥けた思い

そして、2006年11月04日の旅籠町の出会いで、さらに日本酒好きが昇華し、
「そばやに憩う・行こう」 第二幕へ
World is Flatを合言葉に、そばやに憩う・行こう!


二周目は細く長くと、Walkingで体調維持



 
     

2011年 12月17日 十二ガ岳から小野上温泉  
   渋川市の10㌔マラソンに参加する知人が前日十二ガ岳に登るという話から、一緒に参加することになり、家を6時10分に出て、渋川に9時50着。関係者4名そろい、小野上温泉経由で十二ガ岳登山口のある、林道終点の駐車場へ。そこはびっくりするほど整備された駐車場で、20台近く駐車できそうなスペースに、休憩用の東屋と簡易トイレまで揃っている。 すでに四台駐車しており、人気の山であることが分る。駐車場の標高が、770㍍、十二ガ岳の標高、1200、二時間弱のコース。登山道はしばらく林道を歩き、上越からの降雪の名残が残る杉林を抜け、見透かし台から、一寸したのぼりを二箇所越えて、十二ガ岳頂上へ。駐車場から1時間半ほどの心地よい、山登りを楽しんだ。1200㍍の頂上からは、360度の眺めで、周辺の山並みはは雪雲で見えなかったが、北は谷川から、日光連山、榛名から、浅間山、条件がよければ富士山から槍ヶ岳方面も見えるとのこと。頂上には、10人ほどが。途中で出会ったのが、10人弱と人気の山のようだ。

頂上から少し下ったところで、昼食をとり、15時過ぎに上り口の小野上温泉で一汗ながし、食堂で地酒を試したが、これははずれ。

その夜は前橋の知人宅で、エジンバラ土産の49度のスコッチを楽しみ、心地よい眠りに着いた。

翌日は、朝から釜揚げうどん他楽しみ、13時過ぎに新前橋発上野行きでワンカップを傾けながら帰宅。
 

2011年 12月03日-05日 山形 旅篭町、会津若松から水郡線  
   旅篭町の会に向けて、家を6時近くに出て、新越谷、郡山経由で山形へ。 18時からの金爛の会で、いつもの通り旨い酒を堪能。
翌日は、在来線で会津若松を目指すが、10時20分山形発米沢行きの発車間際になって、実は、その列車は米沢を風の影響で出発していないとのアナウンス。新幹線が遅れているという案内はあったが、在来線出発時点での乗客無視の案内に憮然としながら、切符を払い戻し、バスで仙台へ。iPhoneの乗り換え案内で、到着時刻に仙台発郡山行きのバスを確認、仙台駅前の一ブロックを急ぎ、バスを乗り継いだ。郡山では乗り換え時間があったので、駅構内の蕎麦屋で軽く、天玉そばを。 これは前日と同じコース。15時発の会津若松行きバスで、会津若松へ。駅前のホテルにチェックインし、この日の目的の店、「盃爛処」へ。 17時過ぎに店に入ると10人ほどのカウンターの中ほどに箸が一膳。 店の人が予約の客かと聞いたので、うなづき、着席。地元の会津蒸す会津娘「無為信」を。 ちょっと、固めの印象だがまづまず。「風が吹く」から、久保田の「粋寿」で〆たが、〆のつまみに時間がかかり、越州のおまけ付きで、19時近くまで楽しむ。 入店した直後は他の客もいなかったが、18時過ぎると予約の電話も入り始め、常連客と思える人々も入ってきて、一安心。 日曜日に営業するぐらいだから、そこそこに賑わってもらわないと、困る。つまみは、鰊の山椒つけ、厚揚げ、他数品。 次回は、新緑の頃と思いつつ店を後に。

翌日は、会津若松、7時36分発郡山行きで水郡線で水戸経由の旅に。9時18分発水戸行きは、二両編成のデイーゼル車。ガラガラの社内で、ワンカップを楽しみながら、水戸まで3時間20分、水戸でワンカップと中華で軽く食べ、松戸まで行く在来線、これが一時間に一本、グリーン車で帰宅。
 

2011年 11月16日-17日 幕張ウォーキング  
  平日に幕張でウォーキング大会があると聞き、参加した。イベント、スーパー65とかいうものの一環で行なわれるという。良く見たら、スーパー65とは65歳以上の高齢者向けイベントとのこと。最初のウォーキングの案内は、参加資格、65歳以上となっていたが、しばらくするとこの制限がなくなったので、前日に、1500円の事前申し込み(500円は東日本震災への支援に)、八時半スタートのコースに参加。初日は、幕張メッセから、旧職場の前を通り、新検見川、、京成稲毛、稲毛海岸駅前を通り、稲毛海浜公園から海岸沿いを幕張に戻るコース。二日目はやはり旧職場の横を通り、湾岸沿いの散歩道から幕張本郷へ抜け、戻るコース。幕張地区は、1990年頃から通った地区だが周辺を歩くのは始めて。

歩いているのは、スーパー65で、歩くスピードも5㌔/時から、8㌔/時まで、あまり年齢を感じさせない速度。両日とも、8時スタートは、20㌔と一寸長めのコース。八時半スタートは、17㌔、15㌔と手ごろなコース。選んだのは、手ごろなコース。 いずれも、来年の世界一美しい散歩道を歩くためのウォーキング。 

両日ともに、歩き始めは旧職場の前・横を歩く。幕張地区に足を踏み入れたのは、1989年の新オフィス・プロジェクトから。 まだ、原っぱだった幕張地区に新オフィスを作るプロジェクトに借り出されて、20年以上。駅前の賑やかさは見知らぬ町に来たみたいで、居心地は必ずしも良くない。それもそのはず、当時、オフィスを建築中や、入居後の近辺は、何もない田舎の町。 居酒屋一つ無い。若い人にとっては、左遷に等しいような発展未満の田舎暮らし。しかも、車通勤が可能だったので、飲んで帰るというのもなかなか出来なかった。今でも、幕張地区で飲むということは、なかなかつながらない。 そんな町の周辺を歩いたが、それはそれで、なかなか良いコースではあったが。なんといっても、幕張本郷から、二重連のベンツ製バスで往復するというのは、ここだけの話。


検見川の浜から見る、東京湾越しのスカイツリーと
富士山(左側に肉眼では見えています)
 

2011年 11月10日-12日  
   今回も、長野市の学会に参加する妻に同行し、久しぶりの長野へ。 行きは、長野新幹線、上野から1時間20分、高崎を出ると、ほとんどトンネルの中を行き、軽井沢で8割方の乗客を降ろし、浅間山を一瞬、車窓に写し、残りは車窓の楽しみはない、つまらない列車である。12時一寸前に、長野駅に到着、近くのそばや、麻布にも支店があるという「高山亭」に入り、ざるそばを注文。 食べログに、特盛りで900㌘とあったので、メニューには、小盛りもあったが、普通の大盛りと、並盛りを頼む。 駅の二階レベルに通じる店なので、客の入りも良く、直ぐざるそばは運ばれたが、並盛りが都内の蕎麦屋の大盛り、大盛りは、大ォォ盛り。新そばという幟が出ていたが、特に特徴の無い普通の、7・3蕎麦の印象。

学会に行く妻と別れ、駅前から七曲経由の戸隠行きのバスに乗る。一時間弱で、戸隠奥社に着いたが、紅葉の季節を過ぎた、初冬の彩。でも、天気は、10月中旬の温かさ。奥社に向けて2㌔弱の参道を歩き始めると、途中の山門あたりで、汗をかき始め、奥社の石段を登り始めると、上着は不要の状況に。

奥社を見上げる先には、戸隠山の稜線が。

一番奥の、九頭竜社にお参りし、下るころは、11月の長野に備えた衣服の首筋から背中は、汗、汗。
タオルを首筋に巻き、同じ参道をのんびり下る。この季節の平日にしては、バスの乗客以上に観光客が多く目に付く。上り口の駐車場も結構賑わっている。 帰りのバスまで一時間近くあったが、中社まで歩くとさらに汗をかきそうだったので、風の無い戸隠の青空と空気を楽しむことに。

帰りは、15時27分発、ループ橋周り、途中に長野オリンピックで作られたボブスレイ・リュージュコースの横を通るコース。スキーフリースタイルの競技会場の、飯綱スキー場も通る。いづれも1997年から1998年にかけて、雪の中をIT機器を運び込み競技運営の準備をしたところ。

長野市内に16時半頃に戻り、東横インにチェックイン。 部屋に入ると、トイレの水洗が流れっぱなしの状況。 フロントに電話し、対応を求めたが、何人かが来て調整したけど、止まっては元に戻るを繰り返したが、初日は修理できず。 部屋替えも検討したらしいが、学会客で一杯の様子。二日目の朝、再度対応を求めて二日目の夕方に部屋替えに。

初日の夜は、懇親会に参加する妻とは別に、駅前の居酒屋、「とくべい」に。 17時半に店の前に行ったが、暖簾も、名物の赤ちょうちんも出ていないので、10分くらい近くの路地を歩いて戻っても、状況変わらず。 仕方なく、引き戸を恐る恐る開いてみると、奥のほうから店のおかみが出てきたので、十年ぶりと挨拶し、カウンターに陣取る。店には、店主夫妻と、若い女の子、信大生とのこと、だけ、まずは日本酒、七笑いと、冷酒に渓流と松代の酒、常温の七笑を頼み、目の前のおでんを頼む。ここの名物は、馬刺し、特性コロッケ等、とくべいメニューがあるが、いづれも一人前には一寸、量が多い。 特にコロッケは、一人で行ったときにその大きさにびっくりした位、それ以降一人のときは頼まない料理。おでんは、盛り合わせ、五品のところを、一品おまけ。これだけで、二合徳利一本。18時過ぎると、予約客や予約の無い客で、個室も、カウンターもほぼ一杯。店側も、18時から一人加わって、多分20人以上の客の注文をさばいているもよう。調理場から運ばれる客の注文するコロッケの大きさに感嘆しながら、次ぎに馬刺しと七笑二本目。馬刺しは、これも二人前の量。七笑、三本目と、にら卵を注文、これは量は多くないだろうと思ったが、結構な量。結局、一時間半で、七笑三本、他料理三点で、4000円でおつりが来る安さ。 七笑は本醸造くらすだが、純米吟醸クラスが飲みたかった。帰りに駅前の酒屋で、「真澄」ワンカップ二本を部屋に持ち帰り、シャワーを浴びた後で、一口含んだら、そこで終わり。




二日目は雨、気温も前日とは打って変わって、10度前後。コンビニで折りたたみ傘を買い、学会に行く妻とは別に、8時32分発の飯山線にのり、北飯山へ。

飯山は、昔々、野沢温泉の学生村でひと夏過ごしたときに来たのが最初、その後、長野オリンピックのときに一、二度来た程度。 北飯山で降りて、雨の中北側に続く寺を回り、紅葉の写真でもと思ったが、期待以上に紅葉は目だっていない。

飯山の近くには、菜の花畑、千曲川ほか、映画のロケに使われた良い場所があると聞いていたが、今年の紅葉は期待はずれか。


一時間ほど、雨の中寺を巡り、飯山市の本町から駅前に向ったが、10時頃のせいかコーヒーを飲める店が無い。駅前まで行くと、喫茶店は準備中の札が。野沢温泉行きのバスは、11時10分。駅前をうろうろし、10時45分頃、再度、喫茶店の中は電気がついており、人の気配もあったので、ドアを開いてみるとカウンターに客が一人。 準備中だったと思ったと店の人に言うと、準備中から営業中への札を入れ替えていなかったとのこと。 気温は、10度前後、ようやくコーヒーを口にしホット一息。飯山は数年後の新幹線開通で、現在の駅前が200㍍ほど、移動するので、駅前の風景も変わると思うが、新幹線が通じることにより、飯山線が不便になりそうで、飯山もますます遠くなるかも。



11時10分の野沢温泉行きのばすで、木島、関沢を通り野沢温泉村中心部へ。雨の平日でというわけではないだろうが、温泉街は閑散としている。大湯のまえから麻釜へ抜けたが、土産物屋は開いているが人通りはなし。昼時で蕎麦でもと探したが、それらしき店は見当たらない。 帰りのバスの時間を確認したら、細い路の先に、らーめんの看板を見つけ、店の前まで行くと店の中に明かりが見えたので、客のいない店に入る。 まずは、日本酒を一杯、飯山あたりの酒か、飲み口は良い。残り少なくなったところで、野沢菜らーめんを頼むと野沢菜を刻んだものを乗せたらーめんが。 バスで来る途中に何件かの野沢菜製造所の前に野沢菜の山があったが、これからが野沢菜の季節なのか。

帰りのバスは、13時15分発長野駅前行き急行バス、始発駅からの乗客は一人、途中での乗降客はなし、結局バス一台貸しきり状態。 長野駅東口に、14時40分ころ到着。夕方までは時間があるので、長野市内を回る、100円バス、めぐりんで時間をつぶし、ホテルに戻ったのが16時頃。部屋を替えて、小休止したあとで、17時半一寸前に昨夜の「とくべい」へ。店の前はのれんも赤ちょうちんも出ていない状況は同じだったが、店に入るとすでにカウンターに先客が。食べログ等で、長野市の居酒屋として評判の良い店なので、初めての客は開店と同時に来店するようだ。
カウンターの席に二人で座り、今日は、冷酒の渓流から。突き出しは、昨夜と同じ、もずく酢。おでんと、馬刺し、川えびのから揚げを頼み、松代の冷酒二本目で、二人で丁度良い名物コロッケを楽しみ、最後は、七笑とねぎ味噌豆腐、いずれも美味を頼み、二時間ほど楽しみホテルへ戻る。


翌日は、晴れ、8時10分の善光寺行きバスに乗れるように、ホテルをチェックアウトして、駅前からバスに。善光寺大門まで、100円。 店が開き始めた参道をのぼりながら、善光寺へ。2006年に妙高に行ったときに長野に泊まったのが前回、丁度五年ぶりということに。

帰りに、八幡屋礒五郎で唐辛子をと思ったが、9時前で店は開いていない。そこで、すかさず、iPhone4sで店の情報を調べると、9時開店とのことで、9時までの数分を店の前で待つことに。開店後、一味、七味ともう一種類辛さ全開の「BirdEye」を購入し、駅前まで戻る。

帰りは、新幹線など使わず、信濃鉄道で軽井沢に出て、JRバスで、碓氷峠を越えて、横川に出て、信越線で高崎に行き、上野行きで帰宅。

昼は、軽井沢駅前の蕎麦や。妻はざるを、私はお酒を頼み味わっていると、二組20人以上の団体客が入ってきたので、追加のざるを頼んだが、大体客から蕎麦が運ばれてきたので、聞いてみたら、注文が通っておらず、団体客の後になったとか、気分を害して、それほど食べたいそばでもなさそうだったので、追加はキャンセルし、店を後に。横川行きのバスを待つ間、近くの喫茶店でサンドイッチ+コーヒーを楽しむ。 横川までのバスは、途めがね橋を通り、40分ほどで、横川に。 横川からは、細切れになった信越線で高崎まで。たかだか、30分の運行で5分遅れで、高崎へ、乗り換え時間1分で隣のプラットフォームの上野行きに乗り込み、一息ついたところで、初日に買った「真澄」ワンカップを飲みながら、旅を締めくくる。

今回の長野の旅、そばも、お酒もいまいち、帰ってから山形の旨い酒を口にして、長野の居酒屋の課題が明確に。 信州の蕎麦やもそばも、有名になったせいか、蕎麦好きには課題が大きいのでは。

長野を楽しむなら新幹線はミスマッチ。長野新幹線が出来たときに、信越線の横川-軽井沢間を廃線にしたのは、在来線を残したままでは、新幹線が使われないというJRの魂胆だと思うが、鉄道好きにはもったいない廃線である。

 
 
2011年 10月01日 日本酒の日に始まった豪華な月 山形-出雲-秋田-山形 旨い酒を求めて
   
10月18日-22日 秋田から山形へ豪華な旅
18日から三日間、公衆衛生学会に参加する妻に同行して、秋田三泊、帰りは奥羽線で山形一泊の贅沢な旅。 秋田は、目当ての「酒盃」、出来れば三晩とも同じ店と思うほど、魅力的に見えた店です。

初日は、東京駅8時28分発「こまち17号」、この列車は、盛岡まで535.3㌔を150分、200㌔/時で運行するが、盛岡-秋田間、127.3㌔を96分、、時速、80㌔程度で、走ってそれでも新幹線という特別料金列車です。さらに、この秋田新幹線では大曲駅でスイッチバックまでサービスしてくれるので、大曲-秋田間は後ろ向きの座席というなんとも魅力的なローカル線ではと思いました。
こまち17号は、秋田に、12時37分に到着、駅中の食堂で、稲庭うどんを食べ(喉越しすっきり過ぎて、小腹も満たせない)、学会に行く妻と別れ、初めての秋田市内を千秋公園に歩くことに。千秋公園は、かつて常陸から秋田に国替えされた佐竹義宣の時代に築かれた久保田城跡地に作られた公園で、公園の一角には、佐竹家記念館がある。(現在の秋田美人の地と、茨城のそうでもない地の一因はこのときの国替えにあるという人がいるそうな) 10月半ばの割には、紅葉は進んでおらず、それでも公園を写そうとすると、Nikon5100のパワーが入らない。ショルダーの中を探しても、バッテリーの替えは無く、仕方なく撮影はあきらめ、佐竹記念館、平野政吉美術館を巡った。平野美術館は、藤田嗣治の大作、秋田の祭りを中心に何点かがある。

夕方早めに、宿にチェックインし、学会の懇親会に参加する妻とは別行動で、「酒盃」を目指す。 一人で開店直後に行けば、カウンターの片隅には座れるだろうと思い、予約もせずに、店先に立ったら、入り口に、「本日は予約で満席です」の張り紙が。 でも、戸を開けて店の中に入ると、店の人が出てきて、一人だけだというが、本日は満席ですとのこと。 仕方なく、翌日の予約は可能かどうか聞き、可能ということで、二人で18時の予約をし、バスで駅前に戻る。 駅の周辺には、チェーン店の看板が幾つか合ったが、知らない名前の店を除き、そのうちの一軒に入り、カウンターに席をとった。 まずは、秋田でしか飲めない日本酒ということで、由利正宗他を味わう。さかなは、刺身の盛り合わせ。出された、大皿の上に、氷で作ったかまくら風のオブジェが店の名前をかねて出された。 90分ほど、三合を飲み終えて、帰りにコンビニで、飛良泉他を仕入れて、宿のベッドへ。

二日目は終日学会参加の妻とは別行動、駅前からバスで、羽後本荘へ。 そこは、鳥海山の北側を走る由利高原鉄道の駅。この線も、ほぼ一時間に一本なので、帰りの時間を確認し、10時50分発 矢島行きに、帰りは、矢島13時54分発で帰れば、17時前には秋田に戻れるという計画。、

10時40分ホームで矢島行きに乗車、乗客は5人、ひとり、絣の衣装をおばこ風に着ているおばさんが、なんと由利高原鉄道のアテンダントとのこと。

この日は、バスで羽後本荘にむかうあいだも、羽後本荘から矢島への車窓からも逆光の鳥海山のシルエットがくっきりと見えていた。

由利高原鉄道は高原を走るというより、日本海側から田舎を走る鉄道、終点の矢島駅で、標高は50㍍ほど。それでも、ここは鳥海山の矢島口の拠点。

羽後本荘から矢島まで、40分、途中の鮎川駅を出たところの小川に俎上する鮭の姿も確認できる。 駅名から、鮎も取れるのであろう。


矢島駅、11時半着。 駅前からは鳥海山は見えないので、一寸歩いてみる。国道108号まで出ると鳥海のシルエットが良く見える。駅前に戻り、駅前食堂にはいると、昼時で結構混んでいる。まずは、一杯を頼むと矢島町が地元の、天寿が出された。後で、駅前の地図を確認したら、町内に、天寿酒造と、出羽富士酒造の二軒が駅から5分以内のところにあった。いずれも鳥海山の伏流水を使った酒蔵である。 天寿は、良い酒だった。
食事は、地元の人の多くが、セットメニューらしかったので、唯一のセットメニューを頼む。セットの中身は、らーめんと牛丼で、地元の人が頼むだけあって、味は良い。

帰りは、13時54分、駅では、一両編成の車両にもう一両連結、駅員の話によると、台湾からの団体客を迎えに行くとのこと。 車両は、行きはベンチシート、帰りはボックスシート。羽後本荘まで、40分、駅に着くと、団体客が写真を取り合っていたが、このようなローカル線は珍しいのだろう。

羽後本荘駅で、15時49分発秋田行きにのり、約40分で秋田着。

17時半にホテルで妻と合流し、再度、「酒盃」を目指した。
この日も、入り口には、「本日予約で満席です」との張り紙が。 戸を開けて入ると、下駄箱に、名前が。 店の女性の出迎えを受け、上着を預け、カウンターの左側に腰を落ち着ける。 早速、メニューを広げたが、この日はめがねのフレームを壊して、修理中のため、メニューは役に立たない。 出迎えてくれた女性がカウンターの中で、何を召し上がりますかと聞いてくれたので、女性のお勧めのお酒をお願いした。 そして出されたのは、赤ラベルのひやおろし。一升瓶を手にとっても、蔵元名は読めず。 さらに、突き出しの箱膳、六つの小皿に六種類のお通し。蛸の甘煮、ごりの佃煮、イチジクの煮物、きのこのおろしあえ、他二品。 これが、味付けが酒の旨さを邪魔しない絶妙なもの。お勧めのお酒を飲み続け、コース料理を一人分、これも刺身から始まり、やさしい味付けの料理が続き、二人でシェアしても十分堪能できるもの。五合ほど、お勧めの酒を楽しんだ後、カウンターの女性の好みの酒を聞くと、夏田冬蔵を出してくれたので、これを二合。最後に、最初のひやおろし、二人で、計八合楽しんだ。その間、、注文した、はたはたの飯ずし、これが絶妙な味。 十二分に見せられた、「酒盃」に乾杯でした。 帰りに翌日も予約したいというと、すでに予約で一杯とのこと、20時過ぎなら空くかもしれないので、明日、予約しなおしてほしいとのこと。 名残惜しげに、市役所前からバスで駅前に戻り、ベッドに直行。 心地よい眠りに付いた。

翌日も、妻は学会に行き、別行動。 男鹿半島に行きたかったが、公共の交通機関が不明だったので、駅前のレンタカーに行き、一番小さな車を借りた。 9時半出発し、一度、駅前の駐車場に停めて、水ほかを補給し、ナビの行き先をとりあえず、男鹿駅にセットし、秋田市内を出発。市街地を抜けると、秋田港にでて、ポートタワーセリオン道の駅で、小休止し、ポートタワーの展望台から、男鹿半島から鳥海山を硝子越しに眺め、車に戻る。
片側二車線の道路は海岸沿いに、男鹿市まで続き、男鹿市に入ったところで、寒風山へのガイド板を右折し、寒風山へのコースに入る。しばらくすると、なだらかな寒風山へのドライブとなり、路なりに頂上の展望台前まで行ってしまったが、駐車スペースはないので、一寸戻り土産物屋が並ぶ駐車スペースに車を停め、歩いて展望台のあるところまで上着も着ずに向った。 展望台からは、男鹿半島から八郎潟、鳥海山まで一望の下、展望フロアが一回転する間ガラス窓越しに楽しむ。
寒風山の頂上は、火山跡の、カルデラ状況が残っており、その斜面からパラグライダーの心地よさそうに舞う姿が映えている。

寒風山でコーヒーを飲みたかったが、展望台の下のレストランの雰囲気からパスし、男鹿駅を目指して山を降りる。
男鹿駅前は、静かなたたずまいで、駅前のタクシー用のスペースに停め、駅前をぐるっと眺めてみたが、特にコーヒーを飲めそうなチャンスも見えず、すぐに男鹿半島一周コースに入る。 日本海は静かで、暖かい日差しが心地よい。
五社堂まえから、海岸線を離れ、しばらく日本海を下に見ながら進み、男鹿水族館で海岸線に戻り、すぐに入道崎への路に入る。入道崎は北緯40度線上にあり、海岸から30㍍程の崖の上の草原地帯に、入道崎灯台と、土産物屋が数件並んでいる。

灯台に登って周囲を眺めてみる。
が、日本海の眺めはあまり変わらず、それでも北のほうの白神山地は確認できる。

一時近かったので、、近くの店で、磯らーめんを食べたが、海に近いせいか、一寸塩気が強かった。

食後、大潟村を目指し、県道55号線から国道101号に入ったが、101号に左折するところで、標識も確認できず直進したために、大潟村を南の方角から北上することになり、結局、大潟村の中心地の道の駅に到着。ここで、ソフトクリームで目を覚まし、男鹿琴丘線を東進し、国道7号にでて、途中のコンビに駐車場で一寸、休憩し、秋田市内に16時過ぎに戻る。

18時ころにホテルの部屋から、「酒盃」に電話をすると、19時半ごろからなら席が取れるとのことで、19時過ぎに宿を出て、バスで県庁市役所前に出て、再度、「酒盃」の前に。前日と同じく、上着を預け、今回は、カウンターの中ほどに席をとり、昨日の赤ラベルのひやおろしから宴を再開。
最初の小皿六皿の箱膳は一軒同じだったが、小皿の上の料理は異なり、ジュンサイ、栗、他時のものが並び、きめやかな心遣いに感激。料理はお好みのものを選択、さんまの刺身、しめ鯖、、比内地鶏の串焼き、つくね、がっこの盛り合わせ、ハタハタの飯ずし、他、最後はきりたんぽなべで〆て、その間、秋田の旨い酒を八合ほど堪能。 お勧めの季節は、冬とのことで、近いうちに再訪することを胸に占め店を後にする。秋田美人と思った店の女性は、仙台出身とのこと。記憶に残る、もてなしでした。

四日目も、快晴。 午前の学会に行く妻と別れ、秋田でスイーツの名店、広栄堂を目指す。 最近、購入したiPhone4Sの地図の案内に従い、秋田駅から20分ほど、店の看板を確認したが、秋田一のスイーツ店を思わせる店は確認できない。 路行く人に尋ねると、”そこの氷屋”と指差したところは、ウインドウにシャッターが下りた一軒の家。 入り口はロックされており、店の中も人影は見えず。 ひょっとして、夏季限定の店かと思いながら、引き返し、再度、千秋公園へ。 ここでは、初日にパスした久保田城の名残の一つ、御隅櫓まで歩き、登ることを覚悟して櫓に入ると、四階相当の展望階まで、エレベータがありそれを利用。秋田市内、鳥海山、男鹿半島、大平山を遠望することが出来た。
帰りは、県民会館前の、秋田名物”ばばへらアイス”を味わい、学会の施設の一つ、アトリオン前で妻と合流。 土産の金満を購入し、12時32分奥羽線新庄行きに乗り、新庄まで162分、新庄から山形まで新幹線で49分。 山形駅の改札で、一寸不思議なことが。 乗車券は秋田から、山形、仙台経由で松戸まで購入しており、当然、山形での途中下車は織り込み済み。 それが、山形の改札でははじかれてしまう。駅員に確認すると、切符は、奥羽線、仙山線、東北線、常磐線となっているが、奥羽線から仙山線は山形が折り返し駅ではなく、新幹線も止まらない、羽前千歳が乗換駅だという。新庄から山形へ新幹線で来てどのようにして途中下車すればよいのかと、穏やかに聞いたが、その場合は改札を出ずに山形から仙山線に乗ればよいとのこと。 山形での途中下車は前提のたびなので、羽前千歳から山形間の料金を支払い改札を出たが、山形新幹線というのは、料金だけ新幹線で、実態は奥羽線であることを証明したもの。

改札を出ると、気分は一新、定宿に入り、シャワーを浴び、18時前に旅篭町の店に入り、カウンターの左側に陣取り山形の旨い酒を楽しみながら、今回の贅沢なたびを22時過ぎまで堪能し締めくくる。

翌朝は、仙山線で仙台に出て、11時44分 仙台始発、MAXやまびこの二階の自由席で、飛良泉を傾けながら
次に秋田から山形の旅を描きながら帰途。

仙台駅の定番は、地階の名店街のなかの、石巻のかまぼこやさん。 今回は、一階のトイレの前の店の行列に目を留めて、行列の先頭の看板を見ると、「秋保のさいちのおはぎ」、毎週、木・金・土の11時から、という案内が。看板の後ろには10人以上が列を作っていたので、列に並んでみると、11時過ぎにおはぎ到着。 張り紙では、一人50パックまで、ただし本日は制限なしとのこと。売れ具合を見ると、小豆のおはぎが一番、その次が、ごま、最後が黄な粉だったので、小豆を四つ、ゴマを二パック購入。帰りの新幹線で味見しても良かったが、家に持ち帰りその夜の主食に。 小豆のおはぎも、ゴマのおはぎも、もち米のご飯が、半分ほどで、残りは小豆とゴマという、おはぎ好きにはなかなかの物。
次回からは時間帯にもよるが、寄ってみたいお土産になるかも。

家に戻り、秋田のスイーツ店、広栄堂に電話してみると、スイーツは夏と冬で出すものがことなり、今は端境期で店は占めているとのこと。
今は、11月半ばからの和菓子の仕入れをしているとのこと。 夏冬、二度訪れる必要がありそうだ。
 
   
10月07日-11日 山陰の旅
10月08日-09日島根県の松江で、「第9回 松江・神在月だんだんウォーキング大会」に参加のため、07日の夕刻、東京駅から夜行バス「スサノオ」に乗車。乗車前に八重洲口の居酒屋で軽く、一杯、岐阜の酒で喉を潤し、バスに乗車。バスは、渋谷マークシテイで客を乗せ、その後、透明の足柄SA,蒜山高原SAでトイレ休憩を取り、東京駅から約11時間後に松江駅前に到着。 7時に構内のミスタードーナッツ屋で、軽く朝飯をとり、8時前にウォーキングスタート地点へバスで移動。バスは、県庁・県民会館を回り、一畑電鉄松江宍道湖温泉駅で終点。駅前からスタート地点の千鳥南公園へ。
40㌔コースは、8時にスタート、参加した20㌔コースは、9時半スタート。初めて目にする宍道湖を眺めながら、時間をすごす。神在月のせいか、天気は穏やかなウォーキング日和。コースは、街中を抜け、宍道湖から中海に通じる河岸を歩き、矢田の渡しで、出雲国分寺跡他のの遺跡の残るコースを歩く。
出雲国府跡、八雲立つ風土記の丘、出雲大社より古いといわれる、神魂神社(かもす)前を通り、八重垣神社前を抜け、宍道湖畔に出る。途中、風土記の丘の一角で軽い昼食をとり、給水所でアクエリアスを飲みながら、歩いたが、最後の宍道湖畔に出るところで、歩道の無い陸橋を渡らず、陸橋の下の歩道を歩いたために、湖畔の9号線に出られず、山陰線沿いの、県道24号線をしばらく歩くことに。島根県立美術館のところで、湖畔の道に合流し、嫁島橋、宍道湖大橋を渡り、スタート地点に、13時45分にゴール。20㌔を四時間15分。
ゴール地点でシジミ汁のサービスを受け、しばらく休憩し、一畑電鉄宍道湖温泉駅に。 出雲大社方面行きは一時間に一本、14時31分発を待つ。その間、水分補給に、ソフトクリームを。







一畑電鉄は、映画「レイルウエイ」で存在を知った私鉄。二両編成で、出雲大社前まで、一度乗り換えて、約一時間で付く。途中、一畑口ではスイッチバックがあり、行き先の方向が逆転したり、乗換駅、川跡では、出雲大社行き、電鉄出雲市駅行き、と宍道湖温泉駅行きの三方面への列車が並ぶ。沿線の駅は、レイルウエイの舞台と同じ、殆どは無人駅。



出雲大社に近づくと右手前方に、大きな日の丸の旗が見えてくる。 六畳魔の広さの日の丸だそうな。出雲大社駅の外観は、レトロなもの、駅の内部も同じようにレトロなもの。
電車の乗客の数をはるかに超える参拝客が歩く参道を出雲大社に向かいあるく。本殿に近づくと期待した大社造の本殿は工事用のシートで覆われ、平成の大遷宮とかで、平成25年まで仮本殿に御祭神「大国主の尊」祭られているとのこと。
昼時であれば、近くの出雲そばの店でとも思っていたが、すでに16時近く、お賽銭をあげ、二礼四拍手でお参りをし、出雲大社駅に。帰りの電車は、16時59分出雲大社滞在時間、一時間半近く。18時に松江宍道湖温泉駅に着きバスで、松江駅前に。 途中、宍道湖越しに沈む夕日を眺めながら、一畑電車の旅を楽しんだ。宿は、駅から数分の松江アーバンホテル。 ホテルでは、シャワーを浴びすっきりしたところで、駅前の居酒屋へ。 島根の居酒屋は、翌日の益田の「田吾作」と決めて合ったので、松江は食べログに乗っていた、駅近くの店、「駅前食堂磯の家」へ。小さな店で、入ったときに、空いていた一つのカウンターの席について一杯に。 地酒のリストを確認し、李白、月山(なぜか島根の蔵元が商標登録している)と、名前は忘れたが、もう一つと、刺身の盛り合わせ、シジミのバター焼きで渇水状態の体を癒した。 島根の酒を楽しんだ後、小腹を満たすために、近くのお好み焼きやに入ると、天井近くの壁面一杯に、島根の地酒の一升瓶が並んでおり、島根の日本酒の勢いを観ることが出来た。 ここでも、一合楽しみ、宿に戻り爆睡へ。

翌朝も雲ひとつ無い快晴、宿で朝食をとり、荷物をまとめ、駅のロッカーへ預ける。二日目は、15㌔のコースを歩き、午後の山陰線で益田に移動する予定。9時近くにスタート地点に行き、9時半一寸前にスタート。まずは、松江城の周りを歩き、小泉八雲記念館前から、松江の北側の田んぼの中を、古墳の丘、古曽志公園で休憩後、一畑電鉄沿いに、宍道湖畔にでて、12時22分ゴール。 この日も、シジミ汁の接待を受け、休憩後、バスで松江駅へ。 ここで、15時04分発の益田行き(新山口行き)の特急まで時間が合ったので、駅の近くの出雲そばののぼりの出ている店に入り、水分補給の生ビールを頼み、割りこそば、5枚を頼んだ。ビールを飲み終えたころ、五つの椀に盛られたそばが出され、食べ方を教えてくれた。蕎麦猪口には蕎麦湯がすでに入っており、そばつゆは、各々の椀の中のそばにかけて、薬味(ねぎ、おろし、のり)を加え食べるとのこと。 椀、三つで普通のモリの量、五つで、大盛りという具合か。 蕎麦の専門店ではないので、蕎麦自体は、特にコメントはなし。

15時10分前にホームに出て、三両編成の三両目の自由席の列に並び列車が到着すると、入り口から一番奥の窓側、日本海側に席をとり、益田までの初めての山陰線を日本海に沈む夕日を眺めながら楽しんだ。 17時15分、益田駅着。 駅前の、駅前ビジネスホテルにチェックイン、これが窓の無い安いだけが魅力の部屋。 まずは、シャワーで汗をぬぐい、一路、目的の「田吾作」へ。駅前から県道35号線を進むと、歩道橋の脇に、店の名前の電光掲示板があり、そこを左に入ると、人気の無い、田舎の道。 10分弱進むと、店の駐車場の看板があり、その先を左折すると、目的の店が。


















ここは、玄関、玄関を入ると靴を脱ぎ、下駄箱に入れると、
階段を降りたところが、店の空間。
降りたところがカウンターで六個の椅子と、カウンターの上には、大皿料理、
カウンターの中は、七つのガスコンロが並ぶ調理場で、右手奥が、生簀と
魚をさばくところ、左手奥が、配膳や冷蔵庫が並ぶところ。
まずは、益田の産、扶桑鶴の田吾作を頼む。
突き出しは、三種、田舎煮、おからと酢の物。
扶桑鶴を味わいながら、朝のNHKで見た、旬の剣先イカを注文。
氷をひいた皿の上に、笊に並べられた、一杯の動いている剣先イカ
ぷりぷりのイカ刺、一寸、一人では多いかなと思いつつ、
宋味の大吟醸へ、これは300ミリリットルの小瓶で、ちょっとすっきり系
扶桑鶴と宋味が地元益田産、メニューには、他に獺祭と東洋美人、いずれも山口の酒。
益田は、JR新山口線の終点で、車で30分で山口県にという近さからか。
途中で、メニューの差し替えがあり、入ったばかりのしめ鯖を注文。
日本酒は、最初の扶桑鶴 田吾作へ。
聞くとカウンターの中は、店主のおばさんと、甥っ子が調理を担当、おばさんの妹、甥っ子の母親が、
配膳を担当するという。 店は、開店45年、店舗は四件目とのこと。店の雰囲気は、田舎の居酒屋、つまみは
日本海の幸、定期的な休日は無く、海からの入荷の無いときが休暇とのこと。二時間ほど憩い、駅前のホテルへ。
窓の無い部屋で、寝過ごすのはまずいので、TVを付けっぱなしで熟睡へ。

翌朝、六時過ぎに目覚め、昨コンビニで買ったパンを朝食にし、七時過ぎに荷物をまとめ、駅前のコンビニで、
荷物をゆうパックに。 7時45分アクアライナー米子行きで、宍道10時15分着、11時21分木次線に乗り換え、
今回の目玉の一つ、JR西日本一番の高所をスイッチバックで抜けるローカル線の旅。


宍道駅では、二両編成、中国地方の尾根を越える前に、
出雲横田で二両から一両に編成して尾根を越える
出雲坂根では、企画列車「出雲おろち号」とすれ違い、
その前に、木次線には、「砂の器」の亀嵩駅もあった。


出雲坂根からスイッチバック、逆方向に向かい標高を上げて、しばらく行くと
再度逆方向に向きを変え、標高を稼ぐ。 平行して走る、国道314号線は
スイッチバックならぬ、奥出雲おろちループを抜けて中国地方の尾根を越える。

尾根を越えると、広島県に入り備後落合でJR芸備線につながり、
芸備線の新見行きと、三好行きに分かれるが、岡山なら新見へ、広島なら三好ということで、三好行きに乗り換える。 芸備線で見る沿線の農家は、日本海側の農家よりも、一寸規模が大きいというか、二世帯続きの農家が目に付いた。田んぼも心なしか、大き目の田んぼが目に付いたが、山陰と山陽の地の利の差か。 三好で、広島行きみよしライナーに乗り換え、広島駅17時28分着。

広島駅では、帰りの夜行バスの乗り場付近を、21時10分発のバス待ちの適当な場所を確認し、広島路面電車でバスターミナル近くまで行き、バスターミナル近くには、適当な待ち時間をすごす場所の無いことを確認し、袋町辺りを、散策し、お好み村の客の要り具合を眺めながら、一軒のお好み焼き屋に入り、コップ酒を飲みながら、広島焼きを楽しんだ。 
路面電車で広島駅に戻り、新幹線口の夜行バス乗り場に近い、居酒屋で、賀茂鶴を二合で時間をつぶし、21時10分の夜行バスに乗車し、ワンカップを飲みながら、10時間の旅を締めくくる。
 
   
10月01日は日本酒の日、かつて新酒の仕込み開始日を記念しての記念日。
旅篭町での会合に出席。 前夜、京橋での飲み会があったので、車ではなく、新幹線で山形へ。この山形新幹線、福島から山形まで、87.1㌔のところを、なんと一時間以上、72分もかかる。同じ起動の上を在来線がはしるが、こちらは100分で走る。違いは、新幹線と称される列車は、一時間に一本程度はしるが、在来線は、福島-米沢間を、一日七本しか走らない。いつも峠の駅を通過しながら、これって本当に新幹線??? さらにこの新幹線は、踏切まであるので、さらに!!!
旅篭町の会合は、盛況で、山形を代表する銘柄をほぼ、飲み放題に近い形で堪能。18時から始まった会合は、22時過ぎまで続いてしまった。
翌朝は、すっきり目覚め、仙山線で仙台に出て、駅構内の牛タン屋で日本酒を飲みながら牛タンを堪能。仙台からは、MAXやまびこの二回自由席で充実した時間を締めくくった。

 

2011年 9月26日-27日 637キロ 八高線から上越線ローカル線の旅
高崎線で北藤岡から分岐する、八高線に一度乗ってみたいと思っていたが、26日美☆里に行く用事ができて、八王子から実現。
ただし、八高線といっても八王子から高崎へ直行する列車は無い。高麗川と北藤岡間が電化されていないので、高麗川と高崎の間が八高線。昼間は一時間に一本程度のダイヤ。上越線の水上と越後湯沢間は、一日に五本しかないので、朝、6時45分に家を出ないと、旨く乗り継げないというローカル線の旅。八王子9時08分発川越行きにのり、高麗川で三両編成のデイーゼル車に乗り換え。八王子からは通勤客も多いが、高麗川に近づくに連れ、乗客の数が減り、残った客の殆どはハイキングの姿。沿線の巾着田の彼岸花が見ごろだそうな。ハイキング客の殆どは高麗川で降り、デイーゼル車に乗り換えたのは、一両に10人もいない。高麗川をでると車窓の景色は山里を縫うようなものに。それが毛呂に近づくと左側に突然城のような大きな建物が見えてきた。話には聞いていた、埼玉医科大学付属病院。昔、駒込病院でお世話になった先生が移られた病院なので、規模といい、中身といい、埼玉県一の病院ではと思うが、最寄の駅が、一時間に一本の八高線の毛呂とは。後で地図を見たら、一寸離れたところに、東武越生線の東毛呂があるが、よくもこんなところにと思う景色である。
その後は、奥武蔵の山麓を、越生、小川町、寄居と抜け、児玉あたりから群馬に入り、北藤岡で高崎線に合流。11時45分高崎駅、35分の乗り換え時間に一寸ぬるいホームの立ち食いそばをかけこみ、水上行きに乗車。13時42分水上からは長岡行きに乗り、14時17分越後湯沢。
用事を済ませ、翌日は、9時26分元橋からバスで、越後湯沢に、10時28分発長岡行きで11時42分宮内下車。上越線の起点の宮内で降りたのは、摂田屋という地名の新聞記事を見たことから。上杉謙信の時代からの酒蔵を始め、味噌・醤油等の醸造の町として知られるそうな、摂田屋。地名の由来は、接待屋という、江戸時代の僧や山伏への無料接待所から来ているそうな。摂田屋散策絵図には、摂田屋の由来や見所が収められている。
酒蔵や、味噌・醤油の醸造所やサフラン酒本舗などを回り、星野本店で味噌を買い、駅前の青島食堂、16席のカウンターのラーメン屋で昼時には行列が出来る店、で地酒の吉乃川、創業1548年、を味わい、名物のらーめんを楽しんだ。
帰りは、長岡から、13時46分発の水上行きに乗り、魚沼の景色を楽しみながら、フラスコの酒をちびりちびりと、・・・。高崎からは、通勤快速のグリーン車で夕闇の中をうつらうつらし、20時半帰宅。

ローカル線だから見えたこと
一時間に一本以下の路線の駅の殆どは無人。

平日の主たる乗客は、最寄の高校に通う学生
そのほかの乗降客は平均すると10人以下

魚沼コシヒカリの稲刈りは半分以上終わっていたが、関東地方は半分以上は、まだ稲刈り前。

利根川上流は、先週の台風の影響か、川の色は泥水だったが、合流する片品川の水は濁っていなかった。

次回のローカル線は、来月、木次線。

2011年 07月28日-08月03日 秋田乳頭温泉郷を中心とした旅
7月29日-31日の乳頭温泉郷での集いに合わせて、前後山形、越後を加えた旅。28日-29日には、新潟地方での大雨洪水も発生し、今年の異常気象をさらに追加している。28日は、米沢で大分からの知人と待ち合わせしたが、山形新幹線が普通になり、福島からの在来線による変則移動により、それでも予定より10分程の遅れで合流。昼食は待っている間に、粉屋小太郎で済ませた。山形が初めてという知人、まずは上杉神社に、さらに「牛屋」、酒に合うチーズケーキ屋、高畠ワイナリーをめぐり、山形駅前のホテルに16時40分チェックイン。 シャワーを浴びて、17時30分に100円バスで、本町へ。 富貴豆を仕入れて、旅篭町へ。十四代が入ったとかで、十四代の飲み放題に近い前夜祭を行い、22時近くにホテルに。
翌朝、朝食後、大宮からの知人を加え、乳頭温泉での宴会用の日本酒を仕入れ、天童の腰掛庵へ。11時近かったが座敷は一杯、しばらく待ち、各自、わらびもち、カキ氷を注文。カキ氷は、すぐりと木苺のカキ氷。 大き目の器のそれは、一人では食べきれない量。
それでも、スプーンで一口、イメージにある氷の食管ではなく、雪のような柔らかい感触。
1/3程は、カキ氷を堪能、次の1/3は冷たさで味がわからず、最後の1/3は、早く終わりたいと思う気持ち。

その後、そば街道、高木酒造を経て、事前に調べていた金山町の「草々」へ。奥行きの深いふるい民家風の奥まで入り店の人に声をかけて、座敷に上がる。一時過ぎなのか相客はなし。
それぞれ、いたそば、とろろなめこそばを頼み、二八そばを味わう。
食後、しその味噌まきの材料を探したが、店番の若い人は分らずパス。途中、横手、角館を通過して田沢湖駅前で秋田の酒を仕入れ、17時30過ぎに休暇村 乳頭温泉郷に到着。集まった24名と夕食と、秋田の地酒と山形の酒他で軽い二次会を楽しんだ。


翌朝は、秋田駒八合目から乳頭山への山歩き、天気予報は曇り、朝食時は光が差していたが、8時50分から歩き出して湯森山を越えたあたりから、断続的な雨に。それでも笊森山、千沼が原、乳頭山を経て、孫六温泉に17時に下り、休暇村のバスで休暇村へ。全身びしょぬれの体を温泉で温め、18時半から夕食+二次会へ。

二次会は、十四代、仁左衛門、雅山流+影の伝説、くどき上手、他を味わう。

翌日は、休暇村付近は晴れ、来年の蓼科での再会を期して、三々五々解散。
角館、横手を経て、新庄で翌日仕事のある人を下ろし、山形・越後の旅に。
横手では、駅前に車を止めて、横手焼きそばを目指したが、期待していた、幟は見えず、通りがかった人に聞き、駅前の店へ。店の前には居酒屋風の雰囲気はあるが、横手焼きそばはメニューを見るまで分らなかった。
普通の焼きそばは、蒸し麺を使うことに対して、横手焼きそばは茹で麺を使い、麺の上に、半熟の目玉焼きを乗せ、福神漬けを添えて出すこと。 食感は横手焼きそば。

新庄で二人を下ろし、二時間に一本の山形新幹線を見送り、山形の酒屋で何本か仕入れ、駅前のホテルへ。 旅篭町は日曜は休みなので、食べログで駅前の居酒屋を探し、暖簾をくぐってみた。 山形の味と酒が揃っているといううたい文句の店、造りの凝ったみせで、初孫の魔きり他を味わい、20時過ぎに駅前に。 ここで、久しぶりの人にばったり出会い、バス待ちの20分間程、近況を話す。

翌日は、高畠から米沢を素通りして、喜多方へ。市役所の駐車場に車を停め、近くの坂内食堂へ。 12時近かったが、店の前の行列は10人弱だったので並び、店の中に入るとやはり、10人近くが並んでいたが、回転が速いので並び始めて、20分くらいで壁際のコーナーへ案内される。席について、10分弱でチャーシューが四枚乗った中華が運ばれてきた。 まずはスープから。 イメージほどのこってり系ではなく、さっぱり系でで昔の中華そばに近い、、客が並ぶ理由に納得する味。量も丁度良い。 坂内食堂を出ると、会津坂下へ抜ける道から49号に入った。車の量も少なめで快適に運転していたら、津川の交差点で、通行止め。 週末の豪雨で阿賀野付近で交通止めがあった模様。迂回路として、磐越道路しかなかったので、片側一車線の有料道路に入り、そのまま北越道から越路スマートICで降り、朝日酒造で何本か仕入れ、十日町経由で苗場へ。 苗場で二泊し、三日に沼田の「あがりや」経由、で帰宅。 待っていたのは連日30度以上の猛暑。

2011年 07月09日-11日 山形フィルハーモニーと歌う加藤登紀子
旅篭町からの知らせで、山形での加藤登紀子コンサートを知り、仙台経由で山形へ。 前日は、旅篭町のカウンターで十四代他の、旨い酒を、楽しみ、翌朝は、差し入れの旨い酒を仕入れに市内をバスとタクシーで移動。 昼は、ホテルの前の御殿堰の蕎麦屋に入り、十四代他が飲めることを確認し、ざるそばを。 それでも、開場時間近くに集合した旅篭町の店のカウンターで、十四代のコップ酒が供され、豪華な汗の補給を行なった。 会場の県民会館まで、信号一つ、S席で空いていた、最前列、いわゆるかぶりつき、に陣取る。
15時35分、オーケストラ、指揮者が入り、お登紀さんが目の前二メートルを。一部、二部+アンコール合わせ、17曲、十四代を食前酒に最高の宴。 終演後のロビーで、差し入れの旨い酒を渡し、前夜はどこで飲んだか聞いたら、駅前の山形肉の店とのこと。 旨い酒を案内できたのにといいつつ、二回握手して、近くの反省会会場へ。 そこでも、黒縄と巨匠を持ち込んでの豪華な宴。〆は、地下の元F1レーサーの店で、バカラのショットグラスでツーショット、23時近くにホテルのベッドに。
翌朝は、バスで仙台に出て、仙台から新宿まで三列シートで半分ほど熟睡。

2011年 06月10日-12日 大分-久住の旅
昨夏からの計画で、久住山のミヤマキリシマを巡る旅。 大分在住のTさんのアレンジ、数回に及ぶ下調べを経て、コースが決まり、総勢11名のツアーになった。 羽田を9:55のJALで大分空港へ、初めての大分、久住山へ。 11時半に大分空港着、ANA機で到着する仲間を待つ間に、空港ビル三階のレストランで、牛肉そば。12時半に全員揃い、レンタカー二台、計三台で、大分市内経由で、久住高原へ。空港バイパスに入るとすぐに、雨が降り出し、流れるような豪雨。 結局、三日間連続の大雨の始まりに。宿泊地の、久住高原コッテージの前に、桃花庵窯に立ち寄り、誕生日の花を図柄にした器を焼いてくれる。 湯飲みをぐい飲みにと思い、二つ購入。支払いは、焼き上がり後商品配送後の支払いとのこと。展示室の隣に、電気釜を備えた工房があり、晴れていれば、久住山を背景に久住高原、と、たぶん阿蘇山を眺めることの出来る好立地。宿は窯から直ぐのところ。宿にチェックイン後、入浴、大雨警報のなかの、焼肉の後、部屋で、大分の酒、亀の井酒造の、「山廃純米生原酒」、中野酒造の、「ちえびじん」、と旨い酒を味わう。九州というと焼酎が専門かと誤解しがちだが、大分は日本酒が高級酒とのこと。全国新酒鑑評会の成績を見ても、なるほどと頷ける。
翌日も、梅雨前線が九州から四国にかけて、どっしりと動かず、九州の各地は大雨警報・注意報。久住山のトレッキングは中止。 チェックアウトを10時に遅らせ、それでも雨具を着けて近くのワイナリー経由で、登山口の牧ノ戸峠に。 11人の内、9人は、足慣らしを兼ねて展望台までと雨の中向かったが、結局、沓掛山(1503㍍)まで往復した模様。

午後は、夢の大橋、長さ390㍍、最深部173㍍、その近くの、榎木孝明美術館。旅番組で、スケッチする光景は見たことあるが、武蔵美出身の水彩画家榎木孝明を見るのは初めて。解説員の解説により、遠近法と錯覚を自然体で描いた絵は素晴らしいもの。一見の価値あり。

二日目は筋湯温泉、小松別荘、小さな岩風呂x2、家族風呂x2の家族向け宿屋。
温泉は文句なし、料理も良し、さらに近くの蛍まで見ることができて満足の一夜。

翌朝も雨、出発を10時に延ばし、予定の湯布院へ。 一時間ほどのやまなみハイウエイで、狭い道を車が交錯する湯布院へ。 30年前は何もない山村が、いまや亀の井別荘、鍵屋等の、一級の宿、店が並ぶ一大リゾート。晴れていれば、一日いても散策の種は尽きないが、大太鼓のような雷鳴とどろく大雨の中、湯の岳庵で昼食、兼八付きで、楽しむ。
大分空港へ向い、手間への杵築で小休止。まったく予備知識がなかったが、町の中心は電線・電柱、信号機すら無く、良く整備された城下町。酢屋の坂の上は、良く保存された武家屋敷どおり。

初めての大分だったが、広大な久住高原、筋湯温泉、榎木孝明美術館、蛍、たまごかけご飯、湯布院、杵築と、久しぶりに新鮮な出会いに感動の旅でした。

ミヤマキリシマは次回までお預けとし、次回は一週間以上、車でのんびり回りたいと思う。

2011年 06月03日-05日 越後から南東北
6月4日の旅篭町の集いに合わせて、越後から南東北を走る。初日は、沼田駅前、「あがりや」で「とろろそば+いなり」、610円の定番の昼飯。水上から再度関越で越後湯沢にでて、夜食と・朝食を仕入れ平標山山ろくへ。夜は、映りの悪いテレビはあきらめ、「冬そな Vol9-10」。
翌朝、新潟日報で見つけた、”ヒメさゆり咲き始める”の記事を見つけて、三条市の東側の道の駅、「漢学の里しただ」へ。 駐車場からヒメさゆりの群生地下まで、無料のシャトルバスで、10分弱。高城 ヒメサユリの小径を目指し、林道をしばし登り、ヒメさゆりの群生地へ。ハイカースタイルの同好の士が小径をどんどん進むが、ヒメさゆりだけが目的のため、ヒメさゆりを何枚か写し適当なところで引き返す。ヒメさゆりは、昔々朝日連峰の鳥原山で見たのが最初のもので、名前といい、色彩といい、強い印象が残った花だが、記憶に残った強い印象ほどのことはなく、名前で得をしている花かも知れない。
一時間ほどで、290号線から49号線へ抜けて、会津坂下から喜多方に入り、市役所に駐車したが、近くの喜多方ラーメン屋の行列を見て、パスし、近くの道の駅で喜多方ラーメンを。道の駅のラーメンに期待値は高くなかったが、薄めのスープと縮れ面は喜多方ラーメン。
改良された121号線にでて、米沢経由、山形市内へ16時過ぎに付き、ホテルにチェックイン後、シャワーを浴び、18時からの旅篭町の集いに備える。
18時からの「くどき上手」の会は、金賞受賞酒を始め、販売開始前の旨い酒をほぼ飲み放題に近く堪能。 気がついた時は、二つの信号を無事渡り、ホテルのベッドの上。

翌朝は、3時過ぎにスッキリ目覚め、7時までテレビをBGMにまどろみ、朝食後に、旨い酒を仕入れに。店は、第一・第三日曜日は定休日だったが、店に電話をして店内に。昨夜飲んだ酒ほかを入手し、帰路に。 途中、二井宿の農産物直売所ほかで、ワラビ、蕗ほかを入手、裏磐梯から表磐梯の樋ノ口あたりの、「まるひ」で、てんぷら+とろろつきそばを楽しみ、途中、栃木近辺で集中豪雨の中、18時過ぎ無事に帰宅。 早速、「十四代 中取り純米酒 生詰め」を開け・・・・・・



2011年 04月16日 高尾の花見
昨年は、41年ぶりの積雪の中で、満開の花見と雪見酒。今年は大震災の影響か、二日前までの天気予報が大きく外れ、25度を越える夏日に。 それでも、高尾の桜は、五分咲き。城山では南風が撒き散らす土ぼこりと花粉の出迎えを受け、それでも一丁平の宴会場は空席なし。日影の席に相席で始まり、閉店間際まで最後の客として、春酣ほか鍋と日本酒を楽しむ。他に、万寿、桜ワインと、10人で約三升と、鍋は例年通り三種類、最後は定番カレーうどん。
桜は五分咲き、こぶしは満開、文字通り、春はたけなわ!

2011年 04月04日-07日 越後から山形へ、東根「伊勢そば」
東北三県を中心とした東日本大震災の折り返し点はまだ先のことだが、じっとしているわけにも行かず、越後から山形へ入った。きっかけは、庄内の蔵が実質的に閉じてしまったので、名杜氏を囲む会が企画され案内があったため。一泊での行程は厳しいので、越後に前泊し山形市内に二泊。 魚沼付近はまだ残雪が残る関越道路を、長岡南越路スマートICで降り、朝日酒造まえで、高尾の花見用の一本他入手し、長岡ICから日本海東北自動車道路を荒川胎内ICで降り113号へ。途中、小国の道の駅で天ぷら+月見そばで小腹を満たし、米沢経由で、山形の大手町の「ミンタロハット」へ。宿の名前は、来年予定しているニュージーランド ミルフォードトラックのルート上にある自炊客用の小屋の名前。一度、宿泊したいと思っていた宿。部屋数4部屋、トイレ・風呂共同、という客観的情報では表現できない旅好きには中々の宿。部屋に荷を下ろし、シャワーを浴び、iPadで接続を確認し、18時前に旅篭町へ。二年ぶりの知人と旨い酒を楽しむ。 宿までは信号二つの近さ。それでも22時過ぎまで飲み続け、宿に戻り熟睡。翌朝、オウナーにミルフォードトラックについて聞くと、すでに何回も行っており、代理店を通さず、Ultimate Hikesに直接申し込んで行ったとのこと。もう少し若ければと思いつつ・・・

翌日は、特に予定も無く、白鷹から長井、羽前小松、米沢を経て、高畠の教育長を表敬訪問し、一時過ぎに、東根の「伊勢そば」へ。前回行ったとき(2008年2月)から、店は50メートル程先に新築移転され、田舎のそばやから、観光地のそば屋風に。
20台以上は停められる駐車場の先には、真っ白な月山と葉山が一望できる中々の場所。 店の中は、広い座敷に大きなテーブルが五つくらい。他に、四人がけテーブルが七つくらい。厨房も前の店に比べたら大食堂並。
まずは、ざると、名物かき揚げ、計800円を頼む。しばらく待つこと、10分以上。青菜の小皿と、ざるではないどんぶりに盛られた、伊勢そばと、かなり大き目の蕎麦猪口と、一寸大きめのかき揚げ。 口を切るか歯を傷めるといわれる、かき揚げ、無茶をせずそばつゆにつけて食べる。 どんぶりの蕎麦は、これぞ「伊勢そば」という歯ごたえ、喉越し、腹にずっしり。山形でもユニークなそば。結構な量に、ふーっとため息をつきながらも完食し、そばゆも楽しみ、蕎麦を食べたという満足感を抱え、支払いは、天ぷらそばの750円、夕方の旅篭町への腹ごしらえとする。山形二泊目は七日町ワシントンホテル。 シャワーを浴びて、18時まえに旅篭町へ。
19時近くに名杜氏と常連が集い、11BYからの旨い酒を思う存分堪能。23時過ぎまで楽しんだことはデジカメの記録にはあるが記憶には無く、気がついた時は、ベッドの上。
翌朝は、スッキリ目覚め、9時前にチェックアウトし、土産のお酒を仕入れ、米沢から121号を喜多方へ向かい、喜多方ラーメンを味わい、猪苗代磐梯高原ICから磐越道、東北道から帰宅。郡山からの東北道は、地震により道路はガタガタ、つぎはぎだらけという宮城・岩手側の状況が推し量れる状態。
宿で見た南部美人の蔵元のメッセージを思い出しながら次ぎは五月と思いながら余震の続く家へ。

2011年 03月26日-27日 小野路、町田「石の森」から、武相荘
いろいろなことが起こって、それはまだ続いているのだけど、放射能の影響を避けては通れないので、予定通り、多摩センターに11時45分に集合。まずは再会を喜び、10番乗り場から11時55分のバスで一本杉公園へ。道路の反対側の小洒落たフランス料理店「ル・ムー」へ。赤ワインで乾杯のあとは、中身の濃いランチを楽しみ、一寸北風は冷たいが春の日差しの中、一本杉公園へ。意匠不明な石のモニュメントを横目に公園を抜けて小野路へはいり、K氏邸の前から奈良バイ、小野路城跡、こうせん塚から五反田谷戸へ。例年なら春の息吹が芽吹きという形で迎えてくれるところが、今冬の名残の冷たい風が、”まだまだ”と言っているような。それでも日差しは暖かく、絶好の里山歩き日和。途中奈良バイでで出会った、町田暦環管理組合の方に、小野路の地域保全のお話を伺うことが出来た。

奈良バイ
には、炭焼き小屋もあり、
年に何回かは炭を焼いているそうな




五反田谷戸では定番になりつつある、影絵遊び。

17時05分発のバスを待つ間に、急速に温度が下がり、町田についてそばや「石の森」に入ると、熱燗の有り難味を再認識。18時に始まった反省会は店の閉店間際まで続き、10月22日の秋の行事を決めてざる蕎麦で〆て、町田駅前で三週間後の集いを確認し解散。今回も、そばや「石の森」のそば屋とは思えない料理の内容に感激、昼間の「ほろ酔いセット」もお勧めか。



その晩は東横イン町田駅前に泊まり、翌朝、近くに武相荘があるということで、ホテル前から鶴川行きのバスで鶴川北口に行き、駅前から一キロ一寸の武相荘へ。武相荘は白洲次郎・正子夫妻が戦中から晩年を過ごした地。今年は、白洲正子生誕100年ということで、幾つかの企画が組まれているそうな。明治に恵まれた家庭に生まれ、十代で海外に留学し、戦前から戦後を自由に生きた二人の足跡の一端を垣間見、「葬式と戒名なし」は参考にしたいと思いつつ、雲ひとつ無い快晴の中鶴川駅へ。 

2011年 03月11日 14時46分~
その時は、家にいて居間で本を読んでいた。 グラグラっときた。それもだんだん揺れが大きくなり、薄型テレビを押さえにかかったほどで、これまでの体験した揺れの経験値をはるかに越えていると思ったが、体は動かない。数分・・・、まづはテレビを付けたら、地震情報が、15時過ぎには、NHKのヘリコプターが仙台近郊の海岸付近を捉えており、しばらうすると津波のアナウンスがあり、海岸付近から大きな波が仙台平野を・・・。ヘリコプターが津波の向う方向を移すが、自動車道路を車が走っており、津波は田畑や家々を飲み込んで静かに自動車道路に。仙台自動車道路に押し寄せた津波は、道路を越えることは出来ずに、テレビは別の映像に。 その後、テレビを通じて三陸海岸方面の大被害が明らかに。

夕方、都内に勤務する家族を迎えに車ででたが、直ぐに渋滞に巻き込まれ、家族をピックアップし、家に戻ったのが、23時過ぎ。
その夜から伝えられる大地震の被害状況と、連続する余震の中で、残りの余生は復興への係わり抜きには語れないと思うように。 その中で、福島原発の問題が大きくクローズアップ。福島の浜通り全体への大ダメージ。 官房長官の、”状況は問題なし”が問題。 水素爆発以降の、現地からの情報の信頼性低下。

原発問題は、炉心融解から、廃炉に向けた工程図描けず。 避難指示も腰砕け、一方で、放射線の降り注ぐ範囲は拡大。風評被害も輪をかけて。原発問題は、先が読めない。

2011年 03月05日 「ローマの休日」を観た
「ローマの休日」を観た。 ついに、映画館のスクリーンで観た。
それくらい、映画館のスクリーンで観たかった映画の一つである。 「ローマの休日」が製作されたのは、1953年なので当時の封切りされた時点では全く観 ることなぞできなかったが、その後オードリー・ヘプバーンの魅力をしり、また断片的にテレビで紹介されるビデオクリップをみて、ビデオではなく映画館で観 たい映画と思ってきた。 それが「朝10時からの映画祭」二年目の企画で、みゆき座で見るチャンスが出来て早速観にいってきた。
映画そのものは、35ミリの画面サイズと、音響は当時の録音技術のために、金属音が特徴の、昔の映画館の音響そのものだったが、最初のクレジットで、"Introducing Audrey Hepburn"がGregory Peckと同じ主役として紹介され、映画が始まると、二十代前半のオードリー・ヘプバーンの魅力に圧倒されてしまった。
撮影当時のオードリー・ヘプバーンは新人だったが、スクリーン上の魅力は大女優のもの。前半の長い黒髪も良いが、中盤から後半の短髪も最高の美しさ。 真実の口でのアドリブの演技に対しての、ヘプバーンの驚きの反応、最後の記者会見での、”ローマが最高だったと”という場面では涙が出てくるほどだった。

帰りに、最寄の駅の本屋に寄ったら、DVD売り場で、「ローマの休日」、390円という棚に出会い、早速購入。 今回のスクリーンでの出会いがあるので、DVDでもスクリーンでの感動は再現できるとおもうので、楽しみである。

2011年 02月24日-26日 二度目の台北
初日
昨年の二月に続き二度目の台北へ。きっかけは元日のHISの新聞広告で、三日間で198と298の目玉商品の記事を見つけてお屠蘇の勢いで、ホームページを検索したら、ネットで申し込める198は既に一杯で、298にまだ空きがあったので申し込んだもの。 羽田早朝発、羽田夜着、台北の松山空港発着なので、三日間でも台北滞在時間は長く取れる。羽田早朝発というのは7時発なので、二時間前のチェックインとなると、羽田近くの前泊が必要となり、大鳥居の近くに宿をとり、24日朝5時の送迎バスで羽田国際線ターミナルへ。5時15分頃に、チャイナエアラインのチェックインカウンターにはすでに50人近い客が並んでおり、5時45分ごろにエアーチケットを提示しチェックイン、席は41のAとB,かなり後部の席。搭乗手続きまで四階の茶店で軽い朝食をとり、出国申請も書かず出国手続きをし6時40分ごろ搭乗。 台北松山空港まで3時間30分ほど、現地時間9時40分ほどに着陸。 迎えのバスで、免税店経由、第一大飯店まで送られ、荷物を預け、パラパラと雨模様の中台北市内に繰り出した。傘が一つしかなかったので、近くのファミリーマートで傘を一つ購入。 昨年も雨の九份で傘を購入したが台北での最初の買い物が傘なのか。 雨なので、花の陽明山案はなくなり、故宮博物館へ、その途中で昼飯とMRT中山站まで歩いたが、中国語のメニューでは中々入りにくく結局、士林站まで行き、駅の周辺の店に入り、牛肉麺(90NT$)をメニューを指差しして注文。麺は中太麺、うどんの食感、スープは、台湾製醤油味、具に牛肉五きれ、キャベツの茹でたもの、量は小腹を満たす量、食べやすい麺。客の半数近くが同じ麺を食べている。同じテーブルで相席になった若い娘たちが食べていた、小さな器に蕎麦掻ふうの物の上にたれを乗せたものが気になったが、確認できず、店を後にしてタクシーで故宮博物館へ。昨年は春節の前で中国本土からの観光客で大渋滞だったが、今回は比較的空いている中で、紫禁城から持ち帰った63万点の中の2000点の中の貴重な遺産を見ることが出来た。見所は中国の紀元前の文字が刻まれた鉄器や石器、清朝時代を中心とした彫り物、何故か三国志の時代のものは展示されていなかった。三時間近く過ごし、くたびれたところで、一階の茶店で、ケーキ付きのお茶を飲み、タクシーでホテルへ。タクシーのドライバーがホテル到着直前に、茶の店の宣伝をし、215元を200に負けてくれたがもう少し誘ってくれたら茶家まで行ったはず。
部屋は、115、フロントで10階の部屋と確認し、10階の部屋へ。北側の部屋で窓から見える光景はアジアの町の下町の家並。部屋でしばし休息し、18時近くに歩いていける、昨年も行った「天香回味」へ。昨年は春節前だったために店は満員でしばし待たされたが、今回は空席が多く、直ぐに通されて席に着いた。メニューから肉は、牛と豚を各一皿とその他無難なものを適当に選び、飲み物は350元の紹興酒を確認したら予想通りボトルだったので、台湾ビールを注文。一時間ほど火鍋を楽しんだが、一月に日本橋の同じ店のものに比べて赤いスープの辛さが本場の辛さと違いが鮮明。
ホテルに戻り、飲み足りないところを持ち込んだ、Ballentineで中和し熟睡へ。


二日目
7時40分ホテルロビー集合に併せ、軽く朝食を取り、迎えのバスで市内観光で。途中でピックアップした客でバスは満員、同じツアーバスが、十台でているようで、見学の順番を調整したそうで、最初が8時半会館の故宮博物館へ。会館直後の為に昨日よりガラガラのなか、一時間強見学。日本にも留学したという王さんのガイドに納得しながら9時45分まで見学し、次ぎの場所は、忠烈祠の衛兵の交代式、医学の神を祭った保安宮から孔子廟から、お茶セミナーへ。ウーロン茶始めプーアール茶の効用を聞かされ、プーアール茶のお買い得先着6名に手を挙げて二つ目の買い物、10000円。昼食は中華料理の「梅子」。10人毎のテーブルに9品ほどが次々と運ばれてくる。グラス一杯150元の紹興酒で味わい、30分強の昼食後午後一番は、漢方薬店+足つぼマッサージへ、700元で足つぼマッサージ初体験。悲鳴を上げるほど痛くは無かったが、翌日までマッサージを受けた部分に痛みが残った。中正紀念堂で日本ではあまり紹介されていない蒋介石の記録を見、今でも大統領府として使われている、旧台湾総督府などを回って、民芸品売り場で夜のコースへの再編成。 
この民芸品店で北投石のリングを示され、玉川温泉と同じ効用を持つという宣伝につられ、北投石リングを購入。午前中の保安宮でのおみくじは”吉”と出ていたので、気分が乗っていたのではと思うが。

17時過ぎ、オプションの「鼎泰豊」本店+士林夜市のコースへ。 席の予約を取らない、鼎泰豊で40人ほどの席を調整し4階の席へ。ここでは台湾ビールで、前菜二種、餃子三種類、海老シュウマイ、小龍包二人で一桶、スープ、炒飯の九品とデザートの餡小龍包。 忙しかったが種類と量は丁度良い。店から一寸歩いて、吉野家と日式ラーメン屋のまえからバスで士林夜市へ。 帰りはタクシー、MRTで帰る人と、バスで帰る人に別れ夜市を40分近く歩きバスで帰ることに。ここではフライドチキンに興味があったが、長い列に並んで購入しても食べきれないと思い今回もスキップ。帰りのバスはホテルの方向によって二台に分割されて10人乗りのバンで速やかにホテル前に。コンビニによりBallentineを補充し、二日目も熟睡へ。

三日目
丁度、国際花博覧会が開催中だったのだが、ガイドさんに聞いたら大混雑することと丁度土曜日ということから新北投の温泉に行くことに。MRT中山站ら淡水行きは花博行きの客で混雑、新北投への乗り換え駅、北投站まで30分、乗り換えて新北投まで5分。旧日本統治時代に開かれたという新北投温泉街、は思っていた以上に明るい町、日本の温泉地のイメージは無い。前日お勧めの温泉館、水美温泉会館の場所を確認し、地熱池を目指す。途中、日本を代表する温泉宿、加賀屋、前日のガイドさんの話では女将が着ているそうな、を眺めながら暖かい日差しの中、地熱池へ。地獄谷のイメージというより温泉池。帰りは温泉博物館と台湾文士の愛した記念館を見物。温泉博物館では戦前に新北投温泉を紹介している日本のニュースを放映していた。
前回もそうだが今回も台湾の人々の日本・日本人に対する感触が柔らかいというか親しみがあるというように感じていたが、228事件前後の状況を知れば知るほどその状況が見えて来たように思われる。

帰りは水美温泉会館で入浴、大浴場の700元x2ではなく、個室1時間30分、1080元を選択、約一時間、マンションの中の展望の無い風呂で一汗流した。

昼近くになっていたので、前回滞在した西門站に行き、台湾牛乳大王で、イチゴジュースとサンドイッチ(三明治)で一息つき、途中、人の顔のシルエットを紙きりで切り抜け芸に心引かれたが行列が出来ており今回はあきらめた。 14時過ぎにホテルに戻り、14時40分ピックアップのバスで、みやげ物や経由、松山空港へ。空港ではパスポートだけで、チェックイン、12のD,E席。出国もスムーズ、小腹が空いたので、甘めの腸詰めとHeinekenで小休止後、台湾でレシートについている籤番号が二ヶ月に一度の抽選で、最高200万元、下三桁あえば200元の賞金がでるそうなので、集めたレシート10枚ほどを寄付用の回収箱へ。
DutyFreeShopを眺めていたら、純米大吟醸のラベルを発見。台湾で醸造されていると思える、ラベルの記述、値段は、1000元、日本円で約3000円、日台の物価価格事態で補正すれば8000円程度か、興味を引かれたが味わうのは次の台湾旅行の際にと思いつつ、で18時半機内へ、ビールとワインと、チキン料理を味わい、席毎の液晶を操作し、「恋とニュースのつくりかた」を見ている2時間半ほどの間に、羽田着。荷物を受け取り、23時45分の津田沼行きバスで、津田沼からタクシーで、翌日1時前に帰宅。


2011年 02月19日-20日 来迎寺
朝6時半に家を出て、8時48分MAXときの一階席で越後へ。土曜日で越後湯沢に向かうスキー客で二階席はとれず、車窓を楽しむことはできない。在来線なら浅間山や赤城、越後に入ると巻機山、越後三山が眺められるのだが、MAXときの一階席はその楽しみは全くなし。
九時半に長岡着、ホテルに荷物を預け10時20分直江津行きまで駅の構内のコーヒショップで時間をつぶす。10時20分直江津行き、天気は春の息吹を感じさせる暖かい日差し、10時32分、来迎寺着。蔵めぐりと思える20人ほどの客が降りた。知人の迎えを待ち、蔵めぐりまでしばし時間を近くの宝幸稲荷大社に案内してもらう。大社という形容詞が大納得できる、大きな稲荷。先入観の稲荷神社の規模ではない。近くを通られたら一見の価値あり。

12時前に蔵の駐車場に車を止め、蔵の中へ。 近くから見る蔵は、蔵というより工場、煙突も煙もないので、工場というより研究所のイメージ。入り口を入ると、ちょっとしたホールのエントランス。
エントランスホールの奥に、席と蔵人による歓迎の昔の蔵風景の演奏が。12時から蔵めぐりの第一グループが出発したところで、その次の20人ほどの第二グループに入る。髪の毛落髪防止のキャップをかぶり、朝日蔵へ案内される。見慣れた山形の蔵とは全くの別物。蔵の入り口で、白の上着をつけ、手を消毒しエレベータで四階へ。そこは麹製造室と、甑ルーム。麹を入れる器、”へぎ”、の麹を味わい、酒母室へ。さらに三階のもろみタンクの階へ。 一本、10000ℓのタンクが・・・・



土曜が、300人強、日曜が450人強の見学者を予定しているとのことで、絞りの作業は行われていなかったので、絞りたては味わえなかったが、試飲は別途、社員食堂に用意されており、”かめぐち”としておいしいお酒の絞りたてが味わうことができた。季節限定の酒を含めて、100種類程のお酒を造っているそうな。

蔵見学後、長岡駅前に行き、評判の店で、軽く昼食と思ったがこれがかなりの豪勢な食事に。蔵めぐりのあとなので、朝日山の万寿、影虎のぬる燗と、あわせ贅沢なひと時になってしまった。 気がつくと17時近くになっており、ホテルに戻り小休止、結局、夜の居酒屋行きは中止に。

翌日は、10時31分上越線水上行きに乗ろうと駅に行くと、改札口で駅員と乗客が群れている。立ち止まって耳を澄ますと、機関車が故障で水上までは行かないとのこと。時間があるので、車両で待つと、少し遅れ気味に発車。新幹線の一階席では(二階席も同じだが)、越後三山を楽しみながら小出をでて、浦佐に着くとここから先は、様子見で進まないとのこと。直るまで待つかと思っていたら、代行バスを用意するとのことで、浦佐駅の西口へ。そこにはマイクロバスのタクシーが三台、各々20人ほどを乗せて、途中の駅で降りる客を確認しながら、六日町、石打を経て一時間遅れで越後湯沢へ。一時間置きのガーラ越後発の「谷川」の時刻を確認し、越後湯沢構内の「小島屋」に向かうと店の中は満員、待ち行列も出来ており、「谷川」の発車時刻から立ち食いそばに変更し、安上がりに済ましたが、前日の豪勢な昼食の後なので丁度よいところか。
13時08分発の「谷川」は、ガラガラ、食後の満腹感と二日間の心地よい疲れが、気持ちよい居眠りに・・・・

2011年 02月10日-12日 旅篭町・七日町・置賜蔵巡
2011の私の春節は旅篭町で。新宿10時50分仙台行き政宗号は三列シート、1Cの席で、五時間半の予定が、明治通りの渋滞で30分遅れで仙台東口着。早足で、西口のバス停から山形行きで雪模様の中、18時過ぎ山形着。100円バスで、七日町でおり、ホテルチェックイン後、旅篭町へ。カウンターの先客二人の右側に座り、三連のグラスが置かれ至福のときが始まる。翌日の蔵めぐりを考えて21時にはと思っていたが、22時を過ぎて気がついた時はベッドの上。
翌朝は、8時にホテルを出て、旅篭町の店先に集合し置賜蔵めぐりの幕が開いた。
昨年の猛暑で酒米が硬く溶けにくく苦労しているいう杜氏の話もそこそこに、もろみの香りに誘われ蔵の中へ。 もろみを柄杓で蛇の目猪口に汲み、味わい至福の時を過ごす。絞りたての新酒だけでなく、ある蔵では、23年の熟成を経た古酒も味わうことが出来、酒好きにとって最高の贅沢を味わう。三つの蔵をめぐり、七日町に戻り、反省会を行い、蔵からの差し入れを味わいながら己の未熟さを反省。

翌日は、道路上の雪の上を慎重に歩き、7時にドーナッツ屋で軽い食事を取り、7時50分山形発仙台行きバスで仙台に出て、
9時20分発、新宿行きバス1C席で優雅な蔵めぐりの旅を締めくくった。

2011年02月02日 袋田の滝から那珂湊
2011年の一月は、千葉と東京での何度かの飲み会で穏やかに過ごし、二月からちょっと遠出ということで選んだのが袋田の滝。袋田の滝の凍結状況から週末は混むだろうと思い、平日の早朝家を出て、最寄のマックでホットケーキで朝食をとり、常磐道柏ICから入り一路茨城へ。那珂ICの手前のPAで小休止したあと、118号を北上。10時前に袋田の滝の公共駐車場に止めて、袋田の滝入り口まで15分、入場券300円を払い、トンネルの中へ。駐車場から袋田の滝入り口までは、閑散とした田舎の道だったが、トンネルの中は多少行きかう人も増えてきて、観瀑台に出ると、結構賑わっている。目立つのは三脚を持った人々、といいつつその輪に加わったのだが。

袋田の滝は凍っていたが、昔観た写真のイメージから期待していた迫力が・・・・。 凍っているが、落水もあり、90%程度の凍結状況と、なんといっても氷の厚みが感じられない。 よく観ると、岩の表面の部分が凍結しているだけで、滝全体という期待値の迫力がない。温暖化で水量が減ったのか、気温が緩んで氷が崩壊したのか。エレベータで上部の観瀑台に出てみると、滝の三段全貌が見える。何枚か写真を撮った後、つり橋を渡り、対岸の散策路を下り、滝の入り口へもどる。袋田の滝に行くことを決めたときは、昼食は近くの蕎麦屋でけんちんそばでもと思ったが、那珂湊に寄ることを思いついてからは、けんちんそばはなくなり、コーヒーでもと感じたが、幾つかの店の雰囲気はそんな感じはなし。11時過ぎに車に戻り、ナビの行く先を那珂湊水産市場に合わせ118号を南下。

道なりに那珂湊の街中を進み、人通りの多くなった交差点を直進したところが那珂湊おさかな市場駐車場。90%程の駐車状況の隙間に車を止め、近くの市場へ。袋田の滝の混み具合に比べ、こちらは大混雑、店の中は譲り合いながら進む程。まづは腹ごしらえと二階の食堂に行ってみると、団体さんが出たばかりで、テーブルの上は混乱状況。市場の近くの海鮮食堂に行き、空きをまつこと20分。看板にあった、売れ筋海鮮丼を注文し、納得の味を楽しんだ。帰りは市場で幾つかの海産物を購入し、大洗の海岸通を抜けて、51号を潮来まで南下し、東関東自動車道経由で、帰宅。

2011年 01月09日-10日 再度成田 「ひぐらし」
暮れに行って好印象だった店。前回は、〆のざるがハーフだったので、つまみをの量を控えて、〆はざる一枚。ただし、こんかいは、新年の連休のせいか店は混んでいて真ん中の10人は座れる大テーブル。さらに喫煙者が途中から加わり、一寸減点。うまいさけと、つまみと蕎麦を供し、雰囲気は良い店には、タバコの煙と匂いは馴染まない。


2010年12月31日 七三で蕎麦を打つ
家族からの要望で、年越し蕎麦を打つことに。 残っていたそば粉が、360㌘、中力粉を加えて500㌘にして、水は220cc。久しぶりの蕎麦うちにテキストを見ながら、まずは蕎麦をこねる。 みずやりは、一回目で半分、そば粉を掬うように、小さな塊にし、二回目の水遣り、残りの半分、更に掬い、三回目の水遣りで、こねながら塊を大きくする。 大きな塊になったところで、一つに丸めるように捏ねる。こねながら、練り、表面につやがでるまで練る。 練りあがったところで、熨し板をだし打ち粉を篩いその上で、丸めたそば粉を置き、上から押し付けるようにし、円盤状にする。 ここまではテキスト通り。 熨し棒でさらに熨す。 ここが今回の課題、その①。熨し棒に巻きつけて延ばす行程、何度か延ばし拡げるうちにしわが寄ってきてしまった。なんとかしわを伸ばして、厚さを整えてから、蕎麦を切る行程へ。 これも多少ばらつきはあるものの、なんとか蕎麦の形に。 この時点で、17時。トレイに移し、ラップをかけ、冷蔵庫に。夕食はおせち料理と、十四代の大吟醸。そばは21時過ぎの夜食に。

21時過ぎに、大鍋に湯を沸かし、ボール①を水を流しいれ、ボール②に、氷を入れておく。大鍋の湯が煮立ったら、そばトレイその①のそばを入れサイド沸騰してから、45秒を目安に、蕎麦をざるで掬い、ボール①で、ぬめりをとり、ボール②の氷水で引き締める。ざるに盛って食卓へ。
そばつゆは、テキスト通りに、かえしを、醤油200cc、砂糖40㌘、みりん大さじ二、を沸騰させず五分ほど加熱。だしは、昆布とかつぶしで、とり
、食べるときに併せることに。

さて、年越し蕎麦の味は、一寸、そばが切れてしまったが、歯ごたえ、喉越しは問題なし。

2011年への課題は、熨し棒で熨す際に、しわを作らないこと、それと茹でたそばが切れないこと。 オリジナルのかえしは、その先の課題。

還暦後、四年目の入り方も概ね良好と、2010を振り返りつつ除夜の鐘を幾つか聴いたところで、熟睡へ。

2010年 12月19日-20日 成田 「ひぐらし」
家族が、朝6:00着の、QANTAS機で帰ってくるので、前日から成田ビューホテルに泊まり、夜は成田駅前にくりだす。 駅前のそばや、「ひぐらし」は日曜休日だったので、適当な居酒屋を探そうとしていたら、「ひぐらし」の前の暖簾と灯りが灯っていたのを確認し、近くを散策した後店の前に。二階の店への階段を上って木の引き戸をあけると、中はそば屋という雰囲気というより、粋なスナック風。 四人がけテーブル一つと、10人ぐらいは座れる大きなテーブルと、奥に五人座れるカウンターが。カウンターの中には、そば屋の店員というより、小粋なバーの女性バーテンダーという勝手なイメージの女性。 カウンターの両端に先客があったので、真ん中に座り、まずは、一杯と、メニューから地元の酒、長命泉。 つまみは、さつま揚げ、お勧めの中から、牡蠣フライ、そして定番の玉子焼き。 直ぐに、突き出しのアンキモの小鉢。日曜は休日だと思っていたのだけどと、話しかけると、12月と1月は無休との返事。 つまみが運ばれてくると、いつものことながら、1人には多すぎたと軽い後悔。 二本目は不動。いずれも本醸造クラスだが、悪くない。 
前夜は、サークルの忘年会があり、山形の朝日鷹を持ち込んで楽しんだが、それと比べることは無い。 
三本目は、スッキリ系長命泉と、一寸、こくのある不動から、不動を選択、同時に〆のざる、それもメニューにあるハーフを注文。
そばは、期待を裏切らずそばやの納得のもの。 次回は家族を伴ってと思いつつ、店を後に駅前からホテルのバスで戻り、寝酒のJackDanielを飲みながら熟睡へ。

家族を乗せたQANTAS QF21は20日AM6:02時、無事Landing、その状況をホテルの部屋から確認してホテル6:10発のバスで第二ターミナルへ。

2010年 12月11日-13日 山形から、村上、長岡 「そば処 越州」
   12月11日旅篭町で、22BYの美味い酒を中心に一夜を堪能。 翌日、米沢から113号線を経て、村上市へ。 村上市内や駅前に入るのは初めて。きっかけは村上市の鮭の記事・映像の記憶から。 駅前のタウンホテルにチェックイン後、傘を片手に村上駅から村上市外をあるく。肴町、鍛治町と、村上市の中心街を歩く。旧い店構えが続くが、シャッターを下ろしている店は無い。上町、大町と整備された一角に、鮭専門店、「きっかわ」がある。 店の構えは板戸の目立たないもの。引き戸を開けて店内に入ると鮭の商品がならぶ棚が。 さらに入ると、天井から鮭の燻製が一面に。
おみやげに、塩引きと、鮭の酒びたしを籠に入れてレジのところに出すと、今日中に冷蔵庫に入れることは出来るかとの問いに、それは出来ないと答えると難しそうな顔をしたので、確認すると、塩引きの鮭は微妙な作りで、速やかな冷蔵保管が必要とのこと。 それで、塩引きはあきらめた。普通の塩引きは塩引きしているので、大丈夫かと思っていたが、そうでないところが村上の鮭の塩引きの所以か。 


鮭の酒びたしを土産にし、ホテルに戻り、居酒屋へ。ホテルで近くの居酒屋を聴き、夜の村上駅周辺を彷徨うが、結局ホテル近くの店に。 居酒屋というよりスナック風、
奥の座敷に宴会のセットが用意されてるのを見て、カウンターに。 酒の村上の酒、大洋酒造の大洋盛と、宮尾酒造の〆張鶴。まずは、地元限定酒という、大洋盛の紫雲。新潟酒のスッキリ系、ぶりの刺身も良い、大洋盛の吟醸酒から、最後は、〆張鶴の大吟醸。 と飲んでいる間に、いつの間にか店の座敷と、テーブルが一杯になり、カウンターの空きを待つ人が入ったところで、お勘定。

翌日は、日本海東北自動車道から、長岡に出て、長岡駅の駐車場にクルマを停め土産を買い、新潟第一の蔵元、朝日酒造へ。 来迎寺駅前から狭い道を抜けると、右側に山形の酒蔵を見慣れている先入観からは大きく外れる、どこかの研究所かと思える、本社ビルと蔵の一角が視野一杯に姿を現す。

新潟は、日本酒生産高は、兵庫県、京都府についで、第三位、その県を代表する酒蔵である。
飛び込みで蔵めぐりは難しいのではと思い、蔵元はパスして、蔵前の道の反対側にある、「そば処 越州」へ。 「そば処 越州」の前の駐車場に停めるスペースが無かったので、小川を登ったところの、越州陶芸工房の前の駐車場に停める。 小川のところには、蛍の住む小川という案内板が。 そば処は、民家風の店構えと、広めの座敷とテーブル。 蕎麦は、地元産そば粉につなぎ無し、仕込み水で練ったもの。朝日酒造の蔵元直行の酒を飲みながら、最高と思いながら、蕎麦を楽しむ。 次回は、宿を取り、来迎寺駅から10分ほどの道を歩いてくるのも良いと思いつつ、クルマへ。そのとき、すれ違った白髪の人はどこかで会った事があるようなと思いつつ、帰宅して調べたら朝日酒造のOwnerそっくりの人だった。

来年は、長岡を訪れる機会も増えそうな予感を抱きながら、小千谷ICからガラガラの関越道に。
 

2010年 11月22日-28日 前橋から長岡  
   11月23日の前橋のウォーキングジャンボリーに参加するために、雨模様の中、常磐線、水戸線、両毛線で佐野経由で前橋駅前に。北口駅前は工事中だが、閉鎖した駅前のスーパーはそのまま。駅前通は田舎の光景。駅から二分の宿に入り、18時近くに傘をさして、めあての居酒屋へ。 月曜の夜だけど、祝日前のせいか繁華街と思える一角は暗い。暗い横丁の中に、ちいさな暖簾、「つくし」を発見、おそるおそる引き戸を開けるとすぐにカウンターの狭い店に最初の客に。 壁にメニューが並ぶが、酒の種類は不明なので、地酒を所望すると、開けていない一升瓶を開け、冷酒用の一合はないグラスについでくれた。 すっきりとのみ口のよい酒、突き出しはおでん、別の店と間違えて、ぶりのなめろうを頼むが、アジしかないというのでそれを頼む。 ぶりのなめろうは、長岡だった。 次の酒は、三代目というラベルの酒、これも封切りの一升瓶から。アジのなめろうをちびりちびり、酒を同じくちびりちびり。 三代目の若主人は煙を吐きながら。三杯目、四杯目と新しい酒を封切り、最後は、赤城山、店は小さく灰皿もあるが、酒好きには憩える店。

帰りに、駅前のコンビニで寝酒を仕入れ、翌日のウォーキングに備えて早めにベッドに。

23日は早朝までの雨も、上がり、スタート地点の前橋大島駅に行き、参加費を払い、荷物を預けたいと聞くがその対応はないとのことで、ザックは担いだまま、スタートを待つ。 23㌔ウォーキングの参加者は、県外からの参加者を含めても、1000人には満たないこじんまりした規模。 スタートすると両毛線沿いから、広瀬川沿いを歩き、利根川河川敷をバラ園まで行き、そこから利根川を渡り、古墳から群馬総社を経て、前橋駅前から両毛線沿いに、前橋大島駅前公園まで、4時間半のウォーキングを楽しんだ後、高崎からグリーン車で一杯やりながら帰宅。

そしてその週の土曜日は、所要から長岡へ。 宿は駅から一分、部屋で少々休み、18時半に駅前のアーケード外を抜け、踏み切り近くの店へ。割烹「魚仙」。 中央に10人以上座れるL字型カウンター、右側に畳敷きのテーブルが三つほど並ぶ。酒のメニューは、新潟の本醸造が並び、その中の五つの組み合わせたものがいくつかあり、早速、越の寒梅、八海山、久保田が入っているものを頼む。 付け出しはいわしを甘く煮付けたもの。酒は、いずれも端麗辛口のすっきり飲みやすいもの。五つにはそれぞれ癖があるが、新潟の酒そのもの。時々客が入ってくると背中を冷気が撫でていき、ぞくっとする。 特選あぶらあげ、ぶりのなめろうを頼み、純米吟醸を聞くと何種類か冷蔵庫いあり、封の切っていない、越の・・・・を頼むと三合からとのことで、三合を頼むと、新潟の酒器、真ん中に氷を入れて冷やす器で出された。 同時に頼んだ厚焼きとサトイモのあんかけが出されたが、どちらも冷たい料理。厚焼きなどあたたかいものを期待したので、そのギャップに改めて新潟の寒さがしみてきた。
純米吟醸もすっきり系。 翌日の予定を考慮し飲みすぎないうちに店を後にする。

翌日は、雨。 駅前で待ち合わせて、タクシーで来迎寺近くの家へ。初対面の挨拶のあと、日本酒他の話題で談笑し、場所を変えて、市内の料亭「かも川 別館」へ。 この場所の設定は予想外。 ここで、久保田の千寿と朝日山の原酒を堪能、〆はそばで仕上げ、三時過ぎの新幹線で帰宅。 

話の場で出た、片貝祭りは、長岡の大花火以上に見物の価値ありとのことで、来年の行動計画に早速組み込むことに。
 

2010年 11月06日-08日 旅篭町から、113号線、沼田駅前経由の旅 + 地元の「柿」
旅篭町の会に向けて、車で出かける。 三郷の直前で東北道の渋滞情報から急遽常磐道から磐越道経由に。最後に磐越道を走ったのは大分前田が、その時点で一部対面一車線区間があったので、高速料金を払って走りたい道路ではなかったが、既に一車線部分は解消。 郡山ICの手抜きICのみ健在。 七時に家を出て、大きな渋滞もなく、12時近くに福島飯坂ICから13号線で米沢に。米沢市内のそば屋、「弥平」で新そばを味わい、三時過ぎに山形市内へ。 酒屋で新酒を入手し、16時にホテルへチェックイン。 一階の大浴場で汗を流し、18時からの仁左衛門の会へ。
写した写真から23時近くまで飲んでいた模様。

それでも、翌朝、5時過ぎには目覚め、8時にはホテルをチェックアウトして、柏木峠を抜け、二井宿の直売所で漬物を買い、米沢のスーパーでサトイモ他を購入し、113号線にでて紅葉真っ盛りの米坂線沿線を走る。13時、小国の道の駅、14時過ぎに、日本海に抜けて、新しくできた荒川胎内ICから高速に入る。 16時前に、塩沢石内SAで遅めのまいたけ蕎麦の昼食。17時前に美☆里小舎。
18時過ぎに街道の湯に入り、早目の夜食を取り、小屋にもどり、日本シリーズ第七戦を楽しむ。日本シリーズ三度目の延長戦も、最後はパリーグの地力がセリーグを制した。 来年のパリーグは面白そうだ。

翌朝、軽い朝食後、10時過ぎに小屋をでて、三国峠を越えて、法師温泉へ。 ここも大分前に一度立ち寄ったことがあったが、平日とは言え紅葉の見ごろでもあり、フルムーンポスターの大浴場は、10人前後の混浴状況。 誰も居なければ写真をとも思い、脱衣所までカメラを持ち込んだが目論見は不成立。 温めの浴槽で、丸太に頭を乗せ、30分近くを過ごし、女性に見られているかもと、一寸意識しながら脱衣所に。

コーヒーでも飲みたかったが、ロビー付付近にはそのようなメニューは無い。
宿を出て、しばらく周囲を散策。

クルマに戻り、17号線にでて、湯宿の交差点から匠の里に入る。中央の駐車場は観光バス他でかなり混雑。直売所で、リンゴ他を購入し、沼田駅前に向かう。 沼田駅前の、一時間まで無料の駐車場に停め、「あがり家」に。昼時で7~8人の先客、いつものとろろ蕎麦を頼む。

沼田からは、関越道にのり、休日の大渋滞とは無縁の、平日の高速を走る。

寄居のSAで、ようやくコーヒーを飲み、のんびりと帰路につく。


地元のタウン誌の最新号に乗っていた、地元のそば屋の紹介記事のなかに、家から歩いて10分ほどのところに、「柿(こけら)」という店があることを知り、翌日の火曜日、ウォーキングのコースを変えて店の場所と思える方面を歩いたが、住宅街のため、あまりうろうろも出来ず、店を見つけることは出来ず、帰宅。 パソコンで店の場所を正確に確認、一筋ずれていたことを確認し、翌日、一時間のウォーキング後に、店に。 住宅街の普通の住居を一寸、リフォームしたような感じの内部は、居間があったと思える場所に、四人がけテーブルが、三つ。 二つのテーブルは先客があり、もう一つは後片付けを待つ状態。 台所と思える声をかけ、玄関のところの、椅子で片づけを待つ。 片付け後、テーブルに案内され、メニューを確認、ざるそば、辛み大根そば、葛豆腐、そば豆腐、デザート、コース。裏面はビールと、日本酒は「千寿」のみ。 とりあえず、千寿を頼む。

小皿、がついた、銚子。 蕎麦好きが始めた店だが、酒飲みではなさそうな様子。
2本目と蕎麦豆腐を頼み、残り少なくなったところで、ざる蕎麦を頼む。 一茶庵系の、T氏の教えを受けたそうで、細めの蕎麦と、そばつゆはタウン誌で紹介されるに十分なもの。小鉢には一寸ショッパイ漬物とラッキョウ半分と、揚げたての野菜の天ぷら、これは当たり前だが旨い。
そば湯を楽しみ、店を後にする。 家族と来て見たい店の一つ、望むらくは酒の選択肢がもう一寸広ければ・・・・

帰宅後、一休みしてから、17時から今年、三回目の芋煮鍋作り。

材料
◎さといも         1㌔
◎牛肉切り落とし   650㌘
◎こんにゃく        1枚
◎きのこ類       シメジ、えのき、しいたけ、まいたけ、エリンギ
◎ねぎ         好きなだけ

◎調味料       砂糖 大さじ1ほど
             酒、うまいたれ(無ければ醤油+だし)

2010年 10月16日-17日 会津鉄道、磐越西線経由山形 旅篭町
いつもは上りで利用する会津鉄道を下りで利用。北千住7時21分発の快速で、四人がけボックスシート、進行方向を背にし、、下今市乗換えで、鬼怒川温泉10時01分発「AIZマウントエクスプレス」で会津若松へ。会津若松で乗り換え時間3分で磐越西線で郡山へ。郡山から福島-米沢間を新幹線でその他在来線で、山形へ夕刻着。
夜は、旅篭町のカウンターで、18時から22時ころまでじっくり旨い酒を味わい、健康であることを再確認。

2010年 9月29日-10月04日 吉野から平城京へ+α

奥明日香の棚田を彩る彼岸花

吉野から平城京まほろばスリーデーウォーキングに参加のため、9月29日22時10発、夜行プレミアムバスに乗車。二階バスの、一階部分のプレミアムシートに収まり、眠り薬をたっぷり味わい、目覚めたときは京都市内。 9月30日の5時半。駅構内は閑散としており、待合室代わりに神戸往復し、九時過ぎにモーニングを取り、奈良線で桃山に。ウォーキングは10月01日からの三日間で、吉野の上千本の宿に入るまでの時間を伏見の蔵めぐりにと、月桂冠の昭和蔵と大蔵記念館を訪問。 伏見は月桂冠のほかに、黄桜ほか酒蔵が多い町。さらに大蔵記念館から200㍍ほどのところには、池田屋もあるという旬な町。JR桃山の駅から、近鉄桃山御陵駅前を通り、アーケードを抜けて、交差点の右側が昭和蔵というか、工場の一角。アーケード方向に戻り、竜馬通り商店街という細い路を抜けると、黄桜通り、池田屋通りと、京都風のしっとりした町並みが続き、宇治川の支流、濠川にでると月桂冠の旧い蔵の家並が、渡し舟のならぶ濠川を戻ると、そこが大蔵記念館。300円の入館料と引き換えに、月桂冠のワンカップ。
記念館での試飲はあったが、味わうほどの量ではなかったので、物足りない思いで、黄桜の記念館へ。こちらは、入館料はなく、かわりに一杯、100円のワンコインドリンク有。 限定販売の純米吟醸生酒を二杯、納得の旨さを楽しむ。

桃山御陵駅前で、月桂冠付きの軽食をとり、近鉄で一路吉野へ。ここには、やたがらすの蔵元もあるが、15時近い雨模様なので、まっすぐ吉野山へ。 吉野駅からロープウエイで吉野山口へ行き、バスの時刻を見たが適当なものがなく、上千本の宿を目指す。 参道にはみやげ物やと宿と、金峯山他の寺社が並ぶ。春には桜、秋の紅葉で賑わうだろう参道を、三十分程汗をかきながらのぼり、宿へ。 別送の荷物を受け取り、宿のクルマで別館へ。 山の斜面の宿は、部屋に行くまでに、階段を下り、さらに登っていくという工程。 部屋に入り、一寸落ち着いたあとで汗をながすべく一風呂浴び、18時半の夕食の席へ。 夕食の膳に、やたがらす二合をそえ、吉野の夜を味わった。
部屋に戻り、寝酒を楽しみ熟睡。


翌朝、6時半の朝食の後、7時半に宿の車で、吉野駅前に送ってもらう。 途中、、朝霧の谷のところで、しばらく前に雲海が見えたとの話を聞きながら、7時45分ころ吉野駅前に着く。駅前は、8時出発の30㌔組みで混雑していたが、8時過ぎに荷物を預け、しばし吉野水のコーヒーを飲みながら、出発式を待つ。










8時45分から出発式が始まり、主催者挨拶や、セント君の挨拶等続き、ストレッチの後、吉野口を出発、20㌔のウォーキング開始。今年の猛暑で、7月、8月、9月と吾妻山を除き殆ど歩いていなかったが、出だしは下り坂を快調に歩を進める。 吉野町役場を抜けると、芋峠へののぼりにかかるが、時速5㌔で芋峠まで一汗。芋峠から村へは下り、これも快調に歩を進め、12時過ぎに、棚田に稲穂と彼岸花が彩をそえる奥明日香へ。

暖かい棚田の周辺にはピクニックで集う観光客が行きかっているが、ウォーカーはひたすら歩くのみ。 石舞台脇のチェックポイントで軽く昼食をとり、今年、3月に訪れた石舞台を一周し、明日香村の遺跡道を飛鳥駅に。途中、亀石、鬼の俎板、雪隠、高松塚を経て14時前に飛鳥駅へ。

飛鳥駅の反対側500㍍にある、牽午子塚古墳にもと思っていたが、三ヵ月ぶりのウォーキングに足が従わず、荷物を受け取り飛鳥駅から八木西口の宿に向かう。 宿に入ると、缶ビールを購入し、一汗ながして、汗の補給の旨かったこと、ウォーキングの楽しみの一つ。

夜は、晩酌に、やたがらす二合、前夜の宿のものより、飲みやすい辛口。
宿に戻る途中のコンビニでワンカップ二本買い、寝酒に。疲れからか、酒のせいか熟睡できず。

翌朝は、7時前に食堂で、トースト二枚の軽い朝食を取り、畝傍駅から桜井までJRで出て、桜井市役所で9時に山辺の道、20㌔コースに。初日の疲れは、痛み止め服用で対処。 28度近い快晴の中、金谷の石仏から山辺の道を快走。 三輪山平等寺、大神神社ほか、遺跡・古寺社の銀座通りとも思える山辺の道、一つ一つの名所に時間を割かずに、時速5~6㌔で歩く。

途中、箸墓古墳に寄り道したかったが、寄り道せず、ひたすら汗を流しながらコースを歩む。

12時前に、天理観光農園で小休止、ソフトクリームに喉から手が伸びそうになったが、ミネラルウォーターで喉の渇きを癒す。
石神神宮で小休止後、白川溜池から櫟本駅へラストスパート。途中、天理教の各県別宿舎、豪華な施設が並ぶ一角を抜け、国道から名神国道の下をくぐり、このへんは、山辺の道の外れか、白川溜池で、新薬師寺から平城京跡へ向かう35㌔コースと別れ、櫟本駅へ。

次に山辺の道を歩くときは、石神神宮が始点または終点で寄り道しながらと思いつつ、14時に櫟本駅前へ。 ビールを飲みながら昼食をと思っていたが、駅前にはそれらしい店はない。 普段は無人駅と思える駅には、臨時駅員が二人、ホームには一時間に二本の列車を待つ、ウォーカーで駅開設以来一杯の状況。
櫟本から三駅目の奈良に出て、駅前から三メーターほどの宿に、タクシーで。 部屋に入る前に、缶ビール二本購入し、部屋に入って一本、シャワーを浴びた後、一本でようやく人心地。

18時近くまで、休憩し、奈良市内の目当ての居酒屋、「酒肆春鹿」へ。 名前の通り、奈良の地酒、「春鹿」を飲ませる店。
まずは、本醸造、つまみは、鯛、まぐろ、いか、さーもん、ゆばの盛り合わせ、次ぎは、純米吟醸の冷酒。店はカウンターに10席、二階にも個室があるもよう。 20㌔歩いて、水不足気味の体に春鹿は良く染みとおり、店をでるときは、一寸足元がふらつきながら、また来たい店と思いながら宿に。
寝酒は、コンビニで補給したJackDanielで熟睡。

翌日、10月03日は、前日の天気予報どおり、雨模様のどんよりした空。 ロビーで、ロールパンとコーヒーのシンプルな食事を取り、出発点の朱雀門まで、バスで三つ目のバス停まで行き、朱雀門まえのスタート/ゴール地点へ。
九時に20㌔コース出発、奈良駅から目抜き通りを抜け、奈良町センターから、普段行く機会の少なかった、奈良らしい奈良町の小道を通り抜け、春鹿の醸造元、今西清兵衛まえを抜け、志賀直哉旧居前を登り、春日神社前を通り、二月堂から東大寺を回り、鴻池運動公園のチェックポイントでは、バナナが提供され、小腹を満たし、住宅街を抜け、ウワナベ古墳、コナベ古墳から平城京跡地のゴールに、13時着。 途中、東大寺前からパラパラと振り出したが、傘を出さずに、歩き続ける。

乾いた喉に、ビールが恋しかったが、バナナだけの間食だったので、バスで、宿の近くに行き、喫茶店でサンドイッチとビールを頼み、乾いた喉にビールでサンドイッチを流し込み、宿に戻り缶ビール二本をシャワーの後に飲み、ようやく三日間のウォーキングを終わる。
夕刻から、本格的な雨になり、近くの鉄板焼き屋で、春鹿で乾杯。

翌日は、雨、ロビーでロールパンとコーヒーで朝食とし、荷物を宅配便に託し、近鉄奈良経由で、JR奈良へ。 途中、お土産でもと思ったが、朝の八時過ぎの目抜き通りはまだ開店前。 JR奈良駅のキオスクで奈良漬を購入。
JR奈良からは関西線(昔は関西本線)で、加茂、亀山経由で、名古屋に出たが、亀山で期待した昼食も駅の周辺には食堂の影も見えず、結局、名古屋駅の東海道線ホームの、立ち食いきしめん、そばの店で、かき揚げ天そばを摂る。 注文後にかき揚げを揚げたところ以外は、普通の駅の立ち食いそば。
名古屋から、豊橋、浜松経由、静岡からこだまで帰宅。 充実の奈良の旅をひと段落。

2010年 9月11日-12日 旅籠町で蔵元を囲む会
蔵元を囲む会に参加するために郡山までバスで行き、福島まで在来線で出て、福島から米沢まで新幹線で、米沢から山形まで在来線という形式、奥羽線は在来線の本数が少ないだけで乗車時間は大差ない、山形旅篭町の会は18時からに出席。旨い酒とつまみと語らいで気付いたときはいつものホテルのベッド。 

翌朝は、雨、7時前に山形駅に行くと米沢方面は土砂崩れで不通。 開通の見込みが見えないので、急遽、仙台行きのバスに変更。仙台について、乗車券のみ購 入し、改札口を抜けると、東北本線も白石まで開通したとのことで、福島までの運行が見えない。 改札口で、福島へ行きたいのだと駅員に話すと、なんと、新 幹線の特急券の振り替え乗車券を渡された。 乗車券と新幹線の振り替え特急券で、福島へ出ると、その先の郡山行きが、まだ白石にとまっているとのことで、 駅の前のバス停に行くと、丁度、郡山行きがきたので、それに乗り郡山へ。 郡山で黒磯行きに乗ると、福島からの列車が到着。 福島で、一時間近く待て ば、この列車で着たのかと思いつつ、二両編成の黒磯行きで旅を継続。 黒磯駅で、宇都宮行きに、乗り換え、宇都宮で、地酒と餃子で昼飯とし、宇都宮発上野 行きのグリーン車に収まり、帰宅の途へ。

2010年 8月30日-9月03日 釜山・慶州、フェリーのたび
釜山・慶州に行ってきた。 釜山に行くには、成田・羽田から飛行機で行くてと、福岡、下関、大阪からフェリーで行くてがある。 今回は、一番時間のかかる大阪南港からのフェリーの旅を選んだ。
大阪南港から、明石大橋、瀬戸大橋、来島海峡大橋、関門橋を抜け、対馬沖を通り、18時間で釜山へ。大阪南港を15時出港し、翌朝10時前に釜山フェリーターミナルに着岸する、なかなかのクルージングを楽しんだ。


釜山では、二泊三日で釜山市内と、かつての統一新羅の国、慶州の世界遺産他を回り、釜山のB級グルメを楽しみ、次回はいつごろにと思いながら、帰りのクルージングを楽しんだ。その旅のスナップショット。


フェリー着岸後、シャトルバスで、釜山駅前へ。宿泊するホテルはバス停の目の前。 11時前だったので、荷物をホテルに預け、釜山シテイツアーバスで、市内を一回り。釜山は海岸の町田が、バスはアップダウンのある道を通りしないの風光明媚な場所を縫って進む。 一つのコース、1時間40分で、二つのコースで釜山の見所をダイジェストで。



   [チャガルチ市場]


途中、国際市場付近の、シンチャントーストで昼飯、釜山ナビの口コミにあるとおり、中々のもの。

夕食は、チャガルチ市場で、ひらめ、ほや、あわび、うにを楽しむ。
飲み物は、ビールと釜山焼酎だが、一寸、物足りない。





次の日は、統一新羅の首都だった、慶州へ一日ツアーで行き、新羅時代の遺跡を見学。仏国寺、石窟庵、大陵苑・天馬塚、皇南パン、校洞法酒と巡り、昼は、森浦サムパブと中身の濃いツアー。
ただ、仏国寺も、石窟庵も建立当時の木造部分は、秀吉の朝鮮出兵で焼かれてしまい、土台とか、石造りの部分が遺跡の中心。
韓国の人にとって、豊臣秀吉と、伊藤博文の二人は、悪人の代表。


二日目の夕食は、知人に教えてもらった、西面にある、デジカルビの店。「捕盗庁」。
デジカルビとは、味付けした豚肉、味付けをしていない三枚肉、センサムギョッサルとキムチ鍋と、ビール二本で、19000ウオン。 円高でなくとも驚くほど安い。
今回は、韓国牛のカルビ他は楽しめなかったが釜山を味わいつくすには一週間は必要。 次回、季節のよいときにと、ソウル、釜山をKTXでつなぐ旅も悪くないと思う。



最終日の朝は、これも釜山ナビからお勧めの、あわび粥を。 釜山ナビの地図と店への行き方で、7時過ぎに済州屋へ。あわび粥とうにスープを堪能。


台風7号は東シナ海を北上し、ソウルの方に上陸したころ、釜山は傘をさす程度の雨。
翌週の台風9号は釜山とフェリーの航路を直撃したみたいなので、ラッキーな旅になった。
釜山を出て瀬戸内海に入るまで、1メートル位の波に一寸、ゆれを感じた程度。


今回は、大阪南港と釜山を結ぶフェリーを利用したが、フェリーといえども、国際路線。 その出入り口は、国の顔ともいえる、意味がある。 それが大阪南港はフェリーターミナルは、単なる渡し舟の桟橋、入出国の窓口はあるものの、売店も食堂も、DutyFreeShopも、まともな待合室もない。
対する釜山フェリーターミナルは、国際港としての、必要なものはちゃんとそろへ、入出国する人に、”おしょうしな”の思いが備わっている。 対する、大阪南港、大阪市の施設として作られ、運用されているが、役人仕事の最悪のもの。 韓国、中国から日本についても、銀行すらないので円への両替も出来ないし、観光案内所もないので、ガイドも入手できない。 日本の地方行政の、貧しさを見た思い。


”おしょうしな”とは、米沢地方の方言で、「こころをこめてもてなす」という意味。”



今回、WiFi専用の、iPadを担いでいった。WiFiだけでは、ホテルの有線LANにはつなげないので、iPadと有線LANで検索して引っかかった、アダプターを入手して持参していった。 これが成功。Adapterは有線LANと無線LANの間の変換アダプター
で手のひらに乗るサイズと簡単な設定で接続できるのでお勧め。

但し、iPadのメールの設定で、「25番ポートブロック」対応が出来ていなかったため、メールの受信は出来たが送信は出来なかった。

帰国後、プロバイダーに確認し、iPad設定を修正したので、次回からは問題なし。

2010年 8月08日 小谷、白馬から、中野市 郷戸食堂
ふいに思い立って、小谷、白馬地域に行ってきた。きっかけは、知人が近々、五竜パノラマゴンドラ方面を訪ねるという話を聞き、栂池自然園もよいところと話をしたのだが、栂池自然園は又聞きのために、なぜかしっくり来なかったことが背景にあり、衝動的に行くことに。休日の1000円高速をりようして、糸魚川まで行き、148号線を南下し、初日は五竜パノラマ植物園を目指した。一時近くにゴンドラ駐車場に着き、早速ゴンドラに乗り、1500メートルの五竜アルプス平へ、さらにリフトで、地蔵の頭下で降り、地蔵の頭(1676㍍)へ。あいに唐松岳方面の稜線は雲の中。おなかも空いてきたので、リフトに沿った植物園を眺めながら下った。植物園は良く整備されており、ガレ場にはコマクサも。

二時過ぎに駐車場に戻り、近くのそば屋を探すが、入った一軒は、営業終了の看板が。休日の二時過ぎでは一寸遅すぎたので、白馬駅前に車を止め、駅前のそば屋に。ここは観光客相手の店か、典型的な駅前のそば屋。 感想もなく、この日の宿の、栂池に。宿は、自家製酵母ぱんを看板にする宿に。宿にチェックインすると、宿の近くを、塩の道が通っており、一時間ほどの散策で、100体観音や牛方宿を回れるとのことで、一風呂浴びる前にと足を運んだ。


食事の前に一風呂、浴びて、18時半からの夕食に一階の食堂に行き、地酒を注文。メニューには幾つかの地酒があったが、小谷錦、小谷米を小谷杜氏が醸した純米酒を中心に、前菜、10割そば、小谷米と赤だし、日本海直送のイカの刺身と、地元の豚冷シャブを楽しんだ。 酒飲みには10割そばで、適量だったが、その後にでた、小谷米もおいしく、地酒3合と併せ堪能。
翌日は、山のほうは曇り、7時半の朝食に行ったら、すでに何組かの客は出立した模様。前の晩に朝食の時間を確認しなかったが、場所柄か7時前の朝食も可能だったようだ。 昼食は、サラダ、自家製酵母、酒酵母も使った、パン数種類と、オムレツ、ハム、ヨーグルトとコーヒーの看板に納得のもの。八時過ぎに、宿を出て、栂池自然園に向かった。ゴンドラ乗り場の前の駐車場に車を止め、片道、30分近くのゴンドラに。 自然園の散策路の大半は木道でカバーされており、一部バリアフリーのコースもある。あいにく小蓮華から白馬岳方面は雲の中で展望は得られず、自然園のなかの山の花を楽しんだ。三時間近く自然園を散策しヒュッテでコーヒを飲み下山。帰りは車で長野オリンピック道路を長野方面に行き、長野市内から小布施に抜け、中野市に近づいたところで、郷戸食堂をナビで案内してもらい、長野電鉄の踏み切りの近くの店へ。 ここは富倉そばを出す店として知られており、一度訪ねてみたいと思っていた店。 メニューを確認し、ざるそばと、やはり富倉で定番の、笹ずし一枚を頼み、しばし待つ。
そばは、富倉そば特有の山ごぼうの繊維をつなぎに使った、独特の喉越し、薬味はねぎと、”かんずり”というわさびではない、辛みを壜から楊枝を使いそば猪口に入れて味わうもの。そばは納得のもの。
お土産に、かんずりではなく、ぬれ七味を一つ購入し、飯山から野沢温泉経由で、新潟経由で帰宅へ。


2010年 7月30日-8月01日 裏磐梯・西吾妻
7月30日夕刻、裏磐梯休暇村に集合。 
詳細は2010の集いへ
来年は、田沢湖休暇村を拠点に、乳頭山へ。

2010年 7月30日 喜多方市 宮古 権三郎
裏磐梯休暇村での集いの前に、山形で一泊し、旅籠町でくつろいだあとで、集いのお酒を仕入れた後で、喜多方から宮古へ寄り道。前回、喜多方に宿泊した後で訪ねたときは、宮古の手前の狭い道がトンネルになり行きやすくなったのを確認しているので、行くのに抵抗は少ない。平日の459号は行きかう車もすくなく、宮古も静かなもの。 共同駐車場に車を止め、予約の必要のない、「権三郎」へ。 459号沿いの店で、専用駐車場が隣にあり、共同駐車場を使わなくても良い。
店、というより農家の家に上がりこむと、座敷を開け放したところに、テーブルが10個近くならんでいるが、平日の昼下がりか、最初の客に。 
メニューを見て、1500円のコースを注文。そばをうっているのか、暫く待たされた後で、出されたのが、三つのもの。
うど、ほか山菜をやさしく煮たもの、そばがきを揚げたもの、と刺身蒟蒻。そばだけでは、ご馳走にならないという会津の農家の思いか。
食べ終えた頃に、打ち立てのそばが椀で提供された。 一寸、小さめの椀に見えるが、深さがあり、量は田舎そば。つなぎなしの宮古のそばを楽しむ。 帰りに、自家製の
鰊の山椒漬を購入。
食べ終わった頃に、賑やかな家族連れが入ってきたが、週末にはもう少し賑わうのではと思いつつ、喜多方に戻り、喜多方の酒、「吉野川」、「会津誉」を購入、休暇村へ。
休暇村では、25名が集合し、旧交を温め、翌日の、西吾妻の旅へ。


2010年 1H 行列のできるラーメン店
仏文学者がラーメンとそばについての新聞のコラムをみた。 いわく、そばには明確な方向性・ベクトルがあるが、ラーメンは、なんでもありで方向性・ベクトルはないと。 たしかに、全国各地で打たれるそばには、明確なイメージがあるが、最近のラーメンは、”えっ これもラーメン??”というのも少なくない。長年、ラーメンといえば、醤油ラーメンと味噌ラーメン、塩ラーメンが主流で、他に、中華料理屋で出される、ラーメンとは呼ばない、麺料理があるくらい。 最近は、ご当地ラーメンから、つけ麺、創作ラーメンと、ラーメンと名乗れば、なんでもありの状況のようだ。
ろこで、インターネットで検索して、2010年前半に行列のできるラーメン屋に行列をして味わってみた感想が以下の通り。

●旭川 旭川ラーメン   みそラーメン
●札幌 味の三平     みそラーメン
●札幌 ひぐま       みそラーメン
●喜多方 坂内食堂   醤油ラーメン
●喜多方 まこと食堂  醤油ラーメン
●喜多方 あべ食堂   醤油ラーメン
●東京駅 六厘舎TOKYO つけ麺
●東京駅 ラーメン むつみ屋 つけ麺
●小岩 ラーメン二郎   つけ麺
●佐野 とかの      醤油ラーメン
●松戸 中華そば とみ田 つけ麺、ラーメン
●松戸 池袋大勝軒ROZEO つけ麺
●船橋 北習大勝軒  つけ麺、味噌ラーメン
●船橋 大勝軒北習志野店 醤油ラーメン

いずれの店も、昼時に訪問すると店の前の行列に並び、早くて10分、長ければ一時間以上待たされる店である。
値段は、700円から800円だが、違いは、麺の太さと量、濃厚なスープ、大胆なチャーシュウ(全ての店ではないが)。

つけ麺系は、つけ麺という麺とスープを分けて出され、麺をスープに漬けて食べる方式だけで、麺、スープの中身は、何でもありというもの。発端は池袋大勝軒の流れを汲むものと思われる。麺が太く、量も300㌘以上あると思われる。さらにスープの殆どが濃厚な魚介系スープ、豚骨や野菜も使っていると思えるが、どんぶりの底に沈殿したのは殆ど魚介系か。

醤油ラーメンは澄んだ醤油スープをベースに、細めの麺(中太もあるが)に、チャーシュウ、メンマ、ねぎ等、共通の部品があるが、味噌ラーメンになると、味噌味というだけで、なんでも有のラーメン。

好みというのは、最初に食べたおいしいものに方向付けされるというが、醤油ラーメンなら、佐野の「とかの」、味噌ラーメンなら札幌の「味の三平」かなと、少なくとも2010年1Hでは思った。佐野、札幌は、食べたいときに簡単にはいけないので、醤油ラーメンが食べたくなったら、大勝軒北習志野店、味噌ラーメンなら、北習大勝軒で間に合わせるとしよう。 いづれの店も歩いて、30分なので。

2010年 6月08日ー12日 北海道フェリーの旅
6月8日からフェリーとバスの往復で四泊五日の北海道の短い旅。 大洗から苫小牧へ二等の席、幅60㌢のマットにシーツが二枚と毛布が一枚。 満員になると混んでいる山小屋の様相になるが、幸い40%程度の混み方。 隣 は気にならない。翌朝、苫小牧周辺は霧で、何も見えず、肌寒い。 バスで苫小牧ー札幌ー旭川へ移動し、夜は目的のひとつ、[独酌三四郎]へ。18時過ぎで 先客は三人。誰もいないカウンターの左端に座り、まずは経木に書かれたメニューをざっとみて、旭川の地酒、国士無双から"烈"を。グラスにつがれた酒に口 を近づけ初めての旭川の酒を味わう。つまみに、うどの酢味噌和えと、旬の一盆を頼む。出てきた盆には六つの小皿がならび、店の旬の味が並んでいる。量は一 人には十分。つまみを味わいながら、男山の純米吟醸酒、女将の薦める、[風のささやき]、国士無双の純米大吟醸と地酒を楽しみ、焼き物は次回にと思いつつ 店を後に。店の雰囲気は良いが、客のいりが、・・・ 翌日は、8時40分のバスで旭山動物園に行き、いろいろな、メデイアで有名になった園内を歩きながら二時間強過ごし、旭川から札幌にバスでもどった。途中 旭川駅で札幌方面の各駅を調べたら日中は特急があるのみで、各駅で乗り継ぐにしても、半日で一本ぐらいしか無い状態。都市間はバスで良いが、ローカル線の 旅は存在しない。 札幌では、宿にチェックインし、ひと風呂あびて、ススキノ近辺の、インターネットで調べたら店、[浜っぺ]に向かう。宿から数分の所にカウンターと小上が りの店の狭さは居酒屋のそれ。先客は三人、カウンターの奥に座り、店の隠し酒からおすすめを。最初は、旭川の男山の生元。つまみは、うどの酢味噌和え、イ カ刺し、ほっけを頼む。うどは旬の山菜、イカ刺しは、生姜のほかに、やまわさびと、ヒマラヤ岩塩で。隠し酒の次は、増毛の酒を味わう。中々北海道以外では 飲めない酒が旨い。7時まえにはかうんたーも小上がりもほぼ満席。でも日本酒は一人だけ。居酒屋の好みでいうと、旭川より札幌。 翌日は、バスで小樽を往復。昼は味の三平で、なつかしい味噌ラーメンを楽しみ、苫小牧にでて帰りのフェリーに。行きは、二等、帰りは、カジュアルだった が、このカジュアルの場所が船尾に近く、エンジン音と振動で熟睡できず。フェリーは個室に限ると思いつつ次回のプランはと計画が始まった。

北海道にはそば屋も一杯あるが、今回は、旭川ラーメン、ラーメン横丁の「ひぐま」、味噌ラーメンの原点(店)「味の三平」、なかでも味の三平は記憶の中の昔の味と変わらないない安心の味。

2010年 6月05日ー06日、6月21日ー22日 山形で新酒を楽しみ、会津のローカル線の旅
6月05日(土) 旅篭町の米鶴の会、6月21日山形酒造組合主催の大懇親会と、それぞれ21BY新酒を飲み放題状況で楽しんだ翌日、6時前にスッキリと目覚め、7時15分山形発の奥羽線で米沢、福島を経て、福島9時37分発東北線で郡山にでて、10時46分会津若松行き、特急車両「あいづライナー 1号」で会津若松へ。
6月06日は、6月なのに最高の五月晴れ。7月31日行く西大巓・西吾妻の山並みや、生まれて最初に見た山、車窓の磐梯山を眺めながらの猪苗代から会津若松までの30分は最高の時間だった。
会津若松12時59分発会津鉄道「新AIZUマウントエクスプレス」まで一時間ほどあるので、駅の中の、「一會庵」で会津の酒とつなぎ無しのそばを楽しむ。 6月06日は飛露喜、22日は花春それぞれ大吟醸。つまみは、「鰊の山椒付け」。残り少なくなったところで、一會庵そばを頼み、幸せな時間を楽しんだ。駅の中の食堂とはいえ、酒もそばも地元の人も納得のもの。 売店でコップ酒を買い、がらがらのあいづライナーに乗車し、新緑の南会津の山並みをつまみに、鬼怒川までの二時間を楽しむ。13時過ぎには、只見線小出行きの、列車も出るし、小出まで四時間の旅も悪くない。お勧めは新緑か、紅葉の頃か。




右の写真は、今、山形で一番有名なアル・ケッチャーノの奥田シェフと21日大懇親会の席で。
7月のアル・ケッチャーノの週末は予約で満席。7月04日の鶴岡での大パーテイの前に、イル・ケッチャーノに行くことをお話したが覚えていてくれるかどうか。

2010年 5月15日-18日新緑の中で、味わう新酒、味わえる心身
蔵元を囲む会に参加するために、新緑の中羽州街道経由で、旅篭町へ。新酒鑑評会への出品酒を始め、21BYの新酒を、しどけ他の美味いつまみで楽しんだ。出品酒は金賞ものとの味覚は、正解。5月21日発表の鑑評会の結果が証明。 翌日は、二井宿 筋の直売所でわらび、ふき、他を購入。 さらに米沢のスーパーで、筍、他加え、、白布峠経由、喜多方に抜けて喜多方の酒と「会津田舎屋」で郷土料理を楽しみ、一泊。
喜多方の酒は、飯豊の伏流水とのこと、吉の川他を楽しむ。


翌朝は喜多方名物、朝ラーメンを試し、飯豊の山並みに誘われ、459号を山都の宮古へ。 宮古へ抜ける山道の狭さが気になったが、なんと宮古に入るところに立派なトンネルが出来てアクセスは大幅に改善。九時すぎだったのでそばはスキップし、宮古の村を通り抜けたところから、飯豊を眺め、農道のような459号を下った。









磐越西線 とくさわ駅を過ぎたところで、49号に抜けて、津川、阿賀野川沿いに下り、馬下橋から290号に入り、栃尾から守門岳を見ながら只見線沿線に。その間、新緑の景色に影響を受けたのか、十日町の由屋の布海苔のはいった緑色のそばを思い出し、十日町へ。ピークを過ぎた13時過ぎの由屋は店の前の駐車スペースも空きがあり、すんなり店内へ。久しぶりの由屋のそばを楽しみ、食後は、松之山の美人林へ。117号から、353に入り、狭い山道を覚悟したが、こちらも松之山の直前の山道の下にトンネルが完成。すんなり美人林へ。新緑のぶな林を楽しむ。

2010年 4月17日 41年ぶりの雪の高尾
41年ぶりの雪の朝、最寄の駅まで夏タイヤのタクシーで腰を振りながらの出発。高尾に着くころには天気予報どおり降雪は止み、10時集合時間の頃には、薄日も差してきた。 小仏峠下行きのバスで、日影沢で降り、日陰沢林道を城山に向かう。 歩き始めの林道は快適だったが、徐々に積雪が、かろうじて車の轍をたどったが、満開の桜の城山は15センチの積雪、雪の中、一丁平で雪見と花見をかけて大宴会。

大いに盛り上がりました。

2010年 3月20日-22日 関西の旅
4時半起床、5時20分家を出て、5時34発新京成で新津田沼へ、JR津田沼から総武線で秋葉原から東京駅に行き、飲み物、サンドイッチを購入し、6時50分発のバスに乗車。 二階建ての二階の天井低く、何度か頭をぶつける、トイレも狭い。 新宿経由、東名高速の幾つかのバス停で停車し、三連休の初日の渋滞の中、御殿場近くで、一時間の遅れ、三ケ日IC近辺で、二時間以上の遅れ、京都近くで、3時間半以上の遅れ、さらに終点大阪駅までに一時間以上の遅れが見込まれることから、京都深草で下車し最寄の私鉄に乗ることを薦められ、京都深草で下車。 降りたところに京阪線への矢印一つあるのみで、とりあえず、同じく下車した人々の後を追うが付近の地理に精通した人はいない様子で、通りすがりの人に最寄の駅への方角を聞き向かい、線路が見えたところで、ホット一息。 18時50分ころ京阪藤森駅から大阪行きに乗車、ここまで、12時間の旅、さらに一時間の京阪線で大阪の繁華街難波へ20時前に到着。

20日の夜は、前線の通過か、かなりの風雨だったようだが、朝は、曇り。 梅田の駅で、9時過ぎにモーニングを取り、9時40分発の阪急線で、桂経由、嵐山に10時37着。 着いたころパラパラと、傘を差すほどではない天気雨があったが、11時前に、京福嵐山駅近くの、「ぎゃーてい」の”おばんざい”バイキングの列に並ぶ。幸い、11時07分二階の席に案内され、一時間のバイキングを、地酒とあわせ楽しむ。 定員、70人の一時間バイキングの店に行列が出来る理由を堪能し納得し、嵯峨野の寂庵へ。 寂庵 玄関での寂聴さんとの会話を含め二時間近く寂庵で過ごし、14時27分JR嵐山発京都行きにのり、京都から16時15分発橿原神宮前行き特急に乗り、橿原神宮前へ。





駅前からタクシーで明日香村の民宿へ、地図を頼りに民宿を探したが見つからず、民宿に電話をして、明日香村観光協会の前まで迎えに来てもらったが、観光協会の地図では分からない、民宿の屋号もない一つ横道を抜けたところ。
早速、離れに案内され、風呂を浴び、夕食は1400年前からの「飛鳥鍋」、牛乳と白みそベースに、かしわ(鶏とは言わない)と野菜、1400年前は、山羊の乳だそうな。 地酒と共に、1400年前の鍋を堪能、ヘルシーで体が温まる。 鍋の周囲に白いバター状のものが出来るが、これを”蘇”と呼ぶそうな。 翌日、飛鳥寺前の店の前の看板に”蘇”の宣伝があったが。後で調べたら、蘇とは8世紀-10世紀ころ、日本で作られたチーズだそうな。 飛鳥鍋の副産物らしい。次に行くときは味わって見たい。
















3月22日 晴れ、前夜の天気予報では、三連休で一番寒い日になっていたが、朝から風も無く、日がさしてきて、散策日和。 7時半、朝食で久しぶりに卵かけご飯を楽しみ、8時30分にチェックアウト、明日香散策を開始。 近くの明日香村観光協会で、明日香の地図付きガイドを入手し、まずは石舞台へ。 7世紀前後に築かれた、舞台ではなく古墳。誰の墓か、文字がまだ確立していない時代の古墳なので、何も分からないが、少なくとも権力者の墓と思える。 その場合、権力の推移により、このような墓を築けたもの、築けなかったものいろいろと物語りはあったのではと思う。








石舞台から、車は通れない、遊歩道を岡寺へ。この寺は、7世紀天武天皇時代に建立されたと言われる仏教寺院。 現在は、西国三十三霊場第七番札所。最寄のバス停、「岡寺前」より坂道を20分ほど。






岡寺から農道を下り、蘇我入鹿が暗殺された場所、伝板蓋宮跡へ。中大兄皇子、中臣鎌子が、飛鳥の東面の山向こうで、談合したといわれる事件。大化の改新あたりから文字により記録が残り始めることに。 この当時の権力者は文字(漢字)の読み書きができて、権力を持ち、中国・朝鮮の文化に精通し、仏教も把握しているということから、ほとんど、朝鮮からの渡来人ということになる。
その後、 中大兄皇子が天智天皇となり、中臣鎌子が藤原鎌足となり、藤原家の祖となり、歴史を作っていくことに。 蘇我氏、蘇我氏に滅ぼされた、物部氏を含めて、この時代の前後の歴史が無いというのが、日本の歴史の弱点か。

伝板蓋宮跡から車道を数分で、酒船石へ。 こちらは山道の通り道に、一寸下のほうに、復元された石垣が。この石垣で使われてる石は、天理市近辺の石だとか、少数の権力者の周辺には、大量の非権力者が歴史の外側にいた訳。 近くの、亀甲石造物は、遺跡保全のために入域料300円。


近くの万葉文化館の裏手から飛鳥寺前に、こちらも拝観料を払い、本堂へ。飛鳥大仏の前で飛鳥寺の故事来歴を。 まず、飛鳥寺は、蘇我馬子により7世紀に高句麗の伽藍と同じ形式で、真ん中に五重塔、三方に金堂という形で作られたそうな。 ということは、蘇我家は高句麗の出か? では中大兄皇子、中臣鎌子は百済系か? あるいは新羅か?

飛鳥寺の南、70メートルのところに、蘇我入鹿の首塚が残っているということは、蘇我入鹿が暗殺された後でも、蘇我家の系列は残っていたことになる。

首塚の南に横たわっているのが、甘樫丘、蘇我入鹿、馬子全盛時代の館があった場所。 丘の上の展望台から大和三山ほか、飛鳥の地が一望できるので、飛鳥の一等地と思える。

甘樫丘の麓から、高松に行くべく、飛鳥行きのバス停に言ったが、バス停の案内は橿原神宮前方面、道路を駆け足で渡り、反対側のバス停に行くとこちらは飛鳥行きに。 橿原神宮前行きのバスが、左側から来ると直ぐの、信号を曲がり、裏手の道を左側に(橿原神宮のほうへ)向かったのを見て、納得。
”S”の字の真ん中の横棒のような場所で、 甘樫丘麓のバス停飛鳥は右方向にある、高松塚方面へは、右向きのバス停ではなく、左向きのバス停に、それぞれ、直ぐに、左右の向かう方面を逆に進むので、このようなわかりにくい配置になっているようだ。 11時47分近鉄飛鳥駅行きの”かめバス”にのり、明日香村の名所をたどるように、各種資料館、飛鳥寺、万葉文化館、他、明日香村のメーンストリート、バスが交差できない細さ、一方通行と思える民家の軒先を縫い、石舞台、岡寺前を抜けて、川原寺跡、二面石の橘寺、亀石、天武・持統天皇陵の近くを通り、高松塚へ。 ここまで、260円。 高松塚古墳へは、高松塚公園を抜けた、小高い岡の上に、復元された円墳と、石室の壁面の複製を見せる壁画博物館がある。
 石室の北面には、玄武、亀と蛇の構図、東が青龍と、四人の女子と男子群像、西面には白虎と同じく、四人つつの女子、男子群像。 漆喰の上に描かれた壁画。 南面には、朱雀が描かれていたそうだが、石室盗掘団が、南面の側壁から穴を開けたために、破壊されてしまったそうな。さらに上面には、星辰、それも高句麗で見れる星座の構図で描かれているそうな。

石室の内部の多くのものは、盗まれてしまっており、残されたのは一部の備品。

高松塚古墳から南に、20~30分ほどのところに、キトラ古墳があり、こちらも同様の石室、ただし北面は白虎という変則的なもの。 壁画を含め、古墳造営の技術者は朝鮮からの渡来者、ということは、被葬者は権力者で且つ渡来者。 

高松塚古墳を後にし、飛鳥の駅に、大和八木経由、名古屋から新幹線で帰宅。

初めての飛鳥、楽しんできました。 日本の歴史は、古事記、日本書紀がベースだがこれらは記録というより歴史小説に近い記録。 
真実は、飛鳥以前にありそうだ。文字としての記録はないが、まだ埋もれているものが一杯ありそうと思うのは、還暦三年目のテーマか。

2010年 3月07日-08日 庄内の旅
家を5時50分にでて、6時1分松戸行きにのり、八柱で乗り換え、新越谷に7時前に着き、ドトールで軽い食事とコーヒーで朝飯とし、7時20分発、郡山行きバスにのる。途中、二回、SAで休憩し、ほぼ予定通り、10時40分郡山駅前着。つづいて、JRで福島へ行き、12時56分福島発奥羽線米沢行きに乗り、新幹線と同じ軌道を米沢に。板谷あたりから雪の中。米沢から、山形行きに、山形駅で新庄行きに乗り換えて、新庄へ。新庄から酒田行きに乗り換え、酒田に17時16分着。 駅前の東急インにチェックインした後で、18時前に明日の、蔵巡りのチームと合流し、蔵巡りの前夜祭を「こい勢」で。翌日訪問する蔵のお酒を持ち込み、21時ころまで贅沢な時を過ごした。 その後、ホテルの二階のBAR「R.A.M」で軽く一杯。 
翌朝、10時前にホテルを出て、最初の蔵へ。蒸し米から、麹室、酒母、もろみ、絞りと工程は同じだが、絞られる酒は一期一会。 絞りたての新酒を味わうことが出来るのは、最高の贅沢。 さらに、昼食は、「こい勢」にて、にぎり。 新酒で潤っている身には極楽。



次は、羽黒の蔵。




















三つ目の蔵元のタンクに書かれた数式

20歳から、60年、80歳まで、毎日二合

365x60x0.36  = 7884 l

          1.8 l 、4380本


   ★★★ほぼ、タンク一本★★★












夕闇迫る月山道路を山形に戻り、蔵めぐりでは新酒の匂いだけのドライバーをねぎらいつつ反省会。 充実の一日でした。
翌日はスッキリ6時前に目覚め、7時15分発米沢行きに乗り、米沢で、8時06分発の福島行きにのり8時52分福島へ。9時37分発郡山行きまでの時間を利用し、遅い朝食。郡山に10時25分着、11時59分発常陸大子行きまでの間、駅構内で時間をつぶし、11時過ぎに早めの昼食、ワンコインそばを摂り、水郡線へ。 常陸大子、13時47分着、13時51分発水戸行きに乗り換え、水戸15時06分着。 30分ほど待ち、15時31分発上野行きに乗り、ほぼ、贅沢な旅を終える。松戸には、17時11分着。 新京成に乗り換え、30分で、最寄の駅。

2010年 2月13-15日 置賜蔵巡り
14日の蔵巡りの前夜祭は旅篭町。21BY新酒でお清めをし、翌朝、蔵めぐりへ。
午前、午後と、三つの蔵を巡り、もろみ、絞りたて、出品酒候補他を、味わい、ドライバー以外満足の旅。匂いだけのドライバーの皆さんには、反省会でステーキで感謝の気持ちを。

翌朝、スッキリ目覚めた後、7時15分発米沢行きに乗り、福島、郡山を経て、不定期の11時59分常陸大子行きにのり、郡山で買ったコップ酒を楽しみながら水郡線を水戸まで三時間の旅を楽しむ。

2010年 2月04日-07日 番外 台北の旅

2月04日 初日
   5:50 成田へ向けてパジェロを走らせる
   7:00 成田空港第二ターミナル駐車場に駐車し、出発ロビーへ
   7:15 集合は、7時40分だったが、団体カウンターにツーリストの担当者がいたので、パスポートを出し、チケットの書類を受け取る
   7:20 チャイナエアラインで、チェックインすませ、台湾ドルに換金後、二階の狭い店で、朝食のサンドイッチとコーヒを飲む
   9:40 離陸
  11時ころ、昼食+ビール
  13:30ころ(台湾時間) 桃園国際空港着
  14時過ぎ、ツーリスト手配のバスで、台北に
  15:00 ころパラダイスホテル(一楽園飯店)着
  16:40 ころ、小龍包で有名な、「鼎泰豊」本店へ、MRTで向かう、最寄の駅は、大安站か
       中正記念堂站で、20~30分歩くが大安站からまっすぐな路を30分歩き店へ
  17:30 行列を覚悟していたが、速やかに三階のテーブルに
       小龍包と、空新菜、胡瓜の漬物、海老炒飯、海老ワンタン
       ビールと、紹興酒VOを注文
       店の女の子が、生姜の千切りの入った小皿に、醤油と酢を加えて乗せて食べるように
       ガイド
       蒸け上がった蒸篭から、小龍包をレンゲに取り、生姜を載せ、一口、薄い皮と厚い
       スープとうまかった

       ビールよりは、お燗された紹興酒も良く会う
       一時間強、堪能し、1人、600元、日本の三分の一の安さと、倍の美味さ
       (三分の二ほど残った、紹興酒は持ち帰り)



       食後、中正記念堂站まで三十分ほど、歩き、士林の夜市へ
       士林夜市へは、士林站ではなく、一つ手前の剣湛站で降り、道路を横断した
       ところから始まる狭い路の両側に、衣料店系、屋台系、ゲームマシン系が、
       二㌔以上の夜市を展開している全体を屋台の独特の匂いが包みこみ、
       夜市の独特の雰囲気を演出している
       
       愛王子を試してみたかったが、タピオカテー初めて試すももてあました
       
       MRT西門站から若者であふれている歩道をホテルに向かい、角のコンビニで寝酒と
       Volvic購入、後で聞いたら春節前の四週間は冬休みとのことで、賑わいの理由判明

2月05日 二日目
    7:30 地下の食堂で朝飯、甘い豆乳と、トースト、皿にスクランブル他、円宅で相席
    9:00 故宮博物院へ向かう 西門站から士林站へいき、そこからタクシーで5分
         駐車場にはバスが駐車していたが多くは中国からの観光客 
        故宮博物院の収納物のほとんどが清朝末期からの混乱期に北京の紫禁城から
        避難してきたのと、紫禁城に残ったもののほとんどが文化大革命のときに破壊
        されてしまったために、中国の歴史を知るためには台北に来なければいけないが、
        60万点を越える遺産を見るためには何日もかかるので、ガイドブックに載っている、
        「翠玉白菜」、「彫橄欖核舟」、21層の象牙の透かし彫り、他、ツアー客にもまれ
        ながら見学

   11:30 九份へむけてバスのでる忠考復興站までタクシーで行き、金爪石のバス停から
        バスに乗車市内のバス停で乗降客で止まるが、バス停の案内は無いので、
初めていくときは一寸緊張する 
天気は曇り、20度は越えていないにもかかわらず
バスの中は寒すぎるくらい冷房が効きすぎで持参したダウンが邪魔にならなかった
瑞芳站でバスを待っていた行列の客が乗り込み、ぎゅーぎゅー詰めに。
地元の人は列車で着て、バスというのが、時間的にも、費用的にも良い選択のようだ
瑞芳站から九份までは霧の中、三国峠のような道を20分ほどで、
バス停のアナウンスはないが、多くの客が降り始めたので一緒に降りる
霧雨から小雨に変わったので、ビニール傘を買い、人の流れに乗り
九份散策へ

九份は「千と千尋の神隠し」のイメージの原風景になったそうで、赤提灯と坂道の両側の家並が独特の雰囲気を醸し出している


茶店、「阿妹茶酒店」でお茶と、海鮮麺と、ウイスキーを楽しむ。お茶は中国の文化の一つで、高級な茶葉(これが一番高い)を独特のお手前で香と茶を味わう。


帰りは、寒いバスを避けて、タクシーで瑞芳站にでて、台鐡線で台北に戻る
瑞芳站では台北までの切符の購入に手間取り、一本乗り過ごした。
窓口の駅員は日本語も英語も話さないことと、各駅、快速、特急により切符の種類が異なるのだけど、種類の選択に手間取ってしまった





一度、ホテルに戻り、歩いて三分の台湾名物の、マッサージ(一時間、1000元)に行き、
全身マッサージを楽しんだ。


7時過ぎに、火鍋で有名な中山站近くの、「天香回味」へ。 店は忘年会の客で一杯だったが、しばらく待ちテーブルに案内された。 肉、野菜、魚、他と、ビールを注文し、火鍋を待つ。店に入る前からカレーの香辛料の強い匂いが刺激的だったが、運ばれた二槽の鍋、片方が唐辛子他の香辛料の強いホットな鍋、もう一方は体に良い薬膳香辛料の鍋。これに肉、玉蜀黍、野菜、海老他を入れて適当に熱を加え、味わったが、ホットな鍋は匂いほどきつくなく、スープも同時に味わうと中々のもので、汗をかきながら堪能。 


        かなり満腹状態で、〆の麺を加えこれも文句無くおいしいので満足・納得の久し
        ぶりの満腹感、 タクシーで帰りたかったが腹ごなしをかねて、MRTでホテルへ。
        ホテルの前のコンビニで寝酒を仕入れたのはいつものとおり

2月06日 三日目
        朝飯は、ガイドブックにあった西門站ちかくの、7時半からやっている、TMK(Taipei Milk King/台北牛乳大王)へ。
        ミックスサンドとパパイヤミルクを注文したが、ミックスサンド一人前が、トースト三枚の間に卵レタスが挟まった二人前のもの。

        9時過ぎにガイドブックにあった、淡水へ。淡水線で40分ほど、北投站で淡水站行きに乗り換え、北投站へ。

「金牛角」の看板の店。試してみるのも良いのでは。

淡水は北の港町。古くはスペインのサント・ドミンゴ砦が作られ、その後イギリス領事館、
日本の統治時代を経て、今は風光明媚な観光地に。

















淡水站とサント・ドミンゴ砦の三十分ほどの散歩コースの両側は観光客向けの店が
並ぶが、結局、愛玉子、試してみたかったが、今回はパス




13時近くに、小龍包を食べに、「鼎泰豊」の本店ではなく、忠考教化站近くの支店に向かう。 店の前には入店を待つ客がおり、店先の店員に人数を伝え番号が書かれた注文表を渡される。 30分ほど待たされ、本店よりはるかに広い店内のテーブルに案内され、二度目の小龍包と餃子、酸辣湯他を楽しみ、灯台元暗しの感がある台湾に乾杯。






幸せな気分を抱え、歩いて國父記念館へいき、衛兵交代を見て、101まで小雨の中を歩き、
展望台には登らず、地下の店を見てから市政府站まで歩き、
17時近くホテルに戻り、18時近くに近くの店で、台湾名物の洗髪(250元)を楽しみすっきりしたところで、
19時に夕食へ。 




これもガイドブックにあった西門にある餃子館へ。
店は下町の店で、観光客よりは地元の人で一杯、二階の席に案内され、蒸し餃子と青椒牛肉糸を薦められたが、水餃子、焼き餃子、蒸し餃子、乾焼蝦仁、海老焼飯他を頼んだら、なんと蒸し餃子の大きいこと、結局料理が出される前に追加したかった麻婆豆腐までたどり着けなかった。


食後、若者で賑わう西門をホテルに向かい、コンビニで寝酒とVolvicを買い、ホテルへ。シャワーを浴びて寝酒を楽しみ、・・・・・・

2月04日 四日目、最終日
       朝飯は、再度、「台北牛乳大王」。昨日学んだことから、ハムエッグサンド 一人前を頼み、半分がトースト一枚、イチゴヨーグルト、
       コーヒーで楽しむ。
       帰りはチャイナエアライン 106便は、16:50発なので、空港へは13時ホテル集合なので、午前中が有効に使えるので、
       出来て三年目の新幹線に乗ってみることに。
       ガイドブックは、台北中心なので、新幹線の記事はあまり無く、とりあえず、
       台北車站にでて、HSR/高鐡のガイドに従い進むと、切符売り場に着いたので、
       券売機にトライ。中国語のメニューだけど、なんとか
       10:06発の各駅で、新竹站まで購入できた。(245元)
       台湾の新幹線は日本の技術で作られているので、車両の感じは日本の物と同じ、
       違いは、社内のドアの開閉が自動ではなく、手動になっていることくらい。台北を
       でると、次の板橋站までは地下の中、その次の桃園站、新竹站の田舎の風景と、
       30%のトンネルの中。
       10:38 新竹站着。市街地を離れた何も無いところに出来た新しい駅、
       周辺は空き地。
       帰りの切符は、窓口で購入、日本語は使えなかったが何とか台北行き、
       11:28を購入。




       時間つぶしに構内のスターバックスで一服、反対側にはモスバーガーもあった。
       定刻どおり、12:00台北着、西門にでて、三度目の「台北牛乳大王」で、クロワッサンの
       サンドとイチゴジュース。 ホテルに戻り、13:00 バスでDuty Free経由で桃園国際空港へ。
       ここでは行列に並ばず、チェックインマシンでパスポートだけで、搭乗券を発券し入管へ。

       帰りは、2時間30分ほどで、成田へ。九時半ころ、車で帰宅。
       今回の台北で学んだこと
       ●物価(食事、交通費、他)の安さ、日本の三分の一ほど
       ●食事の美味さ、一通り体験するためには、あと何十回も通わねば
       ●発音はわからないが、漢字の表記は抵抗なし、ガイドブックあれば、ガイドなしで、楽しめる
       ●近くて、時差も一時間、一年中、暖かい

       温泉もあるので年内に再訪できればとToDoListに。

2010年 1月24日 北常陸鮟鱇と大観
陶芸教室の酒好きのメンバーで、メンバーの知人の実家の酒蔵と鮟鱇鍋の日帰りの旅。
九時に西白井駅前集合し、貸切バスで出発。お酒は酒蔵でと思っていたら、バスが動き出すと、前哨戦が始まった。
二時間ほどで、日立北ICを降り、「大観」の酒蔵へ。 南部杜氏の資格を持つ蔵元の説明を聞きながら新酒を楽しみ、お土産のお酒を購入し、鮟鱇鍋の店へ。
地元でも有名な料理人による、鮟鱇尽くし料理と蔵から持ち込んだお酒で贅沢なひと時をすごした。
食後、近くの鵜の岬で、鮟鱇の泳ぐ太平洋を眺め、
茨城の新たな魅力を再確認、次回は鮟鱇料理とおいしいお酒の後は、ベッドへ直行の旅が出来たらと思いつつ帰途へ。

2010年 1月08日 鎌ヶ谷大仏 「天庵」
今年は、ウォーキングで行ける範囲のそば屋に行き、週に一回は憩うことに。 初日はおとといの、高根木戸の「藤の屋」。そして今日は、鎌ヶ谷大仏の近くの、「天庵」。 きっかけは昨年秋に、TVで紹介された店で、中々よさそうな感じがあったので、鎌ヶ谷大仏まで、50分強ウォーキングで訪問。
場所は鎌ヶ谷大仏の駅前を踏み切りを渡り、木下街道を最初の細い道を右折して一寸行った所の民家風の店。店に入ると靴を脱ぎ、カウンター五席、座敷にテーブル三つ、カウンターの前が厨房。まずは、白鶴 本醸造を一合、他に、佐久の花と、越乃寒梅のみ。つまみは、焼きみそと板わさがあるていど。
店は、木・金・土・日のみ、11:30から14時まで。店主の会話から、毎早朝、1.8キロのそばをつなぎなしで、二回打っているそうな。白鶴をもう一本頼み、半分になったところで、せいろの大盛りを頼む。目の前の大鍋で、1分近くゆでて、水でぬめりをとり、氷水で冷やし、ざるに乗せて目の前に。細麺で口当たりも喉越しも、納得のもの。歩いていけるところに、楽しみな店が増えたことを確認。 

  2009年以前は→ そば屋に行こう・憩う




屋号 場所 4☆:三食OK
3☆:毎日でも
2☆:週に1回
1☆:時々なら
一言
小野田食堂 富良野市麓郷 ☆☆☆ 北海道はそばの一大産地





高砂 弘前 ☆☆☆ そばは、文句なしだが酒を出さないのが??
切田屋 鹿角 ☆☆☆ 田舎にある、江戸風のそば
弥助そば 羽後町西馬音内 ☆☆☆ そばもいいけど、盆踊りも
まつや 羽後町西馬音内 ☆☆☆ 同上
やぶ 鶴岡市本町 ☆☆☆ かもなん、酒は、俵雪
萬盛庵 山形市旅篭町 ☆☆☆☆ 店の構え、店内、応対、そば、そば好きが安心して憩える場所ピークを外して是非一度
七兵衛 大石田町次年子 ☆☆☆☆ ダイコン汁ベースのつゆと食べ放題の田舎そば1000円は次年子はここだけ.。行くときは必ず、富並の高木酒造経由!!
きよそば 大石田町 ☆☆☆△ こだわりのいなかそば、十四代も飲める店!
水車そば 天童温泉 ☆☆☆△ そばやの周りに温泉街
吉里吉里 高擶 ☆☆☆△ パラゴンでBGM
寿屋 肘折温泉 ☆☆☆ 屋号は記憶に残らなかったが、酒とそばは残った
いせや 東根 ☆☆☆ 記憶に残るそばと、かきあげ、最近店が新装したそうな
あらき 山形村山町 ☆☆☆☆ 注文はおかずの、にしんかアケビ、板にのった太めのそばは歯ごたえ十分の田舎そば代表
いろはそば 河北町谷地 ☆☆☆ 肉そばは、鶏、つゆ、そばバランス良し
原口そば 上山 ☆☆☆△ りんご畑の中のそばや
千利庵 白鷹町 ☆☆☆△ 287号線で近くを通るときはお勧め
清壽庵 高畠町 ☆☆☆△ 高畠の酒造巡りの際は是非
嘉平そば 高畠から国分町へ ☆☆☆△ 錦襴の近くのおいしいそば屋、2009年の火災で仙台国分町の支店のみに
慈恩寺そば 寒河江八鍬 ☆☆☆ 慈恩寺の帰りにぜひお勧め
行人沢そば 飯豊町 ☆☆☆ 飯豊は、いいで!
桐屋ー夢見亭 会津若松 ☆☆☆ 山都宮古出身の店
いまや観光地のそば屋
猪苗代の
そば屋
猪苗代町 ☆☆☆ 転作で、今や本州一のそばの産地
かじや 山都町宮古 ☆☆☆△ 飯豊の麓そばがメイン他、12軒
権三郎 山都町宮古 ☆☆☆△ 同上
清水屋 会津 強清水 ☆☆☆△ そばもよいが、天ぷらはここだけのもの
日吉丸 福島舘岩村湯の花温泉 ☆☆☆☆ 名人が打つ、普通の裁ちそば
初夏の山菜と秋のきのこの季節がお勧め
桧枝岐民宿 桧枝岐村 ☆☆☆△ そばうちは、嫁の条件
藤駒 福島白河駅前 ☆☆☆△ プロの田舎そば



天手古舞 津川 ☆☆☆ 狐の嫁入りの前
2010年6月に行ったときは店名が???
由屋 十日町 ☆☆☆△ 腰のある、麩海苔でつないだ、そば。 ざるとへぎのみ
清水屋 小出 ☆☆☆ 太目の、へギそば
小嶋屋 川西町 ☆☆☆△ 麩海苔をつなぎにした、越後のそば
膳屋 松代町 ☆☆☆ 美人林の帰りには寄りたい店
中野屋 越後湯沢駅前 ☆☆☆ 越後はへぎそば
しんばし 越後湯沢ロープウエイ山麓駅手前 ☆☆☆ 越後でも、江戸風そば
富貴亭 新潟県小出町 ☆☆☆ そば粉一升2400,5合1200円、小出駅前の店




上三依 会津西街道上三依 ☆☆△ 近くを通るなら、大根そば
いけや 伊香保温泉 ☆☆☆ 伊香保温泉の粋なそばや
そばげん 群馬町 ☆☆☆ 10割そば700円から
そばきり 前橋市 ☆☆☆
足利
一茶庵本店
足利市 ☆☆☆△ 一茶庵の本店、店構えといい、そばといい、一茶庵、 田舎そば大盛りで910円
並木そば 今市市 ☆☆△ そばは老舗、湯で加減は、今市市
尾瀬 沼田市 ☆☆△ 10割蕎麦、でも、打つ、ゆでるは、鍵
あがりや 沼田駅前 ☆☆△ 尾瀬の行きかえり三十年来、看板娘
出流屋 栃木出流 ☆☆☆ そばうちは一見の価値あり
そばケビン 茨城県金砂郷 ☆☆☆ 日本一のそば粉の産地
昇庵 八郷町 ☆☆☆ 花梨酒もそばに良い
目黒一茶庵 目黒駅前 ☆☆☆☆ 山手内レトロなそばや戦後建てられた民家でそばをも、いまや、昔話
池之端
 藪蕎麦
上野池之端 ☆☆☆☆ 池之端の繁華街の外れ、老舗のそば
まつや 神田 ☆☆☆△ 天井の高い割に、いすの幅が狭く、昼時を外せば、憩える店
京金 森下 ☆☆☆☆ 口実があれば毎週行きたい店、酒よし、そばよし、間もよし
傘亭 高田馬場 ☆☆☆☆ 日本酒好きと蕎麦好きが必須用件、12時から売り切れまで金曜休み
蔵王 職場の近く ☆☆△ 機械で打つ、つなぎなしの板蕎麦、会社の食堂や、町の蕎麦屋を越える、”そば”
室町 砂場 室町 ☆☆☆☆ 憩える都心のそばや
尾張屋 浅草雷門 ☆☆☆△ てんぷらそばで五感感激
並木の藪そば 浅草雷門前 ☆☆☆☆ そばやで憩うなら、平日の昼下がり休暇をとっても憩う価値あり
吾妻橋やぶ 墨田区 ☆☆☆ 並木の藪蕎麦が表通りなら、ここは川向こう
本陣房 新橋 ☆☆☆ 新橋の飲み屋街のそばや そば好きが飲みに行く店
茅場町長寿庵 茅場町 ☆☆☆△ 老舗のそば屋
越後十日町
  がんぎ
中央区新川 ☆☆ 立ち食いの店、へぎそば風の緑色した麺がどんぶりで、社内食堂よりはましか
小堀屋
本店
佐原市 ☆☆△ 佐原の町並みのついでに
関やど 松戸駅北口 ☆☆☆ 店の構えは、老舗のそばや、江戸風の量とつゆの濃さ。松戸で憩える店
一茶庵 本八幡 ☆☆☆ 千葉の一茶庵
中山
一茶庵
船橋藤原 ☆☆☆ 千葉の豪農の庭をつまみに
藪そば 北習志野駅 ☆☆☆ 歩いて30分、ようやく地元で憩えるそばや発見
功徳庵更科 千葉市中央区登戸 ☆☆☆ 子供ごめんのこだわりの店
職場の食堂 千葉市美浜区 N/A でも、毎日です






橋場食堂 長野県飯山市富倉 ☆☆☆☆ 富倉ではお勧め
うさぎや 長野県長野市戸隠 ☆☆☆☆ 毎朝、7時からそばうち昼は満員
戸隠食堂 長野県長野市戸隠 ☆☆☆☆ うさぎやは観光客で一杯、地元の人も薦める店
大田屋 長野市 ☆☆☆△ 善光寺の帰りには是非
二本松 長野市権堂 ☆☆☆△ いつも地酒とそば
志み津 長野市権堂 ☆☆☆△ 飲んだあとおすすめ
大久保
西の茶屋
長野市駅前、戸隠 ☆☆☆△ バードライン脇の店
塚田麺屋敷 長野市篠ノ井 ☆☆☆ そば好きが始めた店
四賀村ふるさと館 長野四賀村 ☆☆ 一枚500円、一人前1000円
野麦 松本市 ☆☆☆☆ 店が狭いが、酒もそばも堪能
山品 長野美麻村新行 ☆☆☆ 田舎のわりには細目のそば
つる忠 長野稲荷山 ☆☆☆ 味噌で割る大根汁
刀屋 上田市 ☆☆☆△ 普通サイズが大盛りで味も値段(600円)も納得
くるまや本店 木曽福島 ☆☆☆ くるまやだけど、列車がお勧めの店

松葉 京都四条南座となり ☆☆☆ にしんそばが名物
甚平 出石 ☆☆☆ そばは、普通だが、斎藤隆夫を出した町
大沢屋 群馬水沢観音前 ☆☆☆△ うどんですが

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