●八幡の歴史をもっと学ぶための書籍

八幡市の歴史を学ぶための書籍。本ホームページは、これらの本を参考に作成しています。またこれらの本は、市民図書館の参考図書室の一角、郷土図書コーナーや八幡市松花堂庭園図書コーナーで閲覧できます(一部はできないものもあります)。    2011.12.10更新




番号書籍名編者/著者発行者発行年概要
001洛陽名所集山本泰順撰上村次郎右衛門寛文4年
(1664)
全12巻12冊。巻之六に八幡の記述あり
002菟藝泥赴(つぎねふ)北村季吟貞享元年
(1684)
全8巻9冊。第八巻に八幡宮、石清水、上高良など14項目にわたって八幡の記述あり
003雍州府志黒川道祐  貞享3年
(1686)
山城風土記。京都学の古典の書。
004名所都鳥不明洛陽書林/吉田四郎右衛門ほか元禄3年
(1690)
山城の名所を山、川、野、池、岡、井、瀧、道、橋など37種に分類。それぞれに郡名を付し40の挿絵を入れている。八幡の名所には八幡山、男山、美濃山、放生川、山ノ井などが見える
005都名所図会秋里仁左衛門 著
竹原信繁 絵
吉野家為八安永9年
(1780)
巻5 放生川、宿院、下高良社、上高良社、影清塚、滝本坊旧跡、正法寺、女郎花塚、石清水八幡宮
006拾遺 都名所図会    天明7年
(1787)
巻4 
007都林泉名勝図会秋里籬嶋 著
佐久間草偃・西村中和・奥文嶋 画
吉野家為八寛政13年
(1801)
巻5 松花堂の案内あり
008細見 男山放生会図録画工 速水春暁斎 彫刻 井上治兵衛京都書林 堺屋仁兵衛文政4年
(1821)
男山放生会の行列図
009男山考古録藤原尚次藤原尚次嘉永元年
(1848)
石清水八幡宮並びに付近の事柄を記した石清水大観というべき書物
010淀川両岸一覧暁晴翁著 松川半山画山城屋佐兵衛、河内屋喜兵衛、俵屋清兵衛文久元年
(1861)
淀川両岸一覧は、全4冊からなる旅行案内記であるが、八幡市の記述は、上り船之巻の上巻である。そこには、橋本のあたりをゆく旅情が紹介されている。
011八幡山名所案内記藤原尚次  慶応2年
(1866)
慶應2年に作成された長濱家所蔵版。石清水八幡宮の名所を簡潔に130カ所を紹介。
012護国女太平記不詳  明治18年
(1885)
江戸時代後期の作。八幡を舞台にした大坂の豪商、淀屋辰五郎の記載が見える
013山城綴喜郡誌京都府教育会綴喜郡部会京都府教育会綴喜郡部会明治41年
(1908)
名所旧蹟のほか、人物、風俗、地理、政治、教育、産業などを紹介
014松花堂真蹟三十六歌仙短冊帖松花堂昭乗西東書店大正1年
(1912)
015新撰 京都名勝誌京都市教育会京都市教育会大正4年
(1915)
男山八幡宮、神應寺、円福寺、橋本、放生川を紹介
016東山の麓より成瀬無極大鐙閣大正7年
(1918)
著者が京都での生活を始めて10年を経た記念に作られた。「男山八幡」と題し、石清水祭について記述あり
017京都府史蹟名勝地調査会報告 第一册京都府臨川書店大正8年
(1919)
八幡市の西車塚古墳を収録。同古墳上には「八角堂」が男山山頂から移築されている。
018光悦及松花堂斉藤隆三監修新古画粋社大正8年
(1919)
019松花堂印譜滝本坊昭乗風俗絵巻図画刊行会大正9年
(1920)
芸苑叢書 第1期
020趣味の旅 古跡めぐり笹川臨風博文館大正14年
(1925)
写真は大正14年発行の改訂8版である。本書では「松花堂あと」と題し、12ページに渡って記述している。
021明治維新神佛分離史料鷲尾順敬ほか東方書院大正15年
(1926)
本書は明治の神仏分離令にかかる史料集で、続編を含めると全5巻からなる。その上巻には「石清水神社神仏分離調査報告」「石清水八幡大神魚味奉供の達」が収録されている
022氏神と八幡の正體岸 一太北隆館昭和3年
(1928)
石清水八幡又男山八幡宮と題した小項目の記述と「明治維新 神仏分離史料」を付録で記載する
023京都府史蹟名勝天然紀念物調査報告 第十冊京都府京都府昭和4年
(1929)
「美濃山の横穴」について紹介
024新京都めぐり 京洛の史蹟淺井虎夫緑掎軒昭和5年
(1930)
「男山 山崎行き」の項に神應寺、男山(石清水)八幡宮、松花堂墓、小野頼風墓等14カ所を紹介
025松花堂画帖松花堂昭乗松花堂画帖刊行会昭和5年
(1930)
雪、月、花
026八幡瀧本坊藏帳
附 不二山黙々寺記
益田鈍翁益田家藏版昭和6年
(1931)
和本、非売品
027京都府史蹟名勝天然記念物調査報告 第13册京都府臨川書店昭和7年
(1932)
昭和58年に復刻版。東車塚庭園ほか
028石清水八幡宮史 全9册石清水八幡宮社務所石清水八幡宮社務所昭和7年
(1932)
029八幡史蹟中村直勝京滋探遊会昭和11年
(1936)
男山及び八幡付近の史実と史蹟とを15項目に分けて紹介されている
030京都府史蹟天然紀念物調査報告 第十七册京都府臨川書店昭和12年
(1937)
八幡町志水瓦窯址について記述
031松花堂昭乗佐藤虎雄河原書店昭和13年
(1938)
昭乗の家系、社僧の昭乗、昭乗の交友、昭乗の入定、昭乗の歌道・書道、八幡名物、茶室松花堂など、松花堂のすべてをこの一冊で知ることができる
032星岡 第97号井川定慶ほか星岡茶寮昭和13年
(1938)
井川定慶氏による寄稿「椿の本陣と松花堂」を収録
033郷土研究 上方
八幡男山號
南木芳太郎編/中村直勝・井川定慶ほか創元社昭和13年
(1938)
中村直勝氏による「石清水八幡宮略説」、井川定慶氏による「松花堂と大坂・堺」、柴田実氏による「松花堂の遺構」のほか、「洞ヶ峠と筒井順慶」「女郎花塚」などが紹介されています。
034東洋美術文庫第37巻 松花堂佐藤虎雄アトリエ社昭和14年
(1939)
本書の半分以上が図版が占める。その数48点。西村氏所蔵の昭乗のたばこ盆が目を引く。
035随筆 松花堂井川定慶立命館出版部昭和14年
(1939)
036京都古銘聚記川勝政太郎、佐々木利三スズカケ出版部昭和16年
(1941)
石清水八幡宮の「永仁の石灯籠」などを紹介
037茶室千 宗守河原書店昭和17年
(1942)
松花堂が紹介されている
038淀川北尾鐐之助京阪電気鉄道株式会社昭和18年
(1943)
「男山山上展望」「橋本と山崎の渡船」について紹介
039近畿 茶室行脚岡田孝男晃文社昭和18年
(1943)
本書は八幡の松花堂のほか、大阪、奈良、京阪沿線、京都の43の茶室を紹介されている。図版も多い。
040石造美術と京都川勝政太郎高桐書院昭和21年
(1946)
本書の図版には、石清水八幡宮の「永仁の石灯籠」(重要文化財)が、皇太神宮遙拝所にあった当時の写真が使われている。石清水八幡宮の石灯籠について32行にわたって紹介されている。
041京阪神叢書2 淀川北尾鐐之助宝書房昭和21年
(1946)12月20日
男山山上展望、橋本と山崎の渡し船について記載
042京都古蹟行脚川勝政太郎臼井書房昭和22年
(1947)
石清水と八幡の寺々で、神應寺、石清水八幡宮、薬薗寺、善法律寺、八角院、松花堂、円福寺について紹介
043京阪神叢書6 男山中村直勝宝書房昭和22年
(1947)
044短歌風土記
山城の巻
吉井勇創元社昭和22年
(1947)
045茶室百選
裏千家 松花堂
佐々木三味芸艸堂出版部昭和23年
(1947)
046吉井勇歌集 残夢吉井勇矢部良策昭和23年
(1947)
吉井勇が八幡市の寶青庵に住まいしていた頃の作品集。松花堂庭園に建立されている歌碑、「昭乗といへる・・」を収録。
047南やましろ
上古中古篇
京都府立桃山高等学校郷土史研究部京都府立桃山高等学校昭和25年
(1950)
048続 京都歳時記高桑義生推古書院昭和26年
(1951)
石清水八幡宮、石清水祭、橋本、松花堂円福寺を紹介
新着大山崎史叢考吉川一郎創元社昭和28年
(1953)
大山崎の歴史は、石清水八幡宮と重要な関係を持っている。石清水の神人の中で、一番力を持っていたのは大山崎神人であった。本書では「石清水八幡宮大山崎神人」が取り上げられている。
新着史蹟行脚 京都川勝政太郎京都出版社昭和30年
(1955)
石清水八幡宮、石清水社、薬園寺、善法律寺、八角院、松花堂、円福寺を紹介
049淀川井上俊夫三一房書昭和32年
(1957)
淀の水車と三川合流点、八幡と橋本
050関西文学散歩
(上巻)大阪、堺・淀川両岸
野田宇太郎小山書店新社昭和32年
(1957)
淀川両岸の項に、橋本、蘆刈、八幡道、吉井勇と八幡、寶青庵、円福寺と松花堂
051石清水八幡宮史料叢書 全5巻藤原尚次著 毛利秀義編ほか石清水八幡宮社務所昭和35年〜
(1960〜)
男山考古録を第1巻に収録する全5巻からなる
052京都古寺巡礼川勝政太郎社会思想社昭和39年
(1964)
川勝政太郎著の「京都古蹟行脚」に続く第2段。石清水八幡宮を紹介
053松花堂昭乗中村昌生淡交新社昭和41年
(1966)
淡交新社発行のテキストブック「茶人編」。謎の出生、社僧昭乗、応山と昭乗、鐘楼坊と瀧本坊の茶会など中村昌生氏が執筆
054京都名園記
下巻
久恒秀治誠文堂新光社昭和44年
(1969)
松花堂庭園について紹介
055重要文化財石清水八幡宮社殿修理報告書京都府教育庁文化財保護課京都府教育委員会昭和44年
(1969)
石清水八幡宮本殿の他、8棟の修理報告書
056寛永の三筆春名好重淡交社昭和46年
(1971)
松花堂昭乗は寛永の三筆の一人
057カラー京都の魅力中村直勝淡交社昭和46年
(1971)
男山(石清水)八幡宮、松花堂、円福寺を美しいカラー写真で紹介
058近畿歴史探訪徳永真一郎新人物往来社昭和47年
(1972)
京都府域ては、大山崎の油座の特権、天王山勝敗の岐路の地で石清水八幡宮について触れているが、大阪府域の淀屋橋の項で八幡に住まいした淀屋の記述が興味深い
059京都の石造美術川勝政太郎木耳社昭和47年
(1972)
八幡市の関係部分は、「五輪塔をさぐる」と題する編で、日本最大級の規模を誇る航海記念塔が登場する。
060京都の文化財
南山城編
京都府教育委員会松香堂昭和47年
(1972)
式部谷遺跡、金右衛門垣内遺跡、西車塚古墳、志水瓦窯跡、石灯籠、石清水八幡宮文書、石清水八幡宮、五輪塔、行教律師座像など八幡市の文化財28が紹介されている
061古都の港・淀納所の歴史中村富三郎汐文社昭和47年
(1972)
本書の第3章には「男山八幡宮(かって石清水八幡宮は、こう呼ばれていた)と与杼神社」について紹介されている。
062京都古社寺詳説
平安前期編
出雲路敬和有峰書店昭和49年
(1974)
「第五章 八幡の神の信仰と東寺」で石清水八幡宮について詳細に紹介している
新着京都 古文化財細見記出雲路敬和京都銀行協会昭和50年
(1975)
石清水八幡宮、石清水祭について紹介している
063京都考古学散歩樋口隆康学生社昭和51年
(1976)
「第6章 石清水八幡宮から奈良山まで」で、石清水八幡宮、西車塚古墳、史跡松花堂などを紹介
064神々と民衆運動西垣晴次毎日新聞社昭和52年
(1977)
石清水八幡宮と志多羅神について紹介されている
065京都古寺巡礼川勝政太郎社会思想社昭和53年
(1978)
石清水八幡宮について紹介
066日本名跡叢刊 第20回配本 江戸 松花堂昭乗 長恨歌小松茂美監修(株)二玄社昭和53年
(1978)
松花堂昭乗31歳のとき、近衛信尋(応山)のために手本として書いた書を紹介
067日本の美術 寛永の三筆是澤恭三至文堂昭和53年
(1978)
監修は文化庁、東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館で、収録されている資料も半端じゃない。松花堂作品に触れることができる。
068わが淀川
やぶにらみ浪花噺
井上俊夫草思社昭和54年
(1979)
石清水八幡宮と山崎の離宮八幡宮を結ぶ「燈明の渡し」について紹介
069つくばい百趣北尾春道河原書店昭和54年
(1979)
松花堂のつくばいとして、太子形の手水鉢について紹介している
070京都の社寺建築
南山城編
財団法人 京都府文化財保護基金(財団法人 京都府文化財保護基金昭和54年
(1979)
京都府南山城地域に所在する未指定文化財の社寺建築について、京都府教育庁文化財保護課が中心となってまとめた報告書。
071八幡市誌 第2巻八幡市誌編纂委員協議会八幡市昭和55年
(1980)
第4編 中世の八幡 第5編 近世の八幡
072日本歴史地名大系26 京都府の地名柴田実、高取正男平凡社昭和56年
(1981)
京都府の歴史地名について詳しく解説
073京都府地名大辞典(上巻)足利健亮 上島有ほか角川書店昭和57年
(1982)
総説、地名編
074燈用植物深津 正法政大学出版局昭和58年
(1983)
エジソン電球に使われた八幡竹を紹介
075八幡市誌 第3巻八幡市誌編纂委員協議会八幡市昭和59年
(1984)
第6編 近代の八幡 第7編 現代の八幡
076茶道誌 淡交 三月号
特集 八幡名物
納屋嘉治淡交社昭和59年
(1984)
八幡名物とは、松花堂昭乗所有の茶道具であった。
078史跡松花堂およびその跡
発掘調査概報
石清水八幡宮石清水八幡宮昭和59年
(1984)
泉坊・松花堂跡の調査で出土した瓦の写真、詳細な図面がふんだんに使われた報告書
078京都百話
京都千年への案内
奈良本辰也ほか角川選書昭和59年
(1984)
石清水八幡宮の一つだけだが八幡神と神風について興味深く書かれている
079淀川往来上方史蹟散策の会片岡 衛昭和59年
(1984)
木津の流れ橋、石清水八幡宮、松花堂昭乗、神應寺と淀屋辰五郎、八幡の町あれこれ
080京都男山の植物廣江美之助田中文清昭和60年
(1985)
石清水八幡宮御鎮座1125年を記念して作成された男山全山の植物植生調査書
081続石清水八幡宮史料叢書
全3巻
石清水八幡宮石清水八幡宮社務所昭和60年
(1985)
田中家文書、菊大路家文書からなる全3巻
082八幡市誌 第1巻八幡市誌編纂委員協議会八幡市昭和61年
(1986)
第1編 八幡の自然環境 第2編 先史の八幡 第3編 古代の八幡
083重要文化財伊佐家住宅 内蔵・東蔵・乾蔵・・・修理工事報告書京都府教育庁指導部文化財保護課京都府教育委員会昭和61年
(1986)
八幡市上津屋浜垣内にある重要文化財伊佐家住宅の内蔵・東蔵・乾蔵・二階蔵・木小屋・高塀の修理工事報告書。伊佐家は江戸時代において累代幕府領の庄屋を勤めた。
084南山城の歴史的景観乾 孝次古今書院昭和62年
(1987)
南山城の地理的・歴史的性格、南山城の地形環境、歴史的景観の復元、明治期以降の景観と今後の開発の諸問題とその課題
085八幡正法寺の絵画と書跡京都府立山城郷土資料館京都府立山城郷土資料館昭和62年
(1987)
山城郷土資料館で開催された企画展で発行された書籍
086神道大系
石清水
財団法人 神道大系編纂会財団法人 神道大系編纂会昭和63年
(1988)
石清水八幡宮に伝来する文書を収録
087淀川絵巻木村きよし保育社昭和63年
(1988)
語るよりも見せる。絵巻風に著者による力作鳥瞰図
088京都府指定文化財 正法寺書院修理工事報告書建築文化研究所正法寺平成元年
(1989)
昭和59年12月に着工し、平成元年3月に完成を見た正法寺書院修理工事報告書
089けいはんな風土記門脇禎二監修関西学術研究都市推進機構平成2年
(1990)
「平安京と石清水八幡宮」〜石清水八幡宮の成立〜石清水八幡宮の荘園〜 「東高野街道」を紹介
090木津川歴史散歩
南山城をめぐる
斉藤幸雄かもがわ出版平成2年
(1990)
本書は斎藤幸雄が著した2册の「木津川歴史散歩」の第1段。
091料理名由来考志の島忠・浪川寛治三一書房平成2年
(1990)
八幡市発祥の「八幡巻」のルーツが紹介されている
092ヒル塚古墳発掘調査概報八幡市教育委員会八幡市教育委員会平成2年
(1990)
八幡市美濃山ヒル塚古墳の発掘調査概要
093八幡文化のふるさと
文化財の数々をみる
八幡市教育委員会八幡市教育委員会平成3年
(1991)
石清水八幡宮、石田神社など神社4社、神應寺、正法寺など寺院21が紹介されている。善法律寺の愛染明王座像、正法寺の阿弥陀如来立像など
094山城国綴喜郡八幡 正法寺古文書目録京都府立山城郷土資料館京都府教育委員会平成3年
(1991)
八幡市八幡清水井にある正法寺は、鎌倉時代初期に創建された浄土宗の古刹である。徳川御三家の尾張藩の祖、義直を産んだお亀の方を輩出した寺でもある。この正法寺に伝来した中世から近世の古文書の調査報告書である。
095重要文化財 正法寺本堂修理工事報告書京都府教育委員会京都府教育委員会平成4年
(1992)
寛永6年〜7年にかけて建設された本堂の修理工事報告書。
096八幡宮の建築土田充義財団法人 九州大学出版会平成4年
(1992)
八幡信仰は九州を・宇佐を発祥地としている。本書は宇佐八幡宮を初め石清水八幡宮の社殿建築を紹介する。
097続・木津川歴史散歩
斉藤幸雄かもがわ出版平成4年
(1992)
流れ橋、飛行神社
098松花堂昭乗
茶の湯の心と筆墨
大和文華館大和文華館平成5年
(1993)
「特別展 松花堂昭乗」の出品作品をまとめたもの
099狛犬学事始ねずてつつやナカニシヤ出版平成6年
(1994)
南山城地域で最も古い狛犬は上奈良・御園神社の狛犬だと著者は言う
100まちと暮らしの京都史岩井忠熊文理閣平成6年
(1994)
「しだら神と石清水八幡宮」について紹介
101寺院神社大事典平凡社編平凡社平成9年
(1997)
京都・山城地域の寺院と神社の大事典
102地方史研究 第271号林 英夫地方史研究協議会平成10年
(1998)
石清水八幡宮と大山崎神人 離宮八幡宮の成立と機能をめぐって 小山田陽子著
103神主と神人の社会史橋本政宣・山本信吉編思文閣出版平成10年
(1998)
石清水八幡宮神人の経済活動、身分と商業と題して鍛代敏雄氏の論文が紹介されている
104内里八丁遺跡京都府京都文化博物館学芸第二課京都府京都文化博物館平成10年
(1998)
第二京阪道路建設に伴う京都府八幡市所在遺跡の調査報告書
105文化燦燦2石清水八幡宮崇敬会石清水八幡宮崇敬会平成11年
(1999)
石清水八幡宮研究所田中君於氏による「男山四十八坊」文化講演会の内容をまとめた。
106石清水八幡宮文書外続群書類従完成会続群書類従完成会平成11年
(1999)
本書は筑波大学所蔵の文書のうち、石清水八幡宮文書・香取文書・長福寺文書・雑文書を収めている
107大阪の街道と道標武藤善一郎武藤善一郎平成11年
(1999)
八幡市内を縦貫する東高野街道について紹介されている
108神応寺文化財調査報告書八幡市教育委員会八幡市教育委員会平成13年
(2001)
八幡市教育委員会が平成8年12月から神應寺の調査を開始し平成13年3月にまとめた調査報告書である。
109松花堂昭乗関係資料調査報告書八幡市八幡市平成14年
(2002)
110松花堂茶会記と茶の湯の世界八幡市立松花堂美術館八幡市立松花堂美術館平成14年
(2002)
松花堂美術館が平成14年10月20日から12月1日にかけて開催した特別展「松花堂茶会記と茶の湯の世界」に発行
111神社紀行 石清水八幡宮学習研究社学習研究社平成15年
(2003)
学研の週間神社紀行30 石清水八幡宮。石清水八幡宮がいっぱいの本
112八幡正法寺の名宝展八幡市立松花堂美術館八幡市立松花堂美術館平成16年
(2004)
松花堂美術館が平成16年10月9日から11月28日にかけて開催した特別展「八幡正法寺の名宝展」に発行
113神仏分離の動乱臼井史朗思文閣出版平成16年
(2004)
神仏分離令に最後まで抵抗した石清水八幡宮。その動揺は尋常ではなかった
114男山で学ぶ人と森の歴史八幡市教育委員会八幡市教育委員会平成17年
(2005)
石清水八幡宮が鎮座する男山の自然を、その歴史と人々の生活との関わりの中から見直そうと、資料提供など市民参加の調査報告集としてまとめられている
115八幡市遺跡地図八幡市教育委員会八幡市教育委員会平成17年
(2005)
八幡市の埋蔵文化財について知る一冊
116松花堂昭乗の眼差し松花堂美術館松花堂美術館平成17年
(2005)
松花堂美術館開館3周年を記念して開催された特別展の作品集
117神仏習合の聖地村山修一法蔵館平成18年
(2006)
石清水八幡宮と護國寺について記述
118志水廃寺第4次・月夜田遺跡発掘調査報告書八幡市教育委員会平成19年
(2007)
奈良時代から平安時代の初めにかけて機能していた溝状の遺構が確認された
119石清水八幡宮諸建物群調査報告書(本文編)八幡市教育委員会平成19年
(2007)
報告書は、石清水八幡宮境内にある未指定建造物を対象とした3年間にわたる調査報告である。
120石清水八幡宮諸建物群調査報告書(図版編)八幡市教育委員会平成19年
(2007)
報告書は、石清水八幡宮境内にある未指定建造物を対象とした3年間にわたる調査報告で図版77点を掲載する。
121南山城の俳諧 芭蕉・蕪村・樗良京都府立山城郷土資料館京都府立山城郷土資料館友の会平成19年
(2007)
「八幡八景 石清水八幡宮と連歌」が興味深い
122戦国期の石清水と本願寺鍛代敏雄法蔵館平成20年
(2008)
戦国期の淀川流域に位置した権門寺社の石清水八幡宮寺と真宗教団の大坂本願寺。二大寺社の「宗教領主」としての実態を都市自治や物流、交通の視点から考察
123没後370年 松花堂昭乗 先人たちへの憧憬松花堂美術館松花堂美術館平成21年
(2009)
松花堂美術館の特別展で発行された冊子
124古社名刹 巡拝の旅 淀川の岸辺集英社集英社平成21年
(2009)
石清水八幡宮、水無瀬神宮の特集
125石清水八幡宮境内調査報告書八幡市教育委員会八幡市教育委員会平成23年
(2011)
平成19年度から23年度にかけて実施された国庫補助事業による石清水八幡宮境内調査報告書


洛陽名所集

【編著者】山本泰順撰
【発行者】上村次郎右衛門
【発刊年】寛文4年(1664)
【所蔵所】



全12巻12册で構成される。巻之六に八幡の記述を見ることができる。ここで取り上げられているのは、八幡、石清水、放生川、八幡山、男山、男塚女塚の6項目。


菟藝泥赴

【著 者】北村季吟
【発行者】
【発刊年】貞享元年(1684)
【所蔵所】



著者の北村季吟は近江国野洲郡北村に住んでいた人で、通称は久助、号は呂庵、後に拾穂軒といった。医者であったが、京都に出て師について和歌、俳諧を学び、国文学の研究にも力を入れ、「源氏物語湖月抄」「枕草子春曙抄」「土佐日記抄」などを著し多くの功績を残したという。元禄二年、季吟の好学が広く伝わり、幕府に召された。本書は淀城主稲葉氏の強い願いにより、貞享元年、山城一円の名勝旧跡社寺に関する故事由緒について、国文学的な色合いを強く持った書物として完成したという。
八幡市に関する記述は14項目ある。八幡宮、譽田天皇、上高良、下高良、狩尾、下院、石清水、極楽寺、鳩峯、男山、女郎花塚、放生河、片岡達磨、狐河である。


雍州府志

【編著者】黒川道祐
【発行者】
【発刊年】貞享3年(1686)
【所蔵所】八幡市民図書館、男山市民図書館、松花堂美術館図書室



 平安京は中国・長安(現在の西安)をお手本にして創られました。この長安の所在地が「雍州」であり、これにならって平安京の所在地を雍州といったことがこの書名の由来とするところです。また、そのあとに続く「府誌」とは地方誌という意味を持っています。
 さて、本の著者は黒川道祐といい、静庵・遠碧軒とも号しました。安芸藩の儒医でした。その物を観る眼を発揮して多くの書物を執筆し刊行。雍州府志もその一冊でした。この書は、天和2年(1682)4月までに書きためたものを10冊に編集してもので、山川、城池、寺社、土産等を地域別に扱い、さながら「京都案内書」といえるものでした。
 本書に見える八幡にかかる記述は、巻3の八幡宮、若宮、若宮殿、水若宮、住吉社、武内社、高良社、狩尾社。巻5の神宮寺、薬師寺、足立寺、神應寺、善法寺、円福寺、浄徳寺が見える。
 また、雍州府志補遺では、金橋、橋本、大谷、放生川、八幡五井、山井,園、遙拝、美濃山、御幸谷、三国橋が見える。巻10では杉山塔、景清塔、如法塚、相応院殿塔、竹腰山城守塔、志水氏墓、男女塔が見える。


【八幡宮】 男山石清水の地にあり。男山、あるいは雄徳山と称し、また鳩の嶺と号す。欽明天皇三十一年冬、肥後國菱形の地辺、民家の児、三歳の時、神託して曰く、我はこみれ人皇十六代誉田八幡麻呂なりと。ここにおいて勅使を差し、豊前國宇佐の宮に鎮座す。しかうして八幡と称す。一説に、昔、白幡四つ、赤幡四つ、天より筑前國那珂郡筥崎に降る。すなはち、その処に松を植えて、標とす。その跡、今に至りて存す。これによりて、八幡の号を得といふ。伝えいふ、貞観元年秋七月、八幡太神、鳩の峯に移る。はじめ、釈行教、南都大安寺に居す。この僧、俗種、武内大臣の裔なり。かつて貞観元年宇佐の神祠に詣し、一夏九旬、昼は大乗経を説き、夜は密咒を誦す。一夕、夢中に太神告げて曰く、久しく法施を受く、師に離れんことを欲せず、師王城に帰らば、我もまた随ひ行き、王城の側に居て、まさに皇祚を護るべし。教、やうやく山城州山崎に到る。その夜、また、夢中、太神告げて曰く、師、我が居る所を見よと。覚めてこれを見れば、東南男山鳩の峯の上、大光を現ず。教、晨を凌ぎて、光を発するの地に到る。実に霊区なり。教、すなはち二事を録し、表をもってこれを奏す。帝、すなはち木工寮権允橘良基に詔したまひ、宇佐の祠規に准じて、六宇の新殿を造らしむ。すなはち正殿三宇・外殿三宇、合せて六宇なり。正殿三座、中は八幡宮、すなはち応神天皇なり.東は気長足姫尊、すなはち神功皇后なり。西は比口羊(ひめ)大神、すなはち玉依姫なり。その社規、魏々然たり。嵯峨院、源姓を諸皇子に賜ふ。すなはち八幡宮をもって氏神としたまふ。この社をもって、本朝第二の宗廟とす。山下第一の鳥居、八幡宮の額は、藤佐理卿の筆跡なり。山上狩尾神社は、これ当山地主神にして山腹の護國寺薬師は、八幡勧請以前より当山にあるところなり。行教の弟、僧正益信、護國寺の検校たり。同じく俗姪、安宗、別當たり。はじめ宇佐より従ひ来る紀氏ならびに大神氏、たがひに神職を勤む。古へ八社家あり。善法寺・田中・新善法寺・壇・園・西竹・東竹等、これなり。検校・別當の両職は、すなはち勅任なり。この中、多くはこれ紀氏にして、武内の裔なり。大神氏は絶ゆ。今、伶人山井・近江等、その余流なり。八社家のうち、田中は、もと、護國寺の別當たり。しかれども、今においては、別にを置きて護國寺を守らしめ、みづから八幡宮の社家となり、禁闕の祈祷を勧む。善法寺・新善法寺は、公方家の祈祷を修す。善法寺・田中・新善法寺、八幡においては三門主と称す。各々裘代を著す。行願寺の行円等もまた、これを著す。故に、世に、革堂上人と称す。しかれども、神社においては革を忌む。故に、裘代と称す。その衣色、濃紫にして、黒を帯ぶ。僧正著すところの緋衣と大きに同じくして、小しき異なり。これによりて、謬り伝へて、三門主僧正にあらずして緋衣を著すといふ。毎年二月・十一月初の卯の日、神楽あり。禁裏の御神楽に准じて、伶人山井・多・豊(ぶん)・安陪等、これを勤む。同じく八月十五日、放生会あり。伝えへいふ、神功皇后三韓を征する時、多くの人命を断つ。故に、魚鳥を放つ。追薦の徴意に比して、当山においてこれを修するものなりと。この法会、社僧、最勝王経を講ず。この経の中、放生の事あり。故にこれを修すといふ。元正天皇養老四年、はじめて執行したまふ。その後、久しく絶ゆ。社家の内、田中、特にこれを嘆き、東武に請ふ。延宝七年、放生会の料、禄若干を下賜、再び廃礼を興す。毎年、上卿・参議・弁・六府ならびに諸役人等、参向してこれを勤む。その余の神事、枚挙に遑あらず。神領、今において六千七百石余あり。社家の説に、この地、もと久世郡にして、八幡社のある所は、久世郡科手郷に属す。およそ、男山の麓、河原村より以南、綴喜郡なり。旧記の載するところ、各々然り。近世、誤りて綴喜郡とするものか。
【若宮】 同処、本社の艮隅にあり。応神天皇の皇子にして、大鷦鷯尊を祭るところなり。すなはち、仁徳天皇これなり。
【若宮殿(にゃくうどの) 若宮の右にあり。これ、応神天皇の姫宮なり。
【水若宮】 若宮の左にあり。これもまた、応神天皇の季子、菟道稚郎子(うぢわかいらつこ)にして、宇治皇子と号する、これなり。
【住吉社】 本社の北ににあり。
【武内社】 本社内殿西北の隅にあり。これ、武内大臣を祭るところにして、上高良明神と号する、これなり。
【高良社】 八幡山下にあり。筑前国高良山よりこの処に移る。西の一座は住吉を祭る、東の一座は武内を祭るものなり。これを下高良明神と称す。武内大臣、千珠・満珠両顆をもって海に投ず。故に、あるいは玉垂命と号す。およそ、この社、船の形を表して、これを建つるものなり。
【狩尾社】 八幡山の西にあり。これ、国常立尊・大己貴尊・天児屋根命の三座を祭るところなり。男山地主神にして、八幡太神遷座以前の勧請するところなり。このほか護國寺ならびに宝塔院、合せて三所、共に同じく然り。

【神宮寺】 八幡山石清水の麓にあり。真言宗にして、八幡宮の供僧たり。光仁帝の時、はじめて八幡比売神宮寺を造ると。けだし、この寺か。
【薬師寺】 八幡の山腹にあり。本尊薬師は、すなはち、当山の地主なり。大江匡房卿゜、疾病を祈る。平復の後、脇侍十二神将を造り、本尊の左右に置く。匡房卿の願文、この寺火災に罹る時、鳥有となる。惜しき哉。古へ、田中、この寺の別当たり。今、真言宗の僧をして、交々これを守らしむ。
【足立寺】 男山の西にあり。樟葉村の南より山に登るの路なり。和気清麻呂、道鏡が怒りに触れて、脚の筋を断ち、紫陽に放たる。宇佐八幡の加護によりて、両脚たちまち癒えて、歩行、故の如し。ここにおいて、足立寺を創す。八幡宮還幸の日、この寺もまた、この山に建。今、寺は絶えて、山の名となる。


名所都鳥

【編著者】不明
【発行者】吉田四郎右衛門、丸屋源兵衛、田原嘉兵衛
【発刊年】元禄3年(1686)2月
【所蔵所】



「名所都鳥」は全6巻からなる。5巻と6巻は上下2巻からなるので、全体としては8册である。選者は不明。山城の名所を以下の37種に分類し紹介している。
山、川、野、池、岡、井、瀧、道、橋、森、水、谷、石、峯、崎、芝、島、名木、谷、坂、嶽、里、原、尾、瀬、林、峠、田、淵、宮社院園、雑、堤、越、古城、塚、壇、畷、薗である。
それぞれの名所には郡名が付されている。なお、八幡の名所は次の10カ所となっている。/八幡山(男山鳩ケ峯)、美濃山 /放生川 /山之井(ここでは、八幡五井として、石清水、獨鈷の水、阿加井、藤井、筒井をあげている)/安居橋 /御幸谷 /洞ヶ峠 /如法塚、男塚女塚 /園(八幡の園地区では「世に賞する八幡牛蒡」を産すると紹介され、八幡巻きのルーツを見ることができる)

都名所図会(前朱雀)
都名所図会(前朱雀)

【編著者】秋里仁左衛門著 竹原信繁絵
【発行者】吉野家為八
【発刊年】安永9年(1780)8月
【所蔵所】八幡市民図書館、男山市民図書館、松花堂美術館図書室



「名所図会」とは地誌、名所案内書の一種で、名所の解説と絵図とが一緒になった本です。
最初の名所図会として出版されたのが、この『都名所図会』で、刊行は安永9年(1780)8月のことでした。『都---』とは、京の「都」のことで、いわば江戸時代における京都の地誌です。
美濃本6巻6冊からなる『都名所図会』の著者は秋里仁左衛門といい、号は雛島。絵は竹原信繁、号を春朝斎によるもの。そして、出版者は京都、寺町五条上ルで本屋を営んでいた吉野屋為八という人です。瀧沢馬琴の随筆『異聞雑稿』に書かれている「吉野屋為八」によると、吉野屋為八は京都、五条に住む商人で「京の図会を売り出したい」と半分、趣味も手伝って発案。三百両という大金をつぎ込んで当時京都で出版されていたすべての「名所記」という板株(出版権)を本屋から買い取りました。このあと、為八は俳譜師の秋里離島に執筆を、画工竹原春朝斎に図会を描いてくれるよう依頼。そして2人を3年もの間、丸抱えにして完成させ、さらに版木の彫り終わるまであと2〜3年の月日を費やしました。その間の費用は二千両にものぼったといいます。
やっと完成した『都名所図会』は、為八の思惑に反して、思うように売れませんでした。しかし、為八は、「自分の趣味で出した本だから」と、さほど気にはかけずにいたそうです。その後、大坂城代の若狭小浜の藩主が、所用で江戸に参向した時、親類縁者への土産にと『都名所図会』を十数部もっていったところ、これが評判になって、その翌年から急に年四千部も売れるベストセラーになりました。このときの大坂城代が牧野越中守貞長(安永6年〜天明元年5月11日まで在任)といわれています。
『都名所図会』は神社仏閣の鳥瞰図が多く見られます。また、当時の風俗や人々の生活を描いた絵図に人々の風俗や生活を眺めることができます。(以上、宗政五十緒著「都名所図会を読む」を参考)

生き生きと伝える八幡の名所

『都名所図会』の巻5 前朱雀には八幡の名所が紹介されています。
紹介文は神宮寺、放生川、宿院、阿弥陀堂、下高良社、上高良社、鳩が峰、石清水、影清塚、滝本坊旧跡、志水、正法寺、女郎花塚、石清水八幡宮など。絵は「八幡神宮寺」「八幡御旅所疫神社、阿弥陀堂」「石清水八幡宮」「放生会」「志水正法寺」の5点。「八幡神宮寺」の絵では、今の市営駐車場あたりと思われるところの農地を耕す人が生き生きと描かれています。「八幡御旅所疫神社、阿弥陀堂」の絵からは、安居橋が当時は平らな橋だったこと、その上流に架かる橋が反り橋だったことがわかります。謎の多い航海記念塔が絵に見えません。日本一の大きさなのに描かれていないのはどういうことなのか、また一つ謎が深まります。



拾遺 都名所図会

【編著者】秋里仁左衛門著 竹原信繁絵
【発行者】吉野家為八
【発刊年】天明7年(1787)
【所蔵所】八幡市民図書館



江戸時代後期に刊行された「---名所図会」は一種の案内書で、名所の解説文と主要な名所の絵図を掲げた本でした。それまでの本が、詳しい解説や挿絵が掲載されてはいなかったのが一般的だったのが、安永9年(1780)8月、『都名所図会』がその殻をを破って刊行されました。
刊行初年は思うようには売れなかったものの、翌年から急に売れだし、一か年に4000部という当時としてはベストセラーに。こうして『都名所図会』は摺刷に摺刷を重ね、遂に板木が傷み、版元は天明6年 (1786)正月、新たに版を刻して再刻本を出版。更にその続編が刊行されるに至りました。この本が天明7年(1787)に刊行された『拾遺都名所図会』でした。
著者は『都名所図会』と同じく、秋里仁左衛門、号雛島。京都、五条橋西の、源融の塩竈の旧跡、まがきが島の跡に住居したので離島と号したといいます。絵は竹原信繁、号は春朝斎といいます。本姓松本、名は信繁、通称門次といい、大坂の人です。絵を坂本春汐斎に学びました。寛政12年(1800)没、享年未詳。出版者は、京都、寺町五条上ルに住んでいた本屋、吉野屋為八です。為八は『拾遺都名所図会』に続いて大和国の名所図会『大和名所図会』を出版し、更に『住吉名勝図会』・『摂津名所図会』・『和泉名所図会』・『東海道名所図会』などを刊行しました。
江戸時代の京都地誌を代表する本は、『都名所図会』と続編の『拾遺都名所図会』の2冊であると言われるぐらいに著名な本です。
八幡の名所が載っているのは巻4で、八幡山(男山のこと)、頼風塔、達磨堂円福寺,長の松、橋本、川口天満宮,内里王塚が紹介されています。また、挿絵は幣原円福寺の1箇所です。



都林泉名勝図会
都林泉名勝図会

【編著者】秋里仁左衛門著 竹原信繁絵
【発行者】吉野家為八
【発刊年】寛政13年(1801)
【再版】昭和50年(1975)6月25日、柳原書店
【所蔵所】八幡市民図書館



写真の本は、秋里仁左衛門作の『都林泉名勝図会』大本5巻6冊を活字翻刻したもので、底本には寛政11巳歳仲夏、小川多左衛門の刊記を有する本を参考にして、柳原書店によって昭和50年に発行されたものである。
八幡の記述は、巻之五に見える。そこには、「男山」の項に、放生会の斎行についての記述が見える。また、八幡八景が紹介されている。そのほか、松花堂昭乗の草庵茶室や石清水祭の神幸の絵を見ることができる。


男山放生会図録
細見 男山放生会図録

【編著者】画工 速水春暁斎 彫刻 井上治兵衛
【発行者】京都書林 三条通柳馬場東角 堺屋仁兵衛 版
     八幡平谷町 大和屋九郎兵衛
【発刊年】文政三年(1820)辰四月 御免
     同四年(1821)巳八月 成刻
【所蔵所】
【大きさ】縦30.0センチ×16.5センチ
【ページ】44ページ




男山放生会の行列を生き生きと描いた図録。石清水八幡宮の3神が3基の鳳輦(ほうれん)に移り、本殿から総勢500余名のお供が付き添って絹屋殿まで下る神幸(しんこう)の儀。その夕刻、頓宮を出発し、神幸の儀と同じくお供が付き添って山上本殿に還幸になる還幸(かんこう)の儀に参加する人々の姿が描かれている。あわせて、八幡宮紀略、男山鎮座、放生会起、神事次第について書かれている。



男山考古録
男山考古録

【編著者】藤原尚次
【発行者】(初版)藤原尚次
     (復刻版)京都府綴喜郡組合立男山中学校編
     (復刻版)石清水八幡宮
【発刊年】(初版)嘉永元年(1848)5月
     (復刻版)昭和26年1月30日(謄写版)
     (復刻版)昭和35年8月1日
【所蔵所】八幡市民図書館、男山市民図書館、松花堂美術館図書室
【大きさ】縦21.5センチ×15.5センチ(昭和35年版)
【ページ】555ページ(昭和35年版)


八幡の歴史を振り返るとき、そのバイブルとなっているのがこの「男山考古録」で、その解説文には「言わば石清水八幡宮並びにその付近のことも詳記した『石清水大観』」といって不可ないものである。だから石清水八幡宮や付近の事柄について何か理解し、あるいは研究しようとするならば、まず、この考古録に問うてみるのが順序であろう」と述べています。事実、石清水八幡宮では、座右書のひとつとして、絶えずこれを見、社務運営の参考にされているといいます。

著者は石清水八幡宮の宮大工

藤原尚次は寛政9年(1797)、石清水八幡宮の宮大工直次の子として生まれました。そして、父の後を継ぎ宮大工となり、嘉永元年(1848)、「男山考古録(全15巻)」を著しました。
その執筆には約半年を要したと尚次の記述が見えますが、その資料収集には数十年を要し、また、読破した諸文献は300余冊にも及んだといいます。こうして著された男山考古録は、こういった諸文献と同じ傾向をもつ大観的記述で、男山を中心とする古跡、事物、行事がその由来とともに詳細に記載され、そのものによっては尚次自身の鋭い考察をもってその評価がされているのが興味深いものとなっています。
この考古録、実はその原本は、石清水八幡宮社務所に秘蔵されていましたが、昭和22年(1947)2月12日の炎上によって灰燼に帰してしまいました。その後、有志らが諸本を探し求め、幸運にも山本九兵衛、辻村豊夫両氏の書架にその写本が見つかり、男山中学校の先生たちが中心となって昭和26年1月30日に復刻となり、こうして私たちはいま、八幡の歴史にふれることできるのです。


男山考古録編纂の言葉から

廣幡八幡三所皇大紳、貞観のむかし、わが石清水の所に大宮所敷坐しより、いやさかえに榮えて、峯に尾に堂杜いとなみ建られ、麓に里に軒をつらねて、名だたる所こそ多く成たりけるが、中津世の亂に焼亡壊顛なそして、今其蹟所さだかならぬがうへに、古記ともうしなはれ、たまたまに遺れるは寫誤あるがままに、狡意たちして己自恣佛さた、漢こころに解ひかめて、本の在りかたを損ひつるも少からず、おのれ年に月にそれの證を索めて、石清水のみなもとに遡に、中つ瀬の濁をなかし、本のこころを汲あげて、雄徳山の古今、有とある事實を、よどむくまなく清らにせまほしと、見るに搴し聞に録せし記とも、百の數をかさねぬ、それ皆ひとつにいひ出んのこころあれども、かにかく道にうとく、見る事の淺きから、おもひたとりて定めかねつ、さらばとてあらましのみにて閣むも朽をしく、今は老の心短く、おのがむねにはあらぬ事とも多かれど、先はし近き名所の由來の大概を其中より抜出て、千世のふる道猶問むにつきにもなれかしと、去年の秋より今年の春かけて、神仕の隙々思ひ出るまにまに、ついでをも分たず筆に任せて、とみに物せしに、三か一もいふべきを云はず、いかにも短みぢかくとど思ひ居れども、くだくだしさにや、かく十餘五巻にはなりぬ、かれ次々つづり出べきふみどもあれは、此ふみまたあらため書むのいとまなし、眞に下草の亂れたる儘なりけり、
さるをふみ分て見む人あらば、誤れるを正し、知ざるをさとし、もれたるは補ひてよ、今やふるきを温ねて、絶たるを興し給ふ大御代、かかる時をうしなひて、いたづらに在るものかは、其故、蹟をしのび、其神縁を仰ぎ、誠忠を憤發して猶ふたたびの営あらば、男山の昔にかへり、さらにさかえて道のためにこそ、
嘉永元年三月末の二日        石清水宮工司 藤原尚次 謹誌


淀川両岸一覧(上り船之巻上)
淀川両岸一覧

【編著者】暁晴翁
【画絵】松川半山
【発行者】山城屋佐兵衛、河内屋喜兵衛、俵屋清兵衛
【発刊年】文久元年(1861)
【所蔵所】
【大きさ】縦18.0センチ×横12.6センチ
【ページ】79ページ(上船之巻 上)



淀川両岸一覧は、「上り船之巻」の上下巻、「下り船之巻」の上下巻の全4冊からなる。いわゆる旅行案内記であるが、八幡市の記述があるのは、上り船之巻の上巻である。そこには、橋本のあたりをゆく旅情が紹介されている。


八幡山名所案内記
八幡山名所案内記

【編著者】藤原尚次
【発行者】藤原尚次
【発刊年】慶應2年(1866)
【在本所】八幡市民図書館
【大きさ】縦15.1センチ×横7.2センチ
【ページ】



本書は、慶応二年(1866)に開板されたものである。著者は石清水八幡宮の祠官長浜尚次である。151ミリメートル×72ミリメートルの折本で、石清水八幡山の摂社、末社、宿院、宿坊、名木、名橋、名水、碑、道などの項目にわたって記されている。平安時代以来、「南祭」として石清水祭礼はつとに有名であったが、幕末期文久三年(1863)四月、孝明天皇の「石清水行幸」によって大いに盛りあがった時期があった。本書はそうしたものを背景に、あらためてつくられた『案内記』といってよかろう。(『八幡山名所案内記』が収録されている『新撰 京都叢書 第五巻』の巻頭の言葉から)
※写真は、『八幡山名所案内記』が収録されている『新撰 京都叢書 第五巻』


山城綴喜郡誌
山城綴喜郡誌

【編著者】京都府教育会綴喜郡部会
【発行者】京都府教育会綴喜郡部会
【発刊年】明治41年11月15日(1908)
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦22.2センチ×横16.0センチ
【ページ】394ページ



第一編の地理では、町村名及びその字の起源を紹介する。八幡の起源は、859年の石清水八幡宮の遷座を起源とするとするものの、それ以前については、信頼すべき資料が無いとしている。名所旧蹟については、男山、鳩が峰、狩尾山、石清水のほか、細橋(ささやきばし)、猪鼻坂(いのはなざか)などが取り上げられるなど、至って詳しい。人物は松花堂昭乗、男山考古録を著した長濱花城(尚次)などが紹介されている。そのほか、風俗、政治、教育、産業など



松花堂真蹟三十六歌仙短冊帖

【編著者】松花堂昭乗
【発行者】西東書店
【発刊年】大正1年(1912)
【所蔵所】
【大きさ】
【ページ】






新撰 京都名勝誌
新撰 京都名勝誌

【発行者】京都市教育会
【発刊年】大正4年(1915)10月30日
【所蔵所】
【大きさ】縦22.5センチ、横15.4センチ
【ページ】551ページ



本書は京都市及びその周辺の名勝を網羅するとともに有名な祭典、社寺の宝物、史蹟・旧跡を考証し、重要物産の沿革現状を略述し、写真を挿入し、詩歌、俳句を収録し・・・と、その概要を紹介している。八幡の記述は、「西山巡り」の項にある。橋本、男山八幡宮(明治元年から大正7年まで、石清水八幡宮は「男山八幡宮」と改称された)、男山祭、神應寺、円福寺が紹介されている。


東山の麓より
東山の麓より

【編著者】成瀬無極
【発行者】対鐙閣
【発刊年】大正7年(1918)11月18日、再版 大正7年12月7日
【所蔵所】
【大きさ】縦18センチ、横10.2センチ
【ページ】586ページ



著者が京都に移り住んで10年を経たことを記念し、作成された。項目の中の「男山八幡」は、240ページから244ページまでの5ページにわたって石清水祭を中心に紹介されている。


京都府史蹟名勝地調査会報告 第一册
京都府史蹟名勝地調査会報告 第一册

【編著者】京都府
【発行者】京都府
【発刊年】大正8年(1919)6月25日、復刻再版 昭和58年6月30日(臨川書店)
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦26.2センチ、横19センチ
【ページ】135ページ、図版50ページ



図書の写真は、昭和58年に復刻されたもの。八幡市に関する記述は、「西車塚古墳」である。この西車塚古墳の上には、男山にかつてあった八角堂が移築されている所である。本書では、「西車塚古墳上に八角堂が移築されたことにより、古墳内部の破壊を免れたが、明治35年6月18日に境内の土工に際し、遂に石室に堀り当たり、遺物を出すに至った。このとき、出土の副葬品は東京帝室博物館の所蔵になり調査できないものの、室は全く破壊されていた」とある。遺物とは、古鏡5面、車輪石10、石釧3、鍬形石3、石製品1、勾玉11、管玉120、小玉72、木片4、刀残片27としている。



光悦及松花堂

【編著者】斉藤隆三監修
【発行者】新古画粋社
【発刊年】大正8年(1919)
【所蔵所】
【大きさ】
【ページ】


松花堂印譜
松花堂印譜

【編著者】滝本坊昭乗
【発行者】風俗絵巻図画刊行
【発刊年】大正8年(1919)
【所蔵所】
【大きさ】縦19センチ×横12.4センチ
【ページ】12ページ



官幣大社石清水八幡宮所蔵 瀧本坊昭乗印影。11点


古跡めぐり
趣味の本 古跡めぐり

【編著者】笹川臨風
【発行者】博文館
【発刊年】大正8年(1919)7月17日、改訂8版 大正14年(1925)6月15日
【所蔵所】
【大きさ】縦15センチ×横10.0センチ
【ページ】438ページ



本書は大正8年7月17日発行本を初版とする。写真は大正14年発行の改訂8版である。本書では「松花堂のあと」と題し、12ページに渡って記述している。著者は文学博士の笹川臨風氏。昭乗の絵画に対する造詣の深さを物語る記述が至る所に見受けられる。そこには
ある時、松花堂、関東に罷り下りて、将軍の前で物を書いた。ところが松花堂の言うには、関東は水が悪くて筆の勢いが伸びにくいとのことであった。さらば、都では、どのような水で書くやと問うた。「京の柳の水が軽くて宜しおます」と昭乗は申す。将軍は、これは不思議なことを言うものかな。ひとつ試してみようと、将軍家は潜に人を都にやって、柳の水を取り寄せ、再び昭乗を召して、これを試みられると、昭乗は筆を取って硯に差し入れ、少し文字を書いたが、筆を止め、「これは軽うて良い水でござりまする。京の柳の水と変わりません」と申した。御前の人々、あっとばかりに各々顔を見合わせて驚いたという。このことは事実かどうか分からないが、決して出来ない芸当ではない。松花堂その人としてはこうあったものであろうと思われる。


明治維新 神仏分離史料
明治維新 神仏分離史料

【編著者】村上専精、辻善之助、鷲尾順敬
【発行者】東方書院
【発刊年】大正15年(1926)3月20日
【所蔵所】
【大きさ】縦22センチ×横15センチ
【ページ】上巻1094ページ



本書は上、中、下巻の3巻からなるが、その後、続編として上下巻が発行されたことにより、全5巻からなる。八幡に関する記載は、もちろん、石清水八幡宮に係るものである。その記述部分は上巻にあり、帝国大学史料編纂官である鷲尾順敬氏による「石清水神社神仏分離調査報告」である。
そこには、本社内陣には阿弥陀仏金剛像、愛染明王曼荼羅、獨鈷、錫杖などが安置されていたこと、御殿司の役を任ぜられた松本坊、杉本坊の2坊が内陣の鍵を預かっていたことが紹介されている。また、神職と僧侶が社務を司っていたが、この神職と僧侶の仲が悪かったことも伝えている。


氏神と八幡の正體
氏神と八幡の正體

【編著者】岸 一太
【発行者】北隆館
【発刊年】昭和3年(1928)11月1日
【所蔵所】
【大きさ】縦19.2センチ×横13.7センチ
【ページ】206ページ、付録32ページ



本書は石清水八幡宮が勧請された神社「宇佐八幡宮」、そして「諸他の八幡宮」の編には「石清水八幡又男山八幡宮」「源氏と八幡宮」「足利氏と八幡宮」と題した記述を見ることができる。
また、付録には、明治維新 神仏分離史料上巻から鷲尾順敬氏著の「石清水神社神仏分離調査報告」を紹介している。


京都府史蹟名勝天然紀念物調査報告 第十冊
京都府史蹟名勝天然紀念物調査報告 第十冊

【編著者】京都府
【発行者】京都府
【発刊年】昭和4年(1929)
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦26.2センチ×横19.0センチ
【ページ】145ページ、図版33ページ



「美濃山の横穴」について紹介している。美濃山は、八幡市南部の丘陵地域をいう。序言、現地、横穴構造,遺物からなる記述を見ることができる。まずはじめに、序言では「木津川の宇治川に合するあたり、その内彎に南方より男山八幡へ連互する丘陵及びこの附近には古墳多く、高野街道に沿って数基を数える。また、有智郷には和名抄綴喜郡に載せられた所であるが、この村の西南部美濃山を中心として荒坂、松井に至り、丘陵竹林中には古墳横穴多く存在し、これら既に開発せるもの多く、後人の鍬害をを免れたるものは少ない」と記述している。そして、「この地方の横穴を調査し、美濃山大塚において一横穴を発掘し、遺物若干を出した」本書は、この調査報告書である。なお、遺物については、齋部土器2、赤色素焼土器4、切子玉2、金環3、刀子3であるとしている。


新京都めぐり 京洛の史蹟
新京都めぐり 京洛の史蹟

【編著者】淺井虎夫
【発行者】緑掎軒
【発刊年】三版 昭和5年(1930)3月2日
     初版 大正4年(1915)9月8日
     再販 昭和2年(1927)10月1日
【所蔵所】
【大きさ】縦19.2センチ×横13.7センチ
【ページ】457ページ、付録16ページ



初版は大正4年。図書の写真は昭和5年発行の第三版。八幡の記述は283〜293ページまでで「男山 山崎ゆき」の項にまとめられている。標題どおり、散策を意識した編集で、京阪電車八幡駅を起点とした散策が紹介されている。神應寺、谷の不動堂、男山八幡宮(石清水八幡宮)、現存殿舎、例祭、松花堂墓、小野頼風墓、善法律寺、正法寺、本妙寺、八角院、女郎花塚、円福寺、橋本、西遊寺を紹介する。享保8年(1723)の
「城州綴喜郡八幡山之絵図」が挿絵として付けられているのが興味深い。



松花堂画帖

【編著者】松花堂昭乗
【発行者】松花堂画帖刊行会
【発刊年】昭和5年(1930)
【在本所】国会図書館



雪、月、花

八幡瀧本坊藏帳 附・不二山黙々寺記
八幡瀧本坊藏帳
附・不二山黙々寺記


【編著者】益田鈍翁
【発行者】益田家藏版
【発刊年】昭和6年1931)11月
【所蔵所】
【大きさ】縦18.0センチ×横13.0センチ
【ページ】図版25ページ、八幡瀧本坊藏帳36ページ
不二山黙々寺記14ページ


和本、非売品。益田鈍翁が巻頭の言葉を次のように記している。
昭乗翁の伝記は世に遍くして人の詳らに知る所なれば敢て贅せず慶長の頃翁が在住せしといふ雄徳山鐘楼坊の席を今度親友山本条太郎君より親しく余に贈られしかば観濤荘に副へていそぎ移築し近き頃漸く其の工を竣へぬ。他日を期し祭典を行ひ或は一席を開き或は遺品遺墨を陳列し以て翁か霊を慰め景慕の情を盡さん。今茲に瀧本坊にありて翁が愛玩せし品々の世に現存するものを写真版となし、所在の明らかならざるものは姑くかの八幡名物帖原文の儘に記すに留め、巻末に高橋箒庵氏所蔵の佐川田喜六のものせし不二山黙々寺の記を加へ依つてもつて此小冊子を作り聊翁を追慕するの素志に代へんとす。もし誤脱あらば幸に呈示を吝むことなく他日増補の便を與へられんことを冀ふ。
   松の花友の惠みに咲きいてゝ
    けふの御法にあふそうれしき
 辛巳晩秋   益田鈍翁
(※「辛巳晩秋」とあるが、「辛未晩秋」の間違いだと思われる)


京都府史蹟名勝天然記念物調査報告 第十三册
京都府史蹟名勝天然記念物調査報告 第十三册

【編著者】京都府
【発行者】京都府
【発刊年】昭和7年3月30日(1932)・復刻再刊=昭和58年9月10日(1983)
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦19.0センチ×横13.5センチ
【ページ】145ページと図版52ページ



本書には東車塚庭園について、詳細な調査報告がされている。東車塚庭園とは、松花堂庭園のこと。松花堂庭園の一部は東車塚古墳の上に造られているのだ。そこで、昭乗が晩年に建てた草庵茶室松花堂をはじめ、手水鉢、灯籠など図版を使って詳細な報告書にまとめられている。松花堂研究者には必見の一冊。


石清水八幡宮史 全9册
石清水八幡宮史 全9册

【編著者】石清水八幡宮社務所
【発行者】石清水八幡宮社務所
【発刊年】昭和7年(1932)・復刻再刊
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦23センチ×横16.5センチ
【ページ】






八幡史蹟
八幡史蹟

【編著者】中村直勝
【発行者】京滋探遊会
【発刊年】昭和11年(1936)
【所蔵所】八幡市民図書館、松花堂美術館資料室
【大きさ】縦19.0センチ×横13.5センチ
【ページ】142ページ



(本書から12年後に刊行された「男山」の序文に掲載された著者、中村直勝さんの言葉から。)
昭和11年の夏、京阪電車に付随した京滋探遊會に委嘱されて「八幡史蹟」を編集してから早くも一周の歳月が過ぎた。その時は事が急を要して、到底1人の手では間に合わぬので、その頃京都帝国大学文学部の国史研究室には新進有為の若き学徒が数多く群居して居ったから、その人々を動員して、その助勢によりて、洵に短月日の間に纏(まと)めて当事者の要望に応じた事があった。
春夏秋冬その折々に見知らぬ風光に接したり、故知らぬ史蹟を歩いたりして、詩嚢を肥やす事や旅情を慰む事は、確かに幸福な人世である。もしそれに加ふるに、そうした史実や史蹟を通して、更に一般的な歴史の面に触れたり、何らかの教訓を得たりすることができれば、これにました喜びはあるまい。
然るにそうした要求に応じて著された案内書は決して多くはない。専門に走らず、さればとて通俗に堕せず、冗長でもなく無味でもなく、しかも誇張にすぎた記述でもないもの、且つ願わくば他日會遊の土地の追憶にもなり研究の栞ともなるような手引草は、なかなかに求められるものではない。
だが、そうした高い要求に応じた手頃の書册を一つ著はして見よう、と言うのが、その時の関係者の狙いであった。されば、男山及び八幡付近の史実と史蹟とを15項目に分けて次のように分担執筆した。
総記(中村直勝)、第1 石清水八幡宮(中村直勝)、第2 吉野時代の男山(時野谷勝)、第3 神應寺(田中達男)、第4 鳩ヶ峰(赤松俊秀)、第5 正法寺(稲葉慶信)、第6 善法律寺(岩田稔郎)、第7 頼風塚・女郎花塚(赤松俊秀)、第8 八角院(村松寛)、第9 旧松花堂及庭園(柴田実)、第10 車塚(赤松俊秀)、第11 円福寺(田井啓吾)、第12 洞ヶ峠と筒井順慶(田井啓吾)、第13 法園寺(内藤晃)、第14 薬薗寺(藤田本太郎)
面してそれを各自の自由な見地から論述してもらい、ただ最後に私が行文をなるべく一定する意味で加筆修補し、同年8月に刊行されたのが「八幡史蹟」であった。


京都府史蹟名勝天然紀念物調査報告 第十七册
京都府史蹟名勝天然紀念物調査報告 第十七册

【編著者】京都府
【発行者】京都府
【発刊年】昭和12年(1937)3月20日
【所蔵所】
【大きさ】縦26.1センチ×横19.0センチ
【ページ】史蹟編86ページ・図版36ページ、天然紀念物篇127ページ・図版4ページ
【再 版】昭和58年(1983)9月10日、臨川書店



本の写真は、昭和58年に再刊されたもの。本書では、八幡町志水瓦窯址が紹介されている。そこには「志水瓦窯址は、何等文献にその名を見ないが、比較的にその形態がよく残り、かつ、その構造の一部に従来あまり注意されなかったものを有する点において、注目に値するものである。」としている。その注目すべき点とは、窯の煙道の天井部分に平瓦を張付いてることで、この瓦を固定するためにその下に「せりだし」をつくってあり、極めて複雑な構造である・・と紹介している。



松花堂昭乗
松花堂昭乗 附記長闇堂

【編著者】佐藤虎雄著
【発行者】河原書店
【発刊年】昭和13年(1938)4月15日
【所蔵所】
【大きさ】縦19.3センチ×横13.6センチ
【ページ】243ページ



昭乗の家系、社僧の昭乗、昭乗の交友、昭乗の入定、昭乗の歌道・書道、八幡名物、茶室松花堂など、松花堂のすべてをこの一冊で知ることができる好著。加えて、松花堂茶会記、滝本坊道具など、著者が執筆にあたって集めた資料集も充実している。
図版は昭乗自画讃自像、昭乗筆和漢朗詠集、国司茄子茶入、松花堂遺品火鉢、松花堂遺品手焙などが収録されている。



星岡 第97号
星岡 第97号

【編著者】星岡茶寮
【発行者】星岡茶寮
【発刊年】昭和13年(1938)12月30日
【所蔵所】
【大きさ】縦26.6センチ×横19.4センチ
【ページ】52ページ



井川定慶氏の寄稿「椿の本陣と松花堂」で、松花堂庭園や松花堂昭乗の墓所、泰勝寺を訪れた様子が紹介されている。



郷土研究 上方 八幡男山号
郷土研究 上方 八幡男山號

【編著者】南木芳太郎編
【発行者】創元社
【発刊年】昭和13年(1938)9月1日
【所蔵所】
【大きさ】縦22.4センチ×横15.0センチ
【ページ】52ページ



本書は上方郷土研究会が昭和13年9月1日に発行された第93号で、「八幡男山號」と題するいわゆる八幡特集号です。
表紙裏には「皇軍勇士へ感謝と慰問を」などと、慰問用品販売のコマーシャルがあり、戦争への道を突き進んでいた当時の日本を思い起こさせ、胸が痛くなるものがあります。
さて、内容は、中村直勝氏による「石清水八幡宮略説」、井川定慶氏による「松花堂と大坂・堺」、柴田実氏による「松花堂の遺構」のほか、「洞ヶ峠と筒井順慶」「女郎花塚」などが紹介されています。
写真は17点ほど使われているが、その中でも石清水八幡宮東門前の石灯籠が興味深い。ここには二つの石灯籠が写っていて、今、山上の社務所横の書院庭にある重要文化財「永仁の石灯籠」です。


東洋美術文庫第37巻 松花堂
東洋美術文庫第37巻 松花堂

【編著者】佐藤虎雄
【発行者】アトリエ社
【発刊年】昭和14年(1939)10月30日
【所蔵所】
【大きさ】縦18.6センチ×横12.6センチ
【ページ】図版48ページ、本文39ページ



本書の半分以上が図版が占める。その数48点。西村氏所蔵の昭乗のたばこ盆が目を引く。本文では、家系、社僧生活、逸隠生活、入定、所謂松花堂ついて、書画の編では、八幡流、画系・画評、道釋画、歌仙画・肖像画,花鳥画・山水画などについて解説する。


随筆 松花堂
随筆 松花堂

【編著者】井川定慶
【発行者】立命館出版部
【発刊年】昭和14年(1939)6月10日
【所蔵所】松花堂庭園美術館資料室
【大きさ】縦19.0センチ×横13.5センチ
【ページ】217ページ



本書は井川定慶氏の随筆としてまとめられている。


京都古銘聚記
京都古銘聚記

【著 者】川勝政太郎、佐々木利三
【発行者】スズカケ出版部
【発刊年】昭和16年(1941)3月25日
【所蔵所】
【大きさ】縦21.4センチ×横15.5センチ
【ページ】406ページ



重要文化財に登録されている「永仁の石灯籠」など、石清水八幡宮の石灯籠13、神應寺銅製金鼓、旧大乗院石燈籠、本妙寺の雲版、八角院瓦製露盤の銘文を記載する


茶室
茶室

【編著者】千 宗守
【発行者】河原書店
【発刊年】昭和17年(1942)10月20日
【所蔵所】
【大きさ】縦18.6センチ×横13.0センチ
【ページ】248ページ



茶室の発端と推移、寺院の茶室の目的について紹介する。八幡の記述は松花堂に見える。松花堂の構造、昭乗がこの茶室をどのように使ったのかという考察がされている。


淀川
淀川

【編著者】北尾鐐之助
【発行者】京阪電気鉄道株式会社
【発刊年】昭和18年(1943)1月15日
【所蔵所】
【大きさ】縦17.1センチ×横12.6センチ
【ページ】127ページ



本書で著者の北尾さんは「長い年月の間に、見たり聞いたりしてきた淀川について、史実の想い出、地形風土の考察、風景の随想などを上流から下流に向かって、歩いてきたという形式で、とりとめもなくかき集めた」と語っている。まさに、徒然草の世界か。
さて、「男山山上展望」と題して、展望台が紹介されている。ここにはエジソン記念碑があって・・と言うから、現在の位置に当初から記念碑があったのではなく、かつては現在の展望台にエジソン記念碑があったようだ。しかも、展望台の名も「エジソン展望台」と言った。
また、御幸橋の夕景と題し、御幸橋が紹介されている。著者曰く、近畿地方で最も美しい橋だと評している。その橋も、今付け替えが始まっているというのは、感慨もひとしおだ。
次に「橋本と山崎の渡船」について紹介されている。ここでは「以前、木津川はもっと北岸の方、巨椋池近くで宇治川に合していたので、東から八幡に行くには非常さに不便であった。それに京都から西するものは、みな橋本へ上って西国街道の方へ出ていったので、橋本はいずれから言っても淀川の要津であった」と紹介している。


近畿 茶室行脚
近畿 茶室行脚

【編著者】岡田孝男著
【発行者】晃文社
【発刊年】昭和18年(1943)4月15日
【所蔵所】
【大きさ】縦21.0センチ×横14.8センチ
【ページ】190ページ



本書は建築家、岡田孝男氏が近畿の名席を訪ね、紹介する。大阪の6席、奈良の4席、京阪沿線の4席、京都東山の9席、京都北山の3席、京都西山の3席のほか、大徳寺、本願寺、三千家など43の茶室が紹介されている。このなかで、京阪沿線の茶室としてあるのが「八幡の松花堂」。松花堂昭乗、茶会記のほか図版も多い。


石造美術と京都
京都叢書2 石造美術と京都

【編著者】川勝政太郎
【発行者】高桐書院
【発刊年】昭和21年(1946)
【所蔵所】
【大きさ】縦18.2センチ×横12.6センチ
【ページ】175ページ



(本書「石造美術と京都」の序文に掲載された著者、川勝政太郎さんの言葉から。)
「昭和8年の春初めて石造美術という名で京都付近に残る石造古遺品の図録を公にした私は、13年を経た今日、京都市文化課の委嘱によって本書を執筆することになった。この10年に余る年月の間、私は引き続いて京都はもとより、各地方に遺品を調べ歩き、資料を整理し、考え続けてきた。従ってこの小著は、かつて私の京都の石造美術について述べたものの上に、多くの新資料を加え、考えの進んだあとを、ともかく今日の立場において語るものに他ならない。対象とする遺品それ自体は幾百年の星霜を経て伝えられた古物ではある。(中略)時には余談を交え神話を語ったりなどして、できるだけ興味を持って頂けるように記述した。しかし、だからといって学問的な本筋から離れることは厳に拒否した。
序章において石造の古遺品が学問として取り上げられ研究されるに至った展開のあとを述べた後、いろいろの遺品の多くを巡歴し、それが示す文化の様相をれは志考古学の立場から後章に於いて眺めることを期した。(中略)石造美術研究の発足が新しく、開拓期を私は身をもって経験した関係から、遺品の多くがどんなにして世に浮かび出たということを、思い出のためにも又後の研究者の参考のためにも努めて記しておいた。地理的な範囲は、京都市を中心として、南は八幡から宇治田原を結ぶ線に、北は丹波南桑田の一部に及んで京都文化圏を設け、このことは研究上のひとつの課題として本文に論じておいた。(以下略)」
本書の図版には、石清水八幡宮の「永仁の石灯籠」(重要文化財)が、皇太神宮遙拝所にあった当時の写真が使われている。石清水八幡宮の石灯籠について32行にわたって紹介されている。



京都神叢書2 淀川
京都神叢書2 淀川

【編著者】北尾鐐之助
【発行者】宝書房
【発刊年】昭和21年(1946)12月20日
【所蔵所】
【大きさ】縦14.7センチ×横10.5センチ
【ページ】139ページ



男山山上展望、橋本と山崎の渡し船について記載



京都古蹟行脚
京都古蹟行脚

【編著者】川勝政太郎
【発行者】臼井書房
【発刊年】昭和22年1月10日(1947)、再版 昭和24年4月5日(1949)
【所蔵所】
【大きさ】縦18.4センチ×横13.0センチ
【ページ】352ページ



本書は地理的に京都文化圏内に限り、古美術等では見学しやすいものを主に置いて編集されている。八幡の記述については洛南の章 石清水と八幡の寺々として紹介されている。石清水八幡宮をはじめ、薬薗寺、航海記念塔、八角院、松花堂の記述が興味深い。


京阪神叢書6 男山
京阪神叢書6 男山

【編著者】中村直勝
【発行者】宝書房
【発刊年】昭和22年(1947)
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦14.5センチ×横10.0センチ
【ページ】108ページ



(本書「男山」の序文に掲載された著者、中村直勝さんの言葉から。)
専門に走らず、さればとて通俗に堕せず、冗長でもなく無味でもなく、しかも誇張にすぎた記述でもないもの、且つ願わくば他日會遊の土地の追憶にもなり研究の栞ともなるような手引草は、なかなかに求められるものではない。
だが、そうした高い要求に応じた手頃の書册を一つ著はして見よう、と言うのが、その時の関係者の狙いであった。(略)面してそれを各自の自由な見地から論述してもらい、ただ最後に私が行文をなるべく一定する意味で加筆修補し、昭和11年8月に刊行されたのが「八幡史蹟」であった。
それ以来我が国は千古未曾有の試練に際遇し、国民総力を挙げて一日も早く世界人の仲間入りを許されんと満身の努力を払っているとき、国民一般への精神的な糧にもがなと、本書(八幡史蹟)の新刊が企てられた。
前著を書架から引き出して被閲すると、さすがに12年の後では前著をそのままに刊行するには余りにも恥ずかしい箇所が散在するに気がついた。さればとて全部を新にするにも及ばないので、思い切って斧鍼を加え、思い切って補強を施し、すべて私の薬籠中に入れて首尾一貫せしめようとの考案から、観點を唯だ一角に局限して、世に送る事としたのが本書(男山)である。


短歌風土記 山城の巻
短歌風土記 山城の巻

【編著者】吉井勇
【発行者】創元社
【発刊年】昭和22年(1947)6月25日
【所蔵所】
【大きさ】縦18.5センチ×横13センチ
【ページ】127ページ




松花堂即吟、城南消息四、八幡山藍、放生川、女郎花塚、城南消息五、円福寺、泥龍窟、寶青庵小景、竹林彷徨の10題が八幡に係る収録になっている。この松花堂即吟に収録されている作品の一部を紹介しよう。
「松花堂の 好みの膳にむかひて 杯取れば もの思ひもなし」
「昭乗のこころの寂びを見するごと ろう梅の枝を古壷に挿す」
「松花堂好みの露地の幾うねり 郁子の雨にも濡れにけるかも」
「しばらくは 石の燈籠の八幡形 ながめてありき われを忘れて」

茶室百選
茶室百選 裏千家 松花堂

【編著者】佐々木三味
【発行者】芸艸堂出版部
【発刊年】昭和23年(1948)2月1日
【所蔵所】
【大きさ】縦25.2センチ×横18.2センチ
【ページ】図版32ページ、本文47ページ





歌集 残夢
吉井勇歌集 残夢

【編著者】吉井勇
【発行者】矢部良策
【発刊年】昭和23年(1948)12月15日
【版 元】創元社
【所蔵所】
【大きさ】縦18.5センチ×横12.7センチ
【ページ】217ページ



歌集「残夢」の巻後には、吉井勇の言葉が載せられている。
「この歌集 残夢は、流雛抄以後、即ち昭和20年10月より昭和22年4月頃までの作品を収録せるものにして、すべて山城国八幡町月夜田の里に閑居せる時代に得たるものなり。天彦、遠天、朝影、玄冬、寒行等に続く予の本格歌集にして、予の自ら称して梵字本といえるものの系列に属するものなれども、この集よりは戦後新たに出発する意図を現わすために、敢えて装填に梵字を用いず。残夢といえる題名は、予が多年愛讃せる芭蕉翁の野ざらし紀行中の一句、馬に乗りて寐て残夢月遠し茶の煙を典據とせるものにして、蓋し老残予の如きものが、時に猶癡夢を見ることがあるを、みづから嘲るの意を寓せるものに外ならず。」と記している。
この残夢には、松花堂庭園の入口に近い吉井勇歌碑「昭乗といえる隠者の住みし廬近くにあるをうれしみて寝る」が収録されている。

南やましろ
南やましろ 上古中古篇

【編著者】京都府立桃山高等学校郷土史研究部
【発行者】京都府立桃山高等学校
【発刊年】昭和25年(1950)12月
【所蔵所】
【大きさ】縦21.0センチ×横14.8センチ
【ページ】258ページ



(本書「南やましろ」の序文に掲載された田中徹郎校長の言葉から)
「地域社会の文化の中心」となるということは、高等学校に課せられた使命の中の一つの大きな課題である。学問運動のあらゆる教科を通じて社会人の育成と社会の教化に努力することは、文化日本建設の上にも欠くべからざる要務であり、本校の教育方針にも根ざしている。今回本校の郷土史研究クラブが真摯な特別教化活動の一環として熱心な研究を重ねついにその成果を後悔するに至ったのは、この新教育の根本義にてらしても喜びに絶えない。(中略)過去二年、郷土研究クラブ員の活動は地味な仕事ではあったが、涙ぐましいものがあった。一枚の拓本に半日を費やしたり、時には雨の木幡山をさまようなど、ほとんど日曜も休日も無かったと聞いている。・・・と。
さて、本書には、その題名どおり学校所在地の宇治市にとどまらない。図版もふんだんに使われている。また、文化財は言うに及ばす、地震記録、日食記録、雷、風雨、怪異などの記録もあり、興味深いものがある。

続 京都歳時記
続 京都歳時記

【著 者】高桑義生
【発行者】推古書院
【発刊年】昭和26年(1951)1月1日
【所蔵所】
【大きさ】縦18.5センチ×横13.0センチ
【ページ】270ページ



「本書は、京都の名勝、古蹟、風光、古美術、年中行事の全てにわたり、足跡到らざるなき著者が、巡歴すべき道しるべは勿論、如何に見るべきか、如何に観賞すべきか、その要点を懇切に簡明に豊潤なる文学的随筆風に興味深く描き出されたるもの。尚、それぞれに諷詠したる古今の名吟は全巻壱万余句に及び、文章と相まって総合的美と情趣を汪隘せしむ。文学的京都風物詩であり、また俳句作家必携の趣味的案内書である」と、絶賛する紹介がされている。
八幡に関連する記述は、洛南編の中に石清水八幡宮、男山、破魔矢、男山祭、八幡町、橋本、松花堂、円福寺が見える。ここでは「やぶ入や鳩をめでつつ男山(蕪村)」「娘出て障子しめけり紅葉寺(虚子)」など64の句が紹介されている。


大山崎史叢考
大山崎史叢考

【著 者】吉川一郎
【発行者】創元社
【発刊年】昭和28年(1953)9月20日
【所蔵所】
【大きさ】縦21.5センチ×横15.0センチ
【ページ】482ページ



本書は、木津川を挟んで男山と対峙する山崎の地、大山崎町の歴史書です。石清水八幡宮に奉仕する神人は数多く存在しました。その中にあって、荏胡麻〔えごま〕から採れる油の販売を手がける大山崎神人は、石清水八幡宮の燈明を一手に掌握し、その力は絶大なものでありました。
八幡に関連する記述は、石清水八幡宮の遷座、大山崎神人、石清水八幡宮内殿の灯油など25ページにわたって興味深く紹介されています。


史蹟行脚 京都
史蹟行脚 京都

【著 者】川勝政太郎BR> 【発行者】京都出版社
【発刊年】昭和30年(1955)7月17日
【所蔵所】
【大きさ】縦18.5センチ×横13.5センチ
【ページ】230ページ



本書は、石造美術で著名な川勝政太郎著の京都案内記で昭和3年刊、21年刊に続く3冊目。口絵55点を新たに入れた。
八幡に係る記述は、「八幡方面」として収録され、石清水八幡宮の五輪石塔〔旧極楽寺〕、永仁の石灯籠、神應寺の行教律師座像、薬園寺、善法律寺と五輪石塔〔旧大乗院〕、八角院、松花堂、円福寺と達磨大師座像の記載をみることができる。


淀川
淀川

【編著者】井上俊夫
【発行者】三一書房
【発刊年】昭和32年(1957)6月15日
【所蔵所】
【大きさ】縦18.5センチ×横13.5センチ
【ページ】170ページ



「本書は、淀川沿岸の名所旧蹟を訪ね、また、郷土色豊かな伝説、物語0の類などを取り入れた興味深い記述によって、民衆的な形態をもつつ書物にした」と著者の井上さんが言っている。
八幡に関連する記述は、第五章にある。「八幡と橋本」で、ケーブルカーに乗って男山の眺望、エジソン記念碑、飛行家武石浩玻の墜死、石清水八幡宮と元寇の役、神應寺と豊臣秀吉、正法寺と徳川家康の愛妾、女郎花塚を訪ねて、洞ヶ峠と日和見順慶、赤線区域の町橋本の小項目からなっている。


関西文学散歩
関西文学散歩
(上巻)大阪、堺・淀川両岸


【編著者】野田宇太郎
【発行者】小山書店新社
【発刊年】昭和32年(1957)6月25日
【所蔵所】
【大きさ】縦18.4センチ×横13.5センチ
【ページ】324ページ



淀川両岸の項に、橋本、蘆刈、八幡道、吉井勇と八幡、寶青庵、円福寺と松花堂


石清水八幡宮史料叢書1 男山考古録
石清水八幡宮史料叢書 全5巻

■石清水八幡宮史料叢書1 男山考古録

【編著者】藤原尚次著 毛利秀義編
【発行者】石清水八幡宮社務所
【発刊年】昭和35年(1960)8月1日
【所蔵所】八幡市民図書館・男山図書館
【大きさ】縦21.4センチ×横15.5センチ
【ページ】555ページ


本書は、男山考古録、鎮座、造営、遷宮など全5巻からなる。なかでも男山考古録は、石清水八幡宮の宮大工であった藤原尚次が著した八幡の歴史書で、「八幡市の歴史を紐解くなら、まず『男山考古録』に問え」といわれる。全5巻は分配不可となっているのが残念。


■石清水八幡宮史料叢書2 縁起・託宣・告文

【編著者】高橋啓三
【発行者】石清水八幡宮社務所
【発刊年】昭和51年(1976)9月10日
【所蔵所】八幡市民図書館・男山図書館
【大きさ】縦21.4センチ×横15.5センチ
【ページ】524ページ


本巻には、縁起・託宣・告文を収録する。中でも、石清水八幡宮祠官田中家の歴代の似顔絵が掲載されているのが興味を引く。


■石清水八幡宮史料叢書3 臨放記

【編著者】高橋啓三
【発行者】石清水八幡宮社務所
【発刊年】昭和47年(1972)7月1日
【所蔵所】八幡市民図書館・男山図書館
【大きさ】縦21.4センチ×横15.5センチ
【ページ】576ページ


本巻の臨放記とは、「石清水八幡宮臨時祭部類」及び「石清水八幡宮放生会部類」両記の総名である。これは全11冊で、臨時祭部類は第1冊から第4冊、放生会部類は第5冊から第11冊に収められている。


■石清水八幡宮史料叢書4 年中神事・服忌社参

【編著者】高橋啓三
【発行者】石清水八幡宮社務所
【発刊年】昭和48年(1973)12月10日
【所蔵所】八幡市民図書館・男山図書館
【大きさ】縦21.4センチ×横15.5センチ
【ページ】669ページ


本巻の巻頭には、昭和14年4月30日に国宝に指定された石清水八幡宮所蔵の「僧形八幡御影」松花堂昭乗筆を掲載している。これは残念ながら昭和22年2月12日に社務所から出火、灰燼と帰した。顔の部分の拡大写真には、目を見張るものがある。


■石清水八幡宮史料叢書5 造営・遷宮・回禄

【編著者】高橋啓三
【発行者】石清水八幡宮社務所
【発刊年】昭和50年(1975)2月10日
【所蔵所】八幡市民図書館・男山図書館
【大きさ】縦21.4センチ×横15.5センチ
【ページ】689ページ


本巻には、石清水八幡宮寺社殿・堂塔の火災等による造営・遷宮に関する記録、及び神寳・仏像等の目録を収録し、巻末には石清水八幡宮に関する佳句を集めた「鳩嶺集」が掲載されている。



京都古寺巡礼
京都古寺巡礼

【編著者】川勝政太郎
【発行者】社会思想社
【発刊年】昭和39年(1964)4月30日/31版 昭和53年5月30日
【所蔵所】
【大きさ】縦14.8センチ×横10.7センチ
【ページ】384ページ



著者曰く、京都の古寺の本質を理解しやすいように書いた」と。八幡市にあっては石清水八幡宮が取り上げられている。そこには「石清水八幡宮本殿の透塀花鳥類彫刻は、日光東照宮に見るものよりも優秀で上品」と絶賛されている。


松花堂昭乗
松花堂昭乗

【執筆者】中村昌生
【発行者】淡交新社
【発刊年】昭和41年(1966)5月25日
【所蔵所】
【大きさ】縦8.5センチ×横12.8センチ
【ページ】48ページ



本書は茶人編全12冊のうち、第6回配本の「松花堂昭乗」編。文は中村昌生氏〔八幡市松花堂美術館名誉館長〕。昭乗の謎の出生、社僧昭乗、写生入木共無双、応山と昭乗、昭乗の交友、茶の環境、鐘楼坊の茶会、滝本坊の茶会、滝本坊の書院と茶室、松花堂、さき立ちの11の項目からなる


京都名園記
京都名園記 下巻

【編著者】久恒秀治
【発行者】誠文堂新光社
【発刊年】昭和44年(1969)2月25日
【所蔵所】八幡市民図書館・男山図書館
【大きさ】縦21,5センチ×横15.5センチ
【ページ】527ページ



松花堂のについて紹介している。挿し絵は、都林泉名所図会 巻之五 から引用。男山古図に見る松花堂の位置図なども興味深い。そのほか、滝本坊書院、閑雲亭の見取り図のほか、写真もふんだんに使われている。


石清水八幡宮社殿
重要文化財石清水八幡宮社殿修理報告書

【編著者】京都府教育庁文化財保護課
【発行者】京都府教育委員会
【発刊年】昭和44年(1969)9月
【所蔵所】八幡市民図書館・男山図書館
【大きさ】縦29.7センチ×横20.8センチ
【ページ】87ページ



この報告書は、京都府八幡市八幡高坊の男山に鎮座する重要文化財石清水八幡宮の本殿と8棟の修理報告書である。工事は、京都府教育委員会によって主に屋根檜皮葺替え及び漆、丹、極彩色の塗装、装金具補修、屋根本瓦葺きの一部葺き替えを昭和41年9月に着工され、44年9月30日に完成した。本書では、工事の経過、調査事項、工事中に作成された図面、写真及び大正11年修理時の図面も掲載し、今後の参考資料としている。
また、工事によって発見された墨書銘文、落書き、年表などを掲載するとともに、図版、図面もふんだんに使われている。


寛永の三筆
寛永の三筆

【編著者】春名好重
【発行者】淡交社
【発刊年】昭和46年11月25日(1971)
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦26.3センチ×横18.8センチ
【ページ】278ページ



寛永の三筆とは近衛信尹、本阿弥光悦、松花堂昭乗をいう。本書の三分の一は図版を中心にまとめている。その次の三分の一は「桃山時代の書」「寛永の三筆の書」と題し、各書の特徴を紹介。残り三分の一を図版の説明に割いている。


カラー京都の魅力
カラー京都の魅力

【著者】中村直勝
【撮影】葛西宗誠
【発行者】淡交社
【発刊年】昭和46年(1971)12月13日
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦21.5センチ×横15.5センチ
【ページ】236ページ



男山八幡宮(石清水八幡宮)、松花堂、八角堂、円福寺が素晴らしい写真とともに紹介されている。


近畿歴史探訪
近畿歴史探訪

【著者】徳永真一郎
【発行者】新人物往来社
【発刊年】昭和47年(1972)8月10日
【所蔵所】
【大きさ】19.5センチ×13.5センチ
【ページ】275ページ



大山崎の油座の特権、天王山勝敗の岐路の地で、石清水八幡宮について触れている。淀屋橋の項では、八幡に住まいした江戸時代の豪商、淀屋辰五郎の記述が興味深い。


京都の石造美術
京都の石造美術

【編著者】川勝政太郎
【発行者】田中嘉次
【発刊年】昭和47年6月15日(1972)
【所蔵所】
【大きさ】縦22.5センチ×横16.2センチ
【ページ】268ページ



本書を著した川勝氏は「本書の意図するところは、日本石造美術のひとつの基本となる京都の石造美術を述べることにあるが、また学問としての発足が新しく、開拓期を身をもって経験した関係から、遺品の多くがどんなにして世に浮かび出たか、そこには多くの研究者の目に見えぬ関心と努力があったことを、感謝や想い出のため、また今後の研究者の参考のためにもと努めて記した」とある。
八幡市の関係部分は、「五輪塔をさぐる」と題する編で、日本最大級の規模を誇る航海記念塔が登場する。写真も大きく使われ、その優美な形に改めて息を飲むのは私だけではあるまい。


京都の文化財
京都の文化財 南山城編

【編著者】京都府教育委員会
【発行者】松香堂
【発刊年】昭和47年(1972)9月1日
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦18センチ×横12.7センチ
【ページ】249ページ



本書には、乙訓地域の文化財31、宇治・久世地域の文化財62、綴喜地域の文化財50、相楽地域の文化財92を収録する。この中で収録されている八幡市の文化財について紹介する。
式部谷遺跡、金右衛門垣内遺跡、西車塚古墳、志水瓦窯跡、石灯籠(重要文化財)、石清水八幡宮文書(重要文化財)、類聚国史(重要文化財)、石清水八幡宮(重要文化財)、石清水八幡宮五輪塔(重要文化財)、行教律師座像(重要文化財)、薬師如来立像(重要文化財)、薬園寺のその他の文化財、釈迦如来座像(重要文化財)、法華経・梵網経・文永四年行清奉納目録並びに再興文書(重要文化財)、阿弥陀如来立像(重要文化財)、筑前国守庁宣写・仮名消息・詠草・夢記(重要文化財)、石清水曼荼羅図(重要文化財)、阿弥陀如来座像(重要文化財)、元三大師座像(重要文化財)、達磨大師座像(重要文化財)、大般若経(重要文化財)、史跡松花堂及びその跡、八幡市のその他の28の文化財である。


古都の港・淀納所の歴史
古都の港・淀納所の歴史

【編著者】中村富三郎
【発行者】汐文社
【発刊年】昭和47年(1972)9月10日
【所蔵所】
【大きさ】縦18.4センチ×横13.5センチ
【ページ】258ページ



淀・・・。八幡と関係ないではないかと思われるかもしれないが、その昔、淀川の河川交通の港は淀であった。本書の第3章には「男山八幡宮(かって石清水八幡宮は、こう呼ばれていた)と与杼神社」について紹介されている。


京都古社寺詳説
京都古社寺詳説 平安前期編

【編著者】出雲路敬和
【発行者】有峰書店
【発刊年】昭和49年12月20日(1974)
【所蔵所】
【大きさ】縦21.3センチ×横15.7センチ
【ページ】222ページ



本書は、「京都にあって平安前期にすでに栄えていた社寺の由緒と現存する文化財と現在も行われている祭儀・祭列の内容とをできるだけ詳細に解説したものである。一社または一寺を詳説するためには、その社・寺ばかりでなく、それぞれに関係のある他の社寺についても、50度、60度と足を運んで詳細に見聞しなければ、その寺の正確なことは究明出来ない。」と著者の出雲路さんは語る。
八幡市関連の記述は、第五章 「八幡の神の信仰と東寺」に登場する。


京都 古文化財細見記
京都 古文化財細見記

【編著者】出雲路敬和
【発行者】京都銀行協会
【発刊年】昭和50年4月1日(1975)
【所蔵所】
【大きさ】縦19.0センチ×横13.5センチ
【ページ】289ページ



本書は、京都の洛東、洛北、洛南、洛中、山科・醍醐、三大祭、宇治、西山、南山城、北桑の編からなる。八幡市に係る記載は、石清水八幡宮、石清水祭の2つ。特に石清水祭にあっては「他のいかなる神社の祭儀にも全く例を求めることのできない最重最高の儀である」と言い切っている。


京都考古学散歩
京都考古学散歩

【編著者】樋口隆康
【発行者】学生社
【発刊年】昭和51年(1976)5月20日
【所蔵所】
【大きさ】縦18.6センチ×横13.5センチ
【ページ】256ページ



第六章に「石清水八幡宮と奈良山まで」と題し、八幡の記述を見ることができる。石清水八幡宮、西車塚古墳、史跡松花堂、男山丘陵の遺跡、金右衛門垣内遺跡、美濃山王塚古墳、荒坂横穴が紹介されている。記事は『京都府史蹟勝地調査会 第1册(1919)』及び『同第2册(1920)』『京都府史蹟名勝天然紀念物調査報告 第17册(1937)』を参考にしたとある。


神々と民衆運動
神々と民衆運動 

【編著者】西垣晴次
【発行者】毎日新聞社
【発刊年】昭和52年11月20日(1977)
【所蔵所】
【大きさ】縦19.6センチ×横13.7センチ
【ページ】222ページ



本書には、石清水八幡宮と志多羅神との関係を興味深く紹介している。数千万人という民衆に担がれて石清水八幡宮にやって来た志多羅神とは、いったい何者なのか。


京都古寺巡礼
京都古寺巡礼 

【編著者】川勝政太郎
【発行者】社会思想社
【発刊年】昭和39年(1964)4月30日、第31版 昭和53年(1978)5月30日
【所蔵所】
【大きさ】縦15センチ×10.5センチ
【ページ】384ページ



写真は31版の本。本書の洛南編で、石清水八幡宮について4ページに渡って紹介している。記載事項は少なく、すこし物足りないかもしれない。


松花堂昭乗 長恨歌
日本名跡叢刊 第20回配本 江戸 松花堂昭乗 長恨歌 

【編著者】小松茂美監修
【発行者】(株)二玄社
【発刊年】昭和53年(1978)
【所蔵所】
【大きさ】
【ページ】



松花堂昭乗31歳のとき、近衛信尋(応山)のために手本として書いた書を紹介


日本の美術
日本の美術11 寛永の三筆 

【編著者】是澤恭三
【発行者】至文堂
【発刊年】昭和53年(1978)11月15日
【所蔵所】
【大きさ】縦23センチ×横18.5センチ
【ページ】102ページ



文化庁、東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館が監修。寛永の三筆と称された近衛信尹、本阿弥光悦、松花堂昭乗の作品を紹介する。本書では、昭乗の学書、滝本様の形成、滝本様の特色、式部卿時代の書、滝本坊時代の書、松花堂時代の書、滝本様以外の昭乗の書について詳説する。


わが淀川
わが淀川やぶにらみ浪花噺

【編著者】井上俊夫
【発行者】草思社
【発刊年】昭和54年(1979)4月17日初版
【所蔵所】
【大きさ】縦20.0センチ×横13.5センチ
【ページ】262ページ



本書は、淀川沿岸に残る郷土色豊かな史話、伝承など興味深い記述など全15編からなる。八幡の石清水八幡宮と対岸の山崎・離宮八幡宮との間にあったという「燈明の渡し」についての史話が興味深い。


京都の社寺建築 南山城編
つくばい百趣

【編著者】北尾春道
【発行者】河原書店
【発刊年】第4版 : 昭和54年(1979)3月1日、初版 : 昭和38年10月20日(1963) 
【所蔵所】
【大きさ】縦25.7センチ×横18.5センチ
【ページ】261ページ



つくばいは蹲踞又は蹲とも書かれ、その本来の姿は低く据えてある水鉢の前で、つくばって(腰をかがめること)手を洗い、口をすすぐことから名付けられたもので、露地におけるつくばいは、手水鉢を中心にして、それを囲むために造られた一種の石組み構造をいう。
本書では、八幡市・松花堂庭園のつぐばいが紹介されている。「松花堂昭乗遺愛のものと伝えられる太子形の手水鉢で、向鉢の形式に前石、湯桶石、手燭石などの役石を組み、水門には呉呂太石を敷き、古瓦なども置いてある。」と紹介している。


京都の社寺建築 南山城編
京都の社寺建築 南山城編

【編著者】財団法人 京都府文化財保護基金
【発行者】財団法人 京都府文化財保護基金
【発刊年】昭和54年(1979)8月20日
【所蔵所】
【大きさ】縦25.7センチ×横18.5センチ
【ページ】261ページ



本書は南山城地域に所在する未指定文化財のの社寺建築について、京都府教育長文化財保護課が集中的にに調査された結果報告である。八幡市の掲載社寺は次の通りである。
石清水八幡宮の東門・北門・西門、摂社若宮社本殿、末社水若宮社本殿、摂社若宮殿社本殿、摂社住吉神社本殿、摂社石清水社本殿・神水社・鳥居、摂社狩尾神社本殿・拝殿、石田神社(上津屋)本殿、善法律寺本堂、正福寺本堂、正法寺伽藍、正法寺八角院、松花堂書院付玄関・茶室・表門、円福寺伽藍、専琳寺本堂、西遊寺本堂である。



八幡市誌 第2巻

【編著者】八幡市誌編纂委員協議会
【発行者】八幡市
【発刊年】昭和55年(1980)6月25日
【所蔵所】八幡市民図書館、男山図書館、松花堂美術館図書室
【大きさ】縦21.5センチ×横15.5センチ
【ページ】411ページ



本書は4編 中世の八幡 第5編 近世の八幡


日本歴史地名大系26 京都府の地名
日本歴史地名大系26 京都府の地名

【編著者】柴田実、高取正男
【発行者】平凡社
【発刊年】昭和56年(1981)3月13日
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦27センチ×横21センチ
【ページ】955ページ



本書は京都府の歴史地名について詳しく解説。市町村ごとに記載されている。石清水、常磐郷、田中町など、男山考古録などを引用しながら、歴史的ないわれについて紹介する。


京都府地名大辞典
京都府地名大辞典(上巻)

【編著者】足利健亮 上島有ほか
【発行者】角川書店
【発刊年】昭和57年(1982)7月8日
【所蔵所】八幡市民図書館、男山図書館
【大きさ】縦22.6センチ×横15.6センチ
【ページ】1515ページ



総説、地名編で京都府の歴史地名について詳しく解説する。市町村毎ではなく、同一地名などについて、関連する地域を検索するのに便利。


燈用植物
ものと人間の文化史 50
燈用植物


【著 者】深津 正
【発行者】財団法人 法政大学出版局
【発刊年】昭和58年(1983)6月23日
【所蔵所】
【大きさ】縦19.6センチ×横13.5センチ
【ページ】418ページ



燈火に使われた植物を紹介するが、その中でも、エジソン電球に使われた八幡の竹が紹介されている。エジソンは、肥料の施されていない八幡の竹を求めたという。興味深い記述が沢山。



八幡市誌 第3巻

【編著者】八幡市誌編纂委員協議会
【発行者】八幡市
【発刊年】昭和59年(1984)3月20日
【所蔵所】八幡市民図書館、男山図書館、松花堂美術館図書室
【大きさ】縦21.5センチ×横15.5センチ
【ページ】507ページ



第6編 近代の八幡 第7編 現代の八幡


茶道誌 淡交 3月号
茶道誌 淡交 3月号 特集 八幡名物

【編集者】納屋嘉治
【発行者】M淡交社
【発刊年】昭和59年(1984)3月1日
【所蔵所】
【大きさ】縦21.0センチ×横14.5センチ
【ページ】246ページ



茶道の専門誌、淡交が八幡名物を特集した。巻頭には八幡名物がフルカラーで紹介されている。そこでは、八幡名物を代表する品として、国司茄子茶入(藤田美術館蔵)が紹介されている。その他の写真は、花白河蒔絵硯箱(根津美術館蔵)、碁盤蒔絵香合(藤田美術館)、老茄子茶入(畠山記念館蔵)、小堀遠州共筒茶杓 銘玉緒、高麗茶碗 銘白清(京都民芸館蔵)などである。
根津美術館普及主任の矢崎格さんが寄稿した一文を紹介しよう。「八幡名物は、普通「ヤハタ名物」または「ヤワタ名物」と呼ばれるが、「ハチマン名物」と呼ばれることもある。この「八幡」の語は、この名物の所持者とされる松花堂昭乗が石清水八幡宮滝本坊の僧侶であったことから、それを略したものである。ここでは、荘厳な響きを持つこの名物の系譜をたどってみたい。それではまず、八幡名物とは何か。実はまだ完全に納得のいく説明がなされた本を残念ながら見ていない。ほとんどの茶道辞典に、松花堂昭乗の秘蔵品の名物とある。この名物には昭乗が生存する以前に収蔵されているものも、また没後にコレクションされたものもあり、昭乗自身が一代で収集したものとは限らない。例えば、八幡名物を代表する国司茄子茶入及び備前さび助茶入は、昭乗より一代前の實乗の時代に収集されたものらしい。また、昭乗より後の萩坊乗圓の三幅対の絵も含まれていることなどから、八幡名物は数代に渡ってコレクションされたものと思われる」としている。
本書では、その八幡名物のひとつひとつを紹介しているが、その中で小堀遠州共筒茶杓 銘玉緒については、このように紹介されている。「非常に薄い作りで穏やかな感じの茶杓である。筒表の正面に滝本坊 玉緒 宗甫、その背面に、初春のはつねのけふのたまはゝき 手にとるからにゆらく と二行書きして正面の 玉緒 に結んでいる。遠州から昭乗に贈られたもので、内箱の蓋表には松花堂昭乗の書付が見られ、外箱は小堀宗中筆で蓋裏に 元滝本坊所持 八幡名物之弌品 印 とあり、八幡名物と書かれた最も早い時期の作品である」と紹介している。


史跡松花堂およびその跡 発掘調査概報
史跡松花堂およびその跡 発掘調査概報

【著 者】石清水八幡宮
【発行者】石清水八幡宮
【発刊年】昭和59年(1984)3月1日
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦25.5センチ×横18.2センチ
【ページ】22ページ



石清水八幡宮の鎮座する男山には、中世以降、いわゆる男山四十八坊といわれる多くの坊舎が立ち並び、宗教都市の様相を呈していた。江戸末期においても、23の坊舎があったという。これらの坊舎は明治にはいって神仏分離の太政官布告によって一切廃絶の道をたどった。泉坊・松花堂も男山の中腹から廃絶になった坊舎のひとつであった。坊舎廃絶後の跡地は、その後利用されることなく、荒れ放題となって雑木林と化し、僅かに造成された地形と崩れかけた石垣にのみ、当時の面影を残すばかりであった。
泉坊松花堂跡は、江戸時代の初期、近衛信尹、本阿弥光悦と並んで「寛永の三筆」と称せられた松花堂昭乗(天正12〜寛永16)が泉坊の傍に方丈「松花堂」を建てた地であり、昭和32年7月1日に文部省により旧宅、園池、井泉、樹石及び特に由緒ある地域として、国の史跡に指定された。石清水八幡宮では昭和60年、九州・宇佐八幡宮から八幡神が移座して1125年を記念し、史跡に楽しむ参拝者の休息地として整備をおこなうため、石清水八幡宮によって昭和57年7月19日〜8月21日まで第一次調査を実施、昭和58年7月4日〜8月5日まで第二次調査が実施された。
本書はこの調査で出土した瓦の写真、詳細な図面がふんだんに使われた報告書である。


京都百話
京都百話 京都千年への案内

【著 者】奈良本辰也ほか
【発行者】角川書店
【発刊年】昭和59年(1984)5月25日
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦19.0センチ×横12.8センチ
【ページ】291ページ



平安遷都以来千年、京都こそは我が国唯一の「都」というにふさわしく、その街や辻々、小路には無数の歴史・伝説が息づき潜んでいる。本書は、土地と人に関わり、今日の京都につながる興趣あふれる「史話」を集合したものである。
八幡市に関連するものは、石清水八幡宮の一項目だけだが、大政奉還にいたる徳川家茂、そして後見職だった一橋慶喜の石清水八幡宮参詣のエピソードが紹介されている。


淀川往来
淀川往来

【著 者】上方史蹟散策の会
【発行者】片岡 衛
【発刊年】昭和59年(1984)10月1日
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦20.0センチ×横18.0センチ
【ページ】225ページ



淀川右岸及び左岸を歩くための好著。横田健一氏(関西大学・文学部教授)の『淀川文化』を中心に、京都の伏見から大阪まで淀川の右岸左岸の史跡71カ所を文章と写真で紹介。八幡市内は、木津の流れ橋、石清水八幡宮、松花堂昭乗、神應寺と淀屋辰五郎、八幡の町あれこれとして紹介されている。



京都男山の植物

【著 者】廣江美之助
【発行者】田中文清 【発行所】石清水八幡宮奉賛会
【発刊年】昭和60年(1985)1月15日
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦26.2センチ×横19.5センチ
【ページ】739ページ



本書は、昭和60年4月3日に斎行された石清水八幡宮御鎮座1125年記念大祭の記念として、また、昭和58年に男山が「京都府歴史的自然環境保全地域」として第1号指定されたのを契機に、男山全山の植物植生調査が行われ、鎮守の森の護持と継承にと前京都大学教官・現京都府警察本部植物分類学顧問、理学博士廣江美之助氏によってまとめられたものである。



続石清水八幡宮叢書 全3巻

■続石清水八幡宮史料叢書1 田中家文書目録1
【著作者】石清水八幡宮代表 田中文清
【発行者】石清水八幡宮社務所
【発刊年】昭和60年(1985)12月10日
【所蔵所】八幡市民図書館・男山市民図書館
【大きさ】縦21.7センチ×横15.7センチ
【ページ】176ページ


■続石清水八幡宮史料叢書2 田中家文書目録2
【著作者】石清水八幡宮代表 田中弘清
【発行者】石清水八幡宮社務所
【発刊年】平成8年(1996)10月30日
【所蔵所】八幡市民図書館・男山市民図書館
【大きさ】縦21.7センチ×横15.7センチ
【ページ】190ページ


■続石清水八幡宮史料叢書3 菊大路家文書目録
【著作者】石清水八幡宮代表 田中弘清
【発行者】石清水八幡宮社務所
【発刊年】昭和63年(1988)6月30日
【所蔵所】八幡市民図書館・男山市民図書館
【大きさ】縦21.7センチ×横15.7センチ
【ページ】176ページ






八幡市誌  第1巻
八幡市誌 第1巻

【編著者】八幡市誌編纂委員協議会
【発行者】八幡市
【発刊年】昭和61年(1986)
【所蔵所】
【大きさ】
【ページ】



第1編 八幡の自然環境 第2編 先史の八幡 第3編 古代の八幡


伊佐家住宅修理工事報告書
重要文化財伊佐家住宅 内蔵・東蔵・乾蔵・二階蔵・木小屋・高塀・他附属建物修理工事報告書

【編著者】京都府教育庁指導部文化財保護課
【発行者】京都府教育委員会
【発刊年】昭和61年(1986)9月
【所蔵所】市民図書館
【大きさ】縦29.6センチ×横20.8センチ
【ページ】本文53ページ、図版78ページ



本書は八幡市上津屋浜垣内65番地にある重要文化財 伊佐家住宅の内蔵、東蔵・乾蔵・二階蔵・木小屋・高塀・他附属建物にかかる修理工事報告書である。修理工事は、東蔵・三階蔵・木小屋が半解体修理、内蔵・乾蔵・高塀は部分修理工事である。工事は昭和59年7月1日に着工され、61年9月30日に竣工した。本報告書は、修理工事の経過、諸調査等の事項、図面、写真を掲載する。
伊佐家は、累代この地方における幕府領の庄屋を勤めた。現在の屋敷配置は、享保19年(1734)造立の主屋を中心に、延享2年(1745)造立の内蔵、弘化4年(1847)年造立の乾蔵を有している。


南山城の歴史的景観
南山城の歴史的景観

【著 者】乾 幸次
【発行者】古今書院
【発刊年】昭和62年2月10日(1987)
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦21.0センチ×横15.0センチ
【ページ】221ページ



筆者による本書の紹介から
「南山城とは、歴史的にも地理的にも一つのまとまった地域を形成している。平野を南から北へと貫流する木津川の舟運によって、古代においては、大陸文化の北廻り大和入りのルートをなし、大和とともに日本文化の先進地域を構成した。中世以降の南山城は、平安京の文化をうけついで栄えており、各時代の歴史的景観が、年輪のように刻み込まれている。(中略)第一章は、南山城の地理的・歴史的性格を述べ、ここにおける歴史的景観の存在形態とそれの保存と開発の調和についても筆者の考え方を展開している。第二章においては、南山城の地形環境を、人間活動とのかかわりにおいて考察している。人為的要素の加わる程度の高い人工的河川、天井川の形成については、筆者の見解を述べている。第三章以下は、歴史的景観の復元に関するものであり、ここでは時代別に記述されている。第六章は明治期以降の景観と、さらに人工的地形をなす巨椋池干拓地のみでなく、広く南山城における今後の開発についての諸問題とその課題について筆者の考え方を述べ、本書の締めくくりとしている。」


八幡正法寺の絵画と書跡
八幡正法寺の絵画と書跡

【著 者】京都府立山城郷土資料館
【発行者】京都府立山城郷土資料館
【発刊年】昭和62年(1987)4月29日
【所蔵所】
【大きさ】縦25.0センチ×横18.0センチ
【ページ】24ページ



山城郷土資料館で開催された企画展で発行された書籍。正法寺の歴史、絵画、書跡が紹介されている。


神道大系 神社編
神道大系 神社編 石清水

【編集者】財団法人 神道大系編纂会
【発行者】財団法人 神道大系編纂会
【発刊年】昭和63年3月29日(1988)
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦22.5センチ×横16.0センチ
【ページ】714ページ



本書には、石清水八幡宮に伝来する文書記録を収録する。神社古文書中、その質と量の上から最高最大に位するといわれる石清水文書。その古文献は、八幡宮勧請から始まり、平安、鎌倉、南北朝、室町の各時代の原本文書を伝え、織田、豊臣、徳川にわたる文書は膨大である。


淀川絵巻
淀川絵巻 びわ湖から大阪湾まで

【著 者】木村きよし
【発行者】保育社
【発刊年】昭和63年9月25日(1988)
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦26.3センチ×横19.0センチ
【ページ】95ページ



著者の木村きよしさんは、本書について、「淀川両岸に展開する、歴史上の人物などについて、わかりやすくとの願いで、語るより見せるという方式で、略画で描写した」と紹介している。三川合流点の鳥瞰図のページでは、石清水八幡宮が紹介されている。


正法寺書院修理工事報告書
京都府指定文化財 正法寺書院修理工事報告書

【編 集】建築文化研究所
【発行者】正法寺
【発刊年】平成元年(1989)3月30日
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦29.6センチ×横21.0センチ
【ページ】本文26ページの他、図版98点、図面16点



徳川御三家の一つ、尾張徳川の祖、義直を産んだお亀の方の菩提寺。昭和59年12月から平成元年3月にかけて行われた書院修理工事の全貌を記す。正法寺書院は、屋根の損傷により雨漏りが甚だしいことから、昭和58年から修理工事の計画が始まった。工事は半解体修理で進められた。書院からは宝永4年の棟札が、方丈居間からは宝暦8年の棟札が見つかっている。


けいはんな風土記
けいはんな風土記

【監修者】門脇禎二
【編集者】(財)関西文化学術研究都市推進機構
【発行者】(財)関西文化学術研究都市推進機構
【発刊年】平成2年3月30日(1990)
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦26.3センチ×横18.8センチ
【ページ】332ページ



本書は、歴史や伝統を尊重する中ではじめて本当のまち作りが可能になるとし、京阪奈地域における風土記が作成された。全体構成としては、「歴史と文化の流れ」「けいはんな丘陵の散歩道」の2部からなっている。そのなかで、八幡市に関する記述は、「平安京と石清水八幡宮」〜石清水八幡宮の成立〜石清水八幡宮の荘園〜 「東高野街道」が紹介されている。


木津川歴史散歩
木津川歴史散歩

【編著者】斎藤幸雄
【発行者】田村能史
【発行所】株 かもがわ出版
【発刊年】平成2年5月10日(1990)
【所蔵所】市民図書館
【大きさ】縦19センチ×横13センチ
【ページ】212ページ



本書は斎藤幸雄が著した2册の「木津川歴史散歩」の第1段。


料理名由来考
料理名由来考

【編著者】志の島忠/浪川寛治
【発行者】畠山滋
【発行所】三一書房
【発刊年】平成2年10月31日(1990)、増補新版(写真)平成10年3月15日(1998)
【所蔵所】市民図書館
【大きさ】縦19.3センチ×横13.4センチ
【ページ】393ページ



著者のひとり、志の島忠さんは、本書について「料理というものは生きもので、時代時代の嗜好の変化によって刻一刻と変わっていきます。その結果名前だけが昔のまま残り、内容はまるで違ったものになっているというのも少なくありません。そして変容の課程において大切な知恵とか約束まで失われてしまった例が数多くあります。温故知新ではありませんが、そういう先人が営々と築き上げ、残してくれた確かなものをこの際、もう一度じっくり見直して「襟を正す」のもよく、この本がひとつの契機になってくれれば幸い」と結んでいる。
さて、八幡に関する記述は、八幡市発祥の「八幡巻」である。ここでは、「八幡とは牛蒡のことなり」と、少し衝撃的なタイトルが飛び込んでくる。その昔、放生川の川ざらえが定期的に行われ、その土で作られた牛蒡が、ことのほか大きく育った。この牛蒡と鰻の出会いが八幡巻になったと紹介する。
増補版は蕪蒸し、黒煮、スッポン汁など11項目が追加されている。「八幡巻」については、初版本にも紹介されている。


ヒル塚古墳発掘調査概報
ヒル塚古墳発掘調査概報


【編著者】八幡市教育委員会
【発行者】八幡市教育委員会
【発行所】八幡市教育委員会
【発刊年】平成2年3月31日(1991)
【所蔵所】市民図書館
【大きさ】縦25.6センチ×横16センチ
【ページ】58ページ+図版14



本書では、八幡市美濃山ヒル塚の古墳発掘調査の概報。開元通宝(621年)、淳化元宝(990年)など17種の古銭、剣、鏡などが出土した。鉄槍は49本以上を確認。鉄剣では渦巻き飾りのついたものが見つかっている。刃の長さは27.9センチ、幅1.4センチ、厚さ0.6センチである。短剣は39本、鉄斧4本、鉄鎌2本。銅鏡は方格規矩鳥文鏡1面が見つかっている。


八幡文化のふるさと
八幡文化のふるさと
文化財の数々をみる


【編著者】八幡市教育委員会
【発行者】八幡市教育委員会
【発行所】八幡市教育委員会
【発刊年】平成3年3月30日(1991)
【所蔵所】市民図書館
【大きさ】縦21センチ×横14.7センチ
【ページ】76ページ



本書では、八幡市には国が指定した重要文化財は21件あり、これ自体が歴史の生きた証拠であり、先人たちのいのちの輝きを実感できる「ふるさとの宝」と言っています。また、本書が文化財のガイドブックとして活用を願って作成されたことをうたっています。石清水八幡宮、石田神社など神社4社、神應寺、正法寺など寺院21が紹介されています。カラー写真は善法律寺の愛染明王座像、正法寺の阿弥陀如来立像など4点、あとは白黒写真です。


正法寺古文書目録
山城国綴喜郡八幡 正法寺古文書目録

【編著者】京都府立山城郷土資料館
【発行者】京都府教育委員会
【発刊年】平成3年3月(1991)
【所蔵所】市民図書館
【大きさ】縦25.6センチ×横17.8センチ
【ページ】496ページ



本書は、八幡市八幡清水井にある正法寺の古文書調査報告書である。正法寺は、鎌倉時代初期に創建された浄土宗の古刹で、徳川御三家の尾張藩の祖、義直を産んだお亀の方を輩出した寺でもある。この正法寺に伝来した中世から近世の古文書を昭和63年から平成2年にかけて調査がされた。結果、珍しい多くの中世文書、尾張藩との往復書状類、石清水八幡宮との争論関係文書など、寺院文書としては府内有数のものが見つかっている。これらは、八幡を中心とした地域の中世・近世の歴史を解明する上で基礎的な資料として、また、江戸時代の政治史、寺院史の研究に欠かすことができないと結んでいる。
古文書は28の箱に収められ、総点数は9,383点にのぼる。それらを箱ごとに紹介されている。豊臣秀吉から徳川家茂の寺領安堵朱印状、後奈良天皇額字、室町幕府奉行奉書、徳川家康書状などが見られる。


正法寺修理工事報告書
重要文化財 正法寺本堂修理工事報告書

【著 者】京都府教育委員会
【発行者】京都府教育委員会
【発刊年】平成4年2月(1992)
【所蔵所】
【大きさ】縦29.6センチ×横21.0センチ
【ページ】101ページ、図版75ページ、図面9ページ



重要文化財の正法寺本堂は、寛永6年から7年にかけて建築された近世浄土宗本堂であるが、中世仏堂の平面が踏襲されているところに大きな特徴がある。修理工事は昭和64年1月1日に着手、半解体修理によって行われ、平成3年12月に完成した。報告書によると、「本堂及び大方丈附中門・土塀は、建立時から数回の屋根葺き替え、小屋修理等によって今日まで維持されてきたが、近年にいたって軸部の傾斜、不同沈下、構造材の歪曲。腐朽、小屋組及び屋根野地の破損腐朽、また屋根瓦も耐用年数に達しており,軒廻り上の弛緩が大きく、雨漏りから内部部材を腐朽させていた」と工事に至った経過を説明している。


八幡宮の建築
八幡宮の建築

【著 者】土田充義
【発行者】津守常弘
【発行所】(財)九州大学出版会
【発刊年】平成4年4月20日(1992)
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦26.3センチ×横19.0センチ
【ページ】329ページ



八幡信仰は九州を・宇佐を発祥地としている。本書は宇佐八幡宮を初め石清水八幡宮の社殿建築が紹介されている。


続・木津川歴史散歩
続・木津川歴史散歩

【編著者】斎藤幸雄
【発行者】田村能史
【発行所】株 かもがわ出版
【発刊年】平成4年10月1日(1992)
【所蔵所】市民図書館
【大きさ】縦19センチ×横13センチ
【ページ】254ページ



本書は平成2年発行の「木津川歴史散歩」に続く斎藤幸雄著の第2段。木津川流れ橋、飛行神社が収録されている。著者の斎藤さんは、この本についてこう語っている。「木津川流域・南山城は、都の存在した奈良・京都という、いわば日本の歴史の縮図というべき二大エポックをなした都市の狭間にあって、時間的にも空間的にも特異な位置を占めてきた。いかなる地方史も日本の歴史の動向に位置付けなければ意味をなさないが、特に南山城の場合は、まさに日本の歴史そのものを大きく背負ってきた。したがって、南山城に数多くの史跡・文化財が残されているのは当然としても、本書は、わたしの前著と同様、ただどこそこにどんな史跡・文化財があるということを紹介したものではなく、どうしてそこにそれがあるのか?その歴史的な意味は?という点に視点がおかれている。わたしの「歴史散歩」はそこからはじまる。」


松花堂昭乗
松花堂昭乗 茶の湯の心と筆墨

【編著者】大和文華館
【発行者】大和文華館
【発刊年】平成5年10月1日(1993)
【所蔵所】松花堂美術館
【大きさ】縦25.7センチ×横18.2センチ
【ページ】111ページ



奈良市の大和文華館で平成5年10月1日から11月7日の会期で開催された特別展「松花堂昭乗 茶の湯の心と筆墨」の記念誌です。松花堂自画像、小堀遠州像などの現色図版の他、昭乗が使った印章も紹介されている。


狛犬学事始
狛犬学事始

【著 者】ねずてつや(本名:小寺慶昭)
【発行者】ナカニシヤ出版
【発刊年】平成6年(1994)1月20日/第5刷 2002.5.1
【所蔵所】
【大きさ】縦19.5センチ×横13.5センチ
【ページ】211ページ



南山城地域で最も古い狛犬は、八幡市上奈良の御園神社の狛犬であると、著者ねずさんは言う。その狛犬は、石材が良くないことから今にも壊れそうなのだ。


まちと暮らしの京都史
まちと暮らしの京都史

【編 者】岩井忠熊
【発行者】文理閣
【発刊年】平成6年(1994)3月15日/第4刷 平成9年(1997)3月25日
【所蔵所】
【大きさ】縦19.5センチ×横13.5センチ
【ページ】301ページ



人々の暮らしを視点においた社会史から京都の歴史を紐解く。古代史の項に、「しだら神と石清水八幡宮-古代律令制からの解放」と題して大阪市立大学教授・河音能平氏が寄稿している。そこには、天慶8年(945)の夏、日本の西から東から、神々が京都に入ってくるという噂がたった。この噂が現実のものとなり、大勢の人に担がれた「志多良(しだら)神」の御輿がやってきた。そして神は言った。「吾は早く石清水に参らん」と。8月1日の未明、御輿は淀川を渡り、男山の石清水八幡宮護國寺に落ち着いたという。


寺院神社大事典
寺院神社大事典

【編 著】平凡社
【発行者】平凡社
【発刊年】平成9年(1997)2月19日
【所蔵所】
【大きさ】縦21.5センチ×横15.7センチ
【ページ】763ページ



京都・山城地域の寺院神社の大事典。ここに取り上げられている八幡市域の神社は、石清水八幡宮、高良神社、川口天満宮、下奈良天神社、石田神社(上津屋・岩田)、御園神社、内神社の8社、寺院は神應寺、念仏時、薬園寺、法園寺、本妙寺、善法律寺、九品寺、正法寺、円福寺の9寺である。それぞれの項目は、創建や行事など歴史的な背景についても記述がある。


地方史研究
地方史研究 第271号

【編 著】地方史研究協議会
【発行者】地方史研究協議会
【発刊年】平成10年(1998)2月1日
【所蔵所】
【大きさ】縦21.0センチ×横14.7センチ
【ページ】122ページ



淀川を隔て、石清水八幡宮と大山崎の離宮八幡宮が対座する。大山崎には石清水八幡宮の神人「大山崎神人」の活動拠点である。油座を支配し、その勢力は石清水神人の中でも絶大であった。その機能について豊富な研究資料を以て解き明かす


神主と神人の社会史
神主と神人の社会史

【編著者】橋本政宣・山本信吉
【発行者】思文閣出版
【発刊年】平成10年6月1日(1998)
【所蔵所】
【大きさ】縦21.5センチ×横15.5センチ
【ページ】314ページ



神人とは。平安時代の中期、10世紀の中頃から記録・文書に見え始める言葉で、当初は公の用語ではなく、神社において祭祀に従事する特定の集団をさす通称として用いられてきた。本書は石清水八幡宮においても絶大な力を誇っていた神人についてしる資料として興味深い一冊だ。特に、鍛代敏雄氏による「石清水八幡宮神人の経済活動-身分と商業-」と題する記事も興味深い。


内里八丁遺跡
内里八丁遺跡

【編著者】京都府京都文化博物館学芸第二課
【発行者】京都府京都文化博物館
【発刊年】平成10年3月31日(1998)
【所蔵所】
【大きさ】縦29.7センチ×横21.0センチ
【ページ】172ページ+図版48



第二京阪道路建設に伴う京都府八幡市の内里日向堂と上奈良長池にまたがる遺跡の発掘調査報告書。調査地は平成6年度に試掘調査をし、平成7年度から8年度にかけて発掘調査がおこなわれた。従来、この遺跡からは弥生時代終末期の水田跡が検出され、この地域に弥生時代の生活があったことが判明している。今回の調査で、弥生時代前期末から中期初頭の円形竪穴住居で、5件の柱穴と中央に炉が一基検出された。見つかった遺物の壷は、外面に非常に粗い刷毛目で直線紋と波状紋を交互に描き、回転台を用いずに作られ、大きく弧を描いており、畿内ではあまり確認されていない。


文化燦燦2
文化燦燦2

【編著者】石清水崇敬会
【発行者】石清水崇敬会
【発刊年】平成11年5月1日(1999)
【所蔵所】石清水八幡宮
【大きさ】縦21センチ×横14.8センチ
【ページ】36ページ



本書は石清水八幡宮研究所 田中君於氏が平成9年10月19日におこなった「男山四十八坊」と題する文化講演会の内容をまとめたもの。明治の廃仏毀釈で今はもうない男山の四十八坊が鮮やかに蘇る。



石清水八幡宮文書外

【校 訂】田沼睦
【発行者】M続群書類従完成会
【発刊年】平成11年5月30日(1999)
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦21.7センチ×横15.8センチ
【ページ】182ページ



本書は筑波大学所蔵の文書のうち、石清水八幡宮文書、香取文書、長福寺文書、雑文書を収めたもの。同書曰く、「史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に属するところの古記録・古文書の類を中核とし、更に既刊の重要史料中、現段階において全面的改訂か学術的見地により要請されるものをこれに加え、集成公刊するものである」と記している。さて、石清水八幡宮文書は、石清水八幡宮言上状案、石清水八幡宮遷宮次第寫、石清水八幡宮祠官補任覚など、88の文書を収録している。


大阪の街道と道標
大阪の街道と道標

【編著者】武藤善一郎
【発行者】武藤善一郎
【発刊年】平成11年12月15日(1999)
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦25.7センチ×横18.3センチ
【ページ】267ページ



本書は武藤善一郎さんの自費出版による街道と道標の調査書。地図を配し道標の展開図が描かれ、それぞれの面に刻まれた文字はもちろん、サイズも記されている。八幡市内を縦貫する東高野街道も紹介されている。ただ、街道ルートに一部誤記がある。東高野街道は八幡市駅からまっすぐ南下し、八幡市民図書館側へ左折、市民図書館前を通り再び南下し走上りから再び旧街道に入って南下する。地図ではこれを一直線で描かれているのは間違い。そんな間違いをも些細なことと一蹴してしまうほど、武藤さんの足で調べられた本書は素晴らしく、感動の一言に尽きる。


神應寺文化財調査報告書
神應寺文化財調査報告書

【編著者】八幡市教育委員会
【発行者】八幡市教育委員会
【発刊年】平成13年3月21日(2001)
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦29.6センチ×横20.9センチ
【ページ】142ページ



八幡市教育委員会が平成8年12月から神應寺の調査を開始した。本書は、平成13年3月にその調査報告書としてまとめたものである。神應寺は、石清水八幡宮を勧請した行教が創建した寺で、寺格の高さは誰もが知るところである。しかし、寺を支える檀家がなく、寺院経営が必ずしも順調ではなく、数多くの文化財が散逸しも或いは荒れ放題となっていました。特に狩野山雪筆の障壁画の傷みが甚だしかったようだ。
本書の第一章では、国指定の重要文化財の行教律師座像、京都府指定文化財の鰐口、八幡市指定文化財の書院障壁画、第二章建築では、伽藍・書院・唐破風と厨子、第三章の美術工芸では永井重良による寛文・元禄の頂相をめぐって、神應寺の所蔵品、彫刻を、第四章で土地台帳・年貢納帳などの古文書を紹介している。


松花堂昭乗関係資料調査報告書
松花堂昭乗関係資料調査報告書

【編著者】八幡市
【発行者】八幡市
【発刊年】平成14年(2002)
【所蔵所】八幡市民図書館・松花堂美術館資料室
【大きさ】
【ページ】






松花堂茶会記と茶の湯の世界
松花堂茶会記と茶の湯の世界

【編著者】八幡市立松花堂美術館
【発行者】八幡市立松花堂美術館
【発刊年】平成14年10月20日(2002)
【所蔵所】八幡市民図書館・松花堂美術館資料室
【大きさ】縦29.7センチ×横21.2センチ
【ページ】104ページ



松花堂美術館が平成14年10月20日から12月1日にかけて開催した特別展「松花堂茶会記と茶の湯の世界」に発行した。


神社紀行 石清水八幡宮
神社紀行 石清水八幡宮

【発行者】学習研究社
【発刊年】平成15年(2003)6月19日
【所蔵所】
【大きさ】縦29.7センチ×横23センチ
【ページ】35ページ



学研の神社紀行シリーズ、第30番目の「石清水八幡宮」。一の鳥居の扁額、高良神社、影清塚、黄金の樋、目貫の猿、頓宮、古神像、石清水祭、太鼓まつり、放生会など、石清水八幡宮を余すところ無く紹介する


八幡正法寺の名宝展
八幡正法寺の名宝展 徳川家ゆかりの名刹

【編著者】八幡市立松花堂美術館
【発行者】八幡市立松花堂美術館
【発刊年】平成16年10月9日(2004)
【所蔵所】八幡市民図書館・松花堂美術館資料室
【大きさ】縦29.7センチ×横21.2センチ
【ページ】38ページ



松花堂美術館が平成16年10月9日から11月28日にかけて開催した特別展「八幡正法寺の名宝展」に発行した。正法寺は徳川家康の側室となった亀女の菩提寺(実家)。その子はも徳川義直で、徳川御三家のひとつ、尾張藩の藩祖となった。このため、寺は徳川家の庇護を受けて隆盛を極めた。寺に伝わる文物は、「すごい」一言に尽きる。その感動の一冊となっている。また、家康と亀女の馴れ初めの伝説も紹介されている。


神仏分離の動乱
神仏分離の動乱 

【編著者】白井史朗
【発行者】思文閣出版
【発刊年】平成16年12月10日(2004)
【所蔵所】
【大きさ】縦19.4センチ×横13.7センチ
【ページ】244ページ



明治の神仏分離令の動乱。中でも石清水八幡宮の動揺はことのほか大きかった。


男山で学ぶ人と森の歴史
男山で学ぶ人と森の歴史

【編著者】八幡市教育委員会
【発行者】八幡市教育委員会
【発刊年】平成17年3月(2005)
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦29.7センチ×横21.2センチ
【ページ】186ページ



本書は石清水八幡宮が鎮座する男山の自然を、その歴史と人々の生活との関わりの中から見直そうと、資料提供など市民参加の調査報告集としてまとめられている。2部からなり、左から右へめくっていくと「人々の暮らし」、右から左にめくっていくと「男山の植生」とという珍しい構成となっている。


八幡市遺跡地図
八幡市遺跡地図

【編著者】八幡市教育委員会
【発行者】八幡市教育委員会
【発刊年】平成17年(2005)3月31日
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦29.7センチ×横21.2センチ
【ページ】29ページ



八幡市の埋蔵文化財をまとめた一冊。埋蔵文化財の保護と法的手続き、埋蔵文化財の概要、遺跡一覧表と地図からなる。


松花堂昭乗の眼差し
松花堂昭乗の眼差し 絵画にみる美意識

【編著者】八幡市立松花堂美術館
【発行者】八幡市立松花堂美術館
【発刊年】平成17年10月21日(2005)
【所蔵所】八幡市立松花堂美術館資料室/  八幡市民図書館
【大きさ】縦29.7センチ×横21.0センチ
【ページ】47ページ



本書は平成17年10月21日から11月27日までの会期で催された特別展記念誌である。昭乗の絵画、印章などが紹介されている。


神仏習合の聖地
神仏習合の聖地 

【著 者】村山修一
【発行所】法蔵館
【発刊年】平成18年11月15日(2006)
【所蔵所】
【大きさ】縦21.7センチ×横15.5センチ
【ページ】236ページ



石清水八幡宮と護國寺


志水廃寺
志水廃寺第4次・月夜田遺跡発掘調査報告書 

【発行者】八幡市教育委員会
【発刊年】平成19年3月31日(2007)
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦29.7センチ×横21.0センチ
【ページ】26ページ+図版8ページ



発掘によって奈良時代から平安時代初期にかけて機能していた溝状の遺構を発見。



石清水八幡宮諸建物群調査報告書(本文編) 

【執筆者】永井規男(関西大学名誉教授)ほか
【発行者】八幡市教育委員会
【発刊年】平成19年5月31日(2007)
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦29.7センチ×横21.0センチ
【ページ】154ページ



本書は平成15年〜17年にかけて、石清水八幡宮境内にある建物群のうち、未指定建物を対象に行われた調査報告書である。本文編では、石清水八幡宮の歴史、境内地の環境と構成、近世・近代における造営と修理、建造物の調査と解説、石清水八幡宮建築の各論、資料の6章からなる。



石清水八幡宮諸建物群調査報告書(図版編) 

【執筆者】永井規男(関西大学名誉教授)ほか
【発行者】八幡市教育委員会
【発刊年】平成19年5月31日(2007)
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦29.7センチ×横21.0センチ
【ページ】163ページ



本書は平成15年〜17年にかけて、石清水八幡宮境内にある建物群のうち、未指定建物を対象に行われた調査報告書で、図版77点を収録する。若宮社本殿のほか、校倉、南総門、神楽殿、御鳳輦舎、神馬舎、一の鳥居などである。


南山城の俳諧
南山城の俳諧 芭蕉・蕪村・樗良 

【編 集】京都府立山城郷土資料館
【発行者】京都府立山城郷土資料館友の会
【発刊年】平成19年10月27日(2007)
【所蔵所】八幡市民図書館
【大きさ】縦29.7センチ×横21.0センチ
【ページ】105ページ



本書は京都府山城郷土資料館開館25周年を記念して発刊された。記事の内、「八幡八景」が興味深く掲載されている。



戦国期の石清水と本願寺 

【著 者】鍛代敏雄
【発行者】法蔵館
【発刊年】平成20年5月20日(2008)
【所蔵所】
【大きさ】縦21.7センチ×横15.5センチ
【ページ】276ページ






没後370年 松花堂昭乗
没後370年 松花堂昭乗 先人たちへの憧憬 

【発行者】松花堂美術館
【発刊年】平成21年10月24日(2009)
【所蔵所】松花堂美術館、八幡市民図書館、男山市民図書館
【大きさ】縦29.8センチ×横22.5センチ
【ページ】44ページ



本書は平成21年10月24日〜12月13日までを会期にして松花堂美術館による「没後370年 松花堂昭乗 先人たちへの憧憬」と題して開かれた平成21年度特別展において発行された冊子である。冊子巻頭には、中部義隆氏による寄稿「松花堂昭乗の人物表現について 先賢図押絵貼屏風」をめぐって・・・が記載される。


古社名刹
古社名刹 巡拝の旅 淀川の岸辺 

【発行者】集英社
【発刊年】平成21年9月15日(2009)
【所蔵所】
【大きさ】縦29.8センチ×横23.0センチ
【ページ】41ページ



本書は集英社ウィークリー・コレクション 週刊古社名刹 巡拝の旅19配本の「河川を挟んで鎮座する祈りの社 淀川の岸辺」と題し、発行された。第1ページには石清水八幡宮に伝わる「古神像」を配し、織田信長寄進の黄金の樋、ライトアップされた社殿の灯燎華、極彩色瑞垣、上空から本殿を見下ろすカットなど、石清水八幡宮の魅力を余すところ無く伝える一冊。


石清水八幡宮境内調査報告書
石清水八幡宮境内調査報告書 

【発行者】八幡市教育委員会
【発刊年】平成23年8月29日(2011)
【所蔵所】八幡市民図書館、男山市民図書館
【大きさ】縦29.7センチ×横21.1センチ
【ページ】336ページ、図版等参考史料編15ページ



本書は八幡市埋蔵文化財発掘調査報告書 第56集 「石清水八幡宮境内調査報告書」である。八幡市は国庫補助を受けて平成19年度から23年度にかけて石清水八幡宮境内調査をおこなった。それは、日本史上において重要な石清水八幡宮にかかる遺跡を専門的な観点から調査研究をおこない、国史跡指定を目指すために進められてきたもので、本書はその集大成の一冊である。護国寺跡の祭祀遺構、大塔跡の礎石痕跡、滝本坊の空中茶室など大きな発見が網羅されている。八幡市教育委員会で1冊1500円で販売中。印刷部数に限りあり。


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