泉坊・松花堂跡
泉坊・松花堂跡地図 いずみぼう・しょうかどうあと
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泉坊・松花堂跡

所在地:八幡市八幡高坊

 泉坊は「男山四十八坊」のひとつで、男山の中腹にある大扉稲荷社前の影清塚を右に入って太子坂を登り、石清水社の手前にあった。かつて、この泉坊の横には、松花堂昭乗が晩年、草庵松花堂を建てている。その坊や堂は、他の坊と同様に明治の廃物稀釈によってなくなったが、その松花堂跡は史跡公園に整備され、三宅安兵衛によって立てられた「泉坊・松花堂跡の碑」がその位置を伝えている。
 この泉坊の名は、祓谷の飛泉があったことから付けられたと『男山考古録』は紹介している。泉坊の西面には唐破風の玄関があり、客殿上壇の間には襖障子に数艘の唐船が描かれていたそうである。本堂に安置されていたのは三尊阿弥陀立像で、春日仏師の作で、この本尊をもって、泉坊は「阿弥陀院」とも呼ばれた。これらすべての建物は、小早川秀秋の寄進によるものである。
 また、「松花堂」は、松花堂昭乗が晩年、泉坊の横にかつて焼亡した瀧本坊の残木を集めて建てた方丈の勤行堂でした。のちに周囲の露地に待合や中門、灯籠、手水鉢を配して茶室風にした。  
 男山には泉坊の石燈籠が4基確認されている。奉献年月は古いもので萬治2年(1659)8月、新しいもので安永4年(1775)8月。とくに本殿南総門の階段右にある石燈籠は、茶色の堂々としたもので、風格を感じることができる。


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