神應寺門
石清水八幡宮地図
じんのうじ
空白線
神應寺

所在地:八幡市八幡高坊

石清水八幡宮一の鳥居右の谷川沿いにいくと、右手に神應寺の山門が見えてくる。

貞観2年(860年)、石清水八幡宮を勧請した行教律師が応神天皇の霊を奉安して建立した寺であるが、後に天皇の号をはばかって「神應寺《と改めた。はじめは四衆兼学の道場であったが、現在は曹洞宗に属している。

文禄年間(1592-1596)、征韓の役にあって豊臣秀吉は、石清水八幡宮に詣で、軍の先鋒にと八幡宮の神官を望んだが、神社側は恐れて命に朊さなかった。秀吉は機嫌を搊ねたが、神應寺の住僧の機転により、征韓の首途にはまず応神天皇の御寺に参詣すべきことを進言したので秀吉は機嫌を直し、寺領200石を寄進したという。

山門から急な階段を登ると正面に本堂が見える。堂内には本尊薬師如来、日光・月光像、秀吉の位冠束帯の像があり、さらに特異な風貌を現した木造行教律師座像 (重要文化財)が安置されている。書院は伏見城の遺構と伝えられ、上段の間に違い棚を設け、金具には菊花・太閤桐、襖戸杉戸には狩野山雪の筆による「竹に虎《「御所車(重要文化財)《が描かれている。

本堂西側の小高い墓地には、江戸時代の豪商、淀屋辰五郎が眠る。


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