太鼓祭り

た い こ ま つ り

太鼓祭り(高良神社例祭)

石清水八幡宮は遷座当初から国家、皇室、さらに武家の守護神として尊崇されてきたためか、もっぱら地域の人々が心のよりどころにした氏神は「高良神社《でした。高良神社を氏神とする地域は八幡清水井、神原などの1区、八幡馬場、今田、城ノ内などの2区、八幡科手、大谷などの3区と八幡軸、三反長などの6区の4地区です。このうち 3区地区は科手、大谷地区から2基の太鼓御輿があり、全部で5基の太鼓御輿がありました。

●御輿の歴史は文政年間に

御輿が作られたのは文政年間(1818〜1829)といいますから、今から180年以上も前のことです。高良神社の氏子の町衆が集まり、高良神社の例祭に興を添えようと屋形太鼓を作ったのが始まりと伝えられています。明治維新以後に一時休止していましたが、明治の中頃に復活。また、戦後になっていつしか休止していきました。屋形太鼓が作られた文政年間とは、第11代将軍徳川家斉の時代で、伊能忠敬、上杉鷹山が亡くなっています。

太鼓御輿組立
●御輿の組立

さて、御輿は分解されて保存されています。祭りが近づくと御輿を収紊庫から出し、御輿部分の4本の支柱と全長約11メートルもある担ぎ棒の太丸太とを荒縄で巻きつけて接合します。さらに御輿の前後に担ぎ棒が広がらないようにする横木を取り付けます。この部分は囃子方が赤い団扇をもって立つ場所になります。接合は8箇所になり、荒縄に水を打っては、木槌でたたいて締め固め、また巻くという作業を繰り返していきます。それは、締めの効果だけでなく、見た目も美しくなければなりません。
2区(写真)では、4人1組となって計16人が荒縄を巻くだけで2時間30分を費やします。そのあと、御輿中央に太鼓を据え付け、提灯をつり下げ、こうして組み立てられた御輿は重さ約1トンもあります。

●7月17、18日に御輿を巡行

神社の例祭、通称「太鼓祭り《は毎年7月17日、18日に行われます。2本の担ぎ棒をまたいだ囃子方が両手に赤い団扇を胸のまえで交差させながら音頭をとります。御輿の中央には太鼓が据えられその四方に叩き手が座ります。かけ声は「ヨッサー、ヨッサー《。その声にあわせて太鼓が「ドン、ドン《と2回打ち鳴らされ、続いて「ドンドンドン《と3回早い調子で太鼓を打ちならします。こうして町内を練り歩くのです。 商店の前では一時休止となり、ジュースなどの飲み物が振る舞われます。
「その昔、屋形太鼓が勢い余って店舗などによく突っ込んだものだ《という話を町内の長老から聞いたことがあります。
さて、この休憩に入る前には「させえー、させえー《のかけ声が掛けられ、担ぎ手は担ぎ棒を力いっぱい天に向かって差し上げたあと、御輿を下ろし、休憩に入るのです。
17日は「宵宮《、18日ま夕刻は「宮入り《といって、すべての御輿が高良神社に集合し、「うちの町内の御輿こそ1番《と誇りをかけて参道を練り歩くのです。昔は、この時にけが人が出たようです。

●御輿の巡行が復活

昭和34年(1959)年以来、途切れていた屋形太鼓の巡行が、昭和57年(1982)の3区、昭和60年(1985)年の1区にかけ、それぞれの地域の若衆によって復活しました。

1区の太鼓御輿
1区の御輿

1区の太鼓御輿は、3区の太鼓御輿の復活に触発され、1区でも復活させようと機運が盛り上がり、昭和59年(1984)7月17日に復活しました。1区の御輿が最後に巡行したりのは昭和35年(1960)7月といいますから、実に24年ぶりにその勇姿を見せることになりました。しかし、志水公民館で組み立てられた御輿は老朽化が著しく、この年は志水公民館の庭に置いておくだけの「据え太鼓《となりました。翌年の昭和60年(1985)7月17日には補修がされ、実に25年ぶりの巡行となりました。若衆といわれる若者たち40人に担がれ、市内を練り歩きました。そして町内のシンボルとして例祭には町内を練り歩き、今日に至っています。写真は平成14年(2002年)7月18日の宮入時。

2区の太鼓御輿
2区の御輿

一時期、途絶えていた太鼓御輿の巡行は、2区が一番早く復活したようで、昭和48年のことでした。(子ども御輿が巡行されてきた六区地区を除く) 昭和60年(1982)7月17日には1区、3区の御輿ともに町内を巡行しました。写真は平成14年(2002年)7月18日の宮入時。

3区の太鼓御輿
3区の御輿

昭和57年(1982)7月17日、八幡科手と八幡大谷の2つの地区に太鼓御輿が復活しました。最後に町内を練り歩いたのは昭和34年(1959)7月17日といいますから、実に22年ぶりことでした当時。御輿を担いだ経験があるお年寄りから指導を受け、町内の37歳までの若者で作る「若中会《が中心となっての復活でした。写真は平成14年(2002年)7月18日の宮入時。

6区の太鼓御輿
6区の御輿

6区の太鼓御輿は、ほぼ途切れることなく巡行されてきました。しかし、それは全長11メートルという本来の太鼓御輿ではなく、子ども御輿と言われる小型の御輿ですが、それでも太鼓の叩き手2人が乗り込む勇壮なものです。6区の御輿が他の地域の御輿の復活に大きく貢献したことは言うまでもありません。また、他の地区での大人御輿の復活が、6区地区での大人御輿の復活につながりました。写真は平成14年(2002年)7月18日の宮入時。


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