WHAT'S NEW? の む・か・し 版


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<5/4/2002 BBQのお誘い 

彼が夜中に「やった!!!吉田さんの家に行かない?来ませんかと言ってくれてるよ!」。今は午前3時。あなたはそこで何をしているのだろう?眠いながらも「是非」と言ってまた眠りに入った。

朝 よく考えてみると、夜中にきめてその日の夕方にお邪魔するというのは、本当は申し訳なかったかもしれない。が、久しぶりにお会いすることの嬉しさが勝って二人で珍しく早くから用意して出た。

BBQですから、という言葉を真に受けてスラックスを着てて虫除けまでもっていったが、奥様がいろいろ支度していただいて、結局とてもおいしく豪勢な鉄板焼きをご馳走になってしまった。恐縮しながらも、ビールサーバーからMACまで(殆ど最後はMACだが)話題の豊富な吉田さんと、ゴルフの大会にでるべく腕を磨いていらっしゃる奥様の話しに魅せられ。吉田さんの前では全てが許されるだろうと「水戸黄門」状態の彼がへそくりで購入した「ipad」を披露したり。少し疲れながらも挨拶をしてくれるモモちゃん、愛嬌たっぷりのサクラちゃんに囲まれて、すっかり長居してしまいました・・・。私達は甘えているなあ、と思いました。そして、きっと誰か後輩が疲れているときに、こんな風に自然にもてなせるように自分達もなりたいと思ったBBQの宵でした。

<4/29/2002 さきこちゃん 

先輩からmailが舞い込んだ。今度ブタペストに行きます、と。

自分が学生時代から尊敬し、結局彼女のあとを追いかけるように同じ会社に就職した。外交官の父をもつこの人は、幼少から多くの地にて生活してきた器の大きな方だ。行かれる前にお会いしたい、と御家庭を訪問。

久しぶりに、自分が仕事で考えていること、今後について、率直に思いを伝えることができた。彼女は結婚相手の転勤でまた海外にでることについて、いろいろ話してくれた。私達(というにはレベルが違いすぎるのだが)のキャリアパスについて思いを巡らす時だった。

自家製の薫り高い焼きたてのパン、色鮮やかなサラダ、濃厚なミートボールをご馳走になって私達が話しに興じていると、先に食べ終わった彼女のお嬢さんのさきこちゃんが、彼をまっすぐ見上げて「面白いものみせてあげるよ」と誘っている。それから二人はずっと奥の部屋でゲームをしたり、絵本を読んだり。最後に彼は手書きの絵までプレゼントにもらって。

とても素直で、岩崎ちひろが描くようなお嬢さんのさきこちゃんは、ご両親の教育のせいか、数年前まで育った香港でのインターナショナルな環境のせいか、人見知りをしない愛くるしさがある。彼はもうメロメロで、帰りはバスの中から見えなくなるまで手をふって、深くため息をつき、「あんなお嬢さんがいたら、会社にいけないよ・・・、いや職場に連れていっちゃうかも」(でも、「高い高い」をした影響で、腰をさすっていた)。愛らしさの中に聡明さを秘めた瞳を思い出しながら、次に会うときはどんなひとになっているだろう?と楽しく想像しながらうなづいた。そして、そのときの私達はどうなっているのだろう?とも自問しながら。

<4/28/2002 Friends 

金曜の最後の最後まで中国商談に翻弄され、最後は逃し、さんざんな週だった。

だが、休み。とうとう、休み。休みは休み!

旅行をしようか・・・などと最後までぐずぐずしていたが、結局 もっと大切なことに充てることに。日頃会いたくて会えなかった人と会うこと。たとえば、中学・高校「普連土」という一貫学校に通った頃の友達。

mailでの1〜2回のやりとりだけで、働いていて忙しい中なのに時間をやりくりして、即かけつけてきてくれた。何年ぶりかのおしゃべりランチ。ならば、朝 焼きたてのPeckのパンを自転車で買いに行こう。熟してクリーミーなアボガドと目にも鮮やかなエビのサラダを添えて。横浜橋で買った路地もののあおあおしたトマトにモッツアレラチーズのカプレーゼ。いただきものの横浜地ビール、どっしりした腰のすわった「ここふあーむ」の赤ワイン。料理の勉強と韓国好きが結びついて、最近メキメキと腕をあげている友人が、韓国風野菜いためを持参してくれ。

近況から、リストラから、中国経済から、韓国の素敵な男性の話題、子供の話しまで。いつのまにか 何も気負わずに、素直に笑ってしゃべっている自分に気がついた。これが本当のお休みだ、と思った。

<4/14/2002 春の陽射しのなせるわざ 

出張から帰り、また父が入院し、約2週間 やっと金曜に退院した。もう疲れたと言われて、言われた方も連日の疲れがどっと襲ってくる。

先週はきつかった。台湾から、中国から、クレームが矢のごとく降ってくる。どうおさめていいか、自分なりの「ハラ」が決まらないから、苦しかった。最後は、あまりラップせずに出向されてしまった先輩に話し聞いてもらって、いろいろ会話しているうちにやっと心が定まった。定まれば、やることは決まる。はっきりいって阿修羅の如く働きかけた。やっと目処がたった。

土曜の朝、目が覚めたら光が降っていた。そうだ。今日はこの光のように心に栄養をやろう。見たかったミュージカルがあった。AMPの「The Car Man」。男性版カルメンという意外性や振り付けの実力に前評判があった。今は9:50.ぴあを見てみる。広告に電話をするが10時前ででない。PCからHPをみる。当日券もあるかもしれない。そうか。では、いざいかん。林檎の君も珍しく 行く という。ほほう。君も「非日常」に飢えているとみえる。結局出発は10:05。桜木町まで歩く。東横線特急にのって渋谷へ。Bunkamuraの当日券を入手したのが11:15.あおあおとした葉をぬった木漏れ日まぶしいロビー前で「15分」も待って12時開演のバレーに向かったのでした。

高校生の時にベジャールを見たときのような感動はなかった。が、せりふも歌もなく、踊りだけで 夢と 惑いと 歓喜と 絶望と そして官能と。息遣いの荒さが迫り来て、首根っこをつかまえてひきずりこまれるような感覚だった。

帰り、伊勢佐木町に新しくできた鴎亭でピッヅアをほおばりながら、久しぶりに林檎の君と会話した。お腹もくちくなった頃、お互い、明日も仕事(何故?!)だけどがんばろうね、となんとはなしのしめくくりに対して、「新しいチタンマックでるみたいだから買おうね」。最後に、さり気なくつけたす君に返事はせず。春の陽射しの残光に、今日一日の非日常の魔力を確認したくて、急いで外に出たのでした。

<4/1/2002 中国出張 

2回目だが、今回はあの広い国を1都市1日、1商社 で巡り巡ってきた。新しい客、初めての現地の商社の方、緊張したあまり、珍しく土曜の朝から仕事して、昼もして、でもまだ日常業務すら終わらず 夜もして、また朝もして、結局そのまま7時に出たのでした。

北京入り、上海、嘉興、貴沙、成都、上海 と文字どおり駆け抜けながら、一つ一つ心揺すぶられる訪問。同じ国営といいながら、研究費たっぷりの会社の教授陣、1/9は閉鎖して土地を切り売りしながら営業している誇り高き工場長。そうかと思えたば新しい私企業で「中国版ベンチャー」みたいな加工業。片や、鄙びた山奥の奥に40年前から勤めて今や技術トップにのしあがった大人。台湾人にして、子供達は米国、独国で学ばせ、働いており、本人は台湾のグループ企業会長にして、虚心坦懐に今まさに中国進出に邁進しているトップ。

同じ商社の中国人スタッフにしても、文革を体験してきた部長。若く野心家で今の中国の最先端をひたはしり国営輸出入公司から転職してきたエリート。秘書から出発し、今では営業所長を勤める方。大体一日いっぱい使うから、朝7時半にはホテルをでて、車でまわり、飛行機にのり別の都市へ。夜は22時頃に空港につき、ホテルで夜食を食べながら、ビールを片手に追い出されるまで商社・現地スタッフと話し合った。そして翌日は客先の工場への往復 平均7時間 また語り合った。途中で車が壊れた人達を助けたり、交通事故に巻き込まれて危うく空港に間に合わないか、といったスリリングな時も共にした。まわりは菜の花がしきつめられたように美しかった。目を奪われていると、その土地にまつわる凄惨な歴史を話してくれた。

商談はしたたかで、したたかで、したたかだった。

乾杯攻撃も撃破し、辛いもの攻めも心から楽しみ(客先が、今度「もっと辛いところ連れていってあげる、ふっふっふ」と約束してくれたのも嬉しい)、人と人と交わした会話が印象的な出張でした。

<3/17/2002 有事の際に 

朝 珍しく彼が早く起きた。雨が降るかと思いきや、火事が起きた。

隣のマンションの4Fから火がでて、まさに自分が住むマンションに燃え移らんばかり。熱で寝こんでいた隣の両親を起こし、印鑑、財布、家の権利証とタオルをつかんで家を飛び出た。結局、こちらに火が移る前に消し止めてもらい、大事には至らなかった。だが問題のマンションの人達は脱出できずに、こちらのマンションに裸足で飛び移って避難した模様、マンションでの火事の怖さを目の当たりにした。

帰ってきてからしみじみ、彼が「こういう時に、何が自分にとって大切か分かるよね」。もしかして あなたは もしかして。机の上に目を走らせると、なんとMacがない。そうなのだ。彼が急ぎもちだしたリュックにはMacが入っていたのでした・・・。

きっとこの人は、もっと大掛かりな火事で、たとえば私が出張で不在の時でも、金銭類ではなくMacをつかんで脱出するのだろうな。大切なMacを机の上に戻してなでている彼を見ながら、はじめて本物の危機感をもった私は、来週早速 銀行の貸金庫を申し込むことにしたのでした。

<3/10/2002 台湾出張 

私の台湾出張、林檎氏の米国出張、私の米国出張 と3週連続のはずが、最後がなくなったので2週間ぶりに林檎氏の顔をみた。久しぶりに会う彼は、なかなか、生体内から邪魔な石がでたのですこぶる元気だ。

私の出張は父の2度目の救急病院行きのあとだっただけに心配だった。が 案ずるよりうむが易し。今回の場合は。何事もなくすんだ。

自分の方は、一日2〜3社訪問し、台北-桃園-台南-高雄 5日のうちにまわったのでなかなかきつかった。最後は目に隈ができていたようで、タクシーのおじさんが自分のおやつように買っていた果物を「大変ね、お仕事、食べていいよ」といってくれるまでで、有り難く栄養補給させてもらった。謝謝。

そんな中でも喜びはあった。受注できたこと、去年出荷したものから試作して成功していたこと。本当に嬉しくって、試作品をなでて なでて なでて なでていたら、もって帰っていいよと。

それでももっと改良が必要だというので、3時過ぎから9時頃まで技術屋さん含めて議論。それから打ち上げに行って「乾杯」。また乾杯、そして乾杯。何度飲み干したろう。先方もさすがに気持ち良くなってさて帰ろう としたところ。エネルギッシュな社長が「ここの近くにいい温泉があるんだ」。さすがに皆丁寧に辞退していた。が、せっかくの好意だし行くか!12時半に出発して1時半について、1時間入って2時半にでて、3時半にホテルに戻り。社長はご機嫌で鼻歌を歌いながら家路に帰っていました・・・。この社長なら、やろうと思ったらやりとげるエネルギーあり。はあ。台湾 恐るべし。

<2/11/2002 春節 

中国や台湾、韓国、香港 は旧正月だ。駆け込みの来日や商談で先週はきりきりまい。

どうにかまとめあげた商談、いきなり条件変更をfaxで送りつけて休みに入ってしまう客。突然立会を求めて来社してしまう担当。

やっても やっても やっても 降ってくる仕事。深夜 家にとぼとぼと帰る時 最近できた24時間ストアが明るくて暖かそうで 思わず立ちに寄った。するとつぼみのチューリップの鉢植えが出迎え。衝動買いで一鉢買った。

連休も結局会社にでて、曇天の中 またとぼとぼと帰った。寒くてかぜをひいたようだ。疲れすぎた。

ふと外に目を転じると窓越しにチューリップが すっとたっているのが見えた。凛と顔を空にむけて、早く咲こうとしているよう。少しあいた雲間から光がさしてきた。海の外は新たな年を祝って春の祭り。つかの間 レンブラント光を無心に眺めていた。

<2/2/2002 ADSLになりました 

久しぶりに林檎(彼)と顔をあわせている。休日は緊急呼び出しに備えて携帯を手に眠りこけてているし、平日は私は早出、彼は遅出、週に何回かは外泊。こちらも週末の父の病院通いが2か月半続き、やっと退院したと思った矢先、また真夜中に救急車のお世話になってしまい、徹夜で病院泊。

Emailで生存確認を時たましあっていたが、今日はこうやって顔をあわせることに。別に顔も姿形は変わっていないようだ。互いの近況を簡単に報告しあうと、待ちかねていた林檎が彼のビッグ・ニュースを私に体験させるべく、書斎にひっぱっていく。そう、我が家の通信もADSLにしたのでした。

もう 絶好調である。疲れていつもだったら寝ている時間に 林檎は頬をつやつや光らせてスイッチを入れる。「早いでしょ、ね、早いでしょ!」と画面が現れる前からスクリーンをのぞきこんでは満足気に自慢している。次は各国のネット・ラジオをかけては「早いからできることなんだよ」「やっぱりこういう時 エンターテイナメント・ソフトの充実しているMacはいいね」と当然の論理の帰結としてMAC礼賛でしめくくり、喜びを二重にかみしめている。

確かに、会社ではインターネットに常時接続の環境だが、家ではまだ ジココ ジココと電話線で接続していて、回線が混む時にはフラストレーションがたまっていた。容量が大きいから、ChineseやJewishのラジオ局の番組や音楽をPCで聴くことができる。今までも各国の情報をとることはできたが、どうしても日本語と英語に限られてしまう。音楽だと意味はわからなくてもその地域のカルチャーをもっと身近に感じられる。あらためて技術の進歩がもたらす便利さに、素直に感心した。林檎が環境変更をする時は、いつもストレス解消のためだけれど、ま、たまには生活の役に立つこともあるということですな。

<1/20/2002 捨てること 

忙しさにかまけていると、いつの間にか自分のプライベートをないがしろにしてしまう。それが続き、続き、気がつくと身動きできなくなってしまう。

カバンの中は重い書類だらけ。家に帰ればいつか使うかもしれない資料や本やもろもろ。冬でもコート一枚羽織って、定期券もって、1000円札一枚と文庫本一冊をポケットに入れて通っていたこともあったのに。

使えるものは寄付した。要らないものは捨てた。使うと決めたものはケアして使っていこうと決めた。そうしたらごみ袋10袋くらいになった。捨てることは難しい。捨てるものを決めるということは捨てない=ケアしていくものを決めていかなければならないから。

先週4日のうち2日泊まりこみのリンゴは、干しリンゴとなって帰ってきて、今は普通のリンゴに戻るべく眠りこけている。激しい寝息を聞くだに、全て大切で全力を尽くさなければいけないというきれい事では済まず、そろそろ大切なものとそれ以外を峻別していかなければいけないとお互いの生活について思う。がこ!うご! と鼻息も荒くリンゴが布団を投げ捨てたとたん MACの雑誌がごろんとでてきた。 この人にとっては少なくとも大切なものは明々白々らしい。

<1/15/2002 バンドネオンの夕べ 

学生オケの時からの友達と、何回か約束したにもかかわらず昨年ずっと会えなかった。今年は、去年のような非人間的な生活から一歩前進するぞ、と彼女とデートの約束。正直言って休み明けの日はスケジュールに不安定要素がありすぎるのだがこの日を選んだには訳がある。

赤坂のお店で生演奏を聞きながら食事ができる店がある。今日はバンドネオンの日。ピアソラにはまり、Amazonでアルゼンチンから楽譜を取り寄せて、時折ぽろんぽろんと弾く私だが、未だ生で聴いたことがなかったのだ。乾ききった心に、少しでも潤いを。幼少の頃南米に育ちスペイン語で哀愁を帯びたハスキーボイスで歌い、イタリア語も習っている音楽好きの彼女と是非一緒に行きたかった。

1年半ぶりに積もる話し 話し 話し。演奏がはじまるのが残念に思えた。ところが。

バンドネオンがリズムを刻みはじめると、そこは音の渦になった。うねり、高まり、コアに近づくと静まった。そして、また情熱の芽生え。思わぬほど揺すぶられて目を閉じて内面を見続けた。気ががつくと満場の拍手が鳴っていた。

ずっと会いたかった人と、ずっと聴きたかった音楽が織りなす 生きていて良かった と思える夕べでした。

<1/1/2002 2002年の始まりに 

明けましておめでとうございます!

今年は日の出がみられないとのことだったので寝坊するつもりだった。ところが7時にはばっちり目覚めてしまった。すごくハードな初夢から醒めて。

上が見えないほどの高い山から妹の手をひっぱって数々の障害を乗り越え、悪者から逃れ直滑降する夢。殆ど007ばりで、胸は高鳴り、血騒ぎ、アドレナリンは駆け巡り、ようやっとゴールに駆け込む。動悸おさまらず、しかし安心するとどっと疲労が押し寄せてきた・・・と思ったところで目が覚めた。

さて、波瀾含みの2002年の幕開けとなるのか?今年もMMMに乞う御期待。

<12/31/2001 2001年の終わりに 

指揮者の朝比奈さんが亡くなった。彼のブルックナーが好きだった。無骨でまっすぐ心の中に入ってくるような気がしていた。仕事をしながらずっと聞いていた。

しかし、年を越しつつある今は ピアソラのAdios Noninoを聞いている。

タンゴの切れのいいリズムが不穏なメロディーをのせて疾走する。ふと暗く 激しく渦巻いていた暗雲が途切れて 一瞬光がさす。緩やかな希望のメロディーが流れる。段々とテンポが速くなり光が満ち溢れ。少しずつ全体が明るくなり光の強烈さは薄れていく。

きつい一年だったから、荒れ狂った感情と、希望をつかみたいとのあがきと、最後に静かな気持ちになれるようにと思って聞いている。今年はとにもかくにもおしまい。来年は健やかな良い年になりますように。

<12/29/2001 年忘れのキムチ鍋 

彼のもう一つのチームの面々忘年会と称して集った。前菜とビールは当方で用意するが、メインはご自分達で調達から調理までどうぞ、とお伝えしていたところ彼らのチョイスはキムチ鍋。

大胆に野菜を快刀乱麻???でさばいていく河本、門脇両名。重鎮 本村、安納司令塔は初期段階を過ぎるとあとは任せてしっかりと飲みの態勢に。材料もそろって、さて と誰しもが思う頃、図ったかのようなタイミングで最後のメンバー郷田氏が到着。出汁ができた。ところが「さて、鍋奉行は誰だ?」と彼が声をかけても、鍋奉行がいない。野菜だ、肉だ、と楽しい会話と飲みが続く。しかして、誰も何もしないので出汁は熱く煮えたぎったまま。そこで、決めるところはしっかり決める出口選手登場。結局野菜も肉も丁度良い加減に入れて食卓へ。歓声と湯気とキムチの食欲をそそる匂いが部屋中に広がる。それぞれの持ち味がしっかりありながら、ホットでスパイシーにまとまっている?ところ、このグループにピッタリなキムチ鍋 と思いながら、自分も負けじとハフハフ頬張った。

<12/25/2001 クリスマスには 

一般病棟に戻っても一人部屋で父は特別管理扱いだった。術後20日以上経った今も点滴もはずせず、胆汁を外に出す管もはずせず。食欲も湧かず、食事はひと口 文字とおり口に入れるだけ。

休みもずっと見舞ったが前進の足跡はなし。昔 父は必ずクリスマスにはTopsのチョコレートケーキを買ってきてくれた・・・から、今年は私がもっていきましょう。何もいらないと言っていたがやはり懐かしいのか、ひとくちだけ食べようかな、と。ひとくち、そして ひとくち。小さなふた口だったが、おいしかったと言って、疲れて、また横になって寝てしまった。

精神的に参りそうになりながらも通っている母。今日は疲れがたまっていたので病院通いはお休み。クリスマスだということも忘れ、ひとりで片付けをしていた。ちゃんとチョコレートケーキ食べたよ。この分じゃ、すぐ食べられるようになる。ママには黄色い薔薇をどうぞ、と差し出した。手を暫し休め、嬉しいとやや声高く言ってくれた。いつも いつの時でも働いている この慈しみの手に やさしい花が香って欲しかったから。

自分も疲れた。もう何もせず寝ようと。ところが思いがけず彼が帰っていてロゼのワインを嬉しそうにもっている。

疲れて立ちすくんでいると、グラス。ワインのサービス。注ぐ音も静かに明るい葡萄色が広がる。口に含むとやさしい香りが広がる。ほっとした。今日の闘いもこれにて終了。

それぞれにとっての 皆さんにとっての 楽しき クリスマスを心から祈った。

<12/5/2001 今年最後の賭け 

昨日 今年4度目の父の手術だった。また朝5時半に 雨が斜めに降る中を、呼吸器の調子が悪く激しく咳き込む母と病院に向かった。

3度目の退院の時に、「きつかった。もう入院したくない。」「そうね、三度目の正直っていうじゃない。もうないよ。」と自分も信じてたから言ったにもかかわらず、舌の根もかわききらないうちに、今度は肝臓に癌が見つかった。

何故、こんなに何度も何度も切り開いて、切り刻んでみているのに、みつけられないのか。先生の「そこしかみないから」という言い分は理性ではわかる。が、感情的には分かりたくない。説明を受けて暫し部屋に残って、もて余した感情を拳にこめて床をたたいた。激情はただ単に自分の手を傷つけただけだった。

手術は肝臓の外、中のみならずリンパ腺、管にも転移しているやもしれず、リンパ腺だったら全身にめぐるから、最早手がつけられないので何もしないで閉じなおすとのこと。肝臓ガンだけだったら6時間位で終えるとのこと。8時半に父が病室をでてから昼になったが何もない。だったら手術は続行だ。ほっとした途端、また熱がぶり返してきて、薬を飲んで待合室でコートをまとって寝た。うとうとしながらも汗をかいて目が覚めると、心配気な妹が宙を見つめている。まだ、何もない。寒気が戻る。6時間経ち、7時間経ち、8時間経ち。看護婦さん達が帰り始めて医局は人が少なくなった。とうとう近くの増上寺の鐘まで鳴ったが何もない。また1時間経ち、2時間経ち。

やっと手術終了近くに父の肝臓を手にした先生と会えた。いい肝臓も癌の肝臓も。「見える限りは全部とりました。でも、他の転移はわかりません。」はっきりとおっしゃる先生。14時間もがんばっていただいたあとだけに、人事を尽くして天命を待つという言葉を思いだしながら、前回の苦い痛みをを思わず忘れ、感謝の気持ちをこめて深く御礼をした。

かなりきつかったので予定外だけれどICUに良くなるまで入っていてもらわざるを得ないと言われた。痛みで腫れ上がった顔を見れば、何でも とにかく楽にしてくださいとお願いし、楽しげに飲む人達をぬって夜の新橋を私と妹はふらふらと帰った。

ところが。今日訪ねてみると、ICUからでて一番医局に近い、でも一般病棟に戻っているではないか。パパ! 駆け寄ると目をうっすらと開けた。「こなくていいのに。会社 大変だろ」。急に膝のうしろが心もとなくなった。

転移が何だ。天命が何だ。父は今年最後の賭けに絶対に勝ったんだと思った。

<12/1/2001 冬の楽しみの会 

彼の大切にしている人達との鍋大会。やはり、こうじさんの鍋がないと冬は越せません。

そんなわけで、土曜は久々に仕事も休んで大掃除。晴れた空のもと、市場でサラダ用の野菜、フルーツ etc. 後はお花。welcome flowerに黄色い花。それから、香りのよいユーカリ、杉。みどり、みどり、みどり。

さて。お客様はみな個性派ばかり。彼女を紹介してもらえると思ったが仕事で今回はお会いできなかった「こうじさん」s。(Mr.こうじさんにはまたたってのお願いで「こうじ鍋」をつくっていただいてしまった・・・これで我が家の冬がやってきた)。ご夫妻+一太君できてくださった中川家族は、それはそれはそれはアイドル。なにしろお父様似の楽しげな表情と、奥様似の表情豊かなつぶらな瞳の一太君は生まれながらにしての「楽しみの会」の会員である。同じくらい素敵で強い瞳の光の吉岡さんは一緒にwineを飲んでいただき豪放だ。。そして、活き活きと毒舌???を言いながら舌をだして、またはらはらさせて、また魅了させてしまうドルフイン君。プロデユースがピカ1!の飯山さん+ラブラブなちえこさん。みなを心配させてやってきた割りに先に効率よく食事をして帰った仲田選手、相槌を打ちながら静かににこっと笑いながらはっきり言っていた合田さん。

ほんとに楽しかった。久しぶりに和やかな会話。みなさんにお会いできた時に乾杯。

<11/25/2001 一瞬の非日常 

ある中国での商談が降って湧いたように持ち上がり、対応可否を検討し、考え得る全ての委託先から見積もりをとり、材料をおさえに走り、だが回答期限に満足の行く結果がでなかったために見送った。社内外に頭を下げて奔走しただけに悔しかった。しかし、それにも増して、この件を契機に以前の商談の時に実は某商社が不実な対応をとっていたことまで発覚し騒ぎは大きくなり、両方の担当だった私は憤りと無念さがおさまらなかった。

気が抜けたのかまたぞろ熱がでて、せっかくの三連休だったが、解熱剤のせいで昼まで寝こみ、起きてはたまっていた家事をのろのろやって、夜に1-2時間仕事をしてはまた臥せっている。

外は天気の良い三連休を過ごす人々。一体 自分は何をしているのだろうと。青い空を窓越しに見ながら思わず独り言をつぶやく自分を、他人事のように聞いていた。

と、バタン、と黒い塊がドアからよろよろと入ってきた。ここにも一人、天気の良い三連休とは無縁だったリンゴ(最近、彼がMACを買ってからあだ名をつけた)が戻ってきた。コートを着込み、パソコンやら資料やらを抱え汗だくだくで、木曜の夜からの出張帰り。ふらふらとよろめきながら「今度こそ本当に最後だから、たらばがにお土産にしたよ。来週届くから」。そういえば、前回の出張の時も確か「やあ、もう解決したよ。完璧よ。最後だから帆立貝をお土産に奮発したよ」と言っていなかったっけ?二度あることは三度ある、という言葉が思い浮かんだがぐっと飲み「ありがとう」。お互い、汗と涙の一週間は忘れましょう。

真剣に 自分の人生 何ぞや、と考え込みはじめていた私は、同じように疲れきったリンゴにまずは温かいものでも供するかとまた日常に戻った。

<11/18/2001 新酒祭り

友人と半年くらい前から約束していた「ここふぁーむ」の新酒の集い。

その週はずっと熱が下がらないし、寝不足だし、行かれないかと思っていた。でも、最近は誘いという誘いは全て断っていて、仕事に凝り固まってしまっている自分がいやでたまらなく、思いきって足利まで行った。

煙るような秋の暖かな空気のもと、普段は静かであろう郊外の葡萄畑は収穫のお祭りで賑わっている。この「ここふぁーむ」はこころみ学園のワイン醸造場。18年前からこの祭りに参加して音楽を奏でているグループもいれば、学園のOBが友達を大勢引きつれてきていたり、ただここのワインが好きで押しかける私達のような者もいて、皆 各々の楽しみ方で笑いさざめいている。

学園の子供達は天使の羽根をつけて、クッキーやフランスパンを売っている。今年の新酒をグラスで買って葡萄畑の片隅の腰掛ける。空を見ると優しい陽射しが降り注ぐ。目の前を白い羽根の天使が今度は風船をもって通りすぎた。浮き立つようなワルツが途切れ、一瞬だけ時間が止まったかのようだった。

<11/9/2001 年に一度のネクタイ

男性の服装で何が好きかといって、素敵なシャツとネクタイのコンビネーションだ。だが、自分はまだ自然に見えるまでには到達していないのでネクタイをはめられないでいる。年に一度のこの会を除いて。

代々木の杜の建築物のリニューアル・プロジェクトを行い、その時のメンバーと竣工式以来 毎年この時期に再会している。最初の会にて、本当に喜んだ我が上司がおそろいのネクタイをプレゼントし、何とはなしにつけてくる人が多い。私も女性用に少し細く直して、この会の時だけはつけてくる。

自分自身が多くのプロジェクトをてがけてきた中で、この代々木プロジェクトは一つ 自分や他人を信じられなくなった時に戻ってくる経験である。だまされたり、脅されたり、すくわれたり 多々ある中で、それでも時には一緒に創造したいがために、議論し 議論し 歩いてみて 眺めてみて なでてみて 想像してみて そしてまた議論して 譲歩して 決めて そして創っていった。互いに目的が同じで思いさえあれば、対立も避けるべきものではなく、最後の仕上げに資するのだと知った。

柔和な顔をしながら最後まで妥協しない方の満面に笑みを浮かべた婚約発表あり、いつもは淡々としてみえる人の意外にも率直な直近のコンペでの心情吐露もあり、忙しく帰る間もない人が今日のためにネクタイをとりに家に帰る算段をつけてきた話しあり。私も久しぶりに、本当に久しぶりにほっとして楽しんだ。

それでもいつもよりは早く帰宅した。ネクタイをそっとはずしながら鏡を見ると、これまた久しぶりに微笑っていた。

(因みに、私はネクタイをはめられないので、いつも緩めてそのままハンガーにかけているので、「そっと」はずさざるを得ない・・・。また来年の会まで。)

<11/6/2001 光

上司の反対を押し切って、米国の流通業の客を徳山の近くの光製鉄所へ見学へ連れていった。見られるだけで成約にならないに違いないといって反対されたのだが、こんなことを言われるとは思わず進めていたため「成約してみせる」と強行した。

連日の疲れでさすがに熱がでて、土日バファリンを飲みまくったが熱が下がらず、それでも強行するわけだからと日曜は2時におきてレポートをまとめて送り、7時に走ってでて新幹線では眠りこけていた。

客は会ってみた感じでは想像していたほどにはtrickyではなさそうに思えた。どしゃぶりの雨の中の工場見学でも、あまり強くない夜の酒の席でも、話すことは一貫していた。

帰りの新幹線でも解熱剤のせいで、資料を読みながらもずっとうつらうつらしていた。ふと瞼の裏に光がちらついて目を開けた。富士山がおりしも雲の間からさした光に、くっきりと雪をかぶった美しい姿をあらわしていた。ちょっと気分が良くなって「成約してみせようじゃない」と思った。

<10/27/2001 遠き樹の上なる

上司がいない留守居役の時に限って大きな商談がある。彼は事業部の1/3を稼ぐ大役者だ。だが私はいかにせん客の顔も経緯も知らない。もめている大型5件をヨーロッパからアフリカまで追って週が過ぎた。

父がまた入院するも、1度しか会いにいけず。眉間の皺が我知らず深くなっていたのか、隣の女性がプレゼントをくれた。「私が漬けたかりん酒です。ちょっと苦いかもしれませんが、どうぞ一服してくださいね」。

情報も何もないままに代役としてひとの客の対応をするのは難しい。商売のことなら我慢できるが、それ以外の心ない言葉に、おもわず悔しく、かみしめた唇が切れていた。隣の彼女は見て見ぬふりをしていた。でも、翌日 ペットボトルにお手製の果実酒を入れてきてくれた。

それでもなお、やりきれぬ気持ちを抱えたままの日曜の夕べ。物寂しくてCDショップへ入ると「HONESTY」が好きだったBilly Joelがピアノ曲を発表していた。ショパンのような、意外なようで、クラシカルな曲。ふっと心が安らぐ。いただいたかりん酒をロックでいただく。ほろ苦あまい味。ピアニシモの調べが、昔の「HONESTY」のように、あまりに率直に響く。かたまっていた肩の力がぬけていく。日曜の夕方が過ぎていく。

夕焼けの空に 白い雲が、ぽつりと浮かんでいる。

遠き樹の上なる雲とわが胸とたまたま逢ひぬ静かなる日や
尾上柴舟

<10/8/2001 しらたまの

ここ1か月ばかり終電状態が続いたので、飲み会も断り、明け暮れた。ところが、先週は仕事でお世話になった人からの誘いで断れず、火曜から4日連続で飲みに行った珍しい週となった。

大きな商談をまとめあげてくれた商社と宴会嫌いの上司にはさまれて、何故か玄人はだしのマスターのギター伴奏で「学生時代」をカラオケをしてしまったり。世話になっていた先輩が2年かかりで進めてきた商談の受注内示祝いでは、リッチな内装の会員制クラブでつつましやかにきんぴらごぼうをなめなめ、「きんぴらごぼうには赤ワインしかない」とハウスワインをまわし飲んだ。委託先の工場に今は出向している先輩が、プロジェクトのために社内を説得して安い見積を出してくれ、それが認められて受注した御礼会。先輩は酔うほどに上機嫌になり、とっておきの日本酒を惜しげもなくだしてきて、閉店まで脂ののった秋刀魚を肴に酌み交わした。また同じ商談で、普段は標準納期しかだしてくれないが、今回の為に特別に早い納期を工夫の限りをつくして考え出してくれた工場の担当マネージャーの出張をつかまえての「囲む会」では、ジャンボ餃子と老酒だけで3時間粘り語り合った。

場所は麻布のスナックから、有楽町のガード下までさまざまだったが、久しぶりにそれぞれリラックスした会話をもつことができで楽しかった(仕事はたまって、朝早く出勤しなければいけなかったが・・・)。

白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり
若山牧水

以前よんだ時には、秋といえば一人で冷酒を傾けている図を思い浮かべたが、殺伐とした切ったはった!の仕事が終わったあと、ほっと一息つきながら ゆっくりと 楽しみながら飲むのも、また秋らしいかもしれない、と思った。

<9/30/2001 秋雨の降る

黒田亜樹さんのpfを聞いている。ピアソラのLibertangoから始まりOblivionに終わる。やりきれないような秋の霧雨には、この人の鋭いリズミカルなタンゴを聞いていたい。華やかで激しい「自由のタンゴ」。最後は「忘却」。秋雨が消えて行く海を眺めているようだ。空と海ともはや境界線がなくなった灰色のゾーンに、漂うメロディーの余韻を残して曲も消えていく。

身も心もけだるく、微熱が続いているような状態のMMMをしりめに、隣には今年一番元気なリンゴが一人。そう、とうとう買ったのです。チタンのG4を。尊敬する先輩、吉田さんを訪ねて意見をきき、チタンを営業するMMMのアドヴァイスも聞き、やっと「もう少し様子を見てみる」と何度うなだれていたか。全ての合理的な状況証拠を無視し、やはり「そこのマック(山)があるから、欲しいんだ(登るんだ)」と開き直った人は、横浜のSOFMAPで本日 持ち帰ったのでした。

押し切って買ったからか、電車では「気持ち悪い」。とまたうなだれる。ところが、帰って包みを開いた途端、ああ、と深いため息。なでたり、さすったり、さすったり、なでたり。確かに、スマートで格好いい。私は筐体の試作品ばかり見てきたので、完成品を見たのは久しぶり。シャープで未来的。いろいろ意見はあるようだが、これはナイス・バディーだ。

黒田さんのアルバムを聞きながら秋雨を眺め、明日からの出勤の憂さを早くもかみしめるMMMの横で、「みんなには黙っておこう」とつぶやくリンゴの頬に、久しぶりのえくぼがぽっかりと浮かんでいた。

<9/23/2001 めぐみの時

がくんと車体が大きく揺れて「桜木町 終電〜」と車掌が高らかに宣言する。眠りこけていても、桜木町止まりだから寝過ごすこともなくOK。身体は疲れきって、でも頭はビリビリしている。自家製の梅ブランデーをなめて寝た。それから14時間。目が覚めたら青い空が暮れなずんでいた。

横浜橋にふらりと買い物に。夕方の空よりも濃い竜胆を買った。白くて何の模様もなく、すっきりと背が高い陶器の花瓶に活けよう。魚屋が並ぶ中で、一番活きがいい魚をおく店がある。鱗が青光りして目がうるうるしている秋刀魚を発見。これはやはり正攻法で、焼いて脂がじゅう〜じゅう〜というところに大根おろしで。八百屋ではすいかと桃が姿を消し、汁気がいかにもあふれんばかりの梨、梨、梨。黒檀のように艶やかな茄子。網で焼いて、あつあつに醤油をたらして、鰹節が踊るようにたっぷりかけて。

あ、こっちには緑が目にも鮮やかなライム。これをきゅっと絞って、久しぶりに ジン アンド ライム。ライムのほろ苦くあおあおとした香りは、夏にこそふさわしいと思っていたが、秋刀魚の塩焼きの、くせがあって香ばしい旨みにあうかもしれない。

めぐみの三連休。とにかく、寝て 寝て 寝て そして秋の食材を楽しんで。自分を甘やかせてあげよう。

・・・ここまで書いたところで、25日が誕生日の某氏がにじり寄ってきた。肩をもんでくれる。(30秒だけだけど) 誕生日何が欲しい?(聞かざるを得ない) 「え?!」(驚くふりをしなくてもよろしい) 「いいの?」(毎年あげているではないか) 「そうだなあ」(考えるまでもないでしょう) 「こういうことは年に一回だからよく考えるよ」(そうかね。) この人にとっても、誕生日がめぐみの時をもたらしますに。

<9/20/2001 アメリカのテロ事件に寄せて

事件が起きて、はや2週間。丁度この週の日曜から、本当はピッツバーグへ出張の予定だったが、客先が来日することになってキャンセルをした。米国担当ではあるし、友人も何人か渡米しているし、先週は関係者の無事を確認したり製品の出荷調整をしたりしながら、いろいろと考えさせられことが多かった。 学生時代は国際政治を専攻していた。冷戦におけるパワーゲームの研究が流行っていた頃だった。今や、世界は様変わりし、自分の興味も様変わりしタリバン政権についても今回の事件がなければ名前しか認識していなかっただろう。 卒論の指導教官だった方は、退官後に第二の人生のためLAに移り はや8年。距離的にはNYやDCから離れているから心配はしていなかったが、シリコンバレーが近くにあるために、やはり緊迫した雰囲気があったと言う。 知人や客は 皆無事で安堵した。しかし、そうでなかった人達のことを考え、黙祷。

<9/2/2001 夏休みのおわり

旅の計画(といっても、いつも航空券の手配だけなのだが)をたてるのも面倒くさくて、ポルトガルに今年は行きたいと思っていたのに、航空券の予約を入れようとしたときにはすでにもうキャンセル待ちも無理だろうとのこと。それなら、どこかでぼおっとしたい。

中学、高校時代によく読んだ辻邦雄の本には旧制松本高校時代の思い出がいきいきと書いてあって、いつか 夏の信州でゆっくりと本を読んでみたいと思っていた。きっと、今年こそ、このしぼってもちりもでない雑巾状態の私に一番必要な休み。

スキーは2度しか行ったことがないので、あまり詳しくない白馬。夏休み最終週なため、あらかたのイベントも終わり、人がいない。目にやさしい黄緑色の稲穂が続く。ペンションが多いからか自家製の野菜畑にはトマトやキュウリがごろん。燃え立つような黄色の向日葵の上には、しかし、入道雲ではなく柔らかな絹雲が流れている。そばの白い花の畑。あぜ道には秋桜。

コテージを借りた。木のにおい。横には小川が流れている。ずっとせせらぎの音が絶えることがない。朝方や、夕暮れ時に雨が降る。天井にぽんぽんぽんと大きな雫が鳴っている。すと耳をすませば虫の音も。

やりたいことはあったのに、ずっと寝た。それでも、どうしても気にかかる案件が1つあって、そのためにmailを何度もやりとりしたり、電話をかけたり。なかなかすぱっと思いきって夏休みを楽しむには、しがらみが多くなりすぎたのか、それとも無心に楽しむことを忘れてしまったのか。

後半はやっとふっきれて(というよりか、どうやってもmailが通じなくなった)、栂池高原を散歩し、八方尾根をのぼり、ラフティングを楽み、奥まったペンションをまわって朝採り野菜の路傍売りで夏野菜のスープをつくったり、偶然とおりかかった手打ち蕎麦屋で蕎麦づくりを教わったり。夜はテレビもつけずに白馬のワインを片手に本を読みまくった。

雨が降ってくる。本をおいて外の闇をみる。いつの間にか最終日。いつも夏休の最後の日の気持ちはこんな感じ。やるせなさ。後ろ髪をひかれる思いで、胸いっぱいに草の湿った香りをかいでグラスを洗った。

<8/19/2001 明日は明日の風が吹く

2週間、コンを詰めて、何度も投げ出したくて、でも獲ってみたくて。商社と、調整と、工場と、委託先にお願いして走り回った案件があった。台湾のファブ。初めての客先だ。

度重なる条件交渉、サイズ変更、こなして先週末、商社の担当部長から「内示獲りましたよ!!!」。その日は久しぶりに早く帰りたいと思ったが、整理に終われて気がつくといつもの通り終電で帰った。疲れていたけれど、すっごく嬉しかった。

さて、今週はお盆だ。たまっていた仕事をやってしまおう。アフター5は、誰がなんといっても会いたい人と会っておいしい食事とお酒をいただき!(職場の飲み会も含めてこの1か月は断りどおしだった・・・)ミュージカルも行くし、ブルーノートも行くし、彼に誘われて彼のチームの新関君の歓送会にも行きたいし。家に辿りつくのがやっとの生活ばかりだったからこそ、この週のためにいろいろとわくわくと印をつけていた。

ところが、そう意気込んでいったにもかかわらず、台湾の仕事の変更やら、夏休みの同僚の代理で、自分の通常業務ははかどらず。毎日疲れきって帰っていた。やっとの金曜日。7時に会社につくと電話が鳴っている。いやな予感をしながら受話器をとる。台湾の物件がイタリアに獲られたと。

今週は父が検査の名目で入院。ところが突然「手術します」とのこと。具合の悪い母と妹が木曜につきそって10時間半。私はその台湾の仕事に関わる様様な調整に対応すべく行けなかった。

そんなにまでした、この一週間は何だったんだろう。

土日にまとめて父の見舞いに行った。椅子に座って宙を見つめている父に胸を衝かれた。

「大丈夫?」と聞くと「麻里こそ。獲られたんだって」え???なんで知っているの?「どうしてイタリアに獲られたの?」う。そんな難しい質問を一言で。値引きされたの。商談が決まったはずのあとでも。「どれくらい?」わからない。今 商社が再交渉に行ってるけど。「獲り返せる可能性あるの?」あるといいたいけれど、あの調子じゃないね。「麻里 疲れているだろう。早く帰って休みなさい。」

部長と同じ端的な質問に、端的に答える難しさを痛感しながら、それでもしっかりしている父に嬉しさと、仕事のことを考えるとチクリと痛むおもいと。

とにかく、とにかく、疲れた。とはいえ、また明日からどうなるのだろう?父も私も、共に 明日は明日の風がふく、と思うしかないのかも。

<7/15/2001 インドネシア出張

政情不安のため、外務省の海外情勢ランキングでも危険区域とされていたインドネシアに行ってきた。8月の大統領弾劾会議付近になると本当にどう転ぶか分からない。その前に行くべきだろう。

思ったよりは穏やかだった。しかし、水面下では日本人学校が夏休を前倒し、この週末に家族を日本に帰国させる人が多く、帰りの飛行機はキャンセル待ちと聞いた。危ないのは独立をとなえているアチェン。それから大統領の地場であり、経済活動の中心地でもあるスラバヤという。インドネシアと言えばバリ島が真っ先に思い浮かぶが、バリ島にも行ったことがない私の初インドネシア体験は、このスラバヤから始まった。

国際空港から国内線に乗り換えようと出口を出ると、いきなり肌の色が違う顔顔顔が一斉にこちらを凝視した。(色が違うのは、自分の方だ。)ぼやぼやしていると荷物を持とうと迫られるので、「勝手知ったる我が家」のような顔で国内線を探して歩き出す。しかし方向音痴だから、いつの間にかまた戻ってきている。仕方なく警備員風のおじさんに聞くと答えてくれたが、インドネシア風で聞き取れない。また適当に歩き始めると、心配になったおじさんが走ってきて、国内線が見えるところまで連れていってくれた。

どうにか国内線のチケットも買って、いざ乗らんとすると空港税が必要だと言う。時間がなくて、換金していなかったから、慌てて両替所にいくが大きな札しかかえてくれない。仕方なくそのままカウンターで払うと、お釣りがないという。困っていると、カウンターの大きなおばさんは、端数はいいわ、行って、とのこと。税金をまけてもらったのは初めてだ。

やっとスラバヤに降り立つと、商社の現地スタッフが迎えにきてくれていた。ホテルに向かうべくタクシーに乗った途端、「何故、この客先に自分と一緒に行ってくれないのか」といきなりの喧嘩ごし。実は行く前にこの件では、かなりもめたのだが、先に案件をもってきた者勝ち、ということで落着していたものと思っていた。が、現地スタッフは納得していなかったらしい。ホテルにつく迄ずっと説明したが、その日は喧嘩別れに終わった。波瀾含みの一週間の予感。

しかし、一日に数件 一緒に客先をまわっていくうちに、その人は非常に熱心で(現地スタッフは歩合制である)、客からも信頼を受けていることが分かってきた。先方も、汗だくになってパンフやサンプルを抱えて説明している当方の姿に、少なくとも熱意は見とめてくれたらしく、3日目くらいから打ち解けてきてるようになった。家族のこと、出身地のこと、(国民的スポーツの)バトミントンのこと。仕事のこと、職場のこと、客のこと。仕事のことを話す時は、早口でまくしたてるようなのに、自分のことになると人が変わったように ぽつり としゃべる。

最後の晩、毎食インドネシア料理だったから飽きただろう、日本食に行くか?と彼が聞く。いや、やっぱりインドネシア料理でしょう。本当においしいのだ。どこに行くかはお任せします。 彼は、雰囲気のいいところを推薦する日本人スタッフと喧喧諤諤議論していたが、結局は自分のお奨めのアチェン風の店に決めてしまった。話も弾み、食事もついついすすみ、お皿は全て空になった。彼が満足そうにのぞきこんで、あれ?という表情。実まで食べてしまったの?あれ、飾りだよ、とのこと。スープの中にどんぐりのような実が数個入っていたのだが、食べ物だと思って全部食べてしまった。(そういえば、水や食事には気をつけた方がいい、正露丸だけはもっていけ、といわれていたが忘れてきてしまった。どんぐり大丈夫かなあ。)思わず自分も一緒に、どんぐりのかけらも残っていない、きれいなお皿を見つめてしまった。目をあげると、彼が嬉しそうに爆笑していた。(因みに、その日も その翌日も 全くお腹の調子に変調をきたさなかった。)

<6/24/2001 嗚呼 ボーナスの季節

朝、起きたくないという気持ちと、起きなきゃという気持ちが無意識に闘いはじめた頃、不思議な音が意識に響いてきた。段々と覚醒し、よく聞いて見ると、その音は「Mac、Mac、Mac、Mac 以下repeat・・・」。目を開けてみた。それは横にいた彼の囁きだった。

目が合った。「敵」はにっこりと微笑んだ。とうとう心理戦にまできたか。

父の見舞いに行く前、せっかくの休みの日に出かけてしまって申し訳ないな、と思って彼の好きなアイスクリームを渡した。「いいよ、気にしないで行っておいで」。ありがとう。「髪の毛うっとうしいから切ろうかな」。突然話題が変わったが?まあ、いいんじゃない。「スポーツ刈にしたら散髪費節約できるから、それでMac買おうかな」。君のマネージ内でどう使おうと口ははさまないよ。「スポーツ刈だったら、バリカンで刈ってくれる?」。了解、ちょっとの流血を我慢してくれれば。

病院から帰ってくると、涼し気な頭の彼が手を振っていた。この季節、まだまだ心理戦は続きそうである。

<6/22/2001 T.G.I.F.

月曜日に父の腫瘍の手術だった。手術前には家族の承認を得るために、最悪のことまで話さなければならないらしい。かなり大きいのでもしかしたらいいほうの腎臓全摘出かもしれません、心臓も弱っているし、最近大動脈の手術をしたばかりなので出血多量になるかもしれません。いろいろなデータや写真を使って説明してくれる。

手術当日は、会社を休んでまた4時に起きて母と向かった。妹も合流して手術室に運ばれる父を見送る。健康な人で5時間ですから、と言われた。6時間後、先生から呼ばれた。

生真面目な表情の先生が、少しほっとした顔で入ってきた。ほっとした。足もとが緩む。部分切除に成功し、腎臓は残ったとのこと。容器に入れてもってきた腫瘍を見せて、「これがこうかぶさっていたんですよ」。赤黒く、取り出されたばかりのそのものはまだ生々しい。これが悪さをしていたんだ。でも、もう父から取り去られたんだ。

ところが、予後は思ったより芳しくなく、すぐ病室に帰るといわれたのがなかなか帰れなかった。心配で夕方会社を抜けては顔を見に行く日々が続いた。

そして金曜日。彼と見舞いに行くと、父は病棟に戻っていた。良かった。今日はもう会社に戻らず帰ろう。やっぱり 本当は 少し疲れました。これでThanks God, Its Friday!と晴れて言える。

<6/9/2001 父の日

来週にはまた父が入院で、今度もとても大きな手術。部位によっては内臓の削除も同時判断で行い得るとのこと、家族ですら気が重い。本人は、聞こえないorふりをしつつ、沈んでいる。

しかも、いつもなら必ず立ち会いたいと思っているが、こちらも韓国出張。いくら近い隣国とはいえ、こういう時だけは遠く感じてしまう。

父の気持ちを少しでも晴らすため、一週間前ではあるが、家庭麻雀と中華街での夕食を企画した。自分自身 調子が悪いので実現できるかわからなかったが、どうにか薬を飲んで対応。

麻雀は、それまで振りこみ放しの父が、最後 逆転優勝。寡黙の人が、点数を数えながら満面の笑みを浮かべながらポツリ。「佐藤君(我がパートナー君) 勝っちゃったよ。悪いね」。(何故 彼にだけ自慢する???)。

私へのプロポーズの日に突然(彼のシナリオにはまったくなかった)世にも不思議なルールばかりの家庭ゲームにひきずりこまれた彼だったが、最近連勝しており、実は父は密かに闘志を燃やしていたのであった。

「良かったスね。」と柔和な笑みをかえしたつもりらしいが、目はその表情を裏切っていた彼。後で家に帰った途端「悔しい!!!」と叫び声をあげることになる。

そのあと、彼が尊敬する先輩から紹介していただいた中華街の萬珍楼で食事をとって。1週間早い父の日でした。来週の本当の父の日には、残念ながら入院中になってひまうが、もう一度 言おう「お父さん ありがとう だから、早く治って」と。

<6/7/2001 扉を開けて

自己管理の悪さを露呈してしまったようで恥ずかしいが、入社以来はじめて3.5日も休んでしまった。以前なら40度の熱がでようと徹夜が一週間続こうと出勤していたが、今回は気が抜けたせいか、とにかく意識がなくて寝っぱなしに寝た。早く熱を下げようと水をガブのみしてカゼ薬を一回あたり2倍飲んで。一時間に一度は汗ビッショリで着替えをし、朦朧としながらも一日に2度くらい洗濯をしていたようだ(無意識に身体が動いていたみたい)。

木曜日にやっと目が覚めた。浦島太郎状態で、暫く記憶を辿りつつ空を眺めた。伊勢佐木モールに面しているので、営業時間は何かしら音楽が鳴っている。おりしもクレーメルのピアソラがかかっている。自分は何をしているのだろうという想いだけが放心状態の中で行ったり来たりした。

このまま時間が止まって、空を眺めていられたいいな、と思った。

だが、午後には台湾から自分のお客様が挨拶に寄ってくださる。ふらふらとシャワーを浴び、母が漬けていてくれた特大の梅干を5個つまむ。カゼ薬2倍、vitaminC2倍、アリナミン2錠、Royal Jerry2粒。ノリの効いた新しいワイシャツに袖を通し、クリ−ニングからあがってきたばかりの夏物のスーツを着る。窓越しの太陽が翳ってきた。カゼ薬の睡眠薬からか頭が朦朧としているが(いやいや いつものことか?)、それでも行く必要がある。普段は意識したことのない、玄関の「重い」扉を開けて。久しぶりの出勤。

<6/2/2001 開港祭

2週間ヨーロッパから南アフリカ縦断の出張の上司の代理役を言い付かった。自分の仕事でもアップアップの状態ではあるが。

手強い彼がいない時を見計らってたまっていた難問をもってくる商社の担当の方々。そしてまた、こういう時だからか、最後の3日間はこれまた上司と自分の客に豪雨のように振りかかってきたクレーム5件。

2週間、妹の誕生日だけ早く帰った。それ以外はまた終電の繰り返し。金曜日の夜(というか土曜日の朝)、とぼとぼと帰りながら、もう疲れた、と思った。

自分で認めてしまったららそこで糸がプチッときれた。いつの間にか寝こんでしまった。それでも 明け方、横をみてみた。彼がいない。徹夜かな。このまま眠り込んだら起きられないだろうからと、寝ている身体をどうにかだましてゴミを捨てに行く。一応心配なのでmailで「生きてるかい?」と生存確認のmailを送った。だが、戻ってこない。まだ仕事がmailを見る暇がないか、仮寝しているか、生存できていないか・・・。空が白々と明けて行く。8時頃、ドアの開く音で起きる。お帰り・・・。ただいま・・・。双方とも反射的に挨拶を交わし、これまた、次の瞬間には双方とも反射的に眠っていた。

次に目が覚めたのは夜だった。大砲のような音がした。そうだ、今日は開港祭。通りではサッカー観戦に沸くどよめきものぼってくる。海まで散歩しにいこう、と暫く前は約束していたはずだった日。

ふと横を見ると、眉根を寄せて怒ったような顔をして、無心に寝ている君。どっどーん!花火の音がフィナーレに近づくにつれ、彼がぽかっと口を開けた。(アサリのようだ。)そうね。祭りの日は、行かなくても 雰囲気だけでも楽しいね。本当はベランダに身を乗り出せば花火も見られるのだが、起きられなかった私もそう思っただけで、(きっと私もまたアサリのような顔をして) また 眠りに落ちた。

<4/28/2001 我が家で一番元気なヤツ

本当にgoldenなweekである。待ちに待った休み。1週間の出張でたまっていた仕事をこなすだけでアップアップで、一日以外は終電で、CMじゃないけれど「お客さん、お客さん、終点だよ!」と揺り起こされてしまった。今日はもう 寝て 寝た。

読みたかった本を読んだり、勉強したり、HP更新したり、散歩したり。思い描くだけでわくわくする。

書類はもって帰ってきたが開いていない。かわりに横浜橋に行って 汁気たっぷりのハニー・ジュー、ちょっと酸っぱい小粒のイチゴ、白い肌もやわらかな新たまねぎ、それだけで黄色い日溜りのような百合を買ってきた。身体と心にゆっくりとエネルギーを補充しよう。

パラパラッパラ〜。彼の携帯もエネルギーの補充をした途端 進軍ラッパが高らかに鳴りはじめた。いつの間にか船を漕いでいた彼は文字通り飛び起きて慌ててでている。会社から、この調子じゃ 難問かな。 ふ〜。ため息と共に充電器に戻す間もなく、またまた明るいラッパの音。我が家で一番元気なヤツは 疲れきったご主人様にお構いなく ますます元気に鳴っていた。

<4/22/2001 台湾巡り

日曜から高雄入りし、台南、台北、桃園と縦断して、約100名の人と会ってきた。パンフとサンプルと土産で一杯のキャスター。まあ、帰りはカラになるだろうとの予想は大きくはずれて、帰りはお会いした客先のパンフとサンプルと土産でまた一杯になった。

今回のテーマは線材だから、お客さんは伸線屋さん、ボルト・ナットメーカー、眼鏡メーカーなど。素晴らしいゴルフ場をもっている資産家の社長経営する近代的な大工場から、オフイスの2階に自分でつくった伸線機を使っている町工場まで同じ業種でもまちまちだ。技術のマネージャーと一緒に行ったことが喜ばれ、彼の専門でない部分も含めて時間を大幅に超過して議論が白熱する。台湾語を通訳してもらったりもするが、熱中してくるとそれももどかしく、英語と日本語と筆談がそれに加わり、全員が同時にしゃべっていたりする。席をたつ時には、なぐり書きの筆談で判読しにくい元素記号や図が散乱している。

また、あまり製品知識のない客先については4-5社同時に集めて勉強会をしようと呼びかけたところ、蓋をあけてびっくり。3日間宣伝で4-5社が30社70人出席の大セミナーにばけていた。慌てて会場手配や資料の増刷。盛況で2時間半経っても質問が続き1時間延長してやっと終わった。何か商売になりそうなこと、に対する貪欲な好奇心には圧倒された。油のついた作業服のままかけつけた社長と作業員が一番熱心に最後まで食い下がっていた。

5泊6日 朝以外は時間が勿体ないので昼食・夕食時もお客さんと会食しながらの打ち合わせ。だが、いつの間にか台湾ビールから招興酒に移り、高梁酒まででて、乾杯!である。小さな杯ではあるが、目があうとにこっと笑い杯をもちあげて一気にあおって乾杯。そうなると、こちらもにこっと笑って杯をもちあげて一気にあおって乾杯。相手方も喜んで今度は隣の陳さんがにこっと笑って乾杯。こちらもにこっと笑って乾杯。するとその横の李さんが・・・。ほろ酔い気分で「引合書くださいね」と念をおして握手をして別れる。でも、あんなに真っ赤な顔になって覚えているかなあ、と一抹の不安。

工場から工場へ走り回って、喉が枯れるまで説明しまくって、乾杯につぐ乾杯に乾杯して終わった1週間でした。やはり 仕事を獲るって 大変。

<3/19/2001 長い一日

父の腎臓近くに大動脈瘤ができ、通常の4倍の大きさだという。先週水曜から入院、土日は先生との面談と父との面会で終わった。

いつ破裂してもおかしくない。手術して人口血管を埋め込むしかないと頭では理解しても心臓も肺機能も腎臓の状態も低下している中での決断であり、思いは乱れる。

人工呼吸機をつけているが為に、一日に3回各1時間ずつ吸入をしなければいけない母も毎日2時間近くかけて病院に通っている。そんな中で迎えた手術の今朝。

4時過ぎには起きて家を出た。寒さに咳き込む母と、早くつきすぎたプラットフォームで空を眺めた。何もおきず、曇天が広がるばかりだった。

6時間近くの大手術だった。駆けつけた妹とICUの父を見舞い、家にまた戻ったのは夜の8時前だった。

だが気持ちは格段に違った。終わった。1 done. 心配した心臓の合併症もとりあえずなく、無事埋め込み完了。終わった。まだ麻酔覚めやらぬ父の手を握ると、思わぬ強さで握ってきて離さない。面会時間を10分過ぎても看護婦さんはそ知らぬ顔をしてくれていた。

駅からの道すがら、ほっと安堵して信号待ちの時に空を眺めた。月が見えた。強い風に雲が流されていっていた。長い一日がやっと終わったと思った 。

<2/10/2001 進軍ラッパ

先週は3日終電で3日始発。金曜は泥のようにベッドに倒れこんだ。そういえば彼はまだ帰っていない、もう終電の時間は過ぎているけど・・・。無くなる意識はそこで途切れた。

土曜の朝、6時頃ゴソゴソと音がする。彼は徹夜帰りだった。(黙ってみていると)立ったまま無意識に何口かパンをかじり(ちゃんと歯型も残っていた)それからバタンキュー。

朝日が7時に眩しく射してくる(目覚ましがわりにカーテンしていないから)。ゴミは8時までだ。よろよろと運び出しまた1時間眠る。だが、あまりの天気の良さに洗濯物をする。また30分眠る。できあがって干す。(乾燥機もあるが、やはり天日に干したいというのは光合成を欲しがる本能か) 30分寝る。電話がかかる。友達から「元気!!!」ううう。土曜の朝からhigh tentionな人だ。夢うつつに応対し、また30分寝る。新聞の集金がくる。払う(彼の役目なのだが)。また30分寝る。

ラッパの音の携帯が鳴る(こうじさんが入れてくれた彼の会社支給)。か〜っと必死の表情で寝ていた彼が、進軍ラッパを聞いたかのように、突然がばっと起きて走って取りに行った。そのまましゃべっている。段々声が大きくなってくる。昨日のクレームと違う件でやはり出勤とのこと。徹夜明け6時間も経たずによろよろと出社する君。

今日だけはもって帰ってきた分厚い書類も忘れ、仕事をしないと決めている私(どうせあと2日の間にはしなくてはいけないのだが。) ラッパの音に無意識に反応するお疲れの人に、横浜橋に買出しに行って冬の汁気たっぷりの白菜と長葱で好物のすき焼きを作りましょうね。

<2/6/2001 お香の和らぎ

入社4年目で名古屋に転勤した。労働人事という、これまた畑違いの分野で、しかも18から60歳の工場勤務の人達相手に、毎日工場と机との往復だった。3組4交代(1日を3分割し3組で対応し1組は休日)だったが、私達は「甲乙工場勤務、丙は内勤(机上勤務)(即ち24時間勤務!?)」と言われていた。(近くの社宅のおば様方に「あの人 朝帰りが多いわよ」と囁かれいた・・・。作業服で5時過ぎに帰り、何が朝帰りだ!他の人と一緒に8:30にはまた出勤していたというのに!!!!!!と言いたかったが疲れて気力も失せていた。)

勤務環境は良くなく、本社に戻る前には改善した。だが、赴任したばかりの右も左もわからない若輩者には追いつくだけで精一杯の毎日だった。弱点を見られるのが嫌で、熱がでても槍が降っても這いつくばって仕事だけはした。

ところがとうとう40度の熱が3日続いてそれでも下がらず、さすがに自分でも心配になって布団に横になった途端に起きられなくなった。今にしてみれば、もうどうにでもなれと思ったからだろう。

先輩が心配して食事をもってきてくれた。部屋はちらかり恥ずかしかったが、どうにか起きてヨーグルトなどを受け取った。冷蔵庫に食べ物はあったのに食べる気がせず食べていなかった。仕事の良し悪しだけでなく、自分を気に掛けてくれる人がいるんだという思いに安心し、いつの間にか全部たいらげていた。久しぶりに笑っていた。

今は二人とも職場がそれぞれ何回か変わった。それこそ、また違う仕事に変わって、東京に研修に缶詰になるという。無理を言ってアポをもらったのに、こちらこそ会議を抜け出せずに遅れに遅れた。申し訳なく走って走ってかけつけ謝る私。それなのに、「良かったら」とお香が手渡された。和のお香だから微かに優しい香りがする。それまで続いていた心身の緊張がすっとほぐれる感じ。さり気ない和らぎを与えられる人に、いつまでも真似できない香り高さが残る。

<1/28/2001 70歳のお祝い

明日は父の誕生日。妹夫婦の発案で3家族で夕食に。

両親は外食が嫌いで身体の調子も良くないからだめかと思っていたがどうにか連れ出した。大人数が楽しい中華。ここは萬珍楼点心舗。海老蒸餃子、春巻、小包、海老チリ、ねぎ麺etc。いやがっていた両親もさすがに「おいしい」。

気難しい2人の頬がほんのり明るくなった。声がきこえない父と、喉の処置が苦しい母は人が集まるところが辛い。

父が一番楽しみにしたのは「かたい焼きそば」。あまり食べ過ぎないようにセーブして、新しい皿を前に待っていた。ところが、ねぎチャーシュー麺は柔らかいつゆもジューシーな麺。パリパリの麺を期待していた父は落胆もあらわに。

デザートも食べ、しゃべりつくして家に戻る。ちょっと心配になって聞いてみる。と、珍しく父が「とてもおいしかったよ」。でも、麺はがっかりした?かたくなくって。「期待していたのとは違ったけれどとてもおいしかった。やっぱりみんなで食べるといいね。」

うそやお追従は絶対に口にしなかった人。本当にみんなで食べるとおいしいね。今度はかたい焼きそばたべようね。だから元気でいてね。

<1/27/2001 吹雪の客人

キツい一週間だった。ほうほうのていで金曜に帰り着いて服もそのまま眠り込んでしまった。

朝 目が痛かった。どうにか目を開ける。あっ。一面 雪。眩しさのあまりに目が覚めた。心 踊る。

今日は彼の会社の人達がきてくれるという。でも、続々と流れる交通ストップのNEWS。こられないんじゃない?決行するか聞いてみれば?

ところが、この根性のすわった人達は、久しぶりの大雪もものともせずに 吹きすさぶ雪にまみれながら、天狗舞 一升瓶をひっさげてやってきたのでした。

2度目にして容姿・味ともにKing of Cocktail Makerになった新関君。どうもこの眼力は独特だぞと思いきや、演劇で主演をはっていたという飯山君。自分の好きなものをmixしていたらいつの間にか新しいカクテルをつくってしまったKOBA-KEIこと小林さん。ルックスと切れのよさを動物になぞらえれば(密かに私は名づけた)Mr.Dolphinと呼びたい宮崎君。

鍋は楽しい。個性がこれまた表れる。鍋奉行がいない中、新関君の指名で宮崎君がにぎやかにどんどん材料を入れる。だしになりそうな魚介類を先に入れるが、野菜が煮えにくいことに途中で気づく。まあいいや!皆食べ出す。Koba-keiさんはあははっと笑っている。新関君は天狗舞を味わいながら自分の好きな魚介を一本釣。最後の締めはさすがの飯山君。ごはんに卵を本当に良い具合にふわっと雑炊に。なかなか良いチームワークだった。

ところで彼と私は。みんなの作ってくれたカクテルに、鍋に、そしてすっきりとおいしい天狗舞にひたすら舌鼓をうっていたのでした・・・。(何故 お客様につくってもらって満足している???)

吹雪の中 楽しいひとときをありがとう!

<1/24/2001 手作りキムチ

とうとう疲れきって休んでしまいました。そんな中での友人からのTEL。お父様を昨年末に亡くされてから初めてのお誘い。どうしようか迷ったけれど横浜でデート。

旅や知人を通じて韓国事情に詳しい。少しずつ落ち着いてきて。久しぶりに作ったの。 新鮮な白菜にりんごも入ったさわやか手作りキムチをいただいた。電話やmailのやりとりはしていたものの、なかなか会おうと言ってくれなかった。そんな彼女の手土産はいつもより余計に嬉しかった。

<1/21/2001 お国柄

輸出の仕事をしているので、今まで考えなかった(orひとくくりにするのが嫌いだから敢えてしてこなかった)お国柄をつくづく考えさせられる。

あなたがた日本人は、と言われたら むっとくる。私は日本人だけど個人なんだからね!と。でも、商売してみると個人の下を流れる、文化というのかベースというのはやはりあるものだと思う。

たとえば台湾。思いきった値段をだして日本に帰国すると、帰国する私よりも先にその噂の方が広まっていて、他社(国内外問わず)から「本当ですか〜???」とmailが入っている。小企業が多くて、日本でいうアパートみたいなところでpressしていたりして(違う業態も勿論多々あります)、皆が顔を良く知っているcommunityなので恐ろしいほどの情報力。また挑戦意欲の塊でもある。or怖いものしらず。日本人だったら金型からしっかりそろえるところを、力ずくで加工しようとして、割れがバリバリ。それでも100つくれば当たる!の精神で技術をものにしていってしまう。

韓国はシビアだ。情熱的で、興味をもっている間はわ〜っと凄いパワー。情深く、分かり合えるような気がする。でも、商売は商売。次 会う時は、また会えたのをとても喜びながら(本心もあると信じる!)、条件は振り出しから。常に世界にはもっと良い条件があるに違いないと、様様なところに引き合いを投げかける。知と情の微妙なバランスが手強い。

北米は分かり易い。前者との比較でいえば合理的(まあ、この米国人の「理」を理解すれば)。但し条件をきけば言ってくれる方が多い。条件は彼らの購買力の競争力を測るバロメーターにもなるから言わないところも多いが、言った方が次に私達のやる気をはかる指標になると思っているからだろう。また、あとから追加条件もださない。

今 苦しんでいるのは中国。分からない。歴史が長く、本当に大きな国。通商貿易は年季が入っている。やはり一度行った位では分かるという方がおこがましいのか。でも、そうはいっても日々の商売。でてくる担当ごとに言うことが違う。スケジュールは変わる。決める、と言ってから決まらない。延期だという噂も流れる。国が何か言ったとか言わないという話もどんどんでてくる。とはいいつつ、どうにか決まる(決めさせる?)。決まってからも別のspecをだしてくる。 米国人なら 空を仰いで慨嘆するだろう。 Oh my god!

母は中国の青島で生まれ育った。電力会社を起こした祖父のもと、物質的には不自由なく少女時代を過ごした。だが戦争で状況は一転。中国の人が社員他5-60人いた中で、信頼してきた人達から手の平をかえされた。人間は怖いと思ったという。 そんな話の一方で、祖父の財団の中国人奨学生がアメリカからわざわざ調査して祖父を探し出し、10年間にわたって$100ずつ一年に一度送金してきていたとこのこと。本当に本当に有り難かったと。

やはり、個人であって、国民性なんてあってないのかな。と思う私に、ハルビンの会社から金曜日に「土曜日までに回答せよ」との質問状。次週(今週)は春節で休みだからだろう。仕方がない。自分ではできないから技術者に依頼するも、突発事故がこういう時に限って入り、その担当者も「夜中にやります・・・」。体調絶不調だったが、夜中過ぎまでかかって検討してくれた案だから、土曜早朝から関係者を集めて打ち合わせをしてやっと回答した。技術者さんありがとう。あなたのおかげです。 感謝して帰ろうとすると、商社の人からうろたえた電話が。「連絡とれないんですよ。やっぱり春節だから 向こう 帰っちゃったんですかねえ?」

米国人でなくても どこかに神がいるならば、私だって叫びたい。OH MY, G O D!!!!!!

<1/8/2001 三連休

皆さんからいただいた年賀状やmailを見て、カゼと睡眠不測を直すために良く寝て、光合成をたくさんしたくてお布団と一緒にお日様の光の中で大の字になってみた。

巳の日は鎌倉へ。北鎌倉の円覚寺。本当に寒かった。池が凍っていた。まだ朝早く人もいない。きんと引き締まった空気の中で奥まった黄梅院まで行く。蝋梅がひっそりとしだれ咲いている。女性がNIKONのカメラのレンズごしに何度も凝視している。暫くしてシャッターをきらずにそのまま去った。

浄智寺、源氏山、銭洗弁天。

巳を祭るからか、不景気だからか、人だかりの銭洗。普段なら即 敬遠するところだが、巳年生まれの私達としてはやはりはずすわけにはいかにでしょう。今年ひいたおみくじは十年位振りに大吉。やった!!!

おみくじには うたも添えてあった。 われ おもふ 港は近くなりにけり。

嬉しい言葉は激励として、辛い言葉は警句として。とはいえ、警句ばかりが多かった中にあって、一片の紙切れがとても嬉しかった。

途中で寄った甘味処「雲母」で、口いっぱいにきな粉餅をほおばって幸せそうにしている君を前にして、今年 健やかなる一年であるようにと、そっと祈った。

<1/3/2001 欲しかったもの

妹が学生時代に、自分のオーディオを買いかえるからあげるということでコンポをもらった。それから約16年間、5回の引越しを経て使っていたが、とうとう音がならない時が増えてきた。決定的だったのはレコードが聞こえなくなったこと。CDはPCなどで聞けるがレコードだけは他のメディアで聞けない。2年くらいずっと欲しかった。

大晦日、一年を振り返って日記を記していた。思い出は音楽と共に蘇る。頭の中で鳴り響く調べに、急にどうしても欲しくなって買いにいった。もう なかなか普通のお店には売っていない。やっと探し当てて1/3に配達してもらうことに。

久しぶりに 欲しいものを待ちに待つ感覚を味わった。やっと来た。もどかしく開封する。場所はもう空けてある。電源を入れ、レコード針の保護をはずして、準備万端。さて、何をかけようか。何百回もかけたレコード達。どれもが思い出して!と歌いかける。

針をレコード盤の上までもっていって針を落とす。しゅ〜っ。それから金管のバンド。いきなり鮮やかな音が蘇る。

ネットで好きな曲を配信される時代にあって、その便利さもとっても嬉しいとは思いつつ、いつかworn outしてしまうであろう 両親が少ない家計からこつこつと買って聞かせてくれたレコード達を 自分で針を落としながら一枚一枚聞いていくのも やはり捨て難い。

世紀の区切りに 新旧 どちらの良いものも選べる私達は恵まれている。わが身を振り返り、願わくば 選んでもらえる良いものを 欲しいと思ってもらえるものを 自分もまた創り出せるようになりたいと思ってしまうのだが・・・。

<1/2/2001 運を使い果たした男

我が家では両親が元気でいる限り楽しみにしている恒例の家庭麻雀会の日である。

大晦日の日、楽しみにしている父が「でも普段はできないからね。4人集まらないと・・・。もう忘れちゃったよ。」牽制半分、本音半分の嘆息に、彼が瞬時に身体ごと反応した。「お父さん、いいソフトがあるんですよ。」実は彼も密かにこの日の為にPCに向かって練習していたのだった。

かくして30秒後に家からソフトをとってきて実演してみせている。父が見よう見真似でぽんっぽんっとキーを打つ。段段熱中してきて口をとがらして前かがみになってきている。「何でキーを押しても動かないの?」「お父さん、それは、そっちの人からチーとれませんよ。本当の麻雀でもそうですよねえ」「そうか」 いくらヴァーチャルでもルールは現実と同じなのだよ、父よ。お茶をすすりながら思わず笑ってしまった。

今回の麻雀大会は波瀾万丈で、皆がとったりとられたりのシーソーゲームで面白かった。ゲームはすべてそうだが、特に麻雀はその人の性格が如実に分かる。堅実に細かく勝ちを続ける父、一発勝負の大物狙いの母、悲観的な言動でまわりを惑わしながらいつの間にかちゃっかり勝ち、指摘されると恥ずかしげに微笑んで攻撃をさりげなくかわす彼。ふと気がつくと彼の一人勝ちだった。ちょっと悔しげに父が「すごいじゃないの」 言われて照れくさげに「いやあ、それほどでも。 はっはっはっはっ!(笑いが止まらないといった顔) 新年早々 運を使い果たしちゃったかな!」 いやいや、君。こんなことで使い果たさないで欲しい。今年は まだ 始まったばかりなのだから。

<1/1/2001 としおとこ と としおんな

2001年。新世紀 おめでとう! 今年はついているはず(人は何事もいい方に解釈する)の 巳年の としおとこ と としおんな から 皆さんにも 私達にもつきがありますように、とご挨拶。

<12/31/2000 一瞬の火花

覚えている限りの一番はじめの記憶。あれは3〜4歳か。レコードプレーヤーのそばに座って目を閉じている時のことだった。ラフマニノフのピアノ協奏曲2番。ピアノの音が煌めく星のようだった。波うっては引き、漣からうねりへと、まるで漆黒の宇宙を 星を手がかりに遊泳しているよう。

吸い込まれそうだった。ふと気がつくと星からどんどん遠ざかっていっていた。虚無感。もう戻れないと思った。どんなに時間が経つのが遅く感じられようと、どんなにこれから先の人生が長く思えようと、きっと あの星に比べたら自分なんて あっ と言う間もないくらい一瞬の火花のようにしか生きていないんだ。

じじっと微かな雑音のあとで静かにピアノの最後の音が余韻とともに去った。レコードの針がことっと音をたてて止まった。星は去り、宇宙も消えた。私も現実に戻った。

一年の最後の日の瞬間は好きな音楽を聞きながら自分と向き合うことにしている。今年は今世紀の偉大なる音楽家の一人 ラフマニノフをまた聞こう。毎日あがき、もがき、生き続けている私だが、広い宇宙からみれば一瞬の火花のような存在であることを、また瞼に映し出せるように。

<12/10/2000 20世紀最後の夢

前の職場の関係で諸先輩との忘年会。健保で巨大赤字と闘う先輩、新たな会社施設をコマーシャルベースにもっていこうとする先輩。みな、字面だけみれば太刀打ちできないと言っても無理がないような仕事。だからこそ、会うと 盛り上がる!

その中で、由緒ある会社のバレーボールチームを独立採算の株式会社化された先輩が今日のmain。確かにキツそうだった。お会いしてから7年、どんなときにも独自のやり方で、だからといって全体との調和はとりつつ。鮮やかなお手並みに、常に脱帽していた。

御自身が有名なバレーボールの選手だからこそ、会社チームの限界もわかり、業界で先陣をきって思いきった展開をされた。だが、同じ選手の一喜一憂も分かるからこそ 文字通り「身をきられるような辛さ」が分かる方だ。

珍しく、「わしゃ 辛いぜ。本当に。(才能豊かな選手達を)預かっているからこそ。」 いえ、珍しくではなく、初めてだ。

反射的に、思わず口走ってしまった。 「スポーツでも何でも、いわば 起業です。さて、21世紀に 何をしでかしてくれるんだか!」

一瞬、この野郎! という表情をした。思わず迫力に 首をすぼめる。と、突如 相好を崩し、「そうやな、やっぱり。・・・。20世紀最後の夢や 実現してみせるで! 世界に向けて」 ハッハッハと精悍なお顔を大きく動かし笑った。

その姿を同席の先輩が詠み。

苦労と わかっていても 夢をみる /三の坊

<12/7/2000 もしかしたら 今世紀最後の 我が家の珍事件

私は前職場の忘年会だった。彼は職場の忘年会だった。たまたま、二人ともかぎを忘れた。結果、私は夜中の1時過ぎ、彼は2時過ぎ、家に戻ったが 立ちん坊。お互いに、顔を見た瞬間は、「これで家に入れる!」 だが。

二人とも互いの事情でカギを会社に忘れたことが判明しただけだった。

それから近くのCITY HOTELに行くが、空室なし。寒い。寒い。寒い。そろそろ3時過ぎ。なら、会社に行くか。とはいえ、さすがに服を変えずに行く気もせず、結局 なんと 結婚 α年。とうとう、ラブホテルに行ったのでした。

実は ここらへんはラブ・ホテルがたくさんあり、競争率が高いらしく、とても快適で広い部屋を廉価でとれ、気持ち良く2-3時間の睡眠時間をとれ。

おきた瞬間、柔らかな日差しがさし、ローズ色の部屋を無意識に眺め回したのでした・・・。

うちより、きれいで、広くて、きもちいいね・・・。

実家に行き、事の顛末を話し、大笑いされ、温かいお味噌汁をご馳走になり、また 現実に戻ったのでした。

<12/3/2000 いきのいいわいん

鎌倉を何の気なしに歩いていたら、YMCAでバザーがあった。子供たちが一生懸命 ソースのにおいがたまらない焼きそばを焼いているのが微笑ましくて ふらっと入った。

一角に楽しそうに談笑しながら ワインを飲んでいる人たちがいた。近くによると、どうぞ。作ったんですよ。明るい赤。初冬の夕陽日がきらっとプラスチックのグラスの縁に光る。ひとくち含むと ぱあっと ぶどうの味がした。これがCoCoワインとの出会い。

障害者が働くワイナリーで、創立者の意思で「もっともおいしいワインを」が貫かれている。 そのとおり、作り手の思いが素直に伝わる。ひょんなことで、高校時代の親友もお好みとこのこと。新酒の季節にはいっしょに届けてもらうことにしている。

いつもなら一緒に おいしいチーズと、冬の野菜をいっぱい用意して。たとえば。下仁田の太いネギと地鶏の煮込み。皮がかりっとしているにもかかわらず中がとろ〜としたクリーミーなカナダの伯母からもらったカマンベールにナイフを入れる。鮮やかな紫蘇にごまをぱらぱらと、脂のやわらかにのったイワシのたたき。紫のぷっくりとしたなすと赤・黄の厚肉ピーマンに燻した香りが食欲をそそるベーコンのラタツューユ。さあ、活きのいい新酒を、というところだが。

今年は互いの両親がそれどころではなく。各々送りあったはがきを見ながら、乾杯。そのうち会いましょうと約して。

ぽんっ。

いい音。 どんな年でも その年とれた いきのいいわいんは それぞれの思いを清清しく洗い流して 新しい収穫の芳しい香りを運んでくれる。

<11/26/2000 Ballade

彼がマックを売り払っていた。かわりに石丸電気の袋。「やっぱり、Windowsとの橋渡しも考えなきゃね。」と言いつつWindows2000をだしてインストール。何それ?「・・・」 とうとう、マックを見放したんだ。長い恋だったのにね。「まあ、使ってみたらそれほどでもなかったということがわかった。今のマックはね。あ、別に長い恋といっても、そういう意味じゃないよ。あなたとも結婚して8年か。はっはっは!いや、そういうつもりじゃなくて。」

言葉を重ねるごとに墓穴をふか〜くふか〜く掘る君。

1か月遅れの結婚記念日として、サザン(生まれて初めてoriginalを聞いて良かった!)の「Ballade」がプレゼント。

めぐりあえた ときから しぬまで すきといって

さて はて。

<11/20/2000 quality

土曜日は彼の会社の高橋家に、楽しいお呼ばれのはずだった。
おいしいカクテルをご馳走になるはずだった。
ところが。
くすぶっていた品質トラブルで土曜も出勤、その前のアメリカ出張も余韻さめやらずまま。

楽しみにしていたLAの元同僚との会合、長年の友人との食事も間に合わなくてその品質クレームにあたったというのに。

終電ばかりで疲れた。いくら格好よく、「最後まで見届けるのが営業」と言いつつ、やはりクレームばかりの週は疲れた。ぞうきんのようだと思った。

12時前、「シンデレラはそろそろお帰りよ」とおどけて歌いながら 先輩が お先、と帰っていった。「あんたはどうしたいんだよ!」と怒鳴ってクレーム対応でのスピードの速さを教えてくれた人だ。帰りしなに ぺらっと 自分がいろいろメモを書き込んでいる「溶接技術」の本を ぽんっと投げてよこした。

私が製造に関わりたいと思った原点は、少しでも良いものを創り出すだすことにより、一歩前に、自分もともに一緒に進んでいきたいと思ったからだった。今 また思い起こして 一からやろう。

<11/17/2000 代々木の杜に抱かれて

今まであった由緒ある施設を「re-newal」ということで新しい存在に創造するプロジェクトだった。携さわった主管、社内技術部隊、結局最初から最後までお願いした竹中工務店の方々、が一周年を記念して集った。

一人 一人 また一人 見渡すとそこには 議論を尽くした人たちの顔が。 

一年経ったと思えないほど 鮮やかにやりとりを思い出す。美しい庭の使い方に、入った時の第一印象の玄関の素材に、宿泊場所の効率性に、そして 趣味=価値観があって絶対譲れないBarのカウンター。(一応 企業の研修施設なのだが!) 勿論!予算の話も。議論は幅広く そして果てしなく続く。

仕事を変わってもなおこんなに心惹かれる集いなのはきっと関わった方々の思いが深いから。

代々木の杜に抱かれて 久方ぶりに 言葉静かで しかし情熱のこもった会話に酔った。

<10/6/2000 米国出張

紅葉の美しいSeattleへ。クレーム対応でなければ楽しいのに。
それからが大変、朝9時にたってランカスター着は9:30夜。食事をしようとしてもやってないとのこと。 結局ホテルのお姉さんの行き着けの酒場を紹介してもらい、地元のバスケファン集まる怪しげな酒場でビールと脂ぎったからあげ。 翌日は7時にミーティングでピッツバーグ、それからNYへ移動。夜中に食事をして翌朝4時起きで技術者を送り出し。

とにかく とにかく とにかく 疲れました。

でも、やっぱり 製造業は技術屋さん あってですね。

すごい 相手は怒っているのに こちらがデータみせて接得すると 嬉しそう。
共通語は英語 ではなく、化学記号やマイクロスコープの写真でした。脱帽。

<10/3/2000 古希の祝い

これ程 友人の多い人を 私は知らない。

母の7人兄弟姉妹の長姉で、青島から引き上げてきて、女子高をでてから上京、母と二人で妹弟達の面倒をみてきた。とてもエネルギッシュで、それでいて人をそらさぬ誠実さが魅力の人だ。美人でプロポーズの数も知れず、ところが妹弟が結婚し終わるまで独り。そして20歳上の映画監督と結婚した。 二人は仲が良く、海外旅行へ行っては私達にも楽しそうに土産話しを聞かせてくれた。様々な異国のコインや切手を見せてくれ、きれいね、と言うとすぐ気前よくプレゼントしてしまう。田舎のない私達にとっては彼女の家が東京ながら「ふるさと」だった。

中学の時に、伯父が教授をしていた付属病院で癌で亡くなった。本当に暑い夏だった。伯母と母は交代で病院に通っていた。医者には止められていたけれど、あまりの苦しみに 伯母は氷をひとかけ口に含ませてあげた。その時だけはやせ細った伯父がとても嬉しそうに、昔のように優しげに微笑んだ。

それから遺族とのごたごたあり。祖父を引き取り、そして看取った。何かがはじけたのだろうか、ある日突然 カナダに移住すると宣言してまわりを驚かせた。それまで英語も使ったことがないのに。さっさと手続きをすませ、私がやはり留学する年に、いきなりカナダの人となってしまった。バスの乗り方も知らず、コミュニティの英語教室に通い、身体を鍛えるためにジョギングをし。 50代からの第二の人生が始まった。

そして、15年。地元でも沢山の友人ができ、日本からも多くの知人が訪ね、甥や姪は新たな家族を連れてくるようになり、妹や弟は引退して遊びにこられるようになった。 今年は伯母の古希の年。日本中の知り合いからの「会いたいね」の声に2年振りの里帰り。私にとっても「ふるさと」に戻ったようなとき。

<10/8/2000 Buena Vista Social Club

久しぶりにのめりこんでいるのがピアソラの音楽なので、もう少し裾野を広げてラテン系の音楽会、映画を見ている。そして昨日見たのが73歳の「黄金の声を持つ男」イブライム・フェレールをはじめとしたキューバの音楽家達を描いた映画。

音楽で始まり、一人一人の生い立ちや思い出や、想いをはさみながら、生活の場であるキューバからクライマックスはカーネギーホールでのスタンディング・オベーションまでのアルバムだ。

もう歌はやめようと思った。生きていく中で耐えることが多すぎて。若くから才能を見とめられたフェレールが、嬉しそうにNYを歩きながら、ふと一言 語る。政変により「忘れられた人々」だった彼が、年月を経て、それでも音楽を大切に大切に、とびきりの美酒に育て上げてきたことが、この映画が証明している。

監督は あの「ベルリン・天使の詩」の監督 ヴィム・ヴェンダース。自分も いつか あんな風に 微笑えるようになりたい。心に太陽を 唇には歌を。

<10/1/2000 携帯

ビリビリーっと鳴る。お風呂に入っているなあ、と思いつつトントン。慌てて携帯をとる君。身体中泡だらけで一生懸命話しをしている。 何度もやりとり。そして、ちょっとだけ肩の荷がおりたよう。「これ以上はできないから明日にしよう。」

や〜っ 買った 買った 買った!こんな新鮮な秋刀魚買わなかったら、人生 損するよ! そんな掛け声の飛び交う横浜橋の市場に母と買い物。この時間が楽しくて、朝5時に起きて仕事してでも、この市場通いだけは一緒に行きたいと思う。 いつもの八百屋さんに入った時、今日はあまり買わないの、と母。言うつもりはなかったけれど、何か連絡があったらねえ。来週かな、また1〜2週間入院して検査だって。「何、検査でそんなにかかるの?」喉に腫瘍ができているから、その検査。とってくれればいいのに。言外に何故とらないのか、いぶかしむ声音。

帰ってからすぐに、いつもは誰にも知らせない(or面倒くさくて使ってない)携帯の番号を改めて確認する。携帯の有り難さを感じる・・・本当は、感じる必要がなければ、その方が良いのかもしれないけれども。

<9/30/2000 でえと

リッキー・マーティンのコンサート 行ってきました。久方ぶりのでえと です。 最近 コンサート行く気力もなかったのに、彼がすごく乗り気なので思わず手配。予想にたがわず、Excelent!

めりはりはきいているし、ファンは彼目当てなのだろうが、ピアノ、パーカッション、ギター、サックス、トランペット、踊り子、全て一流。しかも息があっていて、みな楽しんでいる!

1曲目から会場総立ち。勿論私達も手拍子を打っての1.5hrs。思わず大きく笑いながら、歌いながら、踊りながら、会場みんなで楽しんだひとときでした。(スタイル抜群の踊り子さん達が闊歩してでてきた 時、彼がいっそう大きな拍手をしていたのは、気のせいでしょうか・・・。)

<9/23/2000 行脚       

5日間で中国・香港・台湾のお客様へ行脚してきた。前回の出張の時には始めに急を要する具体的な目的があったが、今回は顧客まわり。それぞれのお客様との課題を思い浮かべて日程をつくっていった。

香港を通り抜けて車で中国へ。経済特区を抜けると途端に表情が変わる。最終客先の工場まで案内してもらう。全てが細かい手作業で、何から何まで、人、人、人。学校の教科書で習った世界を追体験しているような感覚に襲われる。話しを聞いていると突然サイレン。何だ?なんだ?どどどどど〜っという地響き。災害発生か?いえいえ、お昼なのです。恐る恐る廊下から下を見ると、みな各々の休憩所でお弁当を開いたり、 でも大半は社員食堂と思しきところで湯気のた水餃子を既にぱくついている。一気に息を吹き返し。笑い声と、話し声と、湯気を通して見える身振り手振りに、にんにくのパワーあふれる匂いと。

次の日は夜に車で香港に戻り打ち合わせ。9時まで粘って一応その日の商談はおしまい。それからぷらぷらと夜の香港へ。帰り着いたのは夜中。それから報告書を書いてバタン キュ〜。

水曜は9時からミーティング、ということで下打ち合わせを朝7時から。その前に資料を再読しようと5時起き。窓側のカーテンをいっぱいに放つ。高層ビルが連立する中から、白じらと太陽が昇ってくる。 PCの画面に反射して見づらくなる頃にはもう荷物を準備して出ていく時間だった。

朝のミーティングは相手が30分というところを1時間のアポにしてもらっての始まりが、相手も興味をもっていただいたようで結局2時間。これじゃあ、飛行機が間に合わない!いつの間にかお客様の運転するベンツにのせてもらって最寄の駅まで移動。ところがこんな時に限って事故での渋滞。途中でおろしてもらって、走って走って空港につくのが20分前。当然のごとくクローズ。 おじさん、お願い。この切符 格安航空券だから(社用なのに・・・)払い戻しはおろか変更もきかないの、それに次のアポもあるし。必死の形相に気圧されてか、7-8回の押し問答の末、「走れ〜!」。またも走りました、走った。税関も入国審査も突っ走って突破して、ご丁寧に一番端にある搭乗口まで走って離陸3分前。1週間の出張でyシャツ5枚と下着5枚とサンプル20枚 パンフ20枚、お客様へのお土産は約20個、VAIOはもってきたけれどストッキングも目薬も櫛も化粧水も忘れたこの荷物の少なさが(?)、図らずも幸いしたのでした・・・。

台湾ではいろいろお客様の客先の工場を見せてもらった。中国とは全く異なり、OEMの経験が現在の技術の肥しになりつつあるのが良く分かる。沢山の会社を回り、それまで書類上でしかやりとりしたことのない会社の「顔」が見えてきたのが嬉しかった。

文字通り オフイスと工場と工場と工場とホテルと飛行場の往復でした。途中"no time for lunch, just let us try quick one"ということでお客さんの近くの定食屋で食べた水餃子のおいしかったこと。

人と人と人と人 の出張でした。とっても疲れたけれど、会った方々の顔が思い浮かぶ(or食べた料理の香り?)出張でした。

<8/17/2000        贅沢

波乱の先週のおかげで、今週は名目は夏休みだけど実質上は自宅待機。

本当は上高地に行って 辻邦夫の本を読みながら 彼の足跡を辿ろうか と思った。または、鈍行に乗ってどこまでも汽車の旅。前のように 思い立って 好きな駅で降りたって。きっと、そこは 海が見えるところ。いろいろ思い描いていた。

しかし、商売が心配で、結局はこの3年間故障していた電話は留守録の為に買い替えたし、今まで携帯は必要ないと思っていたがPHSにも加入した。常に気になって家や病院の往復のみ。

何て退屈な、と思われるだろうが、ところがどっこい、こんなに家にいる時間が長かったことは ここ十数年なかった。家中を掃除して、入社当時の研修の資料を見つけだし、まだそれを読んで新鮮に感じる自分に恥じ入ったり、せっかくだからとお布団を干して、ついでに奥にしまっていた風鈴を飾って、ちりりん ちりりん。畳の上に大の字になって空を見上げると、入道雲。伊勢佐木町をあがってくる人の声、蝉の声。

書棚を片づけると、聴いてみたかったCD、観たかった映画、行きたかった音楽会、読みたかった本の切り抜きがでてきた。触発されて、本当に久しぶりにぴあを買ってきた。いつもは、どうせ行かれないからと諦めて見もしなかったが、頁をめくると 心躍る。初めて知ったリッキー・マーティンの来日コンサート、NYCBのウエストサイド・ストーリー。横浜で催されるHabana Night Show。

したい と思い巡らせることができる この 時間。これが、本当の贅沢。

<8/12/2000        波乱の一週間が終わり(?)

急転直下 ジェットコースターのような毎日でした。

歯ぎしりをして目が覚めた。終電で帰って、疲れて、悔しくて、泣いて。まだ 時計を見ると2時間しか経っていないのに。

それでも、見上げる空が青かった。(注:我が家は目覚まし時計以外にも起きられる仕組みをつくるべく、カーテンをしていない) 空が青いなら。

バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲をかけて、熱い紅茶を淹れようとお湯を沸かしつつ、朝陽に向かって大きくのびをした。

(次の一週間は どうも 自宅待機となりそうな。。。)

<8/6/2000        一瞬の夏休み

彼の祖父母が倒れた知らせを知っていたので、今年は大分に帰りたかった。だが、どたんばで夏休みがキャンセル。

金曜日に夜行で帰り、土曜早朝に着。日曜に発。無駄に見えるだろうが、会いたくて帰った。

どこん どこん ぴ〜。夜中に時々止まる駅で、自分が車中にいることを認識する。

どどん。がた。みし。止まった。どこだ?下関。ここで5分止まります。お弁当やうどんの欲しい方はどうぞ。

外の緑に心奪われつつ、腹時計には逆らえず。駅弁と焼きちくわにかぶりつく。 とても とても 嬉しそうな 彼の顔。ああ この どらえもんのような笑みが 一瞬でもいいから続いて。

そのまま、市内からお父様の車で佐賀の関へ。

入道雲。 青い海。 霞む対岸の島々。

何もしなくていいからね、と言ったのに 分けてもらったという地蛸の刺身。急いで作った自家製のところてん。次々とでてくる。席に座らずうろうろする祖母。そんな祖母を気遣い、眼差しは追いつつもあえて手を出さない祖父。

まっ青な空に 海に おいしいおばあさまのところてんのつるりとした感触に

再会の抱擁に 冷たい海に やさしく霞む島々に

全てを忘れて 満喫した 夏

1泊2日だけど 私の 大切な 夏休み!

(そして彼にとってもそうでしょう! Dance dance revolutionを10才下の妹とやりあって、筋肉痛になりつつ、それでも会社の携帯電話だけは離さず お腹をだしながら 小学生のように眠り続ける君…。6才の従兄弟 かっちゃんよりも 夏休みを満喫してますね…) 

<7/30/2000        走る雲

白い 白い 沢山の雲が 真っ青な空を駆け抜けていく。ああ、見ているだけでわくわくしてしまう。もっと早く。もっと沢山 風よ吹いて。

と思ったら、ぱっちりと目が覚めた。窓越しには夢と同じような真っ青な空。

昨日は誕生日だった。35歳だから、四捨五入すると40。何だか、とても大切な区切りのような気がして、自分なりにanniversaryとしたかった。だからどうやって過ごすのか、いろいろ考えた。

考えているうちに、彼の会社の方々が遊びにきてくれるという。やっぱり皆でわいわいできたら、それが嬉しい。じゃあ、やっぱりラテンのノリでTacosで。

皆、肌の色も褐色でみるからに夏。まるで向日葵のように明るく華やかな高橋先輩(怒られそうだ、こう言ってしまうと年が分かる?)、野毛から引っ越して遠くなってしまったこうじさん(彼が悲しがっていました/どういう関係なの???)、サーファーのようなルックスで初のカクテルを振ってくれた杉本さん、高橋さんと私の為に「Last Kiss Sugimoto Ver.」つくってくれて。でも、何故かこうじさんが飲んで批評していました…。これまた初のカクテル作りに挑戦の新関さん、作る毎にうまくなってくる。最初は「どうやって作るんすか」。最後には「こんなの、誰にでも作れますよ」。いきなりの余裕の発言。怒濤の如くふってくる先輩達のリアクション。

お誕生日だから、とドン・ペリニヨンのシャンペンをいただいた。繊細な泡ときりっと冷えた爽やかさ。楽しいおしゃべりが続く。

寝ようと思ったら、母からメモが届いていた。

お誕生日 おめでとう

人生が旅であるならば 毎日が晴れでありますように

私にできることは 唯 祈ることだけ

私を生んでもらった この大切な日に 沢山の人と過ごせて、とても嬉しかった。きっと、私の好きな走る白い雲の夢をみたのも、きっと そのせい。ああ、佳い一年になりますように。

<7/23/2000        Tacos Party

彼の後輩が婚約しました。フィアンセをお会わせしたくて。親しく、何度かお会いしていた人だからとても嬉しかった。

じゃあ、気軽にしゃべれるように、それに夏だし。Tacos Party。去年、行って食べておいしかったメキシコ料理。タコス。チリ。アヴォガドのディップも作ってトルティーヤと。

彼女は桜色のワンピースを着て美しい。だけでなく、たおやかな中に芯のしっかりした自分なりの意見をもった素敵な方。彼は、阿部寛に似ながら、ご両親を早くに亡くされたこともあり、皮肉っぽい話し振りをしながら、実はとても誠実に自分の仕事について考えている。

こんな後輩がいるなんて。とても嬉しいこと。私達も負けずに頑張らなきゃという思い。

<7/16/2000        あいてぃ

友達から何度電話しても通じないと苦情。ま、それはそうだ。そもそも家にいないからなあ。いえ、そういう問題じゃなくて携帯そろそろ持ってよ。

電話機は4台ある。結婚して3年は別居だったので多くの結婚祝いが電話機だったから。引っ越しを繰り返すうちに少しずつ壊れて、でもせっかくいただいたのに捨てられずに全部もっているが、録音機能もなかったり壊れていたり。

PCは7台、デジカメも2台あるのに、何故か携帯電話はない。 (あまり関係ないけれど、段々書いている内に不思議になってきた我が家のモノ…)時計も7つあるが、動いているのは3つ。そのうち実際の時間と一番近いもので約5分狂っている。結局、朝起きると時間を確認するためにTVをつける。ゲーム機も先日買ったPlay Stationがこの34年の人生で初めて。 (レコードやCD等は200枚以上あるのに)オーディオは15年前に妹がSony製品に買い替えた時に譲ってもらったaiwaと、1980円及び980円のラジカセが各1台。

通勤途上は疲れて寝ているか、本を読む貴重な時間。殆ど職場にいるからmailもinternetも電話も四六時中そばにある。消化しきれない情報を常に抱えている思いばかりだから、歩いている時などの移動時間くらいはぼーっとしたり考え事をしたい。だから携帯電話の必要性を感じないのだろう。とはいえ、使わないのと使えないのとでは大違い。そのうち試してみるか。

いつの間にかTVの番組が「これからのIT産業」に変わっている(いえ、誰かさんが変えている)。「そのうち携帯電話にもチタン使われるんでしょう、そうしたらやはり営業としては<<当然>>使わなきゃね。僕も貢献して2台かな。」 この人は…。何故か、こういうことだけは、妙に、実に妙に鋭い…。

<7/15/2000      嬉しかったこと

ゆっくりと温めようとしていたプロジェクトが急に進展して、以前出していたサンプル材を使って試験をして来週にはメーカーの一次選別、とのこと。あまりの動きの早さと自分の見通しの甘さに唇をかむ。自分がユーザーだった時、何を相手に求めていただろう?技術者の先輩にお願いしていた調査を何とか中間レポートという形でまとめてもらい、打ち合わせを申し入れる。だが今週は時間がないと断られる。ところが、彼のレポートを読んだあとに興味を惹かれたらしく、来週ならとの返事。やった!

選抜に残れば次なるサンプル注文。返答を待っていたのでは希望納期に間に合わないので、受注できる前提で見なし注文を入れる。それでも先方言い値の納期には間に合いそうもない。頭を抱える私に、先輩がひとこと、「それで、どうしたいの?」 どうしたいか。伝えるとその場で電話をとっていろいろと指示を出す先輩。上司からは工場長に口添えしてもらい、工程調整のマネージャーへは電話で20分縷々説明、お願い。やっと、間隙を縫って滑り込ませてもらえることに。今日の夜中なら空いているよ。でも技術スタッフの立ち会い必要。自分の担当でもないのに、若手の技術スタッフが自らの仕事を中断し、夜中から朝7時まで立会してくれた。

何ひとつ自分の力では成し得ない。だけど、そのプロジェクトの大切さを理解し、「none of my business」といっても誰も責められないような状況の中、プロジェクトを成功させるが為に無私の+αを臨機応変にやってくれた。勿論 仕事は結果ではあるが、ここまでやってもらったなら、悔いはない。この人達と一緒に仕事のできで良かった…と思えたのが、お客様と社内とでサンドバック状態になってすり切れている私にとって久々にとっても嬉しかったこと。

<7/9/2000      恋い焦がれる気持ち

息も絶え絶えに、走り乗って間に合った終電。一気に疲れて危うく乗り越しそうだった金曜日。でも、金曜日。この一週間の知恵は蓄積して、苦しみは忘れたい…。というのはなんて都合の良い話し。

土曜日は起きられなかった。とにかく爆睡。日曜日に目が覚めた。家の中を片づけて半日。洗濯物をぱんぱんと干しながら暑い日差しに顔を向ける。台風一過の青い空。びゅーっと白い雲が一筋。ああ、夏

急にじっとしていられなくて、母と一緒に近くの市場(とはいっても今日は日曜日)に駆けつけて。何軒もある果物屋を全部まわって、西瓜探し。これっ。たたくとぽんっという音。本当はもっと待った方がいいのは分かりながら1時間ほど冷蔵庫に。外は冷えて中はちょっとぬるい西瓜にくらいつく。

頬に西瓜の種をつけながら、眺めた青空。夏、夏、夏。この待ち焦がれる心浮き立つ季節。

<7/4/2000      励まし

仕事上ではサンドバック状態。まあ、昔から打たれ強いとはいえやはりこたえる。そんな中、一瞬の喜び。MMMを読んでいただいている方々から、何故か励ましのお便りが。

風の自由 太陽の灼熱 大地の健康 星の永遠

それらいっさいのごとく 形体の束縛を逸して 恒久の苦悶に耐へ 歓喜の大道を歩め. 白鳥省吾

なんで分かるのでしょう?私のVitamine Cとして有り難く気持ちをいただきました。Net犯罪だとか、また現実の世界でも(netも現実です)様々にイヤな事件が多い中で、まだまだ人の情けや優しさに触れると、自分も柔らかくなれそうです。私も嬉しかった洒落たmailを、いつか他の人にだせるよう自分を磨きたいと思いました。

<6/17/2000      とき

会社に行こうと朝5時に起きるも身体が言うことをきかない。7時にセットしなおして、飛び起きて駅へ。はあ。慌てすぎて財布も定期も忘れている。雨も降ってくる。ああ。何故、土曜日の朝なのに!!!

何だかつまずいた気分で、家へ戻って朝食をとり直し。そのうちに居直って部屋を掃除して昼過ぎ。それから仕事を始めて。材料足りないけれど、ありあわせで。スケジュールを組んでいるとやり残したことが多くて焦ってくる。ふっと目をあげると時計。

この時計、彼の先輩の吉田さんがハワイ旅行のお土産に贈っていただいた。陶器に"Who Cares?"という文字と3時を示す数字。その他の数字はみな 下に落ちている。いただいた時、あまりのユーモアのセンスの良さに脱帽。今はそれが一瞬の息抜き。いつも追いまくられて追いまくられている中で、Who Cares?といい放てる位になりたい。この時計に向かって思わず笑いながら、とき と 時機をmanageすることの難しさをしみじみ噛みしめた。

<6/11/2000      残念ながら

自分の得意領域をのばすべきか。苦手分野を勉強するか。ちょっと、相談したいのだけど、と前置きして眉根を寄せながら深淵なる話題をとりだした君。まあ、一般論としたらそうでしょう。「じゃあ、僕だったらC++だね。」「へえ、そう。」「バージョンアップの案内があるんだ。」「…。会話は全てここに収束するわけね。」「目的のない会話なんてないじゃん」「夫婦でも?」「ううん…」

ということ必死に攻勢をかけてくる。ボーナスの声が聞こえる時期に、危うく先行投資としてノミネートするか、と心動きかけ。ところが。何と彼の他の出費があまりにかさんで、結局ボツ。仕方ないと肩を落とす後ろ姿に向かって、残念ながら今回は、と声を消して語りかける。でも明日があるさと思いましょう、お互いに。

<6/4/2000      いしもちさん

かなり痛そう。突然の彼からの電話。そして、中央病院だとのこと。会社からタクシーを乗り継いで病院に行くと、寅さんのような先生。「ストレスですな。なかなか石の形がしっかりしていますよ。」何を褒められているんだか?

病名は尿道結石とのこと、ギリギリまで我慢して、やっと半分はとれて、半分はこれから粉砕。ほっとした彼が、見舞いにきた妹に「(北海道出張のお土産)いかイカったかい?」

これなら、もう十分回復しているでしょう。とはいえ、いしもちさんは大変です。この手術や検査の間にふっと気持ちを切り替える必要があるかも。(そして、それは言っている私自身にも当てはまると分かってはいるのだが。)本当は今日職場の皆さんとBBQパーティーだった。気にしている。大丈夫よ、上司抜きの方が楽しいのよ。そんなの気にしているから“石もちさん”なんじゃない?「えっ焼肉食べたかったなあと思って」。まあ。これならいいか。

<6/1/2000      韓国出張

初めての海外出張。緊張した。なにせ、まだ海のものとも山のものとも分からないプロジェクトの為に、技術者に頼み込んで一緒に売り込みに行ってもらうのだから。しかも韓国語はできないし。

無我夢中だったが、先方も同じ年代の研究者。非常に優秀で合理的で、会話は英語がベースで韓国語と日本語が飛び交い。休み時間にはにかみながらする自己紹介と、議論中の真剣勝負と。双方ともに自らの仕事にかける情熱は同じだから、分かりあえる瞬間があり、戦う時もあり。また、同行してもらった先輩の技術者も。皮肉屋かつ好奇心旺盛かつ実力があってそして誠実な方。あまりにもはっきりと率直に言うので先方も(当方も!)当惑しつつ、いつの間にか信頼感が芽生えていた。  

とても刺激を受けた出張でした。そ・れ・に、食事のおいしかったこと。アポの前に近くの食堂に入って食べたきのこ鍋、研究者と一緒にいただいた彼ら御用達の焼肉屋のプロコギ。キムチの野菜もみずみずしく。

今回の出張のうれしさは、人との出会いの喜び、今まで知らなかった隣国の魅力発見。そこで羨ましがっている君も誘って、いつかおいしい本式の焼き肉を食べに行きましょう。(とはいえ、家の近くの野毛にも沢山ありそうだから、Mr.ダンディ・野毛もお誘いしてパスポートなしの韓国探検もいいかもしれません。皆さん、横浜にも以外と/orやはり韓国料理の店が多いのですよ。)

<5/29/2000      げえむの効用

今日の北海道出張もあり、また4月から若干仕事の内容も変わり、いろいろ考えるところがあるのでしょう、珍しく食欲がない彼。考え込んだ雰囲気。お、珍しいゾ。

それとなく話しを聞き出し、苦労のモトも分かりはするが、お互いストレスがあるし、勿論代わることはできない。何とか元気づけたくて、こうじさんの話題をのぼらせたのが発端。すぐに活き活きとした眼差しでplay stationについて熱く語る。

さっきまであんなにしおれていたのに…。ああ、ほだされて、気が進まないらしい出張前のこの週末、私には珍しく衝動的にplay stationの購入を肯えてしまった。その時のぽっと灯火の点ったような笑み!

善(彼にとっての)は急げ。ところががどっこい、どこにもない。へえ、疎い私には分からなかったが今でもなかなか入手できないよう。結局横浜まで足を延ばしてやっと見つけた。

ツツツツツーッツツーッツツー。軽快なリズミと難しいテクニック。使ってみるとなかなか面白い。お互い、時にはふっと異次元に迷い込んだように思わず己を忘れさせる、げえむに熱中することもいいかも。

出張から帰った途端、清々とした表情で「ghost in the shell」を鼻歌混じりで、でも手だけはカチャカチャと忙しく動かす君。昨日の「青菜に塩」状態からあまりにも違いすぎる…あの姿はplay station購入の為の戦略だったのか…。(私の精神の動きを見透かされていたような or いえいえ、やっぱりこうじさんの影響 大!ですね。)

<5/14/2000      母の日

正月に喉を手術し、今は器具を入れて話せるようになっている母。こんな機械に生かしてもらいたくないと言われるたびに、心痛む。

小学校低学年の頃、日曜学校に通っていた。あの頃は宗教を意識せず、ただ、いろいろなイベントが面白かった。母の日には、ペーパーフラワーのカーネーションを贈った。不器用な私が作ると、何だか薔薇(下手するとチューリップ)に見える。いつもは、いろいろ率直に批評するのに、この時だけは嬉しそうに笑って、「麻里、ここを広げると葉がふくらみをおびるのよ」と言って、素敵な花束にしてくれた。

今日は母の好きなミュンシャのマグカップにお日様の幸せを凝縮した黄色のバラを一輪。気を使わなくていいのにと言いつつ、お気に入りのアンティークな一輪挿しに飾って、早速 父に自慢している。ああ、そんな姿を見ることができる幸せができるだけ長く、長く、長く、続きますように。

<5/13/2000      焦燥

ずっと管理部門にいて、営業に移って、基本部分が分からず、自分が目指したoutputがだせずに焦っている。どんなに遅くまで時間をかけてやっても、早く帰ってきて家でデータを研究してみても、お客さんと直接話しができない隔靴掻痒の感や自分へのやりきれなさが苛む。

とはいえ、以前からそうだが一日の自分なりのけじめをつけるために、必ず終電では家に帰るようにしてきていた。彼もそう。ところが、先週は彼も家に帰らない日があり。(仕事で帰れなかったようとmail有り。かわいそうに、別に気を使わなくてもいいのにね。) かなりこれは大変なんだなと思いつつ、「終電+始発」の我がパターンとどちらがいいかしら・・・ と朦朧とよろめきながら今朝も出勤。

さすがにこの週末はダウンでしょう。本当に寝ていましたが、夜になるとちゃんとこうじさんから借りたDVDをセットしてスタンバイ。ご満悦。Fifth Element。画像も音もきれいで、ストーリーもアップテンポで。私は家事をしながらだったので、また見たいと言うと、「プレイステーションがあればTVで映せるよ。」最近話しがでないからあきらめていたかと思いきや。そうね、焦ってばかりいないで、時にはうーんと気分転換でもするつもりでゲームもいいか!・・・と思った瞬間。きらりと光った彼の視線。

相手(顧客)をその気にさせる術その一。雨が降ろうと、晴れようと、相手の設備(DVDやソフト)があろうとなかろうと、いつも全て自分が欲する(プレイステーション)話題に集結させ、最後は ね、やっぱりいいよね、と焦燥を胸奥底に隠しながら笑顔でしめくくる。ああ、その手が読めながら、それでもひっかかってしまう私のような顧客がいてくれれば、我が商売も楽なのだが???

<5/6/2000      VANCOUVER

あんなに元気だった叔母が癌で苦しんでいる。カナダ留学時代にとても世話になり、いつも大声で笑ったり叱咤激励され元気を分けてもらっていたのに。無性に会いたくて、退院してしばらく経ったGWにたった3泊4日という短期間だったがVancouverにとんでいった。

卒業時に行ったのが最後だから12年振りだ。空港も新しく大きくなり、ダウンタウンも高層ビルが増えていた。スカイトレインも延びて便利になっている。以前いた時は1986-87だから不況で、社会保障の厚いこの国には人口の割に思いがけないほど多くの失業者がいて物乞いをする姿もよく目にした。今回は、前ほど目につかなかったし、ダウンタウンを行き交う人々の服装も心なしかカラフルに感じる。

そんな変化はあったけれど、ひんやりとした緑の香りを胸いっぱいに吸ったら、一瞬にして12年前に戻る。空港に2人の伯母と叔母が迎えにきていて・・・。だが、今の叔母は病気の為に毛もなくなり、きつそうな表情で手摺りに寄りかかっていた。私たちの姿を目にする。と、ぱっと昔のとおり大きく口をあけて笑って、大振りなゼスチャーで手を振る。途端に身体がひきつれたのか顔をしかめて、今度はゆっくりと「おいで」の合図。思ったより元気そうで、12年前と同じ仕草をする彼女に、私にとって大切なVancouverの思い出はこの2人の叔母達に在ることを知った。

<4/10/2000      春の桜の集いとは

大分県人会をしましょう、と先輩から嬉しいmail。人事にいた頃、組合の方と同じ部の先輩が大分県出身で、たまたまの宴席でお国自慢に花が咲き、我が「幻の夫」も大分出身であることにかこつけて4人をもって発足。二回目の今回は元組合幹部の方も参加。面白い顔合わせでありながら、とても気持ちの良い時を過ごせるメンバ−である。(*注 余談ですが、会社における私のプライヴェート・ライフに対する噂があり、「本当は結婚していないのでは?」「一緒に済んでいないのでは?」とのこと。それで彼は「幻の夫」と名付けられた時期があった。それにしても何故なのだろう・・・?)

千鳥が淵をそぞろ歩き、まだ4分咲きの夜桜を仰ぎ見る。花を愛でる機会は本当に久しぶりだ。歩きにくい程混んでもなく、といっても屋台有り、宴会グループ有り。ちょっと肌寒い微風にのって祭りのあのわくわくする空気が流れてゆく。ほの明るく照らし出された桜を見ていると、思わず力んでいた心がゆるゆると花びらのように開いてくるのを感じた。

ゴールは和食店にて美味なる焼き鳥に冷酒。思わず、日本人に生まれて良かった、と吐息をもらす瞬間。先輩達との話しもいよよ弾み、職場や立場が異なっても、或いは異なるからこそ忌憚なくアドヴァイスを仰いだり、他愛ない話題が新鮮だったり。春に桜が咲くことで、素敵な集いが生まれる。嬉しい一夜だった。

<3/4/2000      芋煮会

とうとう、こうじさんの芋煮をいただいてしまいました…。

正月に「食べたい!」「では、いざ」とのお言葉を、ちゃんと実行してくれて。二人だけでいただくのはもったいないから、じゃあ、職場のみんなと。ということは…。掃除もしなきゃ(いつもしていればいいのにね)。

結局、掃除は時間通り終わったものの、皆が集まるはずの時間ぴったりに買い物から帰った始末。一応、少し焦ってドアを開けると、そこにはこうじさんの広い背中とおいしそうな香りが!!! 思わず嬉しくてなり、まずはサラダを作ろうと段取り(厚かましいにもほどがある)していたにもかかわらず、身体は反対に春・春・春の真黄色のチューリップを活けてしまっていました。

この天気に半袖で登場のなかなか奥深いTakanoさん、薬学部出身ながら「きゅうりなら150分割/分できますよう」とのたまうエネルギッシュなIdeharaさん、今風のルックスと何にでも思わずのめりこんでしまう真剣さが魅力のNizekiさん、そして今日の主役「山形の芋煮」マスターのこうじさん。

個性豊かな同僚との楽しい語らいに、また販売されたばかりのこうじさんのPlay Stationを見られて彼は興奮もさめやらず結局明け方5時近くまで起きていたよう。いい同僚に恵まれて良かったね。これならPlay Stationもやっている暇ないくらい会話がはずんでしょうがないね!うん!と反射的に応える語尾を飲み込んで、でもやっぱりPlay Stationはいいね…と客観的に聞こえるような声音で返す君でした。

<2/27/2000      こんだら

母が退院した途端、意識していなかったつもりなのにほっとしたのか、彼のカゼをめいっぱい受け止めてしまった。それは思い起こすと水曜の明け方、突然くしゃみがでた。どうも先週からゴホゴホしていた彼ではなく自分らしい。いやいや、病は気から。今日も5時起きでいこう!

気力で行ったはいいけれどそれからくしゃみ、鼻水、鼻づまり、頭痛、腹痛、熱39度、さめやらず。身体はついてこない悲しさ。先週の出張がたたったのでは?という声を聞きつつ(or反発しつ)、2日間汗をかきまくり、どうにか今日は気力で起きた。と、彼が「えっ」という顔をしてあわてている。何を隠そうと?そういえば昨日「ヤマギワに行く」と言っていたような。

本当は、母の入院で気苦労させたかもしれないから欲しがっていたPlay Station見に行きましょうか、と言おうかと思っていたけれど…。「何それ?」「KONDARA」「何だら かんだら こんだら?」 Linuxの暴れん坊。生意気そうなペンギンがしてやったりと得意げなポーズで挑戦的に構えているパッケージ。装備するのに1日間、独り言を言ったり、ニンマリ笑ったりしながら、どうも静かだと思いきや、そういうわけだったのね。慌てて説明しだす様子が何だか微笑ましくて、それ以上は追求せずにまた布団に戻ったのでした。

<2/20/2000      いろいろあって

1/1付けで営業に異動。何やかやと歓送会をやっていただいて、帰りに実家に顔を出すと、母が呼吸ができなくて桜木町の夜間救急病院に行ったとのこと。できるだけ早く手術を受けるように言われて帰された。2−3日中にはどこか病院探して行くわ。青白い顔をこわばらせて、でも私を心配させまいとして微笑もうとしている。

気になりながらも疲れてすぐに眠りについた。と、リーン、リーーンと夜中にけたたましい音。ドアを開けると父が「ママが息をしていないみたいなんだ」。それから翌日着るつもりだったスーツをひっかけて、顔をみて、すぐに救急車を呼んで。朝3時30過ぎ。救急車がきたのが4時前。だが、どの病院も引き取ってくれない。段々焦っていく救急隊員。30分を過ぎても誰も引き取ってくれない。母は息ができず、真っ赤になったかと思えば段々冷え切っていく。どこでもいいから、お願いです。泣いても仕方ないのに、涙がどまらなかった。

やっと市立病院へ。そこからいきなりICU。2週間以内に相談の上、喉の切開をするとのこと。とりあえずそれから新職場へ。自分が何をやっているかも分からないままに1日過ぎた。

翌日の昼、社食で遅い食事を済ませてかえると、家から電話。今から切開手術とのこと。どうして急に?医師に問い合わせて結局やるしかないのは分かった。でも、「今すぐ」とのことで立ち会うこともできない。輸血の準備もしました、あとは任せてください。「任せる」ことの意味をこの時初めて痛感した。

結果としては成功。喉を切開すれば、もう声も出ない、と言われたけれども器具を入れて1か月後の先週に退院できた。本人も苦しかっただろうし、まわりも辛かった。だけどやっと、やっと退院。フリージアの鉢植えをプレゼントした。明るい日差しのような香りを運ぶ春の花。私達ののぞみ。

仕事も全く経験のない営業で一秒一秒が知らないことの連続で、とにかくメモしまくって分からないことは聞きまくって。「プライドは捨ててはいけないけれど心の奥にとりあえずしまっておいた方がいいよ」と上司が開口一番。とにかく今は早く立ち上がること。

昼はそう思い、夕方はダッシュで病院へ。夜と早朝は会社でとったメモをにらんで自分の日誌をつける。そしてその合間に断りきれない歓送会があって、有り難い忠言、応援のスクラム、う−ん蝶々まで!

今週は早速2工場に出張。帰りにねぎらいの気持ちを込めて彼と京都で落ち合って本当に昨年末以来ゆっくりとした。疲れて二人とも眠りこけました。なんて、平和な週末。この2か月、ずっとAM出勤、PM病院が続いたので、静かな週末を満喫しました。やはり、言い古されていても、とにかく健やかなることが一番。お互いの両親、MMMを訪ねてくださった方、友人、そして自分達の健康を京都の寺社でお祈りして参りました。

<1/8/2000      祝い

彼が尊敬する先輩と奥様と4人で中華街にて会食。

近況や今後の抱負に、若輩ものながら二人して乾杯。そして先輩に少しでも近づけるようになりたい、という思いを込めてまたまた乾杯。エネルギッシュな奥様の更なるゴルフの上達をお祈りしてまた乾杯。

<1/2/2000      集い

とうとう、名前だけしかしらなかった彼の同僚の「こうじさん」にお会いしました。

素敵な赤と白のワイン持参で登場。格好良すぎ。山形出身のこうじさんの家の正月料理、大分出身の彼の雑煮、様々に話しは進んで、2000年の乾杯にかこつけて幾杯。

元旦の朝、目の下にうっすらと隈をつくりながら、「今日は、こうじさんを越えた!」「へえ、何を?」「秘密」「言葉にできないようじゃねえ。」「えへん。ふふ。それはね。」と言っていたプログラム。鍋をつつきながら、こうじさん、あっさりと「それ、BUGありますよ」。その指摘に、こうじさん帰宅後、片づけも早々にPCに向かう彼。こういう関係、羨ましい。冬の寒さを吹き飛ばす鍋は人の集いを誘うもの。次は、山形の誇る「芋煮会」しましょう、との帰り際の言葉を実現したいですね・・・。

<1/1/2000      始まりに

2時頃に寝たはずなのに、今朝はちゃんと6時に目が覚めた。外をみると空が赤くなり始めている。うん、曇ってはいないようだ。これはさい先がいい。2000年初日の出。見にいってみようじゃありませんか。

今年は声をかけると彼もちゃんと目を覚まし(去年は起こしても起きなかったのに、置いていかれたと恨んでいたから?)、寝ぼけてよろめきながらいきなりGパンをはき、二人とも5分後には出発。

外にでると段々明るくなってきている。昨日、6時47分頃と言っていたよねえ・・・。確信がなくなるのに比例して、足も早まる。前のめりになりながら、15分でワールドポーターズにでて。ここでもいいがと迷ったものの、やはり海辺でみたい。臨空パークまであと10分でいけるか?賭けてみる。どんどん人も増えてくる。ところが、肝心の空は水平線に雲がかかり。これじゃあ見られないかも。

どうにか海辺に辿りついたが、やはり見えない。船の向こうが茜色に。6時47分。落胆のざわめきが起こる。駄目かあ。俺なんて2時間待って、寒くて仕方ないよ。もう、行きましょうよ。いろいろな会話が聞こえてくる。だが、きっかけを逃して皆 立ち去り難くその場に立ち尽くしている。1分過ぎ、5分過ぎ。

ま、あきらめましょ。私達はとうとう立ち上がって歩き始めた。もうすぐ海から離れて階段へ、というところで「ああっ!」「見て見て」。声に誘われて海を見るとオレンジの光が。1mm。2mm。ずんずん上がってくる。みるみる半円に。速い。激しいエネルギーの固まりがすごい勢いで昇り目を貫く。完璧な橙の円が姿を現した。

息をのんで立ち尽くす人、「卵みたいだ!」と指さして大笑いする男の子、「俺、初日の出、いや日の出みたのも初めてかも」ぼそぼそと彼女にささやきかける人。

今日、来て良かったでしょ。エネルギーを身体いっぱいに吸収して、良い2000年の始まりの予感。(そのあと、中華街まで行って馬さんの店で中華粥と蝦餃子を食べ、「これでエネルギー補給は完璧だ!」と元気いっぱいになった彼。心身共にエネルギッシュに活躍できる年となりそうですね。)

12/31/1999      終わりに

どんな年だったろう。いつも、一人で振り返ることにしている。

最初から最後まで、なかなかコントロールできなくて辛かった。自分のことも。まわりの人たちの健康も、勿論できるはずはなく。その環境にあっては十二分に対応したつもりだったが、終わってみるとやりたかったはできなかった。

振り返る時に必ずその年にふさわしい曲を選んでかけることにしている。1999年は、yo-yo-ma奏でる`PiazzollaのLibertango`〜自由のタンゴ。自由という言葉は政治、経済、芸術、様々な分野で事の軽重に関わらず使われる。ピアソラの想い、ヨー・ヨー・マの想いに比すべくもないかもしれないが、今、この瞬間、私にとってこの曲は自分から自由になりたいという想い。コントロールしなくては、とか、やるべきことをリストアップしてはそれに追いまくられて焦って。いつの間にか自分自身で築いてしまっていた壁からの自由。

2000年の汽笛の音が一斉に横浜港から。

明けましておめでとう!いつでも、本当に心から望めば、終わりは始まりにつなげられる・・・。

12/23/1999      休養

寝汗をびっしりかいて、金縛りにあって叫んで起きること何度。別に思い当たる理由もなく。

朝、顔に朝日がこうこうとさしていて起きた。6時に起きた。休日出勤をするつもりだったが、あまりの天気の良さに、部屋の掃除をはじめて。日差しを惜しんでいるうちに出社拒否症。今は、ただ、プライベートを含めて、ゆっくりとunder controlしたかった。

掃除をして、片づけて。それから空に誘われて、根岸の森林公園、元町、山下公園、World Portersへ行ってきた。18Km。気持ちよく冬の夕暮れを歩いた。

黄金色の銀杏。群青色の海。雲一つなく柔らかく暮れゆく空色。

冬の夕べは、時は短く、ゆっくり夜長を休みなさい、と言っているような気がする。

寝ようと思って書斎に行くと、彼は宇多田ひかるのDVDをこっそり買ってきて聞いている。哀愁のある声音に、ビートのきいたリズム。あなたが参るのも分かるな。言うとほのかに頬が紅潮。その声が休養になってくれているのであれば、何をかいわんや。

12/12/1999      MACAU

土日を休めそうだったので思い立って(いつもそうだ!!!)木曜日にトラベル・エージェントに頼んで週末香港へ。でも、今回の目当ては、マカオ。20日に返還前に一度も訪れていなかったポルトガル領時代を見たくて。

香港から1時間の距離なのに、時間も空間もゆったり。勿論、マフィアや中国返還への不安や疑心などが少々みられたが、同じ時期の香港とは比べられようもない。400年の統治に対する評価はどうなのか。

「そうだね、このマカオ料理のカレーソースのチキンおいしい、うまく融合しているんじゃない」。何気ない、or何も考えてない???この彼の発言は奇しくも私の評価と同様、望むと望まないとにかかわりなく、400年の月日は中国とポルトガルをうまく融和させた独自の文化をマカオにつくりあげていると思う。願わくば、返還後もこの独自な雰囲気を保てることを。

12/5/1999      ういるす

2週間続いていた熱がやっと下がった。週末は久しぶりにちゃんと寝たのでいいのだが、会社に行くとどうしても39度まであがってしまう。とにかく、カゼ薬を悪いと思いながらバシバシ飲んで過ごした。

「少しは休まなきゃ」と心配顔で言っていた彼が今週はカゼでダウン。症状が違うから私のウイルスじゃないけどね。やっぱり、先週、あの寒い日の外出が効いたんじゃない?え?いつ?あの、土曜日。買い物してきたらしかった日。何買ってきたの?即答「本」。何の本?「coding」。実に、彼は触れて欲しくないときには端的な答えをする。知って欲しい時には、「さあ、何でしょう?」と勿体ぶった言い方をする。

直感的に、これは知られたくないPC関係、ということは。「へえ、MACの何を?」「えっ何で分かったの?」。ばればれなのです。そう、MACのcodingまで。「MACのCODINGってそんなに大変なの?」「えっ、何で…(絶句)」。一応驚いて見せて、でも私への社交儀礼をすますといそいそとPCへ向かう。(カゼひかないように寝てちょうだいと言ったのに…)

少ししてから、今度は父の調子が心配で見舞いに行った。顔を見せるなり何を言うかと思いきや、「まり、ままがね、出血するといけないから夜間のPC使用はダメだと言うんだ。」「あっ、そういえば、TVでPCがカゼをひく、と言っていたけどどういうことかな、ういるすに関係するのか?」。矢継ぎ早な質問。何故?血がつながっていないのに、この思い入れの強さ、似すぎ。二人とも勝手にPCういるすにやられてちょうだい!(でも、身体には気をつけてね。)

12/3/1999      ものおもふ初冬

週末「元気?」と両親のところに恒例の顔だし。ここ半年、小康状態で「恒例」だと思いはじめていた矢先。天気がいいのに父の部屋だけに電気。行ってみると、母が父の手を握っている。どうしたの。一瞬、聞くに聞けないで立ち尽くしていると、「大丈夫よ」。

大丈夫、という時は大丈夫じゃなかった時。仕事にかまけて、またつきあいで忘年会が断れなくて、今週は一度も行けなかった、その間に。もう、済んでしまったことならば。これ以上、何も言えない。

突然、大出血をしたらしい。傷らしい傷もなく。近くの病院に運び込まれて4時間近く出血が止まらなくて。

ただただ、一緒に座り込んで、父の腕に手を置いてTVを見る。暫く沈黙の後、ふと、父がごそごそと。私のスーツの襟に糸くずがついていたらしい。つまんで捨てようとしている。「いいのに、そんなの。」「良くない。いつもちゃんとしてなければダメだ」。そう、社会人になったら、いつも襟を正して自分のやることに責任をもって。どんな時にも姿勢正しく、襟元正せ。入社した時に言われた。世渡りが下手で、でも自分の技術と責任感だけは世界中の誰にも負けなかった職人気質の人の言葉を、久しぶりににおもった。

11/21/1999      おやすみ

この3か月ほど、中期計画や組合提案が重なって一番の正念場のはずが、故あって同僚の仕事も含めてかかってきて、初めてこなせないかと思った。また、終電で帰り、始発ではないが5時起床の日々。会いたいと思っていた渡米の後輩のパーティにも出席できず、大学院も穴あきだらけ。気をつけていないと自己嫌悪の蟻地獄にはまりそうな。

文字通りまわりの協力があって、無理だと思っていたがどうにかこなして、安心した途端、一年ぶりにカゼをひいてしまった(こんな私でもひくもんだ…!)。かかると大規模なのか、この1週間1日も39度から下がらず、顔もぐしゃぐしゃ、頭もずぶずぶ。普通ならカゼを移す可能性を考えてすぱっと休む方なのだが、今回はこれでは責任者が一人もいなくなってしまうから、鼻水たれ子 迷惑もかえりみず 奮闘す。

でも 今日は やっとおやすみ。仕事はもってきたものの、起きあがれない。妹も遊びにきてくれたのに、起きあがれない。朝5時にはいつも通り目が覚めたのに、休みだと思った途端に緊張の糸がきれた。

ふと気がつくと夕陽が斜めにさしている。朦朧とした中で毎日夜中にに水をあげていたハーブがくさくさとした香りを放っている。晩秋のひととき。これが「やすみ」ということか。

ひとり物思いにふける。 と、近くから心地よさげな これまた 安らかな寝息が。彼がvaioのキーボードに指をかけたまま寝ている。昨日、密かに(本人のみそう思っている)買ってきた「超漢字」というOSを入れて、無意識に胸近くかき抱いている。右 薬指が一本だけ軽くあがっている。次のキーボードを打とうとしてか。

指をまっすぐに直し。お互い、今週も とても疲れたね。おやすみ。

11/11/1999      代々木倶楽部

入社以来、殆ど一元的には「創造」よりも「効率化?」の仕事しかしてこなかったことから、会社施設のリニューアルのプロジェクトには手を挙げて企画から参画させてもらった。

その施設は名前も地名に変えて「代々木倶楽部」。会社名を抑えて、地域含めて多数の方々に利用していただけるように。

この7月には、頼りにしていた同僚(とはいえ尊敬する大先輩)が出向して総支配人にする程の会社の入れ込みよう。この月曜日に営業開始。先輩も、サービスの人たちも精一杯で大わらわ。

営業開始日に妹と二人で様子見に行った。活気があって、活き活きとしていて、ばたばたとしていて。勿論、老舗とは比べようもないけれど、皆 一つのベクトルに向かっているときの熱気が感じられて、しばしその余韻に酔った。

11/1/1999      父といんたーねっと

彼が中古で入手してくれたパソコン。要る?3回とも同じ返事。 「要らない。どうせ分からないから」

父の趣味は写真。絶対、はまると思うのにな。それに、これから何十年も生きる(生きて欲しい)中でどこかでPCとは関係するはずなのに。

その思いに屈してやっと家に置くことだけはOK。じゃあ、internetで好きなもの見てみよう!何がいい? やはり、思ったとおり、写真。40年の趣味だけに、でるでる、写真家の名前。片っ端からみていく。

食い入るように全身を傾けて見ている父。脳梗塞で倒れてからあんなに大好きだった銀座の画廊にも行かなくなった。そんな父が、居ながらにして尊敬する写真家の画廊を見ることができる。「へえ、この人 こんな写真とっていたんだ、知らなかった…」。

まり、終わったけどどうしたらいい? 電話つないだんだから、電話線を切断しなきゃね。どうやって?それにどうしてつながっていって分かるの? ほら、砂時計が動いているってことは、ちょっと待ってね、という印。 ああ、そうか。あと、アドレスって何? 電話番号や住所と同じ。わかっていたらその通りかければ通じるよ。でもわからない場合もあるよね。そうしたら電話帳調べるみたいにYAHOOとか、検索するの。 ふ〜ん。

対話しながら、なぜか 私自身も ああ、そうなんだ、と気がつくことが多い。そして、「PCなんて」と言っていた父が。「すごいね、こんなにすぐに外国の情報も、マニア位しか知られてないすごい人の写真も見られるんだ、いんた−ねっとって」。ぽつり。

そう、こんなにすごいことなのですね。使い慣れていると忘れていること。人も地域も国も時さえも越えて知りたいことが分かる。「いんた−ねっと って知りたいことがすぐに分かるんだね。」 そう、知りたいという好奇心のある人なら、いくらでも利用価値がある。いわゆるソフト(中身)をもっているかどうかが、PCのみならず使う側も試される時代なのだ、と痛感。

  10/31/1999      Anniversary

今日は結婚記念日。別にどうということもないけれど、でも。鉢植えのバジルをちぎって。香りも高いハーブととみにお気に入りのファンダースのカマンベールチーズ。鎌倉山のサラミにライムを一滴垂らして。前菜には、最近研究してみたオリジナルの「代々木かくてる」をシェイク。そのあとはレタスとサルサのサラダ、ことこと煮込んだイタリアン・ドライトマトの比内鶏煮込み。

気分は盛り上がって。優しいjazzのBGM。デザートのあとに、もうひとサービス。ピアノでバラードを。オルフェの唄。枯葉。秋のソナタ。だんだん夜も更けて。

あれ、ふと目を転じると彼は嬉しそうにこうじさんにいただいたvaioをもってきて打っている。「まりちゃんのピアノを聴きながらパソコン打てるなんて最高!」

良かったね。まあ、好きなことをしているのが一番いいAnniversary、なのでしょう…

10/20/1999       Liber Tango

空気が刺すように緊張感をつきつける季節になった。タンゴはラテン=夏 というイメージがあったが、今 この季節だからこそ、この「自由のタンゴ」を作曲したピアソラにはまっている。

サントリーのコマーシャルに使われたこともあり、聴いたらすぐ思い出す人が多いでしょう。ヨー・ヨー・マが深い森林の中で目を閉じて自分自身がチェロの一部のように共振しながら弾いている様を。そして、あの心を揺すぶらずにはおれない艶やかな音色を。

タンゴをチェロで?クラシック界の第一人者であり、また異端児とも評することができる程、ジャンルにとらわれない演奏曲目の広さを尊敬していたが、それでも実際に聴くまではこんな表現を想像することもできなかった。

久しぶりに ピアソラという今まで知らなかったアルゼンチンの作曲家への興味が芽生えた。手当たり次第にピアソラの作品を弾いている演奏家のCDを聴いてみた。ピアノ、バンドネオン、ヴァイオリン、クレージュの「ピアソラへのオマージュ」等々。今かけているのはAki Kurodaという日本人のピアノ。突き刺すような硬質な音色、スタッカートで時にたたきつけるようで時にひきずるようで心臓に響いてくるリズム。一瞬だけの官能的な間。

内省的な調べと、心かき乱す低音の響き。冷たい夜風に触れながら聴く。

8/15/1999      Tempest

日本語にすると、何がもっとも適切なのだろう? 嵐? 台風? ちょっとハリケーンとは違う。

今朝、出勤するつもりで6時に起床。でも外を見ると うちつける雨 雨 雨。何も見えない。テレビをつけると 交通手段が不通。こんな日に休日出勤しても労災でないし。とりあえず明日に繰り延べした。

実家に行って、横殴りの雨を見ていると 突然 ピアノが弾きたくなった。数年振り。5才の時に買ってもらったふるいピアノの蓋を開ける。象牙が黄ばんでいる。長女で遠慮がちだった(?!異論がある人もあろうが、その頃は!)私は、〜が欲しい、とは口が裂けても言えなかったらしい。ところがピアノに関しては、3才で欲しいと言い、でも子供のことだからと 適当に冷却期間が置かれ、5才にとうとう根負けした両親から本物を買ってもらった。

以来、私にとってはずっと親友だった、はず。文字通り(恥ずかしげもなく言い切れるが)命を懸けていた時もあったし、青春 の言葉もなんのその、24時間のうち21時間弾いていた時もある。でも 今は。2年振り?

母のリクエストでBeethovenのTempest弾いた。嵐 ならず ぽつぽつの雨 といった感じ。お盆の休みでひと通りの少ない時節。ぽろん ぽろん と 初心に戻ってゆっくりと練習ことはじめ。

8/7/1999      りんごの君

危うい色の入道雲が立ちこめ、朝から重たげな空。疲れ切っていて、休みだと思った瞬間、起きられない朝。

ピンポーン。足を引きずってベルにでた彼が突然 思わず姿勢を正して「どうぞ!!!」。(一体 何が起きたんだ?)

夢うつつに聴いていた。次に目を覚ましてふらふらと書斎に行くと。にこ―――。こんな極上の笑みは何年ぶりだろう?(少なくとも 結婚式の時にはあった…と思いたい)スケルトンのimacが鎮座しており、その横で慈しむようなまなざしでダンボールを開いている。ああ。とうとう、エデンの園の時代から禁じられてきたりんごを手にした君。もう、これで使ったことのないOSはなし、と豪語するのをバックに、バベルの塔のたとえもあるよと思いつつ 寝に戻りました…。

8/3/1999      粋

会社の関係でお世話になっている方と会食。この人を一言で表せば「粋」。

江戸っ子。古き良き日本を知っておられて、礼儀や礼節、心遣い、思いやりといった 大切ながら易しくて難しい部分を、自然にさりげなく供される。しかもユーモアや洒落をちりばめて。最近始めたPCにはまっています。Email試してみたいのでスクリーンセイバー送ります。夏の風物詩の花火。潜水艦も泳ぐ金魚すくい。小話送ります。お疲れでしょうから。会議でバコバコにやられて帰ってきたあと、思わず 頬が緩んでしまった。

センスのいい方だと思っていたが、それだけではなく原動力は好奇心だ、と今日気がついた。相手が何に関心をもっているのか、どうしたら喜ぶだろう?何か面白いネタはないかな。人と関わりをもつことへの素直な情熱が昇華すると「粋」になるのかもしれない。

8/1/1999      とうとう

そう、macまでいってしまいました。PCは手段であるから、仕事で使う以外は個人の趣味なので、共通の費用からは見ないというのが我が家の情報機器投資に関する原則でした。ところが。

先週 誕生日 全社会議は予定していた通りに運ばず、疲弊しきって帰ってみると部屋に赤い大輪の薔薇の花束。思わずほろっ。

ありがとう、と和やかに話しているとなぜかMACに話題が(なぜ?)。1時間の議論の後、要するに「そこにMACがあるから imac欲しい」とのこと。誕生日に、赤薔薇に、一応(?!)表彰の為に来月アメリカへ夫婦共々ご招待のお話。bonusの住宅金融公庫支払い前の この時期に。う〜む。条件 そろいすぎ。Marketingを学びつつあるな、おぬし。とはいえ、この一年 がんばったね の意味合いを込めてOK。これで我が家のPCは7台。とうとう。

7/25/1999      L.A.

彼の出張に便乗して一緒に土日・祝日を含めて短いけれどL.A.へ。いつもの通り何も決めてなかったから、とりあえずはdowntownへ。

13年前(になるのか)、来た時にはちょっと怖い感じもした。あの時はカナダに留学中、友人とクリスマス休暇にVancouverの伯母の家までまず3泊4日の電車の旅。クリスマス明けにSan Franciscoまでバスで27時間。1泊の後、レンタカーでSanta Barbara経由でL.A.へ。疲れていたせいで間違って危ない通りを車で通った時のこと。雰囲気がおかしいので急いで窓ガラスを閉めたが、それでも売人風のグループがぶらぶらとしており危険を感じた。今回は景気が違うのか、自分が気をつけていたのか、非常に鷹揚なアメリカだった。

海が見たくて、とりあえず2日目は一番近いSanta Monicaへ。バスに揺られ 1時間。太陽をいっぱいに浴びた海岸がえんえんと何mile?乾いた風、灼熱の陽光、白いさらさらの砂。そして白波高い、コバルトブルーの空をそのまま映した 海。

思わず魅せられて3泊。Marketで食べた赤く熟れたトマト、汁の滴るプラム。海辺のboat houseで夕陽にきらめくマルガリータ。しゃぼん が飛び交って虹色に、そしてだんだんとセピア色に暮れなずむ海岸。愛嬌を振りまきボサノヴァを奏でる楽団に聴き惚れつつ、海が墨色に沈んでいく様を追っていた。

7/10/1999      manage

先週からProf.BarryのFinance Managementのクラス。資料の他に5日でケーススタディ11件、本、参考図書。Simulation。時間との戦いだからとりあえずなめるだけ。そのほか、simulation用のdataのi/pはグループで分担して時間を節約。緊張してクラスに臨んだ。

前回の教授は「次はファイナンスですか。まあ、ファイナンスなんてちょろいから気楽に。だって売れようが売れまいがEVA, CFと言っていれば教授料もらえるのですからね。」とジョークをとばしていた。ご本人 ファイナンスも専門で勉強したから企業経営における役割はわかりつつの、あえてアンチテーゼ。今回の教授は、「次のクラスはアカンティングですか。それは皆さん 大変です。だって、私は朝起きると神様に感謝の祈りを捧げるのです。神よ 私をアカウンタントにしてくださらなくてありがとうございました、ってね。」

Prof.Barryはファイナンスが専門でない人も含めて、「あなたが起業する場合に」という具体的な視点で短時間のカリキュラムを組んでいる。「西海岸育ちだから、もし僕の講義がのろかったら言ってください」と言ったそばから弾丸の如く解説をしながらケースをこなしていく。熱を帯びた講義の中にも、時にふと我に返り、「早すぎます…ね。日本語ではこの言葉 何と言うのでしょう?」とフォローしつつ、でも30秒後には元のペースに。自分が事業を起こすなら。思い描きながら聴くと、それまで素通りしていた指標がひしひしと現実味を帯びる。紳士的な物腰で、しかし容赦なく生徒に答えを指名していく緊張感が心地良かった。

とはいえ、結局 全社会議の準備で1/3しか出席できず 泣く泣くdrop out. 口惜しい。自分の時間もmanageできずに、何がmanagement of business administrationか?

7/7/1999  七夕

小学生の頃。七夕だから願い事を短冊に書いてごらん、かなうかもしれないよ。学校の校庭に 黄色 紅色 空色 緑色 橙色。 色とりどりの短冊が結ばれた立派な竹。絵馬みたいなもので、人のを読むのが楽しかったりして。え〜 見ないでよ。それでも 皆 結構真剣にその時一番欲しいものを一生懸命書いていた。きれいになりますように。頭が良くなりますように。喧嘩に強くなりたい!かわいい子犬をください。跳び箱が跳べるようになりたい。いわば日本のクリスマス。

私は何も書かなかった。勿論、大小 様々な欲望はあったが、子供の頃は「為せば成る。成さぬは人の為さぬなりけり。」という母の言葉を額面通り信じていて、自ら努力すればいいのだ、と。書く必要はないと思ったから。(可愛くない子供。自分でも自覚していました。が、それでも正直なところそう考えていたし、今やり直しても同じだと思う…。)

七夕の伝説もクリスマスのサンタクロースも一度たりとも信じたことはなく、教会に何年通っても、ミッションスクールに10年通っても 結局 何も完全に信じることはできなかった。以前は「為せば成る…」ではないが自分を信じていた時期もあった。が、それも今はない。音楽だけは常に自分の傍らにいる、と無条件に思いこんでいた時あったのに、自分がないがしろにしてしまったつけで今は指も動かない。

米良さんのCD「Romance」。メンデルスゾーンの 歌の翼に。ヘンデルの わたしを泣かせて。ドヴォルザークの わが母の教え給いし歌。そして いつ どこで聴いても 手をとめて聴いてしまうラフマニノフの ヴォカリーズ。

七夕の朝があけてゆく。今日は学校へ行き、そのあと会社に戻り、結局終電帰り。そしてそのまま泥縄で次のクラスの準備。思い通りに動かない脳味噌を考えると、ふと 二兎を追うものは…と不安がよぎる。天の川も見えない空。この年になって初めて願いに似た気持ちを抱く。それとも、自分の限界を知りつつ それを break throughしたい者の単なるあがきか。

6/20/1999  学びの庭

昨日から1週間 また大学院通いが始まった。今回はMarketing。一番興味がある分野であるだけに期待も大きく楽しみにはしていたのに、膨大な資料を読むのに手いっぱい。Case studyの分析までいかず、また参考図書として挙げられていたKotlerの"Marketing Management"は800頁!で途中までしか読めなかった。授業についていけるか心配で、向かう足取りも重い。

教授が現れた。中肉中背で長髪、もしゃもしゃのひげ。黒い綿の上着にカーキのチノパン。親しみ深い笑みを浮かべながら、自信をもってProf.Weissの登場。BAは電子工学、MAは心理学、Ph.D.はファイナンス、ロックンロールの歌手を5年間、会社勤めはAT&Tのみ、あとはStanford Univ.とSouthern Californiaで教鞭をとる傍らマーケティングのコンサルタントをやっているという。はじめはゆっくりとしゃべっていたが、短期間でできるだけ教えたいという熱意のせいで、もうよくぞ口がまわるというほど速射銃の如き講義。大振りなゼスチャーと時折とばすジョークはPerformanceとよぶにふさわしい。一方で、効率の良いPower Pointや黒板、グループディスカッションの使い方、鮮やかな議論の導き方、秩序だった資料構成とコンサルティングの経験に裏打ちされた豊富な事例の知識、質問への丁寧で論理的な説明・意見に圧倒された。計算・吟味されつくした、本当によく準備された講義で、これぞ顧客のニーズに的確に応える為のMarketing戦略を実践したものと言える。

皆、疲れているはずなのに、ひきこまれて議論も質問も活発に。今日は土曜日だから9時から5:30まで。そんな時間で測る以上に中身の濃い授業。第一日目をしめくくりる教授に、思わず生徒全員から賛辞の拍手がわいた。

3/27/1999 3月 去り月

4月1日付けで、その仕事ぶりをいつも目標にしていた先輩(出会った頃は上司でした)が栄転されることになり、嬉しい反面 寂しさもある。

数えてみると1年のブランクはあるものの、通算6年間 半径5M圏内で仕事をしたことになり、達したい具体的な目標と勝手にさせていただきながら、ふと目をあげるといつもその先へ先へ先へと歩まれてしまっている。

道標として燦燦と輝く北斗七星にも似て、手をのばしてみるけれどいつになっても追いつかないその先輩に次回お会いする時には 「〜をやりました」と胸をはって言えるようになりたいと、切に思いました。

3/21/1999 大切な場所

用があって久しぶりに母校に行ってきました。

International Christian University. 別名 Isolated Crazy Utopia.(と在学中は少なくとも言っていた・・・)。そこだけ日本の大学ではないような、ゆったりとした、私にとっては心地よい個人主義の空間。相変わらず人口密度が薄い。生徒は自転車で移動し、クラブハウスからはピアノやらトランペットの練習音が流れている。発声を練習している演劇部の学生の声。小さな売店では、大手書店でも売られていないような洋書がところ狭しと並べられていて思わず微笑んでしまう。図書館は改装中。とても快適で静かな空間で、机が広くて勉強し易かった。本から目をあげると、あの広い窓から 薄紅色の桜舞う青空、濃い緑のみずみずしさ、黄金色の銀杏、しんしんと積もる雪。瞬間 心奪われた。そう、それから Japanese, non-Japanese いろいろな人が集う「ばか山」(そこにいるとばかになってしまうほど呆けてしまえる・・・という芝生になっている緩やかな丘)。寝そべってタクトをふる学生。お弁当を開いてノートを見せあっている二人。丁度 梅が満開でした。風がそよぐと花吹雪。新入生予備軍?がご両親と見受けられる人と訪れては写真をとっている。そのそばできっと近くにお住まいの方でしょう、子供と一緒に走るお母さん。あっ 坊やが転んだ。でもまだ鬼ごっこは続く。 そして私は。スーツ姿でひざを抱えて。どう映るのだろう。

卒業から はや 10年。この期間は一体何だったのか。と振り返る間もなく、ばか山を後に本部棟へ手続きをとりに行く。目的がなければ訪れることもなくなってしまったけれど、それでも心だけはいつでも帰ることができる(と思いたい)、大切な場所。

3/14/1999 春の海

春の海 ひねもす のたりのたりかな

中学の頃 そんな俳句を習ってすぐ鎌倉に遠足に行った時のこと。今でもとても大切にしている親友が、その句を思い出せずに「何か、今のシーンにピッタリな句があったよねえ。あっ そうだ! 春の海 のたり のたりと昼寝かな」。 あまりにその情景にピッタリで「彼女の句」も暗記してしまいました。

今までかつてなかったのに眠れなくなってしまいこの半年ほど万年寝不足でしたが、なぜかこの週末は久しぶりにぐっすりと眠れた。だから家の掃除をずっとして。終わったのが午後4時。ちょっと忘れていた物を買いに行こうとしてドアを開けたら春の微風。その柔らかい心地に誘われて、足がむくまま みなとみらいまで。海が見たかった。波の音がききたかった。夕日も見たかった。(結局 初日の出を見た臨空パークに行ったのだから夕日が見られるはずはなく・・・。)

ちょっとそこまで。のつもりだったのでシャツにセータ一枚の薄手の格好。さすがに少し肌寒かった。けれど今日はなぜか、なぜか、リラックスして。誰だろう、あれは。「肩パット20枚!」と昔言われた。きっと 本質はそこから変わっていない。進歩していない。

本当は春の海なんて好きじゃなかったはずなのに。こぶしもにぎらず遠くをぼーっとみながら、釣りをしているおじさん達を冷やかしながら、ゆっくりと波の音を聞き歩いた。

そういえば、もう10年以上も前、就職前 カナダ のVacouverの伯母の家に寄って帰る時 お世話になった人から言われた言葉を思い出した。その時もこんな風に海を前にして市場からの帰りがけ。いつも道化ていて冗談ばっかり言っていた人が「世間に出たら7人の敵がいる、と言う。このまま素直でまっすぐ育って欲しいけど・・・。厳しいことが多いだろう。特にあなたは。でも、あなたの場合は敵は7人以上できるけど、味方もできるはずだから自分を信じて。応援してる。」と言われた。

その時は社交儀礼でお礼を言った。それまで「しっかりしている」とかは言われてきたけれどこんなコメントをくれた人はいなかった。今にしてみれば とても有り難い言葉だと分かった。あの時も春のもやの中、その柔らかさに深く考えもせずもやのように対応していた。でも、今なら分かる。意味の深さを。

春の海はいろいろなことを思い出させる。

3/13/1999 バローロのワインと

いろいろ辛いことがあったようで、16年もつきあった中ではじめて「会おう」といっても会ってくれなくて、心配していた人から久々に電話。「妹が結婚してイタリアへ行ってバローロのワインお土産にくれたの。一人で飲むのはもったいないから遊びに行っていい?」。

嬉しかった。お昼すぎから彼と一緒に買い物。彼女のワインにあうような食事をつくりましょう。最近、忙しくていつも簡単料理か外食ですませていたけれど、久々に週末に仕事はしないですみそうだし、去年行っておいしかった イタリア料理挑戦してみましょう。

彼は、はじめての料理に関してはちゃんと本を見てその通りにつくるので100%成功する。今日のmainはprimo料理だけれどマルゲリータ(チーズとトマトとバジル)ピザとカルボナーラのスパゲッティ。ピザは生地から作る。このピザが特筆もの。イタリアで食べたものに遜色なし。特にトマトのソースは絶品。(今の評は身びいきなし。カルボナーラは卵スパゲッティっぽかったけどね・・・)

私は恥ずかしながら適当。彼のそばでイタリア料理の本を読んでいたら垂涎。おいしそう!私も作ろう!でも、結局お店に行って気にいった(鮮度と料金とでcost performanceの最もいい材料!)食材によりにけり。よって、行き当たりばったりmenuができあがり。(どうせ 本 読んでも本のまま作らない・・・いえ、作れないし。)。ああ、ルッコラがこんなに安いなんて。あれ、クレソン 凄い新鮮!じゃあ。結果。前菜が多い・・・。ホワイトマッシュルームとほうれん草のサラダ。タラバ蟹のトマト詰め。ルッコラとラディッシュのマリネ!?くるみパンとカマンベールチーズ。春の香りのするアスパラガスのクワルク添え。山形牛のズッキーニ巻きイタリアンサラダ。これは、上等な山形牛の薄切り肉を長野産ズッキーニに巻いて白ワインで香り付けしながらニンニク焼き。それに赤ピーマンと残りのズッキーニと玉ねぎを賽の目に切っていためたものをちりばめて。それにプチトマト。色彩がにぎやかになったところで、フレッシュトマトの漉したものにヴァージン・オリーブオイル、レモン汁、塩、胡椒。思いつきサラダのできあがり!その他魚介類のトマト煮。これは、昨年シチリアに行った時に町の本当に小さな店で買ったシチリア産ドライトマトを冷凍したのを使ったので、香りが濃くて太陽を食べているような味がしました。

デザートは初めてつくったティラミス。3年前からマイヤースのラムにつけていたレーズンもいれたのでかなり濃厚。これも適当に想像でつくったのでとろとろ。でも自分で言うのは何ですがなかなかやさしく大人の味でした。最後は、これまたシチリア産のカンパリにも似た「エトナ火山」というリキュール(本当は軽すぎるのかもしれないけれど)。彼女も段々と饒舌になり、昔のまま。ゼスチャー、そして話が進む。お互い 年月を経て 経験を経て 元の自分ではあり得ないけれど、この関係は大切にしたい。何かあっても、どんなに辛くても、「おいしいワインがあるから 一緒にどう?」と言えるような。

3/12/1999 春の日溜まりの香りとは

啓蟄の声を聞いたばかりというのに急に寒さが戻り、曇天がのしかかる。そんな思いを胸に町を歩いていると ふわっとした香りが。思わず何が心誘うのか見渡してみると 百花繚乱。(何のことはない 新しい花屋がオープニング・セールをしていたのでした・・・。)

その中でも そこだけ春の日溜まりのようなフリージア。見るだけで気持ちが浮き立つ。両手にいっぱいフリージアばかり買って、その花束に顔をうずめて深呼吸してみる。さんさんとふりそそぐ陽差しを香りにしたら こんな感じなのかもしれない。自分の家に飾るつもりだったけれど、母の喜ぶ顔が見たくって、結局贈り物にしてしまいました。

3月1日/1999 霧のSan Francisco

会社の臨時休業と週末を利用して、本当に短時間でしたがSan Franciscoへ行ってきました。朝晩にはやはり霧がたちのぼっていて、シナトラの歌を思わず口ずさんでしまいました。

行きたいとは思ったけれど、その週末は上司も含めた関係部長会があり、その資料が最後までうまくまとまらず、99.9%行けないと思われたヒヤヒヤ状態。17:15に上司のOKがでて、関係部署に資料を届け、荷物をひっつかみ、17:23に18Fにあるエレベータホールへ。そこから走って走って走って、17:33に東京駅地下4Fからでる成田エクスプレスに奇跡的に間に会い、やっと飛行機離陸前30分に成田空港駅に。そこからまたひた走り、チケットカウンターでチケットを受け取り、「がんばってくださいねー」という係員の声を背中に受けながら、疾風怒涛の勢いで税関・入国審査を突破して、飛行機の席に着いたのが離陸前15分。飛行機は珍しく時間通りに出発したのでした・・・。

その週の前からずっと寝不足だったので機中ではとにかく寝放し。9時間で着いた時にも情けないことにまだ夢の中から仕事=日本をひきずっており、まわりが英語で会話しているのに違和感を感じたほど(アメリカなのよ、ここは!)。しかし、バスに乗って市内に近づくにつれ、12年前(!!!光陰矢の如し!!!そんなに経ったなんて・・・)に訪れた時の記憶が蘇り、急に懐かしさがこみあげ、瞬間 今の自分を忘れました。こういう感覚が旅の醍醐味なのでしょう。

詳しくは旅のセクションに書くこととしましょう(私のアホさ加減を。前日 殆ど徹夜で朦朧としていたおかげで、何と、飛行機に乗ってバッグの中身を点検したら、もってきたものがパスポート、財布、下着、ワイシャツ1枚、200LXだけ。お金はおろす暇なく5000円札1枚、歯磨きも櫛もGパンも忘れてました・・・とかね)。話がつきません。とり急ぎご報告まで。

2月28日/1999 こども

ずっと心にかけながら、何だか実行していなかったことってありませんか?

私にとっては、それはFoster Parent制度。年末にいろんな残務のチェックをしていた時にふと思い出して、とうとう手続きしました。

早速 子供が決まって、写真や彼女からの手紙が届きました。何だか とても嬉しい。勿論、いろいろな議論はあるし、血を分けた子供でもないけれど、それでも今まで関わりのなかったこれからの人と国境も言葉も人種も海も越えて、未来のごく一部分を共有できるのだという期待。子供を産んだことがないから分からないけれど、「こども」にはそういう力があるのでしょう。サブーちゃん、これから、どうぞよろしく。

1/2/1999 冬空のもと

あまりに空が澄んでいて。思わず、この寒いのに、そして正月三が日だというのに、海にピクニックしに行こう!

家にあったナイフにトマト4つ、バナナ3本、ゆで卵にお塩、プラスチックのカップをバスケットに詰めて。(何だか夏っぽいぞ!?)

ピクニック という言葉の響きだけで気持ちがうきうき。寒さも何のその。みなとみらいで焼き立てのフランスパンと、クリームチーズ、シャンパン、熱々のコーヒーを調達して、そのまま海の近くへ。

たこあげしている親子。走りまわっている犬。銀色に輝くベイブリッジの横には白い船に青く青く青く青い海と空。

さて、何に乾杯? 勿論、1999年に。 あっ ずるい!まだシャンパンついでいないのに食べはじめてる!!! う−ん。今年は「攻め」が肝要な年になるかも。

1/1/1999 日出る時

sunrise 6時に起きて、20分に家をでて、海に着いたのが40分前。

いつもと違って沢山人がいる。みな日の出を待っている。その人たちに入るともなく入らないでもなくぶらぶら。そろそろ日が出る時刻だろうに。

国際競技場のバルコニーにいる人の方面からどよめきが。続いて歓声、そして拍手。だがこちらではまだ日の出は見えない。隣のカップル「ねえ、私達もあっちの方に行こうか?その方が早くみられるんじゃない?」「果報は寝て待て・・・っていうじゃん」。1秒2秒過ぎ去り、しばらくするとどよめきが近くなってくる。おおう・・・!!!。橙色の眩しい光。初日の出。

その瞬間 何を思ったか、何を願かけたか。人それぞれ。でも一様に満足気な顔・顔・顔。いい年になりそうだ。

12/31/1998 年が新しくなる音

年々 感慨が薄れていく中で、それでも年が新しくなる、というのはやはり気持ちが浮き立つ。何か変わるような。山道を歩いていて、きっとここを越えるえると展望が開けるのではないか、或いは思ってもみなかったものが見られるのではないかといった期待感。実際には自分が変えなければ物事変わるはずもないのだけれど。

それでもいいんじゃないかと思えるようになってきた。もう いくつ寝ると お正月? この気持ちはやはり変わらない。

子供の時、何でもないのに12月になると、あと何日?と指折り数えて、いよいよせわしなくなる師走の空気に心踊らせたことはありませんか?おせちをつくる母の背中をみていると、そのうち「味見だからちょっとだけ」と菜箸で崩れた煮豆や卵焼きの端っこを食べさせてもらったり。味見じゃもの足らず粘って待っていると、そのうち「あら、あれ忘れた」と言っては買い物に遣わされたり。30日は大掃除。31日は予備の日だから、もうあまり働くことは残っていないのにじっとしていられないで、行ったりきたり、うろうろ、わくわく。

何の理由もないけれど、年が新しくなると自分もまた新しくなるような気がする、とか、今年はいい年になりそうだ、なんて他愛のない気分転換でいいんでしょう。あっ。横浜港から船の汽笛。ぼおうう。新しい年の音がする。 

12/20/1998 嬉しかったこと

金曜日 会社関係の先輩2人と彼と4人で飲みました。東京駅から歩いて少しの日本橋のお店。地下で狭くて、でも温かくておいしくて。酸いも甘いも分かっている先輩たちの話。個人的なところでは自分の夢と合致しない部分もありながらも、仕事には誇りをもっている彼らの気持ちを聞くと身が引き締まる。年末、殆ど毎日忘年会だけど、その中で とても良い、すごくすごく心に染み入る飲み会でした。

12/06/1998 冬の初めの熱燗

岩手の釜石市に出張。さすがに太平洋に面しているから、雪は積もっていなかったけれど刺すような寒さ。紅葉残る山間を2両編成の釜石線に揺られて行った。

駅を降りると 目の前が製鉄所だ。高炉はない。でも発電所の建設等、予想していたよりも新しい息吹が感じられる。煙たなびく山、夕陽が赤く染める雲。釜石は初冬が似合う。

おいしい「浜千鳥」いただきました。冷酒で、脂ののったお刺身と。あまりにおいしかったので小瓶を買い、勿体ないけれど早速熱燗にしてみた。人目で恋に落ちてしまった、マレーシアの人の創作の熱燗の陶器を買ったので使いたかったから。試してみると、これがまた格別。白い素焼きに本物の植物をおしあてて濃い紺色の模様が描かれている。白が雪を彷彿とさせ、でも素焼きの素朴な手触りが山に漂っていた煙の温かみを思い出させる。熱燗の手に伝わるぬくもりと爽やかな舌触りを楽しみながら、初冬の東北の余韻を感じた。

11/28/1998 そらが晴れていて

だから、散歩行ってきました。歩いて歩いて、根岸の森林公園を歩いて、港の見える丘公園を坂くだり、元町のパン屋さんへ。焼き立てのイギリスパンと入れたての薫り高いコーヒとともにほおばって。

足は疲れているのに、あまりにそらが晴れていて、屋内に戻るのがもったいなくて、思いつきでそのまま山下公園からシーバスで横浜へ。そしてそのまま気がむくまま、足がむくまま、京浜急行に乗って三崎口。バスでガタゴトゆれられ、港。青い青い青い初冬の空。煌くインク・ブルーの海。まぐろや地魚もひと口いただき! 一日の中の至福の時。

沢山 写真とってみました。普段 自分が見るのと違うアングルを考えながらの風景の捉え方。おもしろい。やみつきになるかも。光と影。空と海。撮る自分と長くのびる自分の影。

客観と主観の複雑に絡み合う、でも意識しなければ全然別個の被写体。さて。明日はどうやって違った表現をしてみようか。

と真面目に考えているそばで、「今日のねぎとろ丼 おいしかったよねえ。明日、何食べようかっ????」という元気な人間が約1名。うんうん。芸術の秋も過ぎて、食欲の冬、かな。LINUXからwindowsのソフトを読み込めたそうでおめでとう。乾杯。ペンギン酒でも飲みますか?(どんな酒だあ?)

11/23/1998 心機一転

ホームページも人間や花や犬と同じように、careしていかないと枯れて死んでいってしまうのですよね。

いろいろあって、考える余裕も書く時間も語るべきこともなく、この半年ほどずっとこのMMMを放っていました。あんまり硬く考える必要はないのかもしれないけれど、一度作ってnet presenceという生を与えたからには、communication toolとしての役割をきちんと果たすようにcareして育てていかなければいけないのでしょう。

ということで、心機一転 更新してみました。皆さんとつながりをもつ為に、また少しずつ創っていきますから、時々遊びにきて下さい。

6/1/1998 さてはて

時だけは移っていきます。もう6月。心の準備はできていないのに・・・(じゃあ、いつになったらできるのかって?)

今週末から開港祭。混んでいるところは苦手だから行っていませんが、なかなか沢山の人が訪れているよう。私も母と横浜公園で植木を買いました。どなたか訪れた方とお会いしているかもしれませんね。

5/17/1998 五月の空に

五月晴れ。いい単語。でも、なかなかそんな天気はありません。

5/4/1998 ご無沙汰しておりました

ホームページで皆さんにお会いするのは心の余裕のバロメータかもしれません。
いろいろあって、何だか書く気が全く起こりませんでした。
でも、そろそろ浮上しなければ。

GWはずっと家で整理したり、たまっていた勉強をしたり、散歩したり、平穏無事に過ごしました。だから結構横浜情報、また増えましたのでそのページも乞うご期待。

旅、といえば2月と4月に香港に行ってきました。フラッと思いついて行ったので航空券を買うのも2〜3日前。(出発の5日前迄に買わないと1500円割り増しがつくなんてヒドイと思いませんか?) とても良かった。東京(というより大阪?上野?新宿?)にいるようで、でも人々や街のエネルギーは凄まじくヴァイタリティがあって、気分転換にはもってこい。勿論いいところも悪いところもあるのでしょうが、私には性にあっていて、思わずそのまま居座って働きたくなるような街でした。それに先輩にもお会いできたし。そのうち香港のページも作る予定ですので、こちらの方も訪ねてみてください。(「スペインのページ、早く完成を」というお便りもいただいているのですが・・・。このままでは1年経っても未完のまま???) 2/15/1998 春一番

先週は2つ嬉しい再会があった。一つは5年位前に仕事上のつきあいのあった他社の人。元の会社からは独立して展示会や印刷物のデザイン等をプロデユースしていると聞き、彼が手がけている展示会を見に行った。しっかりとした仕事の仕方の中にその人の人柄がにじみでているようないいイベントだった。一緒に仕事をしていた時からキラリと光るセンスと信頼できる仕事ぶりに脱帽していたが、さらに磨きがかかっていて嬉しかった。

もう一つは、大学時代の友人。今月初旬に研修の為、いつもと違う経路の電車に乗っていた時のこと。カーッと寝て終点で目を覚ますと目の前に彼女が立っている。かれこれ15年前にはじめて出会った時と変わらずに見えて一瞬にして時が戻ったような感覚におそわれた。あまりにも懐かしく週末に会うことを約束して各々出勤した。会って話をしていくとと、お互い卒業してから丁度10年も経つのに基本的な部分は変わっておらず、これもまた嬉しいことだった。彼女は卒業してから3年間アメリカで修士課程をとり、帰国してからはヘッドハンティングの仕事をしているとのこと。歩んできた道は違うのに、自分が大切にしている価値観を分かちあえる相手と会話をできる心地良さ。

寒く閉塞感を感じる最近において、心の中で春一番が吹いたような気がした。

2/1/1998 2月 逃げ月

年を越したと思ったらもう2月。月日だけは経っていく。自分は一歩でも成長している実感のないまま。でも一般的には人は言う。年々歳々人同じからず。

1/11/1998 雪

先週の木曜日は久しぶりに雪を実感した。実は全然雪が降ることを知らず軽装で出てきてしまったのだが、昼からどんどん降ってくる。積もるかなと思ったら本当に積もった。この日は心晴れないことがあって密かに塞いでいたのだが、会社からでて灰色の雪がおかまいなくしんしんと落ちてくる様を見たら急に無性に楽しくなった。昔から強風とか大雪とか、勿論惨状になって被害がでることを望む訳ではないが、アドレナリンが体内を駆け巡り家でじっとしていられない。桜木町で降りて海の方へ行ってみた。誰もおらず(当たり前だ!)、新雪をきゅっきゅっと心ゆくまで踏んだ。いつまでもこの雪のように、冷たくそして新しい気持ちでずっといられたらいいのにと思った。(そして楽しんだつけとして、しっかり凍えきって帰りました。)

1/01/1998 1998年 元旦

あけましておめでとうございます。

あっという間に1997年はいってしまった。最後の最後まであたふたと過ごした。年末はばたばたしていて、29日の夜眠りにつく瞬間に今月末までの通信教育をやっていなかったのを思い出し、30日朝6時に起きてやりはじめて、夜中までやってできなくて、31日も朝6時に起きてやりはじめて、昼の11:30にやっと完成。意気揚々と近くの中郵便局にもっていくと何と休み。真っ青になってバスにとびのり港郵便局に走っていった。11:59ギリギリセーフ。12/31の消印を目の前で押してもらった。(12/31の消印がつかないと終了証書がもらえないので会社からの補助金が出ないのです・・・。これでお分かりのように、今年は大掃除をやり損ねてしまった。ああ。)

いくつになっても泥縄の私。今年はもっと落ち着いた大人になるゾ。本年もどうぞよろしくお願いします。

12/05/1997 とんこつラーメン 食べ損ね

木〜金と北九州に出張に行ってきた。9月に行った時は、台風の中、朝の4:30に風に吹き飛ばされていったが、今度はとりあえず晴れ。幸先いいから、さっさと仕事をすまして博多でとんこつラーメンを食べ、大好きな明太子を買って帰れるか?胃が痛い内容の出張の中で、唯一の楽しみだった・・・が、結果は大幅に予定よりも時間がかかり、JRのホームを走って特急に飛び乗り、地下鉄の階段を脱兎のごとくかけのぼり、エスカレーターを走り抜け、やっと離陸5分前の飛行機に間に合ったのでした。世の中、こんなもの。

11/30/1997 頭が錆付いている・・・

会社が外部企業に委託している研修に3日間参加してきた。Trialコースだから「無料」という言葉にひかれて軽い気持ちで応募したのだが、これがキツかった。Debateの技術を英語で習う内容で、Debate自体は学生時代に少しやったことがあるのでそう問題ないだろう、とたかをくくっていたら、自分の頭が錆付いて動かないのに愕然とした。仕事で論理的な思考は養われている「はず」なのに。これでは学生の頃にも及ばない。相手の攻撃に対してカウンターを考えるのだが、頭がギシギシいう音がきこえるだけ。

年の瀬も近づき、自分の年の取り方を深く反省した研修でした・・・。

11/21/1997 晩秋の夜に

今週は縁あって音楽関係の二次会が多かった。火曜は音大の学生さんが生演奏をしてくれるところで、その店のママ、佐藤まゆみさんの歌うリリーマルレーンなどをアンサンブルで楽しみ、ついでにCDまでもらってしまった。木曜は今時珍しい銀座のシャンソン・カフェに行ってきました。もとSKDの玉木美保さんの歌うバルバラの「百万本の薔薇」良かった。こんなにも情感こめてせつせつと恋を歌うことができたら。部屋いっぱいに百万本の赤い薔薇が広がる光景までが思い浮かぶ。コンサートの緊張感もいいけれど、こうやって小人数の音楽会もまた楽しいもの。ふと、こんな本当に短いひとときに人生の楽しみを感じることができた。

11/8/1997 笑う門には福来る

最近、日経の夕刊に「笑いのメカニズム」とかいったタイトルで、笑いがいかに身体にいいかストレスをほぐすものか、また逆に口まわりでいえばストレスであごの調子を悪くし身体にも悪影響を及ぼしている人がいる、といった話が連載されている。私もこの2〜3年右アゴから肩にかけて神経がうきあがっているような感じがあり、常にズキズキと痛い。夜、寝ている時に歯をくいしばっているからだと思う。そういえば会社でも眉間にしわを寄せていたり、考えながらPC画面を穴があくほどにらみつくしていたりする。勿論、仕事はいいかげんにちゃらんぽらんにするものではないのだけれども、一日の大部分の時間を占めるのだから、もっと楽しくやれないものか。まずは形から入って、時には心がけて笑ってみよう。そのうち形だけではなく本当に福が来るかも。(でも、突然ニッコリしだしたら気味悪がられるだろうな。それに、笑うには笑うだけのシチュエーションというか心の余裕がないと。心の余裕があればそもそもストレスなんてたまらないのだろうし・・・。)

11/3/1997 お久しぶりです

ず〜っとカゼをひいていました。今もまだ。やっと寝汗をかかなくなって熱はなくなったようですが。カラッとした秋晴れの続いたこの1か月も休みになると寝るか働いているかで、とてもじゃないけれど芸術の秋を楽しむ余裕もなし。そうこうしているうちに11月も去り、師走だ、忘年会だ、年末の大掃除だ!そして正月、となるのでしょうか。じっと手を見る、といった心境です。

9/6/1997 夏 過ぎぬ

気がつくと8月は夢花火。もう9月になっている。特にこの2〜3日は、暑いけれども時折涼風がそよいだりして、はっとさせられる。最近仕事の種類が変わって、分からないまま突き進んでまわりを見ていなかっただけに、暦の移り変わりの早さに驚かされた。

香港にいる先輩からメールをもらい嬉しい。こういう時、internetというのか、パソコンの素晴らしい側面を実感する。社会人になって何年間すると、思いもかけず知人が世界に散らばっていくものだが、思い立ったが吉日or吉時? で瞬時に気持ちを届けることができる。手紙も葉書も、それぞれの楽しみがある。会うことができればもっと楽しい。でも、こうやってcommunicationの手段が増えて、お互いの都合を尊重しながら必要であれば即座に送ることができる選択肢があることは素晴らしいことだと思う。

hanabi今、横で彼が今日買ってきたゲーム"DIABLO"を相手に悪戦苦闘している。落ち込んでいるから立ち直る為にといって入手したはずが、「うお〜、英語のマニュアルっ、英語のナレーションだあ〜」とかえってストレスをためているよう。パソコンに関しては英語だってスラスラ頭に入るよ、と豪語していたのはどこの誰だ?

今日買ってきたインプレスの「ホームページ用素材集和風コレクション」はなかなかおもしろい。使用させていただきますので、乞うご期待。(因みにこの花火のアニメもそう。)

8/30/1997 パソコンが壊れてしまった・・・

今朝、彼のパソコンのハードディスクが突然壊れた。小さな声で“ピーッ、ピーッ”と泣いていたようだけれど、無視してやっていたら突然青い画面になり、彼はもっと青ざめてメーカーに電話。2時間位話をして(メーカーはかなり親切に対応してくれたよう)、ドライバーでこじあけてみて、結局来週部品を交換することに。何ででしょうね。かわいそうに、彼はがっくりと肩を落としていました。作っていたプログラミングも全部パー。今、傍らで寂しげに「バックアップのMOが欲しいなあ」とつぶやいている。いくら肩を落としても、そうおいそれとは、ねえ。

8/24/1997 朝の海

先週は、ちょっと反省することがあったので、週末は<かつ>を入れて、朝早く起きてみなとみらいに海を見にいってきました。もっと早く起きるつもりだったけれど6:30頃家をでて横浜スタジアムや埠頭を経てみなとみらいまで自転車でスイスイ。日差しはこの時間でもかなり強く、しかし風は心地良く。穏やかな海でした。朝日を受けて波がキラキラと光り、国際会議場の窓に反射していました。結構釣り人がいて、また大きな魚がチャポン、チャポンと飛び跳ねていました。何故、海を見ると、潮風をかぐと、心は落ち着くのだろう。さあ、来週一週間、今日のように心安らかに過ごすことができれば良いのだが。

8/17/1997 ビアガーデン

beer 現実は先週の高邁な予定とは大いに異なり、ただ仕事をこなすだけで貴重なお盆の時期が終わってしまった。何だか夏も終わったような気分。とつまらなくなっているところに、彼の先輩の吉田夫妻からビアガーデンに行きませんかというお誘いをうけ、急に夏が戻ってきた気が。現金なもの。横浜西口駅ビルの上で、夕日暮れなずむ頃、涼しい風に吹かれ楽しい会話のひとときを過ごしたのでした。

8/11/1997 お盆

今までお盆に休んだことはない。人が少なくて、歩くのも、空気を吸うのも楽な気がして、出勤するのにおいしい期間だから。会社は生産ラインをとめることができないので一斉休にはならないけれど、上の人が休むことが多いので重要な決定事項はお盆の前に行われていることになり、この時期は仕事上でも〆切がなく気持ちにゆとりをもってできる。さて、今週はここしばらく先送りにしていた案件や知識の貯金でもしよう。(予定はあくまで高邁に。)

8/2/1997 腕時計

今使っている私の銀色の腕時計は12才の時に両親から誕生日にもらった。中学に入学して通学するのに使うでしょうと。その頃はセイコーのクオーツがはやっていて、皆きれいなトパーズやエメラルド色の文字盤におしゃれなローマ数字。ところが私がもらった時計はスイスのlongchamp製。誰も知らない。大きな文字盤は白、薄くてメタリックで、二針の手巻き。とても女子中学生がつけるような代物ではなく(実際、大人の紳士物だった)、まわりかわらはダサイねえ、と言われた。ところが私自身は、見やすいし他の人のと間違えてはめることもないので、何だか気に入って、以来20年間はめ続けた。大切には思っているのだが、なにせ乱暴な性格なので落としたり踏んづけたり忘れたり。雨の日も風の日も。ガラスは割ったし針も曲ったが、部品を取り寄せれば必ず直る。さすがスイス時計。

肉親にも似た信頼感をもって使いつづけてきたが、昨年、今度この手巻き部分が折れたらもう直せないといわれた。気をつけて巻くと少ししか巻けず、気がつくと遅れていたり泊っていたりする。この32才の誕生日に、両親から新しいスイス時計をもらった。社会人なんだから時間に遅れないように、と。大きな金色の、これまた文字盤が見易いcymaだ。これで前の時計はあと20年使えるだろうし、この時計もあと40年もたせて、ずっと大切に使おう。

7/27/1997 とうもろこし

昨日実家に行ったら、丁度とうもろこしをふかしていて、出来上がりのあつあつをもらって食べました。粒が大きくてはちきれそうで甘い。私にとってはこれを食べると、子どもの頃の夏休みを思い出して、懐かしい。妹は食べるのが早いので、取られまいとして必死になって歯を動かしたこと。食べて一息ついて、冷たい麦茶。クーラーはなかったけれど風通しのいい家だったので風鈴がチリンチリンと鳴って、何だか涼しい気がした。お昼寝のあと、夕方になったらまた外に飛び出して、まだギラギラした太陽の下、飽きもせず遊ぶ。

ずっと東京に住んできて、他の地方ほど季節感がない土地柄だと言われるが、それなりに子供にとっては時が流れるのがゆっくりしていたせいか、時節を強烈に感じさせる思い出があるもの。夏休みに入った頃の、あの黄金色したとうもろこしの味、蚊とり線香とキンカンの臭い、ラジオ体操の音楽。夏の盛りのすいか割りの赤い色、プールの塩酸や花火の燃える臭い。休みが終わりに近づいた時のやりきれない気持ちと、やっていない宿題を思い出した時のゆううつな気分。そんな時に限ってうるさく聞こえるセミの声。時が経ち自分は変わったけれど、私の思い出の中の夏の景色と、そして子供たちの夏休みだけは変わらずにある。

7/21/1997 夏!

昨日は海の記念日。学校は夏休みに入り、夏気分が盛り上がってくる季節。横浜の花火を妹夫婦と見に行きました。きれいだったけど混んでて混んでて。すさまじい人出でした。ビールにのり巻、枝豆、焼き鳥をつまみながら沢山の人と沢山の美しい花火を鑑賞しました。

今、我が家の居間に素晴らしい白百合が飾ってある。こんなに大きいと気持ち悪い感じがするであろうに、あまりにも堂々と、凛としていて、そしてまたその香りが豪華、としか言いようがない。おととい、前の上司が昇進祝いに贈ってくれたのでした。百合の如く背筋をピンとしてこれからも仕事せい、ということか。

good newsがこの週末ありました。彼がoracle masterの試験に受かったこと。こんなに真剣に勉強したのは卒業以来初めてなのでは?「試験に受かるより、その知識をどうやって仕事に反映させるかの方が大切だよ。」と口では気にしていないようなことを言ってはいたけれど、その実、結構緊張していたはず。何故なら、先週はいつもより食べるアイスクリームの量が絶対に多かった。1日6〜7本は食べていた。とはいえ、結果all rightだったからおかげさまでいい3連休となりました。良かったね。

7/13/1997 日常からの脱出

alkazar.gif 高校生の頃、よく山崎正和の文章と出会いませんでしたか。彼の文章の中の「日常からの脱出」という言葉が印象に残っていて、本のタイトルを忘れてしまったけれど、探し出してまた読みたいと思うこの頃です。

まさに、そんな感覚でスペインに夏休みを利用して行ってきました。行った日はMadridで泊るだけ。夜の10時に着くというので心配していたけれど、日本の夕方の感じでまだ明るい。そのあと、Sevilla, Granada, Barcelonaとまわって帰ってきました。往復の飛行機と最初の1泊だけとっていたので、あとは現地で気ままに心のままに、好きなところを歩いてみたのでした。

日本語も、あまり英語も通じず、食事も違うし、気候も違う。特にアンダルーシア地方(Sevilla, Granada)は暑く、38度くらいで乾燥していて、どこまでも続く赤い土、時々見えるひまわり畑、白壁の家、真っ青で雲一つない空。日常見慣れている風景と全然違う空間に身をおきたくて出た旅だったから、本当に楽しかった。毎朝起きると、今日は何をしよう、何を手配しよう、英語が通じなかったらスペイン語では何といえばいいのだろう、と辞書をひく。心地良い緊張感。乾いた風土に、日常のしがらみ(といっても自分で勝手に思いこんでいるだけなのだろうが)を全て干してきてしまったような気がした。(でも、日本に帰ったらまだ梅雨は続いていたし、そして明日からは、さあ、お仕事、お仕事。)

6/29/1997 乳飲み子 in Disneyland

友達の家族と今週末はディズニーランドへ。この4月に生まれたばかりの雄輝君も一緒に。

私は待つのが好きではないので苦手なのだが、我がパートナーと友達夫婦は大のディズニーファン。特にこの夫婦は子どもの生まれる前は年間パスポートで通っていたぐらい。だから、もう子どもも3か月だし、行くか〜!ということになったのです。本当にいいんだろうか?と悩みつつも、まあ親がいいならいいか、と割り切って一緒に。3か月の乳飲み子、と書くと頼りなげですぐピーと泣きそうだが、彼はそうではなかった。マユをピクッとあげる以外は感情を表わさず、非常に冷めた表情で私達を見ている。乗り物にのっても、しぶきがかかっても動じない。幼少の頃から大人物の予感が。と思えば、時々若い女の子達が、「キャー、赤ちゃんよ〜」と騒ぐと、まず顔をじっとみて自分の好みであることを確認し、表情を動かして反応を示すことも。いよいよもって侮り難し。彼の人生最初のDisneyland訪問は、ゆうれい屋敷にはじまり、台風の襲来と共に終わりました。これまた並みのDisneyland キャリアではないことを期待させるもの。おかげで私達も待ち時間に飽きることなく過ごしたのでした。

6/21/1997 台風一過

BBQ 梅雨台風は珍しく8年ぶりだそうで、金曜日はすごかったですね。

これはもう会社から帰れなくなるか、と思うほどだったでれども、交通機関は混乱しても夜遅く帰った方が復旧の目処がたっているだろう、と予定通りに友達と会うことに。今年の夏休みは、結婚してからはじめて、事前に彼と休みを一緒にとれるかもしれないと分かったので、スペインに行ってみる計画で、スペインに詳しい友人に話を聞くことにしていたのです。英語はあまり通じそうにないけれど、今の日常と正反対のところにいきたい、というのがそもそもの発端なのだから、かえってその方がいいのかもしれない、と怖いものしらず。往復の切符と一日目の宿だけ決めて、あとはその場の気分次第でフラフラと歩き回るつもりです。あとは本当に休みがとれるかどうか・・・。

そして、台風は通り過ぎ、土曜日はうそのようにカラッと晴れ。青空と30度の暑さが、一気に夏を連れてきたような、そんな天気。吉田家のお招きに預かり、彼と彼の同期の人と一緒に訪問。着いた途端に愛犬のモモちゃんのお出迎えが嬉しい。とても人なつっこくて、賢こそうな茶色の目の持ち主だ。ご主人の吉田さんは、情熱的なマックファン。(彼のホームページにリンクがはっています。)新しいノート型パソコンが今日届くかもしれない、と相好を崩しておっしゃる。そして日本人離れしたバイタリティあふれる奥様。早速BBQと奥様お手製のおいしいおこわをご馳走になった。真っ青な空の下、涼しい木陰で、これまた奥様特製のマリネにつけたお肉を豪快に焼く香ばしい香り。冷たいビール片手の語らいに、一瞬梅雨のうっとうしさも、日常の憂さも忘れた。

6/15/1997 父の日

父の日、ということで大分の父には暑い日用にフェイスタオルとカードを贈り、横浜の父には麻雀大会をプレゼントしました。別に、商業宣伝にのせられるのを善しとしているわけではないけれど、気持ちを表わすことは大切だと思っているので、機会があれば無理のない範囲で表現することにしているのです。

私の父は大の麻雀好き。といっても家庭麻雀でルールも簡便法だし、遅いし、外でやれるような代物ではない。オセロとか人生ゲームみたいな感覚で家族でやるのが好き。ということで、私達子どもは小学校低学年からやり始めた。父と私はセコく粘り勝ちのパターンで嫌われる。母と妹はきれいな手が好きで浮き沈みが激しい。これに、母・妹と同じ一発勝負パターンの彼と、強運というのか才能というのかgoing my wayで他人のペースを混乱させながら、凄い手をうってくる妹の夫が加わり、正月に何となく毎年やっている麻雀大会は波乱万丈だ。

最近、脳梗塞の為に何十年と吸ってきたたばこをやめざるを得ない父があまりにも辛そうなので、昨日麻雀をしたわけです。ところが、プレゼントのつもりが父はどんどん負けていって、ずっとうつむき加減にやっている。ところがあともう一手でつぶれるはずなのに、粘りに粘って、珍しくドーンとあてて、浮上。終わって点数を数えると、4人中第二位。「まさか、僕はドンジリだと思っていたのに」と父はうれしくてうれしくてうれしくて、本当に文字どおり笑いがとまらない。彼を見て「悪いね、ハッハッハッ!」。反対に悔しいのは彼。穏やかに「よかったですね」といいつつ、父の止まらない笑いに内心は穏やかから程遠い。家に帰ると、「うお−っ、今度は勝つぞ−っ」と雄たけびをあげていました。そんな二人を見ながら、昔は私に勝つと一番うれしがっていた父だったのに、とちょっとだけ寂しかった私です・・・。まあ、互いに好敵手見つける、といったところか。結果として、良いプレゼントになったことでしょう。

5/31/1997 世界は狭い

今週、学生時代のオーケストラの仲間に5〜6年振りに会って懐かしかった。ところで、その時に聞いた、嘘のような本当の話。いかにも私達の大学の人間らしいなと笑ってしまいました。

彼女の実家にモンゴルからの留学生がホームステイした縁で、今度は彼女がモンゴルの留学生宅を訪問。そこで会ったのが、同じオケの1年後輩のホルン吹き。彼は日本語教師をやっていて、奇遇だがその留学生の先生でもあるらしい。では一緒に食事を、ということで大通りを歩いていくと、向こうからどうも見知った顔に似てるとおぼしき人物がやってくる。近づいてみると本当に知人で、また同じオケで1年後輩のファゴット吹き。彼女はNGOか何かの団体から調査の仕事で派遣されたそう。驚くべき偶然を祝って、結局3人で食事をしたそうです。この日、この時、この国のこの場所で、同じ大学のクラブの人間が顔を合わせるなんて、「世間」ならぬ「世界」は狭い、と実感。

5/25/1997 異国

「遠くへ行きたい」という歌があるじゃありませんか。あんな気分でポッとどこか誰も知らない、言葉も通じないところで、全く違う自分になってみたいと思う。

義弟がイタリアのボローニャに取材で出張に行ってきたとのことで、おいしそうな赤ワインとハムの塊をもらった。イタリア語は全然読めないので英語から類推して説明書の内容を想像してみる。ワインのラベルの絵をみていると、ちょっと乾いた異国の空気に触れたような気がした。

5/18/1997 スキャナー使ってみました

横浜紹介に使おうと、先日残っていた使い捨てカメラ数枚で、横浜公園の鮮やかなチューリップと国際仮装行列の様子を写しました。それをスキャナーに。はじめて使うのでおっかなびっくり。ジ−っといって読み取る音を聴くと、胸の中もジーンと熱くなるものが。とにかく初めて使って成功すると、こんなことでも達成感があるものです。横浜紹介のページに掲載しました。是非ご覧あれ。

5/11/1997 我が家に牛がやってきた

昨日、買い物から帰ってきて戸を開けると、そこには2匹の牛がいました。1匹はgateway2000で黒ブチの段ボールに入って狭い廊下に鎮座。もう1匹はそのまわりで極上の笑みを浮かべて飛び跳ねている彼。

仕事以外にもホームページを作ったり趣味にもPCを使おうかと思い、その為にはしょっちゅうOSを変えたりしてこのFM-Vを独占されたのではかなわない、と彼用のデスクトップ購入プロジェクトが発足したのでした。これで我が家のPCはデスクトップ2台、ノート型1台、HP200LX2台、で1人あたり2.5台。趣味の為にはもうこれ以上買えません。今回の牛の後は10年購入しないと約束、覚えておいてね〜!(彼はただ今現在、隣でQuakeをやってひたすら感動しています。「サクサク動くよ」とか「ほらほら顔まで見える」「うわっなめるなよ〜」なぞと叫びながら。この分じゃ約束なんか覚えてないかも。)

5/1/1997 友人と昼食を

学生時代の友人を家に招いて昼食。本日はメーデーだからメーカーは休みなのです。

オーケストラで共に初心者としてチェロを学んだ仲なのに、私は社会人になって以来チェロに触れたこともなく、彼女はずっとアマチュアオケに参加。造詣も深くなっていたし、何よりも弾く楽しみをいまだに同じ情熱をもって語っているいるのをみて羨ましかった。何事も、時間や気持ち、或いはちょっと次元が違うけれどお金を投資しなければreturanは得られない・・・のですよね。投資しても得られない時もある。でも、投資しなければ得られない。なんて感じながら、楽しいひとときを過ごしたのでした。

4/29/1997 久しぶりのホームページ

なぜ、前回のアップからひと月も経ったかって?答えはひとつ。彼(夫)がまたOSを変えていたから。

変え始めるとずっとつきっきり。変えて、また変えて、そしてまた変えて、最後にもとに戻っていたりする。その間、「やっぱり窓よりペンギンだよ」と口走るかと思えば、「いやペンギンは日本には住めないのかも。窓に戻そう」と頭を抱えたり。いい迷惑を蒙っているのは私です。腹いせにペンギンのシール7つにおへそを全部ボールペンで書き込みました。(そのうち、OSじゃないけれど牛のシールも加わりそうです。我が家は動物園か?)

4/13/1997 LET'S WALK AROUND HOKKAIDO!

出張で北海道へ行ってきました。北海道ははじめてなのでワクワク心踊るという感じ。とはいえ、仕事のあとの土・日だけなので札幌と小樽のみ。次回はまた別の北海道を見てみたい。

食べ物がとにかくおいしかった。みそラーメンやお寿司、お刺し身。金曜日は会社の人と食事に行き、お薦めを聞きながら食べたボタンエビや北寄貝の美味なこと。しこしことして甘い。舌の記憶につられて北海道をまた訪れることになるでしょう。

3/23/1997 完璧なカゼ

カゼなのか、インフルエンザなのか、とにかく完璧にひきました。

でるは、でるは、熱が。どうせ熱がでてもそんなに会社を休むわけにはいかないのだから、と普段は計らないけれど、さすがに今回は脳細胞が音をたてて死んでいくのがわかったので体温計を使ったら、やっぱり40度でていました。

今度だけは卵酒を飲んで汗をかけば治る、といったしろものではなかったです。皆さんも気をつけて。

2/22/1997 知人とお鍋を囲む楽しみ

彼の後輩が来て飲み会。普段はあまりきれいにしていないが、さすがに来客とあって掃除をし、さて食事は何にしようか?やっぱり冬は鍋でしょう、ということで魚介類のおいしいお店で選びに選んで、鮭、はまぐり、海老。それにみずみずしい白菜と目にも鮮やかな緑の春菊。あとはえのきとしめじといったきのこ類も欠かせないでしょう。それから優れものは、長崎は津島の鰯と飛魚のつみれが入って完璧。味付けは後輩君達にお願いしておいしい味噌味になりました。みんなで飲んでゲームをして、おいしいいただきもののwineもあり、楽しい一夜でした。

2/16/1997 久し振りのupdate

先週まで会社で試験があり、その準備で週末もつぶれてしまい、ホームページもさぼり。 (何と、会社の試験は論文と面接とあるのです。終わってしまえば考えるいい機会だったと思えるのだけれども、やっている最中は、ねえ。インフルエンザの予防注射みたいなものかもしれない。)

夫がさっきからさかんに「すごいなあ」と感嘆しているので、パソコンを覗きこんでみると、でているのは彼のホームページ。何のことはない、自分のページに自ら感心しているのでした・・・。でも、やっぱり見やすいしなかなか内容もでてきたしいいじゃない、と思っているうちに、自分の分もちゃんとupdateしなくては、と久しぶりに(といってもまだ2回目に過ぎない)更新します。

先週、スキャナーも買って、写真やイラストというかいたずら書きも入れられるし。充実させなければ。
(ところで、とうとう夫に説得されて、初めて買ったパソコン・COMPAQのPRESARIO等を知人に売って、スキャナーを買いました。どうもパソコンのことになると、彼は常日頃の100万倍も訴求力のある説得ができるのが不思議。う〜ん。今回もまた乗せられてしまった。)

2/15/1997 17年来の友

今日、9ヶ月振りに高校時代の友達と会ってきました。今まで1年に2〜3回は会ってきたのが、昨年は休みがなかったから、ひとしお楽しい。やっぱり、もう17年もつきあっているせいか、気がおけなくていい。

高校時代は、かなりみな硬派な学生で、どちらかというと議論友達といった感じ。ベッタリしたところがなく、あまり一緒に行動しなかった。卒業してからの方が、旅行へいったりお酒を飲んだり、普通のつきあい方になったような気がする。

そのうちの1人が4月にインドネシアに行ってしまうので、しばらくは思い立ってすぐに顔を見る、といった距離にはいないので、メールやホームページを使ってコミュニケーションをとりあいたいね、と話しました。やっぱり、インターネットって便利ですよね。

それからもう1人の友人は、非常にユニークで旅行好き。そのうち彼女の韓国旅行珍道中ぶりも、このページで紹介する予定ですので、乞うご期待。

2/14/1997 嬉しかったこと

2週間前、何かの拍子で定期入れを落としてしまいました。定期券に社員証、クレジットカードとテレフォンカード、それから現金を入れていて、さすがに今回は戻ってこないだろうな、とあきらめてカード会社に連絡して差し止めを依頼。(実はそれまでにも4回財布を落としています・・・2回は海外、2回は日本。海外では、パスポートまでいっしょに入れていたのに、なぜか奇跡的に全部戻ってきている。)

何と、先週警察署から連絡があり、拾得されているとのこと。有り難いものです。経済的にもとても助かったし、それだけではなく、嬉しい。銭洗弁天で洗った5円を入れていたからかなあ、と一瞬普段考えもしないことを思いましたが、やはり拾ってくれた方のお陰です。今後は気をつけよう。

1/15/1997 鍋の季節ですね・・・

年末とはうってかわって寒くなり、我が家でも週末は(週末しか家で食べてないが)鍋物ばかり。大根の一杯に入った湯豆腐、鳥団子の出汁のきいた団子鍋、春菊・白菜そして汁気たっぷりの長ねぎを惜しげもなくいれた野菜鍋・・・。

「〜鍋」と命名すればそれらしく聞こえ、かつ体が暖まり、かつ量の割に材料費が安くコストパフォーマンスがいい。しかも「鍋」という響き自体が、それだけでほのぼのとした感じを醸し出しますよね。といいつつ、さあ今夜も湯豆腐だ!ビールも合うゾ。