現代TRPGの仕分けが一通り終わって〜雑考

 ここ5年くらい、現代発売されてきたTRPGなどを収集してきたが、本棚を整理する意味合いもあって、本当に使わないと思われるルールなどは手放し続けてきた。買っては、ヤフオクに出品しと…何をやっているのか分からない状況の中で、一通り整理し終わった観がある。そこで、売ったルールブックと、残ったルールブックを比較して、どうして売ったのか、残ったのか考えてみた。

まず、売った主なTRPG

番長学園「番長学園」
70年代の番長などの設定自体がもはやコンセンサスを失ったため。また、ヒロインや応援システムが何とも恥ずかしい物であること。さらに、全国に散らばる番長の連合やそれに抵抗するヒロインは設定自体が限局的であったこと。

ゼノスケープ「輪廻転生ゼノスケープ」
80年代にはやった実は私は天王星の戦士なのです…など転生ヒロイックを夢見る主人公や設定自体が、トンデモ系で、すでに廃れたため。タロットカードを使った、またチェスのコマの特性を生かした物は結構新鮮であったが…まぁ、設定が設定だけに多分、10年後になったら、白い目で見られること必死。

「深淵」
幻想的で魔族の圧倒的な強さとプレーヤーのはかなさが売りのゲームであり、暗示的なカードの羅列から連鎖する発想が人の心の深淵を写すものとして希有なルールであったが、システムが私には分かりづらく、しかも設定が実はついていけなかった。やってみたいところもあったが、10年後たぶん、やっていない。

トウキョウNOVA「NOVA」
サイバーパンクもののTRPGだが、まぁ、勉強のつもりで買ってみたもののやっぱり好きになれない。サイバーパンクはジャンルとしてなじみのないものであったこと。やはり、私はSFは好きではないことを再確認した。

ドラゴンマーク「ガープス」同様に、「ドラゴンマーク」も売り払いました。ガープスのシステム自体がどうにも…ドラゴンマークは、何でも出来るという反面、何したいのか明確でないし、サポートもなかったし…

放課後怪奇クラブ「放課後怪奇クラブ」
ホラーものを何でも良いから集めたいと思って購入したけど、クトルフのd20システムが発売されたので用なしになった。
などなどである。まとめると以下のようなものに集約される。

私の中で多分残っていくというのは、井上純弌のルール集(テラ、天羅、アルシャード)とD&Dである。あと、ソードワールド、ブレカナ、ユルセーム、ゴーストハンターかナァ。井上は設定がおたくに迎合している面もあるし、システムや設定は10年後にはがらりと変え続けていくだろうけど、ファンタジーの世界を構築するという事に関しては揺るぎがないように思う。ロールプレイということで、プレイヤーが中心ではなく、プレイヤーが演じる「世界観」に懐の広さを感じ、マスターが色々なファンタジーを紡ぐという相互性をすごく大事にしている。
ゼノスケープや番長学園は、マスターとプレイヤー相互のやりとりと言うよりも、プレイヤーがどの様に演じるのかを縛りがきつく、おそらく同じ様なシナリオしかできないだろう(反論もありそうだが)。
D&Dは忠実にファンタジーの世界であると明言しているが、そのバリエーション、広がり、システムの明快さが今後10年でも色あせないだろう。そう、システムが明快であること、しかも幅があること。世界観が広がりが多様にあること。しかし、それは、プレイヤーは何でも出来るということではなく、マスターとプレイヤーの相互性の中に物語がある事が明確に分かることに尽きる

そうした意味で、昨今のTRPGの傾向として、正統派の復権とおたく化あるいは、陳腐化が広がっていることを認識せざるをえない。私は、「きくたけ」のTRPGや一部のゲーマーが知っているテレビゲームの設定をTRPGに持ち込んだものはいただけないと思っている。メガネッコを演じることが出来ますとか、少女だけの戦隊の絆、とか巫女さんとかメイドさんとか。あと、ルール設定の挿し絵で巨乳とか美乳とかエロ漫画のような美少女系が多かったり、普通の人なら手に取りたくなくなる。購買層ってやっぱり「オタク」ってことなのかナァと思ったりしてがっかりだったりする。
その点、D&Dとかは渋いし、多分アメリカンコミックスなんだろうけど、少なくても美少女系ではないし、TRPGを広い購買層として捉えていることが伺える。井上もその意気込みは、広い購買層を考えたルール内容だし、美少女系の挿し絵は本人も描いていることから、趣味として目をつぶっても良いと思うけど…もう少し何とかしてほしいところ。
また、世界観とかも限局されて、中東とかホロコーストとか高校とか私も若いときは出来たけど、今になってみるともはやそれらを思い浮かべてシナリオを作ることが、発想が貧困になったのかそれとも年取ったのか、出来ないし思い浮かばない。高校ものは明らかにジュブナイル小説(バカ小説)の影響もあるだろうけど…すでについていけない世界である。こうした、TRPGはゲーマーズ・フィールドで展開してきて、進化して衰退する恐竜のごとくであり、今まで、FEARが引っ張ってきたと言うことを考えると一概に非難は出来ないが、最初の頃のシステムの斬新さはすでになくなってきていると言える。
その一方で、それ以外の出版社からトラベラー、D&Dが発売されるようになり、復権してきている分野もある。FEARがTRPGの集団だとすれば、その以外のは、広い購買層を取り込めるTRPGを出版しない限り存続が危ぶまれることになるため、私としては歓迎する。特に、D&Dのコンスタントな発売は嬉しい限りである。
この間、TRPGを扱う模型屋に行った。ボードゲームがすでに撤去され、ボードゲームの機運が無くなったこと(いずれ別稿にて書く)、そしてTRPGは購買層が、80年代に親しんだ人しか買わないナァという話を聞いた。その一方で、関東〜特に東京においては、高校生とか中学生も遊んでいるという話を聞く。いずれにしろ、TRPG人口は、やめていった古い人、やり始めている大学生や高校生の人口を合わせると、ピーク時には遠くおよばず、下火から辛うじて脱していると言った位置にいるのではないだろうか。差別するわけではないが、今やりはじめている高校生や大学生がどの様なタイプであるのか…80年代は、ゲームブックやファンタジーの最も豊かにあった時期で、誰もが目にしていたし、広い購買層を得ていたが、いまはどうだろうか?
そうした意味でも、システムの明快さ、サポートの充実〜特に初めてやる人に対してこれでもかというくらい説明してあげるくらい。世界観の自由度の高さ(普遍性?)とイマジネーションをかき立てる豊かさが求められていると言える。(2004.4.26)

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