はじめに
 現代社会福祉学のテーマは、特に、国際標準化(グローバリズムなど)、貧困や差別を含む新たな不平等、または、情報化など現代社会と社会福祉の「構想」の折り合いやあり方を巡る定点を求めているものであるといえる*1。また、これまでの課題研究において、私は社会福祉学は生活者の生活不安などの解消(ないしは減少)を目的とした応用科学であると提示した。また、その根拠となった吉田久一理論について論評し、歴史性を背景とした実践概念であることを考察した。しかしながら、現代の社会福祉は、対象が拡散し、境界が喪失したといった課題があるといわれている。
 本レポートでは、

A-(a) .現代社会福祉学の一論点について
 これまでの古典的な社会福祉「理論」は、救貧的性格なものであり、「守備範囲を狭く限定してきた」*2と考えられている。しかし、社会福祉「政策」は、「占領期の改革課題と日本独自路線への脱皮過程、高度成長期以降の便乗拡大過程、低成長経済・パイの縮小・市場経済・貯蓄性向(投資信託)などと関連するサブシステム的位置を持つ産業連関プロセスの浸透というように、通史的に積み上げ」*3、社会福祉政策は、バブル的に拡大*4し、発展していった。さらに、社会福祉政策は、資本経済システムの補完や傍流という位置づけとして発展してきた。このことによって、社会福祉の自律性−社会問題の提起は薄められることになる。社会問題は、社会福祉「サービス」として変形し、サービスはすべての人に提供されるかのようなイメージを持つに至る。それは、社会福祉の対象とはいったいどの様な範囲であるのかという境界の喪失を起こした。さらに、社会福祉政策の発展・(バブル的)拡大によって、対象者が様々なサービスの中で拡散していった。このような社会福祉政策の発展・拡大は、いったい社会福祉そのものが、どのくらい耐えることのできる「実体」なのか試されているといえる。
 なお、上述のいう通史的に積み上げてきた社会福祉を支えてきたシステムについて、これまでの社会福祉は、人権、スティグマの払拭、社会的差別など生活や社会的に克服すべきシステムとして機能していた(便宜上、障害者福祉モデルとする)。それは、社会福祉が内発的に社会へ働きかけてきた側面を持っていた。このモデルを支えている理念は、ノーマライゼーションであり、「自立」が大きな目標となっていた。しかし、「現在」の社会福祉は、これまでの内発的な側面を持っていた障害者福祉モデルとは明らかに異なり、少子高齢化社会という全社会的に起こっている社会構造的な危機的状況を背景にしている。そして、この多数派人口(高齢者人口)に依拠して超過需要にいかにして対処すればよいのかということが社会福祉に求められるようになっている。いわゆる「高齢者福祉モデル」*5が主流になっているといえる。
 高齢者福祉モデルは、医療・保健との連携、予防と契約システム、定住性に依拠する供給、自立限界の公的判定、申請権の実効性担保=権利擁護制度などをその特質としている。これらの特質に様々な批判的な論説があるが、高齢者福祉政策は市場経済システムを導入し、効率性を取り入れ、かつ基礎自治体の機能を大幅に認め、在宅福祉を基盤とする介護保険制度は、従来の社会福祉のあり方・考え方を抜本的に変えた。それは蓋然性に立脚した「人口学的な推計と需要発生の確率計算を精緻化」*6によって成立している。いずれにしろ、以上に挙げた高齢者福祉モデルを中心に今後の社会福祉が動いていくことはほぼ間違いがないであろう。
 このような視点から、社会福祉は、拡大の中から誰もが利用できるサービスとして捉えられていった。この背景には、社会福祉の「普遍主義」がある。このキーワードは現在の社会福祉ではどのような意味合いを持っているのだろうか。そして、どのような問題があるのだろうか。

A-(b).社会福祉における普遍主義について
 社会福祉において普遍主義は、二つの意味合いで論じられていると考える。
 1.の普遍主義の意味と2.における意味は、共にこれまでの社会福祉は選別的なものとして捉えられてきたものから現在においては脱却したといったことを意味する。しかし、1.においては、特に対象のカテゴリーを巡る取り扱いが選別として働くこと、2.においては普遍主義そのものが問題となる。
 1.における普遍主義は、これまでの福祉は、貧困状態の対象者への福祉サービスが給付されていたものが中心であり資力調査を通じて行われてきた。しかし、社会福祉の発展によってそれのみではなく、属性別(障害など)へのサービス提供が拡大し、そのサービス提供には資産調査などを行わないものであり、ほとんどの福祉サービスは所得とは関わりなく利用が可能となっていることを意味している。
 しかしながら、例えば「貧困問題へ対処する社会福祉の「対象」それ自体が、必ずしも単純に「貨幣的ニーズをもった貧困者」として把握されてきたわけではない。戦前期においては、貧困はむしろ経済的要件のみで把握されず、身よりのない高齢者、幼者、疾病者というカテゴリーで示された「無告の窮民」などとして主に登場して」*9いた。戦後の生活保護は、こうした多様なカテゴリーを経済的要件のみで一般的に把握しようとしたものであった。しかし実際には、生活保護には国籍による限定があるために排除として、あるいは準用としての「外国人」カテゴリーが、また一般とは違った扱いを要する「住所不定者」「野外居住者」などのカテゴリーが生み出されている。この社会福祉サービスとカテゴリーについてはBにおいて改めて考察をするが、ここにおける普遍的な社会福祉に移行したという論点は、いわば、社会問題を矮小化した結果であるということである。そして、制度内には適用されるべきターゲットがあり、そこにおいては、排除と選別があるといえる。それは、限定された「普遍性」でしかない。
 2.に関しては、社会福祉サービスは「政策科学的には純粋公共財」*10といわれるが、具体的な「財」として届くには、一定の要件を満たさない限り権利として実体化しない。それは選別等を含んでおり、このことは1.と関連しているが、ここで問題になるのは、現在において、諸資源(社会福祉サービス=財)をどこにどの程度集中的につぎ込むかというかという社会福祉政策論議は、むしろ公平性の観点から「逆差別」として扱われることになりかねないと危惧されていることである。なぜなら普遍主義を支えている母集団は、多数派人口であり、人口の多数派がもつ利害関係に矛盾を生じる普遍主義というものがあれば、論理的に矛盾することにつながっており、普遍主義が単なる主張ではなく、現実的に効力を持つ段階に入りかけたときから、障害者福祉モデルのようなある特定の対象に集中的につぎ込むというシステム(「一方向転移のシステム」*11)はくずれざるを得ないといえる。では、そのような方向性にあって、社会福祉は「最後の一人の人権」*12をどう考えることができるのだろうか
 このことについて、社会福祉はセーフティネットがその役割を担うとされる。本来セーフティネットの意味は、「できればないにこしたことはない「困難に挑戦する」ことのできる人のための、敗者に復活の機会を担保する安心装置」*13であった。しかし、市場経済システムを取り入れることを構成要件とした現在の社会福祉におけるセーフティネットの意味は、規制緩和に対する安全対策の一つとして出てきたものであり、社会福祉は社会保障制度と共に長期不安を取り除くためのサブシステムとして位置づけられている。このことは、社会福祉を社会全体における市場経済システムの一部分として位置づけ、市場経済から墜落する対象者を予測するという、ある種の確率計算を持ち込むことを意味している。それは、蓋然性の論理を社会福祉に持ち込むことを意味し、それは、最後の一人の人権を捉えていくことが困難になっていると考える。

A-(c)
 以上のように、普遍主義を背景にした高齢者福祉モデルの推進による社会福祉の対象の拡散、境界の喪失がもたらす意味について考察した。ここにおける対象は、二通りあるといえる。一つが、社会福祉サービスを利用する対象者。そして社会福祉の捉えるべき「問い」としての対象である。前者は、利用者の範囲の拡散によるターゲットの喪失。後者は、捉えるべき生活問題や社会問題の矮小化が問題になっている。さらに、普遍主義そのものが、セーフティネットの質を変容させている。
それは、社会福祉の「対象者」は確実に存在しているにもかかわらず、マクロ(政策論的)に捉えた場合、拡散し、「者」はサービスという名の下で消失してしまうというジレンマがあることを意味している。
Aでは、主に社会福祉の対象は何なのかを論述した。Bにおいては、対象者へ社会福祉がどの様に働きかけていっているのかを中心に論述し、私は、対象者をどの様に捉えようとしているのかを考察する。

B-(a).社会福祉における対象者について
  社会福祉が対象にどの様に働きかけるのかということについて、やや引用が長くなるが、「…日常生活それ自体に、社会福祉は深く関わっているが、それらすべてが社会福祉の「対象」となっているわけではもちろんない。社会福祉は、それらの「何か」をその課題として抽出し、そこへ働きかけるわけである。したがって、ここでは、「問題」は与件であるだけでなく、社会福祉が、ある角度から「対象」として位置づけ、社会福祉というフィールドにこの「問題」を引きずり込む、という判断が加わったものとして、すなわち社会福祉の「対象」として存在している」*14ということになる。そこで重要になるのは、社会福祉が社会問題の何をどう解決しようとしているか、どの様な区別や価値基準がそこに持ち込まれているかである。例えば、「社会問題として提起された介護問題は、介護保険制度の対象としては、高齢者の心身状態のみを基準にした「要介護度」のランク付けによるカテゴリー区分で把握される。ここでは、このランクから漏れてしまう問題や、障害者の介護問題一般は排除される」*15といった具合に切り取られる。そこには、「選別」と「区別」、あるいは優先順位などがそれぞれの制度の中(利用資格要件など)で微細に積み上げられている。そして具体的に、対象者は社会福祉施策のあるカテゴリーとして分類され、対象者に内在する多様な社会問題、生活問題は「ニーズ」として捉え直され、社会福祉サービスが提供される訳である。なお、本来「ニーズ」という用語は「人間の生活に不可欠な「生活の必要」を指すものとして理解されるが、社会福祉の対象としての社会問題は、この領域に引きずられるや否や、人間の必要が満たされていない状態」*16として改めて捉え直される。そして、ニーズは社会福祉サービスとして提供されるに至るのであるが、このニーズ→サービスというプロセスを経る理由は、以下の二つの意味があると考える。
 このような意味で、ニーズは、サービスや援助の前提として、価値中立的に、また人間の種類や原因を問わず、まさに「ニーズの原則」に徹して社会福祉の「対象」を規定しうる。それは、社会福祉「政策」にとって具体的な対象としての措定が容易になり、実際のサービスと結びつきやすくなる。
しかし、この「対象」はあきらかに援助する側からの対象であり、対象者として位置づけられている人々自体が、そうした「対象」として位置を考え、時に反発し、あるいは迎合するといったことなど、実体としての「対象者像」にどれだけ迫ることができ、構築することができるのだろうか。そして、どの様な方法があるのだろうか。そして、それは社会福祉学の研究にとってどんな意味を持つのだろうか。

B-(b).対象者像の構築について
 これまで論じられてきた対象者像は限りなく「客体」としての対象であり、対象者の立場に立って、その社会福祉(サービス)がどの様な意味を持つのかということに関してはあまり論じられてこなかった。また、福祉従事者にとっても、自分の仕事「自体」の意味や価値基準について問うこともあまりなく(つぶやきとして浮上することはあるが)、しばしばそのサービスに逸脱する利用者に対して、どの様に振る舞えばよいのか、解決したらよいのかといった視点で捉えられることが多い。また、自分の一職種の外にある多様な社会問題や他のカテゴリーについてのなんらかのイメージを持つことも難しい。
これまでの論述より、ある意味逆説的であるが、対象者像の構築が行えるとしたら、以下のプロセスが必要と考える。
1から3を通して、いったい自分は対象者をどう捉えているのかという認識を掘り起こし、政策論と実体の社会福祉を自己の中で結びつける思考を身につけること。それは、自己の中での独自の理論(あるいは仮説)を把持することであり、翻って多様な現実や対象者を見つめる自己の在り方を考えることにつながるといえる。

おわりに
 本レポートにおいて、社会福祉の対象が拡散し、境界が喪失したという論説を課題の一つとして考察した。そして、対象の拡散については、そもそも対象者とは何かということについて論じた。境界の喪失については、対象の拡散に伴う区分の細分化、それによる社会問題の拡散(サービス・ニーズへ転換されること)によって見失ったことを念頭に、どのようにしたら対象者の所在を明らかにすることができるのかを考察した。それは、現在押し進められている社会福祉の諸施策や動向に不透明感を感じ、それが将来的に混迷をもたらすのではないかという不安や焦燥感が私の中の根底にあったからである。
しかし現実には福祉による保護や制度があるからこそ衣食住が保障され、生活できる人々がいるということは異論のないところであろう。そして、たびたびその対象となる人々にある多様な社会問題は、ニーズとして扱われることによって、その社会対抗的な問題をとりあえず中立化し、個別的サービスとして提供されるというシステムは、妥当と考えることができないこともない。さらに、私は現在、知的障害児施設に勤務しているが、自立だ、支援だと私たちが大きな声を出しても、当人達にとってどうでもよい事として映っているのではないかと思うこともある。彼らなりに、現状の中で自分なりに生活を構築しているし、自分たちの範囲で物事を考えているのではないだろうか。また、ニーズ・サービスにしても、細分化され、それぞれに価値基準があり…と言われるほどに、意識しているわけでもなく、日々の生活の中で、援助する・されるという関係とは別に、全人格的な関わりやチャンネルが開かれてもいる。また、対象者は我々が思っているほど弱くもなく、したたかですらある。
しかしそこで保留された社会問題は具体的な解消されるものとして構築されず(あるいは考えることなく)、多様な人間像や取り巻く社会環境を切り取ってしまうという面も否めない。しばしば、現場において現業の役割について主流の政策論(運営・経営として語られ、矮小化する傾向にあるが)の中で模索することはあっても、それがいったいどのような背景で、価値基準を含んでいるのか、そして我々はどのように振るまい、対象者はどのような道筋(可能性)があり、それはどういった意味合いで捉えるのか、批判的な視点とぎりぎりの対象者への人間把握の試みの間で、構築するということが求められているといえる。しかし、こうした視点は、自分のおかれている立場もまた、カテゴリーによって選別区別されているということを了承し、それがどのような社会的な意図があるのか(あるいは世界像の把握)を考える作業でもある。さらに、他者をどのくらい理解しているのか、本当に理解するとはどういったことなのか、そしてどのように他者へ振る舞うのかという哲学の「普遍的命題」をはらんでいる。

注釈・引用文献
*1)「社会福祉における構想の問題」(米沢秀仁、社会福祉研究:第80号、鉄道弘済会)p.186
*2)「社会福祉理論の目標水準と基盤の変化−次世代への傍論的パースペクティブ−」(高沢武司、*1)同掲載書)p.7
*3)*2)p.8
*4)「社会福祉政策研究の失われた10年」(星野信也、*1)同掲載書)p.21なお、この論文において、これまでの社会福祉政策は「バブル福祉」と揶揄され、近い将来また一定の経済成長軌道に戻り、この拡大した福祉政策が存続すると楽観視してきたことの批判を行っている。
*5)*2)p.9
*6)*2)p.12
*7)「社会福祉における対象論研究の到達水準と展望−対象論研究の視角−」(岩田正美、*1)同掲載書)pp.29-30
*8)*4)p.21
*9)*7)p.30
*10)*2)p.8
*11)*2)p.8
*12)『社会福祉思想史入門』(吉田久一、勁草書房、2000)p.303
*13)*2)p.11
*14)*7)p.29
*15)*7)p.29
*16)*7)p.30
*17)*7)p.31
*18)*7)p.31

主要参考文献(特に対象者像の構築に関して)
「利他的行為論−社会福祉実践の基盤に関する一考察−」(田中治和、東北福祉大学研究紀要第25巻)
「続・社会福祉学方法論の基本問題」(同論者、同紀要第27巻)

ホームインデックス