精神障害者への偏見とステイグマ
ソーシャルワークリサーチからの報告

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私が前につとめていた救護施設では、精神障害者が多く、どうして救護施設に措置されてくるのかということから、文献を漁っていた時期に見つけた本です。図書館から借りた本なのですが、精神医学のジャンルに所蔵されていました。主に、精神病院からの社会復帰について書かれているのですが、救護施設に関しては、一番最後に乗せているように、「しょうがいないんだよねぇ〜」という申し訳程度でした。
また、精神障害者に関する「烙印」も参考になりました。
以下、引用です。


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「精神障害の種類」
pp.6-8

精神障害は、異常な精神状態のさまざまなものの総称であり、、医学の視点から精神疾患として捉えられている。
このようにそれぞれ異なるさまざまなものがあり、医学の視点から見た精神障害は、その一側面にすぎない。しかし、精神障害に対する医学からの接近は、現代の社会において重要な意義を持っており、精神衛生活動を進める上で有用なもと思われる基礎知識を与えてくれる。
医学からの視点からは、精神障害の一部については、身体的病変が基礎となって生じることがはっきりと突き止められている。それらは外因性精神障害と名付けられており、精神昨日に直接かかわりをもつ脳の組織に変性、炎症、損傷、腫瘍などの病変が認められる器質精神病や、薬物や毒物の作用が原因としてからんで来る、中毒精神障害や、一時的に生づる、症状精神病などがそれに属している。
また、心因精神障害と名付けている一群があり、精神的ショックや複雑な対人関係らや生じた心理的ストレスなどによって起こり、その成り立ちが心理的に解釈される精神障害で、急性ストレス反応や、神経症などがこれに属している。


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「病院の現在」
pp.57-58

精神医学の治療に決め手を欠くこともあいまって、精神障害者の入退院や社会復帰に社会経済情勢の動向に左右されることが多分にあるといわざるを得ない現実である。

また、不況かにおいては、さらに家族の経済的負担が加速され、患者が要入院の状態であっても入院を断念したり、入院加療中にもかかわらず、十分治療されないままに退院を強いられるケースが出てくることがある。

わが国の精神医療における国立病院の数がきわめて少なく、その多くを民間病院に依存しているという点にある。民間病院が多いことにその利点もあるとはいえ、問題は民間病院の経営の論理から、その時々の経営状態が患者の入退院に大きな影響を及ぼしているという点にある。つまり、純粋に治療という観点からすれば、寛解状態になれば、退院してしかるべきところを、病院の経営観点から患者が継続して入院させられているという事実である。

精神障害者に対する社会的な差別や偏見が大きな心理的障壁となり、入院中の患者の社会復帰を阻み、就職を初めとする社会生活に大きな影響をおもたらしていることである。


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「精神病院の作業など」
pp65

 精神障害者にとってのハビリテーションの内容を吟味、検討し、確立して行くためには、まず、病気の特性との関連において職業適正が考慮され、とりわけ再発防止要因を踏まえた研究がよりいっそうなされる必要がある。また近年注目されつつある精神障害者への生活技能訓練なども社会復帰を促進させていく上での有効な手段といえよう。

pp79-82

従来院内作業と称して、農耕、園芸、牧畜、養鶏、袋貼り作業など、多種にわたって実施されてきたが、はたして療法として効果があるかといえば、疑問視されてきた面も少なくない。
また、建て前は作業療法と称しながらも、実は病院側のご都合主義による使役として利用されることも少なくなく、最近では、こうした院内作業は療法としての意義確立されないまま、ほとんど実施されなくなりつつある。
 院外作業については、以前からその是非について論議されてきたが、その運用のしかた次第ではかなりの効果があると考えられる。院外作業の特色は社会復帰ということを前提にしているということである。
つまり、月数回の職場訪問により職場における患者の動向を掌握する一方、事業所の患者に対する指導姿勢についての問題を検討し、ミーテイングや個別面接を通じて、社会復帰最終段階としての教育訓練、意欲、責任、社会性の開発、対人関係における協調性、適応性、現実的生活能力の拡大を図ることにより、かなりの成果が上げられる事例もあると考えられる。
 このような院外作業療法を推進するということは、患者側に利点があるばかりではなく、院外作業療法を引き受けてもらう事業所との、ひいては地域社会との交流にもなり、院外作業を通じて地域社会の精神障害者に対する偏見を和らげ、理解を深めるという利点も生みだすことになる。院外作業療法の実施にともない、地域社会の企業から問い合わせを受けることもあったり、退院後引き続いて院外作業先の職場に就職できるということもある。
なお、院外社業のありかたによっては、極端に安い賃金で患者の労働力が企業に利用されるということもあり、患者にとっては納得の行かない不当な労働環境になってしまい、患者にステイグマをおわせ、被害者意識や差別意識を助長しかねないこともあって、そうしたマイナス材料が発生しないように配慮する必要がある。


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「世間体と恥について」
pp306

わが国の文化では、「世間体」や「恥」といったものをとりわけ過敏すぎるほど気にする傾向にあると思わる。これは日本人の国民性といってよい。ではなぜ日本人はそうした国民性が強いのか。井上忠司は次のように分析している。
わが国の人々の社会的規範の基本は、おおむね、「世間」に準拠して、恥ずかしくない行動をすることであった。唯一絶対神(超越神)をもたないわが国の人々は、〈世間の目〉から見られるときの自分を恥じるという、極めて状況的な倫理を内面に培ってきた。普遍的な価値基準をもたなかったので、「世間」の基準から自分だりが逸脱することのないように、「世間」と自分との間に生じるズレを、絶えず微調整しながら生きてきたのであ。
それが、「世間なみ」に生きるということにほかならない。唯一絶対神(超越神)を信している西洋の人たちは、言わば神にいつも見られているという意識を通して、自己規制をはたらかせてきた。たとえ他者の〈まなざし〉が介在していなくとも、強い自己規制をはたらかせることができたのは、おそらく、それに対して、わが国の人々は、「世間」の人たちの〈まなざし〉(世間の眼)にとらわれるという状況の過程のなかで、強い自己規制をはたらかせてきたのである。


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「地域精神保健医療と地域精神保健活動」
pp86

地域精神保健医療と地域精神保健活動とはどのように違うのか。その相違点の概略をいえば次のようになる。
地域精神保健医療という概念には、地域精神医学を基盤とした診療活動もしくは医学的行為といった意味合いが強く感じりれる。そこで、その医療サービスに福祉サーピスなどが加えられ、地域精神医療というサ−ピス形態にさらに幅をもたせたものとして地域精神保健活動が考えられ、必要となってきている。

近年、保健・医療.福祉の連携が例えぱ高齢者の分野でもその重要性について強調されているが、精神障害者の分野でも同じことがいえる。地域精神保健活動の基本的な考え方は、地域社会で発生したいろいろな精神保健上の間題を、その地域社会全体の人々あ活動によって解決していこうとすることでる。このような考え方があらためて強調されるようになってきた背景には、大家族から核家族への移行といった地域社会のさまざまな変化があげられる。
それに伴って起こってきたいろいろな問題に対する地域社会の耐性が逆に低下してきていること、その結果、間題解決のための地域社会における新しい取り組みが必要になってきたためである。このことは単に精神保健のことだけでなく、総合的な対策が必要なことはいうまでもないが、これに一歩でも近ずく活動を精神保健の分野で展開して行くことが当面の課題となる。

ここで、桜井猛のネットワークづくりについて紹介する。
ネットワークと一口にいってもさまざまな形があり、これを行政サイド、臨床的な専門機関、社協、利用者中心型と四つの面からとらえると次のようになる。

1.専門機能または法的な関係に基づく基本型ネットワーク
これは施設の入所、退所措置などによる生活保護の支給、廃止、難病の認定、ケース情報の交換または行政が意図的に行う地域福祉施策に基づくものである。
2.専門的機能と各種福祉サービス・住民活動が交流する混合型ネットワーク
この段階では基本的なネットワークでは不十分な状況により誕生した各種サービスが、在宅ニ−ズに対してかかわっている状況を示すもので、問題解決のための各種サービスが必要とされ、さらにそれらを補完するボランティアが必要になってくる。
3.ケースマネージメント型ネットワーク
具体的な個人あるいは家族などを地域のチームワークにより援助するネットワークである。
4.社会協議会を中心にした住民参加型ネットワーク
前記のネットワークと並行して整備されるもので、現時点のものというより今後考えられるモデルとして考えたものである。

保健所、病院、施設から求められる具体的ニ−ズの実現との間にギャッブがあるかもしれないが、地域組織化、住民参加の場の提供から避けて通れないものといえよう。現時点では、このようにそれそれの達技機能が未分化で地域を総合的に包括するネットワークはできていない

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「脱医療化について」
pp271

このような包括医療の観点から精神医療を考えた場合、時系列的には、各年齢層やライフステージを考慮にいれた取り組みが求められ、断面的には、家庭、学校、職場、診療所(クリニック)を始め保健所や精神保健センター児童相談所といった医療・保健・福祉の分野における相談機関、病院や施設などが統合的かつ有機的に機能して病者の疾病を診る一方、生活者としての病者を種々な角度から支えることができているかということが重要になる。


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「脱医療化に向けて」
pp296

こうした歴史をかいま見るまでもなく、またノーマライゼーション、インテグレーションさらにはメインストリーミングといった理念をもちだすまでもなく、本来人間は家庭で生まれ、地域社会で成長・発達し、家庭や地域社会を拠点にいろいろな社会や職場などで活動する。
そして、人生の終末を迦えれば家庭で余生をゆっくり過ごし、家庭で人生を閉しる、というのがわが国におげる文化の中では自然な生き方であろうし、また多くの人間はそうした生き方を望んでいるだろう。それは、老いも若きも、障害をもつ者ももたない者も、男女の性差も関係のないことであると思われる。こうした自然の摂理に沿った生き方ができるように、法制度や種々の施策などは機能しなくてはならない。
そのような意味に基づいて保健・医療・福祉も本来の人間の生き方にふさわしいあり方を模索しながら、相互の連携を強めながら機能する必要がある。それには、従来の医学モデルといった既成概念にとらわれることなく、人間を支援する新しいモデルなり形態を創造していかなければならない。
病院や施設といったものは必要最小限に止め、欧米では既に始まっている脱病院化、脱施設化にわが国でも早急に取組、不必要に入院、入所している多くの人を地域に戻す必要があり、それが専門家ののみならず、市民の責務といえよう。


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「セルフケアについて」
pp304-305

プロフェッショナル・ケアからセルフ・ケアへという一つの流れが起こりつつある。その一つにセルフ・ヘルプグルーブがある。セルフ・ヘルプ・グループは自助団体、当事者組織ともいわれている。定籐丈弘によると、同じ悩みや間題、課題を共有するものが集まり、メンパー間の相互作用を通して、課題の解決を図ることを目的とした自発的な結合集団である。

狭義には、長期的疾病や障害に苦しむ人や家族のグルーブであるが、広義には、社会的差別を愛けやすい障害者、婦人、老人、単身世帯などの集団、種々のマイノリティ・グルーブをも含める、と定義している。また、中田智恵海によると、セルフ・ヘルプ・グループは機能的に分類すると、

その機能には大きく分けて、社会の変革と自己の変革の二つがある。

また、対象者別に見ると、

21世紀の医療は、先端技術や遺伝子工学などがますます進歩し専門化していくことも考えられるが、他方で、ますます脱専門化が進み、個人的な次元ではセルフ・ケアが、集団的な次元ではセルフ・ヘルプ・グルーブといった勢力が台頭していくものと思われる。そして、専門的な援助とは別に、当事者同士がサポート・システムをつくり、互いが励ましあい、助言(自己洞察を促すような)し合って、より良い生き方や障害・困難の克服のあり方を見いだしていく。
そこでは、互いが人的な社会資源として機能し、客人が持ち合わせている貴重な体験が専門性を超えて生かされる。しかも、医療などの専門性に依存するのではなく、自己自身や当事者といった仲間同士で生活の自立勺を心掛け、精神的な自立を果たしていくところに大きな意味がある。
このようなサポート・システムが、専門分野では成果を生み出しがたいすばらしい結果を招くことがあり、今後こうした当事者同士のセルフ・ヘルプ・グルーブがますます評価され、広まっていき、医療の存在と同じくらい重みをもつ可能性もあると予想される。

pp298-299

病気の要因のうち、最も大きいのは環境であり、生活様式であり、行動習慣であることはそれほど理解の困難な内容ではない。10年か20年の間隔をとって、病気の種類やそれを患う病人の数の変化を観察すれば、そこに見られる大きな変動は決して身体内に自然発生したものではないこと、逆にいえば、身体を触ることでは対処しきれないことは認識できるはずである。
こうした考えは、近年よくいわれている、病気は遺伝体質、ストレス、食生活、ライフサタイルといった複合要因に基づいていることが大きいといわれていることと整合する。こうした観点からすると、プライマリーヘルスケアの考え方が非常に重要性を帯びてくる。
医療についてはすでに、世界的にその方向が出ている。公的な組織では、例えば世界保健機構が1978年にアルマ、アータで作成したプライマリー・ヘルス・ケアについての考え方を、翌年の総会で「アルマ・アータ宣言」として承認した。
これは、1949年の健康憲章に謳われた理想の方法論といえるものである。プライマリー・ヘルス・ケアについては、いろいろな定義が与えられているが共通する認識は、医療の第1線をもっと広げること、病気から健康へと考えを広げること、そして住民の主体性や関与をもっと重視する、と言うことである。


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「処遇困難者というスティグマ」
pp258-259

精神病院の役割は、急性期の患者への治療と慢性期の患者への治療やケアを機能分化して考える必要がある。
…黒川洋治は、「慢性期」をさらに「慢性期(1)」と「慢性期(2)」とに分け、前者はリハビリテーションを目標におき、デイケアなどを中心に行う医療施設や保護施設で処遇し、後者は「介護を中心とした福祉施設で処遇するというモデルを呈示している。さらに黒川は次のように指摘している。

「処遇困難患者」という言葉が使用されるようになってから、いつも間題になることは、この語が有する多義性と曖味さである。「処遇」という言葉は医学における「治療」を意味する英語のtreatmentの訳で、本来、治療と処遇は一体のものであった。とすれば、わが国ではすでに別の意味を有する「処遇困難」と「治療困難=重症例」の差異が存在するかどうかは考察に値すると思われる。

処遇困難とは換言すれば「扱いづらさ」のことであり、医学的な意味での症状や治療とは次元を異にする医療者と患者の関係性を意味することになる。一般科においても、治療者からみて扱いづらい患者は存在するが、対等の関係においては医療が中断するか、両者の抗争に発展するかで、処遇困難患者に特別の手立てを講ずるという問題は生じない。
したがって、この問題は当然のことながら、対抗手段をもたないある個人に対する別の集団からの一方的な決めつけという性格を有し、強制医療を前提とした精神科特有の間題ということになる。残念ながらこうした精神科特有の間題はまだ残っているには違いないが、急性期の患者への治療は急性症状がとれ、社会生活の目処が立てば早期に退院をさせ、慢性期の息者においてはその治療や処遇のあり方を検討し、よい方向へ変えていく努力がますます必要となろう。
その理由として、早期退院によって患者の人権を守ること、早期治療・早期退院によってホスピタリズムを回避すること、早期退院によって入院費などの医療経済のコストを下げ、病院医療で節減された医療経済費を社会復帰に振り向けられることなどが考えられる。


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「ゴッフマンとP.スピッカーのスティグマの定義」
pp281

ステイグマの問題に関して、その保障をかちとることが、偏見や差別の除去に結びつくともいえる。ここに、社会の責任として精神障害者を受け入れるシステムを社会の側でつくらなければならないといえよう。しかも、前記のようなことから、福祉施策に重点を置いた社会の支援システムをつくっていく必要がある。

pp106-107
ステイグマの定義というと、ゴッフマンの名をあげなければ語れないほど有名になっているが、そのゴッフマンによると次のようになる。「スティグマという言葉、およびその同義語は次の上うな二つの方向への展望を覆いかくす。 その二つの展望とは、スティクマのある者は、自分の特性がすでに人に知られている、あるいは人に見られればたちどころにわかると仮定しているのか、それとも、彼は自分の特異性がその場に居合わせる人のまだ知るところとはなっていない、あるいはすぐには感知されるところとはならないと仮定しているのか、ということである。

1.人はすでに信頼を失った者の苦境におかれるのであり、
2.信頼を失う事情のある者の苦境におかれるのである。たとえある特定のスティグマをもつものが、二つの型のいずれをも経験することがあるとしても、ここには重大な相違がある。わたしはまず、すでに信頼を失ったものの状態を取り扱い、次に信頼を失う事情をもつものを取り扱うが、必ずしも両者を別々に論ずるものではない。
3.極めて異なった種類のスティクマについて述べよう。
3-1.肉体のもつさまざまな醜悪さ…つまりもろもろの肉体上の奇形がある。
3-2.個人の性格上のさまざまの欠陥があり、それらは意志薄弱、過度のあるいは異常な情欲、頼りにならない信念、かたくなすぎる信念、不正直などとして人々に知覚されており、精神異常、投獄、麻薬常用、ァルコール中毒、失業、自殺企図、過激な政治運動などの記録から推測されるものである。
3-3.人種、民族、宗教等という集団的スティグマがある。それらのスティクマは家系を通して伝えられるものであり、家族の全員を一様に汚染するものである。

pp.107

P.スピッカーは、ステイグマライゼーションが持続的に起こると、どのような問題が出てくるかについてまとめている。まず、社会的に地位の低下が見られ、失業や貧困化を招く恐れが出てくる。


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「スティグマの解消に向けて」
pp231-232

1.経済や人口の動向を踏まえ、長期的なニーズとして何が必要なのか、また現状の実態の中で何が求められ、必要とされるのか、こうしたものを掌握していくには、市場動向調査やニーズ把握調査といった統計学がもっと駆使され、より社会科学的に客観的に対応されていかなければならないだろう。

2.1)困難ケースや多問題ケースの増加により、その対策が多様化し、従来の方法ではケースを管理・運営しきれなくなってきた、
2-2)時系列的、輪切り的な単層の処遇方法から多元的な対応も求められだしてきた、
2-3)援助や処遇をより効果的で、かつ有効なものとするには、より高次な判断が必要となってきた、といった状況下では、コーディネート論を中心に人間関係についての専門知識(人間関係論)、家族アセスメント、社会資源論、ネットワーキング論、ケース・マネージメント論といった新しい技法も必要になってきている。

3.に、専門機関や相談室で待ち受けるといった「受動型」「消極型」の社会福祉の援助のあり方から、専門機関や相談室からおおいに出向する「能動型」「積極型」の社会福祉の援助のあり方に脱皮していかなければならない段階にきていると考えられる。


ソーシャルワーカーも地域に出向き、保健・医療・福祉というリンクの中で連携を密にした業務も重視されなければならないだろう。かかる意味においても、わが国における「申請主義」を基盤にした社会福祉のあり方は早急に見直される必要がある。
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「社会復帰の現状」
pp272-275

社会復帰があまり促進されていないことになる。ハード面でまだまだ拡充・整備されなければならないのはいうまでもないが、なぜこれほどまでに社会復帰促進されないのかを考える必要がある。筆者なりに要点をまとめると次のようになる。


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「ストレスの種類」
pp244


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「カプランの地域精神医学の定義」
pp90

地域精神医学の理論を発展させた一人として有名なアメリカのカプランは、地域精神医学を予防精神医学と呼び、第一次予防、第二次予防、第三次予防という概念に分けて考えた。

第一次予防とは、環境改善を図り、相談業務や危機介入を通して精神障害者の発生を予防すること、
第二次予防とは、精神障害の早期発見や早期治療に努めること、
第三次予防とは、慢性患者のための社会復帰訓練を家族、教師、牧師、警察官、裁判官、企業関係者など地域住民の手によって推進することを意味している。
さらに、地域精神医学とは、本質的には機能的あるいは地理的に限定された人口集団内の精神衛生二−ズを満たすプロセスであると、カプランは定義している。


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「救護施設についての言及」
pp123

精神障害者と生活保護法とは歴史的に深いかかわりを持っています。精神病院が創設される以前には、精神病者は多くの窮民に交じって救護施設(貧民収容施設)に収容されました。また最近では、全国の医療扶助人員のうち入院者は156,000人います。その中で、84,000人(54%)は精神障害者でペッドを占めています。
つまり生活保護法の医療扶助を受けて人院している息者の半数以上は何らかの精神疾息者であるということです。病床の占有率、入院の長期化ということで精神障害者にかかる医療扶助費の間題は早くから重大な関心が持たれています。
また退院したのちも、何らかの身体的または精神的埋由で独立した社会生据が困難な人のために救護施設や更生施設、宿所提供施設(生活保護法第ご一八条)が用意され、とりわけ救護施設では全国で172施設、16,000人の収容者のうち半数近くが何らかの精神障害者であると言われ、施設によっては100%精神障害者を受げ入れている所もあります。
ょうやく精神保健法で社会復帰施設が認められましたが、まだまだ未整備なので、生活保護施設は単身生活に自信のない人に利用され、貴重な役割を果たしています。精神障害者と救護施設とのかかわりは古くて新しい間題です。


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