フェイゲン スティーリー・ダン(STEELY DAN)

おしゃれで、普遍の音楽性は、頑固なのを通り越して、すごいの一言です。
スティーリー・ダンは、もともと、ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの二人組から始まったグループといってよく、そして、最終的には、この二人とスタジオミュージシャンという組み合わせでもって、スティーリー・ダンといっても過言ではない。自分たちが作る音楽にとって、最良のミュージシャンを集め、何回となくセッションをおこない、同じ曲に違うミュージシャンによる演奏を聴き比べたりといった、妥協を許さない作品作りをする人たちです。
歌詞の方は、難解で、文明社会の中でかなりねじ曲がった人たちへの観察が綴られています(50−60年代のビートの影響を受けています)。しかし、音楽として、聞くと、そこには、音作りの極致というべき繊細で、それでいて、ジョークにあふれ、情緒があふれ、それが洗練された形ですっと、耳に入ってきます。ジャズやソウル、ポップといったカテゴリーを越えたクロスオーバー度の高い作品を生みだしているグループ(コンビ)といえます。
私は、友人がさりげなく持っていた、『aja』を聞いて、おしゃれな音楽だナァと思っていたくらいでしたが、その後、ドナルドの『night fly』のなかの「I G Y」、『gaucho』で「hey nineteen」,「babylon sisters」を聞き、中学生の頃、ラジオには流れていたおしゃれな曲だけど、曲名も分からない思い出の曲であると確信し、喜び、一気に買い集めたのがファンになりました。その中でも、特にお薦めというか、何回も聴いたアルバムは『aja』でした。
このアルバムは、1977年に作成されたものですが、全然色あせない、色あせるどころが、その輝きは渋く光り続けています。本当は、その以前のアルバム全部を聞いてほしいのですが、スティーリー・ダンの一つの完成域を指し示すアルバムであると思います。これまでない、贅沢なミュージシャンの配置、楽曲至上主義のスタジオでしか作れない、音楽がそこにあります。スタジオでセッションをして作品を作るとは、コンサートでは作れない音であるという意味でなく、作品一つ一つに込められた、楽曲を極限まで表現しようとするその熱意を精一杯伝えようとすることです。全ての作品がそうですが、どのグループでもアーティストでも、旬というものがあって、多分、このアルバムの頃の二人は、ある意味完熟だったのではと思うような、感動を与えてくれます。
ただ、聴く人によっては、退屈と思われるようなアーティストですが、その洗練、緻密さをかぎ取ってしまうと、たぶん、他のアーティストの音作りは色あせそうなそんな危険があります(^^)。

*関連HPは
jp.Steely Dan Page Index〜作品の紹介など


目次