思春期・青年期の心理特徴について、考察しなさい

前青年期、青年期(前期、中期、後期)における心理社会的発達の特徴を整理し、思春期危機という概念を取り入れて考察する。診断や治療上も他の年代と違った留意点があるので、その点にも触れる。

記述的診断が主流となりつつある精神医学において、精神力動論は人間のライフステージ、ライフサイクルをトータルに捉え、人間の自我の発達と葛藤を捉え、心の健康状態を発達段階において当てはめ、理解し、現在ある症状の原因を突き止め、環境、社会、身体、精神をトータルで捉え直し治療に活かしていく。とくに、精神保健福祉分野では、メンタルヘルスという核となる論理でもある。フロイトからはじまり、エリクソンのライフサイクル理論が広範に引用され、研究され、さまざまな捉え方がなされている。おもに、ライフサイクル理論が、現代的に、または、環境や社会をより詳細に分析し、様々な理論が確立していると思われる。
メンタルヘルスでは、精神力動論や自我心理学理論などに見られる、人間を発達的に捉え、それぞれの年代におけるライフサイクルやライフステージにおいて生起する様々な心理的な葛藤などを中心に、診断や理解する視点が重要になる。思春期・青年期においては、現代の日本では、不登校やアパシー症候群、摂食障害、引きこもりが問題になっている。学校保健では、スクールカウンセラーの設置などが広まっている。教育現場における精神保健福祉的(メンタルヘルス)なとり組みの背景には、思春期危機が多様化する、または、エスカレートし、成人になってからも症状として治療を要するケースが増えてきていることを意味している。
精神力動論や自我心理学理論は、こうした思春期・青年期の複雑な心の動きをある視点から、深く洞察し、その時の悩みを受け止め、向き合うため技術である。以下、ライフサイクルにおける思春期・青年期の特殊性と類型について述べる。
エリクソンのライフサイクル理論を参考にしながら、自我同一性を確立していくまでの葛藤や段階を含ませて、現在の診断に即して論述する。
文献として、指定図書の他、メンタルケースハンドブック、ソーシャルワーク・トリートメントを参照する

ライフサイクルと精神医学

思春期・青年期精神医学
思春期・青年期の心理社会的発達
子どもから成人への心理社会的移行期として、対象とするのは、第二次性徴出現の頃から、21〜2歳までの年代である。中学生くらいの年代に青年期という言葉を用いるのは日本語の語感として無理があるので、思春期・青年期精神医学という呼び名も使われている。
この年代の心理社会的発達は、両親との情緒的社会的な分離、個人としての社会的心理的アイデンティティの成立、身体的変化(第二次性徴)や性的衝動の突出的を心理的に統合すること、といった発達課題の達成を軸としている。こうした発達の要因として、急速な身体的な変化、脳そのものの成熟による認知思考能力の発達、社会的な発達圧力があり、こうした要因が様々に相互に影響しあいながら、一人の個人に働くことによって、この年代の急激な心理社会的発達が実現するのである。
思春期・青年期の年代区分
前青年期
いわゆるギャングエイジの時期で、10〜12歳、小学校高学年に相当する。身体の急激な成長が開始し、自己イメージの動揺をもたらす。男女が反目しあい、同姓の集団をつくる。唐突に家出や反抗などの問題が出ることもあるが、悩みは十分言葉になりにくい。
青年期前期
ほぼ中学生の年代に担当する。第二次性徴の出現により、子どもは児童期の自己イメージを持てなくなる。同時に両親、特に母親から距離を取り始める。そのかわりにこの年代では、同年代の同性の親密な友人関係が重要に感じられる。前青年期からこの時期にかけての同性の特定の友人との関係が、きわめて重要な発達的意義を持つことはよく知られている。
青年期中期
ほぼ高校生の時期に相当する。両親への愛着はほぼ弱まり、自己への関心が増大する。自己を過小にもしくは過大に評価する傾向が現れる。身近な同性とのつきあいは色あせたものに感じられ、家族や学校から離れた集団に同一化したり、哲学的な苦悩にとらわれたりする。異性との恋愛も現実的なものとなるが、まだ社会的な責任の能力が伴わないため、困難や外傷的結末に出会いやすい。
青年期後期
大学生の年代に相当する。自分とは何か、という問題に一応の決着が付きはじめる。青年期の流動性が一段落して、その人らしさが獲得されてきて、そうした自己同一性を基盤として、職業や社会的役割が選択される。異性との関係でも、かなり安定した関係を築くことが可能になってくる。

青年期危機という概念
この年代の患者には、暴力、反抗、自己破壊行動、自己評価の動揺、気分の変動などが共通してみられることが多い。こうした臨床経験から、このような現象は青年期に普遍的に見られるものであって、正常な青年期自体が一過性の危機であるという、見解が現れた。その見解に従えば、精神科を受診した青年患者も、経過を観察しておけば時期を待つことで自然におさまるものだ、ということになる。
しかし、そうした見解は、アメリカでの青年期患者と一般人口中の青年を対象とした調査研究の結果、否定されてきている。正常な青年においては、大きな発達課題にも関わらず、精神的なバランスはほぼ保たれていて、軽い抑うつ、不安、非行を伴わない反抗以外の症状は出現しない。逆に、臨床的な関与が必要になるほどの症状は、成人後の人格障害や精神障害につながるものである。
したがって、精神科を受診を患者を青年期危機という診断のもとに、楽観的に経過観察をすることはあまり適切ではなく、確固とした診断と治療的介入が必要なのである。このような見解が力を持つに従って、青年期危機という臨床単位はその意義を失いつつある。

思春期・青年期臨床の特殊性

診断上の問題
この時期は急速な発達の過程である。従って、そこで起きてくる精神医学的問題は、発達の影響を強く受けている。この年代の子どもの発達は、個体差も大きく、一人の個人の中で生理的、認知的、心理社会的発達の程度もばらつきがある。この時期にも、精神分裂病、躁鬱病、神経症といった成人で発症しうる精神障害が発症しうる。しかし、上述の発達の影響によって、病像は修飾され、診断が難しい。また、青年期の患者が言葉で苦しみを述べることが難しいことも患者の体験症状の把握を困難にし、診断を難しくしていることも考慮の必要がある。
治療上の問題
この時期の患者では、治療の上でもまず発達促進的な観点を持つことが重要である。患者の病気を治そうとするのでなく、急激な発達の途上にある人間の抱える困難という視点も、同時に持っておかなければならない。少なくとも、病気がある落ちつきを示すまで、患者のとりまく発達圧力(進学や進級の問題など)を一時棚上げにすることが必要な場合が多い。だがその場合、患者は達成の遅れなどについて強い焦りに苦しみやすい。
両親の扱い
青年期の患者においては、両親を治療にどの程度参加させるかが治療計画上きわめて重大な問題になる。この時期の子どもは、治療契約を結ぶ主体となることは法的に出来ない。しかし、患者はすでに自分で判断して、医療を求める能力をすでに持っている。大人と子どもの中間的立場である。
また、両親に秘密で受診するものもいる。しかし、医療が社会経済的な行為であることを考えれば、また、事故や副作用を考えれば、両親に無断で治療を開始することは現実的に難しい。医療者側は、患者の態度の非現実性を伝えた上で、患者の不安に共感的に触れていくことが必要となる。
逆に、両親だけ相談に来ることもある。このような場合は、本人が来ないからといって関与を拒んでは何も進展はない。両親のために面談を設定し、ガイダンスを与えておく。その場合、来院していることを患者本人にオープンにしておくことが大切である。

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