A.はじめに
私が所属している社会福祉法人は複数の施設を運営している(救護施設、特別養護老人、療護施設、知的障害児施設)。私はその中の一つ、知的障害児施設に勤務している。知的障害児施設は旧来の制度、措置制度のもとで運営されているが、特別養護老人ホームは新しい制度、介護保険制度のもとで運営されている。
私はこれまで、その施設の対象者に私はどの様にサービスを提供し、接することが最善なのかということは考えても、社会福祉法人とはそもそも何か、どのような社会的な位置づけがなされているのかということはあまり考えてこなかった。
しかしながら、政策福祉研究のこれまでの課題によって自分なりに社会福祉法人の成り立ちや近年の社会福祉構造改革とは何かということなどをまとめてきた。本レポートでは、これまでの研究をもとに、現在の社会福祉法人とは何か、何が変化したのかを考察していく。
本レポートの構成は次のようにする。
なお、課題である八代尚宏「社会福祉法人の改革−構造改革の潮流のなかで−」、小笠原浩一「社会福祉法人の改革と施設運営の課題−存在理由と公的責任を問う−」、北場勉「社会福祉法人の沿革と今後の展望−他の公益・公共法人とのあり方の関連で−」の論文に関しては、特に注釈がない限り、八代論文、小笠原論文、北場論文と省略する。また、これらの論文の引用については、「」のみとする。

B.社会福祉法人の創設の意図と目的について
そもそも社会福祉法人はどの様な意図で創設されるに至ったのか。通説では、戦後福祉改革においてGHQは社会福祉における国家責任の確立(国による財政責任と直接実施の責任の確立)を目指した。しかし、当時の国民生活の極度の窮乏に対して国は十分な社会資源を持っておらず、そのため既存の民間社会福祉事業に依存しなければならなかった。にもかかわらず、公の支配に属さない民間社会福祉事業への公金を禁止する憲法第89条が施行されたため、寄付金などの収入がなくなった民間社会福祉事業は財政的困難を一層深めることになった。そこで、憲法の規定に抵触せずに民間社会福祉事業を活用し、かつ、これに対して公的補助を行うために、1951年に制定された社会福祉事業法において行政庁が行政処分として行う「福祉の措置」を民間社会福祉事業に委託する「措置委託制度」と公的補助を受ける資格を備えた「公の支配に属する」社会福祉法人が創設されることとなったと考えられている。
しかしながら、措置制度は公費支出をするため、憲法89条との関係で必要な制度であるが、憲法89条の要件をクリアするだけであれば、民法上の他の公益法人でも可能であるはずである。ではなぜ、特別法人としての社会福祉法人を創設することが必要であったかと言う疑問が残る。このことについて北場論文では、「49年8月に発表された「シャウプ勧告」が従来非課税であった公益法人の収益事業に課税することを勧告したことから、社会福祉法人は、公益法人の収益事業に対する課税を回避するために生まれたのではないか」と考えている。またこの時代背景として、小笠原論文においては、「政策的には、かかる民間社会事業の独自の使命が社会的信用性や財源の不足によって衰微することのないように支援策を講ずることが必要であった。つまり、民間社会福祉事業に対する公共的信頼を高めることによって、事業の自主性を確保し、行政的立場から見ても公私をあわせた全体としての社会福祉増進を促していく必要が生じていたと考えられる」と述べている。また、北場は別論文*1で「公的救済責任を民間施設に委託する例は、一九一〇年代初期のアメリカにおいても見られました。当時、一五の州では、特殊な要保護者階級に対して州が救済責任を負っていると認識されていましたが、その責任を果たす具体的な公的制度・施設を持たないため、暫定的に私的施設に「収容者の人頭割計算による補助金」を与え、公的責任を代行させていたのです」*2と述べているように、日本のおける社会福祉法人の創設の必要性については、GHQは了承していたのではないかと考える。
このように戦後の国民の窮乏、財源が十分に確保できない状況の中で民間社会福祉事業による救済や福祉の増進を図るためには、公益法人の収益事業の課税を回避し、補助、助成を手厚くすることが急務であった。そのため、公共性が強いものとして位置づける必要があったと考える。
なお北場論文では、社会福祉法人に関する規定は戦後の学校法人をモデルにしていると論じ、その性格は、
Cにおいて、社会福祉法人の歴史的変遷について述べるが、この1〜4について八代論文では特に問題として着目していると考える。

C.歴史的経過と社会福祉法人の問題点について
よく社会福祉法人は硬直化した、または民間性を失っていると論じられることも多い。また、社会福祉法人の補助金などを巡る事件が散見される。また、表沙汰にならない施設の不透明な会計処理なども実際に見聞きすることが多い。
こうした問題に対して、八代論文では「他の民間企業と比べて、社会福祉法人は資産を寄付することによる「所有権なき法人」であり、設立者がその出資金の所有権を喪失することが大きな特徴となっている。」という点を強調し、「寄付に関しても現実として、歪んだ形で運営されている面もあり、例えば、医療法人とは違って一定の収益事業が可能であるという規定の元で、事業者が給食・掃除サービスを行う独立の会社を設立し、市場価格よりも高い値段でサービスを購入し、外部に蓄積することは違法ではないとされている。また、社会福祉法人は第三者からの寄付を受けることも可能であるが、例えば、外注サービス会社の高い価格で発注することを見返りにしているとした暗黙の取り決めを、外部からチェックすることが難しい。」と指摘している。
また、小笠原論文での社会福祉法人の問題点としては、Bで述べたように、社会福祉法人の創設の意図は、民間の自主性や公共性などにあったという点に注目し、「社会福祉法人は、単なる法定社会福祉事業の実施者ないしは行政事務の受託者ではなく、公の社会福祉事業の実施者としての側面と私の創造的な社会福祉事業の担い手としての側面を併存させている。」と論じ、社会福祉の担い手として今後も必要な制度であると認識した上で、現在の社会福祉法人の民間性は衰微していると論じている。その理由として、
1.に関しては、単に行政が社会的信頼を確保するためには、事業経営にまつわる不祥事や事件性を持った出来事を防止するということにとどまらず、社会福祉ニーズの実勢に即応したサービス実施の体制を作り上げる努力が必要である。そのためには、「社会福祉法人事業に関する行政事務手続きをできるだけ分権化することが必要である。」とした上で、実情は、社会福祉法人の施設設置認可権限は都道府県が有していて、市町村には権限がなく、地域福祉計画など社会福祉法人と地方自治体との有機的な協働関係を築くことが困難であると指摘している。また、「国および都道府県との関係で法令および財源の両面からコントロールを受ける余地が多い」ことも原因として挙げている。
2.に関しては、第一種事業については、経営を原則として地方公共団体および社会福祉法人に限るとされているが、社会福祉法人が経営する場合は土地取得、建設資金など自己負担を原則とし、公の責任は施設設備補助のとどめている現行の仕組みは、中途半端であると批判している。
北場論文では、「日本的公私関係」*3に着目しており、また、別論文*4では、具体的に「措置委託制度は、紆余曲折の経過を辿った補助制度とは異なり、戦後途切れなく続き」*5、「民間社会福祉事業の経営者の関心は、専ら措置委託費の償還率の向上、すなわち、「超過負担問題」の解消や「官民格差問題」の解消などに向けられた」*6と考察し、「それが、新たな独自財源を確保しようとする意欲をそいだ可能性もあります」*7と論じている。また、日本的公私関係がもつ内在的な制約が顕在化したのは、施設福祉から在宅福祉へと展開するようになってからであり、公的補助を行うことが制度的にも、日本的公私関係からも難しかったと論述している*8。
社会福祉法人の民間性の衰退については、八代論文のような性質、特徴から変容した要素から、小笠原論文の指摘する、財源の国のコントローや日本的公私関係によって民間性や独自性、あるいは、社会福祉法人と市町村の有機的なつながりが醸成しにくかったことであると言える*9。

D.社会福祉基礎構造改革などの本質と社会福祉法人の役割
一般に、介護保険などの契約制度になれば、競争が熾烈になり、社会福祉法人の運営も厳しくなると言った論調で危機感を煽られてきている。また、シンポジウムや研修に行くと必ずといってこれまで利用者に対して権利を認めず、措置の下でぬるま湯につかり、職員本位で仕事をしてきた。これからは、利用者に選ばれ、悪い施設は自然淘汰される。などといったことを聴かされ、本当に利用者のことを思って仕事をしてこなかったのかと、かすかな反発を抱いても来た。しかしながら、社会福祉基礎構造改革によって、今後、老人や障害者にとって、よりよい社会環境が拡大していくことは必要であるし、私の勤めている施設でも苦情解決委員会が設立されるなど、地域、施設、在宅との結びつきが強くなってきている事例も多く見られる。確かに変化は起きているが、その意図はどこあるのだろうか。そして、社会福祉法人の役割は今後どこに求められるのであろうか。
まず、介護保険によって準市場*10が形成されてきていることについて、八代論文によると、旧来の社会福祉法人の仕組みはむしろ利用者にとって有益なことではなく、効率性に欠けていると論じる。なぜなら、これまで「特別養護老人ホームは施設設備の大部分を助成された上で、行政から入居者が送り込まれ、個々に措置費が自動的に付くといった独占事業であった」。しかし、介護保険では「介護サービスの対価としての介護報酬に依存する制度に移行し、利用者を集める営業が必要になるという点では、一般の民間業者と同じ立場に置かれるようになった」と分析している。また、競争による「「弱肉強食のジャングルの掟」はあくまでも事業者の見方であり、利用者から見れば、事業間の競争が激しければ激しいほど」選択の可能性やサービスの質が上がり望ましい。むしろ、「「退出規制」のような形で、利用者のニーズに応えない事業者が市場にとどまり続けることのほうがより問題となる」。その上で「規制」とは、例えば民間有料老人ホームなどに対する指導監督は義務づけられているものの営業の自由の下で事実上劣悪な事業が放置されているを指摘し、こうした事業に対する規制としてバウチャー方式の必要性を提唱している。これは、あくまでも事業を守るためではなく、利用者補助と消費者保護のための最低限度の事業者規制である。その一方で、これまでの社会福祉法人の得てきた既得権(補助金など)を見直し、資金運用の柔軟性など自由度を増やしていきながら規制緩和を行い、民間企業と対等の条件で競争し、多様な選択肢の確保が今後の社会福祉に必要なことと考察している。
社会福祉基礎構造改革と社会福祉法人のあり方について、小笠原論文では「福祉事業の今日的変化に対応した経営改革を主論点にしているがごとくであるが、その底流には、社会福祉の範疇とその担い手ということをめぐる立場の相違がある。また、議論の焦点は社会福祉法人の経営弾力性や民間営利事業との競争条件の平準化にあたっているが、その背後には、社会福祉法人事業の収益性をめぐる考え方の違いがある」と述べている。つまり、社会福祉事業の担い手としての社会福祉法人のそのそものあり方とはなにか収益性とは何かと明確にすることが必要である。
現在、社会福祉事業概念は流動化し、介護福祉サービスが社会福祉事業から相対的に自立(ADL概念で理解可能な個体の身体的・精神的自立)し、多様な供給形態を持つ市場的仕組みができあがったことによって、従来の社会福祉サービスと介護福祉サービスという二層化が形成されたことを分析している。
また、社会福祉基礎構造改革の意図として、市町村への分権及び民間への分権が改革の中でうたわれているが、その他に、個人への分権*11も見ることが出来ると論述している。この個人への分権とは、「社会福祉サービスの利用決定権を行政や事業者から個人に移そうとする個人の「主権者化」とでも表現しうる傾向が見られる」とし、「この個人の「主権者化」は二義性を内包している」と考察している。二義牲については、一つが、「市場消費主体としての個人の選択権という意味」であり、もう一つが「個人の人としての自立を規定を置く」ものである。この考察は、上述の二層化と密接に結びつきながらも、「社会福祉ニーズの実勢からすれば、市場個人主義的なモデルを前提にしても、社会福祉サービスが個人の心理的・経済的効用の範囲を超えて、家族や世帯を支援すると言った要素を否定しえないし、社会統合性の視野で人の自立を捉える立場をとるにしても、社会福祉サービスの利用に当たって消費選択者としての個人の保護や豊かな選択条件の確保と言うことが重要なテーマとなろう」と総合的に捉えるべきであると論述している。その上で、社会福祉法人は「現実に総合的に対応しうる事業枠組みを確保するという発想」が必要になる。また、地域福祉においては社会福祉法人の規模や事業展開には上述の二層化を含み、濃淡があることを認識した上で「そうした実態に対応できるような多元性、有機性、弾力性を求められて」いる。このように、社会福祉事業の担い手である社会福祉法人も地域福祉に合わせて、「法人の事業構成をこれに適合する形に構築すること」が必要になっている。
今後の社会福祉は、こうした在宅と地域と社会福祉法人のの双方向性の確立や、「処遇段階及び状態変化に対応できるサービス群や能力組織の構築などが一層進むものと思われる」と論述している。よって、社会福祉法人の役割と本質は現代の社会福祉の実情と流動化に合わせていきながらも、公共性、公益性が創設当時から求められていることを強調し、専門性の育成や「地域福祉に必要とされる諸機能の調整弁など、家庭、地域、との双方向型の機能を装備したベースキャンプ的な役割を担うこと」が重要になり、そのような努力の中に「公共性にふさわしい創造的民間事業性を発揮できる余地が拡大していくものと思われる」と考察している。

E.おわりに
社会福祉法人を巡る政策論点の所在については、根本として、現在、社会福祉サービスを利用している人たちにとってどのようなシステムや枠組みがより良いのかという点にあると考える。方法として、現在運用されている制度や歴史から客観的に分析し、社会福祉法人の持つ本質や方向性について考察をしていると考える。
本レポートでは、Bにおいて社会福祉法人が創設されたそのいきさつを通して本来持っている本質を考察しながら、Cにおいて何が阻害要因なのか変容してしまったのかを論述した。Dにおいて、市場原理の導入などによる社会福祉法人の役割を考察している。このことは、Eにおける社会福祉法人の本来の目的をあきらかにしながら、再び活性化するための枠組みとは何かを考察することにあった。
私は、Aで述べたように、社会福祉法人に身を置き、現場で知的障害児と関わっている。確かに措置制度ではあるが、昨今の準市場の形成と共に、競争、契約、権利擁護などが意識され取り組まれている。選ぶ権利について、例えば八代論文で、後見人制度の利用などによって選択の権利は保障されるとされるが、果たして、その人自身にとっての幸せとは何かと考えると、在宅に戻すにも、施設にとどまるにしろ、または他の施設を利用するにしても果たして変わりうるのか。と自問をしてしまう。
しかしながら、現在の措置制度において、複数の施設を抱えている社会福祉法人であっても、例えば、救護施設に入所している身体障害者が重度になって療護施設に移行したくても、社会福祉法人による自由度は少なく、行政によって措置を決定した上で移行しなければならないし、知的障害児が例えばグループホームに移行するにしても、施設間のやりとりや本人の意思よりも行政による判断が強く反映され、希望する新しい生活が断念された例もある。本人にとって、よりよい暮らしを求める場合、現在においてはやはり行政によるコントロールが強いという感は否めない。準市場がより形成されてくると、こうした施設の流動化、施設の役割に合わせて利用者にとってよりよい暮らしをするために、利用者を抱え込むということではなく、自由に行き来することが重要になるのではないだろうか。むしろ抱え込んで利用者の意思を引きとどめてしまうような施設は取り残されていくと考える。そのときに、やはり問題になるのは財源であり、行政の立場であろう。このことについては、特に分権化の明確化、非営利と営利行為の違いなどを念頭に今後も検討されていく必要があると思われる。

注釈・引用文献
*1「「日本的公私関係」の成立と内在的規制」『福祉国家の変貌−グローバル化と分権化の中で』(小笠原浩一・武川正吾,東信堂,2002)(p.114)
*2(*1同掲)p.114引用
*3(*1同掲)p123において「民間社会福祉事業が措置事務を代行することによる「措置委託費」の支払いと、措置を代行する社会福祉法人などに対する「施設費などの一部に対する補助金」の支出という、二つのチャンネルを通じて行われる」ことと論じている。
*4(*1同掲)
*5(*1同掲)pp.120-121
*6(*1同掲)p.121
*7(*1同掲)p.121
*8(*1同掲)pp.129-131参照
*9「社会福祉法人のゆくえ」(蛯江紀雄,『社会福祉研究』(第80号),鉄道弘済会)pp.47-49参照
*10(*1同掲書)「福祉国家体制の再編と市場化−日本の介護保険を事例にして」(平岡公一)では、疑似市場とし、メカニズムとしてp.15参照
*11分権化について(*1同掲書)「補論 基礎構造改革と分権化」(小笠原浩一)p.178参照

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