A.はじめに
ライフサイクルや自我同一性、とりわけ自我同一性をアイデンティティとして呼び、日本語としても定着しつつあるし、いまや広範な分野で使われている概念である。しかしながら、そもそも自我同一性とは何か、ライフサイクルとは何かと問われると、明確に応えることが難しい。
これまでの課題と講評、演習などを通してエリクソンの自我同一性の概念、ライフサイクル論について学習してきた。なお、課題1において、漸成的図式や自我同一拡散については項目別に論述をしているため、本レポートでは、自我同一性獲得の過程やライフサイクルそのものの捉え方を中心に論述する。また、人間を理解する上での有効性については、社会における自我同一性などについて考察し、論述する。

B.ライフサイクル論の重要性について
精神分析をはじめとして様々な学派が、それぞれ独自の人格理論とそれに基づく発達論を提案していた。たとえば、精神分析では、意識と無意識からなる人格構造が理論の中核にあり、それに基づいて無意識の生物学的エネルギーであるリビドーの発達段階が示される。しかし、それらはいずれも抽象的な人格理論から導き出された概念モデルという側面が強く、実際の発達状況に即した実証的研究によって構成されたものではない。発達心理学においては、能力や機能という断片的な側面で人間を捉える傾向が強かった。そのため、「人生の過程」という時間軸に沿って生きている人間を総合的に捉えて発達をテーマにすることが困難となっていた。また、臨床心理学では、各学派固有の理論モデルに基づいた抽象的な発達論で人間を理解するといった傾向が強く、現実の発達状況に即して「人生の過程」の全体を捉える視点に欠けていた。
そのような中で、エリクソンによって提案された自我同一性の概念は、臨床心理と発達心理を繋ぐ意義を持っていた。自我同一性は、関係存在としての人間の発達を、誕生から死に至るまでのライフサイクルという時間軸において捉える包括的な概念である。この自我同一性の概念は、発達心理学においても臨床心理学においても「人生の過程」が学問の基礎となっていることを改めて確認する契機となったといえる。
自我同一性の概念の意義としては、心理社会的観点として「関係性」を導入したことに加えて、「時間性」を心理学の中に明確に取り入れた。具体的には、「ライフサイクル」という時間軸を理論の中心に据えたことで、心理学的出来事を時間経過の中に位置づけて理解する視点が提示された。自我同一性の概念によって心理学の発達論に導入された「関係性」と「時間性」は、発達臨床心理学の基本的な枠組みを構成するものとなっている。現在では、精神医学の分野では力動的診断において、または精神保健分野ではメンタルヘルスとしてライフサイクルをモデルにした発達段階における病理、障害についての視点の基礎となっている。

C.エリクソンの人間観の視座について
アメリカインディアンの子どもの研究から出発したエリクソンは、1950年代以降、青年期・成人期の研究に重点を移していった。そうした発達研究の基礎理論として構想されたのが彼のライフサイクル論である。それは、フロイトの心理・性的な発達理論に、ユングの考え、自我心理学の成果、社会的・文化的視点などを加えてさらに発展させたものである。彼はルター、ガンジーなどの伝記の研究によって、その発達理論を裏打ちし、ライフサイクルや自我同一性の考えの提唱者として、広く一般にも知られるようになった。エリクソンは、人間の発達を自我の発達に焦点を置いて捉えた。彼は、リビドーの存在を認め、それが各器官に順次移行していくというフロイト理論に立脚しながら、このリビドーの高まりが自我の発達と内的に関連している点、および対人関係や歴史的・文化的環境が自我の発達に欠かせない点に注目した。エリクソンは、これらの要点が自我の発達にあらかじめ予定された課題(心理社会的危機)を設定していると考える。したがって、それぞれの課題は一つの段階を構成することになる。自我の発達に関するこのような考えから、エリクソンはライフサイクルを八つの段階に区分している。
「心理−社会的」な発達の諸段階について、「「心理−性的」及び「心理−社会的」という合成語は、いうまでもなく、方法論的にも理念的にも別個の領域として確立された二つの領域を取り払い、両者の相互乗り入れを意図したものである。」*1と述べ、また、「治療という営みは、既成の事実を相手に議論するのではなく、それらの事実を新しい視野を切り開くようなより広い文脈の中に包括して捉えようとする全体論的態度を要求するのである。」*2とする。また、エリクソンは以下の発達過程を人間は持っており、1〜3は相互に補完し合う体制化(オーガニゼーション)過程に依拠しているという仮定」を提示している。
1.身体諸機関(特に体腔(孔))を下界と物質的世界、他の有機体との相互交渉の基本的形態と捉える。−生物的過程
2.そのような相互交渉の基本的形態は基本的心理形態(ゲシュタルト)の形成に寄与する。心理的過程の発生
3.ある集団において定型化された相互交渉の形態(儀式化)はその集団における文化・社会的な意味の伝達に預かる。−社会的過程
また、エリクソンは1〜3を結びつけるものとして、「有機体的原理」*3において、漸成理論を視座としている。もともと漸成は生物発生学における子宮の中での生体の成長を中心にした原理であったが、エリクソンは、この原理−発生には、適切な段階や程度が存在していることに注目し、生涯に渡り発達し続けることや社会的な事象や心理的な事柄についても応用できると考えた。このことを図式化したのが、漸成的図式であり、図式における発達段階の概念は、「(一)人格は、原則として、成長しつつある人間が、広がる社会的活動半径に向かって駆り立てられ、あるいはその社会生活の拡大を認識し、その中で相互に作用し合うというレディネスの、予め定められた歩みによって発達する。(二)社会は、原則として、この相互作用の起こる一連の可能性に遭遇し、或いはそれらを招くように構成されている傾向があり、それらの展開が適切な割合と、適切な順序で進むように保護し、奨励しようとする。これはすなわち「人間世界の維持」である。」*4と規定している。
いずれにしろ、エリクソンは、発生学的な漸成という視点で、個体は順序よく発育していくこと。それは、身体的にも心理的にもまたは社会的にも段階があること。それらは、相対性や相互性、補完性があること。また、それまで幼児期や性的成熟期までだった発達段階を生涯続くものとしたこと。また、これらは、社会的文脈も視野に入れて全人的に捉えるということを提起したといえる。以下、ライフサイクルとは何か、自我同一性とは何かということについてまとめる。

D.ライフサイクルとは何か
ライフサイクルとは、もとは生物学上の用語で、生殖によって引き起こされる成熟的、世代的過程を示すための概念であった。つまり、受精、胎児、出生後の発育、成長、成熟、衰退を経て、死に至る生命の循環を示す。この概念が心理学研究に応用され、出発点(誕生)から終着点(死)までの一連のプロセスという意味合いで理解されるようになった。また、ライフサイクルは、旅や四季などにたとえられることがある。また、シェークスピアの「お気に召すまま」*5やヘブライの「タルムード」、孔子の「論語」など、思想、哲学、宗教などにも見られる。共通しているのは、人によって、また社会や文化の違いによって様々なプロセスが見られるが、そこには万人の共通した一定のパターンがあること。また、個々人の発達に各々のペースがあるが一定の順序があること。また、世代の循環性、世代性が含まれ、世代から世代へわたって同じパターンを繰り返し、一つの世代が成熟することは、次の世代を成熟させる温床となっているという連続性にあることである。
なお、似たような言葉で、ライフスパンやライフコースがあるが、ライフスパンは、生まれてから死ぬまでの時間的隔たり、つまり、命の長さ、寿命を表し、ライフコースとは、人生の具体的な特徴の変化を記述する用語であり、ライフサイクルとは異なって、人間に共通する規則や発達段階の順序ではなく、個々人の人生行路に注目している。ライフスパンもライフコースも「世代性」という考えを含まない概念である。以下、エリクソンにおける発達段階とライフサイクルについて特に、徳目について論述する。このことは、上記における「循環」と密接に結びついており、ライフサイクルの要であると思われるからである。
エリクソンは、上記のように漸成理論を視座とし、生物−心理−社会の相互的な発達の段階過程について定義している。ライフサイクルにおいては、世代の循環に着目したときに、人間にとって内在的な活力となり、発達を支える基本的な強さとして「徳目」を提示している。徳目は、自我力の発達が段階的に進むように、世代的にも伝えられていく価値であることを想定しており、現実的な問いを乗り越えてより全人的に統合していく視座として捉えられる。
具体的に、児童期に発達し徳目として残るのは、希望(第一段階)→意思(第二段階)→目的(第三段階)→適格(第四段階)である。青年期の徳目は、忠誠である。成人期の中核的な徳目は愛(第六段階)→世話(第七段階)→英知(第八段階)である。これらの徳目は、発達課題の達成と同時に漸成の原理に従う。例えば、「希望」を持つことは安全である(第一段階の基本的信頼)と感じるまでは、「意思」の訓練は難しいし、青年期において「忠誠心」が是認されるまでは成人期に達する「愛」は相互補完的なものとなり得ない。
しかしながら、全てが達成されないと次の段階に進めないと言うことではなく、ライフステージにおいて第七段階においても自我同一性の形成が再び問題にもなるし、「英知」においても希望が人間的強さの最後の力になりうる。また、逆に再び第一段階の否定的な基本的不信というものに直面し、徳目である「希望」が違った形で試練にさらされることもある。
つまり、ライフサイクルは、世代世代の循環のみならず、その時代を生きる個々人の中でも循環していることを意味している。次に、自我同一性獲得を中心に自我同一性と何かについて論じる。このことは、エリクソンのライフサイクル論において最も強調されることであり、個人と社会の接点において重要な発達段階である。

E.自我同一性とは何か
個々人は、社会の中で、多くの他者や集団や社会の価値・規範・役割期待などを取得するが、その結果、それぞれの他者・集団・社会に対する複数の「…としての自分」と、それぞれの他者・集団・社会と共通する観点・一般化された他者の観点を獲得する。個人はそれぞれの状況に応じて一定の社会的役割を果たすことによって自分の自我を確認し検証する。例えば、長男(長女)としての自分、友人としての自分、男(女)としての自分、会社の一員としての自分、日本人としての自分などである。このようなそれぞれの「…としての自分」を選択しつつ行為するが、これら複数の「…としての自分」の同一性を統合し、秩序づけ組織化する普遍的統合的自我の連続性・斉一性・普遍性を自我同一性と、エリクソンは呼んでいる。それは、個人独自の存在であることの証明である。各々の同一性は、個人が役割取得の過程で次々に獲得したものである。この同一性の獲得は、社会的経験を深めるごとに累積的に行なわれ、職業人としての自分、退職者としての自分、親としての自分、老人としての自分などの役割を取得するように生涯継続する。なお、自我同一性の形成に関しては、以下の4つにまとめることができる。

つまり、児童期までは、両親や学校の先生など、他者の考えや行動を受け入れ、そのようにふるまってきた子どもたちは、思春期・青年期に達して、他者の影響から少しずつ離れ、自分で自分を創っていこうとし始める。このプロセスの中で、幼児期から今日までの自分、さらにこれから先の自分の間に、一貫性があるかどうか、また自分の仲間関係や他者との交わりの中で、あるいは社会との関係の中で、しっかりとした自分の位置と調和が保たれるかが、自我同一形成の大きな課題となる。また、青年期に形成される自我同一性はこれまでの子どもの頃の同一性とは違い、自己を将来的に規定するものであり、社会における自己の規定、社会に対する認識、方向性を含んだものであり、それまでの同一化群を統合するものである。このことは、私的な発達(心理、性的)と公的なシステムがどの様な形で自己の中で形成し、自己を規定するのかという課題をいわゆる「社会的猶予期間−モラトリアム」のなかで形成することである。現代においては、この自分探し、自分らしい生き方というテーマは青年のみならず、成人期においても大きなテーマになってきている。このことは現代における社会体制等に影響されていると思われるが、この点について、以下簡単にではあるが考察を加えたい。

F.社会と自我同一性について
エリクソンは、性的−心理−社会と結びつけて相互補完的にまた、トータルとして考えることを提示している。社会体制と発達段階についての関係について、エリクソンは、「基本的信頼の問題が宗教と制度に密接に関係を持っているように、自律の問題は基本的政治組織や合法的団体に影響を及ぼし、自発性の問題は経済秩序に反映されている。同じように、勤勉は技術に変わり、同一性は社会階層の形成に、親密さは関係性の型に、生殖性は教育や芸術、科学に、そして最後に自我の統合は哲学に、それぞれ関与しているのである」*6と述べるように、発達段階と社会制度は密接に結びつけられている。個々人が社会に帰属するだけではなく、個々人が社会に対して影響を与え合っていると考えることができる。また、親のしつけについても社会の影響を受けており、心理−性的なものと密接に結びついて発達してきている。
自我同一性と社会については、エリクソンは、現代はグローバル化によって価値観やイデオロギーが流動化していること、こうすれば良いとか悪いと行った明確な倫理性が提示しにくくなってきていること、従来の男女の価値観や役割も揺らいできていることなどを念頭に置きながらも、今求められている最も重要な制度は、やはり社会が、青年たちに有形、無形のイデオロギーという形で提供する「理想」のシステムが必要であると提示している。
どんな形であれ、組織付けられた目標や危険を伴う外的な世界観と同時に、理想像と逆に邪悪像といった内的な世界観の衝突による、青年期に形成されつつある同一性に対する地理・歴史的な枠組みとの間の「外見上」の対立が必要である。このことは、逆に、自分たちの社会−世界、環境に対する確かな位置づけを与えることが出来る。
また、社会は、大多数の若者メンバーが、児童期の危機から獲得した葛藤から自由な最大限のエネルギーを、特定の集団同一性が自由にできるように配慮されることも必要である。
このことは適合し儀式主義になるとか社会に順応させるという意味合いではなく、次を担う世代の個々人の創造性や人間的な強さに働きかけ、引き出すものである。そのためにも、個々人のそれまで培ってきた同一化群の強さやパーソナリティの強さなどが必要になってくる。(もちろん、それまで培う個々人の同一化群もまた社会によっても形成されるので、社会のシステム全体の強度が必要である。)

G.おわりに
ライフサイクル論や自我同一性の概念は、以上のように時間軸を据えたことにより、社会と心理と身体を結びつけトータルで考えることを可能にしたと言える。つまり、出来事を時間の経過の中に位置づけて理解することは、出来事を物語の観点から解釈することを可能にしたと言える。アカデミックな心理学での統計や数量化とは違い、客観的な対象として数量化できるものではなく、物語は、それ自体が時間と空間の枠組みに限定された個別性や具体性を前提にしている。固有な人生の物語という観点から心理学的な出来事を理解するとことは、そのストーリーの文脈に基づいて対象となる出来事を解釈することであり、そこに固有の「意味」が生成する。このことは、単に統計的な数量的な成長という一元的基準で考えるのではなく、生体としての衰退や、個人だけではなく、家族や社会との関係性における成長や衰退という視点も導入され、最後には、死をどの様に迎えるのか、人生の物語を次の世代にどの様に伝えるかが課題になる。
このように、ライフサイクルにおける自我同一性の発達段階を人生の物語として位置づけることは、個人的な観点、社会的な観点、関係性の観点からと複合的に見る可能性を与え、そのことによって、より主体的あるいは柔軟に生きるための概念を提示してくれる。このことは、自分の中でだけ完結していると思われがちな自己の人生をより広義の視点から見直すことが可能になる。

注釈、引用文献(文中の「」)
*1『ライフサイクルその完結』p.27
*2『*1同掲書』p.27
*3『*1同掲書』p.29
*4『幼児期と社会1』p.349〜漸成的図式はあくまでも考えるための道具に過ぎない
*5『*1同掲書』3-5(まえがき)
*6「幼児期と社会2」p.9〜『エリクソンは語る』p.37中、「特定の宗教とは結びつかず、人間はただ希望することを学ぶ能力を持ってくるのです。」

参考文献
配本された指定図書の他
『エリクソンは語る』(R.I.エヴァンズ/岡堂哲雄・中園正身訳,新曜社,1981)
『中年からのアイデンティティ発達の心理学』(岡本祐子,ナカニシヤ出版,1997)
『講座 臨床心理学5発達臨床心理学』(下山晴彦・丹野義彦,東京大学出版会,2001)
『精神医学ハンドブック』(小此木啓吾他編,創元社,1998)など

ホームインデックス