日本拳法

大学を卒業して、地元に戻り、就職をして(この辺はステレオタイプですね)しばらくは、地元の格闘技を探すことなく、月に1回仙台に行き、剛柔流で友人と時々練習をする程度でした。
いわゆる、防具つき空手の大会に出てしまうと、少林寺に入り直し、型を中心の練習ばかりでは物足りなく感じるようになりました。また、友人の所属している道場は、硬式の大会に出る人が少なく、その都度、必要としてくれていたこともあり、毎回試合に出ていたこともあり、似たような格闘技がないか模索をし始めるようになりました。(防具付きの剛柔流は地元では存在しなかったのです)
仕事をしているため(また、フットワークを必要とするため)、いわゆる実戦空手のような〜極真、大道塾〜は、軟弱な私('-')にとっては、ちょっと、荷が重く感じられ、防具をつけて、ローキックのない格闘技を探す基準となりました。
はじめて、日本拳法の道場を見学したときには、数人の練習生が広い畳の上で移動稽古をバラバラにしていたのを記憶しています。先生は、その時どうやら休みのようで、簡単な説明を聞き、かなり硬式空手の形式に近いという感触を得ました。

すぐに入門をして、すごく戸惑ったのが、動きがものすごく直線で、とても疲労するのが、組み技があることでした。
そこにあるのは、まぎれもない「ガチンコ」だったのです!私の中での経験が、全く持って通用しないささやかな挫折と立ち直った後に学んだ新鮮さと謙虚さでした。

日本拳法は、形式と実戦のバランスの取れた武道であるというのが第一の印象でした。
形式とは、いわゆるハードヒットだけでは、ルール上ポイントとして認められないということで、組み手(試合)では、3分で技が決まれば1本の3本勝負または、本数制なのですが、明らかにハードヒットをし、さらに綺麗な形で決まることを条件にしているため、フォーム(動き)やしっかりした動作で攻撃したものでなければ、認められないという点が強調されます。審判によって、判断がまちまちになる場合も多々ありますが、要するに決定打であることが重要というのが特徴です。
また、組み技があり、立ち技による乱戦からクリンチ、その後の攻防があるという点が実践的な特徴となっています。組み技が得意な人は、立ち技から組み技への移行を重視し、立ち技が得意な人は、組み技に移行しないように戦術を立てるといった駆け引きがありますが、やはり、一通りの練習の中で、組み技は立ち技と等価の意味を持ちます。わたしは、組み技が苦手なわけではなかったはずだったのですが、スタミナがあまりないため、立ち技の瞬発力から組み技の持久力への移行がうまくいかないようで、組まれたとたん、ヘタル傾向にあります(..;)。〜とにかく、日本拳法の練習の中で一番、戸惑ったのが、組み技で、しかも、立ち技から組み技というのがとても苦手でした。

また、第2の印象として、すごく動きが直線的で、それゆえ、「ガチンコ」になってしまうということでした。
剣道のように、斬り合いのように直線でお互いぶつかり合い、差し手争いで、うち勝った人が主導権を握りやすいというシンプルさがあります。
がつ、がつと左でのジャブ(前拳)でぶつかり合い、隙ができれば、右で抜くというのが基本的な攻撃になります。よって、どのくらい力を伝えるのか、そのためには、直線的に、充分に腰に力を乗せ、振り抜き、そして、体勢を崩さない足腰が要求されます。回し蹴りを多用していた私は、修正を余儀なくされました。動きが全て、再編成されるのは、私にとっては、至難の業でしたが、そうしないと、ここでは通用しないというのがあるので、自分のささやかな経験はさておき、長い時間ここで学ぶ以上、捨てなければいけませんでした。捨てる覚悟ができても、染みついた動作は、なかなか修正できずに、悩んではいるのですが、親身に熱心に教えてくれる先生のおかげで、どうにかこうにか、やっていくことができているようです(^^)。

道場の雰囲気は、本当に各闘技が好きな人たちが集まり、熱心で励まし合いながら、それでいて、厳しい雰囲気があります。新しく入ってくる人もコンスタントにいて、門戸は広い方なのですが、日本拳法が地元ではあまりメジャーでないせいか、人数は少ない方です。しかし、自分にとって、性にあっていると思うと、ずっと続けていく人が多く、アットホームな雰囲気も強いです。先生は、すごく親切で、そして、日本拳法をこよなく愛していると話すその姿は、頼もしいものです。


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