はてしない物語

『はてしない物語』
ミハイル・エンデ
岩波書店
1982

物語の呼びかけに応じ本の中に入り込んだ少年の不思議な物語〜
映画にもなった、名作中の名作である。発刊されてからもう20年も経ったンだぁと思う。今の若いお母さんとか分かるかな?エンデが亡くなってからもうだいぶ時間が経ったけれど、2002年現在、『ハリー・ポッター』のブームで、『指輪物語』も復刊されて、かなりの売り上げをなしているので、ファンタジー再燃といった感じであろうか。そして、また、この物語が脚光を浴びてくれればと思う。

主人公は、母を早くになくした意気地なしで、いじめられっ子である。けれども、無類の本好きで、本さえあれば空想の世界に逃避することができた。ある日、いじめっ子に追われて、古本屋に逃げ込み、そこで「はてしない物語」を見つけ、ついつい万引きをしてしまう。そして、その本をもって学校の物置に隠れ、その本を読み出すところから物語は始まる。(参考:安達忠夫『ミヒャエル・エンデ』講談社現代新書,1988.3.20この本はまた、サブテキストとしての文献のリストもある)

とにかく、いくらでも解釈が成り立ち、心理学的にもいくらでも読めるが、そんなことは関係なく、その物語の吸引力はすごい。私が中学校の時に、発刊されたが、この分厚い本を食い入るように読んでいる女生徒がいたことを思い出す。(私は、実は大学に入ってから読んだ)彼女もまた、ファンタジエンの中の住人としてのめり込めたんだナァと思うと、もっと早くにこの本と出会えたらと思った。

本を読んでいる主人公が、その本に書かれている物語にのめり込みながらも、ふと感想を述べている場面がある。それを私たちが読んでいるわけで、その二重の構造がある。そして、その構造が徐々に、浸食されていき、主人公が物語に吸い込まれて、ファンタジエンでの冒険が始まる頃には、私たちが最初に感想を述べていた主人公の立場になってのめり込んでいることに気づく。そして、最後には、主人公と一緒にファンタジエンを彷徨い、悩み、現実に戻る頃には、何か清々しい感動というか、読了感を味わう。

本文では、物語の随所に、冒険の最中にエピソードとして語られない部分がある

「けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときに話すことにしよう」

ここに、エンデという作者の存在を知るとともに、未完の冒険があちこちで続いている、世界はあらゆる所に息づいていることを示し、その空想や、自分なりの想像で行く末を思ったりすることができる。これもまた、「はてしない物語」なのである。

ファンタジエンは、虚無という脅威にさらされ、その国は崩壊に危機にさらされていた。そこで、ひとりの少年がその崩壊をくい止めようと途方もない冒険をする。これが前半の部分の冒険、後半は主人公が、その国の中で自分を変容させていき、最後には記憶すらもなくして存在を探索していくことが冒険となる。
前半のファンタジエンと虚無の関係では、ファンタジーと虚構は似て非なるものとして、その対立を描いている。ファンタジーと妄想は違うのである。現実を見る創造的な、想像的な視点は、つまらないと思っていた事象に新たな見方を提示し、驚きと違う世界を広げる。それは、絵画であったり哲学や音楽であったりすることもある。表面的な現実に深みを与えるものが、ファンタジーなのである。そして、そのファンタジーは内面のことであり、現実には何一つ持っていくことができないのである。けれども、こういうファンタジーがあるよねという形で、話したりすることはできる。それは、最後に、古本屋で主人公が、店長に冒険の話をして、ファンタジーを「共有」し、最後に店長が「きみは、これからも、何人もの人に、ファンタジーエンへの道を教えてくれるような気がするな。そうすればその人たちが、おれたちに生命の水を持ってきてくれるんだ」とつぶやいたように、開かれた形で示すことはできる。そう、ファンタジーは共同の世界なのである。
よって、妄想のように、ファンタジーが現実になってしまった人や混同してしまって不全状態に陥った人は、後半の主人公が彷徨い、記憶を無くしたまま現実に戻れなくなった人たちが住む町の「元帝王」のようになってしまうのである。

現実と夢のあわいにおいて、現実も夢も相対化され、その区別すら曖昧になってしまうような忘我の状態−それこそまさにファンタジーエン国に他ならない。夢中で本を読み終えて、一瞬自分がどこにいたのか思い出そうとするときの、あのめまいにも似た感じを、本好きな子供なら誰しも味わったことがあるであろう。そのまなざしはまだ、はるかな旅路を辿りつつ、冒険の深い余韻を懐かしんでいるが、決してそれは退嬰的な回顧ではない。いのちの泉に触れて新鮮さを取り戻した魂は、再び現実の具体的な問題にとり組む勇気を与えられたのである。

自分探しというありきたりな題材にも見えてしまうが、しかしこれは深刻なけれどもイマジネーション豊かな物語となっている。エンデならではの筆致で綿密な描写でぐいぐいと引き寄せて、好きな場所から再読をしていても、いつの間にか最初から読み始めてしまう、そんな名作である。

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