魔法のお店

新編『魔法のお店』
荒俣宏編訳
筑摩文庫
1989

現在、アンソロジーによって古今東西の名作、珍作、隠れた一品などを寄せ集めてあるテーマに沿って本が編まれるとことが多いのですが、編者の知識、思い、審美眼が問われると言う意味である意味、創作する以上にその人の趣味の良さ…個性といっても良いですが問われることになります。
ホラーのジャンルでは、井上雅彦のホラーアンソロジーは秀逸ですが、この荒俣宏さんの深い知識に裏付けられた個性豊かな編集、隠れた名作を読んだなんか得をしたような…みんなはあんまり知らないだろうけど、こんなに面白い話を呼んだよ…という気分にさせてくれます。
この「魔法のお店」は、荒俣さんの省察から、知らないお店、気になるお店に出会ったときの不思議さ、それも何となく偶然に迷い込んだ、身近な小路のこぢんまりとした趣味のいいお店に出会ったときのドキドキ、そこにファンタジー性があることなどの記述ではじまります。見たことのない、けれども、何とはなしに、気になる商品、使ってみないと分からない商品…使ったらどうなんだろうという期待…こういうことはないでしょうか。何となく、外出してみたい気分で、とりわけ目的があるわけでもない。天気もいいし、人通りもあまりない。ぶらぶらと歩きながら、普段はあまり気にしない小路があることに気づき、フラッと入り込んだら、なんだか趣味の良さそうな喫茶店があった。入ってみると、結構おいしいコーヒーと気の利いたお菓子をおいている。マスターも店の雰囲気もいいし…と。
「魔法のお店」はそんな身近なものから、まさに幻想の世界に迷い込んだようなものまで、16編が編まれています。アンデルセンのマッチ売りの少女からSFまで多岐に渡りながら、コンセプトは不思議さに包まれた出会い、そしてお店と貫かれています。
荒俣さんの作品毎の前書きも気が利いていて、例えば、「奇妙なお店」では、

都会の片隅に、こんな静かな店がいつまでも残ってほしい。
星の音やこおろぎの鳴き声、つゆの滴る音や良心の声、
いつのまにか忘れてしまったようなそんな<音>を売ってくれる、
まるで時の流れにとり残されたような心優しいお店が。
といった具合で、全編につけられ、どんなお話なんだろうと引き込まれていきます。
当然、巻末には作品毎の紹介もつけられています。
中でも一番好きだった作品は、「星を売る店」(稲垣足穂)でした。大正時代の小説なのですが、その頃の大正ロマンというか、都会の情景を描きながらも、けっして古いと感じさせるよりもレトロいう響きの中にあるノスタルジー(未だ見ぬ原風景)の中で、迷い込んだお店が、星を動力にかえておもちゃの列車を動かしている店に迷い込んだ青年の幻想的なやりとりがすごく印象に残っています。
山頂、それもヒマラヤや富士山などから星を採集しているという記述は、後にたむらしげる銀河の魚ファンタスマゴリアの情景と重なって、クラクラ来たことを思い出します。
多分、流れ星を山頂で虫を採集する網で必死に振って取っているんじゃないかナァと思ったりして。

本編に載せられている小品は、1848年から1969年と幅広いながらも、それを知らずにもほとんど同列にクロスされ、何が新しいとか古いとか有名無名問わずそうしたことを意識することなく、読み終えて本を閉じ、顔を上げたとき、なんだか違った世界に迷い込んでいたことをしばらくして思い出させるような、そんな魔法の本です。さまざまな人が編まれた、童話…大人のためのファンタジーといった趣があります。

たまたまあるお店に入って、たまたまある品物を買う。
ただそれだけのことなのに、
お店の扉をくぐったそのときから、
あなたの運命は大きく変わってしまうのです。
なぜなら、お店とはこの世の仮の名。
すべてのお店は、
実は、運命が待っている別世界への入り口なのですから!
第二章−運命が待っている店 より
なお、もともと、1979年に発刊された本を新たに組み直したという意味で、新編となっています。
図書館で、或いは古本屋で、または未だ注文できるかも知れませんが、是非お薦めします。(^<^)
(2003.2.9)

ファンタスマゴリア
銀河の魚


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