終章

 施設に専門性はあるのか。この実習生からの問いに果たして応えることができただろうか。本論は、実習生が発した問いに応えるために始めたが、最終的には、自分自身が施設で働き続ける意味・価値・根拠に答えるための長い旅の始まりとなった。そして旅を続けていく中で、これまで自分自身がいかに何も知らないのかを思い知らされた。そして、書きながらも自分の論考不足、あるいは様々な論文を引きながらも、果たして正しい解釈をしているのかと悩み続けてきた。
 それでも田島(2006)がいう「哲学としての倫理学や美学は(あるいは、科学哲学とか宗教哲学とか、ほかの何とか哲学でもよいが)徹頭徹尾ずぶの素人であるほか無い」(P.5)。あるいは、「多くの知識を蓄えることが問題ではない。越境的な精神の自由を確保することが問題なのである」(P.5)に他の学問の知見を借りながらも、まずもって自分自身で考えていくことの大切さを学んだ。もちろん、本論は哲学ではないし、他分野といっても、結局は福祉それも福祉施設という限定の中で論考を加えているから、田島が意図する試みの足元にも及ばない。その上、「ずぶの素人」をいいように解釈をしているだけかもしれない。さらにいうなら、精神の自由が得られるどころか、ますます悩みが深くなった気がする。
 しかし、ともあれ、まずは身の回りの事象や福祉施設を巡る言説を自分なりにたぐり寄せ、モデルとして提示してみたいという目的はある程度達成できたと考える。そして、論考を行い、モデルを作成するなかで、現在、何が福祉(施設)で問題となっているのか、あるいは考えられているのかその一端を知ることができた。また、一般に流布する言説や批判を福祉施設従事者の視点で構築し得たのではないかと考える。それは、自分がいかに今までイメージ先行で言説を検証もせずに漠然と受け入れてきたのかに気付くことができた。
 本論の一番の収穫は、職場の同僚・後輩・先輩と一つ一つの課題〜労働者意識、専門性、ケア、差別意識等々を対話したことであった。話していく中で相手が刺激を受けたこともあったかもしれない。しかし、それ以上に自分自身の中や現状に容易ならざるジレンマや困難性が潜んでいることを痛いほど知ることができた。いずれにしろ、対話は、そうした問題群を自分自身に引き寄せて考え、論文を進める原動力になった。
 施設職員は、中卒から大卒まで、資格保持者と無資格者、経験の長さなど序列がある。そして良い仕事をしようとする意識にも差がある。それらをみんなひっくるめて組織があり、動いている。できることなら、序列を超えて、職員が目の前にいる利用者のために良い仕事を積み重ねてほしい。あるいは、職員一人一人が自分で考え、行うことを通じて、精神的自律が確保される。
 もちろん、自分自身が自律しているかどうかといえば、答えは否である。しかし、少なくても本論を通して何を考えるべきなのか、行うべきなのか、隙間だらけとはいえ枠組みを構築し得たのではないかと考える。今後の課題は、それらを一つ一つ考え直しながら、より深く、豊かに言説を編んでいきたいと考える。

引用文献
田島正樹『読む哲学事典』講談社現代新書,2006


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