A.自我同一性獲得の発達段階について
 エリクソンの理論は、成長するもの全て「予定表」を持っていて、全ての部分が一つの「機能的な統一体」を形作る発生過程の中で、この予定表から各部分が発生し、その各部分は、それぞれの成長が特に優勢になる「時期」を経過するとされる。社会と個人の相互作用は、文化によって異なるとはいえ、なおそれは生体の成長と同じように「自己の成長を支配する適切な程度と適切な順序」の範囲内に留まるものでなければならないとされる。
 社会的発達に関しては、本質的に社会的でない個人に社会的規範を「しつけ」や「社会化」によって付加していくのではなく、社会は、人間が漸成的な発達において各段階特有の課題を解決していく方法に影響を与えることで、個人をその社会の一員にすると捉えている。
 また、ライフサイクルの各発達段階はその段階において到達されうる解決の成功と失敗の両極端によって記述されるが、実際にはその発達の結果は両極端の均衡においてなされる。そして、自我の力の発達が段階的に進むように、世代的にも伝えられていく価値として、人間的な強さとしての「徳」の発達を考えている。
 以下、エリクソンの八つの段階に即して論述する。

1. 基本的信頼と不信
  口唇性、つまり、口に集中する経験の複合体は、食事を与え、安心させ、抱擁したり、温かくしてくれる母親との関係において発達する。この段階で子どもが学習しなければならない基本的な心理−社会的な態度は、いわば子どもが自分の母親の姿を通して自分の世界を信頼できるようになることである。また、母親はその文化、階層で異なるとはいえ、信頼することを教えなければならない。また、子どもは、母親や文化に対して不信に感ずることも学ぶ。そうして、信頼と不信とが一定の割合で基本的な社会的態度に含まれているからこそ、次の発達段階への決定的要因となる。そして、この段階における基本的な徳(あるいは発達を促す活力)は「希望」であり、人間にとって最も基本的な徳であり、人間的関心事に関する全体的な見通しを持った強さを意味し生涯持つものとされる。

2.自律対恥と疑惑
 信頼と不信の好ましい割合から生ずる希望の発達は、肛門括約筋をはじめ全身の筋肉が成熟して、自分で身体のコントロールが可能になる時期に達する。それは、基本的な徳として「意志の力」を使うことを学ぶようになる。この段階の子どもは、自分の意志を表明したり他者にやめさせられたりといった作業を通じて、自律心と恥や疑惑の感覚を磨くことになる。親は、「自分自身の足で立とう」という子どもの自律心を援護し、貪欲に自分のものだけにしたい(保持)、かたくなに排除してしまいたい(放出)という激しい欲動に対して脅かされないようにする必要がある。

3.自発性対罪悪感
 このころの子どもは移動と認知の能力の発達によって、自分が大きくなることについて考え、自分が理解し認識できる人の仕事やその人格に同一視しをはじめる。また、自分の行動に計画を持ち始める(目的の発達)。しかし、子どもは自分の空想(性器的なものなど)に対して罪悪感を感じ、現実と空想の狭間で葛藤が生じる。よって、次の発達段階を得るためには現実的に高い志を持つ、独立の感覚の基礎となる傷つかない積極性の感覚を身につける必要がある。
 
4.勤勉対劣等感
 このころの子どもは、自分が生まれた文化・社会の中での、いわば基本的原則と基本的技術を学ぶ。自我は文化的諸制度と相互作用をしながら、子どもの生得的能力や潜在能力が発揮する時に自分が社会の中で強く存続できることを自覚するようになる。また、この時期はいわゆる潜在期とも呼ばれ、性欲などが抑制される時期とされているが、エリクソンはむしろ学習などの好奇心が性的な好奇心を単に抑制するだけではないと考察している。劣等感は、子どもが習得し自分のものにしたいという試みの失敗であり、その両極が作用しあい、そこから基本的な徳「コンピエンス」(社会適格性、競争力)の徳が生まれるとされる。

5.同一性対役割の混乱
思春期、青年期では、児童期の初期に匹敵する急速な身体的成長と全く新たに加わった身体的な性器的成熟が起こる。成長と発達の途上で若者は、自己内部の生理的な革命に直面して、自己の社会的役割を統合する試みに関わるようになる。ここでの自我同一性の感覚は、自分が理解している社会的現実の中にはっきり位置づけできるような自己を自分は発達させつつあるという確信を持つことである。ここでの基本的な徳は「忠誠」であり、特定の現存組織によって確立された価値(イデオロギーなど)を遵守する能力の発達を促す。役割の混乱は、自我同一性が形成される途中で社会的猶予期間を利用し、それまで発達してきた実験的同一化を統合していく社会的遊びが阻害されて社会的な自己定義を確立することが出来ない状態である。(詳細は後述する)

6.親密対孤独
 同一性を求めそれを主張する青年の段階から若い成人になると、自己の同一性を他人の同一性と融合させることに熱心になる。親密さは、友情、愛、性的親密さ、自分の内的資源、自分の興奮や関与の範囲内などを意味する。親密さを形成する途上での葛藤に孤独がある。これは、他人を拒絶したり、孤立したり、形式的な人間関係(自発性や本当の友情の交換を欠く)に終始したりする。ここでの基本的な徳は「愛」であり、利己的でない成熟した愛のことを指す。

7.生殖性対停滞
 この年代の人は、社会の中で自分の場所を認識し、社会が生み出すもの全てに対してその発展等を目指し援助をし始める。生殖性とは次の世代の確立と指導に対する興味や関心を指す。その成長段階での葛藤は、自己埋没の形を取り、愛他的行動がとれるほどの余裕がなく過度に自己愛的になる状態に陥る。それは停滞の感覚の浸透による人間関係の貧困化を伴う。また、ここでの基本的な徳は「世話」である。

8.自我の統合対絶望
 何らかの形で物事や人々の世話をやり遂げ、子孫の創造者、ものや思想の生産者として避けがたい成功や失敗に適応させた人間だけが、以上論述した7つの段階を次第に実らせていく。自分の人生周期を取り替えることのできないものであると受け入れることが必要となる。ここでの基本的な徳は「英知」であり、これは、その時代の英知を示すことが出来るかどうかという意味である。またはこの時期(老年期)においての葛藤は、ただ一つの人生周期を受け入れることができない、人生をやり直すには時間が短すぎるなどの焦りが絶望になって表現される。

B. 自我同一性拡散症候群について
 自我同一性の獲得の時期はそれまでの発達段階と違い、切迫した緊張性によって若者たちに選択や決断を余儀なくさせる。社会にとっても青年にとっても重大な課題となる。よって、自我同一性拡散の状態に陥っている青年は、時に精神病や境界例などと診断されることが多い。しかし、発達段階に即して言えば、必ずしも精神病であるというわけではなく、青年の葛藤が一時的にそのような行動をしているに過ぎない例も少なくないとされる。
 また、自我同一性を獲得する際の危機は、すべての発達段階に対応していて、例えば、時間の拡散は、はじめの発達、「信頼と不信」における段階にあてはまり、両性的拡散は、同一性の獲得の次に発達する「親密対孤独」を先取りした危機であるとされる。以下、代表的な項目に沿って論述を行う。
 
1.時間的展望の拡散
 青年期が蔓延したり、延長されたりする極端な場合には、「時間体験」に極端な形での障害が現れる。切迫感と生活の時間の感覚の喪失などを意味する。これは時に「死んだしまいたい」といった絶望感を伴うことがある。社会的な未来の見通しの悪さを感じたり希望がないと思われたときに生じる。しばし、これは、否定的同一性の選択を生じるとされる。

2.勤勉さの拡散
 注意力集中の困難、読書過剰のような一面活動への自己破壊没入、仕事、学習、社会性などの能力獲得以前のエディプス的葛藤への退行などが起こってくる。この拡散を起こす人は主に、知能が高く、才能に恵まれ、仕事や学究的な勉強そしてスポーツなどでかつて成功を収めたことがある人に多いとされる。しかしながらこの拡散は、人々との接触、活動、競争などの諸機能を、もう一度発達させ直すことに対する新たな許容を得たいという願望に基づいている。

3.否定的同一性の選択
 家族や身近な共同性が望ましいものとして提供している役割や同一性に対する軽蔑や憎しみ、やがてはこれらの全てについての全面的な嫌悪が起こりこれらと反対な物への過大評価が起こる。非行や反社会的な活動家にあこがれるなどである。また、「少しばかり安定しているよりも、全然不安定な方がよっぽどいい」といった発言に代表されるように、肯定的な役割が達成不可能と思われ、努力し現実感を得ようとする同一性よりも、途方もないものへの全体的な同一化から、同一性の感覚を引き出すことのほうがよりたやすく感じている状態である。

4.労働の麻痺
 自我同一性獲得のために社会が与えられている猶予期間を利用できない、つまり、それまでの段階で発達してきた同一化の可逆的な役割実験を行える肯定的な自我が弱まり、どんな選択・決断も葛藤的(否定的)同一化を引き起こすこと。そのため、どんな決定的な職業選択や自己定義を回避する麻痺状態に陥る。しかし、こうした麻痺状態、肯定的な役割などに対する停止状態は、社会における緊急的で切迫された要請に対する自我機能の「防衛」でもある。

5.両性的拡散
 他人との本ものの関わり合いを求めることは、自己の確立の試練でもある。この自己確立が未発達な場合は、特殊な緊張を経験しがちである。それは、自己が飲み込まれるのではないかという緊張であり、発達段階における、6.親密対孤孤独の否定的な同一化を引き起こす。または、逆に、バカ騒ぎをしては、陰鬱な挫折状態に陥ったり、また、いわゆるカリスマ的な存在に対して屈従しようとする。このような熱狂的な時期は、達成できることは少なく大抵失敗してしまい、内面的な苦悩や内省などの自己吟味に立ち戻るとされる。

C.現代日本におけるアパシー症候群と自我同一性拡散症候群の関係について
エリクソンの発達段階は、現在様々に定義されている症候群や境界例、精神病理などを人間の一つのライフサイクルの一環として捉え直し、社会全体と結びつけながら、なにが必要であり、何が欠如している状態なのかを分析し、社会−心理−個人を結びつけ相互的に捉え直すことが出来る有効な理論である。
 スチューデント・アパシーは、本業について回避的、しかし対人関係や副業についてはむしろ活発的であることが多い。主観的に無気力、無関心、無感動などが自覚されるが、不安、焦燥、抑うつなどを体験しない。また、この症状は大学生だけでなく、高校生、中学生、若いサラリーマンにも同様の症状が見られることから、総称してアパシー症候群と呼ぶこともある。現代日本は、高学歴社会、青年期の延長、一人前であるという自覚の持ちにくさが、このような症状を起こしているとされる。
 このことについて、エリクソンによれば、同一性獲得のためには、社会が青年たちに有形、無形のイデオロギーという形で提供するようなシステムが必要であると述べている。しかし現代の日本において、未来に対する明確な見通しが立ちにくく、職業選択の幅はあるものの選択に際する確かな感覚を得ることが難しいとされる。そのため、時間的展望の延長、勤勉さの拡散などを引き起こし、ひいては否定的同一性を選ぶものや、両性的拡散における対人関係に悩む若者が増えていると思われる。

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