A.はじめに
私がまだ学部に在籍していたとき、社会福祉とは何か、あるいは、社会福祉の研究とは何かとはじめて教えられたのが吉田久一の『社会事業の歴史』(勁草書房)であった。社会福祉の成立過程、源流となったそれ以前の思想などを広く分析し、膨大な資料とともに客観的に述べている。そのような研究を背景に、現代における定点を深い洞察を込めて論じているこの著書は、私にとってあらゆる意味で、励まされ、指針となっていた。
吉田久一(以下、吉田と略す)は、一般に社会福祉史研究の第一人者として知られており、体系だった理論よりもむしろ、広く思想史などを俯瞰し批判しながら、現代の社会福祉の定点を求めるスタイルである。しかし、吉田の歴史分析、社会福祉分析は「社会福祉とは何か」という彼独自の思想や概念を元に構築されている。この概念や思想を改めて取り上げ、考察を加えていきたい。

B.吉田「理論」の視座などについて
吉田は、社会福祉の在り方、方向性、性格を歴史の中の運動体として、実践概念として捉えることをその視座としていると考える。社会福祉がこれまで歴史的に連続しているとは言えない*1と認識しながら、「時代によって変化こそすれ、「相対的独自性」をもって存在している」*2ことをある意味確信をもって研究の対象としている。
研究の枠組みについては、「「歴史的・社会的実践」におき、その接近方法として、ケースならケースを現実的・主体的な生活感情で受け止め、それを意見として整序しつつ、社会事業の思想や世界観を媒介に理論体系化を試み、再び現場的実践にかえすサイクルを絶えず考えてきた。それは他の学問領域と異なり、社会事業研究は現実的主体的な生活感情と理論体系化の往復作用(緊張と相互補完)が重要で、時に日本社会事業の風土も最もふさわしい思考であることを、日本社会事業史研究を通じて知ったからである。」*3としている。
思考の方法としては、弁証法を重んじ、日本における社会福祉の最も弱い部分はこの弁証法による思考、思想、理論化がなされてこなかったことによる時代の不連続性であり、「日本の社会福祉は過去の「風化」が特徴で、特にその変わり目についてしっかりした「歴史的自覚」を持たないと、とんでもない方向に向かい、破滅した例もある」*4とこれまでの社会福祉はムードやその時代における体制に流されてきたことを反省とともに批判的に述べている。また、未来における社会福祉の在り方は「正しい社会福祉の位置を確定する社会科学的認識と、社会福祉を内から支える「倫理」や「宗教」的信念をもって乗り切らねばならない。それこそが社会福祉の「歴史的自覚」であり「思想」というべきであろう」*5としている。こうした観点から、社会福祉の現在の状況、多元化、普遍化(あるいはグローバル化)を取り上げ、今後社会福祉を捉える場合には、「一国福祉国家体制」*6が曲がり角に来ており、多様な世界(アメリカだけではなく、イギリス、東洋など)の福祉の世界観に目配せしながら、その歴史、格差、思想を内在化していくことが必要であると述べる。なお、普遍化は現在言われているような経済至上主義的グローバリズムを意味するものではなく、哲学的なものであり、多元化についてもかつての「日本型多元主義」ではなく、多元を求める理論や哲学のルートが用意されないといけないとしている。
社会事業(福祉)研究に関しては、上述のように現実的主体的な生活感情と理論を扱うという吉田の論述の中には、そもそも理論としての生活問題は、資本主義の中における社会的疎外−疎外された人間的存在−に対するマルクス主義などの論理(社会科学)が社会福祉の理論形成にかなり大きく寄与したことを認めながら、それらを越えて、「論理構造を持つ「問題」から、それに規定されながらも、主体的に生きる「人間」、あるいは社会的認識から現象的実在である人間に迫るには、「深淵が横たわり」」*7、その深淵に己をかけることが要請されると述べている。そのまなざしは、常に「現実社会から生じている様々な矛盾である社会的「疎外」、そしてそれを背負う「人間」にどうプログラムを書くか」*8ということであり、昨今あまり省みられなくなってきている「貧困」を中心に据えている。そしてそれを支える社会福祉思想は、「寛容」と「共存」*9を挙げ、現在日本における経済至上主義、管理社会に対抗するためには、従来捨てて省みなくなった日本古来の思想、宗教、東洋に根付いているもののから構想を得、結びつけていくことが重要であると述べている。

C.考察
吉田理論にとって重要ないくつかの点から以下の二つを挙げる。
1.弁証法的過程を重んじること。
2.歴史的・社会的実践を社会福祉の性格規定としていること*10。
1.においては、吉田は、よく緊張と協力関係、あるいは緊張と相互補完など思考の弁証法ともいえる対置を重んじていると考える。対置として主に現場(実践)と理論、思想(あるいは宗教)と理論が挙げられる。しかし、単に対置された対象の関係性としての弁証法と捉えるべきではなく、対象そのものにも微細に弁証法的なプロセスは内在し、多様な要素は混在していると見るべきである。(例えば、理論に内在する実践的要素、思想的要素、内部の弁証法的プロセス)さらに、単一の理論はさらに多様な要素と関係性の中に取り込まれ、構築されていることを認識する必要があろう。
吉田がここでいう理論とは、歴史性に支えられた、多様な実践、現場、思想から社会福祉像を研究者や実践者が把持する際には、弁証法における「思考のプロセス」を通じて形成することが重要であると考えるべきであろう。それが、論理的に責任が持てるには、その論理が常に実践や現場において緊張関係をはらみながら極限まで客観化し、思考しているのか。そして、その一方で相互補完的に論理は現場において形成されていることを言い表している。同様に、理論は思想や宗教の模倣や埋没によって形成されるのではなく、常に協力関係において形成されていることを認識しながらも、対置する思想としての緊張的な関係を取りうる強靱なものでなくてはいけいないことを示唆していると考える。これは、社会科学としての社会福祉学の在り方として示したものであり、その独自性は常にこうした思考のプロセスを通じて、社会的認識としての人間と生活者(現象的実在である人間)を統合しようとする。前者が説明しうる「社会問題」、解決しうる「問題」としての問いであるのに対し、後者は「解消すべき」問題であり「状況」でありレアリズムとしての「歴史に生きた人間」*11であると言える。この歴史性に関して、吉田は日本においては、特に戦争や敗戦について十分に議論されず、また客観化されることもなく、そのときの政策に追従して社会福祉学が独自性を持ちえずに来たと言う強い批判を行う。
2.においては、上述の通り、吉田は生活者としての社会問題の解消を目指すことが、社会福祉の役割であると規定している以上、それは説明概念として捉えるのではなく、実践概念の形成を目指すものであると言える。なお、吉田によれば、実践は「歴史的社会的実践、社会分業としての専門的機能的実践、現場の経験的実践」*12の三つを指すと論述し、歴史的社会的実践は、唯物弁証法的実践、それと思想を異にするが社会改良的実践も加えられ、それは、資本主義社会の歴史的構造的必然からの実践であると規定する。また、これらの三つの実践は、有機的につながっている(あるいは弁証法の思考の中でつながっている)と考えるべきである。それは、社会福祉学は、普遍的あるいは哲学的な規定よりも、むしろ現代の社会構造や歴史性に制約されながらも可能性として規定しうる「問い」を明らかにすることにある。実践は、その問いに試行錯誤しながらも解消しよう(あるいは応えよう)とする指向性を持ち、その焦点は、上述の通り主体的に生きる人間の問題に関わっていくのである。このことは、説明概念としての人間と実践概念としての人間の間にある「深淵」を結びつけようとする方法論であると言える。
以上のように、実践、思想、理論(あるいは仮説)の往復作用(弁証法)を通じて、論理が形成されることが望ましく、その前提となるのが歴史性であるといえる。吉田は、社会福祉史研究の第一人者であるが、その根底にはこうした思考の弁証法を元に、多様で膨大な理論と思想と歴史を概観しながら、批判、実証、分析、体系化を試みている。その視点は、過去を照射しながら、常に来るべき時代への希望と示唆に富んでいるといえる。

D.おわりに
吉田の膨大な分析、構成は社会福祉学の一つの大きな山脈であり、ルートは多様にあるが、今回、Cにおいて、弁証法としての思考を取り上げた。現場に身を置く私としては、ずっと引っかかっていた問題であり、どの様にしたら実践が理論化されるのか、その方法とは何かと考えてきた。それは、今ある環境や状況に対し、自己の理論形成を通じて実践の深化を求めていた。今回の論考は、吉田理論の膨大なものの一角であると自覚しながらもその一部を自らのこととして論述し得たのではないかと考える。
常に、歴史に学ぶということ、我々は歴史に生きる人間であるという認識を吉田は教えてくれる。そして、実践と理論を結びつけるという思考の営為がいかに難しく、しかし、それらを結びつける情熱こそが社会福祉の使命であると勇気づけられる。

引用文献(すべて吉田久一著)
*1)『社会福祉思想史入門』(勁草書房,2000)p.220
*2)「日本社会福祉理論史」(勁草書房,1995)p.2
*3)『改訂・増補版 現代社会事業史研究』(川島書店,1990)p.1
*4)*1)同掲p.317
*5)*1)同掲pp.317-318
*6)*1)同掲p.305
*7)*3)同掲pp.434-435
*8)『改訂版 日本貧困史』(川島書店,1993)4
*9)*1)同掲p.220
*10)『日本社会福祉思想史』(川島書店,1989)p.2
*11)*3)同掲p.436
*12)*10)同掲p.3
ホームインデックス