A.はじめに
 私は、大学において専門として社会福祉を学び、現在、福祉従事者として働いている。現在の仕事において、あの頃学んだ何かが役に立っているとか、専門性が身に付いたかと今になって問い直すことがある。これは、社会福祉は学問として何を対象にし、課題としているのか、ということに自分なりの言葉を持てないでいることにあるのではないかと考えている。本レポートでは、理論としてあるいは学問として社会福祉を考えたときに、どのようなことが研究され、問題としているのか等を考察し、そのことによって、自己の社会福祉とは何かという言葉を持つ端緒となればと考える。

B.社会福祉学の範囲と方法について
 社会福祉学が研究されてきた固有の領域については、様々なアプローチや方法があり一概に述べることは難しいが、あえて社会福祉学の範囲と方法について、以下のことを前提に論を進める。
 なお、社会福祉は「学」として成立するためには、固有の領域、方法、仮説に導かれた共通性、論理性による概念(あるいは理論)の創出あるいは措定が成されることが必要となる。また、こうした理論は時間や空間(あるいは歴史)の桎梏から免れないとされながらも、ある程度の期間耐えうることが出来る一般的な認識のシステムであることが重要である。よって、頻繁に仮説が設定されなおされたり、後の社会福祉の説明にあまり役がたたないような論理的責任がないようなものは理論とは言えないことを要件にあげる。
 1.における生活者の生活不安を対象にするということについて、具体的には、「どれだけ「生活不安」を理解できるか、「生活不安」を背負う「生活者」に、どれだけ「共感」をもてるのか」*1というところから出発することがその領域になりうるのではないだろうかと考える。
いうならば、現代日本は資本主義社会であり、労働により資本に貢献し、なにがしかの対価(所得)を得て生活することが基本的な要件である。しかし、そうした労働や市場や競争において、中には、所得を得ることが困難な状態(失業、離婚など)や属性(障害、高齢など)によって社会的に自活や自立が持続的に困難になる、あるいは、そのことによって人権上著しく差別される、いわゆる社会的弱者を生み出す構造があると考える。社会福祉学では、様々なアプローチ(属性、制度面、個別援助など)や解釈(政策論、運動論、社会主義的、哲学的など)があるが、要は社会的弱者がいるという現実に対してどのように捉えるかにある。よって、現代の社会福祉学における対象と課題は、常に貧困(化)や差別に対する批判であったり、社会的弱者の社会的自立や問題解決をめざしていると言っても良いのではないだろうか。(その前提にあるのは民主主義国家であるのは言うまでもないが…)
こうした観点から例えば、戦後、社会福祉政策研究の基盤となっている、大内一男の理論を挙げる。大河内一男は、社会福祉(社会事業)を経済秩序外存在と措定し、社会政策を「補充」あるいは「補強」するものであると論じる。このことは、単に、貧困に陥っている人々の問題を社会政策の補足として捉えるのではなく、なぜ貧困に陥るのかという資本社会の構造的分析から貧困の要因や問題点を浮き彫りにし、貧困は民主主義国家として社会政策を進める上で補充され、改善されるべき問題であり、生活者として国民共通の課題であり積極的に認識すべきであると論じたものであるといえる。(大河内一男のこの理論形成に至った時代背景は、国民の多くが貧困に陥っており、生活問題として深刻であり、自らの問いとして突きつけられた事象であったのではないかと推測する。)

C.社会福祉学の理論形成について
 ここでは、社会福祉学のいくつかのよく言われている課題(あるいは言説)について取り上げながら若干の考察を試みる。
 1〜3を前提にして、社会福祉はよく、実践(現場)と理論が乖離して言われることについて若干の考察を行いたい。
 上述のとおり他の諸科学に比べて、社会福祉学は現場における客観的なデータ収集や厳密な方法による調査が確立していなく、積み重ねがない。諸科学のキー概念をそのまま援用したり、紹介にとどまっている。よって、現場を理論化するには社会福祉は独自の視点を持たず未熟である。あるいは、社会福祉理論は多様な実践の現象に対して運用するには実効性を持ち得ないと言った論調である。また、現場そのものも対象(生活者としての生活問題)からの問いかけに立ち往生しているのは理論や専門性が確立していない証拠であると言われることもある。
 しかし、社会福祉学は、上述のように生活者の生活不安を対象にしている以上、むしろ実践(現場)と理論は常に密接につながっていると考える。例えば、研究者がある理論(仮説)をもとに、行動し、実践する中には常に様々な事象や対象の何かを照射し(問題として捉え)、観察、あるいは洞察し、新たな理論形成をしようとする思考が常に働いている。また、例えば施設に勤務する福祉従事者が何も考えずに、行動指針もなく対象に関わっていることはまずなく、その背景には多様なモデルやシステムが働いており、そのことによって自分なりの関わり方や行動規範が形成され、対象からの何らかの問いに対して、応えている。そして、その行動規範には独自の理論化への思考が働いていると考える。それは目に見えないことかもしれないが、実践と理論は常に相互作用の中にあるといえる。

D.おわりに
 上述のとおり、いかに生活者の生活不安や生活問題に対して理解や共感ができるかという吉田久一の定義はつくづく深い事に気づかされる。そして、理論を形成するという思考の営みも…。
私は、現在知的障害児施設に勤務しているが、自閉症、重度知的障害児が私に問いかける(あるいは突きつける)ことに対して明確に応えることが出来てはいない。例えば、生きるとは何か、障害とは何か。また、家族も同様に私に問いかける。社会福祉(あるいは施設)とは何かと。
こうした対象からの問いかけを自らのこととして引き受け、理論を形成するために半ば言い聞かせるように本レポートによって考察を行ってきた。
 かなり抽象的に論じてしまったきらいはあるが、社会福祉学は要するに社会的弱者と言われる人たちに対する問題解決や減少を目指した応用科学であり、社会的弱者と言われる人々への洞察を通して、総体として理解しようと試み、、自分が描く社会のあり方を理論化というプロセスを通じて、多様なものへ結びついていき、よりよい社会を具体的に模索するということにつきるのではないだろうか。

・引用文献
*1)『日本社会福祉理論史』(吉田久一、勁草書房、1995)p.2
*2)「社会福祉理論の目標水準と基盤の変化」(高沢武司、社会福祉研究80号、鉄道弘済会)p.8

・主要参考文献
「社会福祉学研究の曲がり角」(古川孝順、社会福祉研究82号、鉄道弘済会)
「社会福祉における対象論研究の到達水準と展望」(岩田正美、社会福祉研究80号、鉄道弘済会)
「社会福祉学方法論の基本問題」(田中治和、東北福祉大学研究紀要26巻)
「続・社会福祉学方法論の基本問題」(田中治和、東北福祉大学研究紀要27巻)など

・補足〜提出時は記載しませんでした。エッセンスとして…
『レヴィナス−何のために生きるのか』(小泉義之,NHK出版,2003)
『ドゥルーズ−解けない問を生きる』(檜垣立哉,NHK出版,2002)

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