非電源ゲームの魅力

ここ最近、昔のボードゲームやカードゲームを買いあさっている。(もちろん、TRPGの書籍なども)
それで、私が住んでいるのは、秋田なので、そうしたコアな商品は探してもなかなかいいものが手に入らない。
古いバージョンの人生ゲームやテンペストという多人数(2〜4人)で行うオセロゲームは、ブックオフの系列でB-KIDという子供服などを売る店の玩具コーナーで手に入れたりする。ちなみに、トイザラスなどの大きな玩具ショップには、サイコロもおいていない始末で、大人が遊べるゲームといってもファミリーゲームのようなもので、しかもクラシック(メジャー)なもので、かわったゲームなどは全然おいていない。

昔は、秋田でも模型店などでTRPGやかわったシュミレーション(以下、SLGと略す)の非電源のゲームが置いてあったものだが、ブームが去って、売れなくなったため死滅してしまった。仙台には、そうしたTRPGやSLGのゲームを置いてある老舗の模型店がある。しかし、TRPGの出版状況が悪いため、基本セットが絶版になると、サプリメントやシナリオだけが陳列されていたりして、体系だって買うことが出来ない。もその模型店も例に漏れず、拡張ルールは売れ残っているが、基本ルールは置いていないといったものがよく見かける。
たとえば、ルーンクエストの基本セットがないのに、世界観やシナリオ、モンスターのサプリメントだけが置いてあるといったように・・・。
SLGに関しては、単品で遊べるのだが、デザインされているものが外国のものであったり、翻訳がなかったりとあまり親切ではない。(生産は中止していて、在庫限りというのはTRPGと状況は同じである)

また、SLGは、私は手を出したことがなかったが、これは大人のための戦略ゲームである。前にD&Dがシミュレーション的要素が多いゲームであり、魔法の効果や戦闘の手順などを厳密に守ってプレイをすれば、より楽しむことが出来る・・・というようなことを書いたが、SLGはまさに一つの設定に基づいた戦略ゲームであり、シナリオのように多様に遊べることは出来ないが、しかし、同じ設定の中にも手順や戦略の立て方でいかようにもドラマを生み出すという点では、よく作られた設定で商品としての醍醐味がある。
戦略は、麻雀、将棋、囲碁、トランプなどのゲームにももちろんあり、こちらの方がイメージしやすい。むしろ、SLGは特殊な状況での独自のルールに基づいたオリジナルゲームであると考えても差し支えない。将棋や囲碁は、学べる土壌があり、広いし、プロの世界もあり小学などのクラブ活動などで選択できる。麻雀もたくさんの店があり、そういう意味である程度社会的に認知されているが(手を出さない人は全然出さないが〜愛好家と初心者の壁は研究が進むにつれ、実力の違いが大きくなりすぎていき、気軽に楽しむには実力の階層ができあがっていて、勝つのが難しくなっている)
SLGはまず、本当に興味がある人しか手にしないし、教育やプロやプレイをする店がほとんどない状態であり、購入した本人と友人という構図の中に収まってしまうのがほとんどである。(しかも、購入した本人がルールを熟知しているため対戦相手は最初は不利である)しかし、やはり、面白いものは面白い。
SLGの欠点を逆手にとって、はじめからルールしか知らない状態で、1ゲームをやってみてはじめて、こういう戦略性があるのか、こうした手順はどうなのだろうかとコミュニケーションの中ではじめからゲームを作っていく楽しみがある。このゲームはどんなドラマを作ってくれるのだろうかという未知の期待がある。

TRPGに関しても同様に様々なルールがあり、自分の好きな設定のゲーム(ヒロイック、ホラー、サイバーパンクなど)からヒロイックなゲームが好きだからとプレイヤーが選んだものから、チップなどを使うゲーム、特殊なサイコロを使うゲーム、ストーリーテリングが中心なもの、世界観が決まっているもの、ある小説をモチーフにしたものなどからチョイスして、自分の好きなキャラクターを作成して、マスターの紡ぎだすシチュエーション(ストーリー)にそのキャラクターを投影させ、演技や戦略を考案して、コミュニケーションの中でルールを考慮しながら進めていく・・・。それは、ドラマを紡ぎ出すということで一致する。
SLGにしても麻雀、将棋、囲碁にしても、はたまた、カードゲームにしても、プレイの数だけドラマがある。勝敗ということで決着するが、勝つために死力を尽くす過程で、様々な思考が重ねられ、思惑が交錯しているというドラマがある。(そうした、やりとりがたまらなく好きなのです。)
TRPGでは、勝敗というのは実質存在しない。もし、勝敗というならミッションの成功とか失敗。敵に殺されてしまうとかであろうか。できるだけ、成功したいし、敵に殺されるよりもうち倒したいが、ルールが存在して、その中での判定があってのゲームである以上は従う、従わないことは、ゲームでなくなるという前提がある。守ってこそ、ドラマがあるといっても過言でない。そして、SLGなどと違い、勝敗が決したからゲームが終了ではなく、負けても、次のストーリーがあり続いていくし、物語は続いていく。(厳密にいえば、SLGや麻雀、将棋などもやり続けていく限り終わりはないが)

非電源ということ書いてきたが、家庭用のゲーム機によるRPGもやり続けていく限り、キャラクターを替えていけば、延々に物語を楽しむことが出来るが、そこにはPCとコミュニケーションをとる個人の物語しか存在しなく、TRPGのように、他の人たちの物語性やマスターの演出したストーリーの多様性などからかけ離れた遊びであると考えるのが妥当である。
同様に、カードゲームやSLG、麻雀、将棋なども人とやることと、ゲーム機などで行うのでは全く性質が違うことは、言うまでもないだろう。

要するに、ゲームを通したドラマや物語性や臨場感(スリル)がたまらなく面白いのです。

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