川端康成「母の初恋」『愛する人たち』新潮文庫

 久しぶりに川端康成を読み直して、『川のある下町の話』も名作だが、この文庫にして30ページ程度の小品もまた中年になった作者の純愛小説の傑作であると再確認する。

 母の死後、母の初恋の人、佐山に引き取られた雪子は佐山を秘かに慕いながら若杉のもとに嫁いていく−。雪子の実らない恋を潔く描いている。(背表紙より)
 佐山は劇作家としてそれなりに地位を築いている41歳の人物である。雪子の母、民子は、若かりし頃の佐山−駆け出し劇作家時代の恋人で、夢を語り合っていた仲であった。しかし、民子が16、17歳のころ、他の男と体の関係を持って別れる。ちなみに佐山は、体の関係を持たずに別れている。民子は佐山と別れた後、雪子を産むも、夫とは死別する。その後、つまらない男(根岸)とつきあい、貧乏と苦労を重ね過労で亡くなってしまう。民子は自分の悲惨な環境に後悔する一方、成功した佐山に自分のあの頃の憧憬と共に恋を貫いていた。

 物語は、民子が亡くなり、雪子が16歳の時佐山家の養子として迎えてから3年、雪子(19歳)が若杉という男と結婚式を挙げる3日前の朝食の場面からはじまる。
 雪子は佐山の妻、時枝から料理を学び、いつしか雪子が「佐山家」の味をそっくり受け入れ、時枝と全く同じ味付けをするまでに到っている。時には、時枝が雪子に味付けを任せれるまでになっている。
 あるいは、婚約指輪を見て佐山は何気なく笑い、それは寂しいときにも笑うんだと話すと、雪子は真っ赤になって指輪を抜き取って座布団の下に隠す。
 佐山が新婚旅行の宿を探しに行く直前、雪子はついていき、佐山がバスに乗って行くのを見送った後、手紙をためらいながら静かなしぐさで投函する。

 佐山が宿を決め、宿で芝居の腹案を練ろうとする場面では、雪子を引き取った経緯の回想へと物語は移っていく。民子と別れてから十数年後に街で偶然会ったこと。6年前に民子が佐山の家にお金の無心に来たことから民子と雪子との奇妙な縁が生まれる。街で民子と会ったときの会話。
「随分苦労ばかりしてきましたわ。罰が当たって…。あの時、自分の幸福を自分で逃したんですから、しかたないとあきらめていますの。つらいときは佐山さんを思いだして、よけい悲しくなりますの。自分勝手ですわね。」
「佐山さんの映画を見て、よく噂は聞かせてありますから、雪子も佐山さんことはよく知っておりますの。」
 お金の無心に来て、最後に民子の一言は全編を通して貫いている。
「佐山さんは、真面目ねえ…」
 本文では、佐山をあざけっているように聞こえるとか、民子自身の男運のつたなさを訴えているように聞こえるとされる。しかし、この言葉は、佐山にとって民子が既に魅力を失っていることを知った民子の悲しみではないか。それを裏付けるように、佐山は民子自身のことよりも雪子を気にかける会話をしている。そのため、二月後に、雪子を連れた民子が再び佐山家を訪ねている。この時点で、民子の恋は雪子に託されたのではないか。
 雪子を連れて訪問したとき佐山は留守で、妻の時枝が対応している。時枝にとって、民子は自分の家庭を脅かすほどの女ではないことを知り、同情から女の友情まで感じるようになる。
 佐山と雪子の出会いは、それから後で、偶然街であった民子が自分の家に佐山を招待したときであった。民子は、
「その時分は、まだ私本当に子供で、何にも分かりませんでしたわ。まるでなにもかも、夢中でしたの。−だんだん分かってきて、いつも心でお詫びしてましたけれど、こんなにして会っていただけるとは思いませんでしたわ。」
「…この子はみんな知っておりますのよ。−佐山さんの奥さんに親切にしていただいてもいいのって、聞くんですの。」
「雪子は頼りの少ない子供ですから、私に万が一のことがありましたら、見てやっていただけませんでしょうか。佐山さんのことは、よく言い聞かせてあるつもりです。」
 母の初恋を、どんな風に話して聞かせているのだろうか。

 民子の死から、雪子との縁はより深まる。時枝の言葉はある意味この縁を象徴している。葬式の前に行くとなれば、お金の準備をしなければならないと佐山が妻に話したとき、そこまでやる義理はないでしょうと時枝は気色ばみかかったが、「しかたがないわ。最後のご奉公と言うんでしょうかね。不思議な災難ですわ。」と笑いにまぎらわせ、佐山の喪服までを揃える。
 とにかく、雪子の淋しさは、お通夜の食べ物を頼みに佐山と歩く場面に見られる。暗い坂道を一緒に歩いていても、雪子は少し離れて溝の縁を歩く場面である。これは、佐山が民子の家に行き、雪子が見送る際にも縁を歩いている。この縁を歩くということと、いかにそれまで寂しい人生を歩んできたかを想起させる。
 雪子が寝床で泣いていると、佐山が遠くから雪子の首をちょっと抱いてあげている。雪子は佐山の手をつかんで、顔を押しあてている。
 掌が雪子の温かい涙に濡れてくると、佐山はもう民子の悲しい愛が伝わった来るのを疑いえなかった。

 そして、結婚式当日の朝に場面は戻る。妻が最後のご奉公のことを覚えていると聞く。佐山は
 「そうだね。−嫁入りまでさせれば、これこそ最後のご奉公だ」と応えると、妻は、「どうですか…。まだまだ、なにがあるかもしれませんよ」と応えている。
 また、雪子が家を出ていく直前のしるしばかりの祝いの膳の席で、雪子の挨拶があってから、
「雪ちゃん、どうしても、どうしてもつらいことがあったら、帰ってらっしゃいね」と時枝が言うと、急に雪子は、くっくっくっと涙にむせんで、手をふるわせて泣いた。部屋を走り出てしまった。

 新婚旅行から帰ってきたあと、民子が生前つき合っていた男(根岸)が雪子達の新居に押し入り、勝手に結婚してと雪子をなじっていた。佐山が根岸と話を付けている際に雪子がいなくなる。佐山家にも戻って来ず、いなくなった雪子の所在を聞くため、佐山は雪子の最も親しかった女学校の友人に電話をする。その友人が雪子から結婚式の前の日に手紙をもらっていたとうち明けられる。その手紙には、雪子には好きな人がいたこと、初恋は、結婚によっても、何によっても、滅びないことをお母さんが教えてくれたから、私は言われるままにお嫁入りすることが書かれていた。
 次の日、雪子が佐山の撮影所にしょんぼりと朝早くから待っていた。佐山が雪子達の新居に車で送っていく中で、「根岸なんか恐がることないじゃないか」と佐山が聞くと、雪子は、「あんな人は何ともありません」と応え、「他に何かつらいことがあったの。−つらいことがあれば、帰っておいでと、時枝は言ったが…」と聞いたとき、
 雪子はじっと前の窓を見つめたまま、
「あの時、奥さんは幸福な人だと思いましたわ。」
 雪子のただ一度の愛の告白であり、佐山への一度の抗議だった。
 民子から雪子へと貫いてきた愛の稲妻が、佐山の心にきらめくばかりであった。
 と物語は終わる。

 佐山家の料理を完璧に引き継ぐことは佐山への愛の形であった。佐山が馴染んでいる味を提供することで佐山に満足してもらいたかったし、妻として十分に尽くせることを示していたのではないか。
 時枝に言われてつけていた婚約指輪をすぐに外して隠したのも、なにより愛している佐山に言われた悲しさからであった。
 本文では、佐山は奇妙な経緯で居候することになった雪子を痛々しく思い、居所を決めるためにも結婚は望ましいと述懐している。しかし、なにより、雪子にとって居候していた3年は幸せな時間だったのではないか。
 それを佐山の妻の手によって追い出されることになった反発。そして、「…帰っておいでね」と時枝に言われ、雪子が涙にむせんだのは感激したのではなく、佐山と別れることに身が引き裂かれる悲しい気持ちであった。また「奥さんは幸福な人だと思った」というように痛烈な批判や悔しさの表明であった。
 手紙に件もまた、胸に秘め続けるには思いは大きかったのだし、ただ単に従順なだけではなく、意思表示するという雪子の強さも垣間見ることが出来る。
 根岸との喧嘩の際、雪子が所在不明になり、次の朝に撮影所に顔を出したのは、佐山家には戻れないが、それでも佐山に会いたいという気持ちからである。いよいよ、結婚し新居を持つ段になり、佐山への愛は抑えきれなくなっていた。
 佐山や時枝は雪子を娘のように扱っていた。しかし、雪子は佐山を恋しい人として、時枝は優しくしてくれるものの、佐山の愛を独占している者として嫉妬をしていた。その当時の19歳とは女として十分な年齢であり、雪子は佐山に女として見てほしいという気持ちを秘めていた。
 母が愛してきた男への恋心を胸に、佐山への想いを静かで、こまやかな形で示し続けてきた雪子の思い深さは、ある意味重く、怖い側面がある。とはいえ、つらい人生を歩みながらも初恋を貫くことで心豊かに生きてきた民子。それを引き継いで、母があんなに恋焦がれてきた男性と共に過ごしてこれた幸せと佐山への憧憬と恋心を胸に秘めてきた雪子の想いに胸を打たれる。

 この作品が書かれていた時代は、太平洋戦争に突入しようとするまさに硝煙臭い時代であった。そんな中、全く時代を感じさせない。作者は、人の美しい心の襞と切なさを見つめ続けていたのであった。

 蛇足であるが、この作品は昭和54年に映画化され、平成8年にFamily Affairと言う題でTBSでドラマの原作として使われていた。数ある川端康成の作品の中でこの小品が取り上げられると言うことは、それだけ愛されてきた作品であったのだなと思う。

2006.4.24

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