剛柔流剛武館

大学が仙台と言うことで、地元から仙台に移り住み、特に何もするつもりもなく、と りあえず、中学の時から続けていた文化部(美術部)のサークルに入り、だらだらとしていたのです が、少林寺拳法の時に一緒に道場で習っていた友人2名が、様々なの事情(親の転勤など)で仙台に 移り住むことになり、主に麻雀を通して、交流があり、それが、剛柔流との出会いになるとは、その 時は全く予想をしていませんでした。
少林寺の部活も大学にあったのですが、もともと、スポーツの部活のノリが嫌い で、道場に行っていた私としては、いまさら、部活に入って、極めるとか部のために頑張るという思 想からは遠く離れていました。なぜ、武道をするようになったのか、スポーツは好きだけど、部活と して拘束されるのはいやであったのと、自分が好きなときにいけるということ、地元では、少林寺が 良心的で、気軽なスポーツであることなどが理由でした。(なぜ、良心的なのかは、少林寺の項を参 照してください)
友人の一人が、縁があって剛柔流剛武館の師範と知り合い、その師範に道場に誘わ れるようにして入門をして、また、友人の一人も入門をして、私は、口説かれ続けて、1年あとに入 門をしました。
今にして思うと、根底には、武道が好きなんだろうなぁ〜というのはあるんだろう なぁ〜と思っています。しかし、良い師範に巡り会えたというところも見逃せません。私から見る師 範の印象は、飄々としていて、けれども、親切で、教えるのがすごくうまいというというように捉え ています。『35周年記念出版:栄光の剛武館』の中で、師範は「〜才能とは続けられることです。 確かに入会したときからセンスもあり強い人もいますが、家の事情等でやめてしまうとそれまでで す。少し津津成長している実力は自分では分かりづらいものですが、確実に成長しています。みなさ んも長く続けられるように努力して頑張ってほしいと思います」というスタンスなんだろうなぁ〜と 思っています。

剛柔流剛武館は、宮城県を本拠地にして、組み手は、硬式空手(スーパーセーフ〜 顔面の前面を強化プラスチックで保護したヘルメット、ソフト胴を着用し、しっかりとパンチやキッ クを当てる*ただし、ももへの攻撃や組み付いてからの攻防はなし)であり、テコンドー(足技を重 視し、韓国では国技になっている、キックのボクシングのようなもの)を取り入れ、伝統空手の型を 昇級、昇段の審査の対象にしています。仙台では、かなりすそ野は広く、参加がしやすい、なじみや すい流派です。
伝統空手とは、 沖縄を発祥とした、和道流、松涛館、剛柔流であり、基本的に、 組み手は寸止めであり、空手の型を中心として行われるものです。
メディア的には、フルコンタクトで、極真会館やK-1などで影が薄くなってはいま すが、一般に空手を道場で習うというのは、伝統空手のこと指していて、そのすそ野は広いです。
剛武館は、そのほかには、ヌンチャクや棍、トンファーなどの古武術を型として残 していています。もともと、沖縄空手ではヌンチャクなどを武器にして闘争をしていた時代(刀狩り などで)があって、その名残とも言えますが、ブルースリーやアメリカのマニアックな映画にも使用 される、そうした古武術を型としてものにできるというのは、そういうのに興味がある人にはすごく 魅力です。
また、テコンドーは古くから導入していて、回し蹴りに関しては、伝統空手の中で も随一だと思っています。また、テコンドーの道着は、結構、好評で、それを着たいという人がわり と多くいます。
組み手は、ポイント制で、いいのや、決まったと思われるものがあると、1回試合 が止まり、ポイントが入ります。5ポイント差がつくとそれで「1本」となり試合終了となります。 また、ノックアウトがあれば、その時点で「1本」となります。おもに、カウンターの右のストレー トや右の回し蹴りでポイントがとられます。ボディへのパンチは、見難いことや判定に不利なことが 多いです。主審の他に、副審が両コーナーに座っていて、旗で副審が判定をして、主審がコールをし ます。また、際どいものについては、監査と呼ばれる人が助言を行うこともあります。一般は、2分 間行います。引き分けの場合は、先にポイントをとった時点でその試合は止まり、ポイントをとった 人が勝者となります。(東日本の試合では、決勝は延長戦があり、その後先取り、判定となります)
現在、拳にサポーター(スポンジ状のもの)を巻き付けているため、音がしにくく なり判定が困難になっています。テコンドーの拡大もあって、回し蹴りが主流となっています。

また、剛柔流の意味は、うろ覚えなのですが、型の中でも、剛と柔の側面があっ て、剛は呼吸法に見られる、体を堅くして攻撃に耐えるもの、柔は、攻撃を裁いたり投げたりといっ た側面を表現していると思っています。攻守ともに剛と柔が折り合わされているという意味もあるよ うな・・・。

私は、結局、大学を卒業してからもお世話になっています。また、私の第2の青春 を剛柔流と共にあったものでした。師範はもちろんのこと、いろんな道場の先生たちも優しく、ま た、いろんな人たちも和気藹々と楽しめる武道と共に歩めていることは、少林寺もそうでしたが、幸 福なことだと思っています。(やはり、町道場は門戸が広いことが一つの長続きの秘訣なのでは)
また、はじめて、人と本気で向き合って組み手をしたのも剛柔流剛武館の試合でし た。物好きな友人は、はじめから今までビデオで撮っているので、見る機会があるのですが、はじめ の頃は本当に見るに耐えない格好で(今もそうですが)、でも、それを観ながら、あーだこーだと友 人たちと話し合ったりするのが楽しくて、また、練習で、自分のスタイルを模索したり、と青春をし ていました。
また、全く知らない人と対戦をするということで、通用するスタイルや読み合いや そうしたことを考えている時間が好きだったり、と、やっぱり、武道が好きなんだなぁ〜と思わせて くれます。
現在、地元に戻って、日本拳法を習っているのですが、そうして、私は武道を続け ていくんだろうなぁ〜。

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