ゲーム雑感
ここ最近、ボードゲームをやったりして、人それぞれにタイプという物があるんだなぁと思うことがある。当然といえば当然であるが…結構、この人はこのようなジャンルがいいかナァと勧めたものよりも、そうでないものに興味を示したりするので、意外だナァと思うことがある。

だいたいは、すぐにはじめられるようなゲームをみんな好むが、
これまで勧めてきたゲームでは、少人数2〜3人で遊べるゲームが大半である。で、その中で、割と講評だったのが、「グローカルヘキサイト」だった。これは、何人かに勧めて、だいたい面白いといってくれていた。あと、妻は、余り考えずにタイルを埋めていくのが好きということで、「フラワーパワー」がお気に入りで、彼女曰く、目の前に材料が揃っていてあれこれと自分で考えていく(でもあんまり考えないではめていく)ゲームが好きだといっていた。そういう意味で、ロジックを重んじる「アバロン」や「ブロックス」はいまいちだったようだ。あと、あやふやな記憶力を頼りにする「マンマミーヤ」も結構楽しんでくれた。これは、麻雀が終わって一人いなくなって、どうでも良い雰囲気の中ダラダラとした時間だったので、ちょっと考えるし、ちょっとした駆け引きもあるけど、どうにもならないようなところもあって、ちょうど麻雀に要素にも似ていて楽しんでくれた。飲みが入っているときに、「ドキドキワクワク相性チェックゲーム」はかなり盛り上がった。カップルとか夫婦同士でやることをお薦めします。あと、職場でゲームの面白さについて話していたら、ある人は、正解が決まっているパズルとか整理しながら形が見えてくるロジックとか一人遊びが好きだナァという話が出て、性格にもよるんだろうけど、ゲームの性向も何かを求める部分とかがあるんじゃないかナァといっていた。でも、ゲームって、正解もないし、間違いだらけだし、どうなるか分からないんだけど、色々考えたりするプロセスをストーリーとして楽しむんじゃないかナァと思ったりするが、どうだろう。
あと、やっぱり、初心者というか、普段からゲーム(将棋でも良いし、麻雀でも良いけど)に接していない人は、ゲーム独特のロジックを飲み込むことが慣れていない。テレビゲームだと、コンピューターが大半の手順を自動処理してくれるし、間違った動きをすればブザーが鳴るのでそうしたロジックをちゃんと覚えなくても遊べるけど、アナログではそうはいかない。麻雀でも、手順、手役、点数を覚えなくてもテレビゲームでは脱衣麻雀で楽しめるが、実際はそうはいかない。サイコロを振る、配牌を取り寄せる、並び替えるということも自分でしないといけないし、上述のようなことをある程度把握しないと行けない。さらに、テレビゲームのような特典とか恣意的なものもないので、地味だったりする。だから、いろんなボードゲームなどのアナログゲームに接したことのない人は、どうしたらよいのか分からなかったり、よほどのことがない限り覚えようともしない。しかし、何かの機会で覚えて、しかも自分の中でマッチするなら、それはずっとつきあいが続いたり、思い出としてかなりの長い間印象として残る。

私は、こうしたゲームを結構やりこんでいるというか、積極的に関わりたいと思っている方なので、自分がどういうゲームが好きなのかということは把握しているつもりである。それは、交渉や経営を通して、発展したり、妨害したり、損失を出したりとマネージメントしながらやりくりするゲームである。(アクワイヤ、プエルトリコ、ビックディールなど)でも、まだ、それを理解してくれる人はいない。(/_;)
私が、そうしたものに親しむことになった理由は、たぶん、小さいときにボードゲームが結構はやっていたこと、トランプとかバックギャモンとかを思春期によく遊んでいたこと、ゲームブックとTRPGとの出会いによるコミュニケーションゲームの楽しさ、そして大学生になってから麻雀との衝撃的な出会いなど積み重なったものである。そして、交渉系では、モノポリーを麻雀の合間にやって、それをレートを決めてけんか沙汰になるほどやり込んだことに尽きると思っている。

話が脱線してしまったが、ボードゲーム同様に、TRPGを沢山集めているが、これはボードゲームよりもあらゆる意味で(ルールや教えるという面で)難解である。さらに、沢山のサプリメントや解釈の多様性から、教える側からすれば、拡張した部分も含めて把握しないと行けないので大変である。分かり易く、ゲームのルール目的楽しさを教えるとなると、ルールブックを再編成することが必要になるし、イメージを明確に持たないといけない。TRPGは、マスターがいて、プレイヤーがいて、マスターのストーリーに沿ってプレイヤーが作成したキャラクターが活躍し、ストーリーを紡ぐという言葉のゲームであり、たぶん、最高のイメージのゲームである。だから、一回やり込んでしまうと、かなりの印象を残すことになる。それは、悲喜こもごも様々な楽しい思い出にもなる。(わたしには無数にある)
昔は、誰しもがゲームブックという土壌の元、ファンタジーは共有され、それぞれにオリジナルなファンタジーを夢見ていたし、TRPGも結構市民権を得て、難しいルールもその熱意の元結構、マスターが教えなくても学習してくれていた。しかし、現在はそういう土壌も一部ではすごくあるが、一般には縁の遠い物となっている。それは、ボードゲーム同様、一般には「ない」のが現状である。
また、現在流行しているTRPGのシステムは構想ははっきりしているんだけど、それが故に、それに(システムに)マッチングする人は限定される。さらに、ロールプレイも昔のように厳密なデットエンドがなくなり、マスターの配慮やストーリーに沿っていかようにも配慮される。だから、マスター、プレイヤーの明確なルールが逆に喪失してしまっている。突発的な出来事も少なくなり、よりよいストーリー(シナリオに沿ったもの)を生み出すことを目的にしている。それはそれでおもしろいんだろうけど、それがプレイヤーに了承されないと結構きついなぁと思ったりする。また、ストーリーに沿ってマスターがテンプレートであらかじめキャラクターを決めたりして、プレイヤーのファンタジーの部分が制限されることもある。マスターにとっては、イメージに沿ったストりーに参加させやすくなるけど、やっぱり、プレイヤーにとっては負担になるんじゃないだろうか(本当にしたいキャラクターが否定されることがあるから)。もっとも、ストーリーを楽しむことを第1に考えれば、そんなことはないんだろうけど…

最後に繰り返すような感じもしないでもないが、ゲームの楽しさとは、ルールを把握しているだけでなく、コマを動かす「間」、カードをめくる「間」、相手の考慮している「時間」と自分が考えている「間」、交渉しているやりとりの言葉の「間」、「ニュアンス」、「センテンス」、相手がルールに則ってゲームを進行している「間」、全ての動作、呼吸、思考の「間」の積み重ねが、ゲームを形作っていることを無意識に、ある意味当然であるが、体感している。微細なプロセスとゲームの進行のプロセス、共有された時間と物語などが折り重なって、そこに集中力とか気力とか知能とかその人が他者と多様に関わることになる。テレビゲームのような一人で遊ぶのとは違った、それ以上の濃密な時間が存在する。もちろん、所詮ゲームといってしまえばそれまでだけど、同じゲームをするなら、やっぱり人とするのが面白いと言える。それが、自分がマッチするゲームだったり、面白いゲームならなおさらである。

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