社会福祉施設実践の専門性とは何か
日常性と実践知を手がかりに
kuma(N園 6256)
[キーワード]日常性,実践知,熟達形成

1.研究目的
 社会福祉施設,特に生活型福祉施設内で行われる対人的なルーティンワーク(例えば日課に添った生活支援・身体介護など)は,私的家事労働と同列に扱われ,はたして専門性があるのか問われることがある.たしかにルーティンワークは国家資格を有していなくても行うことが出来る.とはいえ,もしルーティンワークの中に専門性が無いとするならば,社会福祉(施策)を支えている社会福祉施設の専門性否定であり,それは社会福祉学の根底に関わる問題でもある.この問いに対し先行研究では業務分析・事例研究などで一つ一つの行為に内在する専門性の抽出などがなされている.しかし,ルーティンワークを支える“日常”に注目している論考は少ない.もしルーティンワークに専門性があるとするならば,まず日常とは何かを踏まえることが大切ではないだろうか.
 ところで誰の目にも,対象者への所作が“すごい”あるいは“参考になる”と感慨を抱かせる人(以下,熟達者)が勤続年数や立場とは無関係に,1人は施設にいるのではないだろうか.それは管理的で利用者の自由がないと見なされる雰囲気が蔓延している組織であっても,である.そんな雰囲気でも,その人がいるだけで利用者は安心し,体を任せる.なぜだろうか.その人の仕事ぶりは,ルーティンワークの枠を超えたものに映る.“熟達者”の所作を支える思考過程は通常,直感的であり,言語化が難しく,ルーティンワークの流れの中で移ろうものである.この思考過程は実践知あるいは実践知とも言われ,その存在は先行研究でも認めているが,実践知は科学的根拠を見いだすことが難しく十分に取り上げられていない.
 本研究は,決められたルーティンワークから利用者への所作を含め発展性を持って取り組むには,まず“熟達者”から学ぶこと(熟達形成)が社会福祉施設実践の専門性追求への第一歩であるとの視点に立つ.よって本研究は,ルーティンワークとは何かを日常性という観点から大きく捉え,かつ“熟達者”の実践知とは何かを模索することを目的とする.

2.研究方法・範囲
 本研究の方法は,文献研究であり,先行研究より
  1. 日常を支える構成要素を抽出し,ルーティンワークとは何かを概説する.
  2. 実践知とは何かについて概説し,社会福祉施設における“熟達者”とは何かを措定する.
  3. 1.2.を踏まえ,ルーティンワークからの発展性と熟達形成を考察し,もって社会福祉施設実践の専門性を提示する.
(なお、研究範囲は社会福祉施設実践であるが、この実践は多義の意味を持つも、本研究は生活型福祉施設の中で行われるルーティンワークを指すこととする)

3.倫理的配慮
 本研究は主に文献研究である.先行業績,引用などについて日本社会福祉学会の定める研究倫理指針を遵守する.

研究結果
1.1.1.日常の自明性と被覆力
 日常とは何か.普通,当たり前のこと,決まり切ったこと,なれ親しまれたもの,あるいは,よほどのことがない限り揺らぎもしない安定したもの,けれども何となくつまらない陳腐なものであると捉えられる(鷲田1997:24-25).この当たり前のこととして在ることを自明性と言うが,では,自明性とは何かと説明することは実は難しい.
 例えば,日常の反対は,非日常であるが「非日常性の最たるものである死も,葬儀や法要,あるいはその準備を通して,我々がいつからともなく親しんできた日常世界に吸収される」(鷲田1997:26).言い換えると,日常は,死や天災など日常あり得ないと思えることが起こっても,時間が経つにつれ,慣れ,その出来事を忘れる等,いつの間にか「何もかも元通り」と思うようになる.だから,あらゆる主題(出来事)は日常によって覆われるがゆえに,日常の中(形成している要素)や裏(本質など)に何があるのか説明することは難しい.これが日常の持つ被覆力である.

1.1.2.日常の背後にある先行世界
 個人の現在の行為選択,未来への予測は,これまで自分が経験してきた過去の行動,認識を主観的な論理でもって体系的に構成しているからこそ成り立つ(加茂2003).そして,過去の選択を反省し,論理的に体系付け,現在に結びつけることができるのは,日常という先行する基盤・世界があるから可能なのである(鷲田1997).
 例えば,身近な人の死という衝撃的な出来事があっても「葬儀」や「法要」といったすでに歴史や共同体の中で,「妥当なもの」として認められた事柄・思想・概念・伝統〜生活世界があるからこそ,死の悲しみを安定的に処理することができる(鷲田1997).このように考えると,日常とは,個人の経験や判断に「意味」を与え,その人の現実を構成させる(自己を定立させる)先行的・歴史的な地盤である.

1.1.3.日常を形成する規範・身体と感情の規格化
 この先行する生活世界は,多様な要素が存在するが,第一義的に,日常は安定を指向する.そのためには生活には秩序や規範が人々の生活に大きな影響を与えている.通常,日常生活を営む上での規範などは,「日常生活規範」といわれ、通常マナーやモラルとして認知されるものである(稲永:1998).さらに「日常生活の中での選択行為の多くは,自覚的にも無自覚的にも,専ら社会・文化的文脈の範囲内で習慣的規則に則っている事が多く」(稲永1998:130),ことに対人関係,あるいは他者との利害関係などの行為選択,例えば空気を読む,距離感を測るなど,その場面での取る態度はこの日常生活規範の範疇で行われることが多い.その意味で,人は日常生活規範を遵守することで身体と感情を生きる術として規格化している(加茂2003).逆に,そうした規格化から逸脱する者は制裁を受け,排除される(?野1994).その意味で日常に存在する先行基盤などは,秩序として人々の生活に安定をもたらしている.

1.1.4.日常の可能性
 一見強固にみえる先行世界であるが,その地盤(日常)は,固定的なもの,変化のないものではないとする見方がある.日常は多様な概念・言説・経験則・歴史などを絶えずダイナミックに編成し,作り替えていく,終わることのない運動体である.「それは,新奇なもの,異質的なもののうちへも増殖し,それらを併合しながら絶えず変形していく可塑的な運動」(鷲田1997:49)である.例えばあらゆる種類の情報の流通と蓄積,メディアと通信システムの多様化は,それまで共有されてきた自明さの更新が現代では急速である(?野1994).このことから,日常は安定的な雰囲気に包まれながらも,多元的な領域を雑多なまま混在させているといえる.またそれぞれの領域の知識は決して統一的でもないし,部分的にのみ明晰ではあるが,いつも何らかの矛盾を含んでいる.日常とはその意味で,「その様々な構成契機がある程度,つまり,相対的に一貫して編成された緩いシステム」(鷲田1997:65)である.
 個人は,この緩いシステムである日常を自分なりに解釈を施し,自らの現実を構成し直して生きている.それは,自分は他者(一人〜多数,社会)をどう把握するか.そして,他者は自分をいかに認識するのかという自己解釈を通して自分を位置づける.
 日常に生きるとは,何か退屈なこと,問題意識が無い没個性的なことと捉えられる.しかし,日常は同じようなことの繰り返しに見えながら,実際には絶えず変化している.「日常のおける自分の在りよう」を自覚的に捉えることはなかなかできないが,多様な言説やまだ知らない先行経験が日常に含まれていることを意識するならば,解釈の仕方によっては,自分の生き方を再編させることは可能であるといえる(加茂2003).

1.2.社会福祉施設におけるルーティンワークとは何か
 ルーティンワークは,その人が毎日会社に行き”仕事をする”という”日常行為”を指すと言える.とするならば,ルーティンワークには根底から支える先行世界あるいは規範がある.わかりやすい例として,その組織の就業規則・社内規範は,個人の身体や感情を規格化する.そして通常,個々人は規格化されていることは意識されない.そこに自明性と被覆力があると見ることができる.あるいは,その組織を意味づける様々な言説:先行世界(メディア・学問・法律・資本的価値・社会的有用性など)がその組織に所属する上で大きな影響を受ける.社会福祉の仕事のあり方に限っても、福祉の仕事として適った所作とは何か、あるいは社会福祉の専門職性を巡る様々な言説が,その一組織の「あり方」に大きな影響を与えていることは周知の通りである.当然,そうした言説や規範から逸脱するまたは遵守できない人や組織は社会的に適切ではないと排除される.
 日常行為の内実にスポットを当てると,ルーティンワークは日常の繰り返しが人々の生が一定のリズムを手に入れ,日常性が現場の崩れを守っているともいえる(須藤2002).須藤は(2002)は自閉症児の通所施設での勤務体験を例示し,カバンを脱ぐ,靴を履く,同じ手順,同じ声かけをしぶとくルーティンワークに徹すること,それが子どもの生活のリズムとなることを論じている.
 さらにルーティンワークを日常の可能性の視点で考えると、詳しくは後に述べるも、ルーティンワークの意味づけを行っている多様な言説〜先行基盤への解釈によって一人ひとりの所作や仕事へのアプローチの仕方が違うこと。また、解釈の再編や深化によって自分自身の仕事のスタイルを改変させることが出来るとさすと言える。
 次にもう一つのテーマ、実践知と熟達者とは何かについて述べていく。

2.1.実践知
暗黙知モデル
 そもそも実践知は、マイケル・ポランニーの暗黙知の概念から援用されており、社会福祉学あるいは他の学問領域では、実践知・経験知・身体知等とも言われている(厳密にはそれぞれの用語は違ったニュアンスで使われることがあるが)。いずれに場合でも、これらは、専門的な技術や理論というより「記述しようとすると戸惑ったり、あるいは明らかに不適切な記述をしてしまう」(須藤2002:49)知識であり、日常と似て、なんとなく自分の行為や認識を裏付ける何かであるとされる。あるいは実践知は通常無意識であり,自然に習得した技能やルーティン化して他人に伝達することが困難であるとされる. たしかに実践知は、個人が体得した知識であるが,【実践知・暗黙知そのもの】が知識の総体(包括的全体知)であり,個々人の認知を越えるものであるとされる(大崎2009).よって個々人に宿る実践知はそれぞれが包括的全体の一部を照らし,推測し,解釈を施し、身につけた知識であるといえる.
 福祉施設に焦点を絞っても、福祉従事者は「日常生活に具体的に関わり、利用者の個々の身体的・精神的・経済的・社会的ニーズに働きかける」(大和田2008:114)トータル性が強調される(鈴木2001)。このトータル性はいわゆる包括的全体知といえる。そしてその上で、福祉従事者は、これまでの自己の感覚と共に、学習経験・専門職としての経験知を呼び覚ますこと。そして、科学的知識を効果的・選択的かつ創造的に用いること。この「実践能力の総体(コンピテンス)を通じて具現される熟達した技」(安井2009)を指向することが大切であるという。
 いずれにしろ、福祉従事者は理論と実践の隙間を埋めつつ、創造的に実践し、この実践知を積み重ねることが求められることは強調されるところである。それはマニュアルや形式的なことから、自らが利用者への適切性や妥当性の検証・洞察を包括的な全体知への探求を経て形成される独特の所作〜技量の向上を後付する知識が実践知であるといえる。このように実践知は一人一人の学問的探求を究極的には指向するが、その一方で、例えばおむつ交換などのケアワークの諸動作など半ばルーティン化してその動作一つ一つを事細かに説明することが難しことも実践知として捉えられている。しかし、その諸動作の習熟や技術の獲得にはおむつ交換という全体的な流れ〜包括的全体が潜んでおり、そこへアクセスすることを通じて技術を身につけていくと捉えることが出来る。

2.2.熟達者
 こうした実践知の蓄積が豊富である実践者のことを熟達者あるいは熟練者というが、ではどのように熟達(熟練)化(熟練形成)するのか.このことについて大崎(2003)は、「人間はある対象に対し注目を移し馴染んでくるとそれを自分の身体の内部に結合または包含し,その対象の中に潜入し,見合った「実践知」すなわち「勘」が発達する.[…中略…]天才といわれる人達は,ある事物に対する結合,または包括,そして「潜入」の度合いが強いのである.彼らは「勘」が発達し,結論が何か既に検討が付いている.天才による発明・発見でなくても,一般の人でもしばしば創意工夫は可能である.機具・機械・装置の創意工夫だけでなく,あるものをより効果的に習得する方法やある事柄をより簡単に達成する方法などにおいても創意工夫が行われうる」(大崎2009:33).つまり熟達とは,ある対象に自らの身体を潜入させ,身体内部に結合された包括的な実践知の集積であるといえる.このことは熟達者の技能がたとえ主観的で直感的であろうと,直感にいたるプロセスには膨大な思考やことの本質(技術に内在する包括的全体)に迫ろうとする知識があることがわかる.さらにこの実践知があるからこそ,対象へのモノ・コトへの想像力も創造力も生まれるのである(渡邊2010)といえる.

2.2.2.社会福祉施設の熟達者とは何か
 社会福祉にとってのベテラン(熟達者)とは何かについて,段階モデルに基づく従事者像を考察した研究や(吉川2006,須藤2009),近接領域として看護師の臨床判断を新人とベテランの違いについて考察したもの(杉本2005)がある.共通するのは,ベテランの直観的判断はいかに為されるのか.目に見えない関係や状況をどう捉えているかなど,実践知がいかにベテランに働いているかである.これらを大きくまとめると,社会福祉における熟達者とは,利用者の中にある不確実性への洞察へ等を含み,目に見えない生活状況を把握し,適切に対処すること.そのためには,大局的な見方が必要であり,それはあらゆる知識や直感を含むトータルな判断が出来る者である.このこの目の見えない知識や思考,あるいは(臨床)判断は実践知が作用しているといえる。そして、熟達化とは実践知を手がかりに形成される知へ成熟過程であるともいえる.いずれにしろ福祉施設従事者に限っても,熟達者とは単なる介助の作業効率が高い人ではなく,対象者へ総体的に理解しようとする試み(包括的全体知)を身体の中で結合しようとする者である.
 熟達者は多くを語らないが、仕事の確かさと自分が何を為すべきなのかを行動によって示している。例えば対象者の場面での表情を瞬時に読み解き、そこに適切に働きかける言葉がけ。ケアするときに添えられる手の強弱とタイミングなどである。これらの行動は単に作業の一動作などではなく、全体としてその行動は根拠づけられているのである。熟達者はそのことを無意識であっても知っているのである。むろん、それは対象者への飽くなき探求心と仕事の意味への問いかけが為されている。そして自分自身を対象に没入し、内在化させ、自身の行動を検証し、積み重ねているのが熟練者であるといえる。
 
3.1.1.ルーティンワークの発展性
 確かにルーティンワークの内容時間で決められた規則性があり,その作業を適切にかつ効率よくこなすことが求められる.しかし,すでに見てきたように,この規則は多様な言説からその施設が選び,編成した現実構成である.確かにどのようなシステムを採用され現実を構成しているかを明らかにするのは難しい.とはいえ,ルーティンワークの発展性を指向するならば,この現実構成が可変であることを手放すことは出来ないだろう.
 この現実構成を変えるには,日々具体的になしている判断・思考・行動を捉え直すことが必要になる.それは自分の権限・裁量行使だけではなく,人間をいかに理解しするか,より広い視点から(社会福祉学の多様な言説を読み解くなど)の現実の把握が求められることになる(田中2001).広い視点とは制度・政策の側面だけではなく,むしろ,〈実践〉とそこに要請される〈認識〉の道筋を探り当てることである(三浦2006).
 ことに社会福祉の場合は利用者の数だけ,個別性や事例性はより流動的で柔軟性が求められる.しかし,熟達者は,それでも実践知を頼りに,その人の全体性と見通しを持ってあたる.その見通しは,丹念に個人のあらゆること(とはいえ,自分の仕事で捉えられる対象観である.それでもそれがその領域の包括的全体知ともいえる)をルーティンワークの反復行為の中で緩やかに認識を変化させ,積み重ねたものである.そして熟達福祉従事者はその中にあって,個人にあるいは場面に,自らの実践の確かさを確認し,自らの工夫や創造性,そして発展性を求める.つまり,熟達者はいまあるルーティンワークを自らの手で発展させる技能を有しているといえる.

3.1.2.熟達形成(熟達者から学ぶ)の側面から
暗黙知モデル2
 熟達者から学ぶ(伝達される)ことについて、新人教育と熟達従事者との関係では,横田(2007)は,現場の熟達者の実践知を生身で知る「正統的周辺参加」を提唱し,なにより「まず熟達者の行う実践活動場面に緩やかに共同参画する」(横田2007:9)こと.「初学者がある職業領域で熟達するために必要なことは,断片的で明示的な知識ではなく,その職業そのものの理解と自らのアイデンティティの増大であり,専門職業人としてのモデルを把握することであること」(横田2007:10)を論じている.それは、熟達者の所作や仕事の全体性へ直接参加すること〜一緒に行うことから、その実践知を学ぶことである。つまり「人が新しい技能や理論を身につけるに際して、最も良い方法は、対象の諸細目を部分的に学ぶのではなく、対象の全体に内感的に「潜入」する事」(大崎2009:25)であるといえる。
 熟達者から学ぶことについて、経営学での実践知の応用〜ナレッジマネジメントの知見を若干引いておく。この知見は、熟達従事者の高度な技能の中にある実践知を組織としていかに共有し,新人・派遣社員に伝承し,もって組織として活用するべきか〜熟達者と新人の実践知の伝達についての議論である(稲岡1999,内藤2007,渡邊2010,長島2005,大崎2009,二宮2004)。それによると目に見える技術の習得だけでは、“コト”の本質を理解出来ない為、応用の発展もできない。よって新人は熟達者の巧みな諸動作の中へ内在化しようとして(実践知を推論する。あるいは解釈する),その諸動作を相互に関連づけようと努めることが大切であると.その動作や思考過程の内面化を努めることで,新人は熟達技術者の目に見える動作だけではなく,その背景にある根拠や技術が及ぼすあらゆる全体性そのものを体得することができるとされる。
 しかし熟達者が体験して感知している実践知は、伝達プロセスの中で言語化された知識(目に見える知識)を通してしか知ることが出来ない。新人はその目に見える知識を手がかりに熟達者の実践知を推測して受け取るため,熟達者と新人の実践知の意味内容が完全に一致することはまず無いと指摘されている(二宮2004).しかし,解釈の違いこそが,あらたな創造性の原動力となる.
 この実践知の形成あるいは伝達は、社会福祉施設ではルーティンワークの中で行われている熟達者の自然の所作にも自分の違いを見出すことから始まるのではないかと考える。熟達者の言葉掛けやタイミング、動作、その一つ一つが全体として熟達者たらしめる。それは何気ないことかもしれないが、明らかに違う。新人はそうした熟達者の行為から実践知を解釈し、自らが新たな実践知を形成させる。それぞれが創造性と問題意識を持ち、可能性を追求すること。これはルーティンワークの中にある発展性といえる。

4.まとめ(おわりに)今後の課題
 実践知と熟達者で述べたように,それはモノ・コトへの潜入の仕方であり,飽くなき探求心である.それはおそらく組織に依存しながらも,組織が妥当とする業務のあり方を超えるモノかもしれない.そして,すごいと感慨を持つのは,誰かに言われたりすることなく感じる.そのすごいとは何かを,観察し,また自分の中で内面化していく.そうしたプロセスを踏みながら人は良い仕事志向すると考える.
 いずれにしろ本研究では,ルーティンワークとは何か,実践知とは何かの一端を提示し,熟達従事者から学ぶことの意味を考察した.とはいえ,例えば,具体的に現実を読み解くどうなのか,あるいは熟達従事者の行為が利用者にとってどう影響があり,何が考慮されるかなどは,全く示すことができなかった.これのことは,今後の課題としたい.

引用・参考文献(文中にあるもののみ掲載)
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マイケル・ポランニー 高橋勇夫訳(2003)『暗黙知の次元』筑摩学術文庫
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須藤八千代(2002)「ソーシャルワークの経験」尾崎新 編『現場の力』誠信書房,24-54
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