社会福祉施設労働者の専門職性についての一考察
kuma(W学園)

研究目的・方法
 昨今景気・雇用情勢の悪化により,派遣労働者を中心に大量の失業者を生み出されている.しかし,その一方で,福祉分野,特に利用者へ直接的にケアサービスなどの対人サービスを行う業態(以下,福祉現場とする)での離職率の高さや人員不足は深刻である(藤原2009など)1.このため厚生労働省は,雇い止めになった派遣労働者を福祉現場への就労支援を行っている(厚生労働省2009)2.しかし,こうした派遣労働者が福祉現場に定着し,人材不足が解消されたとは言い難い.その要因に,不規則な就業形態や労働密度の高さといった労働条件の厳しさが指摘されている(植田など2002).
 ところで福祉現場に「やりがい」があるとする根拠に,専門性の高い仕事であることが挙げられる(真田2003,植田2008,大野2009など)3.確かに,社会福祉士や介護福祉士等の国家資格の整備と取得者の増加,あるいは福祉領域の大学・短大で専門教育を受けて福祉現場で働いている人々は増加している.しかし,その一方で福祉の仕事は「誰でも出来る仕事」(福祉労働者の専門職性の軽視)として喧伝されている(渋谷2003).自己裁量権が高く専門的知識を活かした仕事に就ける者は少数いるものの,多数は集団的でシステム化されたルーティンワークに従事することになる.そこでは,無資格者や専門の教育を受けていない人と同列の価値で働くことになる.つまり専門知識が福祉労働の価値を高めている状況にはないといえる(田川2007など).とはいえ,労働者の専門職性の軽視(非熟練化)は他の業種においても同様に進められており,その原因は現在の労働環境を形成している主流のイデオロギー(新自由主義)や働き方のシステム(ポスト・フォーディズム)にあると考える(金子2002).
 本研究では,新自由主義やポスト・フォーディズムがいかに福祉労働者の専門職性を軽視しているのかを考察する.その上で,福祉現場において必要とする専門職性とは何かについて考察し,提示することを目的とする.なお,福祉労働問題を取り上げる場合,先行研究では新自由主義かポスト・フォーディズムのどちらか一方から論じる傾向が多い.本研究では,福祉労働者の専門職性の軽視は両者が密接に結びついているとする視点に立ち総体的に論じていく.
 研究方法は,文献研究であり先行研究から,1.福祉現場の専門職性をないがしろにする言説の諸要素を取り上げ,批判的に論じる.2.対抗的な言説として「職人の倫理」(バウマン2008,前田2001)4を手がかりに,専門職性を改めて考察(再構築)し,いかに現実的に適用しうるのかを検証する.なお本研究は主に社会福祉施設等における福祉労働について考察を行う.

研究結果
はじめに
 本研究での福祉職の「専門性」と「専門職性」の違いについて先行研究を参照し規定しておく.
 このことについて秋山(2005:206-222)が,社会福祉専門職の研究の概念を,「専門性」「専門職性」「専門職制度」に整理して概説している.その内容は多岐にわたり,この3つは密接につながっているが『「専門性」は専門職性の基礎となる「学問・研究レベル」の課題を持ち,抽象度が高い項目が要点となる.「専門職性」は「職業のレベル」の課題を持ち,社会における「職業としての専門職」としての要点項目が多い』(秋山2005:206).ちなみに専門職制度は,制度・システムのレベルであり,ここに資格制度などが問題群として考えられることも整理している(秋山2005:206-207).
 この規定に基づき本研究では,個々の福祉労働者が理論研究などを通じて福祉のあり方を捉えることを「専門性」とする.そして,それらを通じて,実用性や具体性を持って個々人が独自性を持って仕事をすることを「専門職性」と区別する.そして,本研究では,主に専門職性について述べていく.

(1)新自由主義とポスト・フォーディズムについて
 新自由主義とは何か,ポスト・フォーディズムとは何か.その全容は複雑であり,かつ膨大な言説がある.とはいえ,大まかに把握するならば,この二つは渋谷(2003)によれば,現在主流な権力が作動させている「要素」であると規定されている.その権力とは「いわゆるニューライトと呼ばれるリニューアルされた右翼である.より正確に言えば,家族的価値の回帰を唱える新保守主義,市場原理による福祉国家解体をねらう新自由主義,権威主義的ポピュリズム,これらの接合によって出現した権力である」(渋谷2003:11)と.さらに「権力は,アイデンティティや主体の構築を通してそして生のあり方そのものを通じて作動するのであれば,労働や産業構想の変容は権力ゲームのあり方に大きなインパクトを及ぼす」(渋谷2003:13)と.その意味で,新自由主義による産業構想や労働のあり方を規定するポスト・フォーディズムは個々人の生のあり方に強く影響を与えると考える.
 新自由主義とは,端的に言えば「社会の資源配分を市場原理に委ね,市場の自由競争のもとで資源の効率的配分を実現しようとする考え方である」(田川2007:68).日本において新自由主義が政策と結びついたのは1980年代の中曽根政権からであるとされ(黒田2007)5『その特徴は「小さな政府」を訴え,福祉国家が大きくなりすぎたという理由で社会保障費を抑えるとともに,民間企業の営利機会を拡大するために規制緩和,民営化,市場化を推し進めてきた』(森岡2005:113).そして小さな政府指向を支える経済思想は市場個人主義である.この市場個人主義は「個人の権利と自由は市場を最大限に利用することによって最も良く保障されると考え,国家による経済運営の調整,規制,介入を原則として否定する」(森岡2005:113-114)思想である.その上,市場個人主義は,これまでの文化・社会・歴史の軽視,あるいは経済システムが機能する上での信頼・協働・社会的絆などの機能を考慮しない傾向が強いとされる.ちなみに,構造改革は「経済社会の制度・仕組みを市場と競争に適合的なものへと転換することをねらいとする」(田川2007:69).特に,社会福祉など国の財源に依拠する業態においては顕著であり,民営化(規制緩和)という名の賃金抑制,労働力の商品化はドラスティックに行われている(太郎丸2009,二宮2001,田川2007)6
 一方ポスト・フォーディズムとはいわゆる生産形式の移行を指す.それは「プログラムされた生産から,市場の気まぐれの動向にますます左右されるようになる生産への,つまりフレキシブルな生産への移行」(酒井2007:44)である.言い換えると,大量生産,大量消費を旨とした生産効率の追求から,少量多種生産を旨とした,柔軟な労働の編成による生産形式への変化である(崎山2007).
 市場の気まぐれとは,消費者のきまぐれが市場を形成している事に由来する.その意味で,消費者の気まぐれに柔軟に対応するためには,生産の前工程(商品化の前段階)から顧客を意識し「自律的に思案・判断・修正する」(入江2007:90)ことが求められる.そして,作業チームは「メンバー相互間の協働を円滑にし,あくまでも”開かれて”コミュニケーションが不断に流通する場に編成しないといけない」(入江2007:90)ことが求められる.つまり,個人が努力して「労働生活の質の向上」を図り,仕事の中で自己の創造性を見いだすこと-「やりがい」や主体性が強調されることになる(渋谷2000,2003,杉村1997)7.しかし,この主体性は従来労働(職人的労働)に見られた全体性や裁量性,責任意識ではない.労働のフレキシブル化や限局化の中で「賃金が低くても,やりがいのある仕事なら満足するべきだ」(渋谷2003:234)と言っているにすぎない.また,実際,消費者と労働者が直に向き合っておらず,資本家(企業)の媒介が不可視化されている(崎山2007:156).その意味で,顧客のためという言説の下で「企業精神を内面化し[.中略.]生活を企業に捧げる主体性」(入江2007:46)に過ぎないとされる.

(2)新自由主義の労働の柔軟化・流動化の問題点
 特に福祉労働者の専門職性との関連について述べると「市場個人主義は,労働市場に適用されると,労働力をまるで一般の商品であるかのように取り扱い,労働者の保護と労働条件の改善のために獲得されてきた労働分野における種種の規制の緩和や撤廃を求める主張として立ち現れる」(森岡2005:114)と.労働の商品化とは,必要なサービスを必要な人数だけ確保すればよいという雇用主の考えのもと,非正規雇用が正当化される.しかも非正規雇用とは労働スキル・キャリア形成が不要な非熟練労働者を意味する.非正規雇用の増大は,職業自体にある一貫性や専門性が否定されていく(バウマン2008,林2003)8
 さらに労働スタイルの柔軟化によって,正規労働者は劣悪な条件で働こうとする非正規雇用との競争関係におかれる.よって雇用環境が流動化し,正規職員の労働条件も劣悪な方向に引きずられていく(大須2003).そうした環境において,福祉職を専門職と見立て,天職としてやっていけるだろうか.せいぜい,天職とは『雇用主からすれば,従業員の仕事に天職らしき装いを施そうとすることは,次の「規模縮小」の実施や別の「合理化」の際に噴出する混乱に備える』(バウマン2008:71)だけだとする指摘は重い.
 また市場個人主義は,福祉労働を契約で定められた「サービスのパッケージ化」と報酬の枠内での「時間決め・細切れサービス」として商品化する.さらに「治療や改革の代わりに,契約や課題の達成,技能訓練が強調されるようになった.[…中略…]実践が[深部からの解釈から表層のパフォーマンス]へシフトする中で,マニュアル化が進み,結果や効果を重視する実践が施行されるようになった」三島(2007:178)と.背景には,科学的知見の蓄積によるデータベース化の推進の流れがある.この流れは福祉労働の専門職性向上を図るという一面もある.しかし,このマニュアル化により,一人一人の創意性が時に科学的ではない,マニュアルに合致しないという理由で,否定される事につながるという専門職性否定の一面もあると指摘されている(三島2007)9

(3)ポスト・フォーディズムにおける感情労働
 ポスト・フォーディズムは労働の範囲やノルマ以上に,コミュニケーションを重視し,主体的かつ自律的に労働の質を上げることが強要されると述べた.しかし,このコミュニケーションや思い入れが商品として評価されないという「感情搾取」が問題となる(松川2005,崎山2007)10.そしてこの感情搾取が顕著なのが,対人サービスを主とする業態である.接客による笑顔や言葉がけなどを強いる労働を感情労働という.特に,ケア労働に従事している人は,「介護される側〈顧客〉との長期的,短期的な信頼関係にコミットしているがゆえに,十全にその感情労働を商品化させることが出来ない」(渋谷2003:30).特に,福祉施設などは顧客との関係は長期化しやすく仕事の範囲の明確性が喪失しやすい.またケア労働は顧客に対し「配慮」を優先させることが暗黙裏に働いている(鷲田2001)11.あるいは,福祉労働とは感情労働こそが専門的な関わりのキモとされる(松川2005)12.しかし感情労働の問題は,例えば同じような業務をこなしても,利用者との感情的な関係性でまったく違った評価が下されること.そして,それは援助者の力量として評価されてしまうことである.つまり福祉労働は,主観的・感情的なことが大きな割合を占めている.その結果,そもそもの労働条件(範囲,時間,内容)を巡って経営者と論理的に対決する要因が削がれてしまう.また,その配慮などは「その労働者が主体的に行った」のであり,労働条件に無い余剰なものであり,その行為が商品として正当に評価されないのである.
 さらに感情労働はこれまで女性が担ってきた,あるいは得意であるとされている.そしてそれは単に得意であるだけではなく,ジェンターバイアスとして問題となっている(足立2007,斎藤2003)13.ケア労働は「「女性向きの仕事」として女性を介護の担い手としてきたことが,また献身的・犠牲的・無償的なものとして女性に割り当てられてきた「ケアの役割」が改めて問われている」(杉本2001:16).このことについて,渋谷(2003:27-28)は「家族介護の場合には「家族への無償の愛」として理解されてきた精神的介護の側面は,有償介護労働の場合,しばしば「ボランティア精神」や「福祉の心」へと翻訳され,それにより介護労働としての側面が,誰でも可能な非専門的労働-家事労働の延長-として不可視化されている」と述べる.これらの言説から導かれるのは,福祉労働は,家事労働として誰でも気軽にできると思われることになる.

(4)社会福祉施設労働者の専門職性について
 このように現在,社会福祉労働の専門職性が否定されがちな環境であることが明らかにされた.この問題に対して,先行研究ではワークライフバランスの重要性(杉村1997,西川2008など)14,労働権利の意識の高揚(真田1992,植田2002),福祉労働のミッション性を意識すること(垣内2009)など様々な解決への提案がなされている.本研究では,あまり論じられていない部分-良い実践(仕事)をしている熟練労働者(職人的な働き方)から「学ぶ」という横の連帯が労働環境(土壌)を豊かにすること(西川2008)15.そのことが現在,福祉労働の専門職性否定に対抗しうることとして提示する.
 そもそも職人(craftsman)とは自ら身につけた熟練した技術によって手作業で物を作り出す人を指す.そのためサービス業である福祉労働者は職人ではない.しかし,ここでは広く一般的にいわれる職人気質-自分の技術を探求し,また自信を持ち,金銭や時間的制約などのために自分の意志を曲げたり妥協したりすることを嫌い納得のいく仕事をする人-このような働き方をする人を職人的な仕事する人として述べる.なお,職人芸は熟練労働者のもつ独特な技倆,表現方法を指すこととする(三浦2006)16
 ところで福祉労働者は,職人的で人に何かを教え,伝えることが苦手だと指摘される(石井2004)17.あるいは職人芸は科学的でも専門性が無いと否定される傾向がある(三島2007,横田1999)18.しかし,福祉現場の専門職性は,一つの理論や説明できる実践とは別の仕方で積み重ねられている(須藤2002,横田1999).むしろその実践は「記述しようとすると戸惑ったり,あるいは明らかに不適切な記述をしてしまう」(須藤2002:49)暗黙知や経験知に支えられている.その意味で個々人の専門職性は,その人が多様な学問や知識を取り込み,試行錯誤しながら実践し,身体化した「技倆」といえる.職人芸とはその技倆と併せてその人の歴史性や精神性を含んだ総体的なものである.その意味で職人芸は簡単に人に教えることは出来ないし,言語化した途端何か違うものになる(横田1999,横田2007)19.しかし「この技倆は社会の中ではっきりと検証され,証明されるものであり,神秘的でも絶対的でもない.この技倆は,やがて誰かによって乗り越えられるべく,そこに開かれたままになっている」(前田2001:81)ものである.確かに,技倆は偉そうな理屈は何一つ言わず,目立たぬ所に黙って存在している.しかし,技倆は常に具体的な形で存在し,検証しうるものである.
 では,社会福祉施設労働者の技倆とは何か.施設業務は基本的に日常の延長のような内容である.しかしながら,他者(利用者)を理解しようとすることに終わりはないし,そのことを通じて良い仕事を志すあらゆる実践の問いかけの中に技倆は宿っている.その技倆は単に「問題の解決」という皮相なものではない.そして,その問い直しは援助者の生活にもはね返り,自分(援助者)の価値や生活,役割を静かに,不断に終わり無く浸食する(加茂2003:209)20.それは,日常業務の中に自分も現場も豊かになる可能性を秘めている事を教えてくれる.また,良い仕事をする熟練労働者の技倆は具体的な形で現れる.例えば,丁寧な仕事ぶりとか,専門知識と倫理が良い具合でバランスが取れた言動に現れる.そしてその結果は,利用者を見れば分かる.援助者に安心して体を預けている姿.その援助者へ向けるまなざしや表情などに見られる(垣内2009,中井1998など)21
 そして,良い仕事をする熟練労働者の姿をみて,同じ職場にいる人は,その人のように仕事をしたい欲求に駆られ,感化される.そして,この感化や欲求はまず持って「ある特定の人間の持つ技術の継承」(前田2001:84)を志向する.この継承は単なる技の習得ではなく,その技術を実現できる特定の人間をそのまま受け継ぐことをめざす.究極的には技を通して「人間を継承」(前田2001:97)する.要するにこの継承したいと思う欲求は,仕事の技術を介しながらその人が体現する「立派さ」に惹かれているのである.つまり,そうありたいと人を奮い立たせるものは,共同体や社会に流布している抽象的な立派さではなく,目の前にいる人の中に見いだされるのである.そして,自分の中で「かくあるべし」と生きる上での義務を人は人に密かに誓う.この「実際にその義務を果たす上で私たちの心を鼓舞するものは,普遍的な倫理への欲求」(前田2001:99)であるといえる.
 福祉現場の労働者がまずもって学ぶべきは,良い実践をしている熟練労働者の技倆である.そして良き実践を行う人に「感化」され,自分もそうなろうと密かに「誓い」,「継承」していくという「具体的な人とのつながり」のことを「職人の倫理」として捉えている.特に社会福祉施設のような継続的かつ集団的に働く環境にあっては,感化と継承は時間をかけて行われやすいと考える.一人一人の福祉労働者が内発的に専門職たろうと志そうとすること.これこそが社会福祉施設労働者の専門職性といえる.
 こうした専門職性への志向は,現在福祉現場に広がる非熟練化やマニュアル化に対抗できると考える.あるいは,内部での連帯は外部が求める忠誠心ではなく,本来ある労働者の尊厳や誇りを取り戻すと考える.また技倆を求める姿に,仕事の範囲が限局化された中で主体性を強制されるのではなく,仕事に対する全体性をもたらすのではないかと考える.

おわりに
 福祉労働は制度的やイデオロギーの影響を受ける.福祉サービスのマニュアル化と表層化は,労働条件や環境の悪化とセットになり,内容自体が劣化している.また,同職する職員間の連帯よりもとかく個人的なスキルや力量の向上に目が行きがちである.人材育成も「用意された研修」や施設管理的な意味合いが強い.本研究では,具体的な他者から学ぶ,語り合うという横の連帯を通じて職場自体の土壌を育てることが現在の福祉労働にとって必要ではないかという視点で考察してきた.また,現在,資格取得や学歴が重視されがちである.キャリア志向は福祉現場の専門職性向上に大きく寄与しうる.しかし,時に無資格者や低学歴者の軽視への作用もある.しかしそれに抗して黙って職人的な働き方をしている人々がいる.そうした人々に感化されて連帯していくこと.それこそが外部に用意された他者承認と虚栄心に抗していけるのではないか(今村1998)22.このような感化や欲求に奮い立つなら,他者を否定することで自分のスタイルを確立することとは無縁になるのではないか.言い換えると,「お前はわるい,ゆえに私はよい」(渋谷2003:224)23とするスタイルは,他者への批判や否定を通して自分を肯定(価値化)する.それは,誰かに承認されたがり,それによって安堵する心情の裏返しである.しかし,職人の倫理に基づく姿勢は,他者の承認を必要としない.影響を受けた人は,与えた人を肯定し,そして自分が志す仕事を肯定する.それは他者を否定することで自分の行っていることを正当化しない.それは,内在的な自己肯定であり「ひとかどの者」として自己を価値化する(渋谷2003).そうした仕事ぶりに中に労働者としての尊厳や誇りが生まれと考える.そしてそのように仕事を積み重ねることが社会福祉労働者の専門職性といえるのではないかと考える.

今後の課題
 以上,社会福祉施設労働者の専門職性とは何かについて論じてきた.本研究では,主に職人の倫理に焦点を当て,社会福祉施設労働者がいかに専門職性を身につけるべきかという枠組みの構築を意図していた.そのため,ではより具体的な意味での技倆とはいかなるものか.それはどのような価値観や対象観を持つべきなのかなどの考察が出来なかった.これらは今後の課題としたい.また,現在福祉労働を取り巻く環境は大変厳しい.当然,職人の倫理だけではこうした厳しい環境を解決できるとは考えていない.あるいは,職人の倫理が果たしてこの環境を少しでも良くするのかどうかと言う反問もある.いずれにしろ,福祉労働者当事者として,考えるべき問いは多数ある.今後も多数の問題群を自分のこととして引き寄せ,自分なりの言葉として再構築していくことが求められる.


1.藤原では,平成18年度の「事業所実態調査及び介護労働者の就業意識調査」から離職率,働く上での悩みなどを抜粋.このほか,福祉労働を扱う先行研究では,離職率と同時に,低賃金,労働密度の高さが挙げられる.
2.福祉・介護人材確保対策について(特に介護未経験者確保等助成金など)なお,各行政が,介護職人材確保事業として実施しているが,予想される応募よりも少ない結果であることが報道されている.
http://www.mhlw.go.jp/bunya/seikatsuhogo/fukusijinzai_kakuho02/index.html
3.特に「福祉労働の」専門性について考察しているものを取り上げている.真田は,労働過程の中での社会福祉技術は対人間,相互性,社会性に裏打ちされたものであることを.植田は障害者自立支援法下での福祉実践の専門性を日常業務の所作と根拠について考察.大野は,生活アセスメントから専門性を抽出.このほか,日常業務に内在する専門性の追求には多数の先行研究で行われていることが確認できる.
4.バウマンによれば,労働市場の作業の中で形成される労働倫理を,職人の倫理に置き換える必要があること.前田によれば,職人として働くことは,人間の本性として自然なことであることを説く.
5.黒田によれば,新自由主義が日本に導入されて小泉政権までを第4期として分け,サッチャー政権・レーガン政権から積極的に取り入れたのが,中曽根政権とされている.
6.太郎丸は,様々な国家のレジームを分析し,日本は自由主義レジームに近づいていることを分析.若者にとっては最悪の福祉レジームであると同時に,社会福祉の商品化とセーフティネットの脆弱さがある面容認されていることを明らかにしている.
7.渋谷は,その代表例としてQCサークルを挙げている.QCサークルによる研鑽から,労働者一人一人に自発性,企業経営への参画等を喚起させる.そのことによって,労働者という意識-企業と対立・対等な立場(賃金を得る)を堅持するよりも,一人一人が経営者のように振る舞うことの大切さを内部に働きかける.それは,労働というカテゴリーを消失させ,結局は権力-企業に従属させることを指摘している.
8.バウマン(2008:55-61)を参照.林は,労働の流動化と規制緩和は区別する必要があること.規制緩和は労働の柔軟化を促進する前提ではあるが,それ自体として直ちに労働の柔軟化がなされないことを力説している.
9.EBMと反省的学問理論の両方の視点を持つべきである論を展開しつつ,EBMにおけるデータベースの蓄積と循環それ自体は,専門性を高めたいという意図があるとされる.
10.例えば,崎山(2007:157)において「そこでは笑顔ではなく,「笑顔」という意味を与えられたコードの維持が重要なのであり,それは「客に対して笑顔で接すること」を強いられ労働する人々に対して以外に何に対しても「関係を持たない」ような物神性を有する「使用価値」に転化されてしまっている」
11.例えば,利用者からの依頼を常に受容することが慣行化されると,それ自体が労働強化となる.本来利用者ができることまでついつい手助けしてしまう.あるいは,本来行う必要のない雑用まで依頼されるといった従属化がなされる.かといって,利用者の健康や質を尊重するならば,単にこれらの要求を切り捨てることも出来ない.その結果,利用者との距離の取り方自体が分からなくなる.
12.松川は,ケアワーク特にホームヘルプ職の労働管理戦略は,ある意味でポストフォーディズムの究極の形態であると位置付けている.柔軟性,自己裁量性,孤立性などが合わさり,利用者の潜在性のニーズを探り,生理的レベルだけではなく,情緒的レベルまで満足度を高めることを述べている.
13.そもそもケアが私事性・親密性を担ってきたのが女性であること.このケアの親密性・私事性がジェンターという社会的支配関係と強い磁力で結びつけられている現実などを述べている.
14.杉村は,こうした生活全般に責任を持って仕事をすることを,インテグリティと呼ぶ.これは,人間の一生は変化し拡大する環境に対して筋道を取り戻そうとする努力の繰り返しの中で,人格の一貫性・全体性・誠実性の保持を求めるものである.
15.数少ないながらも,西川は上司-部下という対比で人材育成をするのではなく,先輩-後輩という関係性の中での相互学習や経験の伝承などを行うことが良い等の提案がなされている.
16.福祉職は,事務系の仕事は違い,テーラー的な分業原理とは異なる熟練特性がある-発展するプロセスをたどり,マニュアル化が困難であり,すべてが個別的で一回性を持つことなどを挙げている.
17.例えば,石井(2004:85)において,「..どちらかというと現実的な価値観の確立が主となる職人気質のようなものが育ち,セールスを主とする職業人のような人や表現お上手のような人が少ないようにと感じる」など.大概,教育し育成することに対しての意識喚起として使われる.
18.別の見方として,横田は,理論形成をするのは研究者であり,施設従事者の実践は研究者の理論形成のための道具でしかない.本質的に,研究者と福祉従事者には権力関係にある.実践者が理論泣き実践を行えば,「暴力だ」と非難されるが,その反面研究者の方に実践の視点が欠けている場合,せいぜいその理論は「無力である」と言われる程度である.さらに,いくら実践者と親密な関係を研究者が築いても,その現場に様々な影響を残したあげく,結局はその場を去っていくのである.三島(2007:180-181)は,科学的根拠の確立との対比で職人芸を取り上げてきた歴史を俯瞰する.
19.例えば「熟練した実践者が,「自ら進んで直感的に現場文脈の解釈・理解を行い,ある種の揺るぎなさと有能感を伴って,不確かで複雑な状況を自在活独創的に変化させていく」」など(横田2007:8)
20.加茂陽と横田恵子の日常性におけるソーシャルワークについての議論.参考にした部分は,横田の言説.横田は,利用者の持つ価値観や認識が日常に微妙に亀裂を入れ,相互作用をもたらしていること.そして,援助者も利用者も相互に変容していくことを述べている.
21.垣内は,保育分野での例を持ち出し,「優れた実践を展開する力を持つ一群の人々が存在する.その保育を受ける子供たちは生き生きとしており,毎日が楽しさ悔しさ悲しさに彩られ,緊張感あふれる局面がある一方で受容された生活を楽しみ,自我と自身が確実に形成されているように見える」(垣内2009:3)と.中井は社会福祉労働過程の中での優れた実践は,福祉労働者の位相を4つに分け,身に付いた人権感覚,知的関心,社会福祉を支える思潮の思想史的把握などの重要性を考察している.
22.今村は広範囲な資料を読み込み,労働倫理の観点から,近代の労働は他者からの承認を羨望する虚栄心によって支えられていると考察している.例えば「「なんて上手なんでしょう」と褒められるためのみ労働するのである.そして人間はそうした虚栄の行動をけっしてむなしいと思わないで,虚栄心を自尊心と言い換えて[中略]「充実した人生」があると強烈に確信している」(今村1998:139)
23.その逆の「私はよい,ゆえにお前はわるい」(渋谷2003:224))とは,まず持って自分の行いがよいことと感じ,他を低級のもの,卑賤なものに対置する.そして,この自己目的化は,「自分自身を乗り越え,他者へあふれ出し,この備給を通して膨張する共通の属性を構成する」(渋谷2003:223)というように,肯定することで他者へも肯定し,そして良い仕事へ構成されていくことを示唆している.

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渋谷望(2003)『魂の労働』青土社
須藤八千代(2002)「ソーシャルワークの経験」尾崎新『「現場」の力』24-54,誠信書房
杉村芳美(1997)『「良い仕事」の思想』中公新書
杉本貴代栄(2001)「社会福祉とジェンター」『社会福祉研究』81,14-21,鉄道弘済会
田川佳代子(2007)「新自由主義と社会福祉の市場化(社会福祉実践の再構築に向けて)」『愛知県立大学文学部論集』56,67-77
太郎丸博(2009)『若年非正規雇用の社会学』大阪大学出版会
植田章(2008)「障害者自立支援法による福祉実践の専門性の解体」『社会福祉学部論集』4,1-17,佛教大学社会福祉学部
植田章ほか編(2002)『社会福祉労働の専門性と現実』かもがわ出版
鷲田清一(2001)『〈弱さ〉の力』講談社
横田恵子編(2007)『解放のソーシャルワーク』世界思想社
横田恵子(1999)「ソーシャルワーク実践における調査研究」『障害問題研究』49(1),113-126
ジグムント・バウマン:著・伊藤茂・訳(2008)『新しい貧困』青土社

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