青春デンデケ
青春デンデケデケデケ
芦原すなお
河出文庫(文芸コレクション)
初版:1991年

 様々な青春小説はあるけれど、こんなに胸を揺さぶられる小説はあまりなかった。といえば、大げさかもしれないけど、とにかく何回も読み直して、映画化されたビデオを何回も観て、私家版(角川文庫)という最初に書き上げた物も購入。さらには、文庫になる前の単行本まで揃える入れ込みようだった。
 舞台は、1960年代、高知のある田舎の高校である。1960年代とは、ビートルズがデビューしてはやりだしてきた頃で、エルビスプレスリーやベンチャーズなどがその頃のロックであった。高知の田舎では、そうした海外の流行の音楽に対して、不良が聴くものだとかいかがわしいものとして認知されていた。日本では、舟木一夫の「高校三年生」とかその辺が流行っていたようであった。とにかく、牧歌的で素朴な普通の高校生(主人公)が、ある日昼寝をしているときに、夢に見たベンチャーズの「パイプライン」のギターの一小節「デンデケデケデケ〜」が頭を駆けめぐり目を覚ますところから小説ははじまる。その天啓にも似た感覚から、主人公が文化祭に向けてバンドを結成するために、友人を集めたり、バイトで機材を揃えたり、合宿をしたりというそのまんまの青春小説である。
 バンドのメンバーはそれぞれに個性があって面白い。内気でどもり癖がある人、坊主の見習いで世話好きな人、どちらかといえば無口なギター少年が何とはなしにメンバーになっていく。多分どこかに書いてあるんだろうけど、田舎の学校と言うことで、そんなにクラスは多かったわけではなかっただろうから、だれもが知り合い程度の連帯はなっていたんだろうと思う。
 とにかく、ゆっくり、ほのぼのとした日常の中でバンドが徐々に形をなしていき、活動する中で失敗をしたり、結束を高めていったりといい具合で無駄のない構成で進んでいく。当然、青春の恋というものも文中に出てくるが、デートといっても、海で彼女の手を引いて泳ぐ程度である。あとは、あの人が好きだと思い込まれたり、勘違いとか、淡い恋心とかそんな未遂で終わるような話がところどころに出てくるものの、本題あくまでも青春である。それもロックで青春を燃焼しようとするのが本題であるので、恋愛はあっさりとほほえましい程度である。
 また、周りの大人達の現実やその後の彼らのことなども挿話されることで、地に足をつけた現実感をもたらしている。ソープランドに通っている町工場の青年、結婚式の時に倒れて死んでしまう先生、前衛的な俳句を作る生物高校教師に主人公の父。もとは、家庭科の先生をやっていたが主人公が産まれてから専業主婦になって腰をどんと落ち着けている母。練り物を家内制で行っている達観したおばあさん。純喫茶スナックのマスター等々、その土地で生きている人たちも良い味を出している。
 それにまして、高知の田舎の自然、夏の暑さなどがよく表現されている。夏の合宿で山岳部から点とを借りて掃除をしている場面  
そのくすんだダークグリーン(テント)の向こうには、ほんとに見事な入道雲が盛り上がっている。テントと交互にほこりでまだらになったぼくたちは、しばし無言でテントを眺めた。それぞれの胸の中には、あの入道雲のように様々な想いや期待が盛り上がっていたことだろう。
 校庭の樟の大樹や、松や、桜や、プラタナスの木からは、がいこ、がいこの蝉の大合唱が聞こえてくる。
 とか、主人公が夏の終わりかけの海で女の子と遊ぶ場面  
それからまた水の中に入ってアオサを採ったり、クラゲを集めて砂の上に並べたりした。「お餅みたいじゃな」と彼女は言った。丸餅を箱に並べたところを連想したのかもしれん。
 そのうち潮が満ちてきた。
 薄茶混じりの白い泡に、並べたクラゲ餅の最後の一顧が飲み込まれてしまうのを見届けて、彼女は、
 「上がろ」と言った。
  …中略
 一日の勤めを終えた伊予柑色の太陽は、今まさに沖の伊吹島の上にどっこいしょと腰を下ろすところであった。
 など、自然の情緒も青春の一こまとしていきいきと描かれている。
 
 で、この小説のクライマックスは文化祭の準備と演奏である。私もずっと文化部だったので、準備の楽しさには共感できる。小説のように学校に泊まってまでは準備をしなかったけど、それぞれが自分の目的に向かって、いろいろと準備をするのは楽しい。それが、これまでの成果を人に見せるとあっては。また、遅くまで残っていると、みんな少しハイになっていることもあるんだろうけど、普段は話したこともないような部の人と妙な連帯感が生まれたりして何とも言えない嬉しい感じになる。また、生徒会に便宜を図ってもらったり…。小説でもその辺のやりとりはちょうど良い感じで盛り込まれている。
 そして最後は、祭りの後の淋しさと少年は荒野をめざしていく希望を描く。
 
 私も田舎の高校だっただけに、こうしたほのぼのとした感じで、幸福感に包まれた学生生活だったような気がする。しかし、この小説はただ古き良き時代と青春を懐古することを描いてはいない。確かに青春のようなエネルギーの使い方は出来ないけど、それぞれがそれぞれの方法で力強く生きている。この小説の作者もまた、自分の青春を濾過し、より伝えやすく、より上手に自己表現をして作品とした。青春とは何度でも繰り返すことが出来る。決して取り返しのつかないことではないことを教えられた。自然を楽しむ心、興味を見いだしてそれに向かっていく心、仲間を得て、なにか目的を果たそうとする心、恋愛、子供など人を愛する心…
 
 ちなみにこの小説は、直木賞を受賞している。また、表題のまま大林宜彦が映画(1992年)を制作していて、日本アカデミー賞作品、監督、新人賞など多数取得している。実際に、この映画を見たが、ほぼ原作に忠実で友人の家で3回も繰り返し観て迷惑がられた。さらに、デラックス版でDVD化されている。
 2006.6.28

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