大道塾

最初は体験版として学生の頃の4ヶ月間について書く予定であったが、色々あって秋田で大道塾を行うことになったのでそれも合わせて書くことにする。

なぜ再び大道塾にはいることになったのか。日本拳法を習っていたが徐々に人が減っていき、最後にはほぼ休部状態になったためである。事の始まりは、いつも利用していた場所が国体などの整備によって使えなくなったこと。新しく使える場所が基本的に土日が利用できず、しかも一般に開放するのを平日であってもかなり制限してしまったことに由来する。そこで一気に道場生が減ってしまい、しかも指導者の立場であった人も私も仕事で都合がつかないため長期間にわたって行くことが困難になってしまったのである。そんな状態なので、自分で練習できる人はよいけれどそうでない人は離れていく…いつしか3人になり、しかもその3人が集まって練習するには仕事上もその場所の利用日数も制限がありすぎた。長年教えてくれていた先生も1年半以上指導に来ない状態…現役を続けるのなら…ほとんど日本拳法は団体としては死に体であった。

学生の頃に少しだけ習っていた大道塾の経験は、また新しくはじめるにはちょっとした勇気を与えてくれた。学生の頃は、少林寺拳法から剛柔流での順応…慣れない組手による弱腰の克服のために、大道塾という何もつけないで殴り合う組手を体験することを目的にしていた。結果は、何もつけないで殴り合っていても気を張っていれば怪我をしにくいこと、想像するよりも痛くないことが分かり剛柔流での組手にすごく役立った。しかし、剛柔流になく、大道塾にあったのがローキックだった。このローキックは結局4ヶ月で慣れることなく、一種のトラウマになっていた。火曜日に練習に行くと木曜日になっても腿の痛みが取れないため練習に行けない事が多かった。しかも、歩くたびに痛みが走るし、結構容赦なくみんなローキックを飛ばしてきてよく地面にはいつくばっていた。

仕事をするようになり、職柄としてよく歩くしフットワークが重要なのでローキックがないけれど出来れば防具をつけて本気で殴り合うことのできる流派として日本拳法を選んだが…現役続行とやっぱり格闘技が好き…できれば今までの経験がある程度活かせるとなると、大道塾しかなかった。他にも総合格闘やシュート、キックボクシングとかもあるらしいが、団体としてまとまっているのは多分大道塾が一番ではないだろうか。もちろん、伝統空手や少林寺拳法はより団体としてすごく組織的だしかつしっかりしているのは分かるが…まだ、型だけにはなりたくないし、もともと型はあまり得意でもないしうまくない。さらにいえばあまり重要だとも思えない。ということで、大道塾に入ったわけであった。

現在習っている大道塾は、わりと開放的である。総合格闘を習っている人も出入りしているし、その都度来ているメンツに合わせて臨機応変に練習メニューを組み立てている。さらに丁寧だし、目配りが行き届いている先生である。これまで色々やってきたけど、私は指導者にすごく恵まれている。指導者の方針や人間性が嫌になってやめたことはない。むしろ出来る限りならずっと続けたいと思っている人たちばかりである。今回の先生もそういう意味で魅力があると思う。

練習の方は、簡単なシャドーで体をほぐした後、ミットにかなりの時間を使う。あと約束組み手とフリースタイルの組み手も後半に行われる。何もつけないので、グローブとすね当て、金キャップをつけるとすぐに出来る。実践的といってしまえばそれまでだけど、実践の中で動きのチェックが少しづつ入りながら長い期間かけて修正していくのがスタイルなんだろうと思う。つまりおかしいところを徹底的にそれだけを修正するのではなく、全体の練習のメニューの中でチェックを入れていくという形。

大道塾とは、まぁ、極真の分派ではじまり、顔面パンチを取り入れ、寝技、投げ技、関節も制限付きで取り入れている。いわば、アマチュアの総合格闘技では先駆けに近い。日本拳法が最初の総合格闘技と称されることあるが、ローキックがないため現在のプライドやシュートなど総合格闘技のスタイルをはじめたのは大道塾であると考えている。剛柔流でもテコンドーとの融合や胴の防具が薄くなったりとかなり接近していっている。実際に、ミドルキックやボディへのパンチはカウンター気味に決まる以外は胴の防具をつけていてもいなくても同じである。カウンター気味にめり込んでしまった場合は、防具の役割はすごく重要であるが、防具で締め上げているため衝撃で肋骨が折れたりすることもあり、リスクは必ずあると言える。

ローキックについては、この頃なれてきたとは言えやはりまだ痛い。また、遠慮もあって中途半端に出してしまってよく相手の膝と自分の臑がぶつかって痛い…やっぱり苦手である。この頃は少し慣れてきて、カットをするようになるもののまだまだ研究の余地がある。しかし、顔面パンチありに移行するようになるとローキックの間合いは、ちょうど顔面ストレートのはいる間合いになる。おいそれバチバチと蹴られることはないだろう。しかし、戦略の幅としてローキックはあるので全く無防備というわけにも行かないだろう。

最後に仲間について。格闘技を観るのは好きだけどやる人はグッと少なくなる。やって「みたい」と思う人はいるけど(社交辞令として)、やって「みよう」と思う人もあまりいない。格闘技はプロのもので素人はプロにはかなわないし、痛い思いをするだけだという人もまた多い。武道は本来スポーツであるが、名称からちょっと堅苦しいものと思ってしまう人も多い。痛い思いをするのではないか。厳しいんじゃないのか。強くなりたいけど本当に強くなれるのか。入ってみたものの、自分のふがいなさに歯がゆい思いをする。1対1の競技だからその力の差は結構ハッキリとしてしまう。徹底的にやりこめられるときもある。それが他のスポーツなら、例えば卓球とかだと痛みもないし、技量の差として認めやすい。しかし武道は、殴られ蹴られ時には投げられる。それに耐えて、痛みに耐えて少しずつ強くなっていくしかない。こうした様々な障害を乗り越えて、楽しんでいる人たちはまわりから見ると頭のねじが幾分飛んでいるような印象を受けるだろう。しかし、実際にやっている人たちは温厚な人が多いし、控えめな人も多い。むしろ優しい人が多い。時には気弱にすら見えるような人もいる。見た目だけなら、その辺にいる「なんちゃってヒップホップ」の人の方が怖そうだ。やっぱり、格闘技をやる人は、その行為を通じて何かをえようとしている。続けることで少しずつ強くなれるという実感を得ることそのものに充実感を得ているのではないだろうか。そういう意味で、仲間はどこか真摯な面があり、基本的に仲間を大事にする人たちが多いのではないかと思う

(2004.10.11)

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