ブレイブ・ストーリー
宮部みゆき
角川文庫
2006年

 宮部みゆきは初めて読んだ。サスペンスや歴史小説など手広く書いていることが分かっていたし、ファンタジーの世界でもいくつかの話題作を書いていたのは分かっていた。しかし、どうも縁が遠かった。
 ブレイブ・ストーリーは、上下巻で出ていたときから気になっていたが、そのころハリーポッターを積読していたので、手を出さなかった。今回、文庫サイズになったし、財布に余裕があったのでまとめて購入した。また、珍しく和風ファンタジーが宮崎駿以外でアニメになったのが珍しかったせいもある。
 しかし、読み出すまで色々あってそれも積読していた。買ってから半年、ちょっと読書に余裕があったので、仕事の最中だったが、ぱらぱらと読み出す。そうしたら、すごくおもしろい。これは現代日本版のエンデの「はてしない物語」だと思った
 物語は、世界は、現実と幻界(ヴィジョン)があって、10年に一度、行き来が出来るようになる時期がある。主人公(ワタル)は、行き来できる入口を偶然に見つけてしまう。そんな中、両親の離婚からワタルは危機的な状況に陥り、すでにヴィジョンを旅している同級生(ミツル)に引っ張り込まれる。
 ヴィジョンに入ったワタルは、旅人となって運命の塔にいるという女神を捜す旅に出る。もし、女神に会うことが出来るのなら、現実の運命を変えるほどの願いを聞き届けてくれるのだという。そして、女神に会うには、5つの宝玉を探さないといけない試練が科されている。行く先々で、命がさらされるような事件に巻き込まれ、また、仲間が出来たり、死による別れがあったり…最後は、ミツルによって引き起こされるヴィジョン崩壊の危機を食い止めるためにワタルは立ち上がる。そして、運命の塔でワタルがいった願いとは…
 下巻の後書きでも書いていたけど、ファンタジーRPGを文字にしたかったといっている。確かに、筋書きからすれば、主人公が現代日本からひょいと抜け出して、RPGのような世界に入り込む。そして、宝玉を得るためにはイベントをこなさないといけない。冒険を共にしてくれるキャラクターとのドラマやサイドストーリーを挟みながら、クライマックスでは世界そのものが危機に陥る大事件を解決することが求められる。それが、親友との対決といった究極の試練に立ち向かうことになる。そして、運命の塔では、最後の試練、自分との闘いが待っている。そして、現実世界へ…ヴィジョンでの主人公への想いなどを挿入しながら…スタッフロールといった感じである。まるで、ファイナル・ファンタジーのようではないか!(ちゃんとやったことはないけど)
 また、現実からヴィジョンへの旅立つ動機も、離婚それも現代日本的な意味である。そして、母も父もワタルも良くも悪くも日本的である。どこか甘えん坊で見栄っ張り、そしてわがままである。しかし、優しくて繊細である。そして、ヴィジョンの世界は、偏見、人種差別、宗教間の争い、国家間の争いなど現代を映し出している。
 しかし、おもしろいのは、ヴィジョンはワタルの心を映しだした世界だと言うこと。言うなればワタルの冒険はインナー・トリップである。登場人物もヴィジョンで起こっていることもすべてワタルの中にあるという。しかし、それは危険な旅である。自分の中に入り込み、自分を確認し、時には見たくないことにも決断を下していくこと。それが、本当に内面への旅であればあるほどその問いは深く重い。
 そして、それだけにとどまらず、ミツルの存在や時折現実世界に戻れるとき、内面での成長は現実への対応を深めていく。最後は、暗闇〜混乱がヴィジョンを崩壊しようとする。それは、いくら正しく生きているつもりでも、自分の知らないところで静かにしかし取り返しがつかないくらい自分の負の部分が荒れ狂ってしまうことを意味する。ヴィジョンの混乱はミツルが解き放ってしまうが、得てして、きっかけは親しい人によって、あるいは、預かりしれないところで起こってしまう。しかし、成長したワタルは、そうした制御不能なくらいに荒れ狂う暗闇や混乱をリカバリーする。
 最後にエンデの「はてしない物語」によく似ていると書いたが、はてしない物語も主人公がちょっとしたきっかけでネバーランドに入り込んでしまう。そして、長い旅の末、何もかもを失って、最後に振り絞った答えが、現実へ戻りたいという思いであった。しかし、現実に戻った主人公は、インナートリップを通じて、現実への関わりに変化をもたらした。
 ブレイブ・ストーリーもまた、ワタルは女神に現実の運命を変えてもらうことよりも、自分のヴィジョンを守って欲しいことを願う。そして、これまでの試練や冒険で得たブレイブ(勇気)がワタルに現実を生きることの確かさをもたらしたのである。
 とどのつまり、空想も想像も現実と豊かに繋がっているのだ。何かを想像することが出来ないなら現実はつまらないし、無味乾燥である。しかし、想像ばかりで現実を見ないのなら、現実は脅威でしかなくなる。現実から何かを想像し、自分で問いをたてて思考の旅をする。そして、自分なりの言葉を紡ぐ。それが、世界に開かれた形であるならば、その言葉は豊かで正しいのである。つまり、偏見や差別、国家間の争いなど、ワタルに提示した世界は現実を投影して開かれていたのである。
 文体も読みやすく、やはり翻訳にない、言葉の繊細さと文章の美しさを感じる。いや、別に翻訳が嫌って言うわけではない。しかし、どんなにうまく翻訳してもその文章の流れやレトリック、親しんでいる文化によってニュアンスが違う。その点、日本の作家による文章は、そうした様々なものをストレートに提示できるという点で、スキッと読めた。
2006.10.19


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