TRPG・ボードゲーム考2004

 ふと思い出すことがある。なんであんなに熱に浮かれたように買い集めたのか。それが過ぎ去れば、残された商品達の価値について考え直す。これは必要なものだったのかと。結論から言えば、そうしたことを考えること自体無意味であることは分かっている。それは、その時に必要なことであったとしかいえない。しかし、いまここにあるモノに対していかに応えるのか。
 消費に費やしたエネルギーにはそれなりの動機があるし、思い入れがその時に強ければ鮮明に思い出し、分析することが出来る。これは、こうした動機にもとづいてこうした趣向で購入したと。それを評価し、必要が無くなったものはヤフオクとかで売りさばいた。そして、多分、いま残っているのは売りさばくことのないモノである。さらに、今後購入する際にも必要な物しか購入しなくなっていくだろう。どのゲームが残っているのかは別の記事で述べているので参照してほしい。
 以下、これまでの消費を総括する。

 ボードゲームに関しては、やはり黄金期があった。日本では80年代、ファミコンが登場するまでがそうであった。しかし、最近、ボードゲームは伏流として綿々と続いていたことをしる。そして、それがドイツを中心として全く違った形でムーブメントとなっていた。しかし、そう考えるのは、早計かもしれない。日本がそうしたボードゲームの情報をあまり入れなかっただけかもしれない。デパートでは、知育と称してラベンスバーガーとかが昔から入り込んでいた。いつの間にかやらなくなっただけで、実は根付いていたのかもしれない。
 いずれにしろ、最近のボードゲーム事情を見直してくれた安田均の功績は大きい。それがムーブメントになって、都心部が中心とは言え、カプコンやエポックなどの大手のおもちゃ屋を動かし、通販購入の促進やボードゲームそのものへの関心を向けさせることができた。安田はSNEのボスであり、SNEはソードワールドなどTRPGの大手である。TRPGのユーザーは、卓上という意味でボードゲームとの相性も良かった。また、カプコンやエポックの参入、本屋でも購入できるようにするキャンペーン、本屋の前でボードゲームにふれあえるようにするキャラバン(移動)展開も功を奏した。
80年代子供のころボードゲームをしていた大人にも懐かしさを喚起させた。そして、複雑化していくテレビゲームに比べて、ボードゲームはシンプルなルールながらもしっかりとした論理構成で、遊びあきず、なによりコミュニケーションツールとしても優れていることの再評価がなされた。かくいう私も、そういう一人であった。また、安田均の紹介のおかげで、デパートに行くと、一度はおもちゃ屋に顔を出すようになる。そこでは、何気なくラベンスバーガーのゲームが置かれていたり、フランスのゲームなんかが入っていたりする。やはり私たちが忘れたいただけで、ボードゲームはそれなりに根付いていたことを再確認することができた。
集めていく中で、みんなが楽しめるようなゲームを見つけることが出来た。そして、ゲームを楽しんでくれること。紹介する立場にとって、これにまさる喜びはない。そして、こうしたボードゲームはヘビーユーザーだけではなく、どんな人にも門戸を開いている。ちょっとしたきっかけがあれば、ずっと楽しむことが出来る。さらに、25年前のゲームも最近のゲームも良くできたものは廃れることなく遊ばれ続ける。いま購入して手元にあるゲームも多分、ずっと遊ばれ続けることの出来るものばかりであろう。

 TRPGも少なくても私は15年は忘れていた。ゲームブックがはやっていた80年代後半、私は小学6年で、その頃は狂ったようにいろいろと買っていた。しかし、中学校に入ってから忙しくなったこともあったし、なにより一緒に遊んでくれる人もいなくなった。しかし、残照のように、ちびちびとTRPGのルールブックを見つけては買っていたが、流通そのものも先細りしていく一方であった。全盛期の頃は、大手のデパートのホビーベースでも売っていたが…。書店でもジュブナイル小説と一緒に富士見書房とか角川文庫が細々とリプレイとかソードワールドのシナリオ、ガープスのルールを売っていたが、徐々に姿を消していた。そしていつか買い続ける意味を失っていき、モチベーションもなくなっていった。
しかし、TRPGそのものは細々としかし脈々と続いていたし、進化を遂げていたことを最近知る。井上純弐がいっていたけど、TRPGの冬の時代があったそうで、いつかなくなろうだろうと誰もがささやいていたそうな。しかし、90年代の終盤にTRPGは再燃する。その契機はなんであったろうか。多分、おたく文化が違った形で復活したのではないか。80年代のおたくから90年代へ。そして現在へ。おたくの意味合いは変容していった。それはエンターテイメントとしての色合いが強くなり、認知され、拡大していったのでないかと思う。しかし、おたくについて述べるほど私は詳しくないし、類書がたくさん出ているので参考にしてくれたらと思う。(いまは手元にないが、新書とかで時折目にするので…)とにかく、おたく文化が形を変えて花を開いたのに関係する。
  なぜなら現在のTRPGは、特にFEARの製品はドラマチックな演出を主にしている。それは、セリフ〜決まり文句などを重視し、プレイそのものが必殺技の掛け合いだったり、ドラマのシチュエーションをパクッてそれを楽しんだりするROLE、役割を演じることに焦点を当てている。昔のように地道にマップを描き、自分のキャラクターは、コマのように能力重視で、時にはあっさり殺されるようなシミュレーション的な要素は影を潜めている。最近、子供の年齢もあって特撮ものを見るが、そこに登場するヒーローを演じるのに似ている。キャラクターにストーリーと関係性を付与させ、その縁故とかで演出する。例えば、AはBに憎しみを抱き、BはCに愛情を抱き、CはAに信頼を寄せているとか。そうした関係性を念頭に複雑な人間関係も演出する。そして、最後はズバッとヒロイックに必殺技をつぎ込み、ピンチに陥ってもなかなか死なない設定である。ちょうど、昔のおたくもそうだが、漫画やアニメのキャラに自分の望むようなストーリーを付与して集団で同人誌をつくるのに似ている。
 もっとも、それに対して、D&Dの新版なども発売されカウンターになっているし、ソードワールドも息を吹き返して、ドラクエ的なあくまでもキャラクターを動かし、ファンタジーを楽しむという中立的なものもある。しかし、やはりここはFEARの功績は大きい。SNEのソードワールドの功績も大きいが、最近のはやはりFEARの展開がTRPGのいままでを引っ張ってきたことは確かである。
 かくいう私も、D&Dとかのオールドユーザーですら、FEARのシステムはある意味、ロールプレイということを考えればもっとも適していると思わざるを得ない。たしかに、おきまりのセリフとかネタ的にはちょっと設定が…と思うところもあるが、ドラマチックにそしてより手軽に行うのなら、アルシャードやブレカナなんか新しいファンタジーである。なにより面倒なマップを書かずに、シーンでイベントが常に起こりうる状況を生みだしたのは時間の短縮と共に印象深いセッションを表現しやすくしている。しかし、やはり、ネタによってはついていけないこともでてくるだろう。最後に、TRPGには旬な時期があるし、たぶん、いまあるTRPGの設定も10年もすれば古めかしくてだめであろう。しかし、いまあるものは一つのメルクマール(指標)として残っていくであろう。ゲームについては別の記事で紹介しているのでそちらを参考してほしい

2005.3.14

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