2017.5
民生委員制度創設100周年
座談会 次の100年へ民生委員がこれからも輝くために
- 日本の社会福祉は社会福祉法人制度と民生委員制度によって支えられてきた.民生委員はいわば空気のようなあたりまえとも言うべき存在だった.
- 民生委員にとって大事なのは,プライバシーや秘密を守ること.そうしないと地域の人たちは安心して相談に来ることができない.
- 戦前の方面委員制度から,戦後の民生委員への移行,戦後早くから成立した児童福祉法の働き手として児童委員が設立して70年.子どもたちを地域で見守ってきた.良き隣人として地域をまもり続け,一人一人に寄り添う頼もしい存在である.また,自ら地域を歩く,社会調査におり地域や住民の生活状況を把握し,意見具申などをしてきている.
- 地域共生社会の実現に向けて制度が動き出しているが,民生委員はいろいろな人が集まってくると言う結節点(つなぎ)の役割を担っていると思う.
- 現代はあまり人とつながりたくないとか同じ思いをもつ人同士とはつながるけれど,異なる人とはつながりたくないという風土になっている.せめて最低限度のところでつながり会える人間関係をどのように地域で作るかが課題である.
- そうでもないと,地域からの孤立や子育て中の孤立などの問題が起きてくる.民生委員はその意味では,地域での見守りを行ってきたし,暮らし方などの福祉文化を支えている.
- 児童委員としては,全国児童委員活動強化推進方策〜PDFあり を作成して,サロン活動や集いの広場を作るなど,子育ての孤立や育児不安の抱え込みを防ぐ活動を行っている.民生委員のおじさんおばさんが子どもに声をかけること.それによって子どもがこの人知っているという顔なじみになっていくことの大切さを示している.
- 施設と民生委員のつながりはあまりなく,一緒にやることで地域の見えない課題への取り組みの幅は広がっていくと思う.
- 民生委員の課題としては,なり手がいない,短期間で退任する人が増えている.個人情報の壁によりやる気があっても思うように活動ができない.相談に乗りきれないような深刻な相談が増えている.訪問を拒否する人が増えていて活動の困難さがある.増えすぎる役割によりアップアップしている.
- 課題解決はプロの人に任せるという連携がスムーズに行くことが大事.
- 地域包括ケアはそもそも高齢者の領域で作られた.しかし,今や全世代,全住民を対象とした構築が目指されている.その中で協議体が作られてはいるけれど,本来は地域の拠点作りが大事ではないか.そこに行けば話を聞いてくれる人がいるという…
- 民生委員は非常勤・特別職の地方公務員という位置づけであるが,本質はボランティアであり専門職でもない.それだけに今後とももっと伸び伸びと活動して欲しい.
対談 地域福祉の視点から見た民生委員の役割
- 民生委員制度ができた当初は行政の補助機関としての役割に力点が置かれていたが,その後住民の立場に立った活動に軸足を置くようになった.
- 戦前は家族制度が強かったが,それでも地縁や血縁のない貧困状態の人への救貧のために活動していた.戦中は,戦争で家族を失った人への支援が課題となっていて行政とのかかわりは濃密だった.その後,行政の補助機関から協力機関への転換.高度成長期にはコミュニティケアが推進され,寝たきり高齢者の実情を明らかにする「全国モニター調査」が行われている.そして介護保険制度が成立してからは孤立死や虐待への対応も行うようになる.
- 民生委員が自ら地域に出向きながら社会調査することは,提言などを含み非常に強力な活動である.
- 民生委員が相談できる専門職の配置がとても必要.最近はたくさんのワンストップ相談窓口や地域の協議体ができているが,どこに相談を持ち込めば良いのかが不明確すぎる.地域包括支援センター,自立相談支援機関,子育て世代包括支援センター,自立支援相談事業所など.加えてそれぞの機関,協議体の設置圏域が,市町村,中学校圏域,公民館圏域などバラバラであることが連携の難しさにつながっている.さまざまな専門職がつながり,民生委員の行ってきた歴史性や役割をうまく結びつけていくことが地域福祉推進の鍵になる.
- 民生委員の三つの原則は,包括・総合性,継続性,住民性であり,これは昨今言われている地域共生社会の目指すべき価値と一致している.
- 民生委員の苦労とは何か,それはやっていることに十分な評価がされていないことではないか.行政,社協,関係機関,専門職は民生委員の活動をきちんと理解して,住民に広く伝え,理解してもらうこと.民生委員の悩みや苦労を共有し,支えることもまた大事なことである.
民生委員精神の一源流「無報酬の報酬」をめぐって(小笠原良彰)
民生委員の前身である方面委員制度は大正6年に作られ,岡山,大阪,東京とつながっていく.その中でも大阪のが全国のモデルになっていく.大阪の方面委員制度は,林一蔵という当時の知事が熱心に行ったとのこと.そのため府民にとっても方面制度の社会的認知度が高く,精緻な制度設計が可能であり,活動も定型化できた.
方面委員は名誉職で絶対の無報酬であることを旨とする.民生委員制度に変更するときに少し給料を出すような話もあったが,林さんは頑として譲らず,今に至るとのこと.