2014.3
自然と生きるー自然災害に備えるために

インタビュー 人は自然とともに生きる
東日本から3年が経った後について,和尚から話を聞いている.元々福祉とは,祭壇の上にお供えをするというのが「福」で,どうにもならないことを神仏に願い,神仏のご利益が降りてきた状態を「祉」であり,こうした東洋的な発想が大切である.英語では,welfareであり良い暮らしと訳されるが,この良いと判断するのは人間であり,成り立ちが違う.
今回の震災で自然の猛威を目の当たりにして人間も自然の一部であることを思いだした人も多いと思う.自然について,西洋は悪魔の使いであるドラゴンとして例えられ,日本では仏法の守護神である龍として例えられる.龍とどう付き合っていけば良いのかが本来の日本の福祉である.
施設に入る側にも,お世話になるという感覚が薄れ,どんな態度でもサービスが受けられるはずと言う気持ちが生まれてしまっている.一方,介護を提供する側にも競争原理や市場原理が持ち込まれ,システマティックに運営し,利益を上げなければ生き残れなくなっている.福祉にとって重要なものが抜け落ちてしまっている.
ボランティズムについても,ハンディキャップがある人に手を差し伸べたいという救済の概念であるが,日本においては目が見えない人は,見えない世界があるという考えの下,ハンディキャップとして捉えてこなかったという.
災害時のお寺では,寝起きを共にしてみんなで当番でご飯を作り.集まって生活する場所になっていた.ここに来れば助かるという感じ.しかも人間同士助け合っているもののありがたいと神仏に拝めば良いので,直接の借りにはならない.ものも労働力も神仏に差し上げて神仏から頂くわけですからこころの負担は少なくて済みます. 分断されている福島県の避難民について,あちこちに分散してしまい,生活の場としての根っこが喪失している.根っことは,どこで暮らすのか,誰と暮らすのか,何の仕事をして暮らすのかがはっきりしていること.仮設住宅にいても,他県に避難してもこの三つがしっかりしていないと生きがいややりがいを喪失しかねない. 人間は最後には情と自尊心だけは残る.偽りの効かない世界にどっぷりと浸かって生きていくつもりで真心を捧げてやっていただけ無ければ,片手間では出来ないと思う.

震災から私たちは何を学ぶのか(天野珠路)
主に保育所の対応などについて書かれている.命がけの避難,救助されるまでの3日間の保育士の身体介助の大変さ,発達障害の子どもの情緒を安定させる取り組み,食糧の確保など震災当初の苦労がインタビューを引用する形でよくまとめられている.
避難所での保育所の再開も,放射線量が高いために室内での保育になりがちで子どもたちのフラストレーションが溜まって,そのガス抜きが大変だったこと.幸い,毎月避難訓練をして,避難先やルートの確認,食料の備蓄などをしていたことが良かったこと.また,地域との協力や連携も日頃から行っており,顔の見える関係にあったことが迅速な避難につながっていた.

*災害ソーシャルワークとは何か(立木茂雄)
災害とは要因として,地震や津波などの自然災害があり,それに社会インフラや脆弱性が重なることになる.さらに,災害弱者とは,高齢者や障害者などの個人的な要因といざというときに駆けつけてくれるかどうかという周囲の環境の応答性が重なることで生み出される.
宮城県では障害者数が多いが,施設入所率も少なく在宅生活者が多かった.そのため災害での死亡率が高かったが,だからといって施設入所が良いと言うことでは無く,必要なときに見守りや手助けが出来るような環境作りを地域福祉として推進していくべきである.また,被災後10時間前後が何がおきているのかよく分からない状態とされており,その間の地域での支援活動が出来るかどうかが生死を分けることでもある.被災から100時間までは,命を守る活動がピークになり,ボランティアの組織化や行政の効率化や連携などが確立される必要がある.100時間を過ぎれば,被災地域で緊急社会システムが確立し,機能しはじめるとされる.
この100時間を過ぎると停止した社会機能を復旧させるための取り組みが始まる.しかしながら鉄道や道路などのインフラが回復する1000時間までは最小限の資源と応急的な対応でしのがざるを得ない.この時期に人手や物資,情報や資金の不足を埋めるのが人々の善意であり,助け合いの精神である.災害ソーシャルワークは,福祉避難所などを通じて,組織化,ボランティアのコーディネート,連携などを有機的に行うことが求められている.
その後,生活再建に向けての取り組みが必要とされる.災害ソーシャルワークは,災害弱者の人たちへの10年に及ぶ生活再建に向けて社会全体への目配せが必要である.

2017/08/15

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