2011.8
特集:東日本大震災とこころをつなぐボランティア

座談会

社協でのボランティアセンター立ち上げとか運営に関することについて話し合っている.国,行政,社協,ボランティア当事者,大学関係者の思惑や意図がちぐはぐでうまくい適った地域などがあったことなどが紹介されていた.社協だけではセンターを廻しきれないと思い,組織的にコーディネートできるNGOとボランティアの多様なニーズを吸収できるNGOが来てくれた.中間支援センターを社協が束ねていた.しかし,中には途中から入ってきたボランティアや短期支援型の団体と組まない所もあり,そうしたところは他の団体同士で勝手に君で活動をしてしまい,結果としてボランティアが混乱することもあった.
ボランティアが一生懸命活動すればするほど感情移入してしまい,疲れ切ったりボランティアがどんどん,住民,被災者になっていく感じがした.また空回りすることも…客観的にみる時間や休んでほしいと思うことも多々あった.またハードなところで支援したいと思う人の中には,被災者の気持ちから離れたところで行動しようとする人もいた.実感したいがために来たとか…
ボランティアが地元に戻っても恒常的なボランティア,市民活動に変化して,活動力・問題解決能力を持った自立し成熟した市民になれると思う.被災地の現実を知ることはリスクもある.夢や希望が見えず,荒れたり,失望している子どもも多い.自分たちが地域再生に何か関われるとか集う場所があるだけでも良い.
まもなくやってくる夏休みの期間に,支援という名の研究と実験.例えば研究調査員というように学生を使っている言う今までのスタイルだけは止めてほしい.復興計画について住民抜き,ボランティア抜きで作らないでほしい.サービスをシステムに入れ込んで生活を保障すること.人と関わる地域社会を作ることを自治的に政策展開するのが地域福祉である.だからこそ行政と社協が両輪になって住民を巻き込みながら展開させる仕組みが必要である.
支援者主体では,この人達に何をして挙げられるのだろうかとなる.しかし,本当は,この人達が自由に力を発揮できたら,この人達は何をしたいのだろうということを把握するべきである.ボランティアとは住民をつなぐことである.つなぐことの出来ないボランティアは必要ない.

インタビュー(山崎美貴子)

ボランティアに求められる姿勢として,がれきの片付けにしても,他者から見ればがれきでも,当事者にしてみればゴミでもがれきでもない場合がある.よって,片付けるにしても被災者の気持ちにより添う想像力が必要である.通常のボランティアでも,なぜ活動をするのか,活動の目的は何なのか,活動の中で留意することは,また帰ってきてからも活動の振り返りをしてグループで共有することが大事.
一緒にご飯を食べるなどを通じて,こころに沈んだニーズを聞くことが出来るようになることがある.仮設住宅に鳴門とざらレルが,その前の避難所からの関係性があれば訪問しやすいとも言える.NPOやボランティアサークルはどうしても自己完結してしまって自分の活動に熱中してしまう.だからこそ中間組織のようなコーディネートするような組織や横のつながりへの活動が大事になってきている.またこの10年でWEB上でのやりとりが活発になっており,ネットワーク形成がしやすくなってきている.
ボランティア活動は義務では無いけれど,ひとりの市民がコミュニティの中のひとりとして活動に参加するのは当たり前の社会,行政が何でもやるのでは無く,市民が持っている力で行政と関わっていくことが当然の義務である社会,そういう社会になれば良いと思う.多様な人々がお互いに排除されないで支え合う,人間関係が形成される,人間の尊厳が保障されるというコミュニティが大事.

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