2011.2
今、高齢者をどう見守るか

池岡義孝「高齢者不在不明問題とその背景」
 高齢者の孤独死や無縁死、家族による死亡申告を故意に行わずに年金をもらい続けた事件などが起きた時期でもあった。行政の方で、100歳以上の高齢者の人数と生活実態が正確に把握されていないことも問題視されていた。
 100歳くらい、85歳以上の高齢者は、自分の子供や施設に入っていることが多く、一人暮らしや夫婦のみの世帯はかなり少ない結果にあるが、では、その子供は何歳かといえば、70代であったりするわけで、決して暮らしが安全と言う訳ではなく、共倒れなども容易におきやすい環境にあると考えられる。また、年金額なども少なく貧困状態にあることがうかがえる。今後、2017年には100歳以上が10万人、団塊の世代が100歳になる頃には68万人になることが予想されるという。さてどうする。

岡村久道「個人情報保護法への過剰反応と高齢者所在不明問題」
 そもそも個人情報保護とは、民間業者が取得時に示された利用目的以外での個人情報を利用する事。本人の事前承諾なしに第三者に提供すること等を原則として禁止している。さらに管理監督が不十分で外部に漏らした場合の責任である。過剰反応とは、必要な情報すら適正に提供されない状態であり、それは今も続いている。クラス名簿や同窓会名簿の作成をやめたり、国勢調査の拒否など。あくまでも民間業者を対象にしており、自治会などは小規模であり、この法律には該当していない。その上、死亡などは申請主義であり、親族が届けないと、住民基本台帳などの上ではいつまでも生存者として扱われることになる。そのため調査を個人情報を盾に拒否されるケースも出ているという話。

平田厚「高齢者虐待防止法は所在不明問題に対応できるのか」
 普通に考えて、100歳の方は心身ともになんらかの不都合が生じているはずである。それが介護保険の適用にもならずに、福祉の網の目にもかからずに自立して生活しているとは考えにくい。もし、何も痕跡がないのならば、何か家庭に問題があるとみるべきだと。例えば、経済的搾取やネグレクトなどの虐待を疑うべきだと。しかし、ネグレクトを調査するには家族の同意が必要であると。ネグレクトをしている家族の同意…そんなことが出来るのか?個人情報は、本人の事前承諾である。であるならば、家族の承諾なしに、そして、個人情報保護が適用されない事案、生命などの危険が及ぶ場合は、その限りではないとする趣旨に基づいてもっと踏み込んでも良いのではないか。

山田昌弘「家族をやめるという選択肢の広がり」
 高齢者は2000万人、そのうち、毎年100万人なくなっている。孤立死の件数は微々たるものである。児童虐待も6歳未満の子供を育てている世帯は1千万世帯、虐待件数は4万件で0.4%。離婚は20万件、しかし35歳から44歳の未婚で親同居は260万人…数字だけを見れば、微々たるものである。しかし、これだけ社会にインパクトがあるという事は、あってはならないことなのである。ここに近代家族が作り上げてきた宗教…幻想が根強い。
 家族とは損得勘定なしにお互いを思いやるとか、愛情があることを前提に組み上げられている。しかし、前近代では、もっとラディカルで身売りや夫婦の情愛などは近代よりも希薄で、ドラスティックですらあった。よって、虐待や孤独死は、近代の家族像、愛情を持って営まれることこそが美徳であるとする言説が否定される事案なのである。
福祉もまた、家族の愛情やなんでもするとする言説によりかかってきた。しかし、血のつながった親子でありながら世話をする気がない人の存在を想定してこなかった。そして、いま、愛情がわかなくなった時に家族をやめる自由が生まれている事。そして、家族の愛情は自然ではないものであることを明らかにしてしまうから、タブーとされている。しかし、今後確実にそうした家族は増えていくことを肝に銘じるべきである。
なかなか面白い切り口での論考であった。
2013.8.29

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