2010.6
育てる・育ちあう いとなみ
座談会 子育ての喜びを感じられる社会に
子どもの数が減っているにもかかわらず虐待件数が伸びていることについて.
子ども養育において医療機関の果たす役割(秋山千枝子)
2008年の児童福祉法改正によって,4ヶ月までの乳児家庭全戸訪問事業,モデル事業としてのスクールソーシャルワーカーの配置,2007年の特別支援教育制度の開始などの流れがある.
中には育てにくい子どもというものがあり,親が感じなくても教育者がそう思うこともあり,その逆もしかりである.この育てにくいという訴えをどう対応するか.発達障害,自閉症が疑われる子どもへの対応をどう医療としてアプローチしたら良いかについて論じている.
とはいえ,深刻な児童虐待のケース,保護者が子どもの障害に気づいていない,障害を否認しているケースは医療機関を利用しない.とはいえ,何らかの形で親が医療機関にアプローチをしてきた場合は,その電話から世間一般の常識に照らし合わせて相応なものであるかどうかなどは判断の材料になる.
他機関との連携にあたり,
「社会的養護」に携わる職員の使命(田中康雄)
里親や養護施設にいる子どもの現状とそれに関わる人々の心のありようについて簡単に論じている.里親には約5千人,養護施設は3万9千人,乳児院には3千人,これに情緒障害児短期治療施設に,児童自立支援施設,自立援助ホーム,母子生活支援施設も施設養護に含まれると,約5万人程度.里親などの家庭的養護に比べると施設養護は10倍となっている.
実際には,親の離婚や養育困難,虐待,問題行動などが要因となるが,その他にも貧困を重ねつつ家庭内での養育条件がすべて揃いきらず,さまざまな不適切さが生じた果ての施設養護という道に至ったと思われる不適切な養育状況として捉えることが出来るという.
見捨てられ体験や虐待関係の再現を執拗に試みるようにする,パニックや怒りなど自己イメージや否定的予測を持ちやすい.また成長障害や言語・認知力・不注意などの症状がある場合もある.親も孤立や貧困,親の愛着形成の問題,育てにくさなど複合的な要因がある.
援助者としては,虐待にしか会っていない子どもの目線に立って近づいていく想像力を持つこと.子どもの拒否的な態度は,共生するあるいは心を許す扉を開いたことがないからである.また,子どもは必死に現実の中で生きている.サバイバルしているのである.その意味で子どもの存在は不確実で不安定である.それでもなんとなく安全であるという環境を提供する必要があるのではないか.また,援助者もまたリフレッシュすることを心がけること.子どもたちにとって手の届く程度の,しかしたやすくない存在でうらやましさにあふれた手本になって欲しい.生きる型として子どもを組み込み,子どもが乗り越えるときにはちゃんと壊れる型であって欲しい.
子どもの権利を守るために(藤井美江)
子どもの権利とは大人と同じ一人の人として表現の自由とか良心・思想の自由などを持ち,人間として尊重されること.そしてこうした権利が制限されるのは原則として権利と権利がぶつかる場面に限られている.
子ども独自としては,心身,社会的にも健全に成長発達する権利を有している.この一点について,社会や親はどのようなことをすれば良いかを論じている.子どもの表面的な問題行動に目をやるのではなくその背景にある理由を探り,ニーズを明らかにする努力が必要である.
子どもの権利の中で,意見表明権がある.これは子どもに関する事柄の決定過程への参加を保証するものである.これは意見を言える環境を作ることである.虐待などでは,この意見表明権について深められておらずそのため取り組みが遅れているという立場をとっている.