2009.10
がんばる社協!!

座談会
 社協の原理は、住民主体であることについて座談会を行っている。住民主体の原則とコミュニティ資源としての社協とはいかなるものか。住民票がある人だけが住民ではなく、そこで生活をしている人々?当事者とどう向き合うのか。あるいは機能するのか。
 社協はボランティア、市社協、NPOなどとの協働と組織化を図り地域福祉を推進することである。社協はそうした団体をつなぐプラットフォームである。しかしその一方で、社協は金も人も物もある(2000箇所、12万人の従業員)のに何もしない、あるいは何をしているのか分からないという懐疑的な意見もある(中には社協=行政とも思われている)。さらに大都市程知られていないのが現状である。中にいる人程住民には知られていないのが現状である。さらに福祉系NPOは社協を知っていても他のNPOはあんまり知られていない。
 阪神大震災の時に行政が全てやれる時代の終焉を知り、行政が社協をパートナーに選び主体性を発揮したが、それでも行政と社協だけでは無理であると言うことが露呈した。
 住民主体の原則と協働というキーワードから、住民のニーズを発掘し、住民が改善するためのエネルギーを出してもらう。その支援をすることが社協に求められているが、現在は、調整・協議に留まっており充分に機能が発揮されていないのが現状である。
 今後について、1.県民の生活課題に敏感かどうか。2.本当に市町村社協や地域福祉実践を支援出来ているか。3.事業が拡大していく中で、組織の柔軟性はどうか。4.ボランティアセンターや人材センター、各種別協議会などの組織の財産を活かし切っているか。5.目標設定、実践、地域福祉支援計画への関わりや社協自身の発展強化計画はどうかにある。特に市社協との連携や地域特性を踏まえた地域福祉推進モデルの提案と実践への支援など創出が求められる。
 これまで同質なグループの調整や繋ぎとして社協があったが、協働とはそもそも異質なモノをそれぞれの資源を持ち寄って協力して働くことである。異質なモノが異質であることで協力することによるダイナミズムが生まれる。あるいは、協働しなくてもいいものもあるというバランス感覚が必要である。
 公益性と公共性も社協に求められていることであるが、単に寄付金や各種基金の受け皿で有るだけでは行けない。また、ある時は社協は民間だからそういうことはできないと言う一方、社協は公共性の高い団体だからそれはできないと説明する:都合の良い言い訳として使う危険性がある。公益性・公共性と言う以上、もし本当にセーフティネット的な機能を働らかせないと行けない時は、社協は絶対逃げては行けない。行政との距離が近すぎて身動きが取れないことが多い(おそらく天下りや出向で幹部が多くいるため)住民・行政、共に距離があるから良い協働が出来るのであって、それを公民の共同体といって一緒になってしまうと間違った方向になったら一緒に間違った方向に行ってしまう危険性がある。
 社協の意思決定は理事会、評議員会によることになっているが年に数回の形式的なモノだけではなく、議論する必要が生じたらすぐに集まって適正に議論される必要がある。また組織もヒエラルキー型からフラット型に変えるべきであるとか、組織内外の対等性を担保して話し合えるなどの改革が必要ではないか。また地方だと異質なモノが入ってくると排除しようと対立が起きる。社協もイレギュラーなモノに対する拒否感が非常に強い。サービスも組織が大きくなると業務が縦割りになり、総合的にモノを見ることが出来なくなってきている。社協は地域での生活継続を支援することが理念だと言っているが、具体的に自分の仕事に置き換えた時に何をするかとなると、仕事が細分化すればする程説明が難しくなる。
 組織性云々よりも社会福祉に関わっている人達の価値観が相当ぶれてしまっているのではないかと思う時がある。何が大事なのかということについてきちんとバトンを渡してこなかったのではないか。

その他
 月刊福祉が伝えてきたモノ 灘尾弘吉の社会事業法、社会事業への助成法を成立させたその思想の紹介は面白かった。
 今月の数字では、64万人の人がニートや無業状態の若者がいるとのこと。中でも25から34の高齢年齢層は38万人と2002年と比較して3万人増えているとのこと。学校時代の躓きが不登校等々がニートに繋がるという統計も示されている。
2010.10.18

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