2008.9
求められる「親支援」とは

中川清「産み育てる選択と葛藤」
 言葉の選び方がかなり哲学的であり、すらっと読めないようになっているが、簡単に言うと、誰もが家族を持つことが目標とされた時代から、選択の一つになったこと。そのため家族の子どもの養育や親の介護などのケアが当然視される時代から焦点課される時代に移行したことを明らかにしている。その一方で家族機能の弱体化は家族への社会的支援の必要性が訴えられているが、そう簡単なことではなく、この家族機能はいまや昔に比べて高度化して複雑化している。むしろ家族機能が純化して、処理するべき機能が外部との関係や養育水準の高度化によって難しくなったのである。それは選択した人が意識的に行う者であり、それは社会的な要請に従って自己点検と自己再帰を促されているからである。最後の方で、特別に支援を要する子どもを養育することの難しさとやりがいの記述は論者同様に考えさせられる。

小碕恭弘「子育てにおける父親」
 少子化により、その取り組みの概念が大きく拡げられ、これまであまり対象とされてこなかった父親にもスポットが当てられたこと。中には企業が人材戦略の一つとして、あるいは企業の社会的責任として子育て文化の醸成に努めていること。または、会社人間の弊害、過労死や自殺などライフスタイルに対する男性の価値観の変化などが上げられる。父親が育児に参加することで性としての価値観の多様性などが期待されるし、社会的役割の拡大が期待される。また、PTAなどでも父親が親父の会などを作って積極的に参加する取り組みなどを紹介している。問題点としては、出来る父親と出来ない父親の格差とか偏見。あと、父親が積極的に関わることで生じる父親の育児不安である。

湯沢直美「女性支援と子育て支援」
 DVの事例二題からの考察。中でも、美しい箇所があるので、引用しておく。
 社会福祉実践の真髄は、人と人が出会うこと、そして、同じ時代に生きる者として、一人ひとりの生の尊厳を支え合うことであろう。日々の実践は、利用者の生に出会い続ける営為である。だからこそ、支援者には、安易に“分かってしまう”のではなく、一人ひとりが歩んできた人生の歴史に思いをはせ続けることが求められるだろう。

 その他、DVは親密な関係において発言する暴力を意味するが、親密な関係は日常性を帯びているからこそ、被害者の心身を日常的に侵害する力を持っている。中略、家庭という隔離された空間における日常性を帯びた尊厳の侵害行為の結果である。その他、考えさせられる論考であった。

 レポートは6本、乳児院、母子生活支援施設、生活保護課、保育所、社協、産婦人科である。特に乳児院での最後の方に書かれている、「施設で暮らす子ども達はこれまでの不適切な養育環境と施設入所(家族からの分離)という二重の苦しみを背負っている。中略。しかし、本来、施設入所は、子ども達が、何気ない日々の繰り返しの中で安心感を取り戻し、成長と発達のエネルギーを蓄える時間をもたらすのである」とする言葉は施設勤務の私にとって再確認させられた。また、生活保護課がその子供に向けた学業のプログラムとNPOの取り組みはレポートはあまり読まない私でもついつい引き込まれて読んでしまった。良い内容である。
2012.3.17

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